Last Update : 6/22/1998

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準備
5/4/1998
準備って一体なにしたっけかなぁ? というのは何もしてないんじゃなくて、渡米の直前は忙しくて逆に覚えてない。 まあ通常の引越しだとしても大変なのに、加えて外国に住むための準備となると「何をすればいいんだ」って感じだったのだ。 たいていのものはアメリカにいてもお金を出せば買えるから、引越し後でも揃えられる。でもお金が使えるようにするための方法は、ちょっと準備が必要だった。 日本を発つ前に準備したことといったら、下のようなことかなぁ。

●American Express のクレジットカードを作成
日本のクレジットカードは何枚か持っていたけど、アメリカに住んで買い物をしてカードを使うのにいちいち為替を気にしながら、というわけにもいかないし、 まして為替手数料も取られてしまう。ということで日本の AMEX は、アメリカに来たらアメリカの AMEX に切り替えられると聞いて慌てて加入。それまでは年会費に一万円もとられるならいいや、 と思っていたんだけど、やっぱり World Wide サポートを売りにしているだけのことはあるなぁ。アメリカに来た直後はクレジット信用歴がないのでクレジットカードを作るのが大変難しい。たとえば住友 VISA を持っているからといって、 アメリカの VISA カードには変更はできないらしい。これはそれぞれの国ごとに独立してクレジットヒストリーを持っているためとか。もちろんアメリカでもゼロから AMEX のカードを作るのは難しいと思う。 だから作りやすい日本で AMEX を作る必要があったのだ。
クレジットカードについてはまた別の機会に。

●銀行口座の整理
いくつかばらばらになっていた貯蓄先をまとめ、貯蓄を最低限の銀行だけに整理した。それと AMEX だけでは不安だったので、日本の CITIBANK にも口座を開いた。 CITIBANK はあらかじめ指定してさえおけば、安く、場合によっては無料で海外送金が可能だし、何にもまして日本でお金を預けておけば、アメリカの CITIBANK をはじめ、 いろいろな銀行の ATM からドルで現金が引き出せる、というので迷わず口座を開設。
山一にもすずめの涙程度のお金を預けていたんだけど、去年アメリカにいる間に廃業のニュースが流れてきてびっくりした。解約の手続きは日本に一時帰国したときに済ませた。
こんなことがあってからは実家にそれぞれの通帳と印鑑、委任状を預けてきた。

●住民票
僕は東京都江戸川区に住んでいたんだけど、そこで転出届を出してきた。窓口で聞いたら「米国に転出」というような記述になったような気がする。 これをやらないと住民税の請求とかがきちゃうんだろうね。

●国際運転免許証
アメリカは各州ごとに運転免許証を発行するみたいだけど、ニューヨーク州の場合は取得に時間がかかると聞いていたので、 その間は国際運転免許証が唯一運転許可の証明書。レンタカーも車を買うときも自動車保険に入るときにもこの国際運転免許証を提示した。

●その他
NTTに電話の利用を一時停止する手続きをした。これは電話でできたような気がする。
郵便物は実家に配送するように頼んだ。
各種メンバーシップの住所変更 ( ソフトウェアのユーザ登録やら、航空会社のマイレージ、インターネットプロバイダやパソコン通信の届け出連絡先なと諸々)。アメリカの住所にしたものがほとんどだけど、中には実家の住所にしたものも。

以上こんなところかな。もしまた見つけたら「準備 その2」を追加します。
あ、それと身辺整理・・・


ビザ
5/9/1998
アメリカで働くためにはビザが必要になる。このビザの種類がまたたくさんあって、実際アメリカに住んでいる、とは言ってもいろいろなケースがあるようだ。外交官、学生、投資家、研修、駐在員などそれぞれにビザがあるし、グリーンカードもビザの一種なのだ。僕のようにソフトウェアの会社に勤める場合は一般に特別職 ( 専門職 ) の H-1B ビザが多い。 というのもコンピュータなどのハイテク産業のエンジニアは他の職種に比べて、有利に取得できるのでソフトウェア産業に携わっている外国人労働者の多くが H-1B ビザで滞在しているのだ。
H-1B ビザは最初に取得すると3年間の有効期限をくれる。その後一度だけ更新ができ、最長6年の滞在が可能なのだ。さらに滞在を続けたい ( そうなるともはや滞在とはいえないね ) 場合は、グリーンカードの申請を行うことになる。
ビザ申請の手続きについて本来いろいろ書かねばならないが、自分ではほとんど何もしなかったのであまり書くことがないのだ。というのも 実際にその作業にあたるのは、会社と契約している移民専門のアメリカ人弁護士で、彼が提出すべきすべての書類を用意し、必要な関係機関とのやりとりを一切行ってくれたため、僕は指示された書類を集めてくるだけだったのだ ( 取得にかかった会社が支払ったので、いくらかかったのかも知らない )。でもまあ手順はこんな流れだった。
まず僕が用意したもの

英文で書かれた大学卒業証明書/成績証明書。これは大学の事務局に電話すると手慣れた様子で作成してくれる。
Resume。
以前勤めていた会社の部長など役付きの人からの推薦状。文面は弁護士が作ってくれ、これを電子メールで受け取って、その会社のレターヘッドに印刷し、サインをもらった。
アメリカで勤務する会社の Annual Reportと会社のレターヘッドでプリントアウトした人事部長などのレター ( 文面は弁護士が用意してくれた )。

この間に弁護士がどっかの教育機関の権威のような人から、ものすごく歯の浮くような推薦状を取り付ける。その文面は自分で読んでも「お、俺ってそんなにすごいの?」と思ってしまうような内容なのでここでは恥ずかしくて要約も載せられないのだ。
それらの書類の準備が整うと、次に

労働許可証の申請、承認。弁護士がやってくれたので詳細不明。
移民局にビザ申請、承認。これまた弁護士がやってくれたので詳細不明。

ところが最後のところでちょっと問題がっ
移民局での H-1B ビザの発給は毎年10月から新年度を迎え、年間65000人の枠を超えてしまうと、次の10月まで発給が止まってしまう。僕の Working Permit が降りたのが7月で、すぐに移民局にビザの発給をしたものの、すでに枠いっぱいに達したたため、来年度 ( といっても 3ヶ月で新年度になるんだけど ) までビザが発給されないという返事がやってきた。ここ数年、違法滞在を厳しく取り締まったせいで多くの外国人が合法滞在の H-1B での申請をするようになったため、年間枠に達するのが早くなってきていた。
結局遅れはしたものの、処理は進められていて9月中旬にビザが発給された。これは10月から発給が開始になるのではなく、10月からの滞在が可能になるべく9月中に旧年度分は処理されたようだった。

ここまで来るともう最終段階だ。
最後は東京のアメリカ大使館でビザスタンプの申請だ。先の弁護士事務所から推薦された旅行代理店にパスポートを預け、大使館に代理申請してもらう。特に問題がなければ2週間かからずにパスポートにビザスタンプが押されて返ってくる。そうでない場合は大使館に呼ばれ面接になるそうだが、幸い僕の場合はすんなりもらえた。( 10年ほど前、僕が初めてアメリカに行ったときは観光ビザを取る必要があって、この時はアメリカ大使館まで申請に行ったのを覚えている。最近は短期間の観光・商用はビザが免除されているので行く必要がなくなったが、そのかわりに個人で申請することは出来なくなったと聞いた )

ビザ
ビザスタンプ。とはいってもパスポートにこんな紙が張られているだけ。隣は移民局からの許可証。

H-1B というビザは年間の割り当て人数が決まっていて、これまで65000人という枠があることは上に書いたが、最近聞いた話では、ハイテク産業がアメリカの経済を牽引しているこの時期に人材が不足しているとの米国企業の訴えがあり、この65000人という枠を拡大し、90000人まで引き上げるとのことになったようだ。アメリカで働きたいという人には可能性が広がった。


引越し ( 日本から )
5/12/1998
引越しと言っても何を持って行くのかは何年くらい住もうとしているのかにもよるだろうし、家族同伴かどうかの違いから何を持っていくかも異なるから、引越しの規模はいろいろなのだ。僕は引越しするにあたってなるべく少なくしようと思ったため、アメリカに来て調達のできる衣料などは大幅に実家に置いてきた。決しておしゃれではないけど、やっぱり日本人の体型に合っているだろうからとスーツやジャケット、それからアメリカに来てすぐに買い物しなくても済むようにTシャツや下着、靴下はそのまま持ってきた。引越しの荷物に含んだものは、アメリカで買いにくいもの、買うと高いものなどを優先的に詰めた。たとえば仕事関係の本 ( 日本語のもの )。それからソフトウェア。ダンボール箱に入る程度の大きさの電気製品。それからアメリカでもう一組買うのももったいないだろうと、なぜかゴルフバッグ。
引越しの荷物が来る前に掃除をしようと思っていたので、掃除に必要なものは手荷物で持って行った記憶がある。( 確かバルサンも持って行って、アパートに入居するや否や焚いたものだ )
ほとんど荷物が少なければ、郵便で運んでしまうのも可能だが、それでも10箱くらいの荷物になってしまったので、海外引越しを請け負ってくれるいくつかに見積もりを依頼した。
クロネコヤマト海外引越し便の見積もりは、3立法メートルで20万円程度だった。日通の場合は27万円。その他、僕が勤務している会社の推薦の United Van Lines の日本のエージェントの見積もりは「最低30万円で、詳細は引越し後の請求で判明する」というとんでもない見積もりだった。加えて、日通とクロネコヤマトは一ヶ月で配達できる、と言明してくれたが、UVL 日本エージェントは「一ヶ月では着きません。45日見てください。」と言われたので、この時点で選択リストからはずした。
結局、海外引越し便を使用した友人の薦め、料金、配達納期でクロネコヤマトに依頼した。

僕の場合は、アメリカでの住所が決まってから引越し業者に荷物の引き取りに来てもらったが、東京から NY への荷物の搬送は通常一ヶ月かかるそうなので、たとえアメリカでの住所が決まっていなくても、荷物の送り出しだけは先にやっておくほうが良いようだ。そうすればアメリカ入国後一ヶ月の間にアパートを見つければ、その後荷物を受け取ることができるし、たとえ一ヶ月を過ぎても引越し業者のところで保存していてくれるそうだ。
僕は一人暮らしをしていた所からいったん実家に全部の家具、電気製品、その他の荷物を送り、そこでアメリカに送る荷物の整理をした。
 引越し当日僕は出勤していたので、おふくろに荷物引渡しの立会いを頼んだ。だからクロネコヤマトの人たちとのやりとりはすべておふくろからの伝聞になる。
当初ダンボール箱にして10個の荷物も、クロネコヤマトの作業員が来て、荷物の整理やそのままでは運べないものなどを箱につめなおすなどして、確か16箱くらいになったようだ。というのも、日本から持っていこうと新しく買ったものなんかは「新品だと高い関税がかかる」ということで詰めなおしてくれたらしい。保証書なども手荷物で持っていくことを薦められた。品物と一緒にあるとそれで新品と判断されるからだそうだ。 またこのときクロネコヤマトはいくつかのバリエーションのダンボールを持ってきてくれていて、ゴルフバック専用とかスーツ用など適切な箱に入れてくれる ( 料金に含まれている )。全然手元に箱がない場合は、見積もりに来てくれたときに多めにダンボール箱をもらっておいた方が良いようだ。 僕が詰めた10箱のうち5つが PC 関係の書籍やパーツだった。PC 本体、モニタ、プリンタなどは、日本を発つ前に里親に手渡してきたので、この5箱にはフロッピーディスクや CD-ROM、書籍だけだったはずだ。
引越しの荷物にわれものは詰めなかったから、あまり詰め方は気にしなかった。ただダンボールの上にいくつも別の重たいダンボールが載せられるだろうからと、わりときっちり詰めてそれぞれの強度を同じ位にした。ここで箱に詰めた後は、アメリカで荷物を受け取るまで税関で開けられた様子はなかったし、時々聞く「船便だと水に箱が水に使っていたみたいでかびが生えていた」とか「箱がぼろぼろだった」ということは皆無だった。 僕は箱に詰めたあと封をせず、マジックで主な品物を箱の横に書いておいたが、クロネコヤマトの人たちはそれをもう一度チェックして、完全な品目リストを作成し、ダンボールの箱を頑丈にテープで補強して閉じてくれた。この品目リストによって税関での荷物検査をスムーズにすることができるらしい。この品目リストのおかげで、アメリカで荷物を受け取ったあと部屋の整理をする際にどこに何が入っているかが一目瞭然となって、とても楽だった。

かくして僕の荷物は、年の暮れも押し迫った12月末、アメリカに向けて運送が始まったのだ。

日本から持ってきたもの
5/16/1998
日本から持ってきたもの

こたつ
ホットカーペット
炊飯器
電気ポット
加湿器
毛布、羽毛布団

アメリカで生活するにあたってアメリカ国内で入手しにくく、かつ持っていたら便利だろうなという物を一時帰国のときに持って帰ったり、引越しの荷物に入れたりしたのだ。たいていのものはアメリカで揃うし、場合によっては日本製のほうが良いにしてもアメリカで買ったほうが良いものもある ( テレビやビデオなど )。でも電気製品全般はやっぱり Made In Japan が世界最高の品質だとつくづく感じさせられる。 ( 除くデザイン )。でもこうやってリストを見ると無くても生活には全然困らないものばかりなのだ。

こたつなんか最近は日本でも使っていなかったんだが、ニューヨークの寒い季節には妙に合うんじゃないか、と引越しの荷物につい入れてしまった。まあ普段はこたつ布団をはずせばソファにあわせたテーブルになるのでいいんだけど。でもニューヨークでは暖房が完璧すぎるくらい完璧に入るので ( 真冬でも暑くてちょっと窓を開ける必要があるくらい ) こたつとして使うことは少ないかも。
ホットカーペットは4月、5月の肌寒い日にとっても有効だ。なんといっても日本製のカーペットの肌触りはアメリカ製のそれに比べても全然いいので、別に暖を取る必要がないときでも気持ちいいぞ。
電気ポットと加湿器は日本に一時帰国したときにスーツケースに入れて持ってきた。加湿器は日本ではすでに衛生の面から販売されていないミスト型がまだアメリカでは主流なので、これも日本で手ごろなやつを買ってきた。冬は朝起きるとのどがからからになっていて、寝る前に手洗いしたTシャツなんかも一晩でパリパリに乾いてしまうほど乾燥しているので、風邪予防の必需品だ。肌もかゆくなってきて知らないうちに表面がぼろぼろになってしまう。ポットは加湿器を買ったついでに「あったら便利だよな」程度の気持ちで買ってきた。いちいちやかんでお湯を沸かすのもめんどくさいからね。
炊飯器は必須なのだ。僕みたいに料理をしない人間でも、それほど日本食にこだわっていなくてもやっぱり炊き立ての白いご飯が食べたくなるものらしい。友人の勧めもあってこれは日本で購入。メーカは保証してなくてもアメリカで使っているのだ。電圧が違ってもこのくらいの違いであればほぼ問題なさそうだ。でもなんかあってももちろん僕は保証できないけど。 もちろんこちらでもチャイナタウンあたりのスーパーや、ヤオハンに行けば売っているのだが、はやりの「直火炊き、厚釜」タイプはみかけない。炊き方にこだわっているわけじゃないけど、味はイメージに左右されやすいので「おいしく炊けるに違いない」というのも実はおいしく食べられるコツじゃないかと思う。
毛布や羽毛布団もこっちにあるのはちょっと違う。毛布に関しては日本みたいに厚くて毛が気持ちいい、あのタイプはない。どちらかというとフリースみたいな薄手の毛布だ。実を言うと枕も日本のそば殻を持っていきたかったのだが買うのを忘れてしまった。こちらでもそば殻枕を「Sobakawa」という名前で Dr. なんとか ( 日本人の名前 ) の冠をつけて売っていたけど、薄型タイプでちょっと僕の欲しいのと違う。

逆に家具は一切持ってこなかった。だから引越ししてきて最初はお金がかかったものだ。ベッドもたんすも本棚も机も椅子もソファも買った。
それとオーディオの類もすべて友人に譲るか実家に留守番だ。テレビもビデオも ( アメリカのケーブルは 80チャンネルくらいあるので、日本のでは対応できない )、ミニコンポも日本に残してきた。それに TA や電話機もだ。
もちろん愛着のある家具であれば持ってこれなくも無いが、それなりの運賃の覚悟とそれにふさわしい部屋に住まなければ、却って引越しの途中で傷ついたり、アメリカでの生活にそぐわなかったりして悲しい目に会うに違いない。僕はそれまで持っていた物への愛着と言うか執着も日本に置いてきたが、最近フランスからやってきた同じ会社の人は、先祖代々受け継いでいる家具をちゃんと空輸したそうだ。

今欲しいと思う電化製品
5/22/1998
ついでだから、今後、日本から持ってきたいものも列挙するのだ。
日本から遊びに来るときは、ぜひ一声かけてください。運搬をお願いしよっと。

掃除機
エアコン

掃除機はアパートに入居するときに近くの SEARS で Sharp 製のものを購入した。 アメリカ製の掃除機は見かけは大きくてスイッチを入れると大きな音を立てるから吸い取っているように見えるけど、実は全然ごみを吸い取ってくれない、なんて聞いていたので、「それなら Sharp なら日本のいいところもプレンドしているに違いない」と期待して買ったのだが、まさに上記の通り、音とガタイだけ立派であとはまるでダメダメなのだ。しかも地面と接しているゴミ吸い取り口が大きくて重いので取り回しがしにくく、角のゴミなんかは絶対に取れないのだ。 アメリカ人は家でも土足のケースが多いから、小さなちりがとれるよりはきっと土とかジャリが取れればいいに違いない。
やはり潔癖症の日本人が改良した掃除機が一番なのだ。掃除機だったら箱から出せばスーツケースに入るから次回帰国時の一番のターゲットなのだ。

僕の部屋にはエアコンがないけど、周りの部屋にはほとんどインストールされているから、きっと夏は暑いに違いない。最初からインストールされていればいいけど、そうじゃないときは自分で買わなくてはいけない。でもまたこのエアコンが、我が家にはじめてエアコンがインストールされた時代のようなスタイルと機能なのだ。先日近くの郊外型電気屋に行ってちょっと見てみたら、もうこれもダメダメなのだ。 ダイアルで風の強さが三段階くらいしか選択できず、もちろんリモコンは付属しないし、風の吹き出し口は固定だし、タイマーのついていない物もあった。しかしこれくらいは僕も当然我慢できるのだが、決定的なのはすごく音がうるさいのだ。日本のように室外機と室内機が別れていないので、窓枠を改造して室内に涼しい吹き出し口、窓の外に室外機部分がはみ出たような不格好なデザインのものなので、ものすごく室内はうるさいのだ。 日本製は室内機のファンの音もしないくらいだが、アメリカのエアコンはファンもまたうなって自己の存在を主張しているのだ。
暖房はアパートについているから、冷房と除湿がができればいいんだけど、でも持ってくるのは無理だろうな。室外機もでかくて重たいし、設置もむずかしいかも。

あとほんとは洗濯機と乾燥機も欲しいのだが、僕のアパートは各戸に設置するような作りにはなっていないからコインランドリーを使用するしか手はないのだ。

それにやっぱりウォシュレットは欲しいかな。楽だし、清潔な感じがする。トイレットペーパーを買いに手間も減るし ( ただ不精なだけ )。最近ではニューヨークでも家庭用ウォシュレット取り付けをやってくれる業者が現れたらしい。僕のアパートのトイレは日本のやつより小さいのできっと取り付けられないだろうな。

こうしてみると電気製品はやっぱり日本製が一番なのだ。

アメリカ入国手続き
5/25/1998
荷物を送り出し、怒涛の送別会も終われば、後にはもう引けぬ、日本脱出だ。

アメリカ入国審査と言っても、ビザを取ってから、日本にちょっと帰るなどして、米国入国手続きを3度経験したが、観光・商用のビザ免除プログラムで入国していたときと大差無い。加えて日本 → アメリカ の片道航空券でも入国できたし、もちろん往復切符でも問題なかった。 アメリカ最初の寄港地となる空港で入国審査をするので、機内ではあらかじめ「入国審査に必要な書類」とやらをフライトアテンダントにもらうが、H-1B など Non Immigrant Visa ( 非移民ビザ ) を持っている人はビザ免除の人たちとは違う色の書類を渡される ( 市民・移民は記入の必要がない )。
入国管理官に見せたのは、パスポート ( ビザスタンプ ) と移民局からの書類、それに念のためにと労働省や移民局に申請するときに弁護士事務所で作成してもらった各書類のコピーを持っていくことにしている。そこで尋ねられるのは「会社名」「職種」ぐらいでそれ以上の質問はされたことがない。
コンピュータになにやら入力して、OK のようだと、ビザに書かれている有効期限日までの滞在許可をくれる。
どちらかというと、このあとの税関の方がちょっとめんどくさかった。日本に帰るとつい日本の電化製品などを持ってきてしまう。この間もポートランド空港で、日本で買ったカラープリンタを持っていたところ、さっそく呼び止められて素通りコースからはずされてしまった。
「このプリンタはプレゼントか? 誰が使うのか?」 ( 管理官 )
「自分用のものだ」 ( 僕 )
「このプリンタは新品か?」 ( 管理官 )
「いや違う。以前使っていた物だ」 ( 僕 )
「いつ買ったのか?」 ( 管理官 )
「去年の秋に」( 僕 )
このときは関税をかけられなかったけど、以前プリンタをアメリカに持ち込んだ際に、関税を取られたことがある。このときは秋葉から直行したままのまさに新品の箱入り状態だったせいもある。今回はやはりマニュアル、保証書をとりはずし、箱をガムテープでとめてわざわざ「中古」にしてきたので、取られなかったようだ。
税関申告書も「外国製品持ち込みの評価額」の項目があり、たいていの荷物が日本製品のだとしても ( 服も腕時計もウォークマンもデジカメもビデオも ) いつも$0にしていたけど、ポートランド空港では「これは外国製品だからちゃんと書かないといけない」と言われ、適当な値段で上書きされた。ポートランドと言えば DELTA 航空のハブになっているところだけど、この空港はニューヨーク JFK よりは厳しいかもしれない。僕はまだ見たことが無いんだけど、 友人はアメリカに持ち込めない食品リストを見せられて確認させられたとのこと。ちゃんとレトルトのカレーのパッケージなどもあって、日本の食品事情を研究しているようだ。どうも牛肉の持ち込みが規制されているようで、この友人はマーボ豆腐の元を指摘されて「中にはいっている肉はなんだ」とかカレーのルーの外箱に印刷されている肉を指差して牛肉がこのルーに入っているのか?などを聞かれたとのことだ。州によって、空港によって、このあたりの取り締まりの意識が違うのかもしれない。

Social Security Number
5/30/1998
アメリカに来てやらなきゃいけないことは山ほどあった。たいていの事柄は日本で引越しするのと同じで部屋を決めたり、それにともなって電気・電話・ケーブルテレビの契約など。日本から来た人は銀行口座の開設もしなくてはいけない。でもその前にまずはこの Social Security Number を取得する必要がある。
SSN とは納税者番号にあたるもので一人につき一つ割り当てられる。この番号は生活を始める段階では暗記してしまうほどあちこちで尋ねられる。上記の契約に加えて、クレジットカード、給与の支払、自動車免許の取得、車の購入、保険の加入、大きな買い物したときなどだ。
SSN は最寄りの Social Security Administration Office ( SSA ) で申請し、しばらくすると自宅に郵送されてくる。ここで問題なのはアパートを借りる際に、信用調査のためか SSN やらクレジットカード、銀行口座などを参照されるのだが、SSN は住所が定まっていないと作れない。アメリカに来たばかりのときはホテルに泊まって部屋探しをしていると思うので、こういう時は知人の住所を借りて SSN を申請すればよいようだ ( いいことかどうかは別として )。それにこちらの郵便局は本来の居住者以外の名前が書かれている郵便物でも住所があっていれば配達してくれるので、その知人に頼んでおけば後日送られてくるはずの SSN も問題なく受け取れるはずだ。僕のケースもやはり友人宅を住所にして SSN を申請した。

SSN SSN
Social Security Administration Office。 Social Security Administration Office の内部。
最寄りの SSA の住所の調べるには、電話帳で SSA の項目を参照するか ( 部屋が決まらない人は部屋に電話も無いから電話帳も無いと思うので、ホテルや知人に聞いてみる )、インターネットが使えるなら、SSA の ホームページ に行き、ZIPコードを入力するとそこから一番近い SSA の住所を地図付きで示してくれる。申請に行く SSA は自宅のそばのものでなくてはいけないわけでもなく、勤務地に近いところでもなんでも行きやすいところで申請してよいようだ。( 実際、僕はカウンティが違ったけど大丈夫だった )
申請に必要なものは、パスポートくらい。住所を示す物は何も持って行く必要はなかった。

SSA に着くと、中で Social Security Number 申請の用紙があるので記入する。細かい項目は覚えていないが、生年月日とか氏名とか家族がいれば家族のことなどを記入したんだと思う。

SSN
Social Security Number。届け出を出してから2週間ほどで郵送されてきた。
申請を受け付けてもらうとその場でなにやらプリントアウトしてくれて、そこに記載されている内容と間違いが無いかもう一度確認をとるよう言われる。それでよければサインをして、申請をしたことを示す証明書のようなものを発行してくれる。
1、2週間ほどで申請書に記述した住所に SSN が送られてくる。ミシン目が入っているので自分で切り放す。事前に友人のを見せてもらっていたから知ってはいたけど、ちゃちなカードなのだ。

住居
6/22/1998
住居探しはそれこそ千差万別なので、ここでは僕のケースについて紹介する。
人によって住居探しの基準になるものが違うのは日本もアメリカでも同じだが、中でも異なるのは地域性へのこだわりは日本のものとはくらべものにならない。というのは住むエリアによって、極端に言えば通りが違うだけでもあたりの様子が一変することがあるからだ。これはそのエリアにどういった人たちが住んでいるかにもよるのだが、普段から危険が多いか少ないか ( 犯罪発生率 )、子供のいる家庭であれば教育水準が高いか低いかなどによっても家賃の違いや土地の値段が変わってくるのだ。( 車両保険なども住むエリアによって大きく値段がかわる。車の盗難やカーステレオなどが盗まれやすいところなどは高い )。
一方、交通の利便性というのはあまり問題にならないようだ。逆に駅の近くは車の盗難なども多いので不動産屋によっては「お勧めできない」というところもあった。まあ、郊外のアパートなんかでは日本のように最寄り駅からの近さを誇るものもあったけど。面白いのは日本の様に「徒歩何分」ではなく「駅まで歩いていける」と言う記述なのだ。Manhattan と違い郊外はそもそも車が無いと生活できないので、鉄道やバスの利便性よりはその他の環境のほうが重要なのだろう。
一口に地域の特性などは実際に住んでみなければわからないことも多く、以下の情報は人づてに聞いたり書籍などからのものが中心になっている。長い目でみれば地域の特性自体もかわりつつあるので New York で売られている情報誌の情報ですら最新では無くなっていることもある。
 New York と言うとイメージはやはり Manhattan。ここで働いている人の多くはやはり Manhattan 内か Queens、Bronx、Brooklyn などの New York 近郊都市か隣の州の New Jersey に多く住んでいるようだ。Manhattan の家賃は東京と比べて決して安いわけではなく、僕の知り合いは概して高目のところに住んでいる。やはりこぎれいで便利なところは必然的に高くなる。また Manhattan の中でもかなり地域の特性が際立っている。東京でも下町と山の手の雰囲気が違うように、瀟洒な高級アパートが建ち並ぶところや、若い人たちが好んで住むところなどいろいろタイプがある。中でも一番顕著なのは China Town だろうか。
China Town ほど大きくはないが New York 近郊にもいくつか日本人コミュニティがあるそうだ。こういうところには日本の食材を取り扱っているスーパーや日本食レストランの他、ところによっては日本語補習校や塾などがあったりする。 不景気のあおりでだいぶ日本人駐在員の人たちが減ったと聞くがそれでも依然大きくて、Long Island では Port Washington がそうだし、New Jersey なら Fort Lee にある。Fort Lee にはヤオハンもあって日本で売られているものはなんでもそろう。紀伊国屋や布団、カー用品のお店なども入っていてこの近くに住んでいる人は日本と変わらない生活ができそうだ。そういえば慶応大学付属校のある!!!近くにもやはり日本人の家族が多く住んでいるようだ。そのほか!!!や!!!などにも多くの日本人が住んでいると聞く。 まあコミュニティを形成しているのは日本人に限らず、人種・国籍・宗教によっていろいろなコミュニティがある。ロシア人が多く集まって住んでいるエリアもあるし、Brooklyn には ヒスパニック系の人たちが住むエリアのすぐとなりに裕福なユダヤ人のコミュニティがあったりする。

ということで住居探しの第一歩はどのあたりに住むかを決めることにあるようだ。

ちなみに僕の場合は、会社が Long Island にあるので、住居もやはり Long Island だ。近くに日本食レストランはあるものの、日本人は見掛けない。

続く。


 

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