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June 2001

Last Update : 6/21/2001



Didital Cable TV
6/21/2001
少しずつ耳にするようになってきた Digital TV 放送。僕の住んでいるエリアでもケーブル会社から Digital TV サービス ( DTV ) が開始された。

これが従来のケーブルボックス。ほこりまみれだからというだけではなく、なんか野暮ったい。
これが DTV のセットトップボックス。USB端子やメモリーカードスロットが用意されている。

アメリカに来てテレビを見ると気がつくのがその受信の方法の違いだと思うが、僕もケーブルテレビがこんなに普及しているとは思わなかった。というよりケーブルテレビでしかテレビが見られないことも多い。僕が前に住んでいたアパートも今住んでいるアパートも室内には地上波を見るための端子がなく、代わりにケーブルボックスをつなぐための同軸ケーブルが来ているだけなのだ。一軒家などであれば衛星放送を受信することも出来るが、得てしてアンテナが大きいので、アパートなどでバルコニーに設置する、というのはちょっと難しそうだ。

さて今住んでいるアパートに引越しして、Time Warner Cable という会社と契約してケーブルテレビサービスをひいていたのだが、実際のところ画像の品質は誉められたものじゃないのだ。テレビを購入して、最初にケーブルテレビが引かれた日、あまりにノイズが多いので「故障しているんじゃないか」と思ったくらいだ。もちろんテレビは天下のソニー製だし、実際友達の家でケーブルを見てもだいたい同じような画質だった。そうこうしているうちにあまり気にならなくなってきていたのだが、去年久しぶりに日本に帰ってテレビを見ると衛星放送はもちろん、地上波でも日本の方がきれいに映っているのに気がついた。
まあ、他に選択枝があるわけじゃないので、これはこれでよしとしようと、いつものように楽天的にかまていた。
ところがこの数週間、テレビを見ていると時々画面がフラッシュして目障りな現象が起きるようになってきた。まるで雷が落ちてそのノイズを拾っているかのようなもので「パシッ」という音までするのだ。さすがに仕事が忙しかったので、平日に、調査に来てもらうわけには行かなかったが、少しずつ忙しさも落ち着いてきたので、先日 Time Warner Cable のカスタマーサービスに電話したのだった。

「DTV のサービスが始まってますけど、それに切り替えたらどうですか?」

調子が悪いことを伝えると、カスタマーサービスの人は直すよりも新しいシステムに入れ替えたら?と提案してきた。なるほど壊れたら新しいものと交換するというのはアメリカらしい考え方だが、ケーブルボックスを交換するのではなく、新しいシステム ( = DTV ) に変えたらというので、これまでの画質への不満もあって、すんなりシステム入れ替えを納得。なんでも僕の住んでいるエリアではこの DTV とかいうサービスが始まっているので、これまでのケーブルボックスから DTV 対応ケーブルボックスに取り替えるだけで新システムに切り替わるそうだ。

電話口で簡単に DTV について説明を聞いてみると、結構よさそう。

  • デジタル化に伴って画質のアップ ( ちらつきのないクリアな画質 )
  • チャンネル数の増加。今までのケーブルだと100チャンネル程度だが、DTV ではすでに300チャンネル存在。さらに増加とのこと。
  • ラジオのようにいろいろな音楽が流れるモード ( ゆうせんモード? ) がある。あまり聞かないと思うけど便利かも。
  • ホームシアターシステムがあれば ( うちはないけど )、対応しているプログラムはドルビーデジタルで楽しめる。
加えて、
  • 今使用しているケーブルボックスとリモコンを最寄りの Time Warner オフィスに持って行けば無料で DTV ケーブルボックスと交換
  • 新しいケーブルボックスの配達と取り付け工事を依頼することも出来るが ( これまでは必須だった )、今は自分で新しいケーブルボックスを受取りに来て、自分で設置して構わない。この場合$20節約できる。

ということで、その場で注文。ついでにケーブルインターネットもサービスインしていると言うので、これも注文。今は Verizon というローカル電話会社による DSL を使用してブロードバンドインターネット接続しているが、いまいち速度に不満。今月一ヶ月は両方使ってみて「安定性」「パフォーマンス」からどちらか一方に決めるつもりだ。これについては改めて紹介。
さて Time Warner Cable のオフィスは土曜日も朝9時から夕方5時までやっていると言うので、次の土曜日休日出勤のついでに、これまで使用していたケーブルボックスとリモコンを持ってオフィスに立寄った。
昼過ぎに行ってみると、結構長い列が出来ている。僕のように平日は行けない人が多いのだろう。片手にケーブルボックスを持った人たちも多い。契約解除か僕のように DTV へ切り替える人たちのどちらかだが、見ている限り皆 DTV 用の新しいケーブルボックスを受け取っていた。

1時間待って ( ! )、やっとカウンターにたどりついて、電話でオーダーしたときに教えてもらったリファレンス番号を窓口にいた黒人の若いにいちゃんに伝えると、きびきびと物を用意し始めた。新しい DTV ボックスにマニュアル、リモコン、ケーブル。それにケーブルインターネット用の一式、ケーブルモデムやらソフトウェアやら。取り付け方については一切説明がなかったが、壁から出ている同軸ケーブルを今回貰ったキットの中にあるスプリッタを使用して分配して、片方をテレビ側ケーブルボックス、片方をケーブルモデムにつなぐだけなので簡単なはず。
説明は「これがケーブルインターネット用のメールアドレスとパスワード、あと!!!つメールアドレスが作れます。インストールのときに問題があったらここに電話して」と一枚の紙をくれておしまい。
予約から実際に使えるようになるまで、時間と手間がかかる日本の DSL サービスやケーブルインターネットに比べるとなんと簡単なことか。欲しいと思えばその日のうちに手に入るぐらいだが、日本もこれぐらい手続きを簡易にすべき!?

DTV にして気がついたこと。映画専門チャンネルとして有名な HBO や CineMax、SHOWTIME などこれまではそれぞれ1チャンネルしか見られなかったんだけど、DTV にしてみたらそれぞれ6とか7チャンネルもあってびっくり。
さらにアメリカに住み始めてケーブルテレビを引いたとき、 MTV というとビデオクリップをノンストップで流していると思いきや、ミュージックビデオってそんなに流れておらず、実際には通常のテレビ番組に近い構成だったんだけど、実は MTV 2 というチャンネルがあってそちらではビデオクリップが頻繁に流れていることに気がついた。今は300チャンネルくらいまで埋まっているんだけど、これだけあると、リモコンのチャンネル切り替えボタン↑や↓を押しつづけても一巡するまで結構時間がかかる。どこにどのチャンネルがあるか、テーブルの上に張っておかないと迷子になりそうだ。

それから DTV ボックスを見ていて気がついたのは、これまでのボックスのようなただの発熱する箱、のようなものではなくて、いろいろと付いていること。一つは USB 端子。ここにキーボードやマウスがつながるのかもしれない。それからメモリーカードか PC カードのスロット。こちらは何かの記憶用?

テレビの画像を写真に撮るのって難しいのだが、とりあえずこれが良く撮れたほう。DTV の画像。



で問題の画質だが、これまた宣伝文句に嘘偽りなく、ものすごくクリアだ。しばらくはどこにどんなチャンネルがあるのかだけでも遊べそう。



こことは別に、「NY暮らしメモ」の方でも DTV について、続けて紹介します。



National Puerto Rican Day Parade
6/18/2001
さて前回予告した通り、今回は Puerto Rican Parade の紹介だ。

HSBC というのは銀行。しかも香港・上海系統の銀行なのだが、PR パレードに参加してます。
放送局 Telemundo。フロリダ、それと Puerto Rico に局があるそうです。うちのケーブルでも見られる

ここ何年か、いろいろなパレードを紹介してきたが、見ていて一番楽しいのはこの Puarto Rican Parade だと個人的には思っている。 他にも大きなパレードとしてはハロウィンやゲイパレード、Macy's パレードなどがあるが、その中でも一番音楽と踊りが中心になっているのがこのパレードなので、見ていて飽きないのだ。
このパレードについては1999年の「New York 生活雑記」の方でも紹介していて、それからあまり僕の印象もパレードの様子も変わっていないので、今年も改めて紹介することもないのだが、少しだけあの時と違うのは、今年は警備が厳重だったことだ。

昨年はちょうど早い夏休みを取って Grand Cayman 島にスキューバダイビングに行っていたので見に行けなかったのだが、Parade を見学していた何人かの女性が、まわりの人から水をかけられたり、ひどいケースではよってたかって服を脱がされたりととんでもない事件も起きていた。すぐ近くには警官がいて見ていたにもかかわらず、助けようともしなかったこともさらに問題になった。当の加害者は近くにアマチュアのビデオ ( つまりその人も面白おかしく撮っていたと思われる ) からすぐに指名手配され、逮捕されたが、警官に関しては現在被害者から訴訟が起こされている。

厳かな5番街にある教会も、Puerto Rico の国旗を掲揚 。

今年の Parade はそんなこともあって、アルコール厳禁の上、大量の警官が配置されるという物々しい雰囲気の中で行われることとなった。実際、僕から見ても異常な数の警官があちこちに動員されているのが分かった。ひとづてに聞いた話では4000人の警官が配置されたそうだ ( 休日出勤にさせられた人が多いのだろう )。

この日、まずは6番街と5番街の間にある紀伊国屋書店で雑誌を買ってから行こうと、49th Street駅で降りて、7番街から6番街に向かって歩いていると、さっそくあちこちに Puerto Rico の旗を持った人たちが歩いている。写真にあるようにバイクに乗ってきている人たちもいて、そこにもしっかり旗がくくりつけられている。で6番街を渡って5番街方面に行こうとすると、バリケードが張ってあって通行止めになっている。パレードが5番街で行われているのでその両脇の Avenue も規制させているのだ。この間来たときは「あそこにある書店に行きたい」というとゲートを開けて入れてくれたのだが、最初に話した警官は「今日は書店も休み」と言って入れてくれない。問答をしていても仕方ないので、ちょっと離れたところに立っていた別の警官に事情を話すと今度はさくっと入れてくれる。
この辺は日本人として得かも知れない。Puerto Rican は皆「ここは混雑しているから○○ストリートまで上がってそこから5番街に行くように」と言われて、ぞろぞろ行進させられていたのだから。
書店で買ったのは Yahoo! マガジン4月号で、この号に nomeri.com が紹介されているので、記念に買っておこうと前から思っていたのだ。売り切れかなとも思ったが、やはり船便の遅れからかまだ4月号がこの6月になっても売られていた。
しばらくして、待ち合わせしていた友人達も到着して ( 皆『紀伊国屋書店に行く』と言って警官に中に入れてもらった )、5番街のパレードを見学。

手前の男性と奥の女性がかぶっているこの帽子もPuerto Rico名物。当日はあちこちでかぶっている人を発見
文中登場の夫妻。朝から空腹だったのにビールを飲まされて、酔いがあっという間にまわって来た。プラスチックでできたやつだけど、PR の国旗がデザインされたネックレスまで貰っちゃったけど、さすがに僕は Puerto Rican じゃないので付けて歩けないよー

所詮はお祭りなんだろ!? と言われればそれまでだが、毎年いろいろメッセージがこのパレードには込められているらしい。昨年は Tito Puente というサルサの大御所に敬意を表して ( 昨年他界 )、そして今年は Puerto Rico にある小島 Vieques からのアメリカ海軍基地撤退スローガンとその政治運動で逮捕された4人の Puerto Rican を救うメッセージがメインのようだ。加えて、このパレードのちょっと前にはミス プエルト・リカンがミス・ユニバースに選ばれたこと、Felix Tinidad という Puerto Rico 出身の新チャンピオン ( 彼は別のクラスでチャンピオンで、今年体重を増やしてもう一つ上の級でもチャンピオンになった、と聞く ) の活躍がこのパレードの華を添えている。特にミス・ユニバースはパレードに参加すると事前に聞いていたので、いつものようにデジタルカメラを持って見に行ったのだが、近くにいたおばさん ( 一家は NJ から来ていた ) から「そりゃああんた、遅すぎよ!一番先頭の車にいたわよ」と言われて、残念。
しばらくして気がついたのだが、このおばさんとご主人、本来は禁止されているはずのビールだが、水用のペットボトルにビールを入れてきていて、しっかり飲んでいる。そりゃビールだから透明のペットボトルに入れりゃ、すぐにビールと分かるものなのに、気にせずごくごく飲んでいる。まああまりの混雑で警官も目が届かないようだったが、そのうちに僕らにも「飲め飲め」とペットボトルを口に突っ込んできたのだ ( 酔っ払いなので意気投合しやすかったようだ )。でも水用のペットボトルって飲み口が小さくて飲みづらい !

今回のパレードもいつものように、大手の企業から協賛を得ているようでいろいろなフロートが出ていた。Telemundo というテレビ局、シアーズデパート、アメリカン航空など。公務員では大きなパレードの警備にあたる NYPD の警官もたいていパレードの最後に行進するものなのだが、この Puerto Rican Parade でも制服を来た Puerto Rican の警官が行進していて、途中音楽がサルサに変わるとそのまま皆がサルサを踊りだして、両脇の観客から一番大きな拍手を受けていた。


今、アメリカ大陸には本島に住んでいるのとほぼ同数の Puerto Rican が住んでいると言う。それまでの数の人が住んでいるなら、もうすでにマイノリティでは決してないはずで、昔はパレードの存在意義も変わってきているのかもしれない。
前も書いた気がするが、パレードや Festival をすること、騒ぐことで Identity の確認をしているようも見えるし、若い人たちにはそこまでの深い意味もなく、単なるお祭りとして楽しんでいるようにも見える。
僕個人としては「 NY、夏の3大風物詩」だと思っていて ( 残りは ゲイレズビアンパレードと独立記念日の花火 )、ワンパターンでもまた来年の夏、見てみたいという気にさせてくれる。


このパレードから1週間経たない先日、ブッシュ大統領は「Vieques 島での軍事演習を中止する意向」を表明した。たまたまとはいえ、これでまた Puerto Rican の気勢があがったことだろう ( 笑 )。

なお今年のパレードで撮った他の写真を「NY Watch番外編」で紹介していきます。今年はデジタルカメラで撮った短いムービーも紹介したいので、公開されたら Puerto Rican Salsa を聞いてみてください。

文中紹介しているがかなりの数の警官が参加していた 。特にこのグループの先頭で踊っていた男女の警官はサルサダンスがうまくて拍手喝采を受けていた




Drag Queen
6/14/2001
6月になってあちこちで Street Festival やパレードが行われるシーズンになった。その一方で週末はまだ仕事が入っていて・・・

(行ったこと無いけど)リオのカーニバル風?Latinoオネエサマ(オバサマ)であらせられます。
ふくよかな胸にだまされてはいけない (って誰もだまされないほど濃厚だが)、このお方もLatinoオネエサマ。


あとちょっとでこのプロジェクトが終わる・・と何度も聞かされて、それでも「この週末は出てくんない?」と毎週金曜日に言われる週末が続いているのだが、特に予定がない限り仕方なく出社している。
逆に出勤しない理由となると、欠席を断りにくいパーティぐらいしかなく、週末にしか出来ないことを理由にするのが難しいのだ ( 苦笑 )。スーパーマーケットは24時間開いているし、デパートなども平日夜遅くまでやっているし・・・。家族や親族がいないので、結婚式やお葬式、墓参りなどの理由は使えないし・・・
最近の New York Watch の更新ネタがパーティに絡むのもそんな理由なのだ。実は今回もパーティのときの話。
今回は某M○V ( 昔この放送局が放映した、マイケル・ジャクソンのスリラーのビデオの完全版をテレビ公開、なんてのを夜遅くに見た記憶がある ) に勤めている友人が開いたもので、この友達が日本語が話せるとあって ( ちなみに New York だと決してめずらしくない。日本食レストランなんかだと日本語理解率が高いので滅多なことが言えない )、行ってみると日本人の見知った顔も。日本人に限らず他にも友達が呼ばれていて、互いにびっくりしていたら、主催してる友達も「へー知り合い?」とまたびっくり。この日もいろいろな人とパーティで話す機会があったので、こうしてまたどこかのパーティで会うことになるんだろう。

友人宅がある場所は Jackson Heights というところで、うちから車でも地下鉄でもだいたい10分ほどのところ。僕が住んでいる Astoria と同じ Queens 区にあるのだが、ここは特に Korean と Latin と Indian の人たちが多く住むと言う特色があって風景もそこに暮らす人たちの表情も Astoria とはだいぶ異なる。目抜き通りは Roosevelt Avenue と言ってこの上を地下鉄7番線が走っている。Met's の球場を通って終点は Queens のチャイナタウン、Flushing だが、Jackson Heights はその間に位置していて、ちょうど多の地下鉄 E、F、R などの主要なラインが通るところでもある。なのでこのあたり一帯は大きなストアがあるわけではないにもかかわらず、いつも人通りが多い。街の様子はというと、ちょうど日本の商店街のみたいなもので、小さなストアが Roosevelt Avenue の両脇にずっと立ち並んでいる、といった感じだ。
Korean と Indian はその名の通り韓国とインドからの人たちだが、ここの Latino は他と違っていろいろな南米の国からの人が多く住んでいるので、通りにもペルー料理 ( ヨシュランで紹介した PIOPIO もここ Jackson Heights に程近い ) やエクアドル、コロンビア、アルゼンチンなどいろいろな国々のレストランが建ち並び、それぞれの国の人たちが行き来している。もちろん NY の Latino としては多数を占めるメキシカンやプエルト・リカンなども多く住んでいるが、ここではその割合が等しくバラバラに見える。
実はこの日、パレードとフェスティバルが近くであるというので、パーティがひけるころ、皆で見に行ったのだが、そのパレードとは Queens Pride といって、ゲイレズビアンのものだったのだ。一度 Manhattan のパレードを見たことがあるが、ここ Queens でも行われていて、それがここ Jackson Heights で行われているのだった。Manhattan のそれに比べると、かなり庶民的だ。近所のおじさんが女装して、お化粧して・・・なんてのもあったし、きちんと女装していてもどこか Queens らしく垢抜けないものだったりして、却って面白い。Manhattan のパレードも長い時間見たわけではないので比べにくいけど、Manhattan のは 筋肉隆々系の人たちがパレードに参加していて、Queens のは女装した人 ( Drag Queen ) の割合が断然多いような。もちろんほとんどの人は Latino というのも特徴だったけど。
ま、百聞は一見に如かず、写真を鑑賞 ( ? ) してみて下さい。

こちらはノリノリのLatinaカウガール娘。こちらは女性ですが、残念ながら男性に興味がなさそう。
ひときわ際立っていたコスチューム。たぶん身にまとっているのシャワーカーテンと思われる。手に持っているのは縮んだり膨らんだりするおもちゃ。



僕らが行ったのはパレードが始まってから大分経っていたのだが、それでも規模が小さいので、着いたらもうすぐに最後尾だった。そのあとは近くのストリートでフェスティバルが行われていたのだが、先ほどの Drag Queen のオネエサン達のショウ ( Destiney's Child の Survivor に合わせて歌と踊り。でもウマイ ) が大ウケだったのは言うまでもない。近所の人から見れば街中が渋滞し、怪しげな人たちが通りを闊歩して、しかも大音量でダンスミュージックががなりたてられるんだから貯まった門じゃないと思うが、そこは Latino のカルチャーか、夏のフェスティバルととして楽しんでいたようだった。

さて次回の更新は Latino 話題ついでに Puerto Rican Day Parade の予定。このペースだとさらにその次は Manhattan ゲイレズビアンパレード紹介か ( 笑 )。



天候不順な今年の初夏
6/7/2001
New York には梅雨がない。ではからっとしているかと言うと、周りを海と川で囲まれているせいか、意外と湿度は高いのだ。

5月はこんなピーカンの日もあったんだが・・・

この時期日本から来た人は「まだ日本よりマシ」とはいうものの、住んでいれば人間慣れてしまうもので、この New York の湿度でも高いと感じてしまう。特にこの週末、さあこれから遊ぶぞぉ、という金曜日の夜になってどしゃ降りの雨が降り始めた。土曜日朝起きてみると、雨は止んでいるものの、家の中はまだ雨が振っていた・・・。というのは、この間大家が来たときにも見せたのだが、ベッドルームの天井の一角にひびがあってそこから水が漏れるのだ。金曜日の夜はものすごい雨で ( 車を車庫にいれるだけでびしょぬれになるくらい )、それが壁を伝って、室内にびちゃん、びちゃん、と落ちてくるのだ。今朝はこの雨だれの音で目が覚めたくらいだ。普段であれば雑巾を置いておくくらいでいいのだが、この日は豪雨の後と言うことも会って雑巾ではたりず、しかたないのでプラスチックの容器を置いて、外出した。



行き先はもちろん会社、週末といえば最近は出勤・・・
でもその前に寄って行くところが1ヵ所あって、それは友達の Graduation Party。友達とは言っても会社の友達でインターンとしてもう一年近く働いているので、今年卒業と聞いたときには、ちょっと拍子抜けした。
途中近くの Deli で ZIMA というビールを買って ( 最近友人 N に教えてもらった。無色透明のビールだけど少し甘みとライムの香りがして飲みやすい ) Party が行われてるこの友達の家に車を進めた。

College 卒業を記念して行う Graduation Party とは一体どんな物なのか、今回が初めてだったのでよくわからない。どのくらいの割合の学生が行うものか?、パーティを開くとするとどんな規模なのか? なんかプレゼントを持って行くのかな?など疑問符だらけだが、この友達のケースで言えば、自分で招待状 ( まあ今時は電子メールやこの手の web サービス - これについては次回紹介 - を使っての案内が主なんだろうけど ) を送って、自分で準備しているようだった。
後で聞いたところでは招待したのは親族、近所の人、中・高・大学、バイト先の友達、それと会社の知り合いと言ったところで老若男女さまざまだ。午後3時から人が集まり始めて、人が出たり入ったりで夜11時過ぎまでやっていたそうだ。
僕が行ったのはパーティが始まってすぐのころで、広い庭にいくつかのテーブルと椅子が並び、そこには食べ物も並んでいたはずなのだが、生憎この日はどしゃ降りの雨が降ったり止んだりで食べ物はすでに屋内に運び込まれていた。僕が到着したときにはたまたま雨が止んでいて、何人かは庭に出てビールを片手に雑談していた。中にはオフィス内で見知った顔もちらほら。どうやら友達の所属部署の人たちのようだが、僕と部署が違うので話したことはない。適当に友達とその近くにいる人と雑談した後、休日出勤のため長居できない旨を伝えて、友人宅を後にした。

せっかくの屋外でのパーティも、この雨じゃあ楽しさも半減でかわいそうだったが、悪いのは天候だけでなく、実は気温もいまいちぱっとしない日が続いている。
4月から5月にかけて、すでに夏がやってきたような気温になっていたのに、最近の New York の天候はまた肌寒い日があったりする。これが6月に入ってもそんな気温で、昼時はなんとか T シャツ1枚で過ごせるが、夕方から夜にかけてはこの上に一枚羽織ってないとブルっと身震いするような気温まで下がったりする。
今回紹介している写真はここしばらく続いている涼しい日々がやってくる前の、初夏を思わせる時に撮った Manhattan の Village にあるオープンエアレストランの様子。なんとなくこの涼しい気候のあとにやってくるのは真夏日のような予感がしないでもないが、本来この時期はからっと晴れた過ごしやすい季節。早く戻ってこないかなぁ。そんな願いを込めて今回の写真を紹介しておくことにした。



帰宅してみるとベッドルームに置いた容器には水がたっぷり貯まっていた。すかっと晴れた日が何日も続くまで、しばらく置きっぱなしにしておこう。


 

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