目次
ばじめに ここ数年間に起こる事実をズバリ予言する 3
1章 日本の惨状を日本人が一番知らない 19
日本人の政治不信はユダヤの思うツボ
天安門事件の柴玲はユダヤの操り人形
最も悲惨なのはアメリカ国民である
アジアをユダヤから守る最後のチヤンス
2章 一九九九年は計算間違いである
29
西暦は4年狂っており九九年は二○○三年
では世の終りとは何年になるのか
即位ではなく誕生を基準にした間遺い
一九九九年を問題にする真の目的は何か
3章 ユダヤの世界支配は風前に迫っている 41
正確には一九九九年ではなく二○二六年
二○○○年後に世の終りがくるという予言
その特あなたは何をすればいいか
4章 ソ連は復活し中東に侵攻する
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ソ連は解体しておらず中枢は不変
ここ数年中にソ連軍は中東に侵攻する
ソ連のユダヤ人をなぜ緊急移住させたか
ソ連軍の狙いは石油である
かくしてソ連軍は壊減する
5章 米ソに変わりイスラエルが軍事大国に 75
イスラエルは日に日に強大になる
恐るべき中性手爆弾を大量保持
イスラエルの領土は中東全域に拡大する
6章アメリカが減亡する日は近い 87
ホワイトハウスはユダヤの完会支配下にある
アメリカからキリスト教を絶減させる
米国民が祖国を捨て逃亡する日
7章 地球を支配する絶体君主に誰がなるか 99
史上最高の独裁者に全人類がひざまずく
どんな帝王があなたの前に現われるか
その人物はロスチヤイルド家から逮ばれる
8章 Cは統一され、利用され、支配される 111
あなたの額にパーコードが打ち込まれる
日本ではイトーヨー力堂が最初に採用
世界帝国は統合ECを核に築かれる
何百年もかけて練られた大プロジェクト
9章この秘密組織の恐ろしさを初めて教えよう 123
フリーメーソンは計画の実行部隊
世界支配の頭脳集団イルミナティ
戦争も革命も暴動も思いのまま
出版には圧力がかかり抵抗すれば殺される
どんなに尽くしても意に反したら消される
この有名人たちがユダヤに処刑された
驚くぼど厳密な組織図
エホパは誤読でものみの塔はユダヤの手先
10章 シオンの議定書はいかに読むべきか 149
シオンの長老の議定書通り世界は動く
議定書は世界支配のための軍事作戦計画
日本の政治経済の被壊も予定通り
その時全ての自由は奪われる
日本の国債は国家を譲渡する額に達している
11章 同情すべきユダヤ人と悪魔のユダヤ人 161
悲惨な迫害拷間の中から団結
今ば世界支配の総仕上げの段階
日本人とユダヤ人の類似性の秘密
12章 危険なものみの塔、モルモン枚そして 173
最近の激しい宗教運動ば何を意味するか
ユダヤは何故日本を特別視するか
ものみの塔は宗教統一の重要推進者
最早カトリックは風前の灯
ローマ法王庁はあと二代で終る
13章 いよいよ世界統一の最終戦争が始まる 191
統合ECと拡大イスラエルが激突する
ハルマゲドンで世界最終戦争
日本が生き残る道はあるか
14章 戦慄すべきユダヤの残虐計画
209
人造UF○に地球を襲わせる
偽宇宙人が人類を撹乱
木星を照明し幻覚を演出する
幼児殺害キヤンディを大量配布
世昇統一のための恐怖の計画
15章 この救いの予言をあなたは信じるか 223
人類を救うためキリストが再臨する
世昇支配勢力を倒し真の平和をもたらす
聖書の予言は恐ろしいほど当たるのだ
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(本文)
はじめに:ここ数年間に起こる事実をズバリ予言する
IN G○D WET RUST(神にゆだねる)アメリカの紙幣や貨幣には必ずこの文字が記されている。我々は長い問、アメリカとは何と言う信仰深い、敬虔な国だろう、お金にこのようなメッセージを入れるとは、と思ってきた。聖教徒ピルグリム・ファーザースがメイフラワー号によって東海岸に到着してから、この国の歴史はキリスト教とは不可分であり、大統領の就任式にも聖害がその誓約に用いられているのを見ては、感心したものであった。そして、世界中の人々のあこがれと羨望の国であった。豊かさと幸福のあふれるコミュニティー、教会を中心とする町々のたたずまい、ハリウッド映画は世界中にアメリカの明るい、健康な理想の夢をばらまいた。しかし、それはアメリカの一断面であった。近年アメリカは変わったように見える。暴力、麻薬、殺人、誘拐、ホモ、レイプ、エイズがこの国の形容詞になった。この国は天国から地獄へ変わってしまったのだろうか。神を信ずる事から、サタンを愛する事に変わってしまったのだろうか。IN G○D WE TRUSTはどこへ行ってしまったのだろう。アメリカはキリスト教国だと信じられてきた。しかし、それは表面だけである。実はアメリカはその建国の初めから奇怪な組織によって育てられ、利用され、むしりつくされた国である。すでに多くの人々が書いているように、初代大統領ジョージ・ワシントン以後ほとんどの大統領がキリスト教徒の仮面の下に、後ほど記すアンチ・キリストの巨大な組織フリーメーンンの素顔を持っていた。そして今やこの組織はアメリカの絶大な力を背景に世界をも支配しようと動き出している。いわばアメリカを母とする巨大な妖怪の赤子が成人式を迎えたのである。アメリカのシンボル白頭鷲は世界支配に向けて巣立ちのはばたきを始めたのである。そんな事は信じられないというなら、次のぺージの地図を見ていただきたい。これはアメリカの首都ワシントンの地図である。この地図にはフリーメーソンのシンボルマークが刻まれている。地図の左側にはホワイトハウスを頂点とする五光星がある。これはメーソンが用いる『ソロモンの星』である。右上にはフリーメーソンの正章『コンパスと定規』
また『ラーの失』によって形造られたサタン『メンデスの山羊』がいる。その下には男根崇拝のシンボルとしてワシントンのモニュメントのオベリスクがある。神にゆだねられたこの国の首都は疑いもなく全く異なったものに捧げられ、デザインされているのである。このような事を、アメリカの国民のどれほどの人々が知っているのだろうか。またこのような事は知らなくてもいい事なのであろうか。数年前にノストラダムスという予言者が書き残したという予言が大きな話題になった。私は聖書の予言に少しばかり興味を持っていたので、それらの予言を聖害の予言と比べていた。その内、どうも聖書の予言が間違って引用されたり、解釈されたりするのに気がついた。それでいろいろな本を購入して読んでいるうちに、フリーメーソンという巨大な組織にぶちあたった。この組織について調べれば調べるほど、それが聖書のダニエル書や黙示録などに書かれている終未の時に世界に現れるサタンの地上の現れ、クリスチャンの間で反キリストとかニセキリストとか呼ばれている世界の帝王にそっくりな事に気がついた。そして、その組織の巨大さ、強力さ、人的金銭的資源の豊かさに圧倒された。私はオズオズと仲間のクリスチャンや牧師にこの話をし、ささやかなレポートを送るなどし始めたが、あまり多くの人々の共感は得られなかった。一般にクリスチャンはサタン
とか悪霊などの話はもとより、政治や経済の話さえ間きたがらないものである。そういう事を話題にするのは健全な信仰とは見なされない。そうこうしているうちに事態はますます重大になって来た。アメリカ、ヨーロッパは完全にこの組織に握られ、国連を中心とする、世界支配の構造が見えて来た。そして、わが愛する日本もこの巨大な手に揺り動かされ始めたのである。もはや猶予はならない。私はあえて日本人に警告する必要を覚えるようになった。日本で伝道している牧師として私は、しばしば日本人のキリスト教への誤解、先入観に悩まされて来た。私の子供の一人は生まれた時、少し髪の毛が赤かった。すると誰かが言ったものだ「やっばり教会の子ねえ」。また、別の子は学校で「キリスト教の牧師の子?じやあハーフ?」と聞かれたものだ。私たち夫婦は生粋の日本人である。キリスト教はどうしてもヨーロッバ、アメリカの宗教でなければならないらしい。今、世界中で白人のクリスチャンより有色人種のクリスチャンの方がはるかに多いのである。第一、キリストは白人ではない。彼はアジア人。セム族である。さらに聖書への誤解もひどい。何やらえたいの知れない妖術か魔術の本のように思っている。聖書は宗教書ではあるけれど歴史、文学、詩、予言などあらゆる要素を持っている。さらに子育て、人生の指針に満ちて
いる。難しく考えないで気楽に読めばいいのに読まない。そんな歯がゆい気持ちを何かに表したかった。こうして、この本は生まれた。まず、確実に追り来る世界政府の影と、わたしが知り得た彼等の作戦計画について、そして、それらすべてを精密かつ適確に予言している聖書について。内容の多くは読者にとってとうてい信じ難いことであろう。しかし、やがて間もなく事実が証明するだろうむなお、本文中のシオンの長老の議定書の訳文は山蔭基央著『ユダヤの世界支配戦略』より引用させていただいた。厚くお礼を中し上げる。
1章日本の惨状を日本人が一番知らない
#日本人の政治不信はユダヤの思うツボ
「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘しを苦しとする」旧約聖書イザヤ書5:20
昔、イスラエルの人々がモーセに率いられてエジブトの国を出、約束の地カナンに向かった時、彼らを導くガイドがあった。それは雲の柱であった。「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から雛れなかった」出エジプト記13:21、22
「雲が幕屋の上からのぽる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぽらない時は、そののぽる日まで道に進まなかった」同40:36、37
この雲は旅路の間、昼は砂漠の太陽の暑さを防ぐ陰となり、夜にはその雲の中に火があって彼らを守ったと言われている。ところで今、全世界に、この雲とは似て非なる疑惑の雲の柱が至るところに立ちのぽっている。その雲の下では、白は黒に、黒は白に、さぎはからすにからすはさぎに、真実は偽りに、偽りは真実に変えられてしまう。実にこの雲は偽りの雲の柱である。たとえば我々はこの二○世紀最大の最も文化的な国の近代都市の真ん中で、その国の最高指導者が、暗殺どころか白昼堂々、無残にも頭を銃弾で吹き飛ばされたにもかかわらず、その犯人がたった一人のたよりない男だったという、不可解な事件を目のあたりにしている。しかも、その後の調査で到底その男だけではこの犯行が不可能だったという事が分かっているのに、その偽りを信じなければならないとされている。それどころか、この事件の真相を知る者、証言しようとした者がなんと六○人も疑惑に満ちた死にかたをしているというのである。
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これはギリシャ、ローマの時代の話でもなく、中世ヨーロッバの話でもなく、インカ帝国の話でもない。正真正銘、現代の我々の世紀に起こった事である。そして良く見回してみるとこのような疑惑の雲は今や世界の至るところに立ちのぽっているのである。そして、これらの偽りが、マスコミのニュースとして全世界に報道されている。その上、いつの間にか我々は、この「ニュース」を耳にすると、それがたちまち真実として信じられるように飼い慣らされてしまっている。今我々に必要なのは、マスコミの提供する「ニュース」の内どれが真実でどれが偽りか、報道されている内容は正しく伝えられているか、歪められているかを見極めて行かなければならないということである。今日本では政治家の汚職、贈収賄がほとんど毎日報道されている。マスコミはこぞって声高に正義を叫び、悪を暴き立てる。その結果、民衆の間には政治への不信感がつのり、不満が増幅されて行く。それでいて、我々は今の政府、自由民主党以外どんな政党にも信頼を持てないで居る。その結果、虚無と倦怠が社会を覆いはじめている。「政治には関心がありません」と言うのがまるでもっとも賢い事であるかのような言葉が聞かれる。それでは無政府状態がいいのだろうか。最も悲惨なのは無政府状態である。今のユーゴ
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スラヴィアを見ればいい、民族、宗教、言語などどんな共通点であれ、わずかばかりの共通点を持つ集団が互いに争い、ほとんど敵味方の区別もつかない状態で、憎み合い、殺し合うのが無政府状態である。これに比べれば、汚職や贈収賄など物の数ではない。悲しいかな今日、金の流れない政治には血が流れるのである。この正義と倫理の大合唱の結果、いったい誰が得するのか。政治家でもない、マスコミでもない、国民でもない。しかし、実は得をする人々が居るのである。ここにもあの疑惑の雲の柱がある。
22 #天安門事件の柴玲はユダヤの操り人形
一九八六年、北京の天安門前の広場は地獄と化した。丸腰の学生民衆に向かって、中国の解放軍は銃を水平に撃ち、戦車のキャタピラーで人間をも踏みにじり、それまで燃え上がった民主化の炎を消し去ってしまった。世界のマスコミはこれを中国政府の暴挙として一斉に非難攻撃した。しかし、もしあの時、てい小平氏以下の中国政府があの弾圧をしないで、民主勢力に屈服
し、なすがままに政権を降りたら、事態はどうなっていただろうか。中国は収拾のつかない大混乱に陥っていただろう。それは今のロシアを見れば一目僚然である。各種の利益集団が乱立し、覇権を争い、法は失われ、民衆は逃げ惑い、難民は中国ばかりでなく近隣諸国、日本にまで流れ込んで来ていただろう。きっと読者は「お前は牧師でありながら、あの天安門の事件を容認するのか」とお怒りになることだろう。しかし、私はあえて聞くが、あの場合他に選択肢があっただろうか。そして、実に不幸な事件であるが、もし他の選択をしていたら悲劇はもっと大きかったのではないだろうか。革命とか蜂起というものは自然発生的に起こるものではない。周到な計画と準備そして十分な資金があってできる事である。あのロシア革命はレーニンの弁舌と理論から成功したのではない、レーニンが封印列車で持ち込んだ巨大な金塊によって実現したのである。あの天安門事件の直後、我々は奇妙なニュースを耳にした。それは一九八六年六月一六日付けの新聞でこの中国の民主化要求の女性指導者「柴玲」なる人物にノーベル平和賞が贈られたと言うものであった。それまで我々の誰がその柴玲という女性の名を間いただろうか。そして彼女はノーベル平和賞を受賞するどれだけの功績があったのだろうか。しかもノーベル賞は通常二月に決められるのに、六月という時期に与えられたのである。いったい「柴玲」とは何者なのか、彼女はどこから「指令」を受けていたのか。ここにも疑惑の雲がある。
24 #最も悲惨なのばアメリカ国民である
さらに、一九八○年代後半に我々は東ヨーロッバで起こった一連の民主化運動を見たい。あれはほとんどワンバターンで起こった。民主化を要求する、ごく一般の民衆のデモが起こりそれは政府機関の前庭をおおう大群衆となり、丸腰の民衆に軍は銃を向ける事ができず革命が起こって行った。一見、実に素朴な美しい民衆蜂起である。しかし、当時某国の大臣が「この時期非常に多くの外国人がわが国にいた」と言っている。あれは本当にその国の国民の蜂起だったのだろうか。これはソビェトにおいても同じである。一九九一年八月、失敗に終わったクーデターの日、エリッィンが戦車の上で大見栄を切った時、喚声をあげた「モスクワの市民」は、すでにあの日の六ケ月前から動員の指令が出て各地からバスや自動車でかき集められていたと言う事がNHKの特別番組で報じられていた。と言う事はすでに「民主勢力」はその日にクーデターが起こると言う事を知っていたのである。ここにも疑惑の雲がある。一九九三年三月現在、ロシアのエリッィン大統領は瀬戸際に立たされている。彼を支援しているのは外国の政治家たちである。ロシアの民衆はすでにほとんど支持していない。我々はほんの一年前にも同じような人物を見ている。ゴルパチョフである。そして、このゴルパチョフとエリッィンのこの相似点は何なのだろう。自国の民衆の支持を受けない大統領を、外国の、しかもつい数年前までは敵国だった国の政治家が支援するというこの不思議な構図は余りにも不自然である。一体ロシァ政府は誰のためにあるのだろう。同じ事はアメリカの場合にも言える。アメリカの場合はもっと巧妙で長期的で大胆だった。アメリカの一般大衆は自国の政府、大統領を尊敬し忠誠を誓って来た。しかし、実はアメリカは大多数の民衆の全く預かり知らぬ間に、巨大な権力の手中に入っている。アメリカの財政は赤字だという。しかし、アメリカには史上最大の巨大な軍隊、核兵器すら攻撃できない聖域に守られた富豪たちがいる。それらの想像を絶する巨大な富豪たちはほとんど自国の経済のために税金を払っていない。そして、そのような悪を糾弾する国会議員
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もいない。いや、いたとしても瞬く間に抹殺されてしまうだろう。大統領すら吹っ飛ばしてしまうのだ。アメリカと言う国をよく見てみると底知れぬ恐ろしさを感じるのは私だけだろうか。そして、最も悲劇的なのはアメリカの大衆がその恐ろしさの本当の原因に、気がついていないことである。アメリカに於いてこの疑惑の雲の柱は最も大きく、最も多く、最も暗いのである。
26 #アジアをユダヤから守る最後のチヤンス
さて、日本はどこに行くのだろう。このまま政治の腐敗を糾弾し続けて、国会も政府も行動不能になった時、日本はどうなるのだろう。このままでいいのだろうか。一体何が起こっているのだろう。このままアメリカ・ョーロッパの端っこにぶら下がっていればいいのだろうか。今、我々は壮大な歴史の転換点に立っている。今もし、この国の舵取りを間違えれば、今後日本は二度と立ち直れない程のダメージを受けるだろう。私は今の日本に明治維新の頃のような気概のある志士たちが必要だと思う。しかし、実はかなり悲観的である。日本の若者は今や骨抜きにされてしまった。あえて言うが、これから日本の生き延びる道は中国を初めとする東南アジアの国々との結び付きしかないと思う。どうか、次の事を笑わないで聞いていただきたい。これは冗談でもSFアニメのストーリーでもない。よく世界情勢を分析し、今起こっていることを調べれば判る事なのだ。そして、それは聖書も数千年の昔から予言していた事なのである。今、世界にある種の人々がいる。その人々は世界を統一し自分たちがその覇者となろうとしている。この人々は世界中を混乱に陥れ、政治を破壊し、国家、家族を分断し、民衆が自分たちを救い主として歓呼して迎えるような環境を作ろうとしている。今起こっている全てはこの一点に絞られる。アメリカ・ヨーロッバはもう手遅れである。しかし、アジアはまだ間に合うと思う。そして、聖書の記事でもどうやらその人々の支配がアジァ、特に中国までは及ばないように思われるのである。私は一介の牧師であるが、日本人である。そして、多くの日本人が誤解しているようにキリスト教とは西洋の宗教ではない。それは、東洋のイスラェルで生まれた東洋人(セム族)の宗教である。それはたまたま先に西洋に入ったために誤解されているが、実に世界の宗教なのである。また、聖書は国家を破棄せよとは言っていない、むしろ次のように書
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いている。「また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれの時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである」便徒行伝17:26 私を日本に生まれさせたのは神である。だから私は日本を愛する。そこで、これから、日本のこれから歩むべき道について私なりの考えを述べて見ようと思う。その際、私にあるテキスト、世界の宝、神の言葉、聖書を基準にしようと思う。聖書にはこれから世界に起こる事が詳細にかかれている。それは特に世界の終未について多くの記事が書かれているからである。読者はそのあまりのリアリティにどぎもを抜かれるであろう。そして、これから起こる事についての十分な予備知識を得られる事だろう。こう言うと「それなら自分はノストラダムスの予言で知っている」と言われる方が多いのではないだろうか。しかし、ノストラダムスの予言は私が見る限り間違っている。一九九九年には何の根拠もない。なぜなら、西暦は間違いから始まっているからである。世界の空に立ち昇る疑惑の雲の正体を見極めるためにもまず、一九九九年の怪から始めて見ようではないか。
28 #一九九九年は計算間違いである
#西暦は4年狂っており九九年は二○○三年
日本には西暦という言葉がある。実にうまくつけたものだと思う。欧米にはもちろんそういう言葉はない。あるのは日本で紀元前と呼ばれるBC(Before Christ)英語で「キリスト以前」と、紀元と呼ばれるAD(Annno Domini)ラテン語で「わが主の統治」である。何で英語とラテン語なのかは分からないが、もともと英語はいろいろな言葉の混合語だからそれでいいのだろう。ちなみにADの方はよく英語でAfter Death(キリストの死後)と間違えられるので注意されたい。欧米人にとってはキリストは死ななかったのだから、死後とはとんでもないのである。それどころか、「わが主の統治」として、この期間をキリストが教会を通して世界を統治しているのだというのである。これはもちろんカトリック教会の思想によるところだろう。AD何年とは、キリストがこの世を治め始めて
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から何年という意味である。だからADは日本の天皇の元号(または年号)と同じで、イエス・キリストの元号である。これでは日本には都合が悪い。それで昔の知恵者が西暦と名づけたのだろう。日本人は頭がいい、日本語は便利である。ところで、年号というものは、本来、王の誕生ではなく、即位から始めるものである。平成も昭和天皇の崩御によって、今の天皇に代替わりしたときから始まったのであった。当然キリストの場合も、誕生ではなく即位から始めるぺきであった。ところがなぜか西暦はキリストの誕生から始まっている。さらに悪い事に、この誕生の年を計算した人々が間違いを犯してしまったのである。そのために何とキリストはBCすなわち「キリスト以前」四年に生まれた事になってしまったのである。だから、西暦は間違った歴史の数え方である。その原点には何の歴史的意味もない。さて、今日、ちまたには予言、占いの類いがあふれている。それらの予言、占いは何の考慮もなくこの間違った西暦によって語られている。中でもノストラダムスはまるで真実の代表みたいにもてはやされている。そして、一九
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九九年には世の終りが来るという予言を、まことしやかに書くものだから、中には本気にして心配している純情な人もいる。しかし、もともとが間違いから始まった西暦の一九九九年に何の意味があろうか。もし、一九九九年に何か特別な意味があると言い、キリストの誕生からという西暦本来の考え方に立つなら、元年を修正すべきで、それなら本当の一九九九年は一九九五年になる。今の一九九九年は二○○三年である。また、誕生ではなく、即位から計算するとしたら、それは全く違った年となる。そして、その方がよほど根拠があると言う事をこれからお伝えしよう。数か月前にも読売新間の人生相談の欄に「一九九九年に世の終りが来るというが、それがこわくて仕方がない」というものがあった。また、昨年、さる女子高生が「どうせあと八年なんだから好きなことして暮らすんだ」と言っているという事も耳にした。ノストラダムも罪なことをするものである。いや、日本に関しては五鳥勉氏はと言い換えるべきであろう。すでに書いたように、西暦は間違いを元に計算されている。だから一九九九年は全く何も特別な年ではない。その年はごく普通の年である。また、ノストラダムスだけではなく、西暦を基として成された占いや予言は決して当たらないだろう。
31 #では世の終りとは何年になるのか
ノストラダムスや他の予言者が一九九九年を特別視するのは、それが、二○世紀の終わりであり、ミレニアム(一○○○年期)の転換点だということの他に、キリスト教の終末観に基づいていると思われる。後に詳しく記すが、キリスト教では、キリストが再び来て、永遠の平和をもたらすという教えがある。聖書によれば、その時は戦争だけでなく天変地異も起こり、その患難は人類始まって以来「かつてなく今後もないような」もので、世界の三分の一は火で焼かれ、人類の三分の一が死ぬと書かれている(場所によっては三分の二ともある)。しかし、それによってこの世が終わってしまうのではなく、それに続きキリストが実際的にこの世を統治する一○○○年王国が始まるというのである。もっとも、この一○○○年王国についてはキリスト教会内部でも幾つか説があって明確なことは分からない。
#ソ違は復活し中東に侵攻する
読者は、これは一九九一年以前に書かれたものだろうと思うであろう。ところが私は一九九三年に書いている。そして、あえてソビエト軍と言う。ソ連は解体したと、世界のマスコミは騒ぎ立てているが、私はソ連は解体していないと見ている。それは表面だけの事である。七○年もかけて出来たあの軍事大国が、あんな茶番劇で解体するはずはない。それが証拠に、あの民主化の過程で世界中から送られたソ連への援助はどこへ消えただろうか。何と、九七バーセントはかつてのソ連官僚機構ノーメンクラツーラとマフィアの手に流れてしまったのだ(「現代」九二年七月号)。私の友人であるアメリカのフリッツ・スブリングマイヤー氏によると、アナトリー・ゴリツィンと言う人物が一九八四年に書いた『古い嘘のための新しい嘘』と言う本には、間
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もなく共産者主義者達が東欧に起こす偽りの自由化が書かれていると言う。彼によれば旧ノ連は自由化されたのではなく、一層強固な共産化が進められているのだと言う。ちょっと、信じられない話だが、一九八四年の段階ですでに東欧に起こるであろう変革について予告していたと言う事は、我々の知らない惰報を持っていたと言う事であり、信ずるに値するものではなかろうか。残念ながら、日本では手に入りそうもないし、翻訳する人もいないだろう。とにかく、今、マスコミが言っていることはほとんど信じられない。ソ連はその中枢に於いて決して変わっていないと見るべきである。
54 #ここ数年中にソ連軍は中東に侵攻する
さて、聖書は現在のマスコミの発表とはまったく違ったソ連を描いている。聖書は終りの時のある日、旧ソビエトに当たる国が大軍をもって中東に侵攻すると言っている。もちろんソビエトと言う名ではない、そしてその日は極めて近いと私は思う。旧約聖書のエゼキエル書というところに不思議な事が書いてある。
#ソ連は復活し中東に侵攻する
「主の言葉がわたしに臨んだ、『人の子よ、メセクとトパルの大君であるマゴクの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して言え。主なる神はこう言われる、わたしはあなたの敵となる。わたしはあなたを引きもどし、あなたのあごにかぎをかけて、あなたと、あなたのすべての軍勢と、馬と、騎兵とを引き出す。彼らはみな武其をつけ、大盾、小盾を持ち、すべてつるぎをとる者で大軍である。ペルシャ、エチオビア、ブテは彼らと共におり、みな盾とかぶとを持つ。ゴメルとその全ての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊など、多くの民もあなたと共におる。あなたは備えをなせ。あなたとあなたの所に集まった軍隊は、備えをなせ。そしてあなたは彼らの保護者となれ。多くの日の後、あなたは集められ、終りの年にあなたは戦いから回復された地、すなわち多くの民の中から、人々が集められた地に向かい、久しく荒れすたれたイスラェルの山々に向かって進む。その人々は国国から導き出されて、みな安らかに住んでいる。あなたはそのすべての軍隊および多くの民を率いて上り、暴風のように進み、
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雲のよう地をおおう』」エゼキエル書38:1〜9
このマゴグの地とゴグという名前について古代ギリシャの哲学者へロドトスはコーカサス山脈の北に住んでいた民族だと言っている。また一九世紀のヘブライ学者ゲセニウスによるとメセクとトパルは共にモスクワ、トポルスクの語源だという。いずれにしてもゴグが今日のロシア民族を指すことは間違いない。この他ゴメル、ベテ・トガルマも現在の東欧の民族であった。これらの大軍がペルシャ(イラン)、エチオピア、ブテ(リビア)と共にイスラェルを中心とする中東に侵攻するというのだ。このような事はいまだかつて一度も起きたことはない。私はこれが、一九八○年代共産主義華やかなりしころのソビェトで起こると思っていた。なにしろ、一九八○年代といえば、イランには不可解な怪僧ホメイニ、ユチオピアには共産主義過激派政権、リビアには赤いタカ派のカダフィがいたのだ。舞台も役者もそろっていた。それにしても聖書とは不思議な書物ではないか。エゼキェルというのはBC五八七年ごろのイスラエルの予言者である。
56 #アメリカが滅亡する日は近い
#ホワイトハウスはユダヤの完全支配下にある
大きな国が滅びる時、それは外部からの攻撃によるよりも、内部からの原因によることが大きいと言うのは歴史の示すところである。アメリカもソ連もすでに内部崩壊が始まっていることは多くの人が指摘している。アメリカに関して言えば、麻薬、暴力、離婚、家庭の崩壊、人種間題、同性愛、貧富の差、働かない労働着、幼児虐侍などなど数え切れない要因がこの大国を蝕んでいる。どう考えてもアメリカの未来は暗い。もともとが多種多様な民族の集合体としてできたこの人造国家は始めから間題を抱えていたのである。それをつなげていたのは明らかにキリスト教であった。アメリカと言う国は、キリスト教によってだけ、国家としての体裁を保っていたのだと言っても過言ではないと思う。アメリカ人には底抜けの明るさと人の良さがあった。それはこの国の人々の信仰の健全さから来る
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ものであった。私が牧師だから我田引水になるかもしれないが、キリスト教は強固な要塞のようにこの国を守っていたのであった。しかし、もはやアメリカは変わってしまった。いや、アメリカは変えられてしまったのかもしれない。私はアメリカが巨大な組織によって、計画的に、長期的なスケジュールにしたがって、この国の楽天的なマジョリティ(最大多数)がほとんどそれと知らぬうちに変えられて行ったと言う報告を耳にしている。アメリカを支配しているのはホワイトハウスだと今でも本気で考えている人間がいたら、それは余程の楽天家である。今アメリカを支配しているのは巨大な組織である。その組織の前には大統領など赤子に等しい。歴代の大統領の多く、またブッシュもクリントンもこの巨大な組織の送り出した操つり人形であった。アメリカの大統領選挙一つを考えても見るがいい、あれほど金のかかる事業を普通の人間やボランティアの組織で賄えるはずがない。巨大な組織の莫大な資金がなければ絶対に当選などできない。アメリカの財政がどういうカラクリでごく一部の懐に入ったか、またどんな風にこの国の経済が破壊されたか、などについて解説するには私は適任ではない。宇野正美氏などの専門知識のある方にまかせよう。しかし、今、私が入手している情報だけでもアメリカは住むにはあまりにも危険なところとなってしまった。
90 #アメリカからキリスト教を絶減さぜる
アメリカでは、今後、生産されるテレビには小さなカメラが内蔵され、いつでも個人の生活を監視出来るようになるだろう。すでに一部では始まっていると情報は伝える。また、電話は全てコンピュータの電子音で録音され、必要に応じて再生される。さらに、コンピュータ、ピデオカメラ、コピー機、ファックス、印刷機などは登録され規制されるというが、本当だろうか。相当の数があると思うし、アメリカ市民が黙って規制を受けるとは思えないのだが。また、人工衛星からの監視によって、家屋の中に居ても体温の一度の変化まで調べる事ができる。手紙は開封しなくても内部を読み取ることができるというのだが、どうもそこまでは信じ難い。アメリカには現在、CIA、グリーンペレー、デルタフォース、フィンセンなどの得体の知れない特殊部隊がいる。その他にも、標識のない黒いヘリコブターに乗った黒づくめの部隊も知られている。この他にも通常の軍隊がいつの間にか国連軍に組み入れられてい
たり、とにかくこの国の軍隊警察機構の複雑さは想像を絶するものである。これらの巨大な力は一体何のためにあるのだろうか。また、FEMA連邦危機管理行動と言うマニュアルは地震、台風、暴動などの危機のために備えると称して、個人情報を収集し個人の管理を進めている。またごく最近入手した情報では、極秘裡に何千というギロチンがメキシコからアメリカに輸入されたという。一体何のために?映画の撮影にしては多すぎるではないか。こんなことは読者は到底信じられないだろう。しかし、アメリカをよく観察しているものには別に驚くほどの事でもないのである。アメリカはそういう国になってしまったのだ。その他、ハリウッドの映画はどうしてあの様に不気味なものしか作らなくなったのだろう。十戒、ベン・ハー、風と共に去りぬ、ローマの休日のような映画の代わりに、インベーダー、エイリアン、ET、ホラー、オカルトばかりになってしまったのはなぜだろうか。麻薬は本当に取り締まっているのだろうか。非常に疑わしい。なぜクリントンはホモを軍隊に入れ、レスビアンを閣僚にしなければならないのだろうか。エイズのキャンペーンでコンドームを小学生にまで配る必要があるのだろうか。驚くぺき事に、キリスト教国であるはずのこの国では、キリスト教のバンフレットを学校やそ
の近くで配ると、犯罪として逮捕される一方で、ほんの子供にまでコンドームを配る事が奨励されているのである。教会は巨大な建物を競い、TV伝道師は天文学的な金銭を集めているけれど、何かがどこかで失われ、何かがどこかで忘れられているのである。こうして、アメリカはいつの間にかキリスト教のよりどころを失ってしまった。いや、初めからキリスト教の国ではなかったのですよと言う人もいるけれど、歴史上これほどキリスト教精神が満ちた国は他には決してなかったと言うことだけは確かである。すでに書いたようにアメリカは聖書に出てこない。では、われわれはアメリカの運命を予測する何の手立てもないのだろうか。実はあるのである。それは聖書ではなく、神に愛された一人の少年によって予言された文書である。
#米国民が祖国を捨て逃亡する日
それはアメリカではなくてアルメニアの国での事であった。アルメニアは世界でも最も古いキリスト教国である。ロシアとトルコに挟まれたこの小さな国には敬けんなクリスチスャンたちが何世代にもわたって信仰を守って来た。今から一○○年程前、ェフィム・ゲラセモヴィッチ・クラブニケンと言う少年がいた。この少年は幼少の頃から信仰深く、祈りの賜物を現し、しばしば長い断食をしていた。この少年が11才になった時、神が七日七晩の徹夜の祈りをするように命じた。その間に彼は幻を見た。それは図表と美しい文字で書かれたメッセージだった。この少年は文盲だったのだが、苦労してこの文字や図表を書き写した。それを村の文字の読める人のところへ持っていくと、それはロシア文字で、一連の警告と教えに関する神からの預言であった。それは将来アルメニアに筆舌に尽くし難い悲劇が襲って来る、その時、何百万と言う老若男女が虐殺されるから、ここから逃げ出さなければならないと言うものだった。しかも、逃げる先まで指定されていた。その少年はまだ世界地図も見たことがなかったが、彼の描いた地図は、その素朴な村人がだれも見た事も想像したこともない大西洋の彼方のアメリカ大陸の東海岸が明白に書かれていた。しかし、避難民はそこに安住してはいけない、新大陸の西海岸まで旅を続けなければならない。そこで神は彼等を祝福し繁栄させるというものだった。しばらくしてエフィム少年はまもなく第二の預言も書いた。その預言はもっと遠い未来についてのもので、人々は「もう一度、逃げ出さなければならない」と言うものだった。
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しかし、エフィム少年は両親に頼んで、この預言を封筒にいれて封をしてもらい、預言について与えられた指示を繰り返した。幻の中で彼は、この第二の預言が、将来その仕事のために、神に選ばれた預言者だけが開けて、読む事ができる、それ以外のものが開けると死ぬであろうと告げられた。多くの人々は少年の単なる空想物語として苦笑しながら聞いていた。しかし、それから五○年も経って、その〃少年預言者〃は「今がその時だ。すぐに逃げなければ皆殺しにされる」と言ったのである。このことを信じた少数の人々は、全く信じない人々の嘲笑と、神の言葉は聖書によって完結しているから新しい預言などないとする〃健全な〃クリスチャンの冷笑の中を、何千年にも及ぶ祖国の地を捨ててアメリカへと旅立って行った。一九一四年、想像を絶する悲劇がアルメニアを襲った。トルコ人が情け容赦ないアルメニア人絶滅を始めたのである。何百万人ものアルメニア人が、家ごと焼き穀され、銃殺され、砂漠に追い出されて、飢えと疲労で死んで行った。この凄まじい残虐行為は世界中から無視され、後にヒトラーのユダヤ人絶滅の青写真と成った。この時多くのクリスチャンがイスラム教への改宗を拒んで殉教の死をとげた。アメリカに逃れたわずかの人々が非常なショックをもってこのニュースを聞いた事は言うまでもない。
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ところであの封印された第二の預言の封筒は、今でもカリフォルニアのあの〃少年預言者〃の子孫が保管している。いつ開かれるのだろうか。興味深い事である。間題はその内容が「もう一度逃げる」と言う点である。初めの状況から考えて、恐らくアメリカから逃げるのであろう。なぜ逃げる必要があるのだろうか。およそ三つの状況が考えられる。
一、ァメリカが人種、経済、環境、道徳などの社会間題で行き詰まり、生活出来ないほど危険になる。
二、単にクリスチャンに対する宗教的迫害。
三、ン連との核兵器の応酬で国土が荒廃する。
この内、一と二はすでに一部が実現している。一番考えられるのは一のケースである。一九九二年一○月日本の留学生がハロウインの日に射殺された。この一事でも分かるように、アメリカは生活することさえ危険を伴う国となっている。一体世界のどこに、ただ訪問しただけの家で射殺される事があろうか。わずか二○○年の急造多民族国家を曲がりなりにも結束させていたのはキリスト教信仰であった。しかし、すでにアメリカはキリスト教的に言うなら背教の道を歩み始めていると私はみている。アメリカはあのロ−マのよう
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に内部から腐り崩壊に向かっていると思う。二のケースは一と連動しているのだが、すでに一○年程前にデイヴィッド・ウイルカーンンと言う牧師は「幻」と言う本の中でアメリカのクリスチャン迫害について警告している。また、最近入手したTV伝道師パット・ロパートンンからの手紙によれば、それは着実に始まっているようだ。しかし、事はそんな範囲の間題ではなく、アメリカと言う国の存亡に関わる間題であるような気がするのであ、。三のケースは考えたくない事だが、ゴグの乱のとばっちりでアメリカに核兵器が炸裂するかもも知れない。いずれにしてもアメリカから逃げ出さなければならない事態が来ることだけは確実である。ではどこへ逃げるのだろうか。これは全く私の独断だが、恐らく南米かオーストラリアであろう。とりわけオーストラリアが最善と考えられる。文化的にも人口の余裕から言って、他は考えにくい。今現在、オーストラリアは移民を厳童に制限しているけれど。しかし、それはあの封印された予言に明確に書かれているわけであり、それが開けられれば今後しばらく地球上で安全な地帯というものが判明するわけである。ところでこの小さな、しかし、驚くべき予言について読者は本当にそんなものがあるのかと疑間に思うかもしれない。この話はアメリカに本部を持つ国際純福音事業家親交会
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(Full Gospel Businessmens Felloship International)という団体の創立者デモス・シャカリアン氏の本に載っていることで、もし、興味があれば本人に間い合わせる事ができる。ただし、大変に多忙な方であるし、私は、直接本人の丁承を得ている訳ではないので、どうしても詳しく知りたい方は私に連絡されたい、日本支部もあるので確認の上ご紹介する。
98 #地球を支配する絶体君主に誰がなるか
あえて大胆な表現をすれば、かくしてアメリカは荒廃し、小国となり、ソ連はロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの国々に分裂して、かつての二超大国は歴史の中に消えさるだろう。そのころ、ョーロッバに巨大な帝国が出現する。もちろんそれとて突然現れるわけではない。すでにわれわれはECと言う聖母が産みの苦しみをしているのを見ている。この聖母は人類史上最大の巨大な帝国と、一人の王を生み出すだろう。その王こそ、歴史上のあらゆる権力、権威、権勢を越える大王であろう。この王は、古くはバビロンのネプカドネザル、ギリシャのアレキサンダー、ローマのカイザル・アウグスト、蒙古のチンギスハーンそしてフランスのナポレオンを全て合わせたような人物である。この人物は、中東の戦乱を収拾し、第三次世界大戦を未然に防止し、人類を破滅から救ったと言う世界中
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の贅歌の中に登場するかも知れない。聖書の最後の書、黙示録の一三章にこの人物は予言されている。黙示録の著者ョハネはこの人物を「獣」と呼んでいるが、人性をもった者である。「わたしはまた、一匹の獣が海から上がって来るのを見た。それには角が一○本、頭が七つあり、それらの角には一○の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた」黙示録13:1〜2この人物をキリスト教会では長くニセキリスト」また「反キリスト」と呼んで来た。ニセと言う以上本物に似ていると言う事である。彼は本物のキリストに似たような、あるいは全く対照的な行動を取る。彼はキリストが神の「ひとり子」(この言葉は単に一人と言う意味ではなく、特別な地位を意味するらしい)であるように、サタンの「ひとり子」であり、キリストが神が受肉(人となった)した方であるように、サタンの受肉した人物である。彼はホラー映画のような、気味悪い姿かたちをしているわけではあるまい。恐ら
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く、ケネディのように魅力的で、キッシンジャーのように賢く、天皇のように育ちの良い印象を与える人物であろう。この人物はユダヤ人だろう。そして、もしかするとすでに生まれているのかもしれない。さらにもしかすると、彼は大金持ちの家の生まれかもしれない。本当のキリストが貧しい大工の子で、馬小星に生まれたのとは反対に、金銀のベッドに寝かされ、多くの宝物に囲まれて育つかも知れない。彼は恐らく、キリストのように三○歳の時突然彗星のように現れ、世界の人々を魅丁し、圧倒的な尊敬と人気を勝ち得るだろう。彼の行くところ世界の人々は歓喜の涙を流し、一目見ようと大騒ぎになるだろう。その時までに人々は、民主主義の腐敗と堕落、無能な政治家の政治にうんざりするように仕向けられているので、史上最高の賢明な独裁君主の誕生と寄跡的な復活に狂喜乱舞し、進んでその前にひざまづき、命をも差し出すだろう。
l02 #どんな帝王があなたの前に現われるか
聖書の他に、この世界の帝王の条件を定義した典味深い文書がある。「シオンの長老の議定書」と言う名で知られるこの文害の、この王に対する定義を筒条書きに抜粋すると次の通りである。
一 この王は国民に対して、家長的で慈父が子に対するように接する。彼はあらゆる事に心を労し、すべての事を知っており、あらゆる窮状を解決するために慈愛に満ちた関心を持って見守るように振舞う。
二、国民はこの支配者の父のような庇護と指導を受けなくてはやって行けないと思う。またその王の絶対的権力を神に等しい畏敬の念を持って仰ぎ見る。ことにこの国の官僚達が権力を乱用することを認めず、この王に盲従せざるを得ないことをみせつけるので、なおさら尊敬を受ける。
三、この王はまずヨーロッパ諸国が服従し王冠を俸げる事によって、全世界の王となる。そのためにはどんな犠牲も払われなければならない。
四、彼は絶えず人民と接触し、人民の前に現れ、演説をするが、その演説の声は電光の速さで全世界に広がる(この文書の書かれたのは約八○年前でラジオがやっと発明され、テレビは発明されていなかった)。
五、この王の身辺警護は極秘の内に行われる。表立ってするような事はかえってこの王の権威を失墜させるからである。そのためにこの王は、スパイやそれと分からない秘密の警察によって囲まれ保護される。
六、この王はユダヤ人ダビデ王の血統から選ばれ三人の賢者によって補佐される。
この定議を読んで日本人ならその最初の二つは別に驚きもしないだろう。我々は天皇制の中にそれによく似た感情をすでに持っているからである。日本はその点、大変な先進国である。三に関しては今やそれが現実になりつつあることに注意したい。とりわけ、
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文書の著者たちは地上から王政を抹殺するという計画をもっているので、その実行力に驚かないではいられない。ヨーロッパに王政はすでにほとんどなくなってしまった。残るはイギリス王室だけである。となると、イギリス王室の行く末が見えて来るではないか。ダイアナ・スキャンダルもその様な眼鏡でみると興味深いのだ。
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その人物はロスチヤイルド家から選ばれる
この王には一人の有能な協力者がつく。ちょうどヒトラーを称え民衆に宣伝したナチスドイツの宜伝相ゲッペルスのような人物であろう。ただし、この人物は恐らく宗教者であろう。「わたしはまた、他の獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして先の獣の持つすべての権力をその前に働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
また大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けても、なお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を員うことも、売ることもできないようにした。この刻印はその獣の名、または、その名の数字のことである。ここに知恵が必要である。思慮のあるものは、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六六六である」黙示録13:11~18
この第二の人物はニセキリストの分身のように活発に働き、ニセキリストを賞賛し、人々にあがめさせ、像を作らせ、至るところに安置する。その像は、どんな方法によってか分からないがものを言ったりする。もっとも、テレビやエレクトロニクスの発達した現
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在はこんな事は簡単にできる。なにしろ、映像を立体的に送信できる、ホログラフさえあるのだから。それにしても、像を作ると言うのはこれら権力者が一致して行うことであるのは興味深い。先には中国の毛沢東。最近では北朝鮮の金日成。また第一の獣は宗教家でない事に注意したい。だから文鮮明や池田大作ではない。彼らは実際はメーソンが泳がせている世界のニセバブテスマのョハネの一人である。彼らはいつかこの人物が出てきたとき「私はこの方の靴のひもを解く値打ちもない」(キリストの先駆者パプテスマのョハネの言葉)と言うだろう。そうでなかったら大きなスキャンダルか事故で抹殺されるだろう。また、自らをマイトレーヤ(弥勅菩薩)と名乗るギルパート・ボーデンでもないだろう。最も近いのがヘンリー・キッシンジャーであろう。彼は実際数年前にアメリカのクリスチャンの間で「反キリスト」ではないかとささやかれた。彼の名「ヘンリー」は後に書くフリーメーンンの本名ヒラマッソンの元となった「ヒラム」の読み替えであり、ノストラダムスが言うところの「チーラン」でもある。しかし、私はどうしてもロスチャイルド家から出てくるような気がしてならない。「シ
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オンの長老の議定書」によれば、その人物はユダヤ長老顧問団の保護観察の元に教育され、極めて洗練された特殊な環境から出てくると思われるからである。この環境に匹敵するのは世界に日本の天皇家しかない。天皇家二六○○年に比べればロスチャイルド家ではその素性に不満はあるものの、その富の大きさから考えて他にはないと思う。日本の天皇家の特殊な価値は現代の日本人よりも世界の指導者の方が知っている。そしてシオニストたちは明らかに天皇に一目置いているのである。そのよい例が、昭和天皇がアメリカを訪間したときのロックフェラーの態度でも分かる。世界の指導者をひざまずかせるあのロックフェラー家当主が、まるで召使のように昭和天皇をもてなし、アメリカ大統領より先に会い、自分の家に招侍したのであった。今や事実上世界の富の大半を握る歴史上最高の大金持ちロスチャイルド家以外に世界帝王が出てくる家があるとは思えない。かつてナサニェル・ロスチャイルドがロンドンのあるユダヤ教会を訪れた時、一人のボーランドからの移民が彼の前に平伏して言った。「主、来ませり」。またあるユダヤ教のラビ(教師)はこう言った。「キリスト教徒にはメシアが居るが、我々には聖家族が居る。」聖家族とはヨセフとマリヤとイエスを指す言業であり、、そこからメシアが生まれてきたのである。しかし、この場合はロスチャイルド家を指し
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て居ることは言うまでもない。そこから、反キリストが生まれて来ると言っているのである。この人物について、聖書はもっと詳しく記している。「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起こり、不法のもの、すなわち、滅びの子が現れるに違いない。かれは全て神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」2テサロこケ2:3〜4
この人物はョーロッバ帝国の王となり、世界を統一しようとするだろう。国連をもっと強化し、強制力のある組織にするだろう。国連は世界最大の軍隊を持つかもしれない。その力を背景に世界中の国々と平和条約を結ぶだろう。それは七年間だと聖書はいう。「彼は1週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そしてその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」ダニエル書9:27
読者は前にキリストの最初の来臨のダニエル書の予言が、七○週であると書かれていたことを覚えておられるだろう。その内、六九週はあのエズラからイエスの洗礼までの四八三年であった。あの時はややこしくなるので説明しなかったが、残る一週、すなわち七年がこの終未の七年である。何とその間に二○○○年のブランクがあったのである。ここに「多くの者、堅い契約」とあるのは、それぞれ国連、世界平和条約を意味しているのだろう。彼はもともとがユダヤ人であるので、中東の盟主となり石油を支配しているイスラェルとは近親関係にあるのだが、突然、彼はこの条約を破ってイスラエルに侵攻する。そして、新装なったエルルサレムの神殿に座るのである。この神殿の中に聖所と至聖所があって、こここそ、ユダヤ人が二○○○年間夢見た彼らの魂の故郷、神の住まいである。恐らくこれが、いわゆるハルマゲドン、世界の最終戦争のきっかけとなるのだろう。しかし、それについてはもう少し後から書くことにする。
109 #ECは統一され、利用され、支配される
#あなたの額にパーコードが打ち込まれる
前の章でわれわれは、第二の獣が第一の獣の像を作らせ、国民全部の額と右手に六六六と言う番号を刻印させるという、黙示録の予言を見た。これこそ歴史上クリスチャンが最も恐れた迫害と苦難の時の始まりを告げるものである。かつてこの数字は様々に解釈されて来た。例えば、ローマ皇帝ネロはその名前が六六六となったという。また、近くはヒトラーもそうだったという。しかし、われわれはすでにこの数字が世界中のすべての商品につけられ、商品管理に用いられているのを見ることができる(黙示録の予言によれば、この数字は商品を買うことと売ることに関わっていた事をご記憶だろう)。それはパーコードと呼ばれる商品の生産販売の管理システムである。今や、すべての商品につけられているこの縞模様の中に、この六六六と言う数字が隠されていることをご存
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じの方も多いのではないだろうか。次のページのパーコードを見ていただきたい。この縞模様の両端と真ん中に、下に数字のない二本の線の組み合わせがある。これはそれぞれ六である。この不思議で便利なシステムは、今や全世界の商品につけられて来ているのだが、一体誰が何の目的でつけているのだろうか。ある情報によると、このパーコードには間もなくFとHの文字が加えられるという(すでに一部では始まっているともいう)。Fとは英語のforehead(額)、Hはhand(手)の頭文字である事はいうまでもない。このパーコードは商品だけではなく人体にも打ち込まれるであろう。「また、小さき者にも、大いなる者にも、自由人にも、奴隷にも、全ての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ…」すでにIBMがレーザー光線によって食肉に打ち込む、目に見えない刺青にヒントを得て人間の手と額にパーコードを打ち込むレーザータットウガン(レーザー刺青銃)を開発生産しているという情報すらあるのだ。何とも変な気がしてくる。まるで聖書の予言を参考にし、それを逆手にとり、忠実にその実現を計っている人々がいるのである。しかも、これは単なる遊びやいたずらの類いで
はない。パーコードの世界的広がりから言って、世界的かつ恐るべき計画性と力を持った超巨大プロジェクトなのだ。オカルト小説や、未来アニメの話ではなく、今、現実に起こっていることである、本当に笑いごとではない。やがて近い将来こんな事が起こるだろう。スーバーに買い物に行くとレジのところで品物がバーコードによってチエックされ、最後に購買者の額か手のパーコードが自動的に読み取られる。それはすぐに銀行の貯金通帳とオンラインで決済され、残額があれば購買者はそのままパスする。旅行も筒単である、駅で切符を購入する時、行く先のポタンを押せばやはり自動的に機械が額か手のナンバーを読取り、切符が出て来る。いや、そんな必要はないのかも知れない。旅行者が改札口を通るだけで全ては自動的に処理され、どこまで行ったか行き先の駅の改札口で銀行のコンビュータから費用は精算されるわけである。税金でもゴルフでもありとあらゆるものが何の手続きも支払いもなく運ばれて行き、同時にその人物の行動のすべてが記録されて行く。政府がその気になれば、国民一人一人の行動、思想、生活習慣の全ての情報が手に入る
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ようになるわけである。
これはまさにジョージ・オーウェルの「一九八四年」の世界である。
#日本ではイトーヨー力堂が最初に採用
間題は言うまでもなく、この刻印のないものは売る事も買う事も出来ないと言う事である。では飢え死にするのか。聖書はこの印はサタンのものだからつけてはならない。「とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺すものは自らもつるぎで殺されねばならない。ここに聖徒たちの忍耐と信仰とがある」黙示録13:10
と言っている。これは実に合理的な社会であると同時に恐ろしい社会である。人間の自由、それこそ人間の人間たる理由なのだが、それは完全に失われてしまうだろう。かつて共産主義社会は密告、監視、拷間、脅迫によってそのような管理社会を作ろうと試みたが、パーコードによる情報社会はもっとソフトに、そしてもっと完全に人間の自由
を奪うだろう。それにしても一体このような大規模なブロジェクトを計画し、実行しているのはどんな団体、どんな人々なのだろう。それはただ単に商品管理の合理性を追及したとき偶然に出て来た結果なのだろうか。それとも、想像を越える規模の巨大な思想集団があって、世界的規模で推進しているのだろうか。このシステムはアメリカのユニパーサル・プロダクト・コード委員会(UPC)とヨーロッバのユーロピアン・アーティクル・ナンバー本部(EAN)が推進しているもので、日本も一九八七年から加盟している。日本で最初にこのパーコードを導入したのははっきりしないが、われわれの身近に現れたのは、イトーョーカドーとセブンイレブンであった。この会社は共に東京六本木のメソニックビルに本社オフィスを置いている。そしてこのメンニックビルというのは、フリーメーンンという世界的な組織の日本支部のビルである(フリーメーソンというのはこの組織に所属する個人のことで、団体はフリーメーソンリーというが、一般に団体の名前の様に使われているのでそのまま書くことにする)。このフリーメーソンについて考察する前に、もう1つの超巨大ブロジェクトについて考えてみたい。
ll6 #世界帝国は統合ECを核に築かれる
前にECが産みの苦しみをしていると書いた。ECは帝王を生み出す前に、国家を生み出す。ョーロッパを統合し、ローマ帝国を再現するために。黙示録の中であの獣、反キリストはローマから出てくるとは書いてない。しかし、前後関係からそれがローマであることが分かる。もっともそれは今のイタリヤにあるローマではなくてローマの文化を伝承する地域と言う意味である。ECは一九九九二年一二月二二日に経済統合され、一つの巨大な市場が出来上がり、それはやがて政治的にも統合され、一つの国家として誕生しようとしている。今、各国や世論で統合反対のムードが沸き上がっているが、これはむしろ当然の事といえる。ヨーロッパの統合は国民や民族の中から産まれてきた希望ではなくて、ある種の人々が強引に押し進めているものだからである。しかし、これらの国民の希望はなんらかの方法で抹殺されるだろう。ECは巨大な意志によって動かされているのだから。
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黙示録一三章の獣には一○の角と七つの頭があった。それで、一○の角は一○の国家、七つの頭はその中の有力な指導者と考えられた。ECが始まった頃、このECこそあの獣に違いないといわれた。しかし、ECが一ニカ国を越えたので「違っていたのか」と言う事になった。しかし、この新しいロ−マは古いローマの回復であるのだから、旧ローマ帝国の関係から考えなければなるまい。旧ローマ帝国が崩壊したときヨーロッバはおよそ次の一○力国に分割された。アングロサクソン、フランク、アルメニア、スエーブ、西ゴート、東ゴート、プァンダル、ブルグンド、シャグリス、ヘルリー。次のページの地図でも御覧のように、これらは現在の東欧を含む大ヨーロッパである。今やECはこのローマ帝国を復元すべく動き出している。だからこそ東欧の自由化があんなにも急激に引き起こされたのである。この統合国家の基本憲法は何と「ローマ条約」と言われているのだ。もともとECはァメリカ経済のヨーロッパ浸透と日本の経済発展に対抗するために始まったと言われている。確かにヨーロッパが統合されれば、アメリカも日本も対抗できない巨大な経済圏が出来上がる。人口三億二○○○万人。経済、文化、教育など全ての面で世界のトッブクラスの三億二○○○方人である。このヨーロッバの国境がなくなり、人間と
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物資が自由に行き交う事となったら、どれほど繁栄した社会が出現するか想像もつかない。加え国境に伴う警備、税関、そのための文書、警備員、事務。それに要する時間的ロスなどがなくなるだけで、どれほどの節約になることか。軍隊、政治、行政は大幅に削減されるだろう。また、ジブラルタルからウラル山脈までありとあらゆる国々の豊富な産物が自由に市場にあふれるなら、どれほど豊かな生活が保障されるだろうか。このおいしい餌を鼻先に突き付けられて、フランス、ドイツはいち早くEC統合に踏み切った。しかし、イギリスのサッチャー首相だけは「国家というものは解体されてはならないものだ」とかたくなに低抗した。だからサッチャーさんの退陣は早晩起こるに決まっていたのだ。私などそれが血を見ないで決まるように祈ったほどである。
#何百年もかけて練られた大プロジエクト
このECの本部はベルギーのブリュッセルにあるのだが、そこには世界の人口の三分の二を管理できる巨大なコンビューターがあって、それは〃獣〃と呼ばれていると言うのだ
から、信じられないような世界である。実際、まるでTVの子供番組か少年アニメの世界みたいだ。しかし、事実はまさに冗談ではないのだ。このような壮大なブロジェクトはある日突然出来上がるものではない。すでに何十年という歳月をかけて準備が行われてきている。いや、何百年かも知れない。このようなブロジェクトの遂行にはいくつかの必須な条件がある。豊富な資金。企画する頭脳集団。多国間を自由に行動できる人材。惰報管理システム。そしてなにより一貫した意志の決定機関である。これを仮に世界政府と名づけよう。この世界政府というスケールを今世界で起こっている全ての事にあてはめてみると実に分かりやすいので試してみてほしい。もっとも欧米の研究者の間では今はまだ、New
World Order(新世界秩序)と呼ばれているのだが。そうそう、あのブッシュさんが言った「世界の新しい秩序」である。現在世界で行われていることは「スクラッブアンドビルド」である。この「新しい秩序」のために古い秩序が破壊されているのである。「古いものは悪いものだ。進歩こそ人類の希望である」と言う幻想が世界に撤き散らされている。それでいて彼らのテキストである、「シオンの長老の議定書]はこの幻想をあざわらっている。「(非ユダヤ人は)この進歩と言う言葉は真理を覆うものであるという
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ことを理解する頭を持っていないではないか。なぜなら真理はただ1つあるのみで、これには進歩の余地などあるはずがない」「新しい世界秩序」のために世界の政治、経済、宗教、家庭の破壊が実行されている。そのもっとも中心がヨーロッパ諸国の破壊と建設である。読者は前に世界帝王を生み出すための条件の中に、ヨーロッバ諸国が服従すれば、世界は服従するとあった事を覚えておられるであろう。その通り、ECは世界政府となり、ECの王は世界の帝王となるであろう。このようにECが産みの苦しみをして生み出す、大ヨーロッバ帝国はそっくりそのまま世界の帝王に捧げられるであろう。それは黙示録のあの獣であり、キリスト教会がいうところの反キリストであり、それはサタンの受肉したひとり子である。そしてサタンとは、神の創造の天地の中でももっとも力ある天使長、ユダヤの伝説によればその名をルシファーと言い、神に反逆し天国を追放された天使の事である。そして、すでにしばしば言及した、巨大な思想集団。意志決定機関とは、その名も「ルシファーの子」という歴史的組織の事である。もっとも彼らはさすがに「ルシファーの子」とは名乗っていないのだが。
122 #フリーメーソンは計画の実行部隊
パーコードに秘められた六六六という数のところで、日本でバーコードを広めた、イトーヨーカドーとセブンイレブンが入っているメソニックビルは、日本におけるフリーメーソンのビルであると書いた。フリーメーソンというのを辞書で引くと、石工の組合と出て来る。中世のョーロッパは建築ブームで諸国は競って大きな建造物を建築した。それらはすべて石造りであったから、当時石工は重用され各国への出入りは自由であった。その石工の組合がフリー(自由)なメーソン(石工)だと言われている。ところがここにもう一つの意味があるという。それはフリーメーソンとはフラマッソンの事でその意味は「フラムの子」というのである。フラム(またはヒラム)とは旧約聖書でイスラエルの王ソロモンが神殿と王宮を建てた時の建築主任である。このフラムはソロ
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モンとその父ダビデと親交の厚かったツロという町(都市国家)の王から遣わされた人であって、極めて有能な人物だったらしい。聖書では彼はソロモンの要請に応じて神殿と王宮を建設したに過ぎないのだが、フリーメーソンの伝説では彼はその後、王宮の秘密を知るものとして殺されたと言われている。そして彼らの信仰によれば、フラムはいつの日か復活すると信じられているのである。ところで、アーサー・ケストラーと言う作家によれば、エジブトのバロ、ローマのカイザル、モンゴルのハーンのようにフラムはツロの王の称号だったという。この国の王は代々フラムと言ったのでこのフラムも王家の出身かも知れない。
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ツロの王、それは聖書の中で特別な意味を持つ言葉なのである。旧約聖書エゼキエル
二八章に次のような不思議な箇所がある。この箇所はユダヤの伝承で天使長の一人で最も権力があったルシファーが天上の神の国から追われた記録とされている。
「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、あなたは心に高ぶって言う、『私は神である、神々の座にすわって、海の中にいる』と。しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、人であって神ではない。見よあなたはダニエルよりも賢く、すぺての秘密もあなたには隠れていない。あなたは知恵と悟りとによって富を得、金銀を倉にたくわえた」エゼキエル書28:1〜4この辺りまでは人間の事、すなわちツロの壬の事なのだがいつの間にかこの王が単なる、人問ではなく天使だということが判る。「人の子よツロの王のために悲しみの歌をのぺて、これに言え。主なる神はこう言われる。あなたは知恵に満ち、美の極みである完全な印である。あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイア、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。わたしはあなたを油注がれた守護のケルブと一緒においた」同
『美の極みである完全な印』とはすごい表現ではないか。彼は余程美しかったに違いない。また、エデンの園にいたと言うのだが、エデンは地上にあった。そうすると、当時エデンは天上の霊界と極めて近い場所、言い換えれば多次元空間との回廊だったのではなかろう
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か。また、ここに書かれている宝石は単なる宝石ではなく、特別な力、権力を意味しているらしい。実はここに書かれている宝石の数は九つであるが、ユダヤ教の祭司の中で最高位の、大祭司の着るかたびらのような衣装には一二の宝石がついている。そして、大祭司はメシア、キリストのひな型なのである。ルシファーは神の子イェスに三つだけ宝石が足りなかった。言い換えれば権力が足りなかった事になる。また、油注がれたケルブと言うのは言わば神の両脇に立つ側近のように偉大で強力な天使である。単数形がケルブ、複数形をケルビムと呼ぶ。象眼と彫刻と言うのは他の翻訳ではタンバリンと笛となっているので、ルシファーは神を称える聖歌隊の指揮者だったのかも知れない。「あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見い出だされた日まではそのおこないが完全であった。あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した。あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、私はあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。
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あなたは不正な交易をして犯した多くの罪によってあなたの聖所を汚したゆえ、わたしは、あなたの中から火を出してあなたを焼き、あなたを見るすぺての者の前であなたを地の上の灰とした。もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる」エゼキエル書28:1ー19
誰が読んでもこれは単なる地上の事ではない。これはツロの王と言う人物を借りて天上の事件、すなわち天使長ルシファーがその地位を追われた事件を語っているのだということは、一読して分かる。彼はあまりにも美しかった故に高慢になり、神のようになろうとして、天上を追われた。そして、それはツロの王として書き記されている。。そのためにツロの王とはルシフアーの代名詞なのである。だから、ツロの王フラムの子とはとりもなおさず、ルシフアーの子という意味なのである。フリーメーソンとは自らをルシファーの子となのる人々の事である。このフリーメーソンがECを造り、反キリストのために王座を準備するために数百年の間、懸命に活発に働いて来た。彼らはその建築家、実行部隊であり、その司令部は、イルミナティと呼ばれる機関である。
128 #世界支配の頭脳集団イルミナティ
インディ・ジョーンズという娯楽映画がある。この映画の監督であるスティーブン・スピルパーグは自分の映画には必ずメッセージがある、と言っている。どんなメッセージなのだろうか。インディ・ジョーンズ「最後の聖戦」という映画の場合、主人公の父がキリストの十字架の血を受けた杯を探している。その杯で聖なる水を飲むと永遠の命が与えられると言うのだ。さまざまな活劇の後に、その杯は見つかるのだが、最後に地震によって生じた地割れの中に落ちて、永遠に失われてしまう。フィナーレでインディは父に尋ねる。「お父さんあなたはキリストの聖杯を失ったが、何かを得ましたか?」すると父は答える「ああ、イルミネイトを得たよ」そして、彼らはタ日に向かって馬で去って行く。私はこれを見て、この監督たちが言いたかった事がよく判った。要するに「キリスト教はもう終りだ。変わってイルミナティの時代が来る」と言っているのである。ではイルミナティとは何だろうか。文字通りには、それは光を受けたもの、啓明されたものと言う意味である。しかし、実は、18世紀にそのことばは、特別な意味を持つこととなった。
一七七六年五月一日ドイツのアダム・プァイスハウブトという人物がイルミナティという団体を作った。この人物はユダヤ人だったが、幼少のころイエズス会の修道士から教育を受けた。中世にヨーロッパのユダヤ人がどんな立場にあったかは、魔女狩りや異端審問の記録を読むだけでわかる。背筋も凍る運命が生まれながらにして定められていたのだ。だから、その記憶もまだなまなましい一八世紀のドイツで、アダム少年がどんな教育を受けたか想像がつくだろう。彼は終生変わらぬキリスト教への憎悪をもった。そしてこのイルミナティを作った。その後イルミナティはフリーメーソンの頭脳として活動を続けた。この辺の事情については特に光文社ムーブックス鬼塚五十一著「悪魔の世界支配計画666」という本が詳しいのでお読みいただぎたい。このイルミナティがどんな実力を持っているかを知りたければ、アメリカの一ドル紙幣を裏返して見ればいい。裏面左側の模様アメリカの国璽といわれているピラミッドは、実はイルミナティまたはフリーメーノンのシンボルである。そしてその基盤に書かれているローマ数字は一七七六五一。これはアメリカの独立記念日だと言われているが、実はアダム・ヴェイスハウブトのイルミナティ創立を祝っているのである。独立記念日は一七七六
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年五月一日ではない。また、ビラミッドの頂上にある目は、ルシファーの目である。清教徒ビルグリムファーザースによって建国されたはずのアメリカの国璽は、何とルシフアーに捧げられていたのである。これらについてはやはり前述の鬼塚氏の本か、その他多くの参考書があり、私のは孫引きにすぎないので興味のある方は巻未の参考文献から適当にお読みいただきたい。
130 #戦争も革命も暴動も思いのまま
今やアメリカは元より欧米各国の支配層はほとんどフリーメーソンかイルミナティであると考えて間違いはない。アメリカ大統領などイルミナティの許可がなければ何もできないはずである。アメリカのホワイトハウスはイルミナティの、イルミナティによる、イルミナティのためのものである。時には彼らも彼らに従順でない大統領を認めざるを得ない事があった。しかし、そんな時はケネディのように白昼堂々暗殺すればいい。まは途中で従順でなくなれば、1国の大統領の執務室に盗聴装置を取り付けて、しかも、ご丁寧
にも彼らには都合の悪い相手の声だけが消えてしまうと言う不思議なテーブを公表してその座から引きずり下ろせばいいのである。ニクソンのように。アメリカを実質的に支配しているのはホワイトハウスではない。その上に誰も知らないブラックハウスがある。そのブラックハウスはさらに上の〃光り輝く〃イルミナティハウスによって支配されている。戦争も革命も暴動も思いのままに操る事が出来るイルミナティ。それほどのバワーが全く一般の人々の目には触れず活躍できるものだろうか。どうも彼らには出来るらしい。そして、そんなことを言う奴の方が変で、全ては偶然に起こっているのだと思い込ませるこの巧妙さはまさにルシファーの知恵であろう。私はこのイルミナティの最高権力者三三三人のリストを持っている。それは二○人の王
と十三人の祭司、三○○人の君(王子)からなり、欧米の政治、金融、商工業の代表者ばかりである。いずれも途方もない富豪である。王たちの中にはロックフェラー、ロ
チャイルドが入っていることは言うまでもない。祭司や王子の中にはその道の専門家が見れば興味深い名前があるのだろうが、私にはあまり判らない。イルミナティはこのようにほんの一握りの人々からなり、そして、その頂点の一つの家族によって支配されているのである。それこそ、恐らくあの獣の〃聖家族〃である。
かつてこれほどの富と権力とを手中にした家族があっただろうか。想像を絶するその富はどうしてできたのだろうか。いろいろの方法はあるだろう、しかし本当はこうしてできたのだ。「次に悪魔は、イェスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とをみせて、言った『もし、あなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう』」マタイによる福昔書4:8〜9
この家族と王、祭司、王子たちがサタン礼拝者だという事は知る人ぞ知る秘密である。
132 #出版には圧力がかかり抵抗すれば殺される
私はよく次のような質間を受ける。「本当にフリーメーソンとはあなたの言うような危険な集団なのだろうか。そのような陰謀があるという証拠はあるのか」私は一介の牧師である。フリーメーソンのような、世界的で、有能かつ有力な人々の集団を詳しく調査研究するすべも力もない。しかし、私のような小さな者でさえ、この集団を少しでも調査研究することは非常な危険を伴う事だという事が分かる。私の知る限りでも無数の人々がこの研究または警告をしたために殺されてきた。もしそのような陰謀が
ないなら、どうしてそのような危険が存在するのだろうか。どうしてゲイリーアレンやラリー・エブラハムの本はアメリカでは一般の書物の販売ルートに乗せる事が出来なかったのだろう。日本でもこの手の本の出版にはどこからともなく圧力がかかるのである。陰謀がないならなぜ、研究者たちは電話の盗聴、手紙の開封、危険物の配達、交通事故、不慮の死を覚悟しなければならないのだろう。さらにやっかいなことに、この世界的な陰謀を調査研究し、発表する時どうしても陥る罠がある。それはユダヤ間題、反セミチズム(反ユダヤ)とのからみである。研究者はほとんど反ユダヤ主義者ではない。むしろ歴史上の反セミチズムに憎悪を抱き、ユダヤ民族のこれまで被って来た迫害と惨劇の歴史に限りない同情心を持っているのである。それにもかかかわらずこの壮大な陰謀の首謀者の集団がユダヤ人であると結論づけないわけにはいかないのである。世界のユダヤ人のほんの一握りの邪悪な人々が想像を絶する権力と金力を持ってこの陰謀を押し進めている。ほかのユダヤ人は時に迫害され、時に利用され、時に動員され、時に同胞であるこれらの集団の犠牲にさえなっている。これらの集団は実に巧みに、ユダヤ人の悲劇を隠れ蓑に、自分たちの陰謀を妨げるものを排除出来
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るのである。この手口があまりにも汚いので、当のユダヤ人の中からさえ反発を感じるものが出て来る。私たちがある種の情報を入手出来るのもそのためである。その上、フリーメーソンやイルミナティでさえ、実は本当の陰謀の本営ではない。私たちは余りにもあからさまであるがゆえに偽書と言う烙印を受けた書物からその神髄を知ることが出来る。「われわれの天下になるまでは、メーソン結社の支部を世界各国至る所に増設して現在または未来の偉大なる人物を網羅して加入させることに勤める。なんとなればこの結社は重要なる謀報機関であり、感化機関であるからである。メーンン支部はユダヤ人をもって組織されている最高本部において統括する。この最高本部の存在をメーソン結社員以外には絶対秘密にしなければならない。各支部には本部より発する密令を左右し、かつ貴任をもって実行し、かつ本部の存在を隠蔽するにたる代表者を配置するであろう。各支部には社会のあらゆる階級の者を引き入れてあるから、これらの者らによって革命運動家および自由主義運動者らと連絡がとれ、その情報が摩断無く集まってくる。これによって政治外交上におけるいかなる秘密計画も決定せる当日に容易に
探知することが出来るので、最高本部においてはただちにこれらの詳細な報告に接する事が出来る」「我々の行政の仕方は、極めて鋭い観察と分析に基づき、また非常に巧緻な構想に基づいているので、何人といえども、我々と太刀打ち出来るはずがない。我々の政治的計画の作成および、我々の秘密結社の一致団結力は、何人も比肩する事は出来ないのだ。一人ジェスイット教団のみは、我々と比較され得るかも知れないが、しかし、我々は好策を巡らして、彼等の信用をして無知な大衆の信用を失墜せしめる事に成功した。そしてこの成功を得られたのは、ひっきょう我々ユダヤ人がメーソン秘密結社を作って、その陰に隠れていたのに、彼等は目に見える団体をつくっていたからである」(シオンの長老の議定書より)
#どんなに尽くしても惹に反したら消される
フリーメーソンはその構成員の中には大量の非ユダヤ人を含んでいる。むしろ非ユダヤ人の方が多いだろう。そしてそれらの異邦人はフリーメーソンが世界制覇を目指す集団だなどとは思っても見ないかも知れないのである。多くの異邦人はそれはかなり風変わりで、退屈しのぎには格好の、有閑階級の団体だと思っていることだろう。またこの団体に属した途端に、銀行の融資がスムーズに運び、いろいろな利権が与えられることに有頂天になっているのかもしれない。しかし、それが実は周到に用意された彼等の計画だと言う事はちょっと調べてみるだけでも分かるのである。「我々は、非ユダヤ人を欺かんがために、『虚偽の国家論』を考案してうまずたゆまず、それを彼等に吹き込み、寸時も彼等にその裏面を察知する余裕を与えなかった。かくのごときやり方をした理由は、我々が『国家崩壊、世界革命』の宿望を達するにしても、世界各地に散在している我々ユダヤ民族のカでは真すぐな道を辿って来るには荷が重すぎたので、あえて回り道を選んだのである。これがすなわちメーソン秘密結社を組織した所以である。そもそもメーソン結社が何を目指しているのか、はたまた目的達成後における我々ユダヤ人の実施せんとする理想について、多くの非ユダヤ人は知っていないばかりでなく、自分の国家に一大重大事が襲っていることさえ気がつかぬ。
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彼等は只ただ我欲一点張りで、眼中には国家も社会も無いからである。彼等の思想は、自発的に生まれたものでなく、我々によって、永年吹き込まれていることに徴しても明らかである。非ユダヤ人がメーソン結社に加入するのは好奇心からか、あるいは結社のお陰で何か旨い汁にありつかんとするためか、または公衆の面前で懸河の弁を揮い、無稽な空想を吐露する機会を得んがためである。しかして彼等は演説の成功と、我々が与える拍手を渇仰している。我々は故意に彼等の演説を成功させるが、それは彼等の自負心を利用するためである。自負心がある時は、自説は譲らず、他人の説は容れることが出来ないと自信しきっているから、かえって乗じやすく我々の意見を注ぎ込むにはもってこいである。非ユダヤ人が自負心に慢じきっている時は、いかに彼等を子供扱いすることが容易であるかは、ユダヤ人諸君の想像以上である。すなわち些細な失敗、例えば拍手を止めるだけでも彼等をまごつかせ、成功を回復しようとする奴隷的服従を表さしめる事が出来る」(同)いささか古い訳で分かりにくいと思うが、なんとも見事に人間の本性を暴露しているで
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はないか。また、要するに全く信用していないのである。それどころか、巧みにその名誉心、功名心、金銭への執着心をかきたて、彼等に隷属させ利用するのである。こうして取り込まれた非ユダヤ人メーソンは彼等の忠実な従僕であるかぎり、様々な特典を享受することになる。なにしろ相手は世界の富のほとんどを手にしているのだから少しばかりの給料を支払ったからといって損はない。しかも、その給料でさえほとんどの場合非ユダヤ人の懐から出るようになっているのだ。さてしかし、これらの異邦人メーソンが少しでも反抗し、または無用となった時には彼等は情け容赦なく切り捨てる。殺す。これはユダヤ人の結社員でも同じである。滑稽なのは日本人に対する彼等の対応である。日本にもメーソンは居る。ところが日本人はどうも彼等の思い通りにはならないらしいのだ。それもそのはずで、メーソンは本質的にユダヤ教の思想体系によって成り立っている。しかし、日本人は彼等の一神教が分からないから彼等の呪縛の虞にはならない。欧米人は強固なキリスト教徒でないかぎり、この思想を吹き込む事は筒単なのだ。しかし、最近では彼等の思想体系は東洋思想に近づいて来ている。いや、最近のニューェイジムーブメントなど東洋思想そのものである。その意味ではメーソンは変わって来ているのかもしれない。あるいはフリーメーソンの存在そのものがすでに無用と成りつつあるのかも知れないのである。
138 #この有名人たちがユダヤに処刑された
彼等のやり方を知るために、彼等の犠牲となったとおぽしき人々のリストを以下にあげる。もちろんすべてに確証がある訳ではない。まさか、あなた方がこれらの方々を処刑したのですか、と聞くわけにもいかないし、聞いたとしても答えるわけがない。すべては推測ないしは彼等のやり方にあきれて、反対者となった人々の証言に基づいて居る。そして、これはその犠牲者のほんの一部に過ぎない事をも付け加えておく。
ロシア皇帝アレクサンダー:すべてのメーソンロッジを蔡止して。
ジョルジオ・アンブロッソ:イタリヤの銀行家、P2に法的に介入して。
ランドール・ベアー:かつてのニューエイジのリーダー、クリスチャンになり秘密を暴露したために。
ウイリアム・ブラーナム牧師:、イルミナティの育てた魔女たちが教会に清入していることを暴露したため、アルコールで殺され名誉を失った。
ブロンソン上院議員: ニューディール政策に反対、飛行機事故で。
チャリニ教授:タルムードを訳そうとして。
トム・コリンズ: 喋りすぎたために。
グレース王妃: 知りすぎたために。
トスカー二大公 メーソンを非合法化しようとして
J.F.ケネデイ: 世界統一のシステムに加わっている一人一人をチェックしたため
リンカーン: ケネディと同じ
ウイリアム・モルガン:メーソンの事を書きすぎた。
ナポレオン三世: メーソンとの公約を破ったため。
ヨハネ・バウロ一世: カトリック内部のメーソンをチェックしたため。
ジョージ・ポーク: CBSキヤスター○チェース・マンハッタソ、メーソン、CIAとつながっているギリシャ人エリートを調査中行方不明に。
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I.B.ブラネチス牧師:タルムードを暴露しようとして。
サムエル・プリチャード:メーソンの事を暴露したため。
マクドナルド下院議員:反メーソンの有力者。大韓航空機でサハリン上空で処刑。
スチャル上院議員:ルーズベルトとュダヤの関わりを批判、車で礫殺される。
エレン・スレード:イリノイのロッジとの協力を拒んで。
マーピン・スミス:法廷に呼ばれる前に。
ノア・スミス:ー七九八年マンチェスターでメーソンに反対して。
ヴェルナのディダカス:クリスチャンユダヤ人。ユダヤ計画を暴露しようとして酷い殺され方をした。
(以上フリッツ・スブリングマイヤー著「へびのように聡く」より)
フリーメーソン、イルミナティの組織とその関連分野を描こうとするとそれは壮大な巻
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物になる。世界の政治、経済、学術、文芸、スポーツ、娯楽、宗教などあらゆる分野のほとんどトッブクラスが網羅されるだろう。そして、それらは広瀬隆氏の「赤い楯」によればすぺて閨閥によってつながれていると言うのだから正に事実は小説より奇なりである。メーソンの組織は厳格なヒェラルキー(位階制度または階級制度)によって築かれている。そしてそれぞれの階段を上って行くには、それぞれの学習と儀式を通過しなければならない。前ぺージの図はメーンンの組織の名称である。しかし、明らかにこの組織図はメーソンのヒェラルキーの一部分に過ぎない。実際にはアメリカの一ドル紙幣の裏側にあるピラミッド(図参照)がその全体像を示している。最下部にはロータリークラブ、ライオンズクラブ、キワニスクラブ、ポーイスカウト、ガールスカウトなどの社会福祉の団体がある。もちろんこれらの団体員は自分たちがフリーメーソンと言う組織の一部などとは夢にも思っていないだろう。しかし、やがてそれらはアメリカの実質的な支配者である外交間題評議会(CFR)、イギリスの王立国際間題研究所(RIIA)などとなり、これらの連絡機関であると思われるビルダーパーガーソサェティ、日米欧三極委員会(TC)、国連などを産み、やがてキリストの十二使徒ならぬ、ルシファーの一三使徒ファミリー、二○人の王を経由して謎の〃目〃にたどりつく。この
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目は「全てを見通す神の目」と言われていた。しかし、実際にはルシファーの目である。この目は国連の瞑想の間にもあるという。しかし、実はこのピラミッドもルシファー王国の一部に過ぎない。各分野のヒェラルキーは最終的に集まって図のようなコアとなる。従来この王国を組織図にすることは非常に難しかった。それは各分野を一緒くたにして考えたからである。しかし、このように各分野をそれぞれのケーキの一辺と考えるならば実に分かりやすい。そして、中心となる最高権威は全て一点に集中している。
146 #エホバは誤読でものみの塔はユダヤの手先
ひところ若者たちの間でヒランヤなるものが流行った。それは正三角形を二つ向かい合わせに童ねたいわゆる六角星の事で、ユダヤ人はこれをダビデの星と呼び、現在のイスラェル国旗にも使われている。しかし、ダピデがこのような紋章を便ったという記述は聖書には全くないので、恐らくユダヤ人の伝承であろう。また、これをヒランヤと呼ぶように
なったのはいつの頃からだろうか。ヒランヤとは恐らくヒラムヤーの事であろう。それは「ヒラムはヤハウェである」という意味になり途方もない冒漬のことばである。ヒラムは神、それも唯一全能の神だというのだから正にフリーメーソンの思想そのものである。もともとユダヤ人の名前にはヤーという神の名の短縮形がよく用いられている。例えばネヘミヤ、エレミヤ、アザリヤなどである。これらはそれぞれ「ヤハウェは慰め」「ヤハウェは高き方」「ヤハウェは保護者」という意味である。また、いわゆるイェスとはギリシャ読みで、ヘブル読みではエホシヤまたはョシュアの事であり、この場合は「救い主なるヤハウェ」または「ヤハウェは救う」と言う意味になる。その点からも人類の救助者はヨシュアすなわちイェスという名である事は定まっているのである。ヤハウェとは「在りて有るもの」という意味でYAHWEHと現す。これはモーセがエジプトからイスラエル民族を解放するための指導者として、シナイ山で神から任命を受けた時に、モーセがあなたの名前を教えて下さいと質間したのに答えたもので、言わば聖書の神の国有名詞、本名である。ユダヤ民族はこれを非常に尊い名と考えた。それはモーセの十戒でこの名を「みだりに唱えてはならない」と戒められたからである。そのために聖書を朗読する時この名の所だけ沈黙するか、アドナイという神の一般名詞の音を用いたと
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言われている。もともと聖書は書記の手により筆記して継承された。これを写本と呼んでいる。その際、筆記の便のために母音を書かないで子音だけを書いた。そのためにヤハウ工はYHWHという四文字で書き表された。この四文字を特にテトラグラマトンと呼び最も聖なる文字とされた。ところでこの四文字は長い間発音されないうちに、いつしか本当の読み方が分からなくなってしまったと言われている。しかし、やはり不便だと言うわけで一二世紀ごろ、ユダヤ教の教師(ラビ)たちはこのアドナイ(ado
nai)の母音aoaiをつけてYaHoWaHと呼ぶようにした。しかし、どうもそれではもともとの名ヤハウェに近いというので最初のaをeに変えエホパと呼ぶ事にしたと言われている。宗教改革のころからキリスト教会でもこの名が用いられるようになり、一般に定着してしまった。しかし、これは明らかに誤読であり、しかも意図的に誤って読まれているのである。我々の名字でもその子音に勝手に母音をつけたら全く違った名になるのだから、この呼び方は改めなければならない。最近ではキリスト教会でもエホパと言う呼び名を使わなくなっている。それは例のものみの塔「エホパの証人」がこの名を「聖なる名」として盛んに用いるからでもある。聖なる名なら正しく呼んだ方がいいだろうに、エホバに固執するのはもともとこの宗教がユダヤ教的である事の証拠でもあるだろう。
148 #シオンの長老の議定書通り世界は動く
さて読者の中には私が引用した「シオンの長老の議定書」なるものについて少しはご存じの方も多いだろう。その内恐らく九○%以上はその文書が偽書だと信じておられるだろう。この文書が偽書であるという説のためにこの文書の何万倍もの文字が書かれてきた。それでいて、この文書は書物とも呼ぺないほどうすっぺらな小冊子なのである。これは実に珍しい事である。一つの書物が贋物だという事を証明するだけに途方もない情熱と努力が傾けられているのである。それほどこの書物の影響は大きく、重大だということになる。実際、もしこれが本物ならそれはユダヤ人にとって非常な悪評判をもたらし、もし、贋物ならユダヤ人に対する極度のいやがらせである。だから、ユダヤ人は必死にこれを贋物だと言うのだが、非ユダヤ人の中にもまた、一生懸命贋物であることを証明しようとする
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人々がいる。それでいて、偽書だと信じている人々のどれだけの人が本当にこの文書を読んだ事があるのだろうか。この文書の珍しさは単にそれだけに止まらない。この文書の印刷、出版、搬送には時には軍隊すら投入されて阻止されようとしたと言われる。翻訳者は翻訳しただけで殺されたと言われる。日本でさえこの文書の解説をした学者はその後なぜかかたくなに筆を折り、沈黙している。およそ書物の価値と言うものはその内容によって決定される。聖書はその成立の過程も神秘的だが、二○○○年来読まれ続けてきたのはその成り立ちではなく、内容によるのである。もし、ある書物が偽りであったら、すぐに馬脚をあらわし人々に顧みられなくなるであろう。だからこの文書が偽書であるとしても大したものであるわけだ。私自身はこう考えている。もしある人が一枚の地図を手に入れたとしよう。ところが、だれかがやって来てその地図は贋物だと教えてくれた。しかし、その人は構わずにその地図の通りに歩いて行ったら目的地に着いた。ではその人はその地図とその地図が贋物だと言った人のどちらを信じるだろうか。「シオンの長老の議定書」の価値はその内容が、事実その後の世界で証明された点にある。
150 #シオンの講定書はいかに読むぺきか
たしかにこの書物はあまりにもあからさまな悪徳に満ちている。一体これほど正直に自分たちの罪深さを文書に記す事などあるだろうかと言う疑間はある。誰かを陥れようと計画したならそれは実に見事な手腕である。しかし、全く火の気のないところから、ただ人を陥れるだけの目的で、これだけの思想を作り出せるものだろうか。しかし、この文書が目的達成のために唱導している悪徳は、立場を変えれば悪徳ではなく、形を変えた軍事的な作戦計画である。本来、軍事作戦には卑怯も不道徳もあったものではない。考えられる最悪の悪徳すら実施されるものである。
#議定書は世界支配のための軍事作戦計画
この文書の冒頭には次のように書かれている。「ある国が敵と戦っているとき、いかなる戦争の手段を用いるとも、作戦の計画を敵に知らせず、夜陰に乗じて攻めても、不道徳だとは非難されずに済むが、『社会の秩序と安寧を乱す』手段がなぜ不道徳と言われなければならないのか」その内容が、事実その後の世界で証明された点にある。
この文書を実際的な軍事作戦計画だと考えれば、至極当然の事で、非難中傷する理由はない。ただ、それが平和な時代の真ん中で、しかも、世界的で、数十年(思想そのものから言えば数百年)の規模で行われるから、驚いてしまうのである。一体だれがこの様な文書を書いたのだろうという疑間は当然出てくる。しかし、先程から述べている二つの立場から、それぞれの果てしない議論に巻き込まれてしまうので詮索する事は無駄なことである。この文書の主張はひとことで言えば『ユダヤ人の帝王を頭とする世界政府を樹立するための作戦計画』である。その内容についていちいち解説しようかとも考えたが、大変な作業となってしまうし、私にはそれだけの才覚もない、もっと有能な人々がすでに、幾つかの本を書き表しているので私は差し控えたい。とにかく一度、現物を手に入れて読んでほしい。この文書を実際に読まないで発言する者は最も愚者である、発言する資格もない。読めば、今、世界と日本で起こっていることがすでに事細かく予言されていることに唖然とするであろう。もしこの文書がただユダヤ人の評判をおとしめ、彼等に対する追害と偏見を正当化するためだけの目的で書かれたと言うならば、どうしてその後の世界史がこの文書の通りに動いてきたのか。不思議な事この上ない。読者は二○世紀がこの文書の予言
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通りに動いて来たことに気がつかれるだろう。それは決して偶然ではない。まさにフリーメーソンのF.D.ルーズベルトが言ったように「政治には偶然起きるものは何もない。何かが起これば、それもそのように計画されていたと考えて間違いないのだ」
#日本の政治経済の破壊も予定通り
「政治と道義とは全く没交渉である。道義を基礎とする為政者は政治家ではない。それだから、その地位を持続することは出来ない。いやしくも為政者たらんとするなら、肝策偽善を弄しなければならない。すなわち天真爛漫と正直とは政治にとっては罪悪である。その理由は、これらは最強の敵に勝っても、確実に王位を転落せしめられるからである」(シオンの長老の議定書)
近年とみに日本の政治家の腐敗堕落が叫ばれている。次々と明るみに出る、取賄、贈賄疑惑、云々。新間、TVは毎日これらの情報を流し続けている。「攻治家は清廉潔白でなければならない。天真爛漫、正直でなければならない」
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この倫理感によって評価されるなら、日本からも世界からも政治家というものは無くなってしまうだろう。私だって金丸氏の蓄財には呆れ果てている。しかし、政治は汚いものだと思う。もともと人間が汚いものなのだ。その人間社会を統率する政治が清らかな愛の手で行われるなどということは絶対ありえない。あるとすればそれは神による直接統治であろう。民主主義はそれを構成している民衆以上の政治家を生み出すはずはない。その意味において私は完全なペシミストである。それでもクリスチャンかといわれるだろうか。だから日本人は無知なのだ。キリスト教の根本は人間に対する徹底的な絶望から始まるのである。日本においてはなぜかキリスト教が、愛と善に満ちた人間の宗教という視点に置かれてしまった。確かにキリスト者はそれを目標としている。しかし、そのためには人問の中にその様な資質はまったく期待できないのだという確認から始まらなければならないのである。聖書は人間が全く罪に満ち、自分の努力では、いかようにも救われないと言っている。それが旧約聖書の中身である。それに対して、新約聖書はだから神が人となって救いに来たのだというのである。上記の議定書の言葉は好むと好まざるとにかかわらず真理である。私は読者が必ず憤り批判をされるだろうと思う。しかし、これは人間の本性であって、この文書は単にその本
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性を暴き出しているに過ぎない。今のように政治家が何をするにも明るみに出され、一から十まで清潔な倫理感で動かなければならないとされるなら、日本は必ず破滅するだろう。そしてそれこそ彼等が目指している目標なのである。彼等は自由、平等、博愛という互いに矛盾する言葉をもたらした。ゲーテは「自由と平等が両立するなどと本気で考える人間がいるとしたら、それは狂人だ」と言っている。彼等は民主主義、自由、権利という言葉を人間社会に持ち込んだ。これはあたかも絶対的な真理のようにすべての人々に受け入れられた。しかし、これらは実際には有り得ない事だったのである。ちょっと考えてみただけでも、もしすべての人が互いの権利を主張したら、そこに平等な社会など成り立ち得ない事は分かるではないか。そのためには人間が、利己
欲望、嫉妬、憎しみなどの感情から完全に解放されていなければならない。「大衆はあらゆる機会に自己の野蛮性を発揮するもので、大衆が自由を握れば、必ず無政府状態に変えてしまう」「我々が『自由、平等、四海同胞』という言葉を民間に放ったのはすでに古代の事である。それ以来、これらの標語は、無意識のおうむ返しによって、何度となく復習され、世界の幸福と、個人の自由とを破壊した」
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「かつては信仰が人心を掌握し、世が治められていた時代もあったが、自由の思想は、何人もこれを適度に利用し得ないから、人民の自治を許しておけばたちまちに放縦になる。この瞬間から内乱が起こり、内乱は社会闘争を誘発して、ついに国家は動乱の巷と化す」
156 #その時会ての白由は奪われる
読者は「ではお前は自由や平等が悪いものだと言うのか。封建制度や絶対君主制がいいと言うのか、お前はファッショがいいのか」と言うだろう◇この文書はこう言っている。「貴族は、人民の幸福と密接な関係にある『自己の利益』のために、人民の自然的保護者となり、人民の扶養者であった。それを人民は我々の指導の下に撲滅した。今や人民は無慈悲な成り上がり者や詐欺漢である、富裕農民の圧追の下に坤吟している」この辺がこの文書の偽書と思わされるところなのだろうが、しかし、本当にフランス革
命、ロシア革命によって民衆は幸福になっただろうか。本当に貴族階級は搾取するだけだったのだろうか。その後に出来た政府は民衆の幸福のために働いただろうか。我々が今受けとっている歴史感は本当に正しいのだろうか。「我々は、従来の古代語(ギリシャ語、ラテン語)授業と、善例よりも悪例を教える古代歴史の学習を廃する代わりに将来の諸方面に必要な学科の研究を第一とさせるであろう」彼らが世界政府を樹立した後はこうすると言うのだ。善例より悪例を教えるとはよく言うものだ。要するにこういう事である。人間は理想の政治を求めている。無私で清潔で倫理感に溢れ、理想に燃えた政治家を求めている。だから、J.F.ケネディのような人が出ると熱狂して歓迦するのである。しかし、ケネディが本当に無私で清潔で倫理感に溢れた人だったかどうかは多分に疑間である。また、実際ドイツ国民はあのヒットラーを理想の指導者として熱狂して迎えた事もあったのである。歴史上本当に理想の政治家など果たして存在しただろうか。恐らく一人として居ないだろう。それは本来、人間には無理な注文なのだ。しかし、彼らは自分たちが権力を握るまではこの理想論をかざし、民衆を焚き付けて、無
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理難題とも言うべき基準を自分たちの指導者に要求させる。こうして秩序を破壊し、自分たちが絶対権力を握った後は、彼等は絶対的な圧政をもってそのような要求をふみにじって行く。彼らははっきりと、自由と言う言葉も抹殺すると言っている。「自由なる標語は、人間社会をしてあらゆる権力と抗争せしめ、神および自然の威力に対してすらも闘争を仕掛ける。それゆえに、我々ユダヤ人が王位についたならば、我々はこの標語を人類の語桑から抹殺しければならない。なぜならこの標語は大衆をして、血を好む猛獣の如く化さしめるからである」
158 #日本の国債は国家を譲渡する額に達している
この文書はまた、どうやって国家財政を破綻させ、結局、国家そのものを担保に取ってその国を収奪するかについてまで書き記している。それは国家の借金、国債によってである。この文書は国債の発行が、結局は国家そのものの譲渡につながるものであることを明らかにしている。またその発行の仕方まで教えている。そして、実にその通りになっている。株でも債券でもまず小出しにして、投機をあおり、売り切れたと公表すれば人々はあわてふためいて買い漁るだろうとも書かれている。私は経済には極めてうとい人間だが、この辺りの描写となると、まるでここ数年の日本バブル経済の崩壊のシナリオを読んでいるようでおかしくなってしまう。すでに昭和六一年に失島鈎次氏は、日本の国債は今や絶対に返せない額になっていると「ユダヤ・ブロトコール超裏読み術」に書いている。この本は極めて示唆に富む内容だったが失島氏はそれ以来全くこの種の本を出していない。早い話が、命あってのものだねと言うわけだ。事態は決して改善されたわけではない。いずれ日本は国家そのものをかたにして金銭で売り渡すか、さもなければ我々の子や孫が必死に税金を支払っても支払っても足りないと言う事になるだろう。実際、ものごとはそんなに単純なのだろうか。人間は多く集まれば集まるほど単純化されていくものらしい。これはヒットラーが単純化したスローガンで成功を治めた事でも証明されるだろう。とにかく一度読んで見る事である。この文書をこんなに自由に読む事の出来る国もそう残されていないのだから。
160 #同情すべきユダヤ人と悪魔のユダヤ人
若い頃、確か日本名で「大いなる戦場」と言う名前の映画を見たことがある。原題はCast Giant Shadowだったと思う。これは第二次大戦後のイスラェル建国の戦いを描いたものであった。この中で、敵中深く侵入して包囲され、炎上する装甲車を見ながらイスラエルの将校が叫ぶシーンがある。「ああ神よ、なぜ我々を選ばれたのか、なぜ我々を放って置いてくれないのか」これはユダヤ民族が二○○○年間叫び続けた本音であろう。異邦人である我々日本人にはとうてい分からないが、ユダヤ人は神に選ばれた民であるがゆえに、他の民族が経験した事のない苦しみを経験し、味わった事のない悲しみを味合わねばならなかった。オギャーと生まれた途端に彼らは呪われ、疑われ、追害と拷間を受け、何の言い訳も聞かれずに
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殺されて行った。とりわけ中世ヨーロッバ社会においてほとんど異常としかいいようのない扱いを受けた。よくナチス・ドイツの迫害が取り沙汰されるが、ナチスなどほんの数年である。中世は数百年間、ナチスなど足元にも及ばない迫害にさらされたのである。異端審問と言う恐ろしい裁判があって、審問官と言う役職はカトリック教会の司祭が当たったが、彼らは極めて誤った信仰的情熱でことに当たるから常識では考えられない事態が発生した。魔女裁判も同様で、魔女と言う言葉はユダヤ人女性と同義語であった。ユダヤ人の女性は人間的には真面目で教養も高く立派な女性が多かったのだが、ひとことあの人は魔女ですと訴えられたら最後死ぬまで拷間に会うのだった。偏見に満ちた裁判には正義とか公平と言う概念は全くなかった。特に一五世紀スペインのイサベラ女王の下にいたトマス・トルケマーダと言う司祭は、その生涯をユダヤ人の異端審問に費やしたのだが、彼の〃信仰〃に基ずくユダヤ人迫害の情熱は常軌を逸したもので、その拷間の残酷さや、処刑の方法は背筋の凍るものであった。これにはユダヤ人側の間題もあったかもしれない。例えば、ユダヤ教の経典であるタルムードには異邦人は動物だから殺しても罪にならないとか、その財産を奪ってもよいとか書かれているという。しかし、たとえそうであっても、ユダヤ人は異邦人に比べれば圧倒
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的に少数派なのだから、彼らの側から攻撃を仕掛けるということは出来るものではなかっただろう。勝者が勝ち誇って言うのではなく、少数のおびえた人々が互いを励ましていたにすぎないのではなかろうか。そして、ユダヤ人ならずとも人類はみな少しでも毛色の変わった相手には偏見を抱き不信感と敵意を持って来た。だから、ユダヤ人だけがひどく偏見があったのではなく、むしろユダヤ人こそが偏見の実質的な犠牲者を、もっとも多数輩出しているに違いない。このように圧追され、生きる道すら保障されなかった人々が、生き延びるために反撃を計画したとしても不思議ではない。むしろ、当然の事と言えよう。中世の、堕落し、腐敗し、完全に狂ったキリスト教社会が終り、宗教改革とルネサンスによって人々がほっと一息ついたころ、もう二度とあんな目には会いたくない。我々の子孫を、同じような悲しみの中を通させたくないとユダヤ人が立ち上がっても、誰が彼らを責める事が出来るだろう。一八世紀にドイツに起こったロスチャイルド家は巨大な富を蓄積して行った。そして今や世界経済の事実上の帝王として君臨している。その辺の事は広瀬隆著「赤い盾」(集英社刊)と言う本に詳しく截っている。この本はあまりにも詳細で非常に読みにくい本だが、参考書としてぜひ備えて置きたい本である。よくもまあこんな内容の本が出版できた
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ものだと思う。日本だからできたのか、それとも何か他に理由があるのか。一八九四年フランスの士官ドレフユスがユダヤ人であるという理由だけで、スバイと言う濡れ衣を着せられ、フランスにユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れた時、テオドール・ヘルッルは「ユダヤ人国家」という本を現し、ユダヤ人は国を持たなければならないと説いた。一八九七年スイスのバーゼルで全世界のユダヤ人の代表が集まり会議が開かれた。ここからいわゆるシオニズム運動が始まった。そしてついに一九四八年イスラェルは不死鳥のようによみがえった。しかし、ここにもう一つのシオニズム運動がある。「ユダヤ人国家など作っても今度は世界を敵に回さなければならない、それならいっそ世界を支配してしまおう」こうしてネオ・メシアニストという集団が生まれた。この中にはハインリヅヒ・ハイネの名もある。
164 #今は世界支配の総仕上げの段階
「またあなたの民の内のあらくれ者が、みずから高ぶって事をなし、
幻を成就しようとするが失敗するでしょう」ダニエル書11:1〜4
世にユダヤ陰謀論とそれを非難する説とがある。私はそのどちらも間違っていると思う。まず陰謀論はユダヤ人全てにその責任を負わせている。しかし、すでに見てきたように迫害され苦しみ続けたユダヤ人の大多数は何の罪もない平几な一般市民であり、彼らは平和で静かな一生を送りたいだけなのである。バレスチナの地に帰りたいという希望だって全く自然な彼らの深い信仰と人間本来の望みであった。では、従来バレスチナに住んでいた民族の事はどうするのかと問われると確かに問題はある。しかし、まずその問題は実際よりかなり誇張されている。もともとバレスチナにははっきりした国家などなかった。また、その土地を有効に活用し生産的な国土を作る意欲も方策もない、ほとんど組織化されていない遊牧民がいただけである。おそらくイスラエルはその様な素朴な民衆だったら共存する事にやぶさかでなかったであろう。しかし、そこに僧悪と偏見を持ち込む支配階級があった。彼らは世界を注目させ自分たちを際立たせるためにここに紛争を起こしたかったのだ。いわゆるバレスチナ難民は実際はそのような思惑と計算によって作り出され、見せ物にされ、長びかされ、洗脳された、気の毒な大衆である。このように言うとお前はおかしい、ユダヤ人に洗脳されていると言われるだろう。ところが次の意見を言うとユダヤ人に
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は、反セミチズムのナチス的発想だと言われるに違いないのである。ユダヤ陰謀論に反対する人々は、ユダヤ人は全員が無垢で虫も殺さず、陰謀など考えもつかない優しい人々だと言うのである。とんでもない。旧約聖書を読むがいい。ユダヤ人も他の民族同様に陰謀も計れば邪悪な奴もいる。要するに全く普通の人間集団なのである。だから自衛のためなら陰謀も考えるだろう、殺しもするだろう、やらなければやられるのだから。ただ、この陰謀があまりにも巨大であるために普通の人間の目には入らないと言う事なのである。パーゼルでの表のシオニズムと呼応して、影のシオニズム、ネオ・メシアニストの働きも活発化した。テオドール・ヘルッルはその事を知っていたのか知らなかったのかは分からない。ただ、彼のユダヤ人国家建設という大事業には当然莫大な資金が必要であり、そのためにはすでに途方もない富豪となっていたユダヤ人ロスチャイルド家の資金援助が期侍された。しかし、度童なるヘルッルの要請に対してロスチャイルド家は決して良い返事をしなかった。ヘルッルはその日記に「この石頭たちと交渉するのはどんな奴だろう」と嘆いている。本来なら世界に並ぶもののないこの財閥が、真っ先にイスラエルに移住すべきではないか。しかし未だにロスチャイルド家はイスラエルに移住していない。それもそ
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のはず、ロスチャイルド家こそこのネオ・メシアニストの首謀に違いないのだ。ネオ・メシアニストたちが頻繁にロスチャイルド家に出入りしていたことはよく知られているのである。その中には例のアダム・ヴェイスハウプトも入っていたに違いない。そして彼らはイルミナティを形成してフリーメーンンを操り、ありとあらゆる事を始めた。それらの細かい内容については他に沢山の本があるのでお読みいただきたい。幸な事に、日本はまだ彼らの制約が少ない国であるからかなり充実したものがある。しかし、なぜか本当に良い本は絶版になるか、似たような題名の本がでるか、著者が死んだり、筆を折ったり、書店で手にはいりにくい。ただここでどうしてもおさらいしておかなければならない基本的な彼らの働きがある。それらのほとんどは読者がまさかと言うに違いないものばかりである。しかし、すべてに証拠があるとだけ申し述べておく。まず、フランス革命、ロシア革命、アメリカの建国、日本の明治維新、一九世紀以降のほとんどの戦争、資本主義、共産主義、経済恐慌、歴代ァメリカ大統領、ァメリカ連邦準備制度理事会(FRB)を初めとする財界、ヨーロッバの王室と政財界、CIA、イギリスの惜報機関などは昔も今も彼らの作り出したものかまたは密接なかかわりあいがある。
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この中には全く相対立するように見えるものもある。しかし、実際には下の水脈は同じである。これをフリーメーソンの両立て主義というのだそうだ。そして今やその総仕上げとも言うべきEC、大ヨーロッパ帝国の建設が始まっているのである。今やヨーロッバはあのインディ・ジョーンズの父のように、その精神的支柱だったキリスト教を拾てイルミナティを得ようとしている。もう一つのシオニズム運動はすでにアメリカとヨーロッパを支配した。間もなく世界を支配するだろう。これからのスケジュールは決まっている。そこにはあのゴグの戦乱の後に、中東の雄として台頭したイスラエルとの確執がある。そして、再建なったェルサレム神殿に世界の帝王、反キリストが入り自分を神だと宣言するとき世界は本当の終末を迎えるだろう。
168 #日本人とユダヤ人の類似性の秘密
イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏の「日木人とュダヤ人」という本によって一躍注目を浴びるようになるまで、日本人にとってユダヤ人は単なる外国人だった。日本にはヨーロッパの異端審問はなかったし、そんな必要もなかった。もっとも、オランダ人、イスパニア人として、ユダヤ人はすでに江戸時代から日本に来ていた。いや、もしかするともっと前から来ていたと考えられる。いわゆるシルクロードとは中世ヨーロッバにおいては「ユダヤ人の道」と言う意味であった。遠く中国から絹織物を持ってくるのはユダヤ人だったのだ。ヨーロッパ人たちはユダヤ人を「シルクの民」と呼んでいた。このシルクロ−ドにはユダヤの村があり、交易の便を計っていた。驚くべきことに漢字はユダヤ人の作った文字である。例えば主と言う文字はユダヤ人の最も尊ぶ神殿の聖所にある七枝の燭台(メノーラ)の形から作られたものであると言う(図参照)。また、義に至っては羊の下に我と書く。これはユダヤ人が人間の罪の身代わりとして、羊を殺して神に俸げたことから羊を我となすの意味である。また、美は羊が大きいと美しいのだ。このようにユダヤ人は古い昔からアジア各地、とりわけ中国に大きな足跡を残している。さらに日本にも彼等は来ていたらしい。この辺になると有る事、無いこと、怪しげなオカルトから真面目なものまで多種多様に発表されている。確かに何かの痕跡は有るように思える。しかし、日本人のルーツそのものはモンゴロイドであるし、南方系、北方系が入
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り交じって混血し合ったものだろう。文化的遣産の中にはユダヤの起源と思われるものが少なくない。世界に散ったあの『失われた一○部族』の一部ぐらいは日本にも来て、同化したかも知れない。ユダヤ人は日本に来ると「血が騒ぐ」そうだ。私が特に驚いたのはどこかの古墳から発見された七枝の剣であった。剣に七つの枝をつけると言う発想は、ュダヤ人以外は持ちそうもない。これなど世界のユダヤ人に聞いて見たいものだ。しかし、だからと言って今の日本人がュダヤ人の子孫だなどと考えるのは気違い沙汰だ。また、キリスト教の立場から言えば、もともと、ユダヤ人は神が送ったメシア(キリスト)ヨシュア(イェス)を拒絶して十字架につけた時から自動的に反キリスト、神への反逆の民となったのだから、いまさら血筋が同じでも全然関係ないということである。新約聖書のヨハネによる福音書にはこう書かれている。「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となるカを与えたのである。それらの人は、血筋によらず、肉の欲にもよらず、また人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである」ョハネ福音書1:12〜13ダヤ人は神の選民であった。しかし、今は彼等は捨てられ異邦人(ユダヤ人以外)で
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キリストを信じる者なら誰でも選民となるというのが新約聖書の中心思想であり、これがキリスト教なのである。これがキリスト教の背骨とも言えるバウロの書いた「ローマ人への手紙」の強烈な主張である。もっとも、バウロももう一度ユダヤ人は神に帰る時が来ると言っている。神は選民を決して永遠には見捨てないと。
172 #危険なものみの塔、モルモン教そして・…最近の激しい宗教運動は何を意味するか
読者はあの反キリストと共に第二の獣、恐らく宗教者が出てくるだろうと言うことを覚えておられるだろう。「わたしはまた、ほかの獣が地から上ってくるのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。また大いなるしるしをおこなって、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている、先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた…・」黙示録13:11〜14
ところが不思議なことにこの獣はこの先あまり聖書に出てこないのである。一六章には「また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口からかえるのような三つの霊が出てきた。」同16:3とあって、どうやらこの中でにせ預言者と言われているのがこの第二の獣らしいのである。これは神の三位一体に似せたサタンの三位一体と言われるもので、龍は神に、獣はキリストに、にせ預言者は聖霊に相当する。これらはすべて黙示録二○章で永遠に滅び失せる。それにしてもこの獣は現在現れているのだろうか。我々はすでに第一の獣の母ともいうべき組織について見てきた。ではこの第二の獣の準備も進んでいるのではないだろうか。たしかにその徴候はある。それはニューェイジムーブメントと呼ばれる運動である。これは様々な宗教、オカルトなどを総合して、ヒンズー教のメシア、マイトレーヤーに集中させようという結構粗雑な宗教運動である。本屋に行くとベンジャミン・クレーム、アグスーベイリー、エレナ・ブラバッキー、シャーリー・マクレーンを初めとするこの運動
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の司祭たちを見ることができる。古くはオーソン・ウェルズなどもこの思想の伝道者であった。今年(一九九三年)三月、テレビ朝日がアーサー・C‐クラークという学者を進行役にして『未来への伝言』という番組を放送した。アーサー・C‐クラークは『二○○一年宇宙の旅』という本の著者として有名である。この『二○○一年宇宙の旅』は素晴らしい技術で映像化されたのでご記憶の方も多いだろう。この中でクラークは不思議な石の板に触った猿が知性を持ち、人間に進化し、やがて宇宙にまで進出するが、コンピュータの反乱に会い、宇宙の異次元空間に人り込み、再び胎児として輪廻転生して行く姿を描いている。これはニューェイジの思想の見事な視覚化であった。ニューエイジの神は聖書の神とは全く違う。聖書の神は一人のペルソナ(日本語では該当する言葉が無いのだが、人間で言えば個人の人格)である。しかし、ニューエイジの神
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は漠然とした、宇宙の力、霊、知性である。これが時に人間となり、生物となり、無機物となる。人間となるのは優れた力、知性、霊であり、中でも優れたのがマイトレーヤー、キリスト、ブッダ、菩薩となる。この思想のもっとも有能なメッセンジャーは元ハーパード大学の心理学教授だったティモシー・リアリーであった。彼は人間が遣伝子工学によって、進化と不死を得、宇宙空間に進出して新しい生命体となると教えた。彼はそのような人間精神の解放の手段の一つにLSDを使用する事を主張し、LSDを公認するように提案した。もっとも彼はその思想に殉職してしまったのだが、その思想の集約したものとしてSMPLEメッセージと言う文書を残している。彼はそれを地球外生物から受けとったと主張している。SMPLEとはSpce Migration Inteligence Life Extensionの略語で、「宇宙移住」「知性の二乗」「生命の拡張」を意味した。原文の日本訳は長いので省略するが、その中で彼は日本について特別なメッセージを残している。世界に数ある国々の内の日本に対してだけである。「日本人は君達の惑星でもっとも進化した種族だから、君達の仲間を保護してくれるだろう」
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このような思想が単に思想だけなら間題はないが、現代の世界の一線の科学者たちが、その思想を忠実に実現しようとしているとすれば事は重大である。初めて現実的なスペース・コロ二−計画の構想を提案したブリンストン大学のジェラルド・K‐オニールや、NASAの職員、遣伝子工学のスペシャリスト、パイオテクノロジー、ニユーロンコンビユータ、天文学などの優秀な頭脳がこのような思想を持って働いているのである。この思想によるなら人間も星も地球もコンピュータも豚もみんな仲間ということになる。ところで読者はこの思想を聞いても特に驚きはしないであろう。何の事はない日本人なら、お寺の和尚さんから似たような話を聞くことが出来たのである。ニューェイジは少しもニューではない。それはすでに二五○○年前に釈迦が開いた道であり、さらに何千年も前から人類が抱いて来た『神なき哲学』のニューファッションに過ぎないのである。ピートルズがイソドに行ってヒンズー教を学んだのもそのような理由によるのだろう。我々東洋人は何千年も昔からこのような思想によって生きて来た。だから、東洋とりわけ仏教を極限まで洗練した日本はニューェイジャーにとって大先輩であり、先進国であったのである。それで、リアリーのスマイルメヅセージの中には日本を賛える一行があり、また、イルミナティ、アインシュタインも次のようなメッセージを残しているのだろう。
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「世界の未来は進むだけ進み、その間に幾度か争いは繰り返されて最後の戦いにつかれるときがくる、その時人類は…まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ…世界の文化はアジアに始まってアジアに帰るそれはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する、我々に日本という尊い国を作っておいて下されたことを」これが本当にアインシュタインの言葉かどうかは判らないが、そうだとすると、イルミナティの日本に対する態度が少し理解出来るのだ。ここで尊い家柄とは明らかに天皇家の事である。「シオンの長老の議定書」の中でも書いたが、明らかに彼等の理想の王は日本の天皇である。実はそれについては面白い話がある。誰から間いたかはこの際伏せる。ユダヤ人の政治と宗教の理想は、旧約聖書のゼカリヤ書にあるというのだ。「彼(大祭司ヨシュア)に言いなさい、「万軍の主は、こう仰せられる、見よ、その名を枝という人がある。彼は自分の場所で成長して、
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主の宮を建てる。すなわち彼は主の宮を建てて、王としての光栄を帯びその位に座して治める。その位のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間に平和の一致がある」ゼカリヤ書6:12〜13
これがユダヤ人の長い間の実現不可能な理想だった。ところが、何と日本では、はるか昔からこの政治体制を保有して来たではないか。天皇は政治と宗教の両方の最高権威でありながら、実質、政治の権力者ではない。それでいて天皇がなければ政治は動かない。見事なものだと言うのだ。われわれ日本人からすれば「へえ、そんなものかねえ」と言ったところなのだが、この辺が、不思議の国、日本なのだろうか。このニューエイジムーブメントはイルミナティの宗教部門の創作だといわれるのだ。
また、運動の重要な推進者は「ものみの塔」という宗教ではないだろうかと私は見ている。なぜかといえばこの宗教の創設者チャールズ・ラッセルはイルミナティの最高指導者
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十三ファミリーの一人だからである。「ものみの塔」という宗教の教えはイルミナティの主張そのものである。それは近未来における黄金時代を約束する。また彼らのメシアは、ラッセルによれば「ヒラム」であるという。ラッセルはその著書「すべての民の願い」の中でユダヤ人とクリスチャンの待望するメシアはヒラムであるとはっきり書いているのだ。また彼はフリーメーソンの好むビラミッド予言を用いている。また、ニューエイジの預言者たちが盛んにいうように、プレアデス星団(すばる座)のアルシオン星が神の御座であり、そこからいろいろな啓示が与えられるのだと言っている。「ものみの塔」は別名をエホパの証人と言うがこの場合のエホバとはヒラムのことであることはすでに見てきた。この集団の伝道方法、洗脳のやり方、広がりから言って、この宗教が第二の獣に果たす役割は大きいと思う。その他、モルモン教は創立者ジヨセフ・スミス、継承者ブリガム・ヤング共にフリーメーソンであった。これらの宗教に加えて、様々な国々の宗教、さらにキリスト教会の一部が大同団結して世界宗教会議かなんかを開き、平和と愛の名の下に一致と合同を宣言することになるかもしれない。すでにエキュメニカル運動と言うのがキリスト教会内部に始まって久しいが、それらの人々は他宗教への覚容と受容を訴えている。またイギリス国教会の一部では、教
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会でイスラム教や仏教の礼拝を認める動きがある。今後、その様な動きが活発化し、それに反対するキリスト者は「不寛容で、愛がない、かたくななもの」として非難されることになろう。こうして世界宗教は統一され、あの六六六の名を持つ獣をキリスト、マイトレーヤー、ブッダ、マホメットの再来または完成された姿として拝むだろう。ここで注意していただきたい。私の考えでは宗教者が拝まれるのではなく、政治家である反キリストが拝まれるのである。宗教と言うものは究極において政治そのものとなる。それはキリストの再臨においても同じである。メシアとは宗教者の事ではない。政治家、王の事である。この運動にはカトリック教会も加わっているのだが、それもそのはずで現法王ョハネ・バウロ二世はフリーメーソンの最高階級三三階級である(現在、カトリックはフリーメーソンと保守派とが激しい権力問争をしているように見える。いずれ、メーソン派が勝利するだろう)。そう言えばプロテスタントの最も有名な伝道者ビリー・グラハム、総ガラス張りの教会で有名なロパート・シュラー師、可能性思考で有名なノーマン・ビンセント・ピール師らは共に同しく三三階級だということだ。これだけ役者がそろえば相当なバフォーマンスができそうである。しかし、どうあがいてもこの運動は付け焼き刃でしかない。この世にはもっと巨大で、もっと長い歴史を持ち圧倒的な権力を持っていた宗教集団がある。それはカトリックである。そして、聖書にはどう考えてもカトリックとしか思えない組織の終りが描かれているのである。
182 #最早カトリックば風前の灯
私はブロテスタントの牧師である、だからカトリックの悪口を言うのだと思われるのはいやなのだが、聖書にはカトリックとしか思われない巨大な組織の滅亡が予言されている。「それから、七つの鉢をもつ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、『さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大浬婦に対するさばきを、見せよう。地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている』御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしはそこで一人の女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名でおおわれ、また、それに七つの頭と一○の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金を宝石と真珠とで身を飾り、憎むぺきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、『大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母』というのであった。わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た」黙示録17:1〜2
この大淫婦バビロンとは何を指すのだろうか。この女は明らかに国家ではない。「あなたの見た水、すなわち浬婦のすわっている場所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である」同17:15
とあるようにこれは世界的な組織である。歴史上カトリック教会ほど国際的で永続的な組織はなかった。また、浬婦とか姦淫というのは夫のある妻にかかわる事である。聖書で教会はキリストの花嫁と呼ばれているから、これはキリスト教会を名乗っている組織である事は明自である。カトリック教会の歴史を紐解くと、そこには驚くべき実態が現れてくる。しかし、今、いちいちそれをあげつらう暇はない。ここにはこの女が非常な贅沢をし、権力者と癒着している様が描かれている。特に赤い獣というのは生まれてくる新ローマ帝
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国であると思われる。この事からカトリック教会は最初新ローマ帝国と協力して行動するように見える。しかし、この獣とこの女の甘い関係はしばらく続くだけである。「あなたの見た一○の角と獣とは、この浬婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尺くすであろう」同17:16
どうやら獣すなわち反キリストはカトリック教会をしばらくの間利用するが、やがて、徹底的に痛めつけるようだ。「シオンの長老の議定書」ではこのように書かれている。「法王庁を根こそぎ破壊する時期が到来すると、隠れた我々の手の者が、各国民を法王庁へと差し向けるであろう。そして各国民がそこへ殺到したら、我々は表面上法王の擁護者として登場して、流血の惨事を大きくしないように沈静する。この策謀によって、法王の信認を得たる我々は、法王庁の最も奥の間に入り込み、法王庁の権力を完全に覆すまではそこを去らぬであろう」なんともはや言い様がないほどはっきりしたものだ。一九九二年の時点で、ローマ法王庁の約半数はフリーメーソンだという。先の聖書の予言と、この文書のなんと呼応していることか。だから我々は今がどの段階かと言う事まで分かるというものだ。やがてロ−マにすさまじい災厄が襲うだろう。
大変長い引用になってしまうが、どうにも短縮できないのでぜひ忍耐してお読みいただきたい。
「この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って
天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。すぺての国民は、彼女の姦浬に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである』」
黙示録18:1〜3
何とも激しい言葉である。聖書は多くの人が考えているように、おつにすまし当たり障りのない宗教書ではないのである。必要とあらばこのような言葉も使う
「わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、
『わたしの民よ。彼女から雛れ去ってその災害に巻き込まれないようにせよ彼女の罪は積り積って天に達しておりその罪にあずからないようにしなさい。
神はその不義の行いを
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覚えておられる。彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう」
同18:4〜8
ここはカトリックまたはヴァチカンに対する言葉にしては少しおおげさで、過酷に思えるかもしれない。しかし、これが中世だったらだれも疑わなかったであろう。それほど力トリックの力は強力だったのである。どれほど多くの血が無意味に流された事だろう。どれほどの苦しみが神の名の下に民衆に押し付けられた事だろう。今は口を拭って知らぬ顔をしているけれど、貴任は免れない。事実マルチン・ルターはこのバビロンをカトリック教会としている。私はプロテスタントだから言うのではない、歴史を調ぺて見ればいい。
「彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、パピロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。また、地の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、各種の香木、各種の象牙細工、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである」同18:8〜13
ヴアチカンの富は膨大なものであるという。なにしろ、歴史上、最大最長の組織が、神の名の下に集めた富である、それは想像を絶するものであるに違いない。また、ここに書かれていない富がある、それは莫大な株や債券である。これは一世紀の著者ョハネには想像も出来なかったものに違いない。
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「おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の昔しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』また、すぺての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすぺての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。天よ、聖徒たちよ、便徒たちよ、予言者たちよ。この都について大いに喜ベ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである』」同18:14〜20
カトリックはこうして滅亡するだろう。その直接の下手人は反キリストとその帝国であ
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ろう。このバビロンがカトリックであると思われるもう一つつの資料がある。それはカトリックは内部の予言者の予言である。
#ローマ法王庁はあと二代で終る
二世紀のカトリック教会に聖マラキと言う予言者がいた。彼によれば今からあと二人目の法王ペテロの時がその時である。このマラキは歴代の法王をほんの一行の予言で言い当てている。それは余りにも的中しているので恐ろしい程である。彼は法王を112代で終わりとしている。現在の法王は110代目である。現在の法王の予言は「太陽の労働」と言うのであるが、太陽とは東を意味し、彼は東ヨーロパのポーランドの労働者であった。111代目は「オリーブの栄光」とある。それが何を意味するのかは間もなく分かるだろう。そして、最後の112代目だけは極めて珍しく長い文章になっている。「ローマ法王庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが法王の座に就く。ローマ人ペテロは多くの苦難の中で小羊を牧する。この苦難が去ると
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七つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される。終り」私は聖書の予言以外には余り予言を信じないが、このマラキ予言だけは神の霊感を受けているような気がする。聖書にはこのような予言者のいる事が書かれているのである。面白い事にローマ法王庁はキリストの弟子のペテロの後継者と名乗りながら、ペテロと言う名の法王はこの最後の法王だけである。恐らくこの予言は当たるだろう。ローマ法王庁はあと二代で終りだろう。それはあの聖書の予言の通りになるだろう。そして、「終り」となるだろう。
190 #いよいよ世界統一の最終戦争が始まる
総合ECと拡大イスラエルが激突する
我々は中東に進行するソビエト連合軍の敗北と勝者イスラエルの拡大、それに前後するヨーロッパ諸国の台頭を見てきた。これはほぼ同時に進行するだろう。しかし、EC
統合が思ったより、スムーズには行かないのを見ている。デンマークやアイスランドの国民投票の結果がEC加盟を「ノー」と言っている。これは一般民衆にとって当たり前のことで、彼等はやはり自分たちの国が無くなるのはいやなのだ。民族の血はそうたやすく失われはしない。だから、「ECを統合しようというのは極めて不自然で一般大衆の思いとは違った意識で進められているのである。フリーメーソン、イルミナティの率いる「新世界秩序」はここで何かの手を打たなければ
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ならない、そこで彼らはゴルパチョフをあきらめたようにエリツィンをあきらめ思い切った手、すなわち旧ソビエト保守派の復帰を許し、あえて中東侵攻をさせるのかもしれない。いずれにせよ遠からずこの二つが中東とヨーロッパで起こるであろう。こうしてアメリカはすでに無くソ連すでに衰えた世界に新しい力が二つ現れるわけである。その際、日本や中国はどうなるのだろう。私には分からないが、もともと日本はそんなに強いはずがない。たまたま戦後平和の中でユダヤに養われて繁栄らしきものを謳歌したにすぎないのではなかろうか。中国は次第に力をつけて来るだろう。なにしろ一○億の人口である、黙っていても人類の四分の一は中国人なのだ。それが本気で国造りに力をいれたら、何が起こるか分からない。必要なのは賢明な指導者である。てい小平なき後の後継者が問題である。今や大国となったイスラエルも大ヨーロッパ帝国も両方とも、考えて見ればシオニズムが生み出したものである。前者は表のシオニズムが後者は裏のシオニズムが。しかし、聖書にはこの両者が激突する事が予言されている。しかもそれが極めて卑劣な約束違反によって始まるともある。恐らく国連か、その発展したとされる機関が、平和のための会議を開き七年間の戦争放棄を宣言するのだろう。しかし、その半ば、三年半後に突然、全欧州連合軍が中東に侵入する。大ヨーロッバ帝国または新ローマ帝国の皇帝が世
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界の帝王として君臨するために行動を開始するのだ。この皇帝はヒラムあるいはヘンリーという名前の人物だろう。彼はイスラユルのエルサレムに新築された神殿に入り、自分は神だと宣言する。サタンであるルシファーは自分の美しさにより高慢になり、天上から追放された。彼は神になろうとしたその野望をせめて地上の神の宮、エルサレム神殿で満たそうと試みるのであろう。イスラエルの首都エルサレム。それは世界でもっとも有名な都市である。エルサレムとは神の平和と言う意味だが、ここほど歴史上戦争の舞台となったところもない。ここはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、キリストが十字架に掛り我々人類の罪のために犠牲の小羊となって死んで、人類で最初に死から復活したところでもある。これは極めて宗教的な言い様に思われるだろうが、究極のところ、犠牲と復活こそ、実は人類全体の希望だと私は信じている。なお、反キリストが座して私は神だと宣言する神殿は、今はまだエルサレムにはない。エルサレムには三回神殿が建設された。ソロモンの神殿、ゼルパベル、エズラの神殿、そしてへロデの神殿である。
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このヘロデの建てた神殿はAD七○年、後にローマ皇帝になったテトウスによって完全に破壊され、火で焼かれてしまった。その際、神殿の壁に張ってあった金箔が溶けて、土台石の間に入り込んだために、兵士たちが土台石をひっくり返して金をとった。そのためにキリストの予言が成就(実現)した。「よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残る事もなくなるであろう」マクイ福音書24:2
こうして、ユダヤ人の心の故郷、神殿は二○○○年間失われ、今、そこにはイスラム教の寺院が建っている。この寺院を取り壌して神殿を建てたいのだが、それは全アラブが許さない。それこそ、すさまじい戦争になるだろう。ここにある岩のドームはマホメットが昇天した場所とされているイスラム教の聖地だからである。ところがマホメットは一度もユルサレムに来た事はないのである。最近、この岩のドームの北側の空き地が本当の神殿跡だったということが判ったと言うので、もしかすると建設が始まるかもしれない。すでにそのための資材は完全に準備され、中で行う儀式の訓練すら始まっているというのだから。
194 #いよいよ世界統一の最柊戦争が始まろ
「予言者ダニエルによっていわれた荒らす憎むぺき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ悟れ)そのときユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。畑にいる者は上着を取りにあとへもどるな。、その日には身重の女と乳欲み子を持つ女とは不幸である。あなた方の逃げるのが冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の始めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起こるからである。もしその期間が縮められないなら、救われるものはひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう」マタイによる福音書24:15〜22
ダニエルによって予言された「荒らす憎むべき者」とは、大ヨーロッバ帝国の皇帝反キリストであろう。聖なる場所とはユダヤ人にとって神殿しかあり得ない。だからその時ま
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でにはエルサレムに神殿は建設されているのだろう。その後の情景は明らかに緊急の避難を思わせる。とにかく取る物もとりあえず逃げろというのである。それも山へ。その時に起こる〃患難〃は「世の始めから現在に至るまで、かつてなく今後もない」とはキリストの言葉としては信じがたいほど激しい表現である。さらに「その期間が縮められなければ、救われるものはひとりもない」とは、キリストの言葉の中でも極めてめずらしい強烈なものである。これはよほどひどい事であるに違いない。しかし、二○世紀に住む我々、特に日本人には極めて分かりやすい言葉である。我々はそのような患難を経験した。我々は広島と長崎でこの言葉と寸分たがわない事態を見てきた。我々はもし世界が核兵器による全面戦争を開始するなら、「救われるものは一人もいない」というキリストの言葉に同意することにやぶさかではない。まさにそうなるであろう。現在世界にある核兵器は人類を四○回以上も殺し尽くす事が出来ると言うのだから。しかし、なんという事だろう、神がその期間を縮められるので、人類は滅亡しないと約束されている。これが世に言うハルマゲドンである。イスラエルの海岸線に少し突き出たカルメル山の麓に、ハイファという町がある。地中海を見下ろす美しい町である。このハイファから東のメギドと言う吉代都市の跡にかけて
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エズレルの谷またはエスドラエロンといわれる平野がある。イスラエルはほとんどが岩と石だらけの土地なのだが、ここだけは肥沃な土地であり、美しい畑が続いて居る。このメギドには何千年にも渡って都市が起こっては滅びて行った。今は発掘がなされていて、それぞれの時代の後がパウムクーヘンのように積み重なって見える。長年に渡って都市が築かれて行ったので、そこは小高い丘になっていてこのような地形をテルとかハルとか呼んでいる。このメギドの丘、ハル・メギドがなまってハルマゲドンとなり、いつしかこの平野全体をハルマゲドンと呼ぶようになった。この丘からは美しいエズレルの谷が一望できるのだが、そこに一枚の着板が立っている。それには「この地で世界の最終戦争が行われるとキリスト教徒の伝承は言っている」と書いてある。
198 #日本が生き残る道はあるか
7年間の平和条約を破って、新ローマ帝国の皇帝がイスラエルに侵攻し、神殿に座して「私は神だ」と宣言すると、世界は蜂の巣をつついたような大混乱におちいる。人類は英知などかなぐり捨てて核戦争に突入する。そのありさまをヨハネというキリストの弟子はまるで現代のテレビレポーターのように鮮やかに書き記している。「小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使いを見た。そして七つのラッパが彼らに与えられた。(中略)第一の御使が、ラッバを吹き鳴らした。すると、血の混じったひょうと火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまっ・た」ョハネ黙示録8:7
血の混ったひょうと火という表現は核爆弾の爆発の表現にしてはビンと来ないのだが、死の灰のことなのだろうか。とにかく地球の陸地の三分の一が焼けただれてしまうというのだ。これはすさましい災旭である。「第二の御使いが、ラッバを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の作られた生き物の三分の一は死に。舟の三分の一がこわされてしまった」
220 #世界統一のための恐怖の計画
〈自白剤(真実吐露薬)の水道投入〉世界の水道に自白剤(映画ナバロンの要塞のヒポコラミンか)が投入される。これによって反キリストは自分に不利な考えを持つ人間を発見排除できる。なおオカルト、ホモなどの集団にはあらかじめ解毒剤が配られるという。
〈核兵器の国連管理〉核兵器をすべて国連の管理下に移す。要するに彼等の管理下に移すわけである。
〈児童隔雑〉最近盛んに報告されている、親による児童虐侍(実際より誇張されているのかもしれない)から子供を守るという名目で、すでにアメリカ議会に提出された(あるいは通過したかも知れない)法律は「子供が危険であると判断されたとき」子供を両親から隔雛し、施設で育てることが出来るようになっている。この法律は熱心なクリスチャンの両親が子供に信仰を教える事を阻むことにある。「子供が危険」と判断するのは誰なのか。
〈クリスチャンの隔推〉ソ連がシベリアでやっていたように、アラスカにクリスチャン改造の精神病院が建設された。
〈核兵器による地震の拡大と危機管理体制〉現在地下核実験が行われている地帯は、地震の巣といわれるサンアンドレアース断層に近い。彼らは地震が起こると思われるときに核実験を行い、マグニチュード9の地震を起こす事が出来るといっている。これは危機管理の名目で人間を管理するためのものである。そのためにFEMA(Federal Emergency Management Agency)なるものが活動を始めている。また原子力発電への恐怖を植え付け、エネルギー管理を図っている。
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〈テロと行政府データの破壊〉すでにロスアンジェルスの黒人暴動で実証ずみの、テロによる政府機関のデータ破壊をもっと大規模に計画している。ロスの暴動の主役となったのは黒人ではなく秘密部隊だった。商店の破壊には軍隊の手榴弾が使用されている。広範囲に暴動が起こりそれに乗じて政府機関のすべてのデータが破壊されるだろう。それによって古き良き過去を葬り去るために。現在広範に行われている文書による債報の保存から磁気テーブヘの移行は場合によっては一気にデータ破壊ができる事に注意したい。
〈中東の緊張と第三次世界大戦〉中東に新しい緊張が生まれるだろう。また第三次世界大戦も必要に応じて始められるだろう。
〈日本とァメリカ経済の破壊〉これはかなり進んでいる。彼らは日本が再び繁栄することを許さないだろう。
〈王室の一掃〉すでに七○年前から彼らは王室を排除することを宣言していた。ヨーロッパからトランブの王室以外は全く王室を一掃すると言っていた。
222 #人類を救うためキリストが再璃する
「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすぺて〃民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッバの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」マタイ福音書24:29〜31
キリストが再び来られる。あるいはこの再臨のイエスをノストラダムスなる人物やグループは『恐怖の大王』と呼んだのではなかろうか。サタンや悪霊にとってはキリスト
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は正に恐怖の大王なのだから。太陽は暗くなり、月は光を失う。星は落ちる。天体と言うのは原語では「もろもろの力」と言う言葉なのでいろいろに翻訳できるけれど、原子の力と考える事もできる。この時キリストは天の雲に乗って来る。これはキリストの再臨の特徴の一つである。雲に乗って来ると言う荒唐無稽が特徴である。初めに来た時は「処女」から、二度目は「雲の乗って」である。何とキリスト教とはアホらしい宗教であろうか。もう少し賢い事を言ってもいいではないか。ここにつまずきの石がある。神はわざわざアホらしく、馬鹿化た事を通して神の国にふさわし者を選んでいる。信じるか信じないか、それだけである。「十字架の言葉は、滅びに行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには神の力である」コリント人への第一の手紙1:8「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである」同25
さて、「人の子のしるしが天に現れる」というのは何を表しているのだろうか。キリスト・イェスは世にある間、自分を人の子と呼んでいた。人の子のしるしとは何だろうか。昔は魚だった。しかし、今は十字架である。この点、ノストラダムスがグランドクロスと
224 #この救いの予言をあなたは信じるか
言っているのは当たっているのかも知れない。太陽系が十字に並ぶという巨大な十字架か、魚座に何かしるしが現れるのだろう。また、ラッバの音とある。これはキリストの再臨に必ず出てくる言葉で、何を表わすのか分からないのだが、素直にラヅバの音が間こえるのだと私は思っている。さらに天の四方から選民を集めるとあるのは宇宙の方々からという意味ではなく、当時は世界中を表わすのに天の四方と言ったのである。さてここでその日その時は分からないが、来る場所ははっきり指定されている。彼はエルサレムの東にあるオリプ山という一点に降りて来る。それ以外にキリストが再臨する場所はない。これは旧約聖書のゼカリヤと言う予言者が予言している。「見よ、主の日が来る。その時あなたの奪われた物はあなたの中で分かたれる。わたしは万国の民を集めて、ェルサレムを撃たせる。(中略)その時、主が出て来て、いくさの日にみずから戦われる時のように、それらの国びとと戦われる。その日には彼の足が、東の方ェルサレムの前にあるオリブ山に立つ。そしてオリブ山は、非常に広い一つの谷によって
東から西に二つに裂け、その山の半ばは北に、半ばは南に移り、わが山はふさがれる。裂けた山の谷が、そのかたわらに接触するからである。(中路)
こうして、あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共に来られる。その日には、寒さも霜もない。そこには長い連続した日がある。(主はこれを知られる。)これには昼もなく、夜もない。夕暮れになっても光があるからである」ゼカリヤ書
14:1〜7
このオリーブ山については面白い話が伝わっている。数年前このオリーブ山に新しいホテルを建てる事になってポーリング調査をしたところ、この山の真下に大きな断層があって、ほんのちょっとした地震でも真二つに裂ける事が判った。そのためにホテルは高層ビルの予定を変更して低いものにしたという(多分、ハイアット・リージェンシー・ホテルだと思う。いかにも地震に備えた?いかつい、低層の建物である)。また、このオリーブ山からはェルサレムが一望できる見晴らしのいい所なのだが、このオリーブ山に面するエルサレムの旧市街の城壁に、東の門、または黄金の門と呼ばれる門がある。この門は門であって門ではない。塗り込められているのだ。旧約聖書のエゼキェル書四四章にはこれまた面白い事が書かれている。「こうして、彼はわたしを連れて、聖所の東に向いている外の門に帰ると、門は閉じてあった。彼はわたしに言った。「この門は開じたままにしておけ、
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開いてはならない。ここからはだれもはいってならない。イスラエルの神が、主がここからはいったのだから、これは閉じたままにしておけ」ェゼキエル書44:1〜2
それでユダヤ人の間では、この門からメシアがエルサレムに入場すると言う伝説が生まれた。それを嫌ったアラブ人たちが、この門を塗り込めてしまったのである。以来、この門は聖書の予言通りに閉じたままである。この門の前には、メシアの入場の時、真っ先に復活したいと願うユダヤ人の(?)の墓が無数にある。恐らくこの門が開かれる時、終未が来るだろう。かくして、キリストが来られるのは初めの時のように、赤子として生まれるのではない。栄光ある王として天の軍勢を率いて来られるというのである。しかも、それはある限定された一日に起こる事であり、その一日は異常に長い。言い換えればその日地球は回転を止めるのである。聖害には地球が回転を止めたり、少しだけ逆回転したと言う記録がある。もし疑問のある方はョシュア記一○章と列王紀二○章を読まれたい。この二回の地球の運行の異常は、合わせて二四時間だったらしい。最近コンビュータで調べた結果、過去に地球の回転が約二四時間止まったことがあると分かったそうだ。
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(この事に興味のある方はキリスト教書店で「生ける水の川』と言う出版社の「キンクスキッドの生き方」と言う本を求められるといい。ハロルド・ヒルと言う愉快なおじしさんがあっと驚く話を書いている)。人問の頼みによってさえ止まるのなら、神の子の地球への帰還の時地球の回転が止まっても不思議ではない。
15章 #世界支配勢力を倒し真の乎和をもたらす
ではキリストは何をしに来られるのであろうか。「来て、主のみわざを見よ、主は驚くぺきことを地に行われた。主は地のはてまでも戦いをやめさせ、弓を析り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。『静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる』」詩篇46:8〜10
キリストが再び来られるのは、この世界から戦争と憎しみと偽りを一掃し、真の愛と平和を築くためである。人間がサタンの惑わしによって失った、その貴重な財産を回復し、地を清め、新しくするために来られる。読者はそんな信仰話は聞きたくないというだろうか。今日、我々は希望のない時代を生きている。恐らく歴史上これほど子供たちが希望を持つことのなかった時代はあるまい。最も繁栄と豊かさの中に絶望がある。最近のアメリカの最も豊かな階層の子供達が自殺している。しかし、核兵器の恐怖の下で、どんな希望を持てと言えるのか。果てしない欲望と無秩序な開発によって、地球環境は破壊され、多くの動植物種が絶滅している。二一世紀に我々は希望より絶望を期侍するほかない。しかし、聖書は人類が破滅の危機に瀕した時、神の子キリストが再びこの地上にやって来て秩序を取り戻し、人間が自分では持つことの出来なかった平和をもたらすというのだ。最後に少し長いが良く読むと興味深い人類の本当の希望が書かれている箇所を引用しよう。「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。彼は主を恐れることを楽しみとし、
230 #この救いの予言をあなたは信じるか
その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の間くところによって、定めをなさず、正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの柔和な者のために定めをなし、その口のむちをもって国を撃ち、そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる」イザヤ11:1〜5
エッサイとはユダヤ人の理想の王ダビデの父である。ここに書かれているのは人類が究極において理想とする王の姿である。実のところ人類の理想の政治形態は民主主義ではない。それは、愛と正義に満ちた王による政治である。どんなに民主主義、民主主義と言っていても、少しでも有能な政治家が出ると、人間は期侍と希望を持って迎えるではないか。逆にそうでなく、政治家が私利私欲に走り、蓄財、賄賂を日常茶飯とするとき、人々は失望し怒り狂うのである。それは政治家にこのような理想の王を無意識に求めているからではないだろうか。「おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若しし、肥えたる家畜は共にいて小さいわらべに導かれ、
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雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである」同11:6〜9
これこそ我らの願う真の平和である。その平和は動物にまでおよぶというのだ。いわゆる弱肉強食はなくなる。狼と小羊が共に住む。ひょうと子やぎ、ライオンと幼子、雌牛と熊が共に遊び戯れる。ライオンがわらを会うのだという。笑うだろうか。しかし、誰がこのような平和を考えたのか。このような発想はどこから来たのか。うそでもいいこんな平和を考えたい。人間の考え出す平和にはどこかに汚らわしい欲望が隠れひそんでいる。今、地球上には「我こそはキリストの再来」いう人問がどれほど居るだろうか。ほんのお隣の国にも、己の〃清い血〃を分け与えることによって新人類を作り出すという奇特な御仁もおられるのである。しかし、聖書に言うキリストの再臨とは、他ならぬ「あのイエス」が来られる、それも雲に乗って来られると言うのだから、それは天女の舞いのような神話の世界じやと言う方もおられる事だろう。キリストの再臨は神話でも宗敷の問題でも
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ない。政治の間題である。彼はメシアとして来るのではない。王として来るのである。キリストが二○○○年前、初めて地上に来られたとき、彼はあの「乞食と王子」の話のように貧しい大工のせがれとして、謙卑の姿でこられた。だからほとんどの人類、とりわけ神の選民たるユダヤ人ですらそれとは分からなかった。しかし、注意深い観察者なら彼こそ旧約聖書の約束のメシアだと分かったはずである。なぜなら、旧約聖書は詳細にこの人物のディテールを予言していた。すでに見たように、その来臨の時ですら一年の狂いもなく予告していたのであった。しかし、ユダヤ人は人間の最大の欠点の一つ、『先入観』でしかものを見る事が出来なかった。彼らはメシアは強くたくましい王であると思っていたのである。実は聖書のメシアに関する予言はほとんどの場合二童になっている。謙卑のメシアと王なるメシアである。予言者はその二重の映像を同時に語ったために彼らは王なるメシアに気を取られて、その前にある僕のメシアを見失っていたのである。僕なるメシアこそキリスト教の奥義である。それは人類全体に課せられた入学試験である。神は天国にふさわしい人間をこの謙遜の姿で選抜しているのである。謙遜に謙遜を持って答えるか。それともあなどりを持って答えるか。天国には傲慢な人間は要らない。天国の市民権は謙遜である。聖書はそのためにキリストが自ら模範を示されたと言っている。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。それは、イェスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、『イユス・キリストは主である」と告自して、栄光を父なる神に帰するためである」ピリピ2:6〜11
謙遜な人間の選抜、これがキリスト教の秘密、存在意義である。
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さて、最初のメシアは注意深い観察者でないと分からなかった。そのために神は詳細な予言を与えられた。それに反して、再臨はほとんど細かい予言はない。特にその時などキリストは「知らなくていい」とさえ言っている。それは今度来る時はどんな不注意な人間でも分からないはずがないからである。何しろ今度来られるキリストはあの柔和な羊飼いの姿ではない。「そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように自い羊毛に似て真自であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精練されて光り埠くしんちゆうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、ロからは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り滓く太陽のようであった。わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、『恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄
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泉とのかぎを持っている」黙示録1:12〜18
これはほとんど仁王像である。一二弟子の内キリストに最も愛されたョハネでさえ、恐ろしさに震え上がり、気絶してしまった。その日、歴史は止まり、天は地につながり、霊界が物質の世界に介入する。三次元はさらに高次元に侵入される。これはまったく想像を絶する世界である。そんな馬鹿な事があるものか、と言われるなら、あえて問う、あなたは他にこのような事態に代わる希望を持っているかと。もし何もないなら、そのままでいいのかと。先入観これこそ最も悲しむべき人間の欠点である。私は日本で伝道していて、どれほどこの先入観に悩まされて来た事だろう。どうしてまだ知らないものを、知っているようにいうのか。なぜ、知らないものを白紙になって知って見ようとはしないのか。そんな思いからかなり思い切った文章を書いてみた。私としては日本人の前から、キリスト教に対する先入観を吹っ飛ばしたいのである。そして、聖書にはこれからの近未来がまるで手にとるようにあざやかに予言されていることを示したかった。読者がこれからの人生航路に聖書を羅針盤として下さったらそれに勝る喜びはない。