このまえHTMLで初めてHP作ったんだから。
このページはいいぞ>ラサ ただしくれぐれも悪用するなよhttp://www.bekkoame.or.jp/‾ymasaki/01.htm
ジョン・ラーベはジーメンス社の南京駐在員でナチス党員。大使な んかじゃねえぞ。こいつは南京に安全地域を作り守った。南京のシ ンドラーの異名をとる。彼の日記には日本軍人の無秩序・野獣ぶり が随分抑えられた文調で描かれている。南京大虐殺を巡って論争が 幾度と無くあったが、これに決定的なものを与える本だ。俺も「中 国軍のほうも斎南で日本人捕虜を2千人射殺した。」「アジア人の 戦争のやり方は西洋人と根本的に違っている。もし日本人と中国人 の立場が逆だとしてもおそらく大した違いはなかっただろう。」と 日本軍人をかばうことは言っている。こうした事を踏まえても、日 本人の非道ぶりは我慢ならない位酷かったという事だ。 悲しいのは、南京は中国の首都だったが故に外国人もおり、事実の 証言がこうしてなされることができたという事。同様のことはあち らこちらで起こっていたことが容易に類推できる。 理由はいろいろあろうが、俺が思うのはあの戦争では戦略を立てた 当事者に当事者能力が全く無かったことだろう。物資の補給が無け れば前線が暴走するのは明らかだし、どのように戦争を終結するか という戦略があれば、対処も違っただろう。また、事実のチェック 能力が全く無かったのだろう。そして日本人の本性が残忍で野獣の ごとくであったということだろう。
日本兵は「幼い娘は熟していない」といって、下腹部を切り開き輪姦を始める のであった。妊婦でさえも容赦はなかった。12月19日午後7:30分妊娠 9ヶ月の17歳の少女を2人の日本兵が強姦する。この結果流産してしまい、 彼女は発狂してしまった。HongWu門外では日本兵が農家の妊婦を強姦し、 女性の腹部を切り開き、胎児を取り出した。また別のところでは、日本兵が妊 婦を強姦しようとしたがお母さんが立ちふさがる。そこで日本兵の超残虐な行 為が始まる。日本兵は老婦を蹴飛ばし、妊婦の腹部をナイフで切った。数ヶ月 たったばかりの胎児が中から飛び出した。このようにして2人の尊い命が一瞬 のうちに消えてしまった。多くの女性が強姦の後殺害されている。ある日本の 上官は部下にこう言った。「後で厄介になるから、用を済ました後は分からぬ ように殺しておくようにしろ」多くの女性はこの時の経験を話せない。しかし そのような地獄から生還した女性もいる。彼女はJianYin通り6丁目に 住んでいた。彼女は他の女性といっしょに日本軍に連れ去られた。日中は洗濯 をさせられ、夜になると輪姦の道具となる。年増の女は一晩で10回から20 回。若くてかわいい女はもっと多かった、と証言する。正月元旦の日、二人の 日本兵が彼女を連れ誰もいない学校にやってきた。そして彼女を10回銃剣で 突き刺した。首の後ろに4回。腕に1回。顔に1回。背中に4回刺された。日 本兵は彼女が死んだと思い、去っていった。あとで通行人に助けられ病院に担 ぎ込まれ命を取り留めた。強姦の後幸運にも殺されなかったが性病に罹り、一 生苦しんだ人たちもいることを忘れてはならない。
"外国人の見た日本兵の蛮行#という本の中に著者の TianBoLie 氏は 南京の虐殺の事実を記録に残している。そのほとんどが強姦であった。それか ら少し例を拾ってみるだけでも日本軍の罪の重さがわかる。12月14日正午、 日本兵は JianYing 通りの民家を襲った。4人の少女を誘拐し2時間 かけて強姦した。12月14日夜、日本兵が民家を襲って女性を強姦し、連れ 去った。12月15日夜、大勢の日本兵が Jinling 大学の講堂に押し 入った。そこで30人の女性を強姦した。ある者は6人の日本兵から次々と輪 姦された。 12月15日夜、大勢の日本兵が ShanTiao通りの民家に 押し入り、多くの女性を強姦した。12月16日、日本兵は保育大学から7名 の少女を誘拐した。年齢は16歳から21歳までの娘であった。そのうち5名 が後に釈放された。18日におこなわれた事情聴取によると彼女らは一日に6 回強姦されたといっている。 12月18日の夕暮れ時、4,5百人の女性がわれわれの事務所に保護を求め てやってきた。 この多くは日本兵に強姦されていた。 ここに記載した事件は 南京陥落後のほんの数日間に起こった氷山の一角に過ぎない。 実際、"強姦は 南京陥落後6週間に渡って大規模に行われた」のである。これらの犯罪は下級 兵士の行動にとどまらず、指導者層にまで及んでいる。南京虐殺の主犯格であ る日本軍第六師団長谷寿夫の証言によると、彼は ZhongHua 橋の近く で Din Lan という女性と他に二人を強姦している。また、SaiHongQiao で Liu YuQingさんと他三名を強姦した。他のところで10名以上の 強姦も認めている。日本軍の侵略者たちは強姦で動物本能を満たすだけでは終 わらなかった。彼らは集団で輪姦し、その後、殺して死体を切断するのであっ た。多くの女性は10人くらいの日本兵に輪姦された。そして女性は死んでい く。この種の経験をした女性の死体は数限りなくあった。虐殺の期間中、強姦 の犠牲者には教授婦人、尼僧、労働者、教師、学生などがいた。2月の終わり ごろ、14人の難民の家族が日本軍により惨殺された。一番下の娘はほんの 14歳。彼女は二つの正方形のテーブルの上に乗せられて死んでいた。上半身 は服を着たままであるが、下半身はすべて剥ぎ取られテーブルは血の海であっ た。そして彼女の下腹部には銃剣で刺した後が二つあった。お姉さんは妹と同 様の格好でベッドの上に倒れていた。母親はテーブルのところで1歳の赤ん坊 を抱きかかえ倒れていた。赤ん坊は腹部をナイフで切られ、内臓が飛び出して いた。正視できない地獄絵巻である。国際委員会の委員は調査に乗り出した。 写真を撮り、それをアメリカの市民のもとに送った。日本大使館にも送った。
ニセモノは少しばかり黙っとけ。
日本軍の地獄の苦しみを味わったのは主に女性であった。彼女らは強姦されて それで終わりではなかった。日本軍から胸を切り落とされ骨が見えている女性。 下腹部を銃剣で刺され苦痛で泣き叫ぶ女性。また、下腹部に木材、竹、人参な どを差し込まれ、かき回されて死んでいく女性。 これを端で見ている日本兵は拍手を送り高らかに笑っていた。日本軍に囚われ コックとして働かされた中国人が脱走後次の話をしてくれた。12月16日、 通りに出てみるとまだ火も残って煙が立ち込めていた。我が同胞の死体の山、 山、山。特に女性の死体が目立つ。それらの中で10体のうち8体は腹部を切 断され中から内臓が出ている。 血まみれの胎児を手にした母親の死体もある。女性の乳房は切り取られるか銃 剣で刺され、血と肉の固まりと化している。南京市内外の虐殺の期間中、多く の女性の死体はこのような様子であった。XinZhong門の城壁近くの家 で60歳代のおばあさんの死体が見つかった。おばあさんの下腹部は大きく膨 らんでいた。 YangPi通りの北に少女の死体が見つかった。おなかは切り開かれ内臓は 引き出され、2つの目は大きく見開き、口からは血が流れていた。 GuYiDian 通りでは12歳の少女が死んでいる。下着は破られ、目は閉じたまま口は開い ていた。この死体を見てわかることは、これらの女性が単に日本兵の刃に倒れ ただけでなく、辱めを受けているということだ。日本兵の犯した強姦の罪は重 い。その残虐さは彼らの殺戮に劣らなかった。日本軍の上官はこれらの残虐行 為の手をゆるめることはなかった。むしろ兵士の動物本能を満足させるために これを奨励した。その結果、日本兵はどこに行っても強姦をやった。上海、 SuZhu,WuXi, HangZhou でも日本兵は同じことをやった。 南京の女性の運命は特に悲惨なものであった。南京陥落後、日本兵は女性を求 めて南京のいたるところを探し回った。そして見つけると集団暴行を行う。
>(無題) 投稿者:Enzo 投稿日:05月02日(土)02時56分09秒 ■ ★ > > そういえば従軍慰安婦裁判で大袈裟に泣き叫んでたチョンのババァはなんなんだぁ?(笑) 「従軍慰安婦」については、すでに防衛庁所蔵の資料や多くの文献、被害者本人らの証言でも明 らかになっているもので、1993年の官房長官談話によって、政府も不十分ながら認めている ものである。これらの事実をまったく無視して、事実を歪曲することは許すことのできない暴挙 である。 しかも「従軍慰安婦」とされた多くの人々は、そのいまわしい過去のため、筆舌を尽くしせない 苦労を強いられてきた。彼女らにとって自分の過去を語ることは、癒しがたい過去の傷を疼かせ るものである。Enzoのような書込みは、そのような人々に対する、許すことできない冒涜になっ ていることも知るべきである。
一説によると、日本軍が南京に入城した当時は、既に多くの住民が避難しており、 南京の人口はおよそ二十万しか残っていなかったともいわれる。その南京でどうや って三十万人の犠牲者が出るというのかという指摘に対して、論理的な説明がなさ れたのを俺は読んだことがない。 ここで俺は別に南京大虐殺がなかったといっているわけではない。俺の関心はむし ろまったく別のところにある。それは、丹念に事実を検証していく努力をしないで 、単に起きた(かもしれない)事件を誇張して騒ぎ立てるような態度は、事件を無 視したり根拠なく否定するのと同様に一種の隠蔽工作だという点なのだ。「三十万 人が虐殺された」という主張が、ある政治的(あるいは心情的)な意図の下にお行 われた誇張であったことが暴かれると、今度はその虚偽 自体が逆の立場からの宣 伝材料となってしまう。「三十万人の死者というのは嘘だった」という指摘は、容 易に「南京での大虐殺などなかった」という主張にすり替わっていくだろう。そう した宣伝を、結果的にとはいえ導いてしまったのは、誇張された数字なのである。 俺がこの手の報道を眼にするたびに感じる嫌悪感は、そういう歴史そのものへの真 摯な探求を欠いた、つまりは真実そのものに向かい合おうという意志を持たない、 ロマンテックで独善的な正義感への危惧に由来している。真実を無視した正義感は 、容易にファシズムを招くだろう。 ヒトラ−を支持したドイツ人も、スタ−リ ンを支持したソビエトも自分たちの選択を「正しい」と信じていたのだろう。少な くとも当初は、自分たちが虐殺を好む独裁者に加担したとは考えていなかったはず だ。 重ねていっておくと、俺は日本軍が実際に行った戦争犯罪については可能なかぎり 正確に調査すべきだと考えている。南京入城後の日本軍の乱れた行動によって、罪 のない犠牲者が千人、五百人、いやたとえ一人だったとしても、それが民間人に対 する不当な行為であったなら、断じて許されるべきではない。 だが誇張された数 字は、そうした基本的な点さえも忘れさせてしまう。三十万人の犠牲者という誇張 された数字を言い立てる行為は、取りも直さず現に亡くなった(であろう)本当の 犠牲者に対する冒とくなのである。たが、真実の解明や死者への慰霊よりも、日本 を非難しその結果としてなんらかの利益を引き出したいと目論んでいる者は、死者 の棺のうえに土足で声高に叫んでみせる。 日本が「誠意ある対応」をするために 第一にしなければならないのは、こうした外圧や政治的下心を排除したうえで、我 々自身が、本当はどうしたいのかを、深く考え、自ら決定するということのはずだ 。外圧によって謝罪するという態度は、時には謝罪をしないのよりも不誠実な態度 といわねばならない。
日中戦争のさなかに日本軍によって引き起こされた南京事件は、その事実さえ疑われて論じられることもあったが、 この本の出現でぐうの音も出ないと言うことになろう。大変良いことだ。旧日本軍のこうした残虐行為は、日本人の 特殊性と結びつけられて論じられることも多いが、俺はそうは思わない。かつて宗教の名においてどれほど残虐なこ とが行われてきたか、ヨーロッパの歴史をひもといてみれば直ぐに理解できる。日本人の特殊性や天皇制との関係か ら南京事件を見るべきではないと思う。しかし事実が隠蔽されると言うことは許し難いことであって、この本の価値 は事実を論議の必要もないくらいに暴き立てていることにある。
「天皇の名のもとに−南京大虐殺の真実」 1937年12月の南京大虐殺とは何であったのか? 当時、南京に滞在していた米国人ジョン・マギー牧師は、密かに16ミリフ ィルムを回しその実態を記録していた。深傷を負って南京病院に運び込ま れた人々、黒焦げの死体、強姦された女性%%%、目を覆うシーンが続く。 アジア系米国人のクリスティン・チョイさんとナンシー・トンさんは、92 年から3年の歳月をかけて、映像資料の発掘と百人近いインタビューを行 なった。約50分の映画の骨格は、マギー牧師の貴重なフィルムだ。それに、 当時のニュース映像や虐殺に加わった元日本軍兵士、生き残った中国人の 証言、南京に住んでいた外国人の日記などを加え、南京大虐殺を様々な角 度から検証している。この事件をめぐる日本の論争にも一石を投じるもの である。 このフィルムは95年に完成したが、日本で公開できなかった。NHKは内 容を見て「刺激的すぎる」と放映を断ったという。 現代史を知らない日本の若者にとっても、必見の作品である。 TBSニュース23でも「ラーベの日記」とあわせて、このビデオ映像が取 り上げられ、全国的に反響が拡がっている。 この作品には、南京戦に参加した元日本軍兵士(東史郎・上羽武一郎・永 富博道)をはじめ、ソン・シンドー、家永三郎、藤原彰、吉田裕、本多勝 一、吉見義明、西野瑠美子、大沼保昭、渡部昇一などの各氏も登場してい る。
失敗、どもども、テストです。
どもども騙りテストです。