旧正月は台湾ではもっとも重要な節句で、長期間祝われる。衣類を新しくし買い換え、お菓子、飴、そして縁起のいい言葉が書かれた飾り物を買うことから正月の支度は始まる。
支度がすっかり整い、家族が集まり年越しの宴が始まる。新年は爆竹が鳴り響くなか迎える。正月には、御馳走を楽しみ、神様にお供え物をし、「紅包」といわれるお年玉を親戚に配る。
古代中国の人々は、あの世の霊魂は旧暦1月15日の満月の光で見ることができると信じていた。時は流れ、霊魂を見るための松明は提灯に変わり、現在では寺や公園で色とりどりの提灯を飾る「ランタンフェスティバル」となった。昔の中国では両親は子供の将来が明るいようにと、正月明けの最初の登校日に提灯を持たせたという。
中国のお寺や廟に祭られている神様のなかでも、観音はその美しさや慈しみの深さから特に敬愛を集めています。観音は、漁民、農民、商人、長旅に出る人、子供のほしい人などいろいろな人に恵みを施すと信じられているので、各地のお寺にその姿を見ることができます。
伝説によると、観音は紀元前300年ほど前の人だそうです。彼女は生命あるものすべてに深い愛情を注げる力を持っていました。死後その力で地獄を天国に換えてしまったので地獄の王様は蓮の花に乗せて彼女を現世に送り返したというのです。人々はそれを喜び、いっそう彼女を崇め奉ったそうです。
観音像は、ふつう蓮の花の上に立って壺を持っています。壺は調和を象徴し、その手には慈しみの露がこめられています。そして、蓮の花は純潔の象徴といわれ、泥のような池でもその美しさに変わりはありません。
観音様には、果物や野菜をお供えします。肉類やお酒はいけません。また、彼女の誕生日にはほかのお祭のように爆竹を鳴らして大騒ぎするようなことはありません。それは観音はあまりに気高く、邪悪なものが近づく心配がないからです。そのかわり、小動物を自然に返したりして、静かに亡き人の霊を弔うのです。
清明節には家族が先祖の墓を訪れ、祖先にお参りし、墓を掃除し、花を備える。植樹をする事もある。紙のお金を燃やして、霊界の祖先に届くようにする。
漁民の守り神である媽祖は台湾のいたる所で祭られている神様である。誕生日には台湾の何百にも及ぶ媽祖廟で祝いの祭りが行われる。最も盛大なのが北港の朝天宮である。
色鮮やかなドラゴンボートフエスティバルには戦国時代(403 B.C. - 221 B.C.)の有名な詩人屈原にまつわる伝説がある。屈原はある時宮廷内でライバルたちの讒言によって王の信用を失ってしまった。絶望した詩人は紀元前
277年旧暦5月5日に川に身を投げた。屈原を日頃から慕っていた民衆は、すぐボートを川に出し屈原を助けようとした。ドラゴンボートフエスティバルはこの故事に則った祭りである。
「鬼月」と言われる旧暦の7月は1日に地獄のとびらが開かれ、それからの1ヵ月霊は現世でご馳走を食べ楽しく過ごすことが許される。霊がこの期間楽しく過ごせるようにたくさんのご馳走が用意され、霊がお金に不自由しないように「紙の銭」(あの世で使うお金)が燃やされ、台湾オペラが上演される。「鬼月」のクライマックスは15日の「中元節」である。お寺にお供えのご馳走が用意され、僧がお経を唱え霊を弔う。
旧暦の7月7日は七夕、中国のバレンタインデーと呼ばれ、恋人たちのお祭りです。天の掟を破った彦星と織姫が一年に一度会瀬が許されるという伝説にちなんでいます。
台湾の若者たちは、異性の友人にカードや花を届けます。この日だけはすてきなレストランでデートするカップルも目立ちます。
中秋節は旧暦8月15日に行われる行事である。この日は一年中で一番満月が大きく明るく見える。この中秋節は中国三大節句の一つで祭日である。家族が皆集まり、お月見をしながら月餅(餡や卵の黄身などが中に入っている饅頭)を食べる。
この時期に台北を訪れると、中正紀念堂、国父紀念館、陽明山、青年公園、二二八和平公園(旧台北新公園)などで多くの台湾の人とともに、お月見を楽しむことができる。
3000年前の偉大な学者孔子の誕生日には、台湾中の孔子廟で夜明け前から祝いの式典が始まる。式典は儀典に則った舞い、装束、音楽、その他の様々な行事で祝われ、大変盛大である。孔子は地位が高い人だけでなく、学ぶ意欲がある者なら誰にでも学問の機会が与えられるべきだ、という考えをもっていた。この為、孔子の誕生日9月28日は「教師節」としても祝われる。
1911年、孫文は清朝の弱体化をにらんで、武漢で武装蜂起しアジア初の共和制をとる中華民国を建国した。革命の蜂起は10月10日(即ち双十節)であり、今日中華民国の祝日に制定されている。この日は台北の総統府前で大規模なパレード、郷土舞踏、武術、獅子舞などが行われる。そして最後、淡水河の花火でこの日は締めくくられる。