台湾北部

台湾最大の都市・台北を中心に放射状にあらゆる観光スポットが展開しています。清代や日本時代の面影を現代に伝える旧跡、台湾風俗の象徴ともいうべき寺や廟、春になれば桜が満開になる山の公園、山奥深く分け入れば点在する原住民の村やひなびた温泉、波涛に浸食された奇岩が連なる海岸線など。 現在都市台北から素朴な人情を今に伝える漁村まで、台湾北部はバラエティに富んだ旅が楽しめます。

 

鶯歌.陶芸の町

台北から西へ電車で30分ほどいった小さな町が鶯歌です。この素敵な名前の町は、台湾最大の陶芸の産地。郊外には陶器工場が点在し、路地には陶器屋さんがびっちり。お店には、大きな花瓶屋置物、それに老人茶(中国茶のスタイル)の道具、食器などありとあらゆる陶器が並んでいます。ひとつ地域に陶芸技術が綿々と伝えられてきた例としては、日本の信楽とか中国の景徳鎮と共通のものがあります。ここで生産された製品は、台北市内のお茶屋さん、お土産店、そして夜市で売られていますが、もちろん現地で買った方が品数が豊富で割安です。

鶯歌は15分も歩けば突き抜けてしまうような小さな町です。散歩しているだけで、台湾の庶民の息遣いが伝わってきます。小さな食堂に入れば、こちらの郷土料理を楽しむこともできます。

町には孫子を祭るきれいな廟があります。孫子は中国の戦国時代(403−221BC)の軍略家で、世界の武将.軍人のバイプルである有名な「孫子の兵法」を編んだ人です。廟は山際に建てられており、屋根に立つ巨大な孫子の像はどこからでも拝むことができます。

 

淡水

淡水と聞いてまず頭に浮かぶのが夕暮れ、紅毛城(サンドミンゴ城)、グラススキー場、そして4つの名門ゴルフ場である。台北郊外でこれだけレジャー条件がそろっていれば、人気スポットとなるのもうなずける。忘れてならないのが新鮮なシーフードや皮蛋(ピータン)や魚丸(魚のすり身団子)などの地元名産品の数々である。

 

野柳

野柳は海に突き出した小さな岬である。長い年月の間に波や風雨の浸食を受けて、自然の岩が不思議な景観を呈している。低い円柱の上に横たわる大きな卵、漁夫の長靴、エジプトの女王クレオパトラの横顔など、彫刻の森を形成している。

お問い合わせは: 02)492−1609。

 

東北角海岸風景特定区

北は水浦洞から南は宜蘭県の北港口までの区域が東北角海岸風景特定区である。ここはその美しい自然景観で知られ、河や段々畑、幾重にも重なる丘、灯台そして台湾でも条件のよいビーチが2カ所もある・また、様々なレジャーを楽しむことができ、キャンプやロッククライミング、200年の歴史をもつ古道のハイキングや遊泳、波乗り、ウィンドサーフィン、ジェットスキー、ボート、シュノーケルからスキューバダイビングなどの各種マリンスポーツのパラダイスでもある。

詳細は(02)499-1170まで。

 

烏来

烏来は台北近郊の郷村で、村自体が一つのレジャーパークのようであり、台湾先住民タイヤル人の里である。彼らの伝統的な民族舞踊、白糸の滝、桜、美しい渓谷、温泉、トロッコなど楽しみは多い。

烏来は台北からわずか40分ほどの距離にありながら、バードウォッチングを堪能できる場所。烏来のバス停付近からはトンホー岩までバードウォッチング遊歩道が続いており、特に冬場には中高山の鳥たちがそこここに群れをなしている。バードウォッチングに最適なシーズンは11月から2月にかけて。

 

三峡・大正期の老街

鶯歌から車で10分ほどのところに三峡があります。この静かな町に休日ともなるとたくさんの若者がカメラを片手にやってきます。お目当ては通常「老街」と呼ばれる一角で、ここには大正時代から昭和初期にかけて建設された中国風の町並みがそのまま残されているのです。くすんだ赤レンガの醸し出すムードを求めてカップルの姿も目立ちます。

もうひとつ三峡のハイライトは、清水祖師を祭った祖師廟。祖師とは、俗名陳昭応といい、宋の時代に元(モンゴル人)の侵攻に対して勇敢に戦ったという民族の英雄です。のちに明を興した洪武帝が昭応の功績を表彰するため福建省に廟を建てました。そして、18世紀なかばその御神体を三峡に安置したというのが始まりです。

この廟は、第二次世界大戦のときに破壊されましたが、1947年から修復工事が始まりました。ところが、45年以上たった今もまだその工事は続いています。というのは、廟の内外をおおう凝りに凝った彫刻がまだ完成していないのです。この彫刻を請け負った三峡出身の芸術家・李梅樹(1902ー1983)がそれの生涯をかけて取り組みましたが、ついに完成を見ずに亡くなり、その弟子があとをついで仕事を続けています。

壁一面の浮き彫りの絵、物語をテーマにした木彫り、150本以上という彫刻を施された石柱と銅柱、そして両脇を固める獅子の像など廟の内外はさながら中国彫刻芸術の殿堂といった壮観な眺めです。

 

九分

文化と歴史

台北県瑞芳鎮に位置する九分(チュウフェン)は、外地との間を結ぶ陸路がなかったころ、生活物資を全て海路に頼っていました。「九分」という名前の由来は、当時、村にはわずか9つの世帯しかなく、生活物資の購入が毎回9人分だったからだといわれています。

1890年ごろ、小金瓜から程近い福山宮土地祠で金鉱が発見されると、それまで9世帯しかなかった九分には、一攫千金を夢見る人たちが続々と押し寄せ、村全体の世帯数は3、4千世帯まで膨れ上がりました。俗にいわれる、九分の第一ゴールドラッシュです。

日本の統治時代になると、採掘された大量の金は日本へ送られました。そして1930年代には、アジアのゴールデンタウンと呼ばれるようになり、九分の金鉱採掘事業は最盛期を迎えます。当時、海から見た九分は、無数の明かりが灯り、上海や香港を思わせるほどでした。

しかし、その後、金鉱脈が底をつきはじめ採掘量が激減したため、多くの金鉱採掘会社が経営に行き詰まり、一世を風靡した九分の黄金時代は幕を閉じることになります。

最近では、かつての九分を舞台にした映画、「悲情城市」がベネチア映画祭でグランプリを獲得してから、九分は再び人々の注目を集めるようになりました。それとともに、九分の昔ながらの町並みや廃坑現場などの風景をマスコミがたびたび放送したため、芸術家をはじめ、多くの行楽客が当時の面影を偲んで九分を訪れるようになっています。

郷土の味と特産品

九分で最もにぎやかな基山街は、幅3.4メートルの道を挟んで、両側に市場や銀楼、布屋、洋服の仕立て屋、理髪店、雑貨店、工芸品店などの商店が軒を連ねています。日中でも日差しが遮られて薄暗いことから、「暗街仔」と呼ばれるこの通りには、休日には多くの観光客が訪れます。

その中でも、旧道のバス停と基山街一帯には、開業20、30年の歴史をもった多くの食堂が集まっており、さまざまな九分 の庶民の味が楽しめます。ここでは、代表的な品をいくつかご紹介しましょう。

九分老麺店: 氷砂糖と豚骨をぐつぐつと煮込んで作るスープが格別です。

旧道口牛肉麺: 漢方薬で味付けした牛肉とスープが独特の味を出しています。

阿婆魚羹: サメのすり身に小麦粉をつけて練った後、細長く切って鍋で煮てつくります。

草仔: 九分を代表する伝統的な食べ物で、まろやかな口あたりが特徴です。

芋圓: タロイモと小麦粉を練って、一口大に切ったもので、おしるこやかき氷に入れて食べます。

鹹光餅: 小麦粉を練った後、砂糖と塩を入れて焼き上げたもので、ゴマ入りのものとゴマ無し甘口のものがあり、2、3日の保存が効きます。

芋仔蕃薯: 九分特産のサツマイモで、口に入れると、とろけるような甘さが広がります。

観光客が日増しに増える中、これら伝統的な庶民の味のほかに、九分の古きよき時代をイメージして、レトロ感覚漂うレストランや旅館も多くつくられています。これらは、建物の外観や内装はもちろん、店名もたいへん凝った名前がつけられています。

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