ポートランド市のコミュニティ計画
〜その5〜


最後に日本との比較を通して私の感じた印象を書いてみたいと思います。例 によって断定調で書いてゆきますが(私の悪い癖です),ほんとは各文の後ろに( ?)をつけたいくらいの気分ですので,どうか皆さんのご意見・ご批判をお寄せくだ さい。(こちらまで。

前のページで書きました通り,現在ポートランド市ではSWCPをめぐって混乱状況にある わけですが,市民は計画行為そのものに不信感を抱いているわけではありません。む しろ逆に,計画に信頼を置き,その内容に強い関心を持っているからこそ,十分な市 民参加を怠った市役所を責めているのです。

では,ポートランド市でこのように市民参加に基づいたマスタープランづくりがうま く機能している理由は何でしょうか? 日本と比較すると,少なくとも次の点が言え るのではないかと思います。

1. ゾーニングが住環境を守る手段として確立している

アメリカの自治体ではゾーニングの規制内容が厳密であり,住環境を守る手段として 確立しているため,市民はその変更に非常に神経質になります。コミュニティ計画で は,地区のゾーニングが一斉に見直されるため,計画づくりに対する市民の関心は否 応なく高められます。

しかし日本では,建蔽率・容積率の指定がもともと甘く,また用途地域制が排他機能 を十分果たしていないため,仮にマスタープランが用途指定等を誘導するものになっ ても,アメリカほど市民の関心は高まらないのではないかと思います。

2. 公共投資に対するコスト意識がある

アメリカでは権限・財源の両面で地方分権が進んでおり,自治体が自分で計画を立て 実行することができる半面,公共投資のコストは地元の市民にダイレクトに跳ね返っ てきます。市民はそのへんの損得勘定をしっかり持っているので,やみくもにインフ ラ整備を要求することはありません。

しかし日本では,公共投資の内容は補助金等を通して市民の関知しないところで決ま ってしまうので,公共投資に対する市民のコスト意識が欠如しています。そのため, 計画づくりにおける市民の要望は,果てしのないインフラ整備に偏ってしまいがちで す。

3. 上位計画(成長管理)に関する大まかな合意がある

オレゴン州はアメリカでは珍しく広域計画が発達している州で,各自治体のマスター プランを拘束するさまざまな成長管理計画がこれまでに作られてきました。それらは もちろん市民の総意として出来上がったものです。このような明確な上位計画を持 ち,しかもその内容に市民の大まかな合意があることは,マスタープランの目指す方 向性を明確にし,市民に関心を持たせやすくすることに大きく貢献しています。

日本のマスタープランづくりでは,都市圏あるいは国(県?)全体の方向付けのよう なものが与えられていないため,出来上がったプランは八方美人で捉えどころのない ものになってしまいがちで,市民の関心も高めることができません。

4. 「行政」対「住民」という対立の構図を好まない

最後に,これはナイーブな意見かもしれませんが,現地でプランづくりのプロセスを 観察していると,こちらの「市役所(計画局)」と「市民」の関係は,日本で言うと ころの「行政」と「住民」の関係とはかなり異なるような気がしました。(そのた め,レポートの中では「行政」「住民」の二つは意識的に使わないようにしました 。)

日本ではなにかにつけ「行政が悪い」「住民が反対するから」というふうに両者をは っきり区別する風潮があって,マスタープランへの市民参加についても「行政のプラ ン」に対する「住民の介入」といった構図が与えられることが多いような気がします が,ポートランド市では,行政各部局の監督責任者としての議員の役割が大きいため か,計画局の職員と市民の間にそんなに大きな隔たりがあるようには感じませんでし た。

確かにSWCPでは,市民は「行政」のやり方に反感を持って「行政」を批判してい るのですが,それは計画づくりの「プロセスがフェアじゃない」という批判であり, 計画の内容そのものは自分たち市民が決めるもの,という大前提があるような気がし ました。

以上です。 これで,5回に渡ったレポートをひとまず終わらせていただきます。 今後,また新たな発見があればお知らせしてゆきたいと思います。

なお,年末の12月30日のニューヨークタイムズ紙で,ポートランド都市圏の成長管理 政策が絶賛に近いかたちで紹介されました。絶賛に値するかどうかはともかく,それ だけ注目を集めているということでしょう。




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