教理に関する攻撃

 

*C.S.ルイスもサタンの働き人。

*全てのプロテスタントとカトリックを一つにまとめるNCC,WCCの運動は「彼等」によって、進められている。

*高等批評も(聖書を神でなく、人の創作とする教理)彼等により進められる。

*キリスト教に異教の宗教との平和(妥協)を持たせる。

*患難時代前携挙説を持ち込む。

 

 
 
 
 
 

ゴールデン・ドーンはロスチャイルドのブライベイトなWitch団である。一七七○年に創設され、そのメンパーにはJ.R.R.トルケインとC.S.ルイスがいる」私はトルケインが何者か知らないが、C.S.ルイスと間いて飛び上がるほど驚いた。ルイスはクリスチャンの間では知らぬものはない、富話によってキリストの福音を伝えていると信じられている人物であり、恐らく世界中の教会の書棚には必ず一冊や二冊、彼の本はあるはずだからである。こうしてまた我々はサタンの高笑いを間くことになる。何と巧みな、何と恥知らずな人々であろうか。「アクェリアンアートフェステバルは全てのオカルトのブラザーフッドと結ばれている。WitchCraftには八つのブラザーフッドがある。このフェステバルはWitchCraftのチャププレンがいるサン・クェンチン監獄の礼拝堂で行われるように計られた。世界教会会議(WCC)と米国教会会議(NCC)は全てのブロテスタント教派と単立教派を一つに集めて、カトリックとの連合を目指す組織である。WCCから、聖書の神からの霊感を否定しようとする『高等批評』が生み出された。WCCは共産主義を認めてい
る。 。また、どんな異教の宗教とも平和を持とうとしている。この伝統的なキリスト教への反乱は皮肉な事にァメリカの伝統的な教会からの献金によって支えられている」ここを解説するのは非常に難しい。目本人の読者にはなかなか理解してもらえないだろう。まず『高等批評』は聖書を〃科学的〃に分解し神の言葉ではなく人間の創作とした。これは伝統的な教会の信仰と著しく違っていた。しかし、この神学にょって二○世紀の教会はひどいダメージを受けた。また、共産主義との和解、他宗教との平和などは日本人には、いい事ではあっても決して悪い事ではないと思われるだろう。しかし、伝統的な教会は真理は唯一であると思っている。それは聖書の主張である。神は唯一。キリストは唯一の伸保者。それがキリスト教の本来の主張であるから、WCCはこれを香定した。しかし、早実のところ、WCCやNCCの教会は信徒数を減らしてい☆i「サイェントロジーは心霊治痛と超理性事象を教える〃キリスト教会〃の中心である。ュニティー・チャーチはwitChcraftがクリスチャンに呼び掛ける主要な舞台である。ュニティー・チャーチは第一に哲学を教える組織である。テキサス州ダラスのュニティー・チャーチで全ての人生の歩みと仕事は神との調和であると言う説教がシリーズで語られた。このシリーズはこの教会のメンパーであるヌード・アーチィストが、男性、

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VI章ではイルミナティとはどんな組織か

る。また、どんな異教の宗教とも平和を持とうとしている。この伝統的なキリスト教への反乱は皮肉な事にアメリカの伝統的な教会からの献金によって支えられている」ここを解説するのは非常に難しい。日本人の読者にはなかなか理解してもらえないだろう。まず『高等批評』は聖書を〃科学的〃に分解し神の言葉ではなく人間の創作とした。これは伝統的な教会の信仰と著しく違っていた。しかし、この神学によって二○世紀の教会はひどいダメージを受けた。また、共産主義との和解、他宗教との平和などは日本人には、いい事ではあっても決して悪い事ではないと思われるだろう。しかし、伝統的な教会は真理は唯一であると思っている。それは聖書の主張である。神は唯一。キリストは唯一の仲保者。それがキリスト教の本来の主張であるから、WCCはこれを否定した。しかし実のところ、WCCやNCCの教会は信徒数を滅らしてる。サイエントロジー治療と超理性事象を教える〃キリスト教会〃の中心である。ュニティチャーチはwitchCraftがクリスチャンに呼び掛ける主要な舞台である。ュニティー・チャーチは第一に哲学を教える組織である。テキサス州ダラスのュニティー・チャーチで全ての人生の歩みと仕事は神との調和であると言う説教がシリーズで語られた。このシリーズはこの教会のメンパーであるヌーード・アーティストが、男性、

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女性、子供の信者の前で彼女の演技を披露することで締めくくられた。チャーチ・オブ・ウイッカは一三ドルイド・カウンセルのギャビン・フロストによって指導され、だれでも公に参加できるwitchcraftの組織である。ウイッカとは賢い者という意味である。アクェリアン反名誉毀損同盟はやはり33ドルイド・カウンセルのアイザック・ポンナビッツによって指導されユダヤ人やWitchに対して発言するクリスチャンを訴えているユダヤのADLの配下にある。ブラザー・ヤコブの最後の審判のプロセス教会はイルミナティの最もラジカルなグルーブである。この教会のメンパーはよく彼等の信条に従って暴発する(チャールズ・マンソンはこの教会のメンパーだった)。彼らは人身供犠を守り、キリスト教会を爆破する。彼らの別の主要な預言者マザー・ェリザベスは元アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの会員であった。ブロセス教会は『光を得た者』を信じ輪廻転生を信じている。ガーディナリアン・ブラザーフッドはイギリスのWitchCraftの親和会である。ローマカトリックの薔薇十字団は人身供犠をおこなっている。ガーターの聖なる結社はイギリスにあり首相によって指導されている。
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214 では新教はユダヤ教にどこまで犯されたか

中世の弾圧と迫害を経験したユダヤ人は、ルネッサンスによって反撃に転じ、宗教改革を背後から応援し
てカトリック教会を弱体化した。ルターは一時ユダヤ人とフリーメーソンに助けられたがやがてユダヤ人
の真意に気付き激しく低抗するようになる。一方、宗教改革運動のもう一人の英雄カルビンについては彼
自身がユダヤ人だったという説がある。カルビンとはイスラエル一二部族のレビ族特有の名前コーへンか
ら来たものであるらしい。

カルビンについてはその強い「予定説」がユダヤ選民思想と似通っているとは思うが、彼の著書からはユ
ダヤ・カバリズムの不気味な霊感は全く感じられない。むしろ、極めて健全で有能なキリスト教護教の勇
士としか現在の私には思えない。私たちキリスト者には特別の能力が与えられていると信じられている。
それは聖霊による賜物(カリスマタ)と言い、いくつかの分野があるのだがその一つに「霊を見分ける
力」と言うのがある。だから大抵の場合はその霊が健全な霊か、不健全な霊か判別できるのである。カル
ビンがもしユダヤ人であったとしても彼の信仰と霊性はキリストの霊、聖霊からのものであるに違いな
い。そういう事があっても不思議ではない。なぜなら、キリストもバウロもユダヤ人だったのだから。ユ
ダヤ人の全てがカパリストではない。むしろカバラやタルムードを忌み嫌っている人々もいるのである。
しかし、今日ではそんな事を口にする事は出来ない事だろう。カルビンの時代はまだ自由があったに違い
ない。ユダヤ・カバリストはかつてのように、強制的に改宗させられたユダヤ人をマラノと蔑むのではな
く、むしろまったく表面上は並のクリスチャン以上に熱心なキリスト教徒のように振る舞うようになった
事だけは確かである。そのために特に一八世紀以降はどれがどれやらまったく判らなくなっている。そし
て最近では世界でもっとも有名な伝道者がフリ

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ーメーソン三三階級であるという驚天動地の事さえ起こっているのだ。これはカトリックのロヨラに匹敵
するプロテスタント史上最大の珍事である。
 
 
 

*段階携挙説ークリスチャンは患難時代の前に引き上げられるという考えーは神から来たものではない?


さて、そんな中で一つの事実を取り上げよう。それは今世界
のプロテスタントの約半分が信じている教理であって、キリスト教徒がこの文章を読んだら必ず私を異端
視するかもしれないほど重要な教えとなっている間題である。一八世紀に「携挙」Raptureという教えが
プロテスタントに生まれた。それはキリストの再臨が二度起こるというものであった。よく知られている
ようにキリストの肉体での地上への帰還を再臨というが、その前に、「空中再臨」というのがあって、世
界に襲い来る患難の時代の前に、キリストが空中に来られて忠実なキリスト教徒を生きながらに空中に引
き上げそのまま天国に連れて行く、その後、地上には最終戦争が起こり、殺毅と荒廃が地を覆う、そして
地上の人間が死に絶える寸前になってキリストが聖徒と共に地上に再臨し、世界の軍隊を滅ぽし平和をも
たらすというものである。「患難期前再臨説」という。考えて見ればずいぶん手前勝手な御都合主義なの
だが、これが真面目に世界のプロテスタントの半分で信じられているし、実をいうとつい昨日まで私も信
じていた。実はこの教理の元になったという聖書の御言葉がある。

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「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った
人々より先になることは、決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッバの
鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最
初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で
主に会い、こうして、いつも主と共にいることであろう。だからあなた方は、これらの言葉を持って互い
に慰め合いなさい」Iテサロニケ4:15~18しかし、この言葉から再臨が二度あると読み取ることもできな
い。またもう一つの聖書の裏付けとして、マタイによる福音書24:37~42の言葉「人の子の現れるのも、
ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、
飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼
らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。そのとき、ふたりの者が畑にいると、
一人は取り去られ、一人は残されるであろう。二人の女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひ
とりは残されるであろう。だから目をさましていなさい。いつの日に

あなたがたの主がこられるのか、あなたがたにはわからないからである。」が用いられている。しかし、
ここも再臨が二度あるという前提で読むとそう思えるが、まったく白紙で読んだ場合、再臨が二度あるこ
との証明にはならない。取り去られる、取り残されると言う言葉がその後もう一度本当のキリストが来る
という意味を積極的に述ベているとは言えない。ここで注意しておきたいのは携挙と言う形態がないと言
っているのではなく、二段階(または時間差)の再臨はないと言っているのである。ところが実はこれら
の聖書の言葉から空中再臨と携挙が導き出されたのではないのである。もともと一八世紀のクリスチャン
たちは今日言われている「千年期後再臨説」を信じていた。それは再臨は一度だけでその時クリスチャン
たちはキリストに会う、それが本来この箇所の聖書の意味とされて来た。しかし、イエズス会と友好的な
スコットランド、アイルランド、イングランドのプロテスタントのグループがこの秘密の携挙を説教し始
めたのである。もう一度言うが、この教えは本当は上記の聖書の言葉から始まったのではない。それは全
く別の方向から来たのである。ゴードン・メルトンの『アメリカ宗教辞典』によるとこの考えは一八三○
年にマーガレット・マクドナルドから始まったとされている。イギリス人ロバート・ノートン博士はチ

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ャネラーまたは霊媒であるマーガレット・マクドナルドから彼女の見た幻について聞き、また彼女自身が
書いたものを受け取った。一方、アーヴィング派もラビ・ベン・エズラというペンネームを持つスペイン
からの亡命ユダヤ人でイエズス会士のエマニエル・ラカンタから教えを受けてこの教えを広めている。マ
ーガレヅト・マクドナルドはスコヅトランドのポート・グラスゴーに住んでいた一八三○年二月一日に
「帰って来たキリストにクリスチャンたちが個々に携挙される」最初の幻を見た。ノートン博士はこれを
The Restoration of Apostlesand Prophets; In Catholic Apostlic Church in 1861いう本の中に書いて
いるがこれは非常に希にしか目にすることが出来ない本である。この教えはさらに「千年期前再臨説」
Premilialismというのとセットになっている。それはこうして再臨されたキリストがュダヤ人の王として
(この辺がうさん臭いではないか)世界を一○○○年間支配するというものである。ところがその時キリ
スト教徒はどうなるのかというとこれが全く判らないのである。読者は何をばかげた事を言っているかと
思われるかもしれないがこのような論争は欧米では極めて重大な間題なのだ。
アイルランド人のジョーン・ダービー、ロバート ノートン、幾人かのアーブィング派、

その他の人々がマーガレットの家に行って幻について聞いた。エドワード・アーヴィングは手紙にこう書
いている。「メアリー・キャンベルとマーガレット・マクドナルドの幻と啓示は私に表現し難い霊的な認
罪と悔い改めをもたらした」アーヴィングがマーガレットの幻について説教を始めるのにはそんなに長い
時間を必要としなかった。また彼はラカンタがイユズス会の僧侶であることを良く知りながらラカンタの
著書を翻訳し始めた。ラカンタの患難期前再臨説の初期の言及ははすでに一八二○年代に現れていた。ダ
ービーが大きな影響を与えたプレマス・ブレズレンと言う団体は、ダービー以前、一八三一年にキャプテ
ン・バーシー・ホールによってこの患難期前再臨説を紹介されている。ダービーとスコフィールドと言う
二人の法律家がアメリカでこの教説を広めた。ダービーは一八六○年代から七○年代にかけてアメリカを
巡って携挙の教えを促進した。これらブレズレン派のエドワード・クローニンらはプロテスタント運動の
行き過ぎを是正するオックスフォード運動を導いたが、クローニンは「自由、平等、博愛」のフリーメー
ソンのスローガンを掲げた。この運動を影で操っていたのはイエズス会であった。オックスフォード運動
家の一人、ロパート・パクスターは天使とのコミュニケーションによる預言を発表したが、後年それはサ
タンからのものだったと述懐している。

220

ところでプレマス・ブレズレンにしてもイエズス会にしてもそのトッブはかように怪Lげな思想を持って
いたが、不思議なものでごく一般の信者や会士は至極純粋な信仰を持っていた。それと言うのもキリスト
教というものは厳密に自発的なものであって、決して脅追や強制によって信仰を持つ事も継続する事も出
来ないからである。キリスト教の最大の特徴はこの『信仰の自由』であってこれは何人も犯してはならな
いものである。だから、一般信者や長い年月の間には淘汰されて本当の信仰だけが残るものである。これ
に反して新興宗教の多くが強制、脅追、洗脳を拡大の手段としているのは人間の魂の尊厳に対する挑戦で
あり、結局、長い年月の試練には耐えられないものなのである。「中世の終りに現れた千年王国リバイパ
ルは、中世まで生き残った旧約聖書と天文学の現象(占星術)の学びによるュダヤ黙示主義によるもので
あり、メシヤの現れとその王国の実現を断言するものである」V.ノルスコブ・オルセン「メシヤの希望
はいかなる時もイスラエル民族から失われた事はない」アパ・ヒレル・シルパー「王なるメシヤは未来に
おいて現れるであろう、そして、昔のダビデの王国を立て直し、神殿を再建し、イスラエル民族を集め、
すべての律法はかつてのように実施される」マイモニデス(偉大なユダヤ人哲学者)

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これらの信仰は、今日、プロテスタントの半分が信じている、死者のよみがえり、最後の審判、新しいエ
ルサレムを含んでいる。ただ違うのはその王メシヤが再臨のイェスその人ではなく、ダビデの血統を継ぐ
人物と言うだけである。千年王国説とか千年期前再臨説とか呼ばれるこの信仰は、全くユダヤ思想に焼き
印されたものだとマルチン・ルター、カルビン、アウグスブルグ信仰告白は言っている。

千年王国説の信仰とカパリステイック・オカルトはイギリスにスチュワート王朝の時代に入って来た。そ
の時、極秘の内にイエスの子孫の血統と称する人々が王位についた。
この時代にイギリスでピューリタン(清教徒)が始まった。ピューリタンの中ではこの千年王国信仰は非
常なスケールで広がった。ピューリタンのもう一つの重大な要素はユダヤ・カパリズムのオカルトであっ
た。ビューリタンの拡大があまりにも急激だったのでイギリスでは政治的な圧迫を受けたために、彼らは
新天地アメリカに移動した。この最初のピューリタン移民をピルグリムと呼ぶ。その子孫は今日アメリカ
のイルミナティの最高位にある。彼らはマサチューセッツとコネチカットに住んだ。彼らの中心的指導者
はジョナサン・エドワースであった。この有能な人物は千年王国説を理論的に発展させた。来るべきュダ
ヤ人のメシヤによる千年王国の信仰はピューリタンに、自分たちがこれを

世界に知らしめる、神からの使命を帯びていると思わせた。それは今日エホパの証人とモルモン教が取っ
ている見解である。さてここまではプロテスタントの中にユダヤ・カパリストたちがいかに巧妙に入り込
んでいるかを見て来た。他にも私など計り知ることもできない形で彼らは入り込んでいる。例えば聖書そ
のものの変更もひどい。重要な言葉や思想がなしくずしに聖書から消え失せている。その他、特に最近で
は「可能性思考」「繁栄の神学」「インナーヒーリング」などが巧妙にプロテスタントを骨抜きにしてい
る。ユダヤ・カバリスト(またはいっその事サタニストと呼ぶほうが正しいだろうが)がどうしてそんな
にも簡単にキリスト教内部に入り込む事が出来るのかと言えば、それらの教説には聖書的根拠と思われる
ものがあるからで、初めからサタンの教えですよなどとやって来るわけではないからである。エパを輻し
た時のサタンもちやんと神の言葉を使っている。しかし、最近多くの教派や学者たちがこの携拳について
疑間を表明するようになった。聖書本来の趣旨とは違っていると言い出している。この携挙信仰の最大の
問題はクリスチャンがサタンの働きに対して警戒心を持たず、破壊工作に寛容遇ぎる態度を持つようにな
った事である。おそらくクリスチャンたち(特にアメリカの)は近い将来起こる迫害の嵐を突然起こった
突風のように思うだろうが、

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それははるか昔から計画されているのである。しかし、聖書も主キリストもはっきりと終末におけるクリ
スチャンの苦難を預言している。また、千年王国説もカパリスト・ユダヤの思いどおりになっている。プ
ロテスタントでも改革派はこの説をまったく受け入れていない。空中再臨も千年王国も、それを信じてい
るからクリスチャンである、信じないならクリスチャンではないと言った間題ではない。私自身はどちら
もニュートラルである。はっきり言って判らない。判っていることは未来を握っている方を知っていると
言う事である。ただ、末来の予言から教理を打ち立てようとは思わない。さて、二○世紀も終わろうとし
ている今、サタンがプロテスタント教会に対して行っている攻撃には非常に共通した特長がある。それは
九九の正しい教えプラスーの誤った教えである。私の身近にもこのパターンの攻撃が激しく行われてい
て、ほとんどの牧師が気がついていない。今、一○○○リットルの水のタンクがあるとしよう。ここに九
九九リットルの清らかな水を入れた。しかし、最後に汚い、細菌だらけの一リットルをこっそり入れたら
どうだろうか。その水全体は汚れてしまう。今日、有名な伝道者、癒しの伝道者たちは(欧米にはこうい
う超能力者まがいのキリスト教伝道者がゴマンといる)九九九の正しいキリスト教を語るが、こっそりと
サタンの教えをまぎれこませている。
 
 

最近故人となったアメリカの有名な癒しの女性伝道者キャサリン・クールマンは、オカルチストたちにも
有名であった。彼女は実はチーフ Witchだったというのである。彼女の名誉?ある地位を継いだのはカー
ター元大統領の妹ルース・カーター・ステイブルトンである。Witchとは日本語では魔女とか魔術師と訳
されているけれど、そんなおとぎ話の世界ではなく、言うなれば自発的に献身した悪魔礼拝者である。私
はこのような事を公表する事が、何よりもまず、神の前に責任を問われることであることを自覚してい
る。だから私を批判する人々もまったく同様に、神の前に責任を間われる事を自覚されたい。無責任な言
葉は要らない。

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