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日々の記録 1999年11月


過去の記録目次



1999年11月30日 火曜日

今日で夜学は終わり。徐々に夏休みにむけて体制が進んでいきます。でもお休み前には仕事に一山あるのは日本語教師も同じ。いろいろと忙しい日々が続きます。

夜学も終わり、学校の入口に鍵をかけて夜空を見上げるとオリオン座です。そういえば、夜学の帰りにはよく見てるなぁ、と思ってたら、ふと気付きました。そうです、今は夏なんです。日本でオリオン座と言えば冬の寒い頃、冬休みの宿題で毎日の動きを観察していましたね。その星座をうだるような暑さの中で見ています。また、日本よりも緯度が低い分天高く輝いていて格好いいですね。「夏のオリオン」



1999年11月28日 日曜日

いつものごとく、何もない日曜日の今日はスイッチョに行ってきました。もう夏ですね。マンゴの季節ですね。スイッチョのあちこちにあるマンゴの木にはたくさんのマンゴがなって、僕に食べられるのを待っています。日本では高くてとても食べられないマンゴですが、こちらでは多すぎてだれも食べません。木の下には熟したやつが何個も落ちています。貧乏性の僕はそれを集めてまわるんですが「日本人はみんなマンゴが好きだね。」という答えが返ってきました。

と、そのうち呼ばれるので何かと思ったら、またもやピストルが出てきました。今まで見せてもらった中では一番新しめのやつです。で使い方をいろいろと教えてもらったあと、おじさんがさっそく試射します。
「パン!」
と乾いた音がするだけで、あまりにあっけなくてびっくりしました。
すると「あんたも撃ちなさい」と手渡されてしまい、心の準備ができていなかった僕はうろたえます。まあせっかくのチャンスということで言われたとおりに照準をあわせ引き金を引いてみます。
「パン!!」
今度は耳がキーンとなってしまいました。よく言われているような反動なんか全くなくて、びっくりしましたね。なんでも今回撃ったやつはオートマチックなので、反動はないけど、リボルバーはかなり反動があるみたい。調子にのって10mぐらい先にビール缶を置き、さっそく撃ってみますが、なかなかねらった真ん中に当たりません。だいたい5cmぐらい下のところにあたります。

ねらってみて分かりましたが、引き金を引くときのタイミングや集中法は昔やっていたアーチェリーと同じですね。息を軽く吸い、軽く吐いて体が落ち着いたところでフッと引く感じです。ついでにねらいが下にはずれやすいってのもアーチェリーの時と同じなので笑えました。



1999年11月27日 土曜日

モバイル大作戦発動!!長期旅行でたまりに貯まるデジカメのデータをいかに保存するか。当初は というやむにやまれぬ事情から、最終的にモバイルパソコンを日本から密輸し、それを旅先に持っていくという一番金のかかる作戦に落ち着きました。う〜むこれをやるともう戻れない一線を越えて「モバイラー」になるような気がしますが、しかしブラジル旅行のすべてを皆様に伝えるためにはこれぐらいの投資は痛くないっす!!
でもこれを読んだ人、ブラジルの強盗団にはくれぐれもご内密に。
あ〜、しかし「パソコンを持ってアマゾン釣り紀行なんて間違ってるぞ!」という密林の猿の大王の声が聞こえてきそうです。天罰が当たらないことをいのるばかり。



1999年11月25日 木曜日

今日は12月の旅行に備えて床屋に行って来ました。今では「いつものね。」ですみますが、始めてそこに言ったときはポル語の辞書と会話集を持って完全武装で行きました。買い物だったらポル語がうまく通じなくてもあとで何とでもなりますが、一度髪を切っちゃうともとに戻せませんからね。こちらの床屋は日本に比べるとべらぼうに安いです。今行っているところは7R$(400円弱)ですが、これでもちょっと高いほうです。ただ、こちらの床屋では髪を切る前には洗ってくれるんですが、切ったあとには洗ってくれません。というわけで床屋に行ったあとは必ずシャワーを浴びないといけません。もちろん高級なところはいくらでもあるのでそんなところはちゃんと洗ってセットもしてくれるんでしょうが。



1999年11月24日 水曜日

ナタウ!ナタウはポルトガル語でクリスマス。今日はナタウから一ヶ月前と言うことでアパートの入口の守衛室はクリスマスの飾り付けがされてました。ただ、今年のナタウについては別にこれといった考えはないですね。まあクリスチャンのお祭りだから関係ないし。とりあえず、年末に友人を迎える関係でリオ・デ・ジャネイロにいるでしょう。

ところでブラジル・サッカーの方も盛り上がってきました。カンピオナート・ブラジレイロの決勝リーグの準々決勝が終わり、準決勝進出チームが決まりました。組み合わせは
コリンチャンス×サン・パウロ
ヴィトリア(サルバドール)×アトレチコ・ミネイロ(ベロ・オリゾンチ)
という組み合わせです。とくにコリンチャンス×サン・パウロはサン・パウロダービーになるので盛り上がるでしょう。まわりにもサンパウリーノ、コリンチアーノがたくさんいるので楽しみです。

それともう一つの大きなイベントはコパ・トヨタ。南米代表のパルメイラスも日本入りし、連日スポーツニュースで取り上げられています。ぜひともマンチェスター・ユナイテッドをうち破り、南米サッカーの強さを世界に示してもらいたいです。



1999年11月23日 火曜日

なにげなく文協の事務室の本棚を見ていたら、開高健の「オーパ!」を発見しました。この本の存在は知ってましたが読んだのは今日が初めてです。まず題名の「オーパ!」がブラジル人が驚いた時によく言う「オ、パ!」のことだったということを始めて知りました。それから内容ですが、ブラジルでペスカドール(釣り師)の楽しみを知ってしまった僕にはいろいろと共感するところが多かったです。アマゾンに興味がある人、釣りが好きな人必見です。

その場にいたいつものスイッチョでお世話になっているおじさんも「わしも若い頃オーパに載ったよ」と教えてくれました。このおじさんも若い頃はペスカドールとしてパンタナルあたりでならしたそうなのでその時にオーパのブラジルコーディネーター醍醐麻沙夫(だいご まさお)さんと知り合い、紹介されたんだそうです。その時に「子供の頃は蛇がいたらよくつかまえて遊んだ」と言ったところ、記事の中では「子供の頃蛇と一緒に育った日系人」となっていて驚いたとのことです。

なお、その醍醐麻沙夫さんの息子さんは今はカラオケの先生らしく、この前あったノロエステ四線友好カラオケ大会の審査員として来ていました。



1999年11月21日 日曜日

昨日とはうってかわって、一日中釣りをしてました。いつものスイッチョですが、行くたびに水が少なくなっていきますね。まわりの人達も「こんなに少なくなるなんて今年はおかしい。」と言ってます。

その釣りに行く前にスーパーで買い出しをしにいってびっくりしました。なんとスーパーで朝食を無料で出してました。今まで日曜の朝早くにスーパーなんか行ったことなかったんで知りませんでしたが、こんなサービスもあるんですね。もう一つ驚いたのは日系人の客が多かったことです。昼頃に行くとそんなに多くないんですが、朝早いというのが原因なのか知り合いの人達にたくさん会いました。やはりみんな朝はお早いようで。



1999年11月20日 土曜日

今日はほとんど家を出ずに旅行記書いたりネットサーフィンしたり、とっても不健康な一日でした。夜は生徒の誕生会によばれましたが、この生徒の父親が弓場農場の出身らしく、弓場のことをいろいろと聞かせてもらいました。ブラジルに来たからには一度は行かねばならないとこです。このほか南のカフェランジアや北のプロミッソンも日系人の歴史を知る上で欠かすことのできないところだけに早いとこ行かないといけません。でも「近いから後でいいや」と後回しにしてこの夏も遠くアマゾナスに行ってしまう僕です。来年は足元から!と早くも来年の旅行計画を考える一日でした。



1999年11月19日 金曜日

今日も一日すごしやすい日でした。こうして更新している夜は涼しいを通り越してTシャツではちょっと肌寒いぐらいです。まわりの人達は「今年はおかしい、本当ならもっと暑いはずなのに!」と言ってます。また、いつも釣りに行っているスイッチョのオヤジも「今年は水が少ないね。」と言っているし、異常気象は日本だけのものではないらしいです。ただ、考える能力が低下しているのでそこから地球の問題へと発展することはない今日この頃です。



1999年11月17日 水曜日

いつも寮でご飯を作ってくれるおばちゃんが、特別にご飯を炊いてくれました。普通、こちらのご飯は「あぶらごはん」といって長粒米を油で炒めて作ります。さっそく「ご飯」を久しぶりに食べてみると、炊いた米特有の匂いと味がただよってきますね。米の味は日本のにくらべるとだいぶん落ちますが、それでもご飯の味がします。しかし残念ながらブラジル料理にはあいませんでした。いつものごとくフェイジョンをかけて食べてみたら、まずくて食べられるもんではないですね。やはりフェイジョンにはあぶらごはんが一番合います。ブラジル人達が日本で「日本のお米はおいしくない」という気持ちが分かった気がしました。



1999年11月16日 火曜日

リオ、ヴィトリア旅行から帰ってきました。ヴィトリアでもアップするつもりでがんばってみたんですが、うまくいきませんでした。ヴィトリアの高崎さん、押切さんには本当にお世話になりました。ヴィトリアでの人との出会いと、リオでの高密度な観光と充実した週末でした。ただ、この週末はどこも雨模様でしたね。日本にいる頃は天下無敵の晴れ男を自認していたんですが、ここに来て旅先で雨に降られることが多いですね。よく日系の人達が「日本とブラジルではなんでも正反対」と言いますが、このあたりも正反対になっちゃったんでしょうか。



1999年11月11日 木曜日

今日も朝寝坊。起きてパソコン開いてメール見てみると、「平成11年11月11日11時11分」のネタを発見。「あっ、そうか!」と思ったけど、もう終わってました。こっちの方が11時間も遅れているのにこの体たらく。1999年9月9日9時9分も夢の中でした。人生むだに浪費してますな。パパラギも誉めてくれるぐらい素晴らしい毎日。ところで明日からヴィトリアの旅行です。よく考えたら1300kmぐらい離れていました。なんか遠すぎ。でも今回はヴィトリアもパソコン使えるので現地アップ?



1999年11月10日 水曜日

今日でサッカーのカンピオナートブラジレイロの一次リーグが終了。
1 コリンチャンス(サン・パウロ)
2 クルゼイロ(ベロ・オリゾンチ)
3 ヴァスコ・ダ・ガマ(リオ・デ・ジャネイロ)
4 ポンチ・プレッタ(カンピーナス)
5 サン・パウロ(サン・パウロ)
6 ヴィトリア(サルバドール)
7 アトレチコ・ミネイロ(ベロ・オリゾンチ)
8 グァラニ(カンピーナス)
が二次リーグに進出です。半分がサン・パウロ州のチームですね。5位から8位の間にリオのチームが残らなかったので、今週末マラカナンでサッカー観戦という計画はなくなりました。

テレビでは負けると二次リーグ落ちとなるドゥンガ率いるインテルナショナウと勝てば二次リーグ進出の可能性が残るパルメイラスの試合が放送されていました。結局1−0でインテルが勝ち、一次リーグ残留を決めたんですが、インテル1−0でリードした後半のロスタイム、残り1分のところで突然スタジアムの照明が消え、大混乱になりました。一分でも早く試合を終わらせて一次リーグ残留をはかりたいインテルのホーム、ポルト・アレグレでの試合だったのでなにか作為的なものを感じちゃったりしますね。



1999年11月8日 月曜日

さすがに昨日一日中遊んだので今日は疲れています。生徒も半分ぐらいは欠席してたし。まあしょうがないでしょう。それから僕の夏休みがほぼ確定しました。12月13日から2月13日までほぼ二ヶ月です。これでいろいろと計画が出来ますね。



1999年11月07日 日曜日

今日は日語学校のピクニック。近くのスイッチョに行きました。そこは個人のお宅ですが、テニスコートやプールや乗馬の道具などがそろっていて子供達も一日遊んでいました。もちろん僕も一緒に球を追いかけたり、泳いだりしていたんですが、驚くべきことに気がつきました。「体力が落ちたかもしんない」です。朝から夜まで遊び続ける生徒を後目に、途中で疲れ果ててしまった僕は気持ちの良さげなハンモックでお昼寝をしてしまいました。もう子供のペースについていけなくなってますね。完全に。さらば少年の日よ!ですかね。

ところでピクニックの中でバレーボールをしたんですが、ブラジル人の勝負にかける意気込みというか「おいおいそこまでやるか?」というところを感じました。体育教師からは「ブラジル人は子供の試合でも勝つためには何でもやる!」と聞いていましたが、やっぱそうです。子供と父兄でバレーボールをやったんですが、あるお父さんがもうやる気まんまん。味方がサーブのミスをすると、「いや、違う違う、今のは練習だった」と相手チームの子供達をにらみながら大声で言うし、味方がレシーブミスをするとコンコンとレシーブの仕方のお説教。そのくせお父さんバレーのローテーションなんか知らなくて定位置にいないもんだから穴が開く開く。初めは軽い気持ちで始めたバレーですが、後の方になると、約数名の目が血走ってました。やっぱ日本人がブラジル人にサッカーで勝つのは百年早いかもしれません。



1999年11月06日 土曜日

学校の教材のコピーに行ってきました。いつも使っている学校近くのコピー屋の機械が壊れていたので、ちょっと歩いたところにあるコピー屋に行きました。ここは今まで何度か利用したことがあるんですが、コピーも終わりお金を払う時になって「あっ、あなたは文協の日本語学校の先生でしょ。だったら値段引いてあげるね。」と割引してくれました。黙っていれば僕は何も知らずに普通の料金を払ったと思うんですが、いい人達です。このほかにも教材を買いに行く文房具屋でも少し安くしてくれたりとなにかとやさしいお店が多いです。



1999年11月4日 木曜日

サン・パウロのモルンビーというところにあるショッピングセンター内の映画館で銃乱射事件があったんですが、朝日新聞のホームページにも出てましたね。もちろんこちらでもトップニュースです。ホント、銃ばっかりは怖いですねぇ。ただ怖いといっても身近に銃の脅威を感じたことがないのでいまいち実感がないです。

ところで今日クレジットカードのお金を支払いにいってきました。というかクレジットカードは銀行で作ったので、てっきり日本のように口座からの自動引き落としになっているかと思ってました。それに加えてポルトガル語の文面を読まないでいたので支払期限からだいぶん遅れてしまいました。来月分の時にかなり罰金が来るような気がします。しっかしクレジットカードが銀行引き落としじゃないなら意味ないじゃん!!毎月毎月使った分を銀行に払い込みに行くなんて無意味な気がしますがどうでしょう。しかも限度額は低いし、これじゃあ旅行中も使えません。よっぽど今使っている小切手の方が使えますね。残高がある限りいくらでも振り出せるし。

と、感じましたがもしかしたら僕が何か手続きを間違ってこうなったのかもしれません・・・ちょっと弱気。



1999年11月3日 水曜日

日本のNHKを見ていたら、天気予報をやっていました。全国各地の最高気温はどこも20度以下でした。この前までは30度以上だったので、もう秋も深まったんですね。というのもこっちでは一応冬がありましたが、昼間はTシャツで十分歩けるほど暖かく、気温の変化があんまりありません。連日暑いです。そんなわけで日本のテレビを見ていると季節が過ぎ去っていくのが感じられます。というか、正確には「日本は季節が移り変わっていくけど、こっちは全然時間が進まないみたい」といったところでしょうか。



1999年11月2日 火曜日

今日は「Todos os Santos」という休日です。もっと分かりやすく言うとブラジルの「お盆」です。なくなった先祖の供養をし、お墓を掃除します。そのためリンスにもサン・パウロなどに働きに行っている人達がたくさん帰省していたようです。そして明日から平日なのでみんなサン・パウロに帰るんですが、このときは日本と同じでサン・パウロの入口で大渋滞。ニュースでも「渋滞○○km」などと報道されています。



1999年11月1日 月曜日

今日は学校がお休みだったのでいつものごとく釣りに出かけました。というのも明日、火曜日が祝日なんですが、ブラジルでは日曜日と祝日にはさまれた月曜日は自動的に休日になります。正式には平日ですが、生徒もあんまり学校に来ないし先生も休みたくなります。肝心の釣果ですが、ことところあんまりよくありません。この時期はそれなりに釣れるはずみたいですが一日で十数匹しか釣れません。とはいえ釣れた小さめのピラニアをフライにして食べるとビールに合うのでまあよしとしましょう。


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