メールを紹介


しばらく休止している間にも掲示板に書きこみを頂きました。今でも新しい方がここにたどり着くことがあることが喜ばしい限りです。
中でも29期南條さん、17期望月さんからはメールを頂いています。御本人を承諾の上、ここに掲載致します。
御感想などを掲示板にお寄せ下さい。

15期青木さん

(2002年12月7日)
初めまして。静高97期、ギター部15期?の青木雅哉です。
来年年明けに静高97期の同窓会が静岡で行われるので、その関連情報が静高のHPに出ていないかと検索したところ、偶然水上さんの「静高ギター部のHP」を発見しました。
盆や正月に帰省した際、時々静高近くの「一富士」に顔を出すのですが(現役の頃はかなりの愛好者でした)、近年ギター部の噂を聞くことが無く、もう廃部になったのではないかと思っていたところなので、とても懐かしかったです。特に部室落書きの写真には驚きました。「部室左」の中央部やや右下に私の名前が書いてありますし、「部室右」には白字で大きく「熱海に来てね、中田君!」と書いてあります。ちなみに中田君は私の同期で、書いたのは勿論私です。その他、身に憶えのある落書きがいくつかあって、かなり笑えました。しかし、もしこれが現在まで残っていて、日々現役静高生が見ているとしたら恥ずかしい限りです。
それから掲示板も、過去のものを含めてざっと見させていただきました。1期下の大橋君や帯川君、2期上の藤原さんなどの名前があり、これまた懐かしかったです。特に13期藤原さんが、14期の秋山さんと住まれていた下北沢の下宿には、私も学生時代に一度お邪魔したことがあり、そのようなことを色々と思い出しました。
さて私の方は静高卒業後、大学でインテリアデザインを専攻し、その後15年近く東京の建築設計事務所に勤めていました。そして30代終り頃にサラリーマン生活に終止符をうちたいと思い、独立を考えたのですが、何しろこの不況ですから、本業・建築関係での独立が難しい状況でした。そこで、もともとお酒が好きだったものですから、もう好きなことを仕事にしてしまえ、と開き直って、東京渋谷でショットバーを始めたわけです。素人で始めてそれなりに苦労もありましたが、お陰様で(なん とか)3年目を迎えました。東京にいらっしゃるギター部OBの方々には、ぜひ一度覗いてみていただきたいものです。
私事で長くなってしまい、恐縮です。なお正月の97期同窓会には参加の予定で、もしかするとギター部同期の面々にも再会できるかもしれません。その際にはまたご報告させていただきます。
それではギター部OB皆様の、今後のご活躍をお祈りいたします。
2002.12.7 青木雅哉(Robbins@ac7.mopera.ne.jp)


追伸:水上さん→友人のパソコンでHPを見たものですから、直接掲示板への書き込みができませんでした。今回水上さん宛てにメールを送信させていただきましたが、可能でしたら上記文を「メールを紹介」のコーナーに載せていただけたら幸いです。御無沙汰してしまっている先輩、後輩の皆様へのご挨拶にかえさせていただきたいと考えています。
それでは今後もHPの継続を楽しみにしております。

29期南條さん

(2000年11月8日)

こちらこそはじめまして。

僕は1995年3月に卒業したと思います。
そうすると、静高111期、ギター部29期ということになるのでしょうか。
水上さんの静高100期というのはおぼえやすくていいですね。

僕は1992年の4、5月に入部しました。
そのころはあまり評判はよくなく、
実際のところ、部としての活動はなく、帰宅部のようなものだったらしいです。
それでも、僕らの代は10人くらいいたと思います。
その前の年は、新入部員は0だったらしいのですが、
マンドリン部から転部してきた方が2人いました。
当然、この方たちが上になるのですが、
転部してきた人たちですから、
僕らの代とは、すごく仲が悪かったです。

その年のギター部は、文化祭出場も危ないんじゃないかといわれたほどで、
市民文化会館でやりました。
とりあえず、3年1曲、1、2年一曲ずつで、みっともない演奏をしたものです。
曲も、ギター部のやる必然性のない歌謡曲のようなものでした。

ただ、学内での文化祭で、大塩先輩、加藤先輩をはじめ有志の4人が
音楽室でバンド演奏をやったのですが、それはすばらしかったです。
そこで、部として、まとまってやる活動よりも、
僕を含む1年の4人はバンドを組んで、部室で練習していました。
このバンドは結局3年になるまで続いたと思います。
そうすると当然他の部員たちは、やることはないので、
帰宅部員となりました。

僕ら4人だけは、ずいぶんと練習したものです。
たまたま、ドラムセットが部室にあったので。
うるさい音を出しながら、回り活動に迷惑をかけていました。
学校内外から実際よく苦情がきたものです。
基本的に、洋楽のハードロックばかりやっていたので
実際、発表する場も何度かありましたが、
歌も英語ですし、僕はヴォーカルだったんですが、
すごく下手で、うけはすこぶる悪かったです。

でも、もう誰も、クラッシックギターには興味はなく、
エレキギターばかりで、当初何本か合ったクラシックギターも
最後のころには、ほとんどなくなっていました。
部内外の人物が勝手に持っていってしまったので。
顧問の先生も自分の仕事が忙しいのか、
(僕らの間では出世ねらいだから、といっていました。)
まったく、やる気はなく、とにかく
勝手にやってくれという感じでした。
いい意味で放任主義、悪い意味でほったらかしでした。
まあ、それは、こっちとしても都合がよかったので、
好き勝手やらしてもらいました。

実際その顧問が副教頭なんかに出世したら、
顧問が変わって、下手に僕らを操ろうとしたので、
すさまじく対抗しました。

そんな感じで、僕のいた3年間のギター部は
いとことでいえば、あれていたのだと思います。
何も、オーガナイズドされたものはなくて、
部活動と呼べるものではなかったと思います。

僕らの下に新入生が二人はいってきましたが、
彼らはもうどうすることもできなくて、
彼らの年は文化祭出場辞退したそうです。

僕らが3年のときは、
男女合わせて10人強が入部していましたが、
もう3年としては受験勉強が始まっていて、
部活動とはかかわりを持たないで、そのまま卒業しました。

ただ、不思議なもので、にごった水も
自然に浄化するように、
静高のHPなどを見ると
県大会などで、賞をもらっていたりして、
僕らのころとはぜんぜん変わったんだな、と思いました。

そんなわけで、静岡高校ギター部ホームページを見つけたとき、
驚いてしまい、つい書き込んでしまった次第です。
こんな話が参考になるとは思いませんが、
そこを、あえて書かせていただきました。

いろんな時代があるものですね。
それがいいとか悪いとかはわかりませんが。
いまとなっては、ただの思い出です。
もし、もう一度同じことをやるか、と聞かれたら、
こたえは「NO!」ですけど。

僕個人のことを言わせていただければ、
エレキギターから入りましたが、
音楽の幅も広がり、いろんなスタイルのギターが好きです。
ただ、クラッシックギター命というの出なく、
音楽が好きで、ギターが好きで、という順序です。
村治香織サンは大好きですですけど。

ギターという楽器も、音楽も愛していますが、
静高ギター部は好きだとは言い切れません。
これは正直な気持ちです。

僕のようなもののくだらない話に付き合っていただきありがとうございました。
今は静岡から遠く離れたところで暮らしています。
インターネットを通じてでも、あのころのバンドメンバーにでも
連絡が取れたらいいな、などと思っています。
懐かしいばかりです。
ありがとうございました。

南條昌康



17期望月さん

(2001年4月10日)
ギター部17期の望月秀紀です。お久しぶり。
今ドイツにいます。
うちのような中小企業のプラモデル会社にも
欧州駐在員事務所と言うのがあり、
派遣されて既に2年が経ちました。
(あと1年くらいで帰任の予定です。)
駐在員事務所と言っても私一人だけ、
あとドイツ人のおばさん(秘書)
がパートで半日来ますが、
まあそう言った事務所なので、
忙しい時は忙しいですが
割りと自分で融通を利かせて
時間をやりくりできるのが良いところです。
そう言う訳で、昼休みのつれづれに
暇つぶしにネットで「堀内良雄」を検索してみたところ、
貴君のホームページがヒットしたと言う訳です。
(正直驚きました。)
現在はホームページも活動休止中の様ですね。
このメールも届くかどうか定かでありませんが
懐かしかったので取り敢えず一報させていただきます。
ちなみにこのアドレスは会社(駐在員事務所)のものですが、
前述の通り日本語のメールが読めるのは私だけですので、
私用で使ってもさしあたっては問題ありません。(と信じています)
それでは、お元気で。




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