「なぜ篠原選手は自分の技をかけることができなかったか?」
篠原選手の実力がドイエ選手より地力で勝っていたことは試合全体の流れから見て一目瞭然ですが、あの試合での篠原は最後までドイエに苦戦しました。
ここで疑問が生じます。ではなぜ篠原があれだけの苦戦を強いられたのか?
なぜ相手より実力があるはずの篠原が自分の技をかけることができなかったのか?
なぜ返し技でしか有効なポイントをとることができなかったのか?
答えは両者の「組み手」にあります。
篠原とドイエ両選手の試合も序盤から厳しい組み手争いから始まりました。
ドイエが篠原に対し普通に組み手を許せば、篠原の投げ技を食うことはわかっています。
そこでドイエ選手は、相手にいいところを持たせない組み手争いを執拗に続けました。
そしてかなり早い段階から「片襟」をとるという禁止行為をやり、終盤まで再三にわたりこの行為を続けました。途中、帯を掴み続けるという禁止行為も何度か見られました。
試合のはじめから終わりまで片襟あるいは帯をとられ続けた篠原は、当然自分の間合いを十分にとることができません。したがって篠原は有効な技をかけるチャンスを作ることができず、片やドイエは終始自分のペースで試合を展開することができました。
ドイエにとってみれば、これも苦肉の作戦の一つだったであろうと考えられます。まともに組めば投げられる、しかし組まなければ指導をとられる・・・・ここで彼は一つの選択として、“まともに組まない”ことを選びました。
“反則覚悟”で試合に臨み、その中に何らかの活路を見いだして勝ちを拾う。反則をすることはスポーツ選手として正しい行為ではありませんが、勝負にこだわるアスリートとして、これも一つの作戦だったと言えるかもしれません 。ドイエは始めから自ら不利な状況の中で闘うことを選んだのだと思われます。
しかし(!)ここで意外なことが起きました。
どの審判もドイエのこの反則を全くとがめようとはしなかったのです。
主審は序盤から繰り返されたドイエの反則行為を無視し、試合をそのまま続けさせました。
片袖の反則により引き手の動きを封じられた篠原が技をしかけるチャンスが生まれるはずはありません。
両者有効なポイントの無いまま試合は続行されました。
そして試合開始後1分39秒を経過した時点で、ドイエは篠原に内股をしかけるのです。
ドイエはここでもまた一つ、篠原の帯を肩越しに掴み続けるという反則行為を行っています。これも当然審判は止める必要があります。
しかし審判に何もとがめられないままドイエは内股をしかけ、試合は問題のあのシーンへとつながっていきます。
その後、守りにまわったドイエに一度「注意」が与えられますが、審判は組み手について相変わらず全くとがめることをしませんでした。
試合終了46秒前、ドイエは篠原のかけた技を逆に返し有効のポイントまでとってしまいます。
この前後でも主審はドイエに何の指導も注意も与えませんでした。
不十分な組み手のまま仕掛けられた篠原の技は当然不十分な技となり、それを簡単に返されてしまうのは必定です。技を返されて「効果」を取られるという結果は篠原自身も十分予想できたことでしょう。しかしもしあの体勢のまま篠原が何もしなかったら、それこそ主審は篠原の動きを消極的として「指導」を与えたことでしょう。
篠原は何でもいいから技をかけなければならなかったのです。
そして、本来の破壊力を封じられたままの篠原自身の技は一度も繰り出されることなく試合時間は終わってしまいました。
この試合の流れを決めた大きな問題点はまさにここ(ドイエの組み手)にあります。
問題は、件の「内股すかし」の「誤審」にあるのではなく、このシーンを迎えることを余儀なくさせたこの度重なる反則行為の繰り返しにあるのです。
その後の「誤審」を誘発させた目に見えない「誤審」。ドイエから反則をとらなかった主審は始めから「誤審」を続けていたのです。
ドイエの片襟の反則と、相手の帯を掴む反則が審判により正しく禁じられていれば、試合は全く違った展開を見せたでしょう。
両者は重量級のチャンピオン同士らしくがっぷり四つに組み、正々堂々闘うことができたでしょう。
お互いの選手が、本来の実力を出し合う名勝負を見ることができたに違いありません。
これは両選手にとって全く不幸なことであり、我々観戦者にとって、また柔道界全体にとって実に残念なことです。
篠原選手、ドイエ選手はその技、力ともに現時点での世界の柔道界の頂点を争うにふさわしい素晴らしい実力を持った選手です。 そんな二人の選手が堂々とぶつかり合う闘いは、二十世紀最後のオリンピックを飾るにふさわしい大試合になったはずです。
しかし、この試合をコントロールしていた審判員の力量はどうだったか?
残念ながら、二人の闘いを裁くにはあまりにも低くあまりにも未熟なものでした。
試合を裁かれる選手の力量からは到底考えられないくらい低いスキルのまま世紀の大試合を裁いてしまった審判員の未熟もさることながら、このような審判員を選出してしまった国際柔道連盟の責任は重大です。
今後の世界の柔道界全体の発展において大いに憂慮すべき課題を残したと言えます。