日々の記録 1999年12月
1999年12月20日 月曜日
あっという間に帰ってきました。テフェという町に行って来ました。
ガイドブックにも載っていない町ですが、案の定なにもない町でした。
でもその何にも無さがいいんですけどね。
町の近くにはマミラウアという国立公園があり、結構マニアには有名らしく、
町の人の話ではかのビル・ゲイツもやってきたそうな。
ただ、一人でいこうとすると一日あたり100ドルと言われてしまったのであきらめましたが。
結局どこにも行けない僕は、釣り竿をもって港の周りをうろちょろする毎日でした。
桟橋でのんびりと糸を垂れていると、暇なおっさんたちが集まってきて
「いや、このしかけは違う」とかいろいろと講釈をたれてくれるので楽しめます。
帰る頃には港にたくさんのアミーゴが出来てなかなか充実した毎日でした。
詳しいことは旅行記に書きますが、一番印象的だったのはスコールですね。
東の方からどす黒い雲が接近してきて、強い風がゴーっと吹いてきたら、
すぐに猛烈な雨が降ってきます。その瞬間は町中が機能を停止して、
屋根の下で嵐が過ぎるのを待ちます。30分ぐらいで小やみになると、
なにごともなかったかのように町は動き出します。
ただひとつ涼しくなった空気だけを残して嵐は通り過ぎていきました。
そして船旅。船はたぶんミシシッピ川を200年前に航行していたような、
というかディズニーランドのアドベンチャーランドを航行している大きな船みたいなものでした。
三階建てで、一階は荷物中心、二階はヘッジ(ハンモック)、三階はバーです。
ナタウ(クリスマス)をマナウスで過ごす人たちがたくさん乗り合わせていて
すんごい混雑でした。ホント蚕棚というかヘッジが鈴なりでしたね。
船内では子供たちや大人たちと「一日日本語学校」になり、
いろんな日本語を教えて楽しい時間を過ごし、
夕方にはナント衛星放送でサッカーのカンピオナート・
ブラジレイロの決勝第二戦を観戦したりと充実した一日でした。
ブラジルの水と食べ物に耐えられる人ならきっと楽しめると思います。
そのほかこちらではカーニバルよりもボイ・ブンバというフェスティバルの方が有名なんですが、
そのテーマ曲も町中でかかってましたね。
ほかのブラジルの町ではふつうの歌謡曲やサンバぐらいしかかかっていないのでだいぶん違いますね。
このあとは昨年来の大イベント「2000年カウントダウン in リオ」です。
日本から友人を含めて10人の大所帯で真夏のビーチを楽しんできます。
1999年12月14日 火曜日
とうとうやってきました。ここはマナウスです。とにかく暑いです。ビールの一日当たり消費量が
グーンとあがりましたが、町での行動速度は落ちました。やはりサンパウロとは違いますね。
こっちの方がごちゃごちゃしてます。町中がアメ横といった感じでいたるところに出店があります。
また、町自体は大きいんですが、観光の対象となるようなものは狭いセントロに集中しているので便利です。
今日見た中ではメルカードが一番おもしろかったですね。日頃リンスでは肉ばっかですが、
さすがにここには魚がたくさんあります。魚がたくさんの市場というとやはり東南アジアを思い出します。
メコンのとある町で見かけたメルカードに似ています、というとこちらに失礼かな。
とはいえ今日の昼、サン・パウロから飛行機で着いたばっかりなのであまりよく見てませんが。
そして、明日にはテフェという所に飛びます。ガイドブックにも載っていない小さな町です。
何があるかも分かりませんが、逆に素朴なアマゾンの町を見ることができるかもしれません。
きっとテフェから帰ってきたら、またアップします。
1999年12月12日 日曜日
まだいます。今は12日になったばかりの午前2時です。もう明日出発だし、期間も長いからちゃんと準備しないとぉ、と思うと体が拒否反応をしめします。結局昨日は現実逃避のため日頃はきらいな部屋の掃除をしちゃいました。そういえば、昔から試験前になると部屋の掃除をしていた気がする。
それで思い出しました。小さい頃からやらなきゃいけないことを先延ばしにすることでは定評があった僕は何事でも締切前になるとあせります。我が人生最大にあせったのはブラジル出発前日。前日は夜の12時ぐらいまで飲み、家に帰ったのが1時頃、そして出発は昼の12時頃でした。だのに家は引っ越しが終わってない!!一応大きな荷物は送っていたけど、細々とした物がダンボールで10個ぐらいありました。午前中に引っ越し業者に来てもらうことになっていて、これも大変だったんですが、もっと大変だったのは「ブラジルに持っていく荷物の荷造りが済んでいない!」ということでした。さすがにもう現実逃避することはできず、泣きながらも死にものぐるいで終わらせました。
でも自分的には本当に辛いことだったらしく、ブラジル到着後何度もその夢を見ます。すべて「出発直前なのに何もやっていない!」という夢で、毎回あせりまくりの夢です。「どうしよう!間に合わない!ブラジルに行けない!うわあああぁぁぁぁぁ」というところで目覚め「あっ、俺もうブラジルにいるんだ。」と胸をなで下ろします。生半可な悪夢よりも僕にはよっぽど怖いです。
ちなみに今日のホームページ更新は現実逃避です。
1999年12月11日 土曜日
今日で学校が終わり。明日から夏休みです。ここはしっかりした組織もなく設備も教材もない田舎の学校ですが、逆に授業が終わり次第自由になるという利点があります。おかげで明日からさっそく旅行に出発です。今日は釣り道具店に行き、大きな魚用の道具を一式追加しました。これでツクナレでもパクーでもなんでも来いです。
というわけで、このホームページも夏休みに入ります。なお、カウントダウンに日本からやって来る友人にモバイルPCを持ってきてもらうので、それから先では「旅先通信」をするかも知れません。まああてにしないで待っていて下さい。
それでは行ってきます!!
1999年12月9日 木曜日
もうすぐクリスマス。街の商店街もクリスマス商戦の真っ盛り。普段は6時過ぎになると店がみんな閉まっちゃうんですが、この一ヶ月間は夜の10時まで営業します。また歩行者天国の並木道もライトアップされますが、日本を知っている日系人達は「日本のクリスマスのほうがきれいだよね。」って言ってます。
僕も年末の旅行などのため買い物に出かけましたが、ふとしたところで面白いポスターを見かけました。よく日本人が歩いているとブラジル人に「アリガト〜〜、サヨ〜ナラ〜」と声をかけられます。これはこちらの人気バンド E O CHAN (イーオーチャン)のヒット曲の中に入っているフレーズです。その E O CHAN のポスターを発見しました。なんか海外で見かけるアヤシイ日本趣味のポスターみたいで面白かったです。
後ろにならんでいる水着のおねーさん達がかんざしがわりにさしているのは日本のお箸です。なんかこれがはやっているみたいでお箸が頭に突き刺さった人をたまに見かけます。ちょっと不気味。
- もうひとつの百万都市に酒は飲め飲め飲むならばを追加。
1999年12月7日 火曜日
雨だ!!ついに雨が降り始めました。11月終わりから雨期に入ったんですが、まとまった雨が降らず木も草も牛も人もひからびていました。毎日雨雲が通り過ぎるときにパラパラと降ってはいたんですが、5分後には蒸発してしまうようなか細い雨でした。それ今日になり、夕方頃からモクモクと雨雲が集まり、はげしい雨です。普段は雨が降るとうっとうしいなあと思いますが、今日ばかりはとっても気持ちがいいもんです。このまま雨が降り、川の水位があがると大きい魚が出てくるってのが一番いいですね。
1999年12月5日 日曜日
今日は本職・日本語教師で大忙し。きっと世界中の日本語教師は大忙しの日だったと思います。「日本語能力検定試験」です。我が校は車で4時間かけてロンドリーナの会場まで行って来ました。朝3時半しゅっぱつ。ほとんど寝ながら会場に着いた後、子供達を教室に送り込んだらする事がありません。久しぶりにあった日本語教師の仲間と話したりする内にいつしか体は木陰の気持ちよさそうなベンチのもとに動き、涼しい風が吹くなか熟睡。
起きてみると、あらかた試験も終わっていたので生徒達の到着を待ちショッピングセンターに繰り出します。クリスマスセールで盛り上がるお店をうろうろして帰りました。って結局車の中とベンチで寝て、買い物しただけやんか!
帰ってみるとちょうどカンピオナート・ブラジレイロでコリンチャンスがサン・パウロを下し、決勝進出を決めたところ。あちこちで花火があがっていました。こうやって書いている今も花火があがっていますね。
1999年12月3日 金曜日
昨日はサン・パウロにいました。夏の旅行などの手配ですが、サン・パウロは寒いですね。で、なにげなくテレビを見ていたら、映画のロビンソン・クルーソーをやってました。ポル語で。まあなんとなく分かるという程度のポル語力ですが、途中インジオのフライデーを助ける場面がありますよね。そのシーンで
「今日はいつだっけ、金曜日だ、そうだお前の名前はセスタ・フェイラ(ポル語で金曜日という意味)だ!」
と言ってたけど、思いっきり違和感がありました。英語のフライデーって頭のなかで「金曜日」とはそれほど深く結びついてなくて、「フライデー」という名前も「ベッカム」と同じくらい外来語として自然に入ってきたけど、セスタ・フェイラはほとんど日本語の「金曜日」と同じ感じだったのですん
ごく変に感じました。
もしロビンソン・クルーソーの日本語訳で例のインジオの名前が「フライデー」じゃなくて「金曜日」だったら同じような気持ちだったのかな?ちなみに今はブラジル人が言っていることはなんとか分かるようになりましたが、自分からポル語で会話することはあんましないっす。お恥ずかしい・
・・