10月31日(金)

October 31th (Fri), タンペレ通信に戻る( Back to Index)


(新聞に載ってまった)

 土曜日(10/25)の午後、家内の通う国際ミーティングプレイスでパーティがあった。普段は、ヘルバンタに住む外国人にフィンランド語を教えたり、手芸、料理などを一緒にしたり等の文化行事をしており、子供達が小学校、保育園に通い始めたあとの家内は、ほぼ毎日ここに通って、外国人(フィンランド人以外)の友人が何人もできたようである。女性しか入館できない施設だが(今だに、理由はよく分からない)、この日は男性も入れる。各国の料理を試食できるということで、智のスケート教室が終わると直行した。この日のために、家内はみどり(パルモネン)さんと相談して、巻き寿司とさつま揚げを出展することにした。みどりさんが、さつま揚げを作り、巻き寿司は家内とみどりさんが共同で作った。幸い海苔は、子供達の大好物で軽いことから、出国前に船便で別送してある。さしみは入手困難だし、生と聞いたら誰も食べないだろうからと、具はツナ缶、卵焼き、きゅうりとレタスを選び、一部の寿司にはみどりさん秘蔵のアボガド(植物であるがトロのような味わいがあることは、日本でも知られていると思う)も入っている。
 パーティでは、イスラエル、イラン、イラク、インド、ボスニアヘルツエゴビナ、クロアチアと日本の料理が試食に供され、イスラエルとイラン、イラクの踊りやフィンランドのフォークダンスが紹介された。特にイラクの美少女のソロダンスは素晴しく、お見せできないのがとても残念である。
 ヘルバンタでは日本の紹介もめずらしいのか、我々(私は何もしていないので、我々というのは不適切だが)のコーナーにも多くの人々が詰めかけた。特に巻き寿司は、Sushi という名前は知られているものの初めて見る人が多いのか、興味を持って迎えられ、口を揃えて「おいしい」と絶賛された。ただ、海苔を単なる包みと勘違いして、お皿の上で寿司をばらばらにし始める人や、「この黒いものは何か。食べても良いのか。」という質問も多かった。その度に、我々は持参した蒲郡市の公式パンフレット(英文:このパンフレットは良くできていて、特に蒲郡が日本の何処にあるかを説明するときに重宝した)を取りだし、パック入りの海苔を見せながら、海苔が乾燥させた海草でビタミンを多く含む健康食であること、日本ではハイキングのお弁当に、サンドイッチのように、よく食べられること(正確には、おにぎりのことを説明すべきかもしれないが)、日本の沿岸には、海苔の養殖場が沢山あり、この海苔も三河湾で取れたものであることなどを説明した(このとき、初めて、私が役にたった)。
 どうも、このとき、ごついカメラを持った男の人とペアだった女性が AAMULEHTI (たぶん「朝刊」という名前のタンペレの新聞。)の記者だったみたいで、翌日曜日の朝刊に、Hirokon Sushi(浩子の寿司)という写真入りの記事で紹介された(みどりさん、ごめんなさい)。我々は土曜日の夕方、この女性記者からの電話で記事掲載を知らされ、いつもは買わないフィンランド語の新聞を買ってきた。記事の内容解読には、今しばらくの時間が必要だが(我々の読解力では、帰国までに全文を理解できるか疑問は残る)、寿司の材料に関する説明も含まれ、記述は詳しい。少しは、日本の良いところを、タンペレの人々に紹介できたかもしれない。翌月曜日に出勤すると、研究室のほぼ全員がこの記事を読んだようで、セッポさんを始め皆から声をかけられた。また、火曜日のフィンランド語教室でも、この記事を知っている人がいた。(ここからは、根拠のない推測ですから、信じない方が安全)もしかして、AAMULEHTI 紙はこの地区唯一の朝刊なのかもしれない。たぶん、フィンランドでは日本のような全国版のメジャー新聞はないだろうから、タンペレでは一挙に有名人か?

(湖の凍結)

 イーデス湖の凍結を見てから、ヘルバンタ中心のアハヴェニス湖が、いつ凍るのかが気になり、先週金曜日の帰宅時にも見に行ったのだが、全く凍る気配がない。湖畔の散策路は凍結し、雪も残っているのに、鴨が、ゆうゆうと泳ぎ、湖面は風に波立っている。日曜日の昼下がり、ベランダの温度計はー2℃、雪は降らないものの曇天でお日様は、ほとんど顔を見せない。半分凍った湖を期待していた私は、アハヴェニス湖が、依然、凍る気配さえ見せないのを確認後、ヘルバンタの西にあるスオリ湖まで足をのばした。夏のあいだ、水泳やボート遊びで楽しませてくれたスオリ湖は期待に答え、部分的に凍った姿を見せてくれた(智が風邪で、アパートを出られないため、この時は単独行で身軽だった。ただし、スオリ湖が凍っていることを知った素子と、午後4時から再び散歩をすることになったが)。
  
(晩秋/初冬のスオリ湖)

 ビーチから東側は全面的に氷に覆われ(私が体重をかけるとミシミシ言うが、素子なら岸から2m離れても大丈夫。心配だったので、それ以上は岸から離れないようにさせたので、どこまで行けるかは不明だが、厚いところでも、まだ、数センチの厚みだろう)、飛び込み台のある桟橋を避けるように広がった氷は、西側の広い湖面の中央を帯状になって対岸まで伸びている。スオリ湖への行き来に使う歩道では、相変わらず老夫婦が、子供連れの若い家族が散策し、ときにジョガーが追い越していく。フィンランド人の散歩好きは気候に関係なく(もちろん、この気候が寒いなどとは思ってもいないだろうが)、気温が下がって雨が降らなくなった(代わりに雪がちらつく)ことを、かえって喜んでいるのではないか。
 翌月曜日、アハヴェニス湖の湖面が9割ほど氷に覆われたことを家内が発見、火曜日の朝、出勤時に少し寄り道をして、アハヴェニス湖畔を通った。薄明りの中で、凍結面の広さを確認することは難しかったが、岸辺の氷を踏み破ると厚さ約1cm 程であった。ただし、水曜日以降は暖かさが戻り、日中の気温も5℃近くまで上昇、氷は融けてしまった。天気予報によると、次の冷え込みは、この週末とのこと。
 フィンランド語では10月を、loka-kuu と言うが、直訳すると泥の月。雨で道路がぬかるむ10月も終わり、フィンランドは皆が待ち焦がれた冬になる。11月は、marras-kuu、寒中水泳の好きなマラさんの月ではなく、花も枯れる死の月だそうだ。我が家のカレンダーには雪原と枯れ木の写真が使われている。ちなみに、我々が来た5月は、touko-kuu と言うが、決して「藤虎、食う」ではなく(申し分けない。豊田高専/電気工学科の人しか、意味は分からんと思う)、春の月らしい。我々の滞在も春夏秋と過ぎ、いよいよフィンランドの本格的な冬を体験できるようだ。


前回目次次回
This page hosted by Get your own Free Homepage
1