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August 2001

Last Update : 8/31/2001



Beach Party 2001
8/31/2001
もうエアコンの活躍する機会もすっかり減って、去り行く夏が恋しいこのごろ。
夏の締めくくりにふさわしいイベントが先週末あった。

昼頃の様子。人影もまだまぱらだ。僕らはすっかり腹いっぱい。手前のバーベキュー台が僕が手伝っていたところ。アルミ箔の中にはサーモンのレモン和え。
こちらは Pork Chop を焼いているんだけど見えるだろうか。この焼き係も一日中焼き仕事をしていた。


8月最後の土曜日、またまたビーチに行ってきた。今回は、多々普通に海水浴に行ったのではなくて、ビーチでパーティがあったのだ。
この New York Watch の最初の方を覚えてくれている人もいるかもしれない。実はこの Beach Party を以前にも紹介している ( 1998年 )。

主催者の1人が友達で、彼女からメールが届いたのが1ヶ月くらい前だろうか。1998年のときは単にメールで返信するだけの出欠だったが、それから時代は変わり ( 笑 )、今年はオンラインでパーティの出欠を返信せよ ( 『返信乞う』 と言うのはたいてい RSVP と書いてあったりする。RSVP の語源はフランス語らしい )、と書いてあった。
話がちょっと横にそれるが、そのシステムについて簡単に紹介してみたい。
他にも似たようなサービスを提供しているところはいくつかあるようだが、代表的なサイトが evite.com でこれまでにここのシステムを使って出欠を取るパーティは3回あった。出欠の確認を取るのはなかなか大変なものだが、これは便利なので今後もますます増えて行きそうな気配。
主催者はこのサイトでパーティに関する情報を入力し ( 場所や時間、ドレスコードやらなにやら )、あとはメールを送ってこのパーティの URL を連絡するだけで、受け取った人はインターネット経由で行けるか行けないか、まだ未定かなどを返信すれば良いのだ。出欠の確認をするときに簡単なコメント、たとえば「今、西海岸にいるから行けません。残念」みたいなコメントをつけることも出来るし、出席の場合のオプションに同行者の人数を追加したり、その名前を列記することも可能だ。面白いのは招待状を貰った人は、このサイトを通じてどんな人が来れるか来れないか、一緒に情報をシェア出来る事だ。欠席の返事をしていても、あとで出席が可能になれば、改めて変更することも簡単なので、主催者は取りまとめをするのがかなり楽なはず。パーティが多いアメリカならではのサービスだが、日本でもパーティの代わりに宴会や週末の友達との旅行などいろいろ使えそうな気がする。もしかして同様のサービスは日本でもある!?

さて当日の土曜日の朝。
誘った友達がうちに来て、うちからクルマで出かけることになっていた。金曜日の夜、飲みに行っていたので不覚にも寝過ごしてしまい、目が覚めたのは約束の時間から40分も過ぎた AM8:40。どうやら耳元の携帯電話が鳴ったので目が覚めたようだ。
携帯に残っていた留守番電話を聞いてみると、友達も遅れていると言う ( ただし友達の場合は電車が遅れているとのことで寝坊ではないとのこと。しょっちゅう走っている地下鉄が土曜日の朝だからかなかなか来なかったらしい )。
うちでコーヒーを飲んでから、すぐに出発し、会場となっているビーチに到着したのは AM11:00ごろ。Long Island から Robert Moses の島に渡る橋が渋滞していたのだ。Robert Moses にはいくつかのビーチがあってそれぞれに大きなパーキングロットが用意されている。今回の会場はパーキングロット5だったのだが、途中の3と4がすでにクローズ ( 夏も終わりだからか )、3か4に停めようとしていた人たちまでも5に来たため、パーキング入り口の駐車料金を払うブースで渋滞が発生しているのだった。

パーティは10時から開始となっていたので、もう皆集まっているかなとぁと行って見ると、まだ20人程度しかいない。どうやら休日のパーティーなのでゆっくり来る予定なのか、僕らと同じように渋滞にはまっているかのどちらかのようだ。

燃料が無くなってバーベキューの仕事も一休みしている間に今度はカメラマンしてた。


着いてすぐ主催者の友人のところに行く。主催者は3人いて、そのうちの1人が僕の友人だったのだ。3人とも女性で、先の evite.com で僕が出欠の返信をしたときは、招待客の数はなんと700人を越えており、そのうち50人以上が出席の返信をしていた。

「で、結局何人来るの?」
と尋ねると、
「来る、と答えた人は228人で、不明と答えた人もいるし、当日のキャンセルもいるだろうから何とも言えないけど、200人はくだらないと思う」。

僕は1998年のパーティ以来参加していなかったのだが、そのときで50人ほどだったので、どうやら毎年参加者が増え続けているようだ。
その後も正午に向かって人は増え続けたが、その後一時来場者のピークは停まった。まだまだこれから来る人たちが携帯電話を主催者の人たちにかけてきているようだが、どうやら会場になっているパーキングロット5が満車になったため一時クローズになってしまったらしく、出る車が無いと入れなくなってしまったそうだ。
200人以上もの参加者がいるパーティなので、バーベキューの材料も分割して運んでいるようで、後発組みがもってくるはずなものが届かないというハプニングもあり、人が歩いて行って荷物を取りに行く、なんてこともしていた。
今回一緒に行った友達はこのパーティ初めてで、知っている人は主催者以外いなかったようで、最初は「自己紹介ばっかりだったら疲れる」と言っていたが、これだけ大人数だとあんまり面倒くさいことはなく、気楽に食べたり飲んだり出来るので楽だ、と言っていた。
前回と同様、飲み物は氷と一緒にあちこちにおいてあるドラム缶で冷やされており、ビールもジュースも果物もかなり用意されていた。天気の良い日の外でのバーベキュー、しかもそれがビーチとあればそれだけでただのハンバーガーもホットドッグも美味しく感じるものなのだが、このバーベキューはさらにおいしいのだ。
というのもこのパーティの参加者のほとんどがアジア人 ( 特に中国人、台湾人 ) なのでそれぞれにちゃんと前日から下味をつけたものを持ってきているのだった。ただこれだけ参加者が多いと手分けしても大変だったようで、Pork Chop ( 豚肉のステーキ ) などはベトナム料理店にマリネしたものを発注したそうだ。これだけたくさんの人が参加するとおそらくコネクションでかなりやすくいろいろ用意できたのだろう。なので何も味付けしてなく、焼いたあとで BBQ ソースをつけて食べるアメリカ型のそれと違って、ビーフもチキン手羽先も豚肉のステーキも皆、ジューシィで適度なアジアンテイストがきいていてウマイのだ。さらにサーモンのアルミ焼きやトウモロコシ焼きなどもあって、これにビール、ジュース、パスタ、サンドイッチ、スナック、果物が用意されていて参加費1人$15では赤字にならないかと、こっちが心配になってしまうほど。
当初は焼いても焼いても食べる人が少なくて、どんどんトレイに焼けたものが積み重なっていたのだが ( つまり消費より焼くスピードの方が速かった ) 、さすがに人が増えると焼いた先からどんどん人が取るようになり、気が付くと4ヵ所借りていたバーベキュー台の周りは人がいつも集まっている状態に。
たまたま自分の食べたかったトウモロコシと鳥手羽先を自分で焼いていたら、別の主催者の人に「手伝ってくれてどうもありがとう」と言われてしまい、自分のだけ焼いているとは言えずにシェフをやらされてしまった。
途中 charcoal が無くなってしまい、しかも追加の charcoal を積んだ車は渋滞にはまっているということで午後1時から3時ぐらいまでは焼くに焼けなくなってしまった。僕もこれ幸いとビーチに行って日焼けと昼寝を決め込んだ ( このとき友達は早くからビールで出来上がってしまい、忙しくバーベキューしている僕を尻目にさっさとビーチで寝ていた )。

誰かがビーチに来る途中にビーチバレーボールキットを買ってきた様で、新品を出してネットをセットアップしていた。
夕方でぽつぽつと人が去り始めたころ。それでもまだ100人はいたかな。



3時ごろまでぐっすり寝込んでしまったのだが、さすがにそれ以上は日焼けがひりひりするのでちょっと眠れず起きてバーベキューの場所に戻ると、ちょうど charcoal が到着したとかでまたバーベキューを開始していた。そこに僕が運良く ( 悪く? ) のこのこと現れたので、僕もまた仕事を再会するはめに。
まあおかげでいろいろな人と話す機会が出来て良かったけど ( いや、皆の関心は『このチキンは誰か予約している?』といったところにあるんだろうけど )。

こうして夕方6時近くまで焼きつづけ、後片付けは食べている人たちに任せて僕らは早々にパーティを後にした。焼きつづけていたおかげであまり食べる機会も無くて、苦しくなるほど食べずに済み、このあと Long Island にある The Cheese Cake Factory レストラン ( 今回、書いていて文章が長くなってきたので紹介をはしょるが、Chicaco に行った時にこのレストランに行って『アメリカにも美味しいアメカリンレストランがあるじゃん』と再認識したのだった。たぶん友達は半信半疑だったけど、無理矢理連れて行ったらやっぱりうまいので感心していた。近くにある人はぜひ行って見るべし。全米あちこちにあります ) で食事をして Queens に戻った。

こうして長い1日が終わり、と同時に2001年の夏の終わりにふさわしい楽しいイベントとなった。来年はもっと友達を連れて行って手伝わせよう・・・。

一週間後の今、また顔を中心に皮がむけてます・・・。

僕が撮った Beach BBQ Party の様子を友達が電子アルバムの形で紹介してくれている。

8/25のビーチバーベキューパーティの様子




税金還付
8/30/2001
大きな金額ではないとはいえ、予期せぬ収入はやっぱうれしい。

これが小切手。$300分。Texas 州から送られてきている。

日本で会社員していたときの楽しみはというと、夏と冬に支給されるボーナスだった。夏のボーナスは確か6月の終わりに月給の3.5ヶ月分が支払われたと思う。新人のころの3.5ヶ月分の給料と言ってもたかが知れているが最初の数年はお金が右から左に流れるだけだったので、このボーナスでやっと潤うというような生活だった。
その後余裕が出てきてからもクルマを買ったりしたので、毎月の給与はそれほど残らず、ボーナスでスーツを買ったり、旅行に行ったりしていた。

ときは流れて、今ニューヨークで勤めているのは米国の会社なのでここはもちろん、渡米前に日本で勤めていた会社も年収制だったので、毎月の給料はそれを単純に12で割っただけで、ボーナスのような大きな額の金を一度に受け取ることはなくなった ( 給与は毎月2回に分けて支払われるので、正確には24で割った金額となる )。
アメリカの会社ではボーナスが無いかというとそうでもなくて、割と業績に比例して支給している会社が多いようだ。
今の会社でもプロジェクトボーナスのようなものが時々支給されることがあるが、さすがに給与の何倍、なんて金額は出ない。

なので夏に給与以外の収入が入ってくると言うことはまれなのだが、今年は僅かながらボーナスが出た。それも国から。

もらってしまえばこっちのもの、という訳でもないが、実はあまり詳しい経緯を知らない。確か現米国大統領ブッシュが公約していた国民への税金還付の一環ではなかったかと思う。国民というのは正しくないな。僕は国民じゃないから。労働者というか納税者への還付ということになるだろうか。
周りの人たちに聞くと金額は大抵$300。今年就職した友達なんかは$200という人もいたが、僕らの収入幅では皆一定額なんだろう。

ところでこの税金還付は現住所に小切手の形で送られてきたのだが、まず最初に「あなたには税金還付があります。いついつの週に小切手を受け取るはずです」という予告の手紙が届く。僕の場合はそれから約1ヶ月後に届いたが、これは Social Security Number の下2桁によって決定されていること。早い人は7月に、遅い人は9月とか10月になるようだ。
テレビのニュース番組でも「何故一斉に処理を進めないのか」とか「国は遅延によって大量の利子収入を得ているではないか」という疑問も出ていたが、なんでも住所が特定できずに戻ってくるものが多いので順番に処理しているとのことだった。
テレビでは他にも「$300で買えるもの」と言った特集をしていたりしたが・・・

で僕のところにも先週やっと小切手が届いた。このデザインは春に税の申告をして、さらに追徴されず還付されるケースのときに後日郵送されてくる小切手と全く同じものだった。
左側に自由の女神がデザインされているのだが、これは New York 州だからそうなっているのかな?確かこの税金還付は国全体で行っているはずなので、他州は違うデザインの用紙を使っているのかもしれない。

テレビ番組が言ったからじゃないけど、この$300のボーナス、何に使おっかなと思案しているところだ。



「NY全体が the 2001 US Open を応援しています」
8/25/2001
今回は「応援しています」パロディ ( オリジナルは nonakaaan氏 ) シリーズの第2弾


アートなバス? いやいやこれはUS OPENの走る広告塔。
夕方遅くの走り去るバスの車体だったので、ぼけてしまった。

毎日、通勤にクルマを運転しているので、前々から気づいていたが、ド派手なバスが街中を走り始めていた。

New York では広告がなにかをジャックすることはそんなに珍しくなく、話題作ゴジラのときも、市内のあちこちのビルに「ゴジラの尾はこのビルの何倍長い」などといって、そのビルそのものや工事現場のあちこちの壁を使って大々的に広告していたものだ。

普段でもビルの壁はアパレル企業や飲料などの広告に使われることは珍しくなく、時としてその内容に感心させられてしまうものも。たぶん日本でもそうだったんじゃないかと思うが、Jurassic Park III の広告もなかなか良かった。通常の映画の広告の上にプテラノドンの影が落としてあるやつで、公式サイトの表紙でもその様子が見れらる。インターネットでは何気ないデザインでもこれが街中にあると、本当に広告に影を落としているように描かれているから、その分リアリティが増す。

話が横道にそれてしまったが、今回紹介した写真のバスは、NYC Transitバス、つまり市バス。
その多くが地下鉄と同様24時間営業で、どこまで乗っても$1.50というありがたいものだが、このバスの多くが今は US OPEN 一色なのだ。 これまでもバスの横とか後ろに広告が貼り付けられることはよくあった。というより、横には広告面が最初からリザーブされている。ところが今回のバスの広告ときたら、運転席を除いて、全面広告なのだ。よおくみると窓までふさがれている。( 車内も暗いのだろうか )。

こういったバス全面にペイントするのは長距離観光バス ( コーチ ) のスタイルで、大型バスではそれほどめずらしくない。カンクンでチチェンイツァに行った時に乗った観光バスも窓を含めて全体がペイントされていた ( 確かツアー会社の名前 )。窓はちょうどシェードがかかっているようなもので、うっすらと外の様子がうかがえた。
が今回のこのバスはとても市バスには見えない。もちろん個人的にはこういう勢いのある広告、街が活気づくから大賛成。New York City の粋なはからいに拍手。

実際、プレーヤーの巨顔がペイントされたバスの迫力は近くで見るとかなりものだ。今回紹介している写真の他にも、登場している人たちが異なるバージョンがあるようだ。機会があればそれも紹介したい。

ところでこの季節、US Open の会場の近くには Met's のホーム球場もあり、両試合が重なると付近は大渋滞になるんだけど、あれだけは勘弁。僕の通勤ルートなので、それだけで帰宅が遅くなってしまう (>_<)
でも頑張れ!!US OPEN!!(笑)
New York Watch は New York、Queens 区での US OPEN 開催を応援します!!(マジで)


the 2001 US Open の公式サイト
http://www.usopen.org/




Home Theater 計画着手
8/23/2001
子供のころ自分の部屋にステレオを持っている奴がうらやましかった。その後大人になって買ったコンポ ( ONKYO ) は結構気に入っていたのだが、渡米に際し、実家に置いてきてしまった。

これが今回購入した Receiver。日本で言うところの AV アンプ。写真では普通の厚さに見えるが実物は結構ぶっとい

アメリカに来てからの音楽鑑賞環境といえば結構悲惨なものだった。毎日車で通勤しているので、車の中の FM か、たまたま付いてきた CD チェンジャーで CD を聞く程度。部屋で聞きたいときは PC の電源を入れて CD-ROM 経由 PC のスピーカーで聞くか、ときおり Dreamcast に CD を挿入して、テレビのスピーカーで聞いたり。
日本で聞いていた環境よりは確かに劣っていたのだが、それでもなんとかこれで我慢していた ( 僕のオーディオ熱とは所詮そんなもんかもしれない )。まあ音楽を聴く大半の時間は運転中だというのもあった。

ところが今年 DVD プレーヤーと、Digital TV ( まだ完全に見ることは出来ない ) のシステムを導入してからというもの、どうやら Home Theater 熱に火が点いてしまったようだ。正確には友達の家で DVD で「 U-571 」を見てからと言うべきか。この友人は、プロジェクション TV に 左右前後、センター、サブウーファーのスピーカーを組み合わせて Home Theater システムを構築していて、その5.1ch スピーカーから聞く音は音が良い、というだけではなく、臨場感の迫力が全くといっていいほど違うのだ ( そりゃもちろんだけど、きちんと聞いたこと無かったので最初はびっくりした )。

それに感化された僕はさっそくインターネットで情報集めを開始。AV アンプと 5.1ch といわれる6本のスピーカーセットでシステムが出来るらしいことが分かって、今度はどんなモデルを買えばいいのかと、電器屋を周ったり、インターネットで調べたり。

店を周っていて最初に気づいたのが、日本で言うところの AV アンプはこちらでは Receiver とか AV receiver と呼ぶということ ( なんでだろ? )。この Receiver は基本的には映画を家で見るための音響の仕組みがいろいろ組み込まれていて、ディジタルドルビーだの、ドルビープロロジックだの、dts だの、DSP などいろいろな用語が出てきた ( 耳にしたことはあったが、実際にどんな仕組みなのか興味もなかった )。
THE WIZ や BEST BUY などの大手家電販売店には、たいていどこの支店でも視聴ルームがあってスピーカーとアンプの組み合わせの違いでいろいろ聞くことができるのだが、そこにおいてあるのは一軒家に大きなリビングルーム、巨大なスクリーンで映画を見ることを想定した本格的なものばかりが置いてある。僕みたいにへなちょこには、ちょっと手が出ない。
でもそこでの収穫は、どんな音響メーカーのものが人気があるのか、ということ。壊れたときにやっぱりサポートしてくれそうなところじゃないと。弱小メーカーや専門メーカーでも中にはいい製品を出しているんだろうけど、修理に時間がかかったりしそうでちょっと心配だった。
見渡せばやはりそこは日本製品の山。SONY を筆頭に Pioneer、YAMAHA などが名を連ねている。沢山の機種の中からこれといった機種を択ぶのは、にわか AV 愛好者の僕には到底出来ないので、日本製メーカーのホームページを見たり、個人ホームページの使用記なんかを参考にしながら ( 生の意見なのでだいぶ役に立った )、YAMAHA のシネマ DSP 機に絞り込んだ。で米国モデル名 HTR-5280 という Receiver、先の大手家電店に足を伸ばしててみたが、こういうところですら新しい製品が店頭に並んでいないのには驚かされる。店頭に並んでいるのはどれも一つ二つ前の機種で、それをセールとして売っているだけなのだ。近くの店員に型番を言うと「取り寄せ」とのこと。せっかく触ってみて、できれば聞いてみて買いたかったのだが仕方ない、一つ前の機種でも僕の耳には十分だったので、あとは該当機種を売っていそうなところをインターネットオンラインで購入することにした。
ちなみにスピーカーも似たような決め方をして ( 実際に店頭に置いていない店が多く、これも評判だけを頼り ) YAMAHA の NS-P610 に絞り込んだ。

でインターネットで調べてみると家電店より安く、手ごろな価格で売っているサイトが見つかり、どこに店があるか調べてみると、すぐ近く、Manhattan にある事が分かった。実はオンラインショッピングの場合、その店がどこにあるかは結構重要なのだ。たとえば僕のように New York 州に住んでいて California 州のショッピングサイトから買い物をすれば、Sales Tax はかからないのだ。今回 New York 以外の州から購入することも出来たが、どうせ送料がかかるから同じだし、ということで店を訪ねて店頭で買えるかと聞いたところ、OKとのこと。金曜日に電話したのだが、どちらも在庫有り、ということでさっそく日曜日に訪れた。

場所は Manhattan、China town の中心 Canal St. の近くで、電話やインターネットでの注文を受け付けるオフィスと実店舗は同じブロックで異なる建物に入っている。
どうやら店長やそこの従業員はみなジューイッシュの人たちのようだ。
店内は手狭で、ほとんどダンボールが積み重ねてあるだけ。客も買いたい商品の型番を言って購入するタイプだ。僕の前にも中国人の若い男が入ってきて、「SONYのxxxxとxxxxxとxxxxxある?」と店員に尋ね、店員は近くのコンピュータに型番を入力して在庫を調べていた。で程なく持ってきたのは DV カメラ用にバッテリーにテープ、それに 128MB のメモリースティックだった。
こんな風に訪れる客はもう購入するものを決めていて、その型番を伝えて買い物をするようなタイプの店なのだ。僕も「 YAMAHA の HTR-5280と NS-P610 ある?」と注文。「HTR-5280・・・・in stock。NS-P610..... just sold out」
金曜日に聞いたときにはまだ在庫があったのに、ちょうど今日売り切れたとのこと。愚痴を言っても仕方ないので、Receiver の HTR-5280だけを買って帰ることにして、スピーカーセットは発注することとなった。
「 Buyer が月曜日になればコンタクトが取れるので、そうしたら在庫の有無と入荷の予定日を伝えるよ」とのこと。まあそんなに長く待たされそうなこともなさそうだし、と Receiver だけ持ち帰ったが、実際に部屋で取り出してみると寂しい。スピーカーが無いのでただの箱だ。

ところでアメリカで売られているオーディオ機器の類だが、いまだにフェイスは黒一色なのだ。日本のように黒やシルバー、シャンパンゴールドの選択ができるのがうらやましい。僕が購入したのは Yamaha HTR-5280 というモデル ( 上の写真参照 ) で、日本ではシャンパンゴールドの高級そうなモデルで売られている ( DSP-AP8 )。下のサイトを見るとゴールドのモデルが売られているが、やっぱり黒よりゴールドの方が高級感があるような・・・。

さて上にも書いたように家にはまだ Receiver しかなく、これだけだと音が鳴らせない。しかたなくテーブルの上に箱から出したままなっている。スピーカーは発注してもらっているが、入荷するのはまだ未定だ。まあ1週間ほどで手に入るということだから、後日またシステムをくみ上げたらここで事後報告します。
スピーカーを取りに行くとき、ついでにこの店の写真も撮ってこよう。

僕がReceiver を購入した店のサイト
http://www.etronics.com/

店舗のアドレスは、
37 Essex Street
New York, NY 10002
電話 212-475-2450
土曜日以外の毎日営業




Chicago 後編
8/14/2001
たまたま New York に戻って来たあとの USA Today 紙に載っていたのだが、「今年の夏は飛行機も空港も遅延が減少」という記事があった。
それによると昨年の夏は51%もの遅延がありワースト1位の不名誉な称号を持っていた United Airline だが、今年はなんと26%近くまで改善されたとのこと・・・。

ゴミ一つ無い歩道、中央分離帯や歩道には花壇、そ黷ノこのきれいな入り口はなんと地下鉄。

LGA 空港でボーディングを待っている間、携帯に電話が入った。取ってみると Chicago の友人からのもので「昨日の Chicago に豪雨が降った関係で飛行機がみんな遅れているみたいだけど・・・」というものだった。電話の受け答えをしながら近くのモニターの出発時刻一覧を見てみると「On Time」になっている。「こっちのモニターじゃ大丈夫みたいだよ」と伝えたものの、その後飛行機はやはり大幅に遅れることになった。
全員乗り込んで飛行機がゲートから離れ、滑走路に向かって動き出したが、途中で停止。そこで10分くらい何のアナウンスも無く、それでも皆離陸の順番待ちぐらいに思っていたら、機長のアナウンスがあり、やはり Chicago、O'Hare 空港で遅れが出ているために今しばらく LGA で待機とのこと。続けてフライトアテンダントのアナウンスも入り、一時間以上このまま飛び立てない旨の連絡があった。UA は O'Hare 空港がハブ空港になっているのでここで乗りかえる人も多く、このあと更に1時間も遅れるとなると、乗り継ぎ便に乗れない人も多く出るはずだ。フライトアテンダントも「乗り継ぎ便に関しては地上の係員が現在手配しているので、O'Hare 空港に着いたら最寄りの係員に申し出よ」と伝えてきた。しかも「念のため申し上げますが、今回の遅延は天候による不可抗力なので、UA には一切の責任はございません」とも ( 苦笑 )。

Magnificent Mileと呼ばれるChicagoの目抜き通り。歩道にはこんな見事な花壇がずっと続く。
トウモロコシのようなMarina Cityビル。下が駐車場で上は居住階。隣はIBMビル。デザインがNYにはない斬新なもの。



機内誌も一通り目を通したし、機内販売誌にまで目を通したのだが、そのうち飽きて眠くなった。
一眠りして起きてもまだ滑走路にいる機。冗談抜きで「あ、Chicago に着いた?」と思ったがそれもつかの間時計を見ると出発予定時刻から1時間半ぐらいしか経ってない。New York から Chicago までは2時間のフライトなのだ。
周りを見てもほとんどの人が眠りに入ったままだ。目が覚めたら急に尿意を催したので、隣に据わっている黒人の女性を起こして道を開けてもらい、トイレに行った。扉を閉めて、「さあ」というときになってなんと突然滑走開始。慌てて済ませて席に戻ってシートベルトを締めると、まもなく離陸。トイレに行ってあやうくチビッてしまうところだった・・・。

僕の場合は Chicago が最終目的地で、しかもビジネスの旅行ではないので、遅れても全然気にならず、そうこうしているうちに Chicago の O'Hare 空港に到着 ( ちなみにこのつづりでオヘアと読む )。
今回 Chicago についてはほとんどインターネットで情報を集めたのみだった。調べていて、一番写真がきれいでイメージが湧きやすかったのが Sierra さんのところ。ここにはさっそくお邪魔して掲示板で質問までさせてもらった。
空港からは地下鉄でダウンタウンに行けることもわかっていたので、さっそく地下鉄 Blue Line で市内まで出て行く。



Chicago で撮った写真、見たこと聞いたことなどすべてをこの New York Watch で書くのは難しいのだが、滞在中は天候にも恵まれて、旅行自体はとても楽しかった。
まず街を歩いていて気づいたのが、清潔なこと。自分の住んでいる New York を卑下したくはないが、マクドナルドの紙コップが散乱していたり、ゴミの山が歩道に盛り上がっていたり、建物の壁やトラックのシャッターに落書きがあったりなんてことは Chicago では珍しい。加えて、街全体が緑化を推進しているのか、あちこちに手入れされた花壇があって街そのものが華やかな感じだ。
Chicago には全米一高いビル、Sears Tower があるが、それ以外の高層ビルも Manhattan のそれとは違って一つ一つが結構個性的なので、つい上を見上げながら歩いてしまう ( お上りさん状態 )。

それからこの Chicago でぜひ一度見ておきたかったのが Frank Lloyd Wright の設計した家だった。
この建築家の名前を知ったのは確か、日本で見たテレビでの特集だっただろうか。アメリカを始め、日本、ヨーロッパなどに彼の設計した建物が残っているということだったが、どれもまだ見たことはなかった。あ、New York にあるグッゲンハイム美術館は行ったことあるか。日本でも旧帝国ホテルなどは彼の手によるもので、現在はどこか郊外に移設復元されていると聞く。
よくメディアで紹介されるものとしては「落水荘」と呼ばれるものがある。一度くらいどこかで目にしたことのある人もいるのではないだろうか。(!!! にその写真が見られる )
そんな Frank Lloyd Wright だが、彼の人生の中で20年近くの間、Chicago に住んでいたこともあって、近郊には彼の設計したかなりの建築物が残されている。Chicago に着いてから友達の家のインターネットを使って調べてみると Oak Park で彼のデザインした家が展示されている場所が見つかった。さっそく友達に連れていって貰ったのは言うまでも無い ( ちなみに科学産業博物館のすぐそばだった )。残念ながら邸宅内の写真撮影は許されておらず、外観のみ写真を撮ってきたが、これもいずれ旅行記で紹介したい。
Frank Lloyd Wright設計のRobie邸。1909年。周りの木々に溶け込んでいる。
Sears Towerからの夜景。向こうに見えるのはミシガン湖。



4日間という駆け足の Chicago 見物だったけれど、ミシガン湖の大自然に恵まれた Chicago の街がそのまま人柄や街の様子を映し出しているようで、過ごしやすいところだった。ドラマ ER で見られる Chicago は陰気くさい危険な街としての一面を強調している向きもあるが、街の浄化は Manhattan 以上に進んでいるように見られ、季節的にも春から秋にかけて訪れるには良いところだ。真夏には近くにミシガン湖がある関係からか、湿度も高くなるが、逆に都会のすぐ側で水遊びをしたりフェリーに乗ったりすることも出来る。また全米一の高層ビルからの夜景も、New York のものとは違って必見。まだ見切れないところがあったので、個人的にはまた訪れたい都市の一つになった。

科学産業博物館、Chicago 名物ピザなど、まだまだ書きたいことはいろいろあるがそれらはいずれ旅行記の方で写真と共に紹介する予定。New York Watch 番外編の方で準備が出来次第、ここでアナウンスします。



Chicago
8/8/2001
8月最初の週末に短い休みを取って、全米第3位の年、Chicago に行ってきた。

La Guardia 空港。時間が無いとは言ってもここで、家の冷蔵庫の中にあった残りもののチェリーとここのコーヒーシェイクを飲み食いしていた。
La Guardia 空港。この飛行機で Chicago へ2時間。

Chicago で思い出すものって聞かれて、すぐに頭に浮かぶイメージってそんなに無いんだけど、結構そんな人が多いんじゃないかと思う。ちょっと考えて思い出したのが、ドラマ、ER の舞台が Chicago だったということ、続いて同じくドラマで、こちらはタイトルにもなっている Chicago Hope、どちらも病院をテーマにしたドラマなのはなぜなんだろう?
昔、Chicago ってグループいたよなぁ、てのが次で、その次になぜか Chicago Pizza。日本に Chicago Pizza のチェーンってあるよね?
思い付くのはそこまでで、インターネットで調べてみるまで Chicago が全米で3番目に大きな都市であると言うこともしらなかった。

今回のシカゴ行きも実はひょんなことから決まった。
だいぶ前にリクエストしておいた有給休暇が今回の休暇で、金曜日と月曜日に休みを取っていたのだ。4日間の休みではさすがにカリブ海は辛いし、かといって先週も1週間NYでぷらぷら過ごす休暇だったので、今回は短いながらも国内旅行に行こうと思って、空港会社のweb siteを見ていたのだ。
基本的には米国内にいる知人友人に会いに行くのが楽しいかなと、カリフォルニア、コロラド、フロリダ、イリノイ、カナダなどを調べていたところ、幾人かの友達はこの週末都合が悪いことが分かり、それと航空券の値段からシカゴの友達を訪ねることにしたのだった。本当は「夏が過ぎて冬が来る前の季節がいいよ」と言われていたものの、結局真夏のこの時期に行くことに。さっそく電話してみると「 New York と気温はそれほど変わらないけど、蒸し暑いかも」とのこと。
ドラマ ER はハマっていたので、BS放送で放映が始まる前からレンタルビデオで見ていたものだった。その中で見られる Chicago の風景で印象的だったのはやはり冬で、Snow Storm のシーンに見ているこっちも寒く感じるほどだった。でも夏は夏で暑いとは知らなかった。なんでも Chicago の街のすぐ横に大きなミシガン湖が控えているかららしい。

宿の心配はいらないってことで航空券だけ買えばよく、今回の旅行は安上がりだ。でいくつかのウェブサイトで値段を調べてみると、ここでLa Guardia 空港と、Chicago の O'Hare 空港往復チケットが$210で出ていたのですぐさま注文。E-Ticket なので搭乗券は空港受け渡しになる。

チケットが取れたのでつづけてインターネットで Chicago の観光情報を入手し始める。
ドラマ ER に話しを戻すと、ドラマの中の Chicago は危険なイメージだった。しょっちゅう銃撃戦があって負傷者が運び込まれるシーンがあったので、物騒だ、というイメージを持ったのかもしれない。実際凶悪犯罪発生率はそんなに低いものではなかったようだ。が今回行って見た感じでは New York よりはかなり安全に見えた。

詳しい旅行の内容はいずれ Chicago 旅行記を書こうと思っているので、ここではさわりだけ。
出発は昼1時に、近所の La Guardia 空港からの Unidted 機。日数が少ないのでボストンバッグに着替えを詰めただけで、荷物も軽く、その気になれば3駅地下鉄に乗ってそこからバスで5分ほどで行けるのだが、車だと10分もかからないので、行きはタクシーに乗っていくことにする。実は家を出るときにいつものように荷物をつめるのをばたばたやってしまって、気が付いたら1時の飛行機なのに、12:05、まだ自分のアパートにいた。あわてて戸締まりをしてタクシーに乗り、空港に着いたのが12:20。チェックインカウンターに適度に人はならんでいたが、列に並ぶ際にそこで便名を確認していた係員は「1時の Chicago 行き?じゃここにならんで」とこともなげに言うのでそのまま並んで待った。後で知ったのだが、E-Ticket を持っていて、荷物を機内に預けないのであれば、直接ゲートまで行き、そこで発見してもらうこともできるそうだ。ここまで来ると電車の感覚だな、こりゃ。
それでも12:45PMには搭乗券を貰って、ちょっとレストラン ( と呼べるほど大げさなものではなく、どちらかというとカフェテリア ) に立ち寄ってコーヒーを買っていく。家の冷蔵庫に残っていたチェリーを持ってきていたので、ここでゆっくり食べてからゲートに進むとまだ搭乗は始まっておらず、実際に人々が乗り込んだのは1時にだいぶ近くなってからっだった。

次回に続く・・・



Chicago 旅行記は、New York Watch 番外編で準備が出来次第、ここでアナウンスする予定。


 

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