狂い始めたアメリカ崩壊する日本  1600円

 

プロテスタント牧師 小石泉著                                                                                         戻る

(目次)


はじめに 日本は大崩壊の時代に突入した                            3
プロローグ2○○○年世界中の電算機が誤作動を始める   9
メーソンとイルミナティはどんな関係か                             20
体検者が語る驚くべきイルミナティの肉部                         25
イルミナティの本部はマイクロソフト社                              37
日本人にイルミナティはいない                                               39
ニューエイジ運動を信用してはいけない                                  43
二年以内に全米に戒散令、市民は自由を失う                        49
世界の雄アメリカの破局は時間の問題                                    56
この伝道者の恐るべき幻想は実現する                                    69
あの契約の箱が遂に発見された                                                78
ユダヤ人キリスト教徒の隠された使命とは                         104
タルムードに生きるユダヤ人を信用出来るか                    109
ユダヤ支配下のドイツヘ九五ケ条の提言                              123
ユダヤ人は神の選民では断じてない                                       143
今やアメリカの国教はユダヤ教                                               157
イスラエルでキリスト教の布教は即刑 務所                         164
イスラエルは秘かに邪悪な計画を実行中                              169
ダヴィンチの最後の晩餐は反キリスト画                              173
世界中のキリスト教は最早壊滅寸前                                       185
エピローグヨハネの黙示録をまだ知らない人へ                    197

おわりに これが日本人が生き残る最後の知恵だ                 244

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(本文)
プロローグ ニ○○○年世界中の電算機が誤作動を始める
 

本当にそれは信じられないほど馬鹿々々しい話なのである。それはあまりにも筒単なことでまさかそんな重大な話になるとはだれも信じられないのは当然なのだ。しかし、もし本当だったら世界は大混乱に陥るだろう。私は、今このワープロを打っている。ある所まで打ったらファイルするだろう。その時、日付を表すのに一九九九年一二月三一日を991231と表す。ところが二○○○年一月一日になった時には000101と書かれることになる。するとワーブロは九九年の後ではなく前、すなわち一九○○年と読み違える。こんな簡単なことが世界に大混乱をもたらすかもしれないと言うのである。ある人はそんな事はない、ほんの少しの修正で済むだろうという。しかし、ある人は〃パベルの塔〃に匹敵するか、もしくはそれをはるかにしのぐ文明の崩壊にすら至るだろうという。

その人はゲイリー・ノース氏である。彼はすでに一九八○年代にそのことに気付き警告してきた。バベルの塔は人問が思い上がって、神のようになろうとして高い塔を建てるが神が言葉を乱す(パラル)ことによってそれを阻止するという旧約聖書創世記の物語だが塔という。いわばハードを何か物理的な力ではなく、言葉というソフトで阻止したという点が今回のコンビューター二○○○年間題に似ているのである。巨大なコンビューターのシステムが本当に崩壊するとすればこれはバベルの塔に匹敵すると言っても確かに過言ではない。それにしても、これは神が計画された事なのか、悪魔が計画したことなのか。それも分からない。この事は、「週刊日本新間」という新間に詳しく連載されているので是非お読み頂きたい(東京都文京区白山5−35-12編集発行人太田龍氏、小生も編集委員)。ゲイリー・ノース氏については太田龍氏が彼の個人的な雑誌「宇宙の真理」六月号に書いているので併せてお読み頂きたい(前記と同じ住所)。ノース氏は名著「インサイダー」や「ロックフェラー帝国の陰謀」に関係した人物である。この問題についてある大手のコンピューターメーカーの社員は「大した間題ではない」という。しかし、本当にそうかと間くと「本当のところはだれにも分からない」と言う。すでにこの間題の解決のために、アメリカの大手の会社は数百万ドルを投じて修復に当

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たり始めている。しかし、例え自分の会社のコンビューターを修復しても、関連する全てのコンピューターが修復されなければ意味ないと言う。また、政府、軍隊などの巨大コソビューターは到底、修復は不能だと言うのだ。一体、本当はどうなのか。これ程、奇妙な話はないと思う。科学の先端を行くコンビューターがわずか00という二つの文字のために崩壊してしまうなんて有り得るだろうか?そしてそんな子供だましな事に世界中の技術者がだれも気が付かないで済まして来たのだろうか?あの壮大な規模を誇るコンピューターやソフトの製作会社、何千人もの博士や学士様を擁するあの企業のどれ一つとしてこの筒単な欠陥に気が付かなかったと言うのだろうか?もともとコンピューターはノイマンが作り出した事になっているが実はJ.P.エッカートとJ.W.モークリーと言う二人の人々が考え出した物だという(「ムー」一九九六年九月号)。そして、最初の頃は大きなビルほどもある機械だったために少しでも情報を減らそうと勤めたので年号を記すのに四桁ではなく二桁を採用したのだという。私はこの事についてはあまり知識もないので詳しいことは書けないが、ノース氏は途方もないシミュレーションを開示する。曰く、核兵器や原子力発電所の危機。電力の供給の混乱。水道、ガス、全ての交通機関、特に航空機。役所や銀行のファイル。保険。年金。

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ガソリン、などなど全てが壊滅的な打撃を受けるだろうという。その結果、西欧のコンピューターに依存した軍事力は崩壊し、あまりコンピューターの普及していない中国軍が世界最強の軍事力を持つようになるという。ミサイルのランダムな誤射。発電所のメルトダウンまで言うのだから穏やかではない。この崩壊から免れる国が世界にもう一つあるという、それはイスラエルである。イスラエルは西暦ではなくユダヤ暦を採用しているからであるという。アダムから数える五千何年というものである。全ては怪しく、全ては不確実である。しかし、ここで考えてもらいたい、本来コンピューターというものは確実で信頼できるものとして現れ、稼働してきたのではなかったのか。それが一夜にして全く当てにならないものとなるのか、これは壮大なペテンだったのか、それともこの危機があるという話がペテンなのか。我々はここで非常におもしろい事態に直面している。我々が世界に陰謀があると警告してもそれは物笑いにしかならなかった。ほんの数日前にも私は同僚の牧師たちに笑い者にされた。しかし、ある時がくるまでは我々の警告はそのような扱いを受けても仕方がないし、それは何時だとはっきり言えるものではない。

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しかし、このコンビューター二○○○年間題に関してはあと一年と数か月でそれが事実かペテンかはっきりするのである。これは人類の存亡にかかわる重大問題なのか。それともほんの少しの混乱で済むのか。私には分からない。ただ、ノース氏らの真剣な訴えに聞き耳を立てている。Y2KすなわちYear2K(K=
一○○○)のコンピューター危機が本当に起きたならば一体何が起こるだろうか。私はごく控え目に一つの事柄を書いてみよう。後に書くように、私は昨年アメリカに滞在したとき、非常に驚いたのはアメリカの電気料金の安さだった。全てを電化した五○坪ほどの家の一か月の電気料金が二000円ほどだった(記憶が正しければ)。だからドアと窓のロックは電気ロックである。ガレージのオーパーシャッターも電気式。無線で上下する。この家に停電が起こったとしよう。まず、エアコンは使えない。それが冬でも夏でも家は人の住める所ではなくなる。だからと言って家から出ることができない。なんとか出ることができてもガレージが開かない。冷蔵庫の食品は二・三日で腐り始める。物を買いに行こうにもガソリンスタンドはガソリンの補給体制が壊滅している。電話は通じない。飛行機は地上に置かれたまま。鉄道もバスも動かない。アメリカ人の神棚テレビはつかない。

辛うじて電池式のラジオだけが使えるが、ラジオ局が動かない。これが平均的なアメリカの家庭に起こる事である。年金生活者は銀行に行っても支払いを受けられない。いや、普通預金すら下ろせるかどうか分からない。役所に行っても身分証明すら出来ない。ついでにローンがゼロになるなんてことはないか……。さて、それからが重大なのだ。このような危機を、サタンとその忠実な僕であるイルミナティによって完全に掌握されているアメリカ政府は侍ち望んでいた。ついにマーシャル法が大統領から発令される。出番を、今や遅しと侍っていたFEMA大王の大部隊が動き出す。全ての人権は剥奪され、危険分子は青と赤に分けられて家々から狩り出される。アメリカが分断され、軍隊は武装解除される。それ以前にも、スプリングマィヤー氏は現在、アメリカ軍はその軍需物資を海中に捨てているという。すでにかなりの数(ある人は数十万、ある人は数千人という)のアメリカに駐留している外国軍、ロシア、中国、東欧諸国軍などがアメリカ市民に銃口を向ける。この時ではないだろうか、ロシア軍が中東とアメリカに大進撃を開始するのは。ゴグ、マゴクの乱として知られるこの大戦争についてはすでに最初の本「悪魔最後の陰謀」に書いたので省略するが、これが第三次世界大戦なのかもしれない。

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というような事を書くと、お叱りを受けるだろうと思う。何と言う無責任で破壊的な思想かと。しかし、スプリングマイヤー氏は今年の九月にもマーシャル法の適用が検討されているという情報があったというのだ。そして多くの研究者が二○○○年から世界は全く違った方向に進み始めるだろうと言っている。しきりに「あと一八か月」と言うのである。我々はノストラダムスの言う一九九九年の破局を来年に迎えて「恐怖の大王」は天から降ってきそうもない。しかし、まさに降って湧いたように足元のコンピューターが壊滅すれば、確かに世界は破局に近い状況になるだろう。ノース氏らは田舎に引っ越して、食料、水、燃料、薬品などを沢山貯蔵して備えると言っている。果たして日本はどうなるのだろう。このコンピューター二○○○年間題で我々の所に寄せられる情報は全てアメリカからのものである。そこで私は直接日本の諸機関に電話を入れて聞いてみることにした。
東京電力:現在ソフトの改定に取り組んでいる。設備送電関係のシステムは取換え中である。三年前に導入した新しい機種には間題はないが、それ以前の物に関しては一九九九年一○月に完成の予定。
東京ガス:改定は順次行っている、全く間題はない。

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JR東日本システム:ニ○○○年部というものを作って対処している。今年は全てのシステム、スケジュールは未だ対応中だが一九九九年度中には終丁する。

こうしてみると全ての機関でこの間題についての認識はあるようだ。ただし、決して自分に不都合なことは言わないだろう。ここで役所と銀行が無いことを不満に思うだろうが、銀行や役所から正直な回答が寄せられるとは思えなかったので聞かなかった。果たして目本はノース氏らが言うような大混乱、大崩壊になるのだろうか。どうも私にはそうならないような気がする。アメリカでは恐らくある程度の混乱は起こるであろう。そこでうがった見方だが、こういう事は確実に言える。すなわち、その気になればこれをもって大崩壊を演出することは出来るだろう。アメリカを大崩壊に導きたいイルミテティはこれを口実にマーシャル法の適用を果たすことは十分あり得るであろう。マーシャル法、それは戒厳令である。アメリカから全ての人権が奪われる。私は四冊の本を出したが、その初めよりも今はもっと危機が追っていることを実感している。フリーメーソン・イルミナティはアメリカにおいて最も強力である。サタンとその子、反キリストはまずアメリカからその働きを始めるだろう。以下に私が入手した多くの

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資料を元に反キリストの働きを明らかにしてみよう。九八年五月に私は太田龍氏とともにフリッツ・スプリングマイヤー氏とシスコ・ホイーラー姉を日本に招き東京と大阪で講演会をした。この間、一三日間彼らと共に過ごしたのだが色々と興味深い話を聞いた。スプリソグマイヤーの方はすでに何度か紹介しているので多くの方々はご存じであろうが、シスコ・ホイーラー姉に関しては私もあまり知らなかった。彼女は現在五一歳で数奇な運命をたどった方である。彼女は旅の終り頃、まるで遺言でもするかのように私に話し続けた。以下の文章はその一部である。信しられないことばかりだが、かつてはイルミナティの父によるマインド・コソトロール奴隷であり、自分自身高位の女性イルミナティだった彼女の話はイルミナティを知る上で決しておろそかにできないと思う。ところで、気になる話を聞いた。東京のお台場にフランス展とかいうもののイベントの一つとして、自由の女神像が建てられた。これが何と来年の一月一八日に撤去されるということだ。つまり一月一七日まではあると言う事である。あの阪神大震災が一月一七日。一 + 一七日= 一八日 (六 十 六 十 六)。ロスアンジェルス地震が一月一七日。一+ 一 + 七。サンフランシスコ地震が一○月一七日すなわち一 + 一 + 七。と言う事は前の本に書いた。そしてその後、

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阪神大震災の前に震源地の真上に日仏友好の碑なるものが建てられていたと言うことを聞いていたから、余りにもあざとい話だが心配になるのである。まさか、そうまであからさまにはやらないだろうが、一応気にしていたほうがよさそうだ。フリッツ・スプリングマイヤーはもう一度日本に人工地震が計画されているというイルミナティ内部の情報を私に語っている。自由の女神はユジプトの神話の神オシリスの妻イシスであり、その掲げる松明はイルミニズム(啓明)の火である。その火が東京を焼く種火とならないように私は祈っている。

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フリーメーソンとイルミナティはどんな関係か

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東京タワーを訪れたことのある人でも、その隣にある日本フリーメーソンのロッジを見たことのある人は少ないのではないだろうか。先日、友人のスプリングマイヤー氏とそこを見に行った。すると彼はその建物の礎石に注意をうながした。そこには竣工の日時が書いてあるのだがAD一九XX年とあるべきところにAL五九八一年とあった。これはフリーメーソンの年号で、Aはanno(統治)Lはlight(光)すなわち「光の統治」または「光が来て」からの意味だと言う。光とはイルミネーション。ルシファーは光の天使である。これでフリーメーソンの性格が鮮明になる。私はフリーメーソンについて本を書いた。しかし、実はそれほどこの組織の実態を知っていたわけではない。特に、今にして思えば、欧米においてこのフリーメーソソなしには近代史は語れない事を実感として知らなかった。アメリカのクリスチャンとフリーメーンンの話をするのは非常に難しい。彼らのほとん

どはフリーメーソンが単なる社交のグルーブであり有益無害なものだと信じているからであり、事実フリーメーソンに入っているか極めて身近な人々がフリーメーソンである場合が多いのである。時には誇らしげに私はフリーメーソンですというのだから話にならない。先年、アメリカ南部に一週間ほどホームステイした際、道端の看板に、ロータリークラブ、ライオンズクラブと並んでフリーメーソンのマークが並んでいるのを見て唖然とした。町には教会とならんでフリーメーソンのロッジが堂々と建っている。フリーメーソソはキリスト教会の内部に完全に浸透している。前にも書いたが彼らはフリーメーソソという名前がもともとはフラマッソン、すなわちフラムの子という意味であり、フラムとはツロの王の称号、ツロの王とはルシファーの事だということを知らない。これは聖書を良く読んでいないと決して分からない秘密である。フラムとはソロモンの神殿を造った頭領であり、ツロの王から遣わされた職人であった。ところがもともと王という名前を付けるのだから、王家との関係が無いはずはなく、さらにツロの王とは旧約聖書エゼキェル書二八章では天国から追放されたルシファーにかかわる話なのである。さて、フリーメーソンは一枚岩の堅固な組織かと思っていたら、そうではなかった。フリーメーソンはキリスト教会でいえば教派、教団の総称であり、その中に無数の諸団体を

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含んでいる。私も良く知らないでフリーメーソン三三階級などと書いていたが、スプリソグマイヤー氏によればフリーメーソンは三階級しかないのだそうだ。三二、とか三三とかいうのは全て諸団体、すなわちXXライトというような結社の中のブライベイトな階級である。その中で一番有名で強力な結社がスコティッシュライトである。中には三六○階級とか七七階級などというのもあるのだそうだ。キリスト教会と見比ぺると分かりやすい。フリーメーソンは言わば教会の総称である。そしてイルミナティとはパチカンのような力と人材を擁する支配階級のことである。だからフリーメーソンの大部分が世界支配の陰謀などとは関係なく、ただ、イルミナティの意向を受けてかなり自立的にルーズに動いているようだ。イルミナティとは世界支配の明白な意志を持った集団である。スプリングマイヤー氏によると世界に約四○○○万人いるそうだ。イルミナティはオカルティストでありwitch サタニストである。これらはほとんど同義語である。メーソンの場合、自分をクリスチャンと考えているメンパーも居るが、イルミナテイはサタンを神として崇めている。彼らが自分をクリスチャンというとき、それは偽りを言っていることを自覚しているのである。時には有力なイルミナティがキリスト教

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会の牧師や教団のトップに座っていることもある。これはプロテスタントでもカトリックでも同じである。私は私のごく身近な欧米の教団にたくさんイルミナティが入って居ることを知っている。

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2 体検者が語る驚くべきイルミナティの内部

シスコ・ホイーラー姉はイルミナティであった。彼女はイルミナティのマザー・オブ・ダークネス(暗闇の母)という位にいた人物である。彼女は父親がやはりイルミナティで家族全体が高位のイルミナティだった。有名なイルミナティの大統領グラント将軍は彼女の先祖である。イルミナティの家族は自分の子供をイルミナティにすべく育てる。しかし、これはかなり骨の折れる仕事である。なぜなら生まれたばかりの子供はもともとサタンを信じたりしないからである。子供はそのまま置いておけば神を信じるものである。そこでイルミナティはその子をサタニストにすべく母の胎内から教育するのである。イルミナティはマインドコントロールによって子供を多重人格に育てる。その間の事惰は、徳間書店刊行の「多重人格はこうして作られる」に詳しく載っている。もともとこの本を書いたスプリングマイヤーとシスコ・ホイーラーは一般の読者に向けて書いたのではなかった。九八年五月、来日したスブリングマイヤー氏は「これはイルミ

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ナティのマインドコントロールから犠牲者を救出するために、セラピストのために書いたもので、日本で出版されると聞いたとき非常にびっくりした」と語っている。イルミナティのマインドコントロールに関してはそれ自体大変な間題で、簡単に書くことは出来ないが、私は来日したシスコさんからイルミナティの世界を教えられたのでそちらをご紹介しよう。これは私がそう信じているというのではなく、あくまでシスコさんの話である。まあ、一つのホラー話として間いていただきたい。イルミナティはオカルトの世界である。オカルトの世界はいまだに天動説のようだ。いや、天動説とはもともとがオカルトから来たものなのだろう。聖書は天動説ではない。聖書は地球が「何もないところに掛けられている」と言っている。また、地球、すなわち球体であること、回転していることを語っている。シスコさんは日本にいる間、私に熱心にいろいろな話をしてくれた。それはまるで遺言のようだった。それはほとんど奇想天外な話ばかりだったが、イルミナティの世界を知る上で参考になると思うので覚えている限りを書いてみようと思う。シスコさんによれば天(霊的世界)には一三階層がある。人間が知ることができるのは第三の天までである。ルシファーが神に反逆してから彼らは神から第九の天に住むことを
 

許された。高位の堕落天使は今でもそこに住んでいる。また、地獄は文字通り地球の深部にある。そこは華氏二○○○度の深いピッチの中で地獄の火が燃えている。かつて科学者たちがシベリアで地面を深く掘るプロジェクトを始めた。地球の中心に向けて九マイル掘ったとき、人のうめき苦しむ声が間こえて来たので恐ろしくなって止めたという(デヴィルズホールという)。地獄はサルファ(硫酸塩)の臭いがするという。悪霊もエイリアンもやはりサルファの匂いがするからすぐ分かるという。エイリアンは悪霊と半悪霊の事である。半悪霊とは悪霊と人とのハーフの事である。「ハーフだって?天使には性別が無いはずじやあないですか、それが人間とのハーフを生むのですか?」「そう、聖書にもあるでしょう、創世記六章に、あれは今でも起こっているの」「ヘえ!どうやって悪霊は人間の男になるんですか」この点は彼女は明確な答えをしなかった。しかし、私なりに考えたのは、男にならなくても、卵子は特定の条件を与えれば細砲分裂を起こすからクローンを造ることは可能である。もともとクローンという考えそのもの、またその技術も悪霊が教えたものなのだろう。シスコさんが一六歳のとき、ある研究所に行き卵子を採取された。それは悪霊とのハー

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フを作るためであった。今、世界にはこの様なハーフがかなり存在しているはずだという。悪霊はセックスを通して人間に入り込む。サタニストの儀式に必ずセックスが登場するのはそのせいであるという。悪霊はサタニストの家系で性を通して世代に遺伝して行く。「だから性を汚してはいけないの。悪霊から身を守るためには性を正しく守らなければならないのよ」彼女は自分の過去を振り返るように、悲しそうにそう言った。堕落天使が人間の女を妻にして子供を生んだという話は本当に聖書の中にある。創世記六章に「人が地の表にふえ始めて、娘たちが彼らに生まれた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分たちの好む者を妻にめとった。(中略)そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちの所に入って、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった」とある。ここは聖書の中でも最も難解な場所として知られている。ここに言う〃神の子〃というのが堕落天使の事だと言う人もおり、いや、イエス・キリストは天使には性別はないと言っているからこれは神に祝福されたセツの子孫の事だという。しかし、それでは人の娘というのはカインの子孫のことかと言うことになる。カインはアベルを殺したが、その後に産まれたセッが神の子で、カインの子は人の子というのは無理がある。

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そして、その後にノアの洪水が起こり、セムの子孫であるノアと家族以外は全て死に絶えたからもうネピリム(巨人)は産まれなかったはずである。ところが民数記一三章にアナク人の子孫ネピリムを見たという一節がある。これはイスラェル人がモーセに率いられてエジプトを出て約束の地パレスチナに着いた最初のスパイが報告したものだから、本当にネピリムが居たというのではなく彼らの目にはそう見えたという意味なのかもしれないが、この時代にもネピリムがいるという発想があったことは確かである。さらに後代になってダビデが戦って殺したペリシテ人の巨人ゴリアテ(ゴライアス)はその身長が三メートル以上もあったというからネピリムの子孫だというのは一般的な解釈である。シスコさんはあの〃神の子〃は堕落天使すなわち悪霊であり、ネピリムは今も産まれていると言っている訳だ。ただし一つ疑間なのがゴリアテの場合、確かに体は大きかったがいわゆるエイリアンと言うような爬虫類のような姿の人間だったとは思われない。普通の人間として生活していたはずである。しかし、シスコさんによれば全く人間と見分けが付かないエイリアンも居ると言う事だ。スプリングマイヤーによれば多くの元イルミナティがエイリアンを見たと彼に告白している。エイリアンは人間に似た形を持っていて〃爬虫類のような人間〃であるという。ある元イルミナティの将軍はUF○の中で隣の操縦席にエイリアンがいたのを覚えている。面白いことにイルミナティはほとんどUF0に乗ったことがあるという。そして必ずエイリアンに会っている。悪霊の中でも有名なガーディアンアンエンジェルは人間と悪霊のハーフであるという。間もなく本当にUF○に乗ったェイリアンが大挙して地球に来るとスプリングマイヤーは前にも話した。この場合のUF○はアメリカや南米で作られている人造UF○なのか、それとも宇宙のどこかで作られたものかは分からない。デイヴィヅド・メイヤー氏がいう地球に近ずく物体を七二時間以前には発表するなというNASAの命今はエイリアンに関係しているのではないかとスプリングマイヤーは分析する。よくオカルティストたちはエゼキェル書一章のケルビムをUF○と言うが、案外、悪霊がUF○に乗って来るとき、キリストと天使の軍勢だとだますつもりなのかもしれない。悪霊には三六八の階級があり、軍隊のように運営されている。もちろんチーフはルシファーでその下にベルゼブルなどの将軍階級が居る。さて、悪霊には魂というものがないのだそうだ。だから彼らは人間の魂が欲しくてたまらない。そこで人間の血を飲む。実は人間は神に創造されたときは血を持っては居なかっ

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たのだとシスコさんはいう。聖書によれば人間を土から造ったとき神は命の息を鼻にふき入れられた。そして人間は生きたものとなったと聖書に書かれている。この息という言葉はへプル語ではルアヅハで霊と同し言葉である。最初、人間は霊的な存在だったから死ななかった。アダムとエパが神の命令に背いて、エデンの園を追われたとき、霊も取り去られ、代わって血が与えられた。そこで悪霊は人間と同じ条件になりたくて血を飲むのであるという。シスコさんは何度も悪霊を見たことがある。普段は大変美しい形をしているが一且血を飲むと恐ろしい姿、爬虫類の姿になるという。悪霊が飲む人間の血は〃洗礼を受けていない〃男の子の血である。アメリカで妊娠中絶が合法化しようとしているのは彼らが求めているからである。「私はルシファーも見たことがあるわ。オリーブ色の肌をしていて本当に美しい。でも、時々、恐ろしい蛇の姿に変わるの」「バロン・ロスチャイルドは私の写真をたくさん持っていたのよ」「ええ、本当に!」「でもねえ、恥ずかしいけどポルノに出ていたときのよ」シスコさんは苦々しい複雑な顔をした。彼女はスプリングマイヤーによって暗黒の世界から連れ出されるまでマインドコントロールされたセックス奴隷だったのである。

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京都の町を歩いていたときの事だった。ある外資系の会社の看板を見たとき、突然彼女は「この会社の社長は私のオーナーだったの。いつも電気ショック棒の杖を持っていて、私は苦しめられたの。一七歳から一九歳まで彼は私をたくさんの人に高い値段で売ったのよ」と言った。私は息がつまりそうになった。なぜならその社長は信仰の厚い紳士で、収入の一○分の九を教会に献金する人として有名だったからである。その社長の胸にはいつも誇らしげにロータリークラブとフリーメーソソ・シュライナー結社のバッジが付いていたと言う。シュライナー結社はフリーメーソン・スコティッシュライト三二、三三階級の人間だけが入ることのできる高位のイルミナティである。イルミナティの間ではロスチャイルド家は「人間と言うより悪魔(デーモン)そのものなの。彼らにあるのは反キリストの霊。デーモンの殻をかぶった人間。ルシファーの用に役立つように六、七、八、九、一○の階級の悪霊が彼には入っているの。心が堕落してひっくり返っているのよ」「ロスチャイルド家の食事にはいつもルシファーが出席するの。長いテーブルの一方の端にルシファーが座り、一方の端にロスチャイルドの当主が座るの。子供達はその間の席に座る。ルシファーは食事を用意された金の杯で人の血を飲むの」

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こうなってくると、いささか童話的で、私はスプリングマイヤーに本当かと聞いた。彼は「そういう儀式をすると言う事だろう」と答えたが、シスコさんは本当のことだと言い張って聞かなかった。話の中でどうしても理解できない事があった。それはシスコさんがアストロプレインと言う事をしきりにいうのであった。英語ではAstro planeと書くのだが、時には天的な階層か分野であるようであり、時には宇宙飛行機のようでもあった。彼女は小さい時から幽体雛脱の技術を教えられていて、そこに何度も行ったことがあると言った。アダムとエバも堕落する前にはそこに行けたらしい。「堕落の後はもうアストロプレインは呪われてしまったの」というのだ。世界の支配者の多くは年に一度、幽体離脱をしてアストロプレインに集まって話し合うのだと言うのだが、こうなるとお手上げで、これ以上は付き合えないと思った。さて、読者はこんなシスコさんがどんな人かと思うだろう。彼女は五一歳とは思えない愛らしい少女のような面を持っているかと思うと、威厳に満ちた母のような顔をすることもあった。彼女の想像を絶する悲惨な人生の果てに、イエス・キリストに出会い、今は喜びと感謝の生活をしている。しかし、彼女は大阪の講演会でも話したがいつ殺されるか分

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からない毎日であると言う。家族からは捨てられ、最愛のお姉さんの死も4年間知らされなかった。彼女の家には道路に面して大きな窓があるが、それは一センチ程にライフル銃の弾の跡がある。イルミナティから離脱した後、いつも彼女には、このような危険と脅かしがあるのである。またスイス銀行に預金していた一○○○万ドルの預金は跡形もなく消えていたという。日本に来る前、彼女は余りの脅迫にすっかりナーバスになっていた、しかし、日本にきて本当にリラックスし顔付きまで変わった。私は彼女にある聖書の御言葉をプレゼントした。「からだを殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼすカのある方を恐れなさい」マタイによる福音書一○章ニ八節。彼女は大変喜んで、私に自分の聖書を渡し、ここに印を付けて、あなたのササインをしてほしいと言った。「多分私はもう日本に来ることはできないかもしれない。でも、あなた方がこの事をを世界に知らせて下さい」それが講演会での彼女の最後の言葉だった。

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イルミナティの本部はマイクロソフト社

一七七六年ドイツのアダム・ヴェイスハウプトが始めたババリア・イルミナティはその後アメリカに移っていたが、一九二○〜三○年にかけてハワード・フイリップ・ラブクラフトがその重要な情報を寓話的な小説で暴露した。また一九六七、一九七五年にも彼らの基礎を脅かすような出来事が起こった。そこで彼らはトルコのセスメで会談し、偶発的な事件で彼らの秘密が漏れださないように、本部?を小さなコンピューター会社の中に作ることを決定した。特に彼らが秘密にしたかったことは、サタンまたは悪霊との交信に使う五角形の建物であった。その会社がマイクロソフト社であった。マイクロソフト社には一三の建物があるが、その他に極秘の建物がありそれは五角形をしている(悪霊を呼び出す魔法陣は五角星)。ビル・ゲイツのBILLとはBavaria イルミナテイの事である。彼らーは互いの識別にBILLまたばBil1と呼び合っている。またゲイツすなわちGATES

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は彼らがUnknown Superiorと呼ぶ霊的存在との交信の門の意味で現実の世界と不可視的世界とのgateの事である。それは、自らを反キリストと呼んだアレスター・クローリーの小説〃Moon Child〃から採られている。コンピューターはYes/Noの連続で構成されるが、それはナイトテンプラーの神パフォメットとの交信で用いられていた手法であった。それで隠れ場としてコンピューターの会社が採用されたのは不思議ではない。もともとコンピューター自体が恐らくイルミナテイであったノイマンとその同僚が作ったもので、数字的には六六六となる。パパリア・イルミナティはイルミナティ内部でも特別な結社らしい。また、驚いたことにその創立者と言われたアダム・ヴェイスハヴブトとは実は五人の人間の集団だという。このアダムヴェイスハウプトも暗号でビル・ゲイツと同じような意味らしいので、ビルゲイツも複数の人間のことかもしれない。公に姿を表すのはあのビルゲイツであるが。スプリングマイヤーによればイルミナティは四○○○万人いるという。

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日本人にイルミナティはいない

では日本にイルミナティはいるのだろうか。スプリングマイヤーの「イルミナティ悪魔の13血流」(九八年七月KKベストセラーズ刊)によれば中国のリー家はイルミナティである。では日本にはイルミナティはいるのだろうか。日本にはフリーメーソンはいる。中にはグランドマスターもいるが私には彼らが真の意味でサタニストであるとは思えない。恐らく日本人のイルミナティはいないだろう。もしいるとしたらそれは非常に歴史のある家族で、恐らく〃名誉イルミナティ〃と言った類いの名目的なもので、自分たちの知らぬ間に入れられていたに違いない。日本人で三極委員会のメンバーである宮沢喜一氏はイルミナティか高位のフリーメーソンの可能性はあるが、宮沢氏を見ているととても我々が知っているイルミナティの暗黒の世界の人とは思えない。恐らく何も知らないで入っていたのであろう。これは小沢一郎氏も同じで彼はイルミナティが期侍し、バック、ップしたが不発に終わったのではなかろう

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か。もちろんこれはあくまで推察にすぎない。外国の文献でも日本人イルミナティの情報はほとんど無い。むしろ私が思うに、オウムの麻原のような人物がイルミナティに近いように思う。彼がどこであの様な計画を植え付けられたのか分からないが、ある情報ではイルミナティのマインドコントロールの実行部隊タピストック研究所と関連があったという。明らかに、ロシア系統で彼に接触してきた者があったようだ。しかし、ロシア大学の火事で一切は消されてしまった。麻原は与えられていたヘリコプターも使えずに哀れ天井のねずみになって捕まった。使い捨てライターのようだった。もし、彼があのサリンを大量に製造し、日本で無差別殺害を行い大混乱に陥れていたら、彼の処遇も違っていたことだろう。ついでに書くが麻原の娘にアーチャリーと言うのが居る。このアーチャリーとはヘブル語のアチャレの派生語ではないかと私は見ている。アチャレとは日本語では〃残されたもの〃というパットしない訳になっているが、英語では〃レムナント〃と言う。「神に選ばれた特別な者」という意味の言葉である。これは英語圏のキリスト教会では特に好かれる言葉で、たくさん使われている。レムナントは日本人の牧師なら知っているものは多いが、アチャレなどと言うヘブル語は牧師でもなかなか知ることのない言葉である。それを使う

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と言うところにオウムとユダヤとイルミナティの関係を考えさせられる実例ではないだろうか。また、村井の最後の言葉が〃ユダにやられた〃ではなくて〃三文字〃だったと上祐は言った。ユダに関わる三文字といえばユダヤしかないではないか。もちろんそのユダヤは旧約聖書のユダヤではなくサタニスティック・ユダヤのことであり、それはイルミナティとも深く関係している事はいうまでもない。この他、創価学会の池田大作、統一教会の文鮮明らは当然フリーメーソンであるだろうがイルミナティかどうかは分からない。統一教会は日本に深く静かに浸透している。花売り娘や珍味売りは昔の話で、今は托鉢僧、占い師、焼き肉屋、病院、老人ホームにもその匂いがある。例の彩クループもそうだという情報もあったが私には確認する術もなかった。そう言えば不思議な話を耳にした。どこかにビー・ブライズという会社があるのだそうだ。英語にすればBe Bridesだろうか。これは不思議な言葉である。Be brideなら「花嫁であれ」と一応意床は通じる。しかし、Bridesと複数形では話は違ってくる。花嫁が複敷いるとは奇妙な話ではないか。しかし、統一教会にはたくさんの文鮮明の花嫁たちがいるのではなかったか。さて、我々は一九九九年を迎える。二一世紀はあとわずかで来る。イルミナティはこの

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世紀を彼らの世紀と考えている。世界各地でこれを迎える準備が進んでいる。それと共に、アメリカの危機が迫っているという。スプリンクマイヤー氏もデイヴィッド・メイヤー氏も他の人々も「あと一八か月」という言葉を口にする。あと一八か月で何が起こると言うのか。我々はその情報を聞いてみよう。

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#ニューエイジ運動を信用してはいけない

一九九八年九月初旬の時点で円は一ドルー三○円台にまでもどしているが、我々は、ここ数か月の間に、繁栄の糸口に立った東南アジアの国々が次々と凶暴な人々の手によって無理やりに引きずり降ろされるのを見てきた。マレーシアのマハティール首相は、この災害が全く人為的なもので、ある種の人々が強い意志と、幾つかの国々が束になってもかなわない莫大な富を武器として使い、破壊し尽くして居ることを明確に見抜いている。最後に残された楽園、日本がいよいよ彼らの最後の仕上げとして料理されようとしているのである。一九二九年の大恐慌に勝る大恐慌が訪れようとしている。今、スクラップ・アンド・ビルドが始まっていると私は最初の本「悪魔最後の陰謀」の言頭に書いた。その通り、今や世界はほぽイルミナティのスケジュール通りに進んでいる。しかし、何を建てようとしているのか。ニューエイジである。新しい時代が来るという。二○○○年を一つのポイントとして、

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新しい世界を作るために大掛かりな計画が進んでいるようなのである。最近、昔はやったフィフスディメンションズというコーラスクループの「アクエリアスエイジ」という歌をなぜか再び耳にするようになったと思わないだろうか。イルミナティは世界の至る所に、新たなる〃アクエリアス・エイジ〃寺院を建立するのに忙しい。以下に占星術師であり手相見であったデイヴィッド・メイヤー氏のラスト・トランペット紙の記事を載せる。氏はイエス・キリストに出会い、今やNW○(新世界秩序)すなわちサタンとその子、反キリストの組織であるイルミナティとの職烈な戦いを繰り広げている勇者である。「イギリスのグリニッチの本子午線上にはミレニアムドームという巨大なアミューズメントランドが建設されている。これはニューエイジ星座表の出発点と終点の印となるだろう。この建物は一二億ドルも掛かるのだがだれが払うのかだれも知らない。この建物は直径一○五○フイート(三二○メートル)中央の高さ一六五フイート(五○メートル)となるはずで、あの巨大なアトランタのジョージア・ドームの二倍の大きさである。このプロジェクトを管理しているピーター・マンデルスゾーンはこのドームの目的と使用法はまだ秘密だと言っている。イギリス下院はこのミレニアム・ドームはディズニーラ

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ンドでも、何か安っぽいテーパークでも、博物館でもなく、使用目的はまだ秘密だが、ただ〃だれも今までに見たこともないもの〃だと説明された。ピーター・マンデルスゾーンがうるさく言われて認めたのは、すべては謎であるが〃キリスト教がこのドームで体験することの中心となるだろう〃と言う事である。このドームは一度に三万五○○○人、一日に一○万人を収容することができる。この巨大なドームは真ん中に瞳を持つ眼球のような型をしていて、いくつかの〃ゾーン〃に分かれている。その一つは〃プレイ・ゾーン〃であり、乗客はコンポイのペルトにのってホログラムの中を通過する。あるものは〃レスト・ゾーン〃で、入場者はベッドに横たわり〃夢のシークェンス〃を通過する。〃ワーク・ゾーン〃には未来の仕事を経験する〃はしごの谷〃がある。〃マインド・ゾーン〃には〃パーチャル脳〃があって人々はその中に入ることができる。〃ポディ‐ゾーン〃には胸をあらわした巨大な三二○フイートの裸の女性の人体模型がある。女性の次にはおもちやを持った子供の模型がある。入場者はこの裸の女性の内部をはいまわり、記事によれば〃内臓器官によじ登ることができる。〃それは〃母なる地球〃なのだろうか?これはポール・サイモンが歌っている〃母と子の再結合〃だろうか?(訳注*小生の四冊目のニムロデと母を参考にされたい)。〃スビリット・ゾーン〃というの

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もある。これは〃すべての既成宗教の霊的、良心的探求を表すニューエイジのピラミッド〃からなっている。そこにはまた四○フイートの高さの二階座敷とつながる六つの三階建て(六六六)の建物がある。これらのビルには店舗、テレビスタジオ、ビジター休憩所、オフィス、レストランがある。そこにはまた〃グローバル・ゾーン〃と言うのもある。それは自給自足の熱帯雨林であり、世界の気候と国際的な食物の広場でもある。ドームにはトイレット、インディアン・テントと呼ばれるものもある。六○フイートの高さを持つ二四の円錐形の塔である。各トイレットは動作センサーによる蛇口と個室のドアを備えている。それはかぎを閉めるまでは透明である。ミレニアム・ドームの〃経験〃を通る全ての入場者は手で持てるガイド機器を持たなければならない。それはコンピューターによって九か国の言葉で説明する。どのぐらいの人がこのようなルシファーのアクェリアス・ニューエイジの経験を望んで入って行くのだろうか?出てきた時、人々は決して同じではないだろう。これは今世界で進められているニューエイジのセレモニーの一つの舞台となるだろう。

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パリには〃地球の塔〃と言う名の高い塔が出来つつある。建設費は四二○○万ドルに達するだろう。パリ市長ジーン・チベリは〃地球の塔はユートピアの集会所となるだろう〃と言った。この塔は鉄と木で作られ、頂上には五弁の花びらのようなものが作られる。この塔に付随してコンコルド宮の変形の世界最大の日時計が作られる。広場の中央にはエジプトのオペリスクが日時計の針として立てられる。一九九九年のニューイヤーズ・イブには二○○○のドラムのとどろきの内に、エッフェル塔から巨大な卵が降りてくる、殻が破れると何百と言うテレビのスクリーンが現われ、世界中からのプログラムが写し出される』アトランタオリンピックで我々は極めてオカルト色の強いアトラクションを見た。そLてサッカーのW杯の開会式にも同しようなアトラクションがあった。これらはある一つの計画の下に行われているニューエイジのセレモニーのリハーサルなのかも知れない。その他、ニューエイジは宗教と精神修養の中間的なものを作り出した。今日、宗教とも精神修養ともつかぬ得たいの知れないムーブメントがある。それらに共通するのは、非常に科学的な装いをしているが、実はオカルトであり悪霊による巧みな束練に至る物が多いような気がする。健康食品、ハーブ、病のいやしなど様々なスタイルでやってくるようだ。〃
 

これからの子供達は大変だ。恐ろしい時代が来た。一九九九年一二月三一日。エジプトの大ピラミッドで世界のwitch達が集まり盛大なお祭りが行われる。それは新しい時代の到来を告げるパーティーであるが、その主役は、NW○新世界秩序であるイルミナティであり、そのあがめる神はルシファーである。

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#二年以内に全米に戒厳令、市民は自由を失う

しかし、ここで慌てないで頂きたい。たしかに西暦二○○○年に世界は新時代に入るだろうが、だからといって、それがサタンが全世界を完全に掌握しすぺての人類に六六六の印を付けさせる時代とはならない。最近キッシンジャーは「世界を統一する計画は、我々の時代に出来なくても、我々の子供の時代には完成できるだろう」と言う意味のかなり弱気とも思える発言をしている。それはそうだろう、世界人類にすべてナンバーを付けて管理するというような体制は今のところ出来てはいない。人類を全て管理するという仕事は簡単な事ではない。私はそれまでにアルバート・バイクが言うようにもう一つの世界大戦が〃必要〃だろうと思う。一体彼らはどこからその様なスケジュールを持ったのだろうか。まるで未来を透視できるような能力はだれから与えられたのだろうか。アルパート・バイクそれはフリーメーソンを少しでも知っている人なら、すぐに判る有

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名な人物である。アルバート・バイクは一八四○年代、アーカンサス州リトルロック出身の甫軍の将軍でルシフィリアン プリーストフッド(ルシファーの僧侶団)の頭領であり、イルミナティの一三階級だった。一八五九年から一八七一年にかけてバイクは二○世紀に起こす三回の世界大戦の計画を作り出した。バイクの計画は次のようなものであった。この文書は今も大英博物館にあるという。
第一次世界大戦: ロシアの皇帝をひきずり落とし、カール・マルクスの『共産党宜言』によって共産主義を制定する。さらに他の国々の政府も共産主義によって滅亡させる。第一次世界大戦はイギリスとドイツという二つの異なった体制の協力によって実現した。
第二次世界大戦: ナチズムをてこに、ファシズムとシオニズムの間の違いを利用して、ドイツを滅亡させる。それによって、〃ユダヤ人の〃イスラエルをパレスチナに作る事が出来るだろう。共産主義をアメリカと同じ力になるまで育てる。フランクリソ・ルーズベルトとウインストン・チャーチルがこれを助けた。
 

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第三次世界大戦: キリスト教民主主義国家を滅亡させる。世界平和のためのルシファーの教儀が公に宣言され、無神論共産主義が世界中で確立する。もちろんアルバート・パイクという一人の人物によって全てが決まったというものでもない。しかし、確かに二つの戦争の前に、そのような戦争を起こそうという計画があったという文書が今に残されているのである。ここではアルバート・バイクだけが出てくるがもちろん他にも多くの人々、例えばマッチーニなどの名があがっているのだが、その後には壮大な世界制覇の野望をもった意志集団があったのである。アルバート・バイクはその中のもっとも優秀な理 論家だったらしい。彼は特に「モラル・アンド・ドグマ」という書物によってこの集団の思想と行動基準のグランドデザインを描き出した功績によって高く評価され、ワシントン市に銅像が残っている。今、第三次世界大戦が始まる可能性があるだろうか。イスラエルとアラブはもしイスラエルが第三神殿の建築を強行すれば戦争になり、それは世界的なものとなろう。また北朝鮮はアジアの火種であるが世界戦争になるとは思えない。不思議なのはロシアで、あれほ

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ど困窮が言われながら、なんとか続いているのはなぜだろうか。数年前の報道では今にも戦争でもおっばじめかねない様子だった。あれは偽報道だったのか。し、かし、私の所に入るキリスト教系の情報でもかなり困窮しているのは確かである。ここで疑問になるのはこれらニューエイジのお祭り騒ぎと、第三次世界界大戦という矛盾したテーマがイルミナティの中ではどうつながっているのかと言う事である。さらに、アメリカ内部のマーシャル法、強制収用所とも矛盾して見えるのである。スブリンクマイヤー氏によればアメリカでは戒厳令であるマーシャル法の適用が準備されている。すでにアメリカ国内にロシア軍を初めとする外国軍が大量に駐屯しているという情報が多く寄せられている。これはアメリカに戒厳令をしき、イルミナティの支配する国家とするためにはさすがに米軍は当てにならないからだろう。それによるブルー・アンド・レッドの選別(私の前著「誰も書けなかった悪魔の秘密組織」を参照されたい)。これはしかし世界大戦とは矛盾しないのかもしれない。そうして弱体化したアメリカを見てロシアなどが行動を起こすのかもしれない。ドン・マカルバニー氏は「力の頂点に立ったものは、弱いふりをするものだ」と言っているが、ロシアは軍事力の面で決して弱体化していない。むしろ冷戦時よりも軍事力を蓄えているという。スプリングマイヤー氏の

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情報提供者によるとメキシコにロシアの軍事物資が大量にストックされているという。また、現在アメリカで訓練を受けているロシアの何千人という軍人の中には、アメリカの秘密のステルス戦闘機の操縦訓練を受けているバイロットが居るという。これらのステルス機はアメリカの国民には極秘にされているのである。イルミナティはアメリカをまず叩きのめすだろう。そして第三次世界大戦が始まるのではなかろうか。今のままではアメリカ軍の中の約二五%ぐらいはイルミナティに反抗していると言うし、前にも書いたようにマーシャル法の適用にワシントンへの核攻撃をすると脅かしたような海軍提督も居た(この提督はその後退役させられた)。何をきっかけにするか分からないが、ある日アメリカに戒厳今が敷かれる。そのきっかけとして考えられるのは、例えば銃の規制、コンビューター二○○○年間題などかもしれない。そしてアメリカが大混乱に陥った時、ロシアを中心とするゴグ・マゴク軍が中東とアメリカに向けて進軍するのだろうか。それはまずイスラエルとアラブの局地的な戦争。それに参戦するイラク、イラン、ロシア、中国軍。対するはアメリカ、カナダ、日本となるのだそうだ。そして、アメリカに核の嵐が吹く。アメリカは巨大な広島となるだろう。残念ながらホ

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モセクシャルを公に認めた邪悪な一面を持つこの国に清めの火が下るだろう。驚くべきことに、イルミナティは核戦争後のアメリカで行動する部隊を作っている!FEMAはそのために創設された特種部隊であ一る。FEMA(Federal Emergency Management Agency)はカーター大統領の行政命今によって国家緊急の時に超権力として行動する部隊だ。自然災害より核戦争への生き残りのために彼らの努力の大半を置いているのである。彼らはアメリカが核戦争によって廃虚になる事を前提として行動している。FEMAは三00台からなるMERS(Mobil Emergensy Response Support units)という自動車部隊を創設した。これは核攻撃にも耐え、一か月間外部からの支援なしに行動できる部隊である。MERSはKenworth K一○○Eの四四四馬力のディーゼルエンジンを持つ特注のブライマリー・ラジオバンを含む五八の支援車両を持っている。このバンは電磁気防御シールドによって保護されている大きなコンピューター、ファックス、暗号無線機、飛び出し式の衛星用バラポラアンテナを積んでいる。また巨大なジェネレーター、生き残ったガソリンスタンドのどれからでも燃料を吸い上げるタンクも付いている。このMERS部隊の創設には数百万ドルという金額が支払われた。そして何千人

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というFEMAの人員がこれに投入されている。一般の災害にはわずかに数百人がふり当てられているにすぎない。さらに不思議なことに、デイヴィヅド・メイヤー氏のラスト・トランペット紙の九八年六月号によればアメリカ森林局は三八万マイルの木材運搬用の道路を緊急に破壊している。これはアメリカを縦横に走るメインハイウェイ(Interstate system)の八倍に相当する距推であるという。一体これは何のためなのだろう。氏はこの事をマーシャル法と関連づけている。要するに市民が森林地帯に逃げ込めないようにするためであろう。また、この号にはNASAが全ての天文学者に対して、七二時間以前に地球に接近する物体を公表しないようにという命今を出した。つまり、その物体が地球までの距推が三日以内になったときまで発表するなと言う事であろう。何がやってくるというのだろうか。どこからやってくるのだろうか。三日以内ということは三日ではもう何も対応できなくなってからと言う事なのだろうか。これについてはまだほんの一報しか受け取っていないのでこれ以上は何も書くことができない。そんな事は露知らずアメリカは今、好景気に沸いている。一体アメリカで何が起こっているのか。我々は少しこの点を観察して見ようではないか。

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世界の雄アメリカの破局は時間の間題

昨年、アメリカ南部の小さな町に七日間程滞在する機会が与えられた。今までサンフランシスコ、ロスアンゼルス、ハワイと西海岸地方には行ったことがあったのだが、内陸それも南部に行くのは初めてだった。その最大の目的は最近めざましい信仰復興(リバイパルと言う)の報告が来ている、ある教会を訪ねることであったが、その他に、私なりにある疑問を解決したいと思ったことがあった。それは次の三つである。
一本当にアメリカに、伝えられるような危機が迫っているのだろうか。
二もし本当ならなぜそうなるのか。フリーメーソンとイルミナティの実態は。
三もし本当なら、なぜ神はその様な悲劇を容認されるのか。
近年、私の所に来るアメリカに関する情報は余りにも過激な報告で自分でも不安になってきていた。これらの過敷な情報のどれほどが真実なのだろうか。もしかしたら単なるデマ情報のイエローペイパーなのではないだろうか。
 

西海岸のポートランドを飛び立ってダラスに近づいたころ、窓外を見て驚いた。一万メートルの上空で見ても、地平線の果てまで山も海もなく平野なのである。日本だったら必ず山か海が見えて、平野などほんの少ししか見えない。空港に着陸する時また驚いた、広いのだ。まるで一つの市がすっぼり入ってしまうような広さなのである。滑走路も四本以上はあるのだろう。こればっかりは実際に体験してみないとなかなか実感がわかない。目的地の小さな町の空港も成田空港より広かった。そして、その後この広さが非常に重大なものだと思うようになった。小さい所に住んでいる人間には、実際に見てみないと大きさというものは決して判らないものだ。町は緑豊かでハイウェイに沿って美しい店や家々が点在している。全てがのびのびとしている。驚いたことにハイウェイは街を出ると上下線の間に五○ー1○○メートルの分雛帯があり、そこは森林となっている。日本で分離帯を五○ー1○○メートルも取ることなんて考えもしないことだ。私が訪ねた方の住宅地では最低の区画が六○○坪であった。しかもその土地は一坪(ああなんと情けない単位か)一○○○円だったというのだ。だからショッビングセンクーだって数万坪の広さである。そして格納庫のように巨大な店内は世界各地からの安い品物であふれ返っている。

アメリカから見た日本はいかにも貧しい。日本の高速道路はどうしてあれほど高いのか。アメリカは全てフリーウェイ、只である。とにかく嫌になるほど豊かだ。それはまた食生活にも言える事で、日本の三〜四倍の量を食ぺている。もっともそのためにビヤ樽のような人間を沢山見たので良い事か悪い事かはちょっと判断しにくい。人間は満ち足りているとき変化や転換は望まないし、その様な事を考えたくないものなのではあるまいか。南部はまた信仰の地域でもある。立派な教会がそれこそ至る所にあり(それがまたほとんど同じ作り)人々は日曜ともなると着飾って教会に集う。白人と黒人とはやはり分離しているが、善良で純粋な信仰が保たれている。さらに驚くのは二四時間キリスト教放送をしているテレビ、ラジオの存在である。いつでもどこでもキリスト教に触れることができる。過剰、過保護とも思える徹底ぶりである。CD、VIDE○、テープ、そしてテレビ、ラジオ伝道者の呼び掛けに応じて捧げられる金額は膨大なものであろう。この国は歴史上始まって以来最大のキリスト教国であり、最多の宜教師と献金を外国に送り出した国でもある。先に書いたリパイバル教会などは朝二時から並んで午後七時の開場を待つ長い列が出来ている。毎日、熱狂的な賛美歌と説教がなされ二○か月で一○万人が信仰の改心を告

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白している。これがまさにアメリカの良心である。一体、アメリカには何人ぐらい牧師などの聖織者がいるのだろうか。仮に二億五○○○万人の五割がクリスチャンとして(内容はともかく)一億二五○○万人。一つの教会を一○○人として計算すると一二五万人の聖職者がいる事になる。もちろん各教会の人数はそれ以上かもしれないが、案外小さな教会もあるから妥当な所ではないだろうか。一二五万人の専門職がいる産業はほかに何があるだろうか(尚、日本では教会数約八○○○、信徒数八○万人、聖職者数二万人)。とにかく、その気になれば二四時間いつでもキリスト教の放送、音楽、説教を聞くことができ、二四時間体制でカウンセリンクを受けることができる。恐らくかつてこれほどキリスト教が栄えた国はあるまい。キリストは自分の教会が栄えると、その木に鳥が住むようになると言われたが、まさに栄えた教会には多くの鳥が住むようになった。アメリカのテレビに出てくる有名な牧師のうち少なくとも次の人々がフリーメーソンの高位のメンバーである。ノーマン・ピンセント・ピール、オーラル・ロバーツ、パット・ロパートソン、ロバート・シュラー、ビリー・グラハム、ジェリー・ソォルウエルこれらの人々は数あるテレビ伝道者の中でもスター的存在であり、多額の(恐らく年間

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何百憶円)献金を集め、確かに良い活動もしている。例えばバット・ロバートソンはボーイング707?を病院にしたF1ying Hospitalを運行している。ノーマン・ビンセント・ピールによって精神的な圧迫から逃れ積極的な生き方を学んだ人々も多いだろう。その他にも彼らが悪い事よりも良い事をしているという印象の方が多いに違いない。実際、幾つかのテレビ番組を見ても彼らは一応キリスト教を伝えているように見えるのだ。しかし、ロパート・シュラーやノーマン・ビンセント・ビールの場合、キリスト教の福音の説教というより可能性思考のガイダンスといった感じであった。いずれにしてもこの国でキリ入ト教の聖職者は一つの社会的ステイタスであり、巨大な権力である。それだけに聖職者のガウンをまとえばサタニストだろうと霊媒だろうと何でもできるとも言えるだろう。あまりにも大きくあまりにも雑多でフリーメーソンが何だ?イルミナティ?そんなものは知らないよ、ぐらいで終わっているのが現状のようだ。もちろん、全ての人類に減亡の可能性はあるのだ。しかし、私はここ数か月伝えられるアメリカの減亡、強制収用所、核攻撃などのあまりにも過激な情報を吟味しその可能性を知りたいと思ったのである。旧約聖書エゼキエル書三八〜三九章は、私の最初の本に書いたようにロシアがイスラエ

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ルを初めとする中近東に攻め込むという詳細な予言である。ところがある聖書研究者から送られてきたパンフレットによると、ここは有名なキング・ジェームス・バージョン(KJV、英語の最大の訳、欽定訳)では同時に二つの作戦が行われていると読めるのだそうである。特に二節の「わたしは、無防備の村々の地に上り、穏やかにして安らかに住む民、すぺて石垣もなく、貫の木もない地に住む者どもを攻めよう」という箇所は現在のイスラエルには当てはまらない。イスラエルは完全武装しておりこの言葉とはほど遠いという指摘があった。たしかに「無防備の村々の地、穏やかにして安らかに住む民、すぺて石垣もなく、貫の木もない地に住む者ども」というこの言葉ほど現在のアメリカに当てはまる言葉もない。ほとんどのアメリカの家には塀も門もない事はアメリカに行った人ならよく知っていることだろう。むしろそれがアメリカの住宅の特徴とも言えるだろう。今回の旅行でこの事を再認識した。この言葉はアメリカを一○○バーセント表している。むしろアメリカを指す暗号とさえ言えるかもしれない(この事に関して非常に典味深い話が、ある読者から私に寄せられたので、この章の終りに載せることにしよう。これは日本に来たあるアメリカの伝道者が見たアメリカの減亡の幻である)。しかし、キリスト者の私にとって消えない疑間があった。私はアメリカのクリスチャン、

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教会を尊敬している。これほど善良で信仰に熱心で愛の精神の満ちた人々を知らない。時には的はずれな善意、白人優越意識にあきれることもあるが、総じて信じられないほど純粋かつナイーブなのだ。このような人々を、神は強制収用所に放り込み、ギロチン!で首をはねることを許されるのだろうか。一体、今伝えられるこれらの情報は本当なのか?旅の終り頃、私の胸に去来した思いは〃試みの前のヨブ〃という言葉であった。

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旧約聖書ヨブ記というところにヨブと言う信仰の厚い人物が、苦しみに会い神に試みられる物語がある。聖書はヨブのことを「ひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」と最大級の賛辞で書き表している。しかも彼は非常に裕福であった。彼の信仰は模範であり、神は不思議なことに〃神の子たち〃の会議にのこのこ出てきたサタンにヨブの事を自慢している。ところがサタンは神に対して「それはあなたが彼を固くガードして居るからで、もし不幸や困難に出会ったらそんなに忠実な信仰など持てないでしょう」と反論する。この辺が聖書の不思議なところで何でサタンと神が問答するのか判らない。とにかく神は「ではお前がヨブを試みて見よ」と言う。サタンは一日の内に彼の全財産と息子娘を減ぽしてしまう。それでもヨブは「人は裸で母の胎を出た、裸で帰って行く、
神は与え神は取られた」と神に対する信仰を捨てない。神はサタンにヨブはなお忠実ではないかと言うとサタンはそれは自分の身体そのものに害が無いからだと言う。それではと神は再びサタンにヨプを攻撃することを許す。サタンはヨブをひどい皮膚病で苦しめる。この時、さすがのヨブも弱気になり神をのろいこそしないが、なぜ、神は忠実な自分をこんな目に合わせるのかとつぶやき神と法廷で争いたいと言うようになる。以下に彼の友人たちがやってきて人間の苦しみの意味について哲学論争が始まるのである。結局、ヨブの達する結論は、人問には神と人とを仲介する仲保者が必要だと言うものである。その意味でヨブ記と言うのは非常に明確にキリストを表す書物である。さて、それはともかく信仰厚きヨブにしてなぜその様な試みが必要だったのだろうか。それは、信仰の本質〃全てをかけるか〃という事である。キリストは「私についてきたいと思うなら自分を捨て、信分の十字架を負って、私に従って来なさい」と言われた。福音書でも富める青年にたいして全財産を捨ててついて来いと言うので彼は悲しみながら立ち去ったという記事がある。私はアメリカのクリスチャンはこの試みの前のヨブであり、富める青年だと思った。彼らは「ひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった」人々である。しかし、神はそれでは満足しない。信仰は一○○バーセントの委任であ

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るからだ。九九、九九パーセントでもいけない。一○○バーセントである。もしアメリカに伝えられるような破滅、迫害が来るとするならそれはこの〃信仰の完成〃のためであろ

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私は引退した牧師や宣教師、牧師夫人などと食事をした時、こういう質間をしてみた。「アメリカは実に偉大な国だ、あなた方は立派な国民だ、しかし、なぜこの国の指導者たちはあのように悪いのか」。だれも一言も答えなかった。クリントンはイルミナティの五階級、ヒラリーとゴアは六階級。だからヒラリーとゴアの方が本当は指導者なのである。彼らがどれほど悪に染まっているかはマインドコントロールによるモナーク・スレイブだったキャッシー・オブライエンやシスコ・ホイーラーなどの証言によって明らかにされているがここでは取り上げない。私だって言葉にしたくない事もあるのだ。そして、実は彼らはほんのチェスの駒に過ぎないのである。アメリカの実質的な王はロスチャイルドである。実際の首相はロックフェラーである。それは一ドル紙幣に厳然と表示されている。アメリカの首都はサタンのしるしで建設されている。貨幣にはサタンのしるしが書かれている。結局このあまりにも明白な事実に帰って行くことになる。単一民族ではないと言う事もそれを助長しているのだろう。
 

先日、カーペンターズの兄が日本に来て、演奏をした。私はその顔を見て寒気がした、明らかにサタニストの内、自覚して献身している人々には共通の顔付きがあると思った。ゴアとそっくりだった。また、阪神大震災のとき来たFEMAのリーダーそっくりだった。ヒラリーにもその匂いがある。その点、クリントンにはまだ善良さが幾らかは残っている。しかし、クリントンもバイセクシャルで麻薬の販売をしていた過去があるという。ブッシュはさらに酷かったという。信仰によって始められたアメリカ。しかし、ついにサタンの自由に働く国となった。強制収用所もギロチンもそしてロシアによる核攻撃も十分にあり得る。しかし、善良で熱心なクリスチャンたちはその多くがその前に取り去られるか、守られるだろう。中途半端な信仰者を試み、苦しみの中から本当の信仰復興をもたらすために、神はこの国に嵐を呼ぶのだろう。ある日の夜、ハイウェイを走っていたとき物凄い雷雨となった。辺りが真昼のように明るくなった。かつてこれほど凄い雷を見たことがない。アメリカは嵐も大きいねと友人と語り合った。嵐。たしかに嵐がくる。ァメリカを覆うサタンの嵐がくる。フランス革命の忠実な再現が起こることは間近である。

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フランス革命の中心、テロリスト、ジャコパン党の思想はもともとタルムードの思想である。そこにはこう書かれている。「クリスチャンは首を切らなければならない」英語ではdicapitationという。だからギロチンを使うのである。ギロチンに関しては別の情報も寄せられているがここでは取り上げない。次に、アメリカの滅亡に関する驚くぺき幻を紹介しよう。これはあるアメリカの伝道者がイギリスの町で神から見せられた衝撃的な幻である。私はこれは本物だと思う。この人にとってこの様な偽りを言う必要が全く無いからである。

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 この伝道者の恐るべき幻想ば実現する

これはヘンリー・グルーバーと言う伝道者が日本で話した講演の一部である。私はこの講演の一部をある読者から頂いて非常に驚いた。ところがその方がだれかすっかり忘れてしまったので、ここに掲載するに当たって許可を頂くことができない。出版社も判らないので困ったが、事の重大さに鑑み、紹介することをお許し願いたい。「このゴグについてお話したいと思います。一九八六年一二月一四日、私は北ウェールズのケナービンという町を歩いておりました。ここにある一二世紀に建てられた古いお城でチャールズ王子がプリンス・オブ・ウェールズとして載冠されました。通常、私はある町を歩くときは、もしその町が河で境になっていれば、先ずその河の水に第一歩をつけてから街を上がって行き、その街並を決まった順序で歩くことによって街の反対側の境界線まですみずみ歩くようにしています。この街の場合は海のほとり、湾に面していましたのでその海辺の水辺に一歩足をつけて

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出発しようとしていました。ところが主(イェス・キリストのこと)は湾に下るのではなくその街の一番高いお城のタワーに登れと言われました。イーグル・タワーと呼ばれるその塔に上って北の方角、グリーンランド、アイスランドの方を見ていると、突然、幻の中に引き込まれ、私は宇宙飛行士のように天に昇って行きました。そして上空から見たのは、巨大な艦隊がロシアのムルマンスクと言う港(フィンランド近くの北極海に面した港)からどんどん出て行く光景でした。これほどおびただしい巨大な軍隊を私は今まで見たことがありませんでした。その軍事基地からは果てしなく艦隊が出て来るのでした。次に、私はこれは大変なことだと思いながらアメリカの方を見ました。東海岸を見ると、そこには海岸線に沿って一列になって潜水艦がそれこそ砂浜に届きそうな程近くまで接近し、水面下に侍機しているのが見えました。そして今度は、アメリカ全体にラジオ・タワ−が地から出て来て、丁度放送されている電波が点線で動くように見えました。とっさに私は非常警報が鳴らされていると思いました。するとその点線の電波が突然まるでほこりのように地に落ちたので、私は「大変だ、警報が人々に届かない、敵に侵略されようとしているのに誰も知らないでいる」と思ったのでした。

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するとニューョーク州の北に位置する潜水艦からミサイルが発射され、ニューョークの街が一瞬にして煙と共になくなってしまいました。続いてミサイルが次々と発射され東海岸の主な都市は消えてしまいました。私の家族は当時はポートランドに住んでいたので西海岸はどうなっているのかと思って見ると、ニューョークに起こったと同じ様な大爆発がシアトルに起こり、次にサンフランシスコ、ロスアンジェルス、サンディェゴが爆破されるのが見えました。私はイーグル・タワーにもどり、幻は終わりました。しかし、すぐ下に見えるケナービンの街に目を移すと、今にも警戒警報のサイレンが鳴ると信じていました。しかし、鳴らないので恐らく人々は知らないからだと思いましたが、これが今、現実に起こっているのではないことに確信が持てるようになるまでに時間がかかりました。そして天の父に次のように語りかけました。「お父様、この事が今、起こっていないのなら、それが起こる時にはどんな兆侯があらわれるでしょうか」すると主は、「ロシアが門戸を開いて、よその国に出たい人を大量に出す時は、自由世界はその移民を運んだり、受け入れる家を建てたり面倒を見るのに忙しく、武装を滅らし、この世は平和だ、安全だと言っているとき、その様な時に起こる」と答えて下さいました。

この幻を見たのはほぽ一○年前になります。この間、私どもはベルリンの壁は壊され何百万の人がロシアの地から出て行くのを見ました。長い間、壁を乗り越えて脱出しようとする人を見つければ容赦なく銃殺した国が、今では門戸を開放し自由に人が出られる様になったのです。幻は成就しつつあります。そして今やゴルパチョフ元大統領がアメリカに来て、サンフランシスコの街のすぐ外にあるプレシディオというアメリカきっての基地に逗留しています。新聞によれば彼がその基地に来ているのはアメリカの軍隊が武装解除するのを監督する目的であると報道されています。多分億えておられると思いますが、その昔ブッシュ、ゴルパチョフ両大統領が会った時「スーバーパートナー」という言葉がもち出されました。それ以来、冷たい戦争は終わった、もう武器は必要ではないと言い合い、アメリカは一二六の基地が閉鎖し、クリントン大統領は、年末までにあと二○基地を閉鎖すると言っています。一○年前イーグルタワーで主は何と語られたでしょうか。「武装を減らし、この世は平和だ、安全だと言っている時」まさにその通りの事を我々はしていないでしょうか。ゴルバチョフをロシアのリーダーに仕立て上げた師ともいうぺきマヌスキーという人が

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「現時点ではロシアはアメリカを攻撃できるほど強くはないが、必ずその日がくる。我々は武装を強める一方、ロシアが先頭に立って世界の平和を呼びかけ、たくさんの条約が結ばれ、共産主義は失敗だったと思わせ、世界がロシアを自分たちのベストフレンドであることを本当に信じこんだ時、我々は握り締めたこぶしを振り上げて打ちのめす。もしアメリカが倒されれば多くの自由主義諸国も倒れる」と言っています。(中略)エゼキエル書三八章一、二節では三九章と同じくゴグ・マゴクの事が書かれていますが、神はゴグに全く反対している事を強調しています。特に四節では「わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに釣をかけ、あなたとあなたの全軍勢を出陣させる」とあります。そして五節「ペルシャ(イラン)とクシュ(エチオビア)とプテ(リビヤ)も彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている」(中略)六節では現在の東欧諸国とトルコ、イラク、アルメニアが同じ様に含まれていることが示されています。そして八節で「一つの国に侵入する」国が現在のイスラエルであることは間違いのない所です。この三八章はイスラエルヘの侵略だけを語っていると言われてきて、私もこの幻を見るまではそう信じてきました。しかし、主にアメリカの事は聖書のどこに書いてあるのか尋ねた時、主は私をこのエゼキェル書三八章一○節に導きました。「…・その日にあなたの

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心に思いが起こり、悪い計りごとを企てて……」(日本語口語訳)私の読んでいるキング・ジェームス訳(KJV)には「時を同じくして」とはっきり書いてありますが皆さんの聖書でもそう書かれていますか?つまりイスラエルを侵略しようとしているその時に、別の考え、計画が企てられる、それは違った方向への侵略を意味することにならないでしょうか。(中略)11節で「わたしは城壁のない町々の国々に攻めのぼり・…。」とありますが、地球儀でモスクワから真っ直ぐ上にのぽれば北極の反対側にあるアメリカ大陸に降りてきます。実はこのコースでロシアの大軍がアメリカの両海岸を襲うのを私は幻で見たのです。11節の続きです。「安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる」一三節「シェバやデダンやタルシシュの商人たちはあなたに聞こう。あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪しようとするのか」と。一二節に「国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする」とありますが、「国々から集められ」とは移民の集まりでできた合衆国を指していると言えないでしょうか。

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ロシアは飢えています。彼らは何十年も兵器の蓄積だけにエネルギーを費やし、士地は放射能で汚染され、民衆はもっと満足な食料を欲しています。そして住むに良い土地も。彼らはアメリカに目を向けています。……』

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さて、我々は差し迫ったアメリカの滅亡を見てきた。これは神の許容の下に行われる裁きである。そして、そのアメリカには反キリストの母体、イルミナティの主要な組織があった。これは全く私の推測だが、この荒廃したアメリカから、イルミナティはその活動の拠点をヨーロッパに移しているのではないだろうか。イルミナティの総帥、ロスチャイルド家はアメリカにはその分家を置いていない。その分家はドイツ、フランス、イタリア、イギリスにある。特に本家はイギリスから移っていない。イルミナティの大半がアメリカにいる実情からこれは奇妙な事である。彼らはアメリカはロックフェラー家に任せていたように思える。あるいは彼らはアメリカの運命を知っているのかもしれない。イルミナティの本家本元はいよいよここに現れるのだろう。私はアメリカから反キリストが出てくるかと思っていたが、最近になりあまりにもアメリカの荒廃が決定的であることから、最後の舞台は中東とヨーロッバではないかと思うようになった。
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ユダヤ人キリスト教徒の隠された使命とは

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一三世紀、スペインを支配していたマホメット教徒は北から攻めてきたキリスト教徒によって追放され、スペインはキリスト教国となった。次いでスペインを完全なキリスト教国としようとしたフェルナンドとイザベラによってユダヤ人はスペインを追放されることになった。ただし、キリスト教の洗礼を受けてクリスチャンになれば許された。これはおよそキリスト教の本質とはかけ椎れたものだが、当時の考えでは正しいと考えられたのだろう。この頃、キリスト教に改宗するユダヤ人が沢山いた。その中には本当に改宗したものもいたが表向きだけの者もいたのである。この偽のクリスチャンをマラノ(スペイン語で豚)と呼んだ。恐らく改宗者のほとんどが表向きだったに違いない。なぜなら、キリスト教は決して強制されてはなれるものではないからである。一方、本気でクリスチャンになったという連中は自分の忠誠心を見せつけるために、激

しく同胞のユダヤ人を迫害した。その一番有名な者がトマス・トルケマーダで、彼の異端審間所の残虐さは背筋が凍るものである。私はこの男こそ実は最も熱心なュダヤ教徒ではなかったのだろうかと思っている。本当のクリスチャンは絶対にそんな事をしない。「敵を愛し迫害するもののために祈れ」と言ったキリストが許さないのだから。さて、これはしかし、ユダヤ人の歴史の同情すぺき片面である。確かに彼らは迫害され、どこにも住むところ無く悲惨な歴史を背負っている。マラノはこの様に強制され、いやいやながらクリスチャンにならされた民族の悲劇である。ユダヤ人は豚を食べないからわざわざ豚を会べさせて調ぺた事からも来た名前のようである。さて、しかし、私は一九九八年の今日、強制されてではなく、自発的になったマラノがいると思う。彼らの目的は何なのか?メサニック・ジューという言薬をご存じだろうか。これは最近一○年ぐらいに、急激に増えたユダヤ人のクリスチャンである。彼らはキリストというギリシャ語では表せない、彼らの救い主メシヤに出会ったという意味でメシアニック(メシアに会った)ジュー(ュダヤ人)と自らを呼ぶのである。もちろん彼らのメシアとはイェシュアすなわちイエスである。

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これは、何も変なことではない。聖書でもユダヤ人はいつかはキリストを信じると書かれているからである。あのユダヤ教からの脱却を高々と宣言したバウロがキリスト教の基礎ともいうべき新約聖書ロ−マ書に書いているのである。今や、このメサニック・ジューは全世界に何十万人ともいわれる規模になってきた。そして、彼らはいろいろなルートでキリスト教会の中に入り込んできている。それは悪いことではない。ユダヤ人が救われてイユスをキリストと呼ぶことに勝る素晴らしい事もない。ただ、なぜかクリスチャンがユダヤ人を自分たちの「信仰の兄」と呼び、彼らが「福音のユダヤ性の回復」などという言葉や本を出すに至ると、私のアンテナは敏感になるのである。実際、「福音のユダヤ性の回復」という奇妙な本は、実に巧妙にキリスト教のユダヤ化、ないしは後退を育んでいるように思えるのである。また、ここ数年フロリダ州のペンサコーラという町で強烈なリバイバルと言われる現象が起こっている。何万人もの人々が救われ、悪い道から改心し、麻薬から解放され、犯罪が滅少している。それ自体、悪いものではなく、極めて健全なものに見えるのだが、その中心的指導者には幾人かのユダヤ人がいる。私が、ここまで書くと恐らく幾人もの人々が「なぜユダヤ人ではいけないのか。それは

人種的な偏見で、お前こそ悪いのではないか」と言ってくるに違いないことが私にはありありと分かる。ユダヤ人で何が悪いのか?私には消えない一つの懸念がある。それはタルムードである。もし、メサニック・ジューがタルムードを非難し、そこに書かれているイェス・キリストへの冒涜とキリスト教徒を殺害することを目的としているこの書を恥とし民族を代表して悔い改めるのでなければ、私には彼らが本心においてはマラノでありキリスト教会を誤導するために遣わされた蝶者ではないのかと言う疑いを持たないわけにはいかない。ここで言うマラノは、強制されてではなくある目的を持って本心を隠してクリスチャンを装っていると言う意味に置いての言葉である。マルチン・ルターはその改革の初めにはユダヤ人の助けを受け、自らフリーメーソンであったらしい。しかし、彼が一度タルムードを読むに及んで(彼はヘブライ語、ギリシャ語に極めて秀でていた)彼のユダヤ人観は一変したという。私はまたしても友人を失うだろう。「君は余りにも疑り深い。君の事を聞いていると希望も信仰もなくなってしまう。なぜ、聖霊に逆らうのかね。神の御業に難癖を付けるのかね。見たまえ、兄弟が和合してともに居るのは何と美Lい事ではないか」

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しかし、私はただ一人になっても、ユダヤ人の中にタルムードがあるかぎり「へびのように聡くあれ」と言われた主イェスの言葉に従いたい。そこで読者のために膨大なタルムードの中からとくに注意したい言葉を並ぺたテキストを紹介して判断を顧うこととしよう。これはすでにインターネットなどで公にされているし多くの人々に知らせてほしいという事なので、無断で拝借するがお許し頂けるであろう。

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タルムードに生きるユダヤ人を信用で来るか

「この文章の内容はアラン・R‐クリチリーとマイケル・ホフマンにより調査され確認されている。http//:www.hoffman/1nfo・com
エルビン21b 誰でもラビに従わないものは死に値し、地獄の熱い大便の中でゆでられる懲らしめを受けるだろう。
モードカッタン17aユダヤ人が悪を行うように誘惑されたら、彼は自分が知られていない町に行ってその悪を行わなければならない。
パパメジア114a−b ただユダヤ人だけが人類である(ただ汝のみ人として選ばれたり)。
カリソス6bの〃油注ぎ〃の副題とペラコス58aに異邦人の女は動物として選ばれた(造られた)とある(ロパ女)。
サンヒドリン58bもし異邦人がユダヤ人を蹴ったら、彼は殺されなければならない。ユダヤ人を蹴ることは神を蹴ることと同じである。

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サンヒドリン57aユダヤ人は異邦人またはクサン(クタ人)の労役に対して賃金を支払う必要はない(訳注*クタ人、列王記下一七:三ここでは異邦人のこと)。
パパカンマ37b イスラェル人の牛がカナン人の牛を突き殺しても債う必要はない。カナン人の牛がイスラエル人の牛を突き殺した場合は支払いは十分行われなければならない。
パバメジア24aもしユダヤ人が異邦人の落とし物を見つけた場合、返す必要はない(パバカンマ23bでも確認)。
サンヒドリン76a神はユダヤ人が彼の娘を老人に嫁がせたり、幼児の息子に妻をめとったり、異邦人の紛失物を返さなくてもとがめられない。
サンヒドリン57aユダヤ人が異邦人を殺しても死刑にはならない。ユダヤ人が異邦人のものを盗んでも返さなくても良い。
パバカンマ37b異邦人は律法の保護の外にある、そして神は彼等の金を〃イスラエルにさらされる。
〃パパカンマ113aユダヤ人は異邦人を罠にはめるために虚をついても良い。
イエパモス98a異邦人の子供は動物である。
アボダーザラ136b異邦人の娘は生まれつき卑猥である。

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アボダーザラ22a−b異邦人は雌牛と交尾することを好む。
アポダーザラ‐67b異邦人の食器は彼等の料理に一層ひどい匂いをつけないだろうか。
サンヒドリン106aイェスの母は売春婦だったという。〃彼女は大工と売春婦遊びをした総督の王女の子である〃。またシャパット104bの脚注#2には〃確認できない〃タルムードのテキストにはイエスの母マリヤは美容師で多くの男と交わったと書かれているとある。サンヒドリン106にはイエスが若くして死んだことを満足げに書いている。〃バラム(イエス)は何歳だったとお聞きか。彼は答えた、はっきりはいたしませぬが書き記された所によれば、この血みどろの詐欺男は彼の従者たちの半分も生きなかった三三歳か三四歳だったそうじや。〃
サンヒドリン43aイエス(イエシュアまた脚注58にはナザレ人イエシュア)は魔術を行ったので処刑されたと言われる。
ギソテン57aイェスは(脚注四)熱い大便の中でゆでられている。
サンヒドリン43aイェスは死刑を執行された。〃過ぎ越しの祭りの前夜、イェシュアは木に掛けられた。彼は自分を防衛することができたはずではないか。たぷらかす事が出

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き来なかったのだろうか
ロシュハシャナ17a タルムードを拒否するクリスチャン(minim)と他のものは地獄に行き、永劫に懲らしめられる(minimについては脚注#11参照)。
サンヒドリン90a新約聖書を読むものは(脚注#九に正典ではない書物とある)
来るべき世において立場はない。
シャバット116a ユダヤ人はクリスチャンの本(新約聖書、脚注#6)を撲滅しなければならない。(イスラェル・シャハクによれば一九八○年三月二三日パレスチナでシオニストたちが何百冊という新約聖書を焼いた。「ユダヤの歴史と宗教」P21)。
ギッテン69a 肉体をいやすためにユダヤ人は家の外の便所の陰のごみを取り、蜂蜜に混ぜあわせて食べなければならない(訳注*これは具邦人に対してではないかと思われるが、要するに自虐的になっていると言う事なのかもしれない)
シャバット41a 律法は小便をいかに聖なる方法でするかについての規定を与えている。
イエバモス63aアダムはエデンの園のすぺての動物たちと性交を行ったという
イエパモス63a農業は最低の織業である。
ザニヒドリン55bュダヤ人は三歳(特に三歳と一日)の女子と結婚できる。

サンヒドリン54bュダヤ人は九歳にならない子供とでも性交することができる。
ケスボス11b成長した男が幼女と性交しても、別にどうということもない。
イエパモス59b獣姦をした女でもユダヤ教の祭司と結婚する資格がある。悪霊と性交した女でもユダヤ教の祭司と結婚できる。
アボダアゼラア17b世界にラビ・エリエゼルと性交をしなかった売春婦はいない。
ハギガー27a地獄に行ったラビは一人もいない。
パパメツイア59bあるラビは神と討論し彼を打ち負かした。神はラピに負けたことを認めた。
ギッテン70a戸外の便所から帰ってきたときは、半マイル歩くだけの時間、性交をしてはならない。もしそうするなら便所の悪霊が一緒にいて、彼の子供はてんかんになる。

タルムードは全巻を通して便所と大便の脅追観念にとりつかれている。それはスビルパークの「シンドラーのリスト」にも表れているようにハリウッドの監督はユダヤ人の子供が便所で便器を飛び越して肥だめの中に落ちたさまを描いている。一人のユダヤ人の子供が半分肥えだめに埋まっている二人のユダヤ人の子供に出会う、彼らは通報者の事を聞い

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たので、とりあえずそこに隠れていたのである。前の子供もそこに隠れないわけには行かなかった。これらのいやらしい不健全な類いの心理的なイメージはホロコーストの映画やその類似のこと、さらにはタルムードの中にすら表れる〃礼拝〃としてユダヤ人の子供が常にさらされているものである(訳注*そうかもしれないが、実際にユダヤ人にはそういう歴史があったのだろうから同情も感じる。ユダヤ人の脅追観念の全てを否定することは出来ないと私は思う)。

ギッテン69b(p239)肋膜炎を癒すために、ユダヤ人は白い大の糞をパルサム油とこねて会ぺなければならない、しかし、もし手足を緩める事ができるなら犬の糞を食ベてはならない(訳注*意味が良く分からないのだがこうとしか訳せない)。
ベサヒム111a犬と女と椰子の木が二人の男の間を通り抜けることは許されない。また、犬と女と椰子の木の間を通り抜ける事もあってはならない。女が生理のときと十字路に座っているときは特別に危険である(訳注*恐らく真面目な読者は犬と女と椰子の木の関連性が分からないかもしれない。これは単に女性を馬鹿にした表現である)。
メナホス43b~44aあるユダヤ人の男は毎日こう祈ったと非難されている、「神よ私を異邦人や女や奴隷にお作りにならなかったことを感謝します」

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シャパス86aーbュダヤ人は聖いから昼間は部屋を暗くする事ができなければ性交をしない。ユダヤ人の学者は昼間でも彼の外套をテントのようにして暗くする事ができれば性交をする事ができる。
タルムードには二つのホロコーストに関する昔話がある。ギッテン57bはベサーの町でローマ人によって四○○万人のユダヤ人が殺されたと主張している。また、ギッテン58bは一六○○万人のユダヤ人の子供がローマ人によって巻き物に巻かれて生きながらに焼き殺されたと主張している。古代の人口統計によれば、その時代、世界中に一六○○万人のユダヤ人の子供どころか四○○万人のユダヤ人も居なかった。
アポダーザラー70aラビに質間が寄せられた「バンペディサの町で用いようとしていたワインの一部が盗まれたか汚された場合、泥棒が異邦人だとしたらどうすれば良いか」(異邦人がワインに触れた場合それは汚れるから)「別に気にすることはない」とラビは答えた「そのワインはユダヤ人が用いても構わない。そのワインがバンペディサの町で盗まれたのだとしたら、バンペディサの町の盗人はほとんどユダヤ人だから、それを盗んだのはユダヤ人だ」(訳注*これなどは単なるューモアに過ぎないと思う)
エルビン21bある人にラピ・アキバが言った。「手を洗う水をくれないか」相手は

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「飲むにも足りないのです、あなたの手を洗うためには十分ではありません」とつぶやいた。ラビ・アキバは言った。「ラビの言葉を無視することは死に値する。私は自分の同僚の意見に逆らうくらいなら自殺するほうがましだ」(これはイエス・キリストがマタイー五:一九で非難した儀式としての手洗いの事である)
カラー51aは神が嘘つきのラビを認めると教えている。ある時、長老が町の門に座っていると二人の若者が通りかかった。一人は頭にかぶり物をしていたがもう一人はしていなかった。ラビ・エリエゼルはかぶり物をしていない若者を評して「彼は私生児だ」といった。ラビ・ジョシュアは「彼はニダーの子だ」と言った。(ニダーとは生理中に妊娠した子のこと)ラビ・アキバは「彼は私生児でニダーの子だ」と言った。彼らは「あなたはなぜ同僚の意見を否定しようとするのか」と聞いた。彼は「私は彼の事について証明しよう」と言い、その若者の母親の所に行った。彼女は市場で豆を売っていた。彼は彼女に言った「娘よ私の質間に答えるならあなたを来るぺき世(永遠の命)に連れていこう」彼女はラビ・アキバに「どうぞ言って下さい」と言うので、彼は一年に一回のくちびるの誓いをして「あなたの息子について話しなさい」と言った。彼女は答えた。「私が初夜の寝室に入ったとき、私は生理中でした。それで私

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の夫は私を近付けなかったのです。しかし、私の愛人が抱いてくれたので彼の子を生みました」結局、その若者は私生児でニダーの子だった。かくして「ラビ・アキバに秘密を明かされたイスラエルの神に栄光あれ・…・と宣言された。この話につけ加えると、神がほめたという先の討論の嘘つきたちの言っているのは、イエス・キリスト(かぶり物をしていなかった若者)の事である。この若者の母とはもちろんイエスの母、神の祝福されたマリヤの事である(タルムードではミリアム、または髪結いのミリアムと言われている)。
ソフェリム15  Rule10これはラビ・シモン・ベン・ョハイの言葉である。〃トブシェバゴイムハーログ〃「最善の異邦人でも殺さなければならない」この言葉はソンシノ版には出てこないが、一九○七年版のユダヤ百科事典に引用されているバビロニアンタルムードのヘブル語原典にある(上記のユダヤ百科事典はファンクアンドワグナルズとイシドール・シンガーによって編集された〃異邦人〃の項目にある。P六一七)。このタルムード原典の言葉は翻訳では隠されている。ユダヤ百科事典は(多くの翻訳の記事が変えられているとして)
〃エジプト人の間の最善のもの〃も一般的には取り替えられているとある。ソンシノ版ではここは〃異邦人の間の最善

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のものも〃となっている。イスラエルでは年毎にシモン・ペン・ョハイの墓に詣でる国家的な行事が行われ、非ユダヤ人の絶滅を主唱したこのラビを称える(Jewish Press June9、l989、P56b)。一九九四年四月二五日プリムの祭り*の日にブルックリン在住のイスラエルの陸軍軍人でオーソドックスカザールのバルーシュ・ゴールドスタインは子供を含む四○人のバレスチナ市民を殺害した。彼らはモスクでひざまずいて礼拝していたのである。ゴールドスタインは晩年のラビ・カハネの弟子だった。カハネ:タルムードの解釈ではアラブ人は〃犬〃である(Cf. CBS六○分番組カハネより)(訳注*プリムの祭り:旧約聖書エステル記から、王妃エステルがユダヤ人を皆殺しにしようとしたペルシャの大臣ハマンの策略を破り、逆にユダヤの敵を殺した記念の祭りのこと)。
エルサレム大学の教授ユフド・スプリンザックはカハナとゴールドスタインの哲学について「彼らはゴイム(ヘブル語の言棄で非ユダヤ人のことだが)に対して暴行を加えることは神の意志だと信じているのだ」と述ぺた(NY Daily News、Feb。28、l994、P6)。

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ラピ・イッハク・ギンスバーグは言った。「我々はユダヤ人の血はゴイ(異邦人)の血と同じものでは無いと言う事を認識しなければならない」(NY Times、June 6、1989、P‐5)また、ラビ・ヤアコブ・ペリンは「一○○万人のアラブ人は1人のユダヤ人の指の爪にも当たらない」と言っている(NY Daily NewS、Feb 28、1994、P6)。
現代の法王たちやプロテスタントの牧師たちで、かつて一人もユダヤ教のラピたちに、タルムードを拒否し非難することを要求したものはいない。それどころか、教会の指導者たちはキリストに従う者たちを激励する代わりに、タルムードに従う者たちをほめたたえ支持したのである。それゆえカトリックとプロテスタントの指導者たちは今日、地上で最悪のイエス・キリストへの裏切り者たちである』

たとえこれがそのほんの一部分だったにしても、この便所の落書きみたいなものが、一つの宗教の経典なのである。一体そういう宗教とはどんな宗教なのだろうか。それは宗教と呼ぶぺきものなのだろうか。また、このタルムードを「人類の叡智」などと褒めたたえた〃宗教者〃は何を考えて居

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るのだろうか。もし私がユダヤ人でキリストを信じたら、真っ先にこのタルムードを恥じて、謝罪を表明するだろう。さらに、このタルムードを信奉するマービン・トケイヤーのような人物と親交を結んだと嬉嬉として報告する馬鹿者もいる。私の言っていることに何か間違いがあるだろうか?そう思うならもう一度読み直してほしい。私はこの文書の最後の言葉をそのままメサニック・ジューとたわむれるクリスチャンたちに投げ掛けたい。あなたは裏切り者ではないのか!ユダではないのか!私はこの本を書くことによっていよいよ人種差別主義者とよばれ、すぺてが危うくなるだろう。もし私が欧米に住んでいたら、ただちに監獄行きとなるだろう。幸いに日本にはまだ人種差別法がないだけの話である。しかし、いつの時代でも本当のことを言うのは命懸けなのだろう。私は私のようなものの命が真実を明らかにするなら、いつ取り去られてもいとわない。私は当初、この後にマルチン・ルターの「ユダヤ人と彼らの嘘」というバンフレットを出来るだけ詳しく載せるつもりだった。彼はユダヤ人をあますところなく論述している。ルターはさすがに天才である。その舌鋒は鋭く、理論的であり、彼以外にはこの様なもの

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を書く事はできなかったに違いない。いや、もう一人居た。おなし宗教改革の勇、カルビンもあまりの非道、不遜にあきれ果てユダヤ人の指導者を焚刑にしたが、やはりユダヤ人を知っていたのであろう。しかし、私はこの書を載せないことにした。それがあまりにも長いこともあるが、あまりにも優れているからである。それはあまりにも事実をえぐり出しているからである。あまりにもヘビーなのだ。まるでへどろの山を移し変えるような作業なのだ。最初この書を読んだときも、その後も、読むたびにいつも私は暗い陰欝な気分にさせられる。どんなにルターが正しくても、これほどひどい話は愉快なものではない。出来れば知らないで過ごせればそれに越したことはないのかも知れないがそれは卑怯者の結論だろう。私は、読者がこの書を自分で購入して読まれることをお勧めする。そうすれば私の気持ちが分かって頂けるであろう(歴史修正研究所出版部新潟市大島二六の四、一部一八一○円送料別)。さて、いまわしい結論だが、今、我々に何が出来るというのか。この世は完全に彼らに握られてしまった。この日本でさえ、ユダヤに関する批判はもはや大ぴらには出来ない。この国の支配者はだれなのか。今、我々は自民党や小渕恵三氏の悪口なら何の妨げもなく

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言う事ができる。しかし、ユダヤに関しては〃良いことも悪いことも〃言えないのである。昔から本当の支配者の悪口は言えないものだ。だから、もう一度言うがこの国の支配者はだれなのか。私は結局、これは神にしかできない事なのだと思う。ユダヤ人を裁くことは人間には出来ないのだろう。彼らがどんなに悪辣で、残虐であったとしても、もはや人には彼らを裁く力は無い。これはこの章の目的とは反対の方向の結論となってしまったが、事実は事実、認めなければなるまい。今、我々に出来る最善のことは、物事の本質を見誤らない事である。ユダヤ人のやることの何が正しくて何が間違っているのか。世界がいかなる原則で動かされているのか。そうでないと我々自身が発狂しかねない。ユダヤをそのまま受け入れる者は、確かにその目が濁り、気が転倒しているのだ。今や歴史は逆転した。これからはクリスチャンがユダヤ教に転ぶだろう。おそらく、
二○○○年からマラノはクリスチャンの呼び名となるだろう。

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ユダヤ人は神の選民では断じてない

危険が無いときに、警報を鳴らすのは馬鹿げている。しかし、今や切迫した危険が世界のキリスト教の働きと世界それ自身に迫っている。それはイスラェル(とその姻戚関係者と主張する者)の役割への途方もない誤解が、恵みの時代(または教会時代、新約聖書の時代)と呼ばれる現在、存在しているからである。旧約聖書の選民と、現在のイスラエルとは同一のものではない。そんな事は分かり切ったことなのだ。ところが我々はあらゆる方角から鳴り物入りの宣伝を聞いている。しかし、それは真実ではないのである。現在のイスラエルはどんな意味においても神の選民ではないし、これからも決してそうなることはないだろう。この考え方の方法として、五つの人々のグループを特定し定義してみよう。1 旧約聖書のユダヤ人。2 旧約聖書のイスラエル人。

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3 旧約聖書の選民、信仰者、忠実な者、レムナント(残りの者)。4 現在のイスラエル国民とその親戚関係者と主張するもの。5 主イエス・キリストの新約聖書の教会。
間題はこの「特別侍遇」が現在のユダヤ人とイスラエルに関してであり、特にクリスチャンのエプァンジェリストあるいはファンダメンタリストがこのような特別侍遇を行っていることは正しくないのだ。聖書の解釈の特別侍遇、実際の生活での特別侍遇において。この特別侍遇はシオニストの指導者がイスラエルからテレビジョンで「アメリカのファンダメンタリストは我々の最高の友人である」と言わしめるところにまで到達している。間題を最初のポイントにまで戻してみよう。救われていないユダヤ人、あるいは不信仰のイスラエル国民は神から、キリストの救い以外の、特別な恵みを受けているのか。これは使徒パウロの主張とは一致しない。パウロがローマ書九章三節で「実際、私の兄弟、肉による同族のためなら、私のこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない」と言ったのは、単純かつ明白にまだ救われていない同砲は神の目からは「アナテマ」失われ希望のない異邦人と同じだと言っているのである。(訳者注*これはキリスト者から見て非常に重要なポイントである。クリスチャンから見

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て至極当たり前の事、信仰の基本なのだが、この当たり前の事が現在なぜかぽやかされて居るのである)世界中の何千人という聖書の教師と説教者は、我々がまだ救われていないユダヤ人とイスラエルは神の特別な好意と我々の特別な注目を受けるに値すると教えている。彼らの内の幾人かはその会衆を連れて聖地への巡礼の旅に出てイスラエルの政治的指導者に会わせる、そしていかに神がイスラエルを祝福しておられるか話す。そしてその指導者たちは幾分かはクリスチャン……あるいは、少なくともキリストの信仰にごく近いと言うのである。そして彼らの内の幾人かは国会議事堂かホワイトハウスに行き、アメリカはイスラエルに良くしてやり彼女が求めるものはなんでも与えよと言うのである。私は神がご自身の聖職者たちに、インディアンや囚人や兵士や女性兵士や都市の黒人や子供や中国人や……ユダヤ人などの特別な失われた人々に重荷を与えることは理解できる。しかし、正直に言って、最も重要な宣教活動はユダヤ人に対するものであり、今日のユダヤ人とイスラエルは神の選民なのだから、ユダヤ人に向けて福音を説教するのは福音の働き人の中でエリートであるというという考えにあなたは同意できないのではないだろうか。選民。この言葉が今日用いられるとき、聖書の第一級の曲解を構成している。アブラハ

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ムからキリストまで旧約聖書の選民は断じて神に対抗し反逆する人々の事ではなかった。神は神に反抗する民にその特別な好意(恵み)を表すために〃えこひいき〃しなかった。しかし、神の霊はペテロに教え、ペテロは声高に宜言した。「神は人をかたよりみないかたで、神を敬い義を行うものはどの国民でも受け入れて下さることが、ほんとうによくわかってきました」(使徒行伝一○:三四)ペテロはここで救われていないユダヤ人たちは救われていない異邦人よりは良いと考えたのである。しかし、今日なぜか救われていない一人のユダヤ人は救われていない一人の異邦人よりも優れており、救われた(または完成された)一人のユダヤ人は救われた一人の異邦人よりも優れていると我々に信じさせようとする説教者や教師たちが居るのである。完成された?何から何に?この恵みの時代、そして全ての時代に、神の目には紋われたユダヤ人が救われた異邦人よりも完成されることなど有り得ない。私は今日教えられている選民という観念をこの中から見つけ出すことばできない。(訳注*多くの読者には何のことか分からないだろうが、聖書に立つクリスチャンなら、この人のこの意見は全く正しいということに同意するだろう。しかしまた、奇妙なことにこの人の指摘している間違いも確かに存在している)

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一体全体どうして、我々がアブラハムの子孫を祝福しなければならないと、騒ぎ続けるのだろうか。我々クリスチャンはだれかを呪うものだと思われているのではないだろうか。私の全生涯で本当のクリスチャンがユダヤ人を呪ったことなど思い出すこともできない。我々は親切で、愛し、全ての失われたものに哀れみ深い者ではないのだろうか。どうして神が「そこには区別がない」と言っておられるのに、我々がクリスチャンの愛を、一つのグループにだけ他のグループよりも示すことができるだろうか。もし我々が、議会に対してイスラエルにアメリカ人の税金を与え、武装させるように圧力を掛けなければ、我々はユダヤ人とイスラエルを呪っているという罪を負っていると言うことになるのだろうか。もし我々が反キリスト教、反宣教活動の法律施行を強行しようとする今日のイスラエルヘアメリカの援助を与えないでおくぺきだと言う意見を言えば、我々はユダヤ人とイスラエルを呪っている罪を負っていると言うことになるのだろうか。我々は個人であれ民族であれ国家であれ意識的に活発に全能の神に反逆し、その御子であられる我らの主でイエス・キリストの花嫁を世界から呼び集めると言うご計画を妨害する事を求め続ける者に神の祝福を宣言すべきなのだろうか。もちろん我々は神を呪うような輩を決して祝福すぺきではない。

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アブラハムはユダヤ人でもなくイスラェル人でもなかった。彼は〃信仰の人〃であった。彼は神のパートナーであった。アブラハムの子孫……(真実の)ユダヤ人やイスラエル人のように……彼の信仰と従順の模範に従う者は、この呪われた世界の祝福と恵みの水路となるだろう。しかし、神に刃向かい反逆する者は神の祝福をこの呪われた世界から切り推そうとする者である。前者は確かに神の〃選民〃である。しかし、後者は到底神の選民とはなり得ない(ヘブル人への手紙二章の神の選民の項を読まれたい)。アブラハムの子孫への祝福の疑問への完全な解答は、ガラテヤ書三章六〜九節に見いだされる。このように、「アブラハムは神を信じた。それによって彼は義と認められた」のである。だから信仰による者こそアブラハムの子であることを知るぺきである。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに「あなたによって、すぺての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。このように信仰によるものは、信仰の人アプラハムと共に祝福を受けるのである」(強調原著者)この御言葉が意味するところは、旧約聖書のイスラエルであれユダであれ、その全体でも部分でも、単独にまた何の条件も付けずに神の恵み(特別な愛顧)の対象と導入部とし

て、神の選民であると考えられたことはたえてなかったと言う事である。ただ、信仰によるアブラハムの子孫だけがすべての時代の神の選民であった。聖霊が聖書の著者、パウロを通して世界に語りたい事があったとすれば、それは次の事である。ローマ書三章一三節「そこにはなんらの差別もない」そして再び同一○章一二節には「ユダヤ人とギリシャ人との差別はない」とある。さらにガラテヤ書三章二八節には「もはやユダヤ人もギリシャ人もなく……あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」とある。バウロが最も力強く語りたかった主題は、信仰による恵みの救いはユダヤ人がこの世に現れる遥か昔からあったと言う事なのである。ペテロでさえ、多くのエブァンジェリストやファンダメンタリストが今日抱えている問題を、告白せざるを得なかった。「そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜ったと同様に彼らにも賜って、彼らに対してあかしをなし、またその信仰によって、彼らの心をきよめ、われわれと彼らの間に、何の分けへだてもなさらなかった」(使徒行伝五:八、九)イザヤは神の祝福の受取人として〃全ての人々〃に対して預言した(イザヤ五六一七、八)。

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アモスは神の恵みを経験するであろう〃レムナント〃を預言した(アモス五:二五)。彼はこのレムナントにあらゆる民族の異邦人、神を杏定するエドム人さえ含んだ(アモス九:二〜一二)。アモスは不信仰で反抗的なユダヤ人、イスラエル人、そして〃ヨセフの家〃には希望を与えなかった。イザヤでもアモスでも(もし注意深く学ぶなら、他の予言者たちも)神に対して霊的に忠実な人々を選民、すなわちすべての国民から購い出されたレムナントと定義している。我らの主イエス・キリストはまずイスラエルの家の失われた羊に行くと言われた、しかし、他の羊たちも居るとも言われたのである(マルコ七:二〜七、ヨハネー○:二六)。イエスは彼を信じたすぺての民族のすべての人々はアブラハムと共に彼の王国に座るだろうと言われた。しかし、本来ならその様な特権を持っていたユダヤ人やイスラエル人は外に投げ捨てられるだろうと言われたのである(マタイ八章)。それからイエスは旧約聖書の預言者の伝統に従って、全ての民族の信仰によるレムナントで彼の教会を構成するとはっきりと教え、述ぺ伝えた。あの大いなるペンテコステの日に使徒たちはあらゆる国々から来た人々(彼らは実は〃ユダヤの人々〃であり〃イスラエルの人々〃であったが)に向かって(彼らの故郷の言

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葉で)語った。そして、ペテロはヨエルの預言が成就したのだと彼らに語った。主は預言者ヨエルを通して、彼が〃わたしの霊を全ての肉なるものに注ぐ〃そして解放(救い)がエルサレムとシオンの丘の残りのもの(レムナント)に来ると語っている。
ヨエルの預言のこの適用であるペンテコストの出来事によって、聖霊は一度そして全ての者に「世界中の民族の中から忠実なレムナントを呼び出してイェス・キリストの教会を建て上げることは、われわれの最後のステップである」と言っているように見える。そうだ、現代のイスラェルを含む地上のあらゆる民族のレムナントはキリストの体なる教会を形作るだろう。もっとも、確かに預言的な聖書の書ではユダヤ民族とイスラエル民族のレムナントは顕著に現われている。イザヤー○:二三、ローマ九:二〜七、残りのものは救われるだろう。ローマニ:五、救いの選びに強調を置いたレムナント、そして全てのイスラユルが救われる。神の世界の民族の救済の天的な計画の中に(使徒行伝一七:二〜六)神が、レムナントを呼び出すための方法として、不信仰のユダも現代の不信仰なイスラエル国家を設立する事を許されていた。

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そのレムナントが救い出された時、地上の全ての民族からレムナントが一緒に神の選びの民を構成するだろう。それと同じく、地上の不信仰の民が裁かれるとき、イスラエルの不信仰者も一緒に裁かれるだろう。私はこの点を何度も繰り返して言いたいのだが、現代のイスラエルを神の選民と全く同一とすることは出来ないのである。ほとんどの聖書を信じる者たちは一九四八年のイスラエル建国を、我々が時代の終末に近付いているしるしであり、神がユダヤ人とイスラエルを祝福しているだろうと認める(しかし、患難期前携挙説を矛盾なく適用する人は教会の携挙に先立つどんなしるしも杏定する)。確かにこの出来事は時のしるしではあるけれども、それが神の祝福の証拠とはならない。民族は神の摂理と計画の中に起こりまた没落する。旧約聖書の中で、神はしばしば不信仰の民族と指導者を用いて、神の民をして彼らが学ぶぺき教育を受けさせる。この恵みの時代に神はアメリカ合衆国のように不完全な国家を用いて世界に彼の目的を完遂させる。この終末の時代に、イスラエル国家の設立は、神の祝福のしるしと言うよりも、むしろ

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闇と不吉のしるしと解釈されるべきであろう。他にもこれらの観点からの霊的な出来事が、さらにもっと多くあるのである。神の選民と現代のイスラエルを論じるのには、黙示録七章の一四万四○○○人を考慮しなくては完成しない。あるおかしな間違いが造られ一般化された。それは、大患難時代(訳注*キリストの再臨の前に七年間の大きな患難時代というものがあると言うもの)の前半に一四万四○○○人のユダヤ人が救われ、世界を回ってすべての創造された者に福音を伝えるというものである。これは恐らくマタイニ四:二四のキリストの預言の成就と考えられたのであろう。そしてそれは一九○○年間に渡る教会の福音伝道が失敗したと申し立てているのである。この聖書の解釈を抱きしめる信者はだれでも、彼が出会ったユダヤ人がもしかすると自分たちが携挙(訳注*キリストの再臨によって生きながらに天に移されるというもの)された後、ただちに救われてこの偉大な事業を果たす一四万四○○○人の一人となるかもしれないという畏怖の念を持つことになるのではあるまいか。このような特別な神の恵みの対象となった未来を持つ人々には、たとえ彼等が今は、聖からざる事を追及していたとしても、特別な取扱をしなければならないとか確信する事に

なるのは簡単な事であろう。この神学には二つの主要な難点がある(強調著者)。第一は聖書にはこれらの一四万四○○○人が福音を伝えるだろうという言葉は一つもない。ただ〃印される〃または救われるとある、それだけである。彼らは確かに彼らの能うかぎりキリストの証人となるであろう。しかし、反キリストが厳しい支配をしている世界を回ってキリストを伝えるなどということが有り得ようか。断じて有り得ない。第二に一四万四○○○人に印を付けるのは大患難時代の最後のことであって、始めではない。ということは彼らの一人だって一○○年間もキリストの証人として放をすることなど不可能と言うものだ。この出来事は黙示録の第六の封印が開かれ、地の大いなる人々が「さあ、われわれをおおって御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。御怒りの大いなる日がすでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」黙示録六章 と叫ぶ直後に起こることである。次いでヨハネに示されたものは御座の周りの長老たちであった。彼らの一人がヨハネに聞いた、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。またどこからきたのか。」黙示録七:二三。答えは、彼らは大きな難難を通ってきた人々であるということである。すなわち印されたユダヤ人である一四万四○○○人は速やかに殺害されるということが強く指

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し示されている。そして、神への反抗とキリストの聖徒たちへの迫害の恐ろしい時代の間に巨大なクリスチャン殉教者の大軍がキリストの臨在の前にやってくる。これらの一四万四○○○人はローマ書九:二〜七のレムナントに非常に似ている。二:二六に「全てのイスラエルは救われるだろう」とある所である。親愛なる読者の皆さん、あなたは地上の全ての民族から呼び出された神の選民の一人だろうか、レムナントの一人だろうか。あなたは救われているだろうか。神の子、主イェス・キリストを信じる信仰によってあなたも神の子とされているだろうか。イエスは今日あなたを招いておられる。「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて私をつかわされたかたを信じるものは、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」ヨハネ五:二〜四この恵みの時代に、レムナントを呼び出し、キリストの花嫁を選ぶのは王である神の仕事なのである』

この文章の中に出てくるレムナントと言う言葉は日本人には余り馴染みのない言葉である。それで少し説明を加えよう。レムナントと言う単語は日本語の聖書には出て来ない。というのはレムナントと言う特
 

別な固有名詞があるわけではなく、単に「残りの者」とか「後の者」、「余った」「残余」「逃れた」という意味の言葉だからである。しかし、欧米では、このレムナントは特別なあこがれを持って使われている。それは、いつの頃からか「神から特別に愛されたグループ」という意味に用いられるようになったからである。中でもユダヤ人の仲にそういう特別なグループがいると考えられるようになった。その典型的な例が黙示録7章の14万4000人である。しかし、この14万4000人とレムナントという言葉は同一ではない。さらに聖書はこのレムナントと言う言葉を特別な祝福のクループと言う意味には使っていない。だから、これは言わばキリスト教の迷信のようなものなのだが、ただ神に特別に愛される物になりたいという思いは悪いものではなく、教会の会衆を励ますために使われるように思う。尚、英語のレムナントにあたるヘブル語の一つはアチャレである、アーチャリーは恐らくこの言葉の派生語であろう。さらに我々は現代のイスラエルとアメリカの関係を憂慮する正真のキリスト者の警告を見ることにしよう。

今やアメリカの国教はユダヤ教

もう遅いかもしれない。すでに無神論者、ユダヤ教徒、ヒューマニスト、革命家、マルキストたちがアメリカのキリスト教の伝統を舞台裏に押し込んでしまった。クリスチャンたちは大きな忍耐と理解をこれらのむさぽり食う奴等に示してきた。そしてJudeo
・Christian(ユダヤ・キリスト教)という言葉も彼らが言うままにしてきた。しかし、悪が善を圧倒し、誤謬が真理を庄倒するような勝利は、一時的であり、決して真理と正義のための完全で妥協しない攻撃を神の民が捨てる理由にはならない。私たちはアメリカがキリスト教の伝統の世界であり民族であった事を思い出し、我々の祖先たちが、キリストと彼の言葉のために戦った戦いを戦う必妻がある。アメリカ合衆国は神がアメリカ自身の民と、世界の人々の間にキリスト教の目標を成し遂げるために、信仰とヴィジョンとクリスチャンの犠牲を通して存在せしめた国である。

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建国の父たちはクリスチャンであってユダヤ教徒ではない。アメリカを最初に探検し定住した人々のグループはクリスチャンであった。彼らは聖書を信じる人々であった。彼らは旧約聖書と新約聖書の両方を神の言葉と信じる人々であった。彼らが家を建て、コミュニティーを作り、町を州を、そして国家を作ったのは全て神の助けによったのであって、どこにもその一部分も、付加も、曲解も存在しなかった。彼らはイエス・キリストを王の王、主の主であり、この国をその方の誉れと栄光に捧げるぺきだと認めていた。彼らは決してキリストを否定し、拒絶する者たちではなかった。彼らこそこの国を信仰とヴィジョンと勇気で確立した者たちであった。彼らはその血を注ぎ、命を与え、その他、その信仰の天的な起源と純粋さを証明して、信じ難い犠牲をも捧げた者たちであった。他のもの、偽りの信仰、偽りの宗教、偽りのシステムは後から来たものたちだった。それゆえに、誰であれ上に述べたようなクリスチャンかその類いの者以外は、アメリカの伝統の創設に参画したと言う事はできない。なぜならアメリカの伝統はクリスチャンのものだからである。確かに、アメリカはそのクリスチャンの伝統からはるかに迷い出てしまったが、依然として、そのために、妥協も調停もなしに戦う事は価値あることである。

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Judeo Christianとは調停と妥協によって押しつけられた熟語である。しかし、妥協は決してクリスチャンの勝利の鍵とはなり得ない。例えば、税金によって運営されている公立学校(それはもはや〃公立〃ではない)はヒューマニストによって乗っ取られ、非キリスト教化されてしまったけれども、われわれはこの国のキリスト教と聖書を信じるものに返せというわれわれの要求を一インチでも引き下げてはならない。これらの政府の学校が、創造論を教える事を許されてきたなら、進化論を教える事も許されるべきだというのは、この国の学校教育を確立してきた何千というクリスチャン教師のキリスト教信仰への裏切りと臆病な妥協なのである。公立学校で創造論と進化論を並立して教える〃二つのモデルのアプローチ〃というものは、アメリカのキリスト教の伝統を単純に分かっていなかった人々の善意から作り出された奇怪で巨大な鬼っ子である(この手の人々は気まぐれで、霊的な戦いの前線は到底まかすことができない人々なのである)。アメリカのキリスト教の伝統、すなわち我らの創造者であり救い主である方の言葉は、3○○年間すべてのァメリカの学校のカリキュラムの際だった特徴であった。

私の考えでは、もし我々がアメリカのキリスト教の伝統を熱望するなら、もっともっとキリスト教の学校を作らなければならない(もちろん我々は公立学校を返せと要求しているのだが)。そして我々の子供や孫をそこに送るという犠牲を払わなければならない(訳注*公立学校でないと費用が多くかかるからだろう)。友よ、あなたはアメリカのキリスト教の伝統に関心が有るだろうか。それなら、キリスト教学校のために働いてほしい。それはとっかかりには良い場所である。アメリカのキリスト教の伝統を再建しようとするのは〃王である神のための仕事〃である」

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「もう、遅いかも知れない」。この悲しい言葉は残念ながら真実である。この国のクリスチャンが目覚める前に、巨大な鉄の鎖がこの国を縛り付けてしまった。この国には、もはやキリスト教の反撃の余地は残されていない。それどころかデイル・クローリー氏が知っているか知らないのかは分からないが、この国にはクリスチャンを収容する数十か所の強制収容所、数千の運送用の専用貨車、そして信じ難いことに数千数万のギロチンがすでに用意されているというのである。……どうしてそうなってしまったのだろう。私はアメリ

カのクリスチャンを知っている。それは善意と愛に満ちた人々である。もっと言えば、おひとよし、イノセントである。時に余りにも善意の押し売りと、全く直る当てのない、そして自分では決して気付かない白人優越意識はあるが(時には辟易する)、しかし、その本筋は日本人には決して理解できない優しさと善良さがあるのである。近年、我々のところに届けられるアメリカのイメージはハリウッドとニュースメディアが作ったバイオレンスアメリカであるが、アメリカの根っこは相変わらず善良な人々である。私はそれを今でも実感することが多い。しかし、それはアメリカのキリスト教の指導者がキリストの言葉を忘れているからである。キリストは弟子たちに「ヘびのように聡く、鳩のように素直であれ」と言われた。指導者たちはその会衆にこの言葉の前半を忘れて、後半だけを教えてきた。おかげでサタンは、クリスチャンの香りのブンプンするこの国で、勝手気まま、傍若無人に振る舞い、巨大な城塞を築く事ができたのである。間もなく我々はアメリカにフランス革命の再現を見ることになるだろう。フランス革命の主力だったジャコバン党はジェイコブすなわちユダヤ人の集団だったが、今度も、そしてもっと明白にユダヤ教がその理論的背景をなすことだろう。

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懐かしくもギロチンがアメリカの町の至る所にうなりを上げ、何百万人のイノセントクリスチャンの首が転がることになるだろう。そんな馬鹿なといわれるだろうか。聖書の黙示録二○章四節にこのような言葉がある。「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスの証しをし神の言葉を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また獣をもその像をも拝まず、その刻印を額に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生き返って。キリストと共に千年の間、支配した」
あるとき私は、なぜここは「殺された」ではないのか、なぜ「首を切られた」とわざわざ書いてあるのかと考えた事がある。そして今、余りにも聖書が明白な予言であることに驚いている。さらに驚くべきことに、今、アメリカの法律にはこのタルムードの言葉を反映した法律が出来ている。「教育の日」というこの法律によれば、アメリカは「ノアの七つの法」の伝統によって成り立った国であるという。このタルムードにある「ノアの七つの法」に神に逆らうものは首を切れとあるのである。そしてタルムードによればクリスチャンは神に逆らう者なのである。さらに我々はもっと明白なユダヤ人のキリスト教攻撃に直面している。これこそイスラ

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エル、ユダヤ人の本音の表れたものであった。以下に「スポットライト紙」に書かれたウオレン・ヒュー氏の文章を紹介しよう。

一九九七年九月

163 イスラエルでキリスト教の布教は即刑務所
 

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聖地でのキリスト教の伝道活動を崩壊させる法律の提出が、合衆国の伝統的なイスラエル援助にピリオドを打たせるだろう。長年に渡る熱心なシオニズムとパレスチナの無慈悲な征服の援護活動にもかかわらず、伝道者パット・ロパートソンやジェリー・フォルウヱルらはイスラエルから、もし今このミニ国家で急いで法律として制定されようとしている議案が通過すれば、「犯罪分子」として締め出されることになるだろう。強力な労働党とリクードを含む党派の連合によって支持されて、聖地においてキリスト教を教えたり広めたりすることは犯罪的な違反として、厳しい服役期問、または市民権の剥奪、国外追放命今などの処罰を受けるという議案が提出されている。この法案が九八年の終りに法律として制定されれば、プロテスタントとカトリックの聖職者、補助者、教育者は〃その旅程のうちに公に宗教的な働きをしたり儀式を行う事はで

きず、まったくただ個人の資格で旅行者または短期の滞在者としてのみ〃イスラエルに入ることを許される。この妨害の目的を強調するために、キリスト教の生まれたこの地で、キリストの福音を伝え、説教することを目的としていると見なされたキリスト教の宣教師や放送伝道者に入獄とその後の国外追放を含む過酷な罰則が提示されている。西欧のジャーナリストたちが〃驚くべきもの〃であり〃野蛮なもの〃だと言っているこの法律は九七年中東で行われたモーリス・セルーロによる福音の宣伝と説教の宜教活動への反動であるという。セルーロは放送伝道者としてよく知られたペンテコスト派の説教者だが、九七年の秋にこの地域で福音ラリーを成功させ、一○○万枚のキリスト教宜伝パンフレットの洪水を浴びせかけたと、最近エルサレムからニューヨークに帰ってきたアイルランド系の特派員ダーモット・マコンナギーは言っている。マコンナギーによれば「それはかつてよりもっと強力になっているイスラエルのオーソドックスな方面を刺激し、クネセト(国会)にキリスト教を全く禁止するように働きかけさせた」そして「この法案の精神は、私が通ってきた一九七○年代のソビェト連邦の激しい時代を思い起こさせるものだ」と言う。親イスラエル活動の最前線にいてかつては熱心に支持していた聖織者は迷いを覚まされ

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たことを隠さずに「この法案は私のようなシオニスト伝道者にとって極めて厳しいものだ」と言う。〃イスラエルのためのクリスチャン同盟〃の会長デイヴィッド・アレン・ルイスはさらに「それは『なぜ、君たちはキリスト教に反対するユダヤ人を援助できるのか』という反セミチズムのクリスチャンの議論を復活させるだろう」と言う。ファルウェルもロパートソンも彼らが最も愛する国から押しつけられたこのクリスチャン抑制の刑罰について公式には何も解答していない。ロバートソンはイスラエルのご機嫌を取るために南レバノンにあるクリスチャンラジオ局を経済支援して親シオニスト・プロバガンダに捧げたが、新しい法律によって差し迫った中東の放送ビジネスの閉鎖についての質間には答えようとしない。ファルウヱルはイスラエルの中東における覇権のバルチザンだが、イスラエルの宗教的な反キリストへの転換点の激変については国外に出ているのでコメントできないと言っている。マコンナギーは「それは結構だ、せいぜい有効に時間を使うことだ、これは彼の最後のエルサレム訪間になるだろうから」と言う。そしてその帰り道にファルウェルはガザに寄るべきだとマコンナギーは付け加える。「彼が今できる最低限の事は、軍事的に占領され、圧追され、略奪されたバレスチナ・アラブの一般大衆に謝罪することだ。彼は長年

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にわたってシオニズムの宣伝者として講壇から援護射撃をしてきたのだから」わが国の国会議員のイスラエルサポーターとして献身してきた共和党のジェセ・ヘルムスや他の者は、彼らのいわゆるパイブルベルト(注*キリスト教信仰の厚い地域の意味)の選挙民に、聖地でクリスチャンを圧迫するために捜索するような民族を、なぜアメリカの納税者が年間何百万ドルも海外援助の補助金を与えなければならないかについて説明しなければならないという困難に直面している。へルムスの報道担当官に何らかのコメントを求めようとしているのだが一向に成功しない。スポットライト紙はヘルムスの事務所にこの論議への彼の見解を問い合わせているのだが解答はない。とにかく、長年にわたりクリスチャン連合のスポークスマンを勤め、狂信的な論争と、反名誉毀損同盟(注*ADL、ュダヤ人の権利を最大限に守ろうとする団体、強力な力を持つ)や他の強力な親イスラエルブロックへのごますりに従事してきたラルフ・リードは彼の昔からの同盟者によってほうり込まれた居心地の悪い状況にもがき苦しんでいると伝えられている。リバティー・ロビーズ・ボード・オブ・ポリシーの議長バイス・ライアンによれば「過

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去に、ファルウヱルやロバートソンや他の者たちは中東における我がアメリカの利益を優先する政策を取るべきだと言うリパティー・ロビーに批判的だった。しかし、多分クリスチャンシオニストヘのこの裏切りの法律は我々がこれまで言ってきた事に対して彼らに良い理解を与えるだろう」と言うことになる。

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イスラエルは秘かに違憲な計画を実行中

これはイスラエルサポーターであり宗教円卓会議議長であるエド・マカテーアヘ彼の友人であるデイル・クローリー・ジュニアより送られた公開書簡である(スポットライト紙一九九七年九月一日号より転載)。イスラエルが世界の国々に投げ与える邪悪で非道で破壊的な行為は、かつてないほど深刻になっているのに、君の熱狂と賛同のポルテージはますます高くなっているのはなぜなのか。聖書の神の義は今やサタンの王国の不義に賛成しているのか?〃神の選民〃はその同砲に、信仰と正義と平和と光明を与えずに、不信と不正と不一致と暗黒を広めているではないか。君は「神の選民」とか「約束の地」とか「光栄あるイスラエル」という言葉を好んでいるが、これらの言葉は普通の知性ある人々なら『神の祝福が次のような事実の上にある』という意味に受け取るだろう。

*イスラエルはキリスト教伝道を制限している(イエス・キリストは今日イスラエルの路上では説教できない)。
*イスラエルは合衆国や南アフリカやロシアからのユダヤ人クリスチャンへ市民権を与える事を拒否している。
*イスラエルは国家としてユダヤ教を信奉しているがその聖典であるタルムードは祝福され、乙女マリヤは売春婦でありイエス・キリストは私生児であると教えている。
*イスラエルは学校で十のしるしを用いることを禁止している。それは我らの主イエス・・キリストの十字架を思い起こさせるからである。
*イスラエルのアパルトヘイト(人種差別政策)は南アフリカよりはるかに悪い。
*イスラエルは過去四年問に一○○○名を越すバレスチナ人の少年少女を殺している。*イスラエルは正式の告発も弁護士も裁判もなくパレスチナ人を逮捕し投獄している。*イスラエルは正式の告発も弁護士も裁判もなくバレスチナ人を彼らの祖国から国外退去させている。これらは世界の国民が持つ当然の権利への違反である(国際法によれば、政府は侵略し、占領している国の人々を追放してはならない)。
*イスラエルはバレスチナ人の家、家具、その他の財産を没収し(一九四八年の難民キャ

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ンプ)これらの家に住み、彼らの所有物を良心のとがめも恥ずかしさも感じないで使用している。
*イスラエルは不動産の権利書と所有権を改竄し、バレスチナ人の家族が何百何千年の間そこに住んできた土地を奪い取っている。
*イスラエルはバレスチナ人の家、仕事場、果樹園をブルドーザーで押しつぶし、他のパレスチナ人への見せしめとしている。
*イスラエルは憲法も宗教の自由や言論の自由を保証したわが国の第一修正条項に似たものも制定できない。
*イスラエルはサブラとシャチラの大虐殺を挑発し実行した。
*イスラエルは一九八三年二月二三日に二四一人の水兵が死んだベイルートの米国海軍宿舎に対するテロリストの攻撃の危険性を知っていたにもかかわらず、それを知らせなかった。
*イスラエルは一九六七年六月八日、国際水域にいた非武装の米国船リパティー号を沈め、三四人の水夫と水兵を殺し、一七一人を傷つけた。
*イスラエルはその唯一の恩人であるアメリカに対して癖績を起こし、あらゆる侮辱と軽蔑

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を与えている。特にアラブの地域に我々の金で違法なユダヤ人の施設を建設するなどはその最たるものである。エド、我々アメリカ人はわが国に於いてはこのような犯罪も非道も許しては居ない。しかし、わが国の政府や納税者ばかりでなく、クリスチャンさえもがイスラエルに関しては寛容であり大目に見るのである。これは一体どうしてなのだろうか。それは「神の選民』はどんな事でも責任や罰則なしでやっていいと言う事なのだろうか。エド、君は我々聖書を信じるクリスチャンがイスラエルと世界のユダヤ人に成し得る最も価値ある援助は、モーセやエリヤやエレミヤやイエスやヨハネやパウロのように大胆に彼らの罪を宜告し、彼らがイエス・キリストこそ彼らのメシヤだということを受け取ることを助けることだと言う事に同意できないだろうか。エド、君がなおその誤りに満ち、感傷的で、偏った『栄光あるイスラエル』プロクラムを続けるなら君は君の良心を腐らせ、イスラエルの苦悩と失敗を長引かせ、世界に福音を伝え、罪人は地獄に落ちると宣言するイエス・キリストの教会の使命を妨害する事になるだろう。エド、私は君ともっと話し合いたいものだ。

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ダヴィンチの最後の晩さんは反キリスト画

最近、私はある人から大きなレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の絵をもらった。もちろん原画はすでに原形をとどめていないがそれでもそれはかなり原画に近いものと思われた。私はその絵をしげしげと見た。実は私にはかねてから一つの疑間があったからである。かなり以前に私はダプィンチがホモセクシャルだと言うことを聞いた。そして、テレビの番組でもあの「モナリザ」が実はダヴィンチの自画像と一致すること。それはダヴィンチの女性志望の表れであると聞いた。では、なぜそのようなダヴィンチがキリストを礼讃するような絵を描いたのだろう。同性愛は聖書が厳しく禁ずる罪である。もともと同性愛に当たる英語のソドミーは同性愛の町であり、その罪ゆえに神に滅ぽされたソドムの町の名に由来している位である。ダヴィンチはその事をよく知っていたはずなのだ。それなのに何故?そんな疑間をもって絵を見た途端にはっきりとダブィンチの意図が読み取れたのである。
 

それはイエスの向かって左に座っているヨハネである。御覧のようにこれはどうみても男性ではない。よくて今流行のニューハーフ。なんとなく最近テレビをにぎわせる女の化粧をしたコーラスクループの一人に似ていると思った。私は回りの人々にその絵を示し、このヨハネをどう思うかと聞いてみた。その反応は一○○パーセント「女性でしょう」というものだった。ダヴィンチはこの名作とされる「最後の晩餐」の絵で何を言いたかったのだろうか。それはイエスとヨハネがホモセックスの関係にあったと言う事である。聖書はヨハネについて「イエスに愛された弟子」と言う言葉を何度も使っている。ヨハネ自身もその著書で自分のことを「ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついてくるのを見た。この弟子は、あの夕食のときイェスの胸近く寄りかかって、「主よあなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である」ヨハネによる福音書21章と紹介している。しかし、これが同性愛を現すなどと知ったらヨハネ自身が仰天するに違いない。新約聖書の書かれたギリシャ語には『愛』と言う言葉がおもに三種類ある。一般的な人問同士の愛、男女の情愛などはエロスである。次に母親の愛とか兄弟愛、愛国心などは

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フイレオーという。さらに気高い愛はアガパオである。この言葉を聖書は我々のような罪人を愛し、そのために命を捨てた神の愛、キリストの愛に使っている。それは無私の愛、価値なきもののために死ぬ犠牲の愛である。そして、この箇所に使われた「愛」はこのアガパオである。これは決して人間同士の情愛、ましてや同性愛などに使う言葉ではない。また、「イエスの胸近く寄り掛かった」という表現は確かに誤解を招くものであった。これは近年の研究で、イェス在世当時、食事の時、ローマの慣習で横に寝そぺって互いの頭を前の人の胸の近くに置くような形に円形を描くように配置した事によるのである。実は近々ニューョークで「キリストの聖体節」という劇が上演されるが、これはキリストを含む一二使徒団が互いに同性愛だったという極めて冒涜的なものである。これは常に同性愛者間の言い訳のように使われる話なのである。キリストは女性とも男性とも情を交わすような事は有り得ない。巷に言うキリストがマグダラのマリヤと結婚して子を成しその子孫がアスター家だなどという話は、我々キリスト者にとって身の毛のよだつ話である。いわんや同性愛だったなどという話は、目にすることも忌まわしいのである。だから本当はこんな話をしたくはないのだが、ダヴィンチの悪巧みをあばき、教会の無知を知らしめるために、私はまたしても嫌な仕事をしなければ

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ならないのである。イェス・キリストは全能の神である。全能の神が人間の女などと結婚するわけがない。まして同性愛者であるわけがない。これが正真のキリスト者の常識である。さて、こうしてダヴィンチがニタニタと薄ら笑いをしながら描きあげた「最後の晩餐」は有名になり、その複製は全世界の教会の壁に、クリスチャンの居間に飾られることとなったのである。サタンはどんな得意になっていることだろう。「見ろよ、クリスチャンの馬鹿どもが、主と仰ぐキリストがホモだと言う事を表す絵を、あんなにも後生大事に飾っている。全くクリスチャンを騎すことほど簡単な事はない」さて、私が「最後の晩餐」の絵をここに引っ張りだしてきたのには訳がある。サタンの欺きはダヴィンチで終わったわけではない。実際、クリスチャンと話していて本当に嫌になるのはほとんどのクリスチャンがサタンを聖書の中だけの登場人物かさもなくば愚にもつかないたわごとにしか思っていないことである。今日、キリスト教会にサタンは強力に浸透している。ローマ・カトリックはすでにその最高府がサタンの手に落ちた。カトリックの場合、下層の教職者、尼僧、一般信徒にはまだキリストを信じ忠実に生きようとしている人々もいないわけではないが、法王庁以下の

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高位高官はほとんどサタンの手の者であると見て問違いないと思う。一方、プロテスタントにはかなり手こずったようである。しかし、まず一九世紀から聖書そのものを攻撃することが始まった。ついで進化論によって動揺させられた。この辺でほとんど伝統的教派の信仰の実が失われてしまった。二○世紀に至って新しい信仰の波〃ペンテコスト派〃が生まれた。これは聖書に書かれている事は今日も全く同じように起こる筈だと言う信仰であった。そしてこの教派は病の癒しや超自然的な事を信じた。それ自身、キリスト教のリバイパルであった。教会は隆盛し力強い伝道が成された。しかし、エデンの園のようにいつも神の働かれるところにはサタンはいる。サタンはこの派を重点的に攻撃することと決めた。この教派には沢山のwitchたちが訓棟されて送り込まれた。前述のシスコ・ホイーラーさんの父親はこのペンテコスト派の最大派閥の聖織者だった。彼は3歳の実の娘をレイプしあらゆる汚れと残虐とでマインドコントロールをしたサタニストであった。そして、そのようなサタニストが聖職者のローブを身をまとって今も沢山働いているのである。中でも有名なのがキャサリン・クールマンである。ある本(注参照)にキャサリン・クールマンは最高位のwitchであるというのを読

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んで仰天した私は、事の真相を確かめるぺく彼女の墓を見にいったという話はすでに前の本に書いた。ところが驚いたことに私の仲間たちのほとんどがこの事を無視するのである。彼らはキャサリン・クールマンがフリーメーソンの三三階級であろうと、憎むべきWitchの頭目であろうと関係ないというのである。(注*この本を書いたと思われるトッド氏は元イルミナティの高位の家系の人物だったがイルミナティを脱退し、イルミナティを告発した。しかし、何らかの罪で捕らえられ、牢獄からスプリンクマイヤー氏に救助を求めてきた。彼は最初いくばくかの金を送ったが、間もなく釈放されるためにかなり高額の金が必要だと電話してきた。しかし、彼にはそんな金は用意できないと言うと電話は切れた。その後、トッド氏は釈放されたが、それっきりその行方は知れない。スプリンクマイヤー氏にある人の情報として、釈放されると同時に誘拐され、ヘリコプターで大西洋の沖合はるかに連れてゆかれ落とされたのだと言う話が伝えられた。とにかくトッド氏の消息はその後全く聞かれない)witchには二つの系統がある。一つは三世代以上に渡ってwitchの家系であること。もう一つはその本人からでも認めると言うものである。しかし、少なくともGreatest witchであるためには前者でなければならない。そして彼らは、

幼い時から訓練を受ける。女性の場合、若い時に必ず娼婦にならなければならない。これはいわゆる古代の神殿娼婦の名残で自分の身を捧げてサタンに奉仕するためである。そして必ず人血を飲む儀式を何度も行っているはずである。キャサリン・クールマンも必ずこの全てを行っていたはずである。一九九五年六月、キャサリン・クールマンの墓を見つけに行った私は、奇跡的に発見することができ、それを見ることができた。その墓はロスアンジェルス市のグレンディールにあるフォレストローン墓地の、一般には公開されていないプライペイトゾーンの中にあり普通では入ることはできない場所だった。しかし、私は神の導きによりそこに入り、写真も撮ることができた。もちろん写真の撮影も禁止されていた。当初、私はこれらの写真は公表しないつもりだった。しかし、あまりにもクリスチャンの反応が鈍く、相変わらずサタンの惑わしのなかに入り込んでいるので、あえて危険を犯して公表することにした。キャサリン・クールマンの墓のあるそのプライペイトゾーンはフリーメーソンの墓地である。そこには御覧のように沢山のフリーメーソンの印をつけた墓があった。キャサリン・クールマンの墓はその墓地で異例の大きさで最大の物だった。その墓地の墓は全て同

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一規格でグランドマスターらしい人の墓よりも大きかったのでそれだけでも彼女の位がどれ程のものか分かるようだった。彼女の墓には幾つかの特徴がある。大きさもさる事ながら、普通必ず生年と没年が書いてあるのに彼女の墓には没年と珍しいことに月日が書かれていた。しかし、これはwitchが何千年も生きていると言う信仰を持っていることを考えれば納得できる。彼女は一九七六年二月二○日、死んだのではなく暫くの間、別の世界に行っただけだと言う意味なのではあるまいか。さらに、Kyatharin Kulumanという二つのKの他に真ん中になぜかもう一つKという文宇があった。これはその時点では分からなかったが、今にして思えば3つのKを現したかったのかも知れない。KKKである。Kはアルファベットの11番目の文字で三つで三三になる。彼女は自分が三三階級だったと言う事を言いたかったのではあるまいか。私がどうしてキャサリン・クールマンにこだわるのかには理由がある。近年、このキャサリン・クールマンの霊感を受けたと称する連中がアメリカ、日本で活躍しているからである。中でもべニー‐ヒンという怪しげな伝道者はキャサリン・クールマンの墓で特別な霊感を受けたと広言している。彼はどうしてそこに入ることができたのだ。フリーメーソ

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ンか親族以外には入れないはずなのだ。彼は一体どんな霊感を受けたのだ。この他、フレーソン、アナコンディア、ハンター夫妻など沢山のキャサリン・クールマンの弟子を自称する連中がキリスト教会をどこか見知らぬ国に連れて行こうとしている。私はそれと知らずにフレーンンの大会の手伝いをしたことがあるが、彼が明らかに怪しげな手つきで会衆を操ろうとしたのを見た。そういう大会では、何時間も、泣くもの、倒れるもの、叫ぶもの、笑うもの、犬猫牛馬の真似をするものなどが出てくる。これをクリスチャンは霊の解放と呼ぶのだから話にならない。どうしてこんなに馬鹿にされても分からないのか理解できない。ベニー・ヒンはオーストラリアの大会で「神の三位一体にはそれぞれ三位一体があって、全部で九位一体だ」と発言して物議を醸した。彼はその後「誤りだったった」と訂正したが、こんな事は訂正して済むことではない。クリスチャンならそんな間違いは決して犯さない。三位一体はクリスチャン信仰の基礎の基礎。それなくしては「救われた」とさえ言えない。ベニー・ヒンは「誤りだった」ではなくて「私はクリスチャンではなかった」と告白すべきだったのだ。私はこの事を私の機関紙『Count Down』に書いた。するとその内容が回り回

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ってベニー・ヒンの所に届いたらしい。間もなく彼はペンテコスト派の最大派閥から脱退した。私に言わせれば、こんな男を聖職者にしていたこの派の米国の指導者たち全員がやめるべきだ。いずれ神の前で本人たちが責任を問われるに違いない。次にその号をそのまま載せることにしよう。

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世界中のキリスト教は最早壊滅寸前

「イェスさまは聖霊によらなければ罪を犯す可能性があった」これはベニー‐ヒンの著書一『聖霊様おはようございます』にある記述です(p二○八)。もちろん彼は人なるイエスを強調しているのでしょう、しかし、罪を犯す可能性があったなどという言葉は、人であるイエス様にも断じて許されない言葉です。主が乙女マリヤより生まれたのは、アダムから受け継いでいる原罪の種を引き継がない新しいァダムとしてだった事などキリスト教信仰の初歩の初歩です。主は肉において全く人ではありましたが、罪は犯す可能性のない方でした。‐もし肉において罪を犯す可能性があったとすれば、神のご計画に破綻が来る可能性もあったことになります。そのような事は神ご自身への冒涜です。また「聖額はイエスの父である」とも言っています(P二○三)。マリヤに聖霊が臨み、聖霊の種が宿ってイェスが生まれたのだから聖霊が父だというのです。これはマリヤの夫が聖霊であると言っているのと同じです。聖霊はいかなる意味においてもマリヤの夫では

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なく、イェスさまの父では有り得ません。神性においては父なる神が父であり、人性においては聖霊は父とはなり得ません。彼はキリストの神性と人性を混同し、ほとんど理解不能な理論を組み立てています。さらに彼は、「イエス様は、今、天におられ地上には聖霊さましかおられないのですから、私たちは聖霊様との交わりを持つべきです」(P八五、一七四)と言っていますが、これは誤解を招きやすい表現です。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちはイエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体と言う垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです」ヘブル10:一九〜二○
私たちはキリストと離れてなどいません。私たちはすでに至聖

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所にいるのです。いつもキリストの臨在の前にいます。キリストが天に行って今は留守などとは一体何を言いたいのでしょうか。また「すなわち、わたしたちが見たもの、間いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それはあなたがたも、私たちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」I ヨハネ一:三〜四とあるように私たちは御子との交わりにあずかっているのです。聖霊だけとしか交われないなどとは事実を曲げた偽りの言い草です。

彼は霊的世界と肉的世界、キリストの神性と人性を混同しています。イエス様は神ですから遍在(どこにでもいる)です。ベニー・ヒン師はイエス様の人性に目を向けさせ、偽りの教えを密かに持ち込んでいます。イエス様が人だったのはあの三三年間だけです。その期間だけご自身を進んで制限されていましたが、今、キリストは全能者であり、まことの神です。「このキリストは方物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です」ローマ九:五 聖霊は「父の霊」であり「御子の霊」です。父と御子イェスと聖霊は分ける事のできないお一人の神です。断じて聖霊をイユス様と分離して考えてはなりません。正しい信仰者はイエスさまと聖霊を全く同じ方と見るべきです。また、「父なる神も聖霊も、御子と同じように体を持っている」と言っています。(P八五、一三○〜一三四)これも奇妙な言葉です。彼によると父なる神も聖霊も御子のように姿形、体すらもっているのです。彼は父、御子、聖霊をそれぞれ独立した人格と見、そのおひとりおひとりが同格と言っていますが、ここは気をつけて聞くくべきところです。結局、彼は三人の神が居てそれが同格だと言っているのです。神の三位は一体、同一です。彼の考えはモルモン教に極めて似ています。また、「聖霊なる神が地上から去られる時、主によって購われた人々を一緒に連れて行

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く事になっています。・…これが携挙と呼ばれるものです」(P八五)とも言っています。がこれは聖書のどこにも書かれていないことです。このようにさり気なく偽りを紛れ込ませる手に乗ってはなりません。この本は一面、聖霊との交わりを見事に書いていますから、読者は新しい真理に目覚めたように思って興奮するでしょう。しかし、今まで親しみ受け入れて来たイエスさまとの間にすきま風が吹いて来るでしょう。聖書は「キリストにこそ、満ち満ちている一切の神の徳が、かたちをとって宿っており、そしてあなた方はキリストにあって、それに満たされているのである」と言っています。コロサイニ:九〜一○また「あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい」同三:十七 ともあります。「その日には多くの者がわたしにむかって、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。またあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは、はっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働くものどもよ、行ってしまえ』。」マタイ七:二二〜二三この御言葉はまるで現在の情景のようではありま

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せんか。ここで不法を働く者は〃神の言葉を語り〃〃悪霊を追い出し〃〃多くの力あるわざ〃を行っているのです。しかも、裁きの座に座るまで自分は正しい事をしていると思っているのです。ベニー・ヒンにせよその他の有名人にせよ彼らがいかに偉大な人物であれ、私たちは偽りの教えには惑わされてはなりません。それによって、もしかすれば自分自身がキリストから遠ざけられ、多くの人を結果的にキリストからはるかに遠いところに追いやる事になるかも知れないのですから。もし、私が間違っているならどうぞ次の事を私が判るように説明してください。
1 イエス様は罪を犯す可能性があったのか。
2 聖霊はイエスの父なのか。
3 父なる神と聖霊には姿、形、体があるのか。
4 イエスさまは天に行って留守だから、私たちはいちいち聖霊を意識しなければならず、直接イエス様に祈り、求め、交わる事が出来ないのか。
5 どこに聖霊が地上から去られるとき信徒が携挙されると書いてあるのか。私が受けた福音によれば、私たちは聖霊を意識しなくてもイエス様に祈り、求め、交わる時、聖霊は無言の内に働いておられ、聖霊は自己を表すことなく、全くイェス・キリス

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トを表されるので、イエス様が判るときに聖霊はその働きを最高度に成しておられるはずです。この本はそのような信仰をくつがえすものとしか思えません。ベニー・ヒンは極めて危険な異端思想を持っているとしか思えません。間違えないでいただきたいのは、私はベニー・ヒン師の人間性や道徳を間題にしているのではありません。これは我々の信仰の基本に関わる間題なのです。私は攻撃しているのではなく防衛しているのです。どうぞくれぐれも誤解しないでください。(「終末への秒読み−4」No.3  一九九四Dec. 六)

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さて、こんな話は大方の読者にとって、面白くもなんともない事かもしれない。また、わざわざ自分たち身内の恥をさらすような事をなぜしているのだと言われるかもしれない。しかし、私は彼らが身内だとは思っていない。彼らは教会破壊のためにイルミナティが派遣した優秀なエイジェントである。それなのに教会は、彼らの催眠術とオカルトとカイロプラクティックに挑惚と酔い痴れている。彼らの癒しなどプラシーポ(*注参照)と変わらないのだ。全く教会を騙すのは赤子の手をねじるより簡単である。そして情けないことに私の事をむしろ怪しみ、うとんじ、馬鹿にし、退けるのである。ああ、いつになったら

目覚めるのか。それともそのまま怪しい霊の国へ旅立つつもりなのか。(注*プラシーボ:何の効果もない薬を効果があると言って飲ませると本当に直る事がある。それをプラシーボ効果と呼ぶ)

さらに、最近、非常に分かりにくい状況が現れてきた。カナダのトロントで前述のように泣き叫び、倒れる〃リバイバル〃が起きた。ここでは確かにキリストの御名があがめられ、病の癒しが起こった。そして、この流れの指導者は、自分たちがジョナサン・エドワーズに習うもの、そのリパイバルを継承するものだと言っている。ところがこのジョナサン・エドワーズはれっきとしたフリーメーンンである。キリストは終りの時に「にせキリストたちや、にせ預言著たちが起こって、大いなるしるしと奇跡を行い、できれば選民をも惑わそうとするであろう」(マタイニ四:二〜四)と言われたが私は〃できれば〃と言う言業から実際には騙されないのかと考えてきた。しかし、これは本当に多くの者が編されるのだと思うようになった。ああ、教会よクリスチャンよ今、必要なのは「はとのように素直」なことだけではない。「へびのように聡く」なければいけないのだ。

それは昨年の事だった。ある筋から『ポンテオ・ピラトの報告書』なるものを手に入れた。これはキリスト教系の出版社から出ているものだった。それはイェス・キリストを処刑することに同意した時のローマのパレスチナ総督ポンテオ・ピラトが書いたと称するイエス・キリストに関する非常にリアリティーに満ちた文書であった。私はすっかりはまってしまって、皆に紹介した。しかし、読み返すうちに、おかしな事に気付いた。それはイエスは金髪で白人だったというのである。また、あまりにもピラトがイエスに好意的で公文書にはありそうもない感情移入が激しいことだった。イエスが金髪白人だという説はイエスがマリヤの不義の子でローマ兵士の子であったという俗説を基としている。さらに、聖書はイザヤ書五三章で「見るべき姿もなく威厳もなく慕うべき美しさもない」と予言しているようにメシヤが来たとき、決して目立つ人ではないと書いている。しかし、その文書ではイエスはどこにいても人目を引き全く普通のユダヤ人とは違っていたと書いている。もし、イエスがそんなに目立つ人だったら、ユダはどうしてイエスを捕らえに来たものたちにあらかじめ合図して「わたしが接吻する者が、その人だ」と言わなければならなかったのか。この文書は実に良く出来ていて、キリストを敬う者の様に書いているが、実は

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偽書だということが分かったのである。実に恥ずかしい思いをした。ここでついでに〃キリストはュダヤ人か〃どうかと言う論争に関する、私の見解を述ベておこう。「イエスはユダヤ人か否か」という間題は、自らをキリスト者とする者にとってはナンセンスと言う他はない。聖書ははっきりと「イエスは乙女マリヤより生まれた」としている。いわゆる処女降誕を信じなければイエスはマリヤの不義密通の子以外ではない。処女降誕を科学以前と考える人間こそ科学以前である。なぜなら今や人間ですら雄雌の関係なしで子を設けることができるのだから。昔の人間に聞かせたらクローン技術は処女降誕以上に非科学的であろう。聖書は神が世界を創造したと書いている。その神が人間以下の能力しかないというのか。聖書にあるイエスの伝記はマタイによるものが父親ヨセフの家系であり、ルカのものが母親マリヤの家系である。しかし、このいずれもイェスの法的血統を表しているのであって生物学的な血統とはしてはいない。ルカによる福音書でルカがわざわざ「人々の考えによればヨセフの子であって」(二:二三)と書いているようにルカ自身イエスを本当にユダヤの血統とは考えていない。
 

イエスが生物学的にユダヤ人だと主張するのは、彼の処女降誕と神であることを否定するのである。もし、彼がヨセフであれ他の誰かであれ、人間の血を受け継いでいるなら、アダムの罪を受け継いでいるから決してメシヤとはなれない。罪あるものは罪の身代わりとはなれないというのがローマ書五章、ヘブル人への手紙七章などの主張である。罪あるものは自分の罪さえ贖えないのである。しかし、イエスは第二のアダムとして新しい人類の祖先となられた。だから、決して血統的にユダヤ人ではない。しかし、イエス自身は自分をユダヤ人としている。しばしば彼はユダヤ人に優先される神の選民意識を表現している(マタイ九:五〜六、一五:二〜二八など)。またピラトの質問に答えて自分を「ユダヤ人の王」としている。これはメシヤすなわちキリストとしての当然の答えであった。メシヤは法的にはユダヤ人から生まれてくるからである。しかし、申し訳ないが、私はこれらの論争を聞いていておかしくて仕方がない。本質的にキリスト教とは全くこのような議論とは噛み合わない性質のものなのである。イエス自身の言葉でさえ、もしその全てを受け入れようと思ったら、誠実な研究者なら頭がおかしくなるだろう。キリスト教というものはこの世で言うなら非常に不条理なものなのである。それは「つまずきの石」なのである。キリスト教とは初めからつまずくように設計された

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宗教なのである。これについて知りたければパスカルの「バンセ」を読まれることをお勧めする。彼はそこで神はご自分を隠して居られる神であると言い、否定するには多くの証拠と、肯定するには不十分な証拠とを置いておられると書いている。それは人間のさかしらな知恵を拒否し、徹底的にへりくだった者にのみ現れる神について書いているのである。要するに、キリストや神について知りたければ、今までの概念、思想、先入観の全てを棚上げして、それこそ原子の組み替えを行うような気持ちで、虚心担懐に聖書に向かわなければならない。ヨハネはこの事をユダヤ人の指導者で有能かつ明蜥な頭脳の持ち主であったニコデモという人物とのイエスの会話の中で書き残している。曰く「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」これに対してニコデモはあわて惑って、およそ、その道の専門家らしからぬ愚問を呈している。「人は年を取ってから生まれることがどうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」これに対してイェスは肉と霊の違いを語っている。我々の生まれながらの知恵知識では超自然の神の事全般は理解できないのだと。キリストがユダヤ人かどうかという議論は、卵が生かゆでてあるかという議論に似てい

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る。問題は何の卵かである。それが判らなければ煮ても焼いても食えない。さて、時はいよいよ迫っている。これからどうなるのか、という疑間はすべての人の間うところであろう。この質問に答えるのに黙示録ほどふさわしい物もないであろう。
===================================終わり=================================

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