5月21日(水)
タンペレ通信に戻る
(単身赴任)
新宿発7時7分の成田エクスプレスで空港に移動する。飛行機の出発時間が早いので、前日は渋谷に泊まったからである。4人用の座席のうち3席を我々が占め、海外出張と思われる単身の男性客が相席となった。彼を見送りに奥様と幼稚園の制服を着た男の子がホームまで来ていたが、自分が10ヶ月間の単身赴任だったらと思うと、他人事ながら寂しい思いである。
(空港にて)
成田空港には8時半に到着。出発の2時間半前であるが余裕はない。宅配便で送っておいた荷物を受け取り、フィンエアーのカウンターでチェックイン。荷物は合計で75キログラムと許容重量(20キロ×4人)にぎりぎりセーフ、この辺りにはロボコンと同様の苦労あり。次は、両替である。ここ1、2週間の円高(ドル安)により交換レートは有利になっていると予想したものの結果は逆であった。4月28日の送金時交換レート24.88円/マルッカに比べ、本日トは25.39円/マルッカと2%の円安(マルッカ高)であった。
出国手続きを行い、座席にたどり着いたのは出発の20分前、ぎりぎり間に合ったと言える。
(快適なフライト)
約10時間のフライトは快適であった。スイス、ドイツ等の西欧中心地に比べ飛行時間は2〜3時間短く、ずっと起きていても我慢できる。担当のスチュワーデスさんは日本人であった。(家内には内緒だが)美人であったのも一つの快適さの原因かもしれない。とても親切で、食前酒にビールを頼んだところ、フィンランドのビールについて解説までしてくれた。また、クラスメートからの手紙を読んでいた智(長男8歳)には、全員に返事を書くようにとムーミンの絵葉書を30枚も準備してくれた。全ての会話が日本語で済むのは何と便利なことだろう。しかし、ここで英語を使わずに済んでしまったのが、ヘルシンキのバンター空港でおたおたすることになる一つの要因であったのかもしれない。運命とは分からないものである。
(乗り換えは危機一髪)
15時00分:バンター空港に到着、日本人のスチュワーデスさんとも分かれれば、いよいよ日本語が通じなくなる。タンペレへの国内便は15時55分発であるから乗り換え時間は1時間弱である。乗り換え手順は、到着直後にフィンエアーの空港駐在員から日本語で説明を受けた。入国審査、荷物受け取り、通関、国内便への荷物預け、国内ターミナルへの移動、チェックインとスムーズに運べば40分でこなせるはずであった。
入国審査は、日本人団体客の後になり予想外に時間をくった。到着後に乗り換えの説明を受けていたので、移動が遅れたのである。
15時25分:コンベアから取り上げた荷物を素早くカートに乗せて通関に向かう。しかし、ここには係員が誰もいない。「なんだ、ここはフリーパスか?これでロスタイムを取り返したぞ」と思い、カートを押して扉を通過。最寄りのインフォメーションで国内便への荷物預け場所を尋ねた。「あなたが今通ってきた扉の手前のコンベアに置いてきて下さるだけでよかったのです。」、「そう言えば、先程の説明でそのように言われていたような。少し戻るか」と考えていたところへ、「扉は一方通行で、こちら側からは通り抜けられませんから、御自分でローカルターミナルまで運んでください。国際ターミナルと国内ターミナルとの間は、10分間隔でシャトルバスが運行されています。歩いても立体駐車場を通って4、5分の距離ですが。」との説明である。
15時35分:家内の冷たい視線を背中に感じる。気持ちを切り替えて、シャトルバス乗り場へ行くと、バスは目の前を出て行くところ。いよいよ、カートを押して駐車場を突っ切らなければならない。途中、エレベータを見過ごして100m程後戻りする場面もあったものの、走るようにして国内ターミナルのチェックインカウンターにたどり着いた。
15時45分:「やっぱり、乗り遅れたかな? タンペレ空港まで出迎えに来てくれている人に連絡しないといけないが、そういえば、まだ名前も聞いていなかったなあ」と半分あきらめながらも手続きを待つ。
15時50分:チェックイン完了。子供の手を引き走るようにして搭乗ゲートに向かう。
15時53分:ぎりぎりで、ゲート13Aに到着、係員は誰もいない。「やっぱり、だめだったか。」とあきらめながら、通りかかった空港職員にゲート番号を問い合わせる。近くの表示板を見ながら、「ここです。」とゆったりと椅子に座っている20〜30人の人々を指差す。でも、彼等は動こうとしないし、ゲート13A の前には、そもそも、飛行機が居ない。釈然としないものの、子供達をトイレに行かせたあと家族をゲートの前に残して、先程の表示板を見に行った。良く見ると、「フィンエアー275便、ゲート13A、出発時間は16時20分」とある。
16時00分:搭乗手続きが始まった。我々は、ゲート横の階段を降りてバスに乗り、数百メートル離れた格納庫の横にいたプロペラ機に乗り込んだ。
ヘルシンキのバンター国際空港からタンペレまでは空路35分の旅、飛行機はサーブ社のSF340、定員34名のプロペラ機である。空港まで出迎えてくれたのはエリッキ氏、オペルのワゴンでタンペレ近郊のヘルバンタにあるアパートまで約12キロの道のりを、荷物共々送ってくれた。行程の3/4程度はハイウエイを走る。フィンランドでは米国と同様右側走行であるが、すれ違う車は全てヘッドライトをつけている。時間は午後5時を少し回ったばかり。北国の夏では日中なのにである。この国では、車はいつもヘッドライトをつけっぱなしで走るのだろうか?車がヘルバンタに近づいたとき雨が降ってきたのだが、フロントガラスに落ちた雨粒がガラスにへばりつくようにくっついている。良く見ると雪である。みぞれに近いが、日本でよく見るざらめ雪が空から舞ってくる。エリッキ氏は、「そう言えば、天気予報で今日は雪が舞うと言っていた。」と平然としている。5月下旬は、初夏ではなく冬であったか?そう言えば、道を歩く人々の着ている服は皆、スキーウエアのようのように見える。
(風呂がない)
宿舎は、日本流に言うと2LDKのアパート。決して広いとは言えないが、4人家族で住むにはまあまあの広さではないかと思う。大学の研究室からは900m、歩いて10分と便利な位置にある。ダウンタウン行きのバス停と小さなスーパーマーケットが100メートル以内にある。8階建て高層住宅の4階で、眺めは良い。驚いたのは、お風呂、正確にはバスタブが無いことである。バスルームには、シャワー、洗面台、ドラム式の洗濯機、ものほしロープと洋式(当り前か?)便器のみである。広さは、3帖ほどあるがバスタブは無い。我々はこれから10ヶ月間お風呂に入ること無く過ごさなければならないのであった。
(太陽は沈まない)
時刻は午後8時、夕刻とも言えないほど高い位置に太陽が輝いている。今日はシャワーも浴びていないが、我慢できずに子供達は寝てしまった。日本時間なら、深夜(翌日の早朝)2時だもんなー。カーテンを引いてもあまり暗くはならないが、カーテン地が青色なので、暗がりの雰囲気だけを感じながら、今日は寝ることにします。おやすみなさい。
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