夜、道を歩いていたら小さいメス犬に、その倍ぐらいの大きさのオス犬が二匹ついて歩いていました。犬の世界でも受難のようです。
それを見て思いましたが、ブラジルの犬の発情期はこの時期なんですね。日本だとちょうど五月の末にあたり、まさに発情期の真っ最中ですから。
27日の更新の後、パソコンが死んでしまいました。立ち上がらなくなって、ウィンドウズを入れなおしてみたんですがそれでもダメ。結局リカバリーCDで全部フォーマットしなおしました。今年に入って二回目のことなのでもうなれましたが、やはり日ごろのバックアップは大切ですね。僕がバックアップに使っているのは増設HD。本体に入っている文書や写真は全部ここにバックアップしているので、いざパソコンが死んだときでもなんとか復活できます。
それからもう一台モバイル君もあるので、こちらにもバックアップしています。つまり本体のほかに増設HDとモバイル君の三ヶ所に同じデータがあるわけです。まあ、これだけバックアップしてたらたいていのトラブルはなんとかなります。
海外でのパソコントラブルは日本よりも大変です。こちらのエンジニアに説明してもよく伝わらないし、彼らのリストアを頼むと、中のファイルをきれいに消してウィンドウズを再インストールしてくれます。しかもご丁寧にポルトガル語のウィンドウズを入れてもらった人もいます。
こんな話をよく聞くので、やっぱり自分で直したほうが安心です。だから海外に出る人はMOやDVDや増設HDなどのバックアップ体制を日本で十分に準備して、出発前にOSの再インストールの練習ぐらいはやったほうがいいんじゃないでしょうか。このインターネット時代にパソコンが死んでしまうとかなりへこみますからね。
ブラジルの学校は12月でおしまい。1月は夏休みで2月から新学期が始まります。つまりブラジルの学校の12月とは日本の学校の2月と同じ意味です。日本の学校で2月といえば受験。高校生達が大学受験のために頑張る時期です。
学校があるところ受験あり。ということでブラジルでもこの時期は大学入試( vestibular )の真っ最中です。こちらにはセンター試験のような統一試験は無く、各大学が試験を独自に開催しています。大学によっては一回の試験で合格が決まるところもあり、二回にわけて試験をするところもあります。また、大きな大学になると、全国各地で入試を行ったりするところは日本と同じです。
ということはぼちぼち合格者も出てくると言うこと。
そして合格者が出てくると言うことは…
ハゲ頭が増えると言うことです。
こちらの大学に入ると、先輩達から強烈な洗礼を受けるのが一般的。無理やり川に落とされたり、酒を飲まされたりと、まるでどこかの国の大学と一緒。そして大学入学の時も頭も丸刈りというのが暗黙の了解となっています。もし髪を伸ばして大学に入ろうものなら「生意気なヤツ」というレッテルが張られ、辛い大学生活となること必定。
そういうわけで大学合格が決まると早々に頭を丸めます。先日もあるフェスタに行ったんですが、その席に大学合格者がいたもんだから、みんなではさみやバリカンを持ち寄って頭を丸めてあげました。丸めてあげると言っても普通に切るわけがありません。大五郎カットにしたり、モヒカンにしたりと好き勝手に楽しみました。
こう書くとなにか陰湿ないじめのようですが、頭を丸めてもらった人は心なしか得意げ。それもそうです。大学進学率が日本よりも高くないブラジルでは大学が依然としてステータスシンボルになっていて、この時期に丸刈りをしているということが彼らの自負心をくすぐるんだそうです。
確かにこちらでは大学出が日本以上に尊敬されていて、人の名前の前につけるセニョール、セニョーラも、大学出になるととたんにドトール、ドトーラとワンランクアップします。また、大学出の人が犯罪を犯したとしても一般囚とは別にドトール専用の刑務所に入れられると言う厚遇ぶり。とにかくこの国で大学出というのは相当なことのようです。
ちなみに大学といっても優遇されるのはブラジルの大学だけのようで、日本の大学を出た僕をドトールと呼ぶ人は一人もいません。
世界に恥をさらしてきたアメリカの選挙騒動ですが、やっと終止符がうたれるようです。ニュースの中で何度も言われていたことのひとつに「海外有権者には共和党支持者が多い」というのがありました。
アメリカの政治についてはまったくの素人なのでよく分かりませんが、州別の投票率を見てみると、共和党は中央部の農業地帯で票を集め、民主党は東西のコーストラインを中心とした都市で票を集めています。最近の共和党政権を見てみると、どの政権も「強いアメリカ」を標榜し、世界の紛争地帯への介入や軍拡などを積極的に行っています。「アメリカ」を世界に積極的に主張する政党と言ってもいいかもしれません。つまり海外有権者は農村を支持母体とする「強いアメリカ」を主張する党に投票するということです。
では日本ではどうでしょうか?日本でも農業地帯と都市で投票動向が違うのはよく知られていて、農業地帯を票田にするのは自民党です。自民党がことあるごとに愛国精神を強調するような政策を行ってきたことは周知の事実です。そして、今回の衆議院選挙から始まった海外有権者の投票ですが、最大の票田であるブラジル日系社会で圧倒的に支持されているのは自民党で、国旗国歌問題などでも「なんで国旗国歌に反対するんだ!」と愛国的主張が数多く見られます。
これを見るとアメリカの海外有権者と日系移民の投票動向は似ていると思いませんか?アメリカと日本の海外在住者を見るかぎり、両者とも愛国的傾向を持っているともいえます。
以前、「国を愛するということ」の中でも書きましたが、異国で生きていく人達にとって、母国とは自分のアイデンティティーの重要な一部分です。だからこそブラジル日系社会には日本よりも日本的な文化が継承されているんだと思います。そしてアメリカの海外有権者の行動を見るかぎり、アメリカでも同じような傾向があるのかもしれません。このふたつの国だけで全体を論じることはできませんが、もしかしたら「海外在住者=愛国的傾向が強い」ということが言えるかもしれません。
そこまで大それたことを言わなくても、日本に住む人達が「グローバルスタンダード」を持ち出して国際化を求めるのに対して、国際化の最前線で生活している日本人達が国粋主義的方向に向かおうとしているのは事実のようです。
これから否応なく国際化社会に放り出される僕にとって、国際化社会の先人であるブラジル日系社会で様々な経験ができるということはとってもありがたいことですね。
日本にたくさんいるブラジル音楽ファンに言わせるとブラジル音楽はMPBだったりアシェだったりパゴージだったりするようですが、ブラジルで根強い誇るのがセルタネージョ。地元のラジオを聞いていてもポップと並んで一番目か二番目によくかかる音楽。
セルタネージョはアメリカでいうところのカントリーミュージック。音楽業界の位置的には日本の演歌と同じあたりにあって、トラック運転手あたりが好きな音楽です。ちなみに日本でおなじみのMPBやアシェなんて日本におけるニューミュージックレベルの存在です。
そのセルタネージョ。日本の演歌と同じである一定のパターンがあります。たとえば背が高い歌手が少ないのは演歌と一緒かもしれません。しかしなんと言っても一番大きな特徴は二人組ということ。二人組で微妙なハーモニーを響かせるのがセルタネージョのいいところです。二人組ということで、兄弟も多く、このあたりは日本だと狩人をイメージしてもらうといいと思います。そしてその名前も「○○ e △△」(e というのは英語の and にあたります。日本語では「と」)と二人の名前を並べるのが一般的。
先日ラジオを聞いていたら、セルタネージョがかかり、歌手の紹介のところで「 Rio Negro e Solimoes でした。」と言われて思わず絶句。ヒオ・ネグロとヒオ・ソリモンエスと言ったらマナウスから上流のアマゾン川の二大支流の名前です。思いっきり安易じゃありませんか?そんなんでいいんだったら僕もやってみたいセルタネージョ歌手。
かなり昔に「僕の生徒が日本まで出稼ぎに行くよ」と書きましたが、その生徒の出発日も一週間後と迫った今日、送別会が開かれました。ごく親しい人達だけの送別会でしたが、それでも100人近く集まり、みんなで食べて飲んで騒いで「頑張ってこいよ!」「私達のことを忘れないでね!」と声をかけていました。
日本には今、たくさんの国の人達が働きに来ていますが、その一人一人に送別会があって、別れがあり、祖国に残してきた家族や友達があるんだ、ということを今更ながらに感じます。日本に来た人たちの中には留学生もいるでしょう。労働者もいるでしょう。不法滞在者もいるでしょう。もしかしたら警察に捕まっている人もいるかもしれません。新聞に欧米人以外の外国人が出てくるとどうしても事件がらみでネガティブに扱われることが多く、色眼鏡で見ることが多いんですが、そんな彼らにも祖国があり、見送ってくれた友人達がいるんですよね。
僕も日本を出る前に送別会を開いてもらい、みんなから暖かい声をかけてもらいました。今、こうしてホームページを書いている間にも、「あいつ今ごろ、ブラジルでなにやってんだろうなぁ」と思ってくれる人がいるかもしれません。そういったたくさんの人達の思いが僕の中には詰まっているんですよね。僕は僕だけのものじゃないんですよね。
日本にいる外国人(だけじゃなくて、日本人もそうですが)の中にもそんなたくさんの思いが詰まっているんだから、その人の肌の色や、国籍や滞在資格みたいな些細なことで否定することはできませんよね。その人に託された思いも含めて接していきたいものです。そういう気持ちが広がれば世の中はもっと寛容になれるのかもしれません。
世の中なんて大それたことは別としても、せめて自分だけはこの気持ちを忘れずにいたいものです。
今日の夜、サン・パウロまで買出しのバスが出ます。
これは文協の婦人部がチャーターしたバスで、今晩遅くに出発してサン・パウロに早朝到着。一日買い物をしてサン・パウロを夕方出発し、深夜に帰ってくるというなかなかハードな買出しバスです。
なにゆえそんな買出しバスが出るかというと、年末だから。お正月用品をサン・パウロまで買出しに行くんです。まだまだ日本の伝統文化が残っている日系社会では正月にはおせち料理が作られています。しかしおせちに必要な昆布やかんぴょうやしいたけ等の和食材がこの町ではなかなか手に入らないので、サン・パウロまで出向いて、リベルダージなどで大量に買い入れてくるんです。
日本語学校でも日本語が出来る生徒が少なくなり、日系人の日本離れが叫ばれて久しいんですが、こういったところではまだまだ日本文化が健在のようです。
今ごろ町のご婦人方は揺れるバスの中で買い物の夢でも見ながら寝ているんでしょうか。そして明日の夕食時になったらレンジでチンして晩御飯を寂しく食べるお父ちゃんの姿が町のあちこちで見られるはずです。
最近旅行系のホームページでよく見かけるのが「リアルタイム旅行記」これはモバイルパソコンを持って旅行をしながら、旅先で更新していくという企画。世界中でインターネットに接続できるようになった現代ならではの企画です。
こういったホームページを見ていてたまに見かけるのが「企画倒れリアルタイム旅行記」。これからリアルタイム旅行記をはじめるぞ!と高らかにうたいあげ、まずは「準備編」から始まるのが定番で、出発した最初のころはほぼ毎日に近いペースで更新していきます。やがて更新ペースが遅くなり、書かれている内容が少なくなり、そのうち更新がパタリと止んでしまいます。なにか作者の心の動きが手に取るように分かって気の毒です。
きっと作者は「リアルタイム旅行記なんて時代の最先端だから大勢アクセスするだろう!」と意気込んではじめるんでしょうが、実際のところ読者側にとってはリアルタイム旅行記も帰国後にまとめる普通の旅行記も同じで、リアルタイムだからといって内容が面白くなければ飛びつきません。そのうち日々の労力のわりに見かえり(=アクセス数)が得られないというジレンマに陥り、更新する気力がなくなるみたいです。すると旅行自体のテーマまで怪しくなってきて、「旅行の途中ですがいろいろと考えるところがあって帰国しました。」という結果になるようで、そんなホームページをよく見かけます。
実際僕のホームページも毎日更新していますが、仕事をしながら更新するには日々の記録程度の分量でもかなりキツイと感じています。その上、週に一回長大な「ブラジル通信」を書いているのでもうこれだけで手一杯です。観光もしなければならない旅行の最中に毎日更新するのは至難のワザだと思います。
そんなわけで、ちゃんと更新されているリアルタイム旅行記は雑誌や大きなプロバイダーからのバックアップをもらって半ば商業的に行われているものがほとんど。それだけリアルタイム旅行記は難しいんだと言えます。僕も旅行記を書いている者として、一度は挑戦してみたいリアルタイム旅行記ですが、まずは普通の旅行記を書いて、自分の作業能力を確認することが大事なようです。
後はアクセス数に縛られない動機づけでしょうか。これは僕にとっても難しい問題ですが、やはりアクセス数は励みになります。でもアクセス数ばかりを気にしていてはホームページのテーマを見失ってしまいます。アクセス数に関わらず、自分の設定したテーマで書きつづけるということも重要です。極論すれば「誰も読んでくれなくても書けるか?」ということでしょう。
僕の場合、今のところホームページ作成の動機づけについてはわりと大丈夫ですが、このホームページにあるような旅行記を毎日一本ずつ書いていくことは不可能ですね。もうちょっと軽量化するか、執筆のスピードをあげるかしないといけません。なにかコツみたいなものがあったら知りたいものです。
雨上がりは虫の季節。
やっとこさ雨が降って一息ついたのは野の草花だけではなく、動物や虫たちも同じ。このところ窓を明けながらパソコンに向かっているとたくさんの虫が飛び込んできます。特に我が家は平屋が立ち並ぶ真ん中にそびえる四階建てなので、虫たちの格好の目的地となります。
今、悩まされているのがカナブン。日本のカナブンと同じ形ですが大きさが1cm弱と小さいのが異なっています。こいつが夜になると明りを目指して飛び込んで来るんです。真っ白な天井にカナブンが何匹もひっついていて、ときおりブーンと低い唸り声を響かせて飛び回ります。起きている間は構わないんですが寝ていると気になる唸り声。それに布団の上に落ちてきて、上半身裸で寝ている僕の体にチクチクきます。結局寝られず、モップで全部外に追い出すことになってしまいました。
しかし今日は暑くて天井のファンを回していましたが、これがなかなか役立ちました。天井のファンにはだいたい明りがついていて、これをめがけてカナブンが飛んでくるんですが、やって来るヤツやって来るヤツすべて高速回転するファンに叩き落されていきます。昨日散々悩まされていただけにこれは爽快です。後は気絶しているカナブンを拾って窓から放り投げるだけです。この時ばかりは自然保護なんて言ってられません。
カナブンのほかにも悩まされるのは白蟻。白蟻といっても羽が生えている羽蟻です。これは雨が降った後に大発生し、明りという明りに群がってきて、街灯の周りには雲ができたみたいになります。もちろん我が家の明りにも近寄ってきますが、こればっかりは始末におえません。叩き潰しても後から後からやってきて埒があかないので、どんなに暑くても最後は窓を閉めることになってしまいます。また、この羽蟻はすぐに羽が落ちちゃうので、彼らが通りすぎたあとには大量の羽が残されます。学校の廊下を見てみたら、ものすごい羽の量で、昨晩ここを飛び交っていた羽蟻の量がうかがえますね。
そして何よりもこいつは白蟻なので、いったん羽が落ちてしまうと白蟻本来の働き(=木々を食い尽くす)をはじめちゃいます。ブラジルの建物はほとんどが煉瓦造りですが、天井や窓枠や家具には木が使われているので、こういったところが真っ先に狙われます。よく聞く話ですが、出稼ぎに行って家を空けて帰ってみると家がボロボロになっているそうです。
厄介な虫たちですが、ある特徴があります。それは「あっという間に大発生して、あっという間に消えてしまう」ということ。カナブンや白蟻の大発生も持って二日。二日もすると昨日までがウソのようにきれいさっぱりいなくなってしまいます。このあたりは夕方1時間だけやってきて肌を刺しまくるブラジルの蚊にも似ていますが、とにかく働かない虫たちです。
ちなみに白蟻のことをポルトガル語でクッピン( cupim )といいます。このクッピンは野原に巣を作りますが、その巣は高さ1mぐらいのこぶにみえます。土を唾液かなにかで塗り固めた頑丈な作りでちょっと蹴ったぐらいでは壊れません。ブラジルの郊外に行けば、緑の草原の中に赤茶色のこういったこぶをいくつも見ることができます。
また、こぶが転じて、ブラジルの牛の背中にあるこぶのこともクッピンと言うようになりました。このあたりでピンと来る人はかなりのシュハスコ好きです。シュハスコの人気メニューのひとつクッピンはもともと牛のこぶの部分のお肉のことで、語源はこの白蟻からきています。
ただいま我が文協はリニューアルの真っ最中。剥がれ落ちた壁や壊れた壁を塗りなおしています。この後ペンキを塗るそうで、その後は真新しい外観に生まれ変わるでしょう。
しかし金がない、金がないと言っていた文協にしてはこの大盤振る舞い。先日も学務部の会合の席で、会長が「今、文協には金があまってるんだ。何か必要なものがあれば言ってほしい」と信じられないようなことを言っていました。
それもこれも臨時収入が原因。我が文協はもともと学生寮を経営していましたが、いまどきの学生はご多分に漏れず共同生活が嫌いでなかなか集まりません。最近では三人部屋にたった一人なんてこともありました。そして今年の7月で閉寮。しかしこのまま寝かせておくのももったいないので各方面に「借りませんか?」とオファーをかけますが、この不景気時代。誰も借りる人がいません。
そこで現れたのが市役所。会長が市議会議長なので、裏ワザでも使ったのかもしれませんが、市役所が学生寮を借り上げることになりました。なんでも、遠くの集合住宅に住んでいて町の学校に通う子供や身寄りのない子供たちのための寄宿舎にするみたい。しかも市役所ということでこのあたりの相場では破格の値段で借り上げてくれました。
と、ここまでの経過を見て、日本人だったら「市役所に高い家賃を払ってもらえるならあんたの文協も安泰だね!」と思うかもしれません。
しかしそこはブラジル。文協会員からは心配の声が上がっています。なぜならブラジルの役所というのは金を払わないことで有名なんです。人の土地を借りたり、業者から物を納入させた後、踏み倒す!これがブラジルの役所のやり方みたいです。そんなことできるの?と思うかもしれませんが、そこはお役所。相手が支払いを請求すると、裁判に持ち込みますが、裁判所も役所のお仲間なので絶対に役所は負けません。結局相手側の泣き寝入りとなってしまうそうです。
それをよ〜く知っている町の人達は市役所に貸してしまったことを非常に心配しています。家賃を払ってもらえないどころか、取り上げられてしまうんじゃないか、なんて言う人もいます。
最初の家賃ということで今月は払ってもらえましたが、来月も払ってもらえるか分かりません。せいぜいお金があるうちに学校の設備充実のために使ってもらうことにしましょう。
でもお金が入ったら「今、文協には金があまってるんだ。何か必要なものがあれば言ってほしい」と使いきってしまうあたりにブラジルらしさを感じてしまいます。
生活記にもいろいろと書いているように、日本とブラジルは正反対。うろたえることがたくさんあります。今日もある人とこのことについて話していました。
●水たまり
たとえば、道路に水溜りがありました。どうしても水たまりを渡って歩かないといけない時どうするでしょう。普通日本人なら爪先立ちをしますよね。でもさすがブラジル人。かかとで歩きます。
●大工道具
日本ののこぎりは引きながら切るもの。でもブラジルののこぎりは押しながら切ります。また、日本のかんなものこぎりと同様に引きながら削りますが、ブラジルのかんなはやっぱり逆。押しながら削るそうです。
●ほうき
ほうきで床を掃除する時。日本だと自分の方に向かって掃き寄せるようにしますが、そこはブラジル。自分の方から外に向かって掃いていきます。
よくこれだけ正反対のものがあるもんです。日本人とブラジル人ってそんなにかけ離れているんでしょうか。実際ここで暮らしていると、日本では「絶対当たり前の大原則」と思っていたことの反対がいとも平然と行われています。「ブンブンブ〜ン」にも書いたとおり、人間の性欲でさえ反対です。これだけ違うものが多いと、「世の中に絶対なんてものは存在しないんだ」ってことを痛切に感じてしまいますが、それと同時に「視野も広がったなぁ」と思うことも多いです。
ブラジル×コロンビア戦で観客から散々にたたかれたヒバウド。彼は前回のブラジル×アルゼンチン戦でもものすごいブーイングをあびていました。このあたりの事を身の回りのサッカーファンに聞いてみました。
「ヒバウドはいい選手だよ。でも(所属チームの)バルセロナとセレソンと全然動きが違うやんか。バルセロナにいるときは「世界最優秀選手」らしいけど、セレソンでは全然だめやん。手を抜いてるって思われてもしょうがないよ。」
「ヒバウド?最低だね。何?あのプレー。世界最優秀かどうかしらないけどあんなプレーしてる選手はセレソンにはいらないよ!」
と評価もまちまち。でもひとつ言えることは、彼はブラジル・セレソン戦ではあまり活躍していないということ。素人の僕から見ても彼の動きには冴えがありません。語弊があれば、他の選手の動きとマッチしていません。パスを出すもののうまく行かず、ドリブルで突破をしても孤立しています。何もこれはヒバウドに限ったことではなくて、現在のセレソンの攻撃陣で組織的な突破をお目にかかることが少ないです。そのためヒバウド以外の攻撃陣は日替わり定食状態。
もともとふがいないブラジル攻撃陣。彼が一人頑張ったところでまわりがしっかりしていないと得点できません。フォワードはコロコロと入れ替わりますが、唯一全試合出場を続けているのがヒバウド。その彼に非難が集中するのもうなづけます。得点力の低いブラジル攻撃陣の全責任を背負わされているのかもしれません。
思えばヒバウドが大活躍したコパ・アメリカの時には不動のフォワードとしてホナウジーニョがいました。ホナウジーニョとヒバウドの片方がマークを集め、その間にもう片方が得点をするという黄金のパターンでした。ホナウジーニョがいない現在、ヒバウドは相手チームに集中的にマークされていて身動きが取れないようにも見えます。
では現在のブラジルでヒバウドからマークをはずすことができる選手と言ったら誰でしょう。
ホマーリオ…
「こいつを放っておくと危険だ」と相手ディフェンダーに思わせるだけの攻撃力と言うかネームバリューは十分です。
モルンビー行ってきました。ブラジル×コロンビア戦。
会場は八割がた埋まっている程度で前回のブラジル×アルゼンチン戦の満員とまではいきませんでした。やはり相手の違いかな。
そんな相手の違いにも関わらず、試合内容は前回よりも悪く、終始攻め込むものの、決定的なチャンスは少なくイライラする展開。ホマーリオの代役として出場したエジムンドは相変わらず独り善がりなプレーを連発し空振りに終わるし、ヒバウドもドリブルには冴えをみせましたがパスの精度が悪すぎ。その中で光っていたのはジュニーニョ・パウリスタ。パスとドリブルのコンビネーションがすばらしく、彼を基点としてコロンビア守備陣が崩れていました。
しかし光っていたのは彼だけ。観客もそれがわかっていたので大ブーイング。特にヒバウドに対するブーイングはすさまじく「ヒバウド出ていけ!」とか「ヒバウドおかま野郎!」なんて言われるし、この他にもここにはかけないような汚い言葉も飛び出していました。
しかも後半終了間際まで0×0が続き、ファンの不満は最高潮に。普段ならブラジル選手がボールを支配している時に沸き起こる「オ〜レ!」の歓声がコロンビアに向けられ、コロンビアからブラジルがボールを奪い取るとブーイングが起こる始末。さらにスタンドからは小旗が雨のように投げ込まれ一触即発の危機。
後半のロスタイムが3分と表示され、そのうち2分45秒が経過した時、最後のチャンスのコーナーキックからホッキ・ジュニオールが頭で押しこんでなんとか逃げ切り。もちろん納得がいかないのがコロンビア陣営。試合終了とともに警官隊が突入して審判を保護していました。
一方、怒りに燃えていたブラジル応援団はなんだか肩透かしをくらったみたい。確かに試合に勝ったのはうれしかったんですが、90分間のフラストレーションの向け先を奪われちゃったので、みんな複雑な顔をしていました。たとえて言えば、子供があんまり悪さをするので雷を落としてやろうと手をふりあげたら子供がいなくなってしまったような気分でしょうか。なんとも煮え切らない勝ち方でした。
でも、この試合ではブラジルチームにとって歴史的な瞬間がありました。
それはゴールキーパーのホジェーリオのフリーキック。もともと彼はフリーキックの名手として名高く、所属先のサン・パウロではたびたびフリーキックから得点を決めています。その彼がルシェンブルゴ監督の元でセレソン出場を決めた時、ファンはホジェーリオのフリーキックに期待しましたが、ルシェンブルゴは「セレソンにはフリーキックの名手はたくさんいるので彼の出番はない。」とそっけない返事。ところが今回のレオン監督は「チャンスがあれば彼のキックを利用したい。」と積極発言をしたもんだからスポーツ新聞にも「ホジェーリオ新世紀!」なんて調子のいい記事がでていました。
そして前半終了間際に相手ペナルティーエリア前の絶好の位置でフリーキックをもらいます。もちろん会場からは「ホッジェーリオ!!」の大コール。そして期待に答えて彼がゴールマウスから走ってきた時には会場は最高潮。ただでさえ面白いのに、ここはホジェーリオの所属するサン・パウロのホームスタジアムのモルンビーです。盛り上らないはずはありません。
これが歴史的瞬間の写真。ちなみにもう一人写っているのは観客の罵声の的となったヒバウドです。フリーキックは相手ゴールキーパーに取られてしまい、ゴールキーパーによる初得点の夢はかないませんでしたが、もしかしたらこの試合で一番楽しい瞬間だったかもしれません。
今日は奇しくもアマゾンの風と旅行記でアマゾンの船について追加しました。同じアマゾン船でも作者によって感じ方が全く違うことが分かります。
そんなことよりもなんか負けたような気がするのはなぜでしょう。
今日は朝から激しい雨。この二日ほど夜から午前中にかけてたくさんの雨が降っていて、乾燥で苦しめられていたこの町も生き返ったかのようです。なによりもうれしいのは郊外のお百姓さんですね。これだけ雨が降れば種まきもできるでしょう。
もうすぐこのホームページも20000ヒットにたどり着きます。なんと言っても来てくれるみなさんのおかげです。
「カウンターなんかに縛らるなんて…」という声もあるかもしれませんが、やはり励みになるのは事実。毎朝起きては確認してたりします。今だからこそ白状すると、ホームページの草創当初はあまりにもカウンターが増えないので一人でリロードしたりしてました。寂しい男です。
この日記がアップされる時にはまだ20000には到達していないと思いますが、もし20000を踏んだ人は気が向いたら教えてください。悪いようにはしませんから。
というわけで、20000ヒットを記念してデザインを少し変えました。中谷彰宏じゃありませんが、時代はスピード時代。ホームページの読みこみも一緒です。これまでのトップページには画像がいくつかあって読みこみに時間がかかったので、この際タイトルロゴ以外の画像をすべて取っ払いました。車で言えばエンジンとシートだけというところです。どうでしょう。読みこみスピードは速くなりましたか?
まだ改築中のため、半分ぐらいのページで旧デザインのままですが、徐々に新デザインに移行します。
ちなみに中谷彰宏は著書の中で「私は、95歳までに3000冊の本を書きます。」と宣言しているそうです。そうやって自分にプレッシャーをかけるってのはいいことですね。ということで僕も一発。
日本に帰る来年の4月までには30000アクセスまで増やします。
って、今の伸び率を考えるとそれほど難しくないんですが、やっぱ実現が難しい目標なんか立てることできませんね。臆病者の僕には。
さて、今晩からサン・パウロに行ってきます。もちろんサッカーのワールドカップ予選、ブラジル×コロンビア戦の観戦です。サン・パウロ方面も天気が悪いみたいなので心配ですが、久しぶりのサッカー観戦。コリンチャンスの調子が悪い分まで一緒に応援してきます。
このところ大量ゴールを乱発して、ブラジル代表に返り咲いたホマーリオですが、股関節を負傷してしまい、水曜日の対コロンビア戦には出ることができないようです。たびたび故障に泣かされるホマーリオ、運がありません。
でもこれで良かったのかもしれません。ホマーリオが大活躍したニ試合はホームのリオで行われたボリビア戦と、アウェーとはいえ格下のヴェネズエラ相手。これからの試合でホマーリオの真価が問われるという時に負傷欠場。このまま出場できなかったりすると、すばらしい伝説を残したまま去ることができますからね。
と、書くとホマーリオを悪く書きすぎですね。
今年のホマーリオは当たり年。出る試合出る試合で得点をしていき、なんと10月末の時点で年間61ゴールも上げています。もちろん世界中のサッカーリーグで年間61得点というのはダントツのトップ。ホマーリオのキャリアの中でも最高の成績です。キャリア・ハイの成績を34歳でやっちゃうんだから驚きますね。驚くどころか「消える前のロウソク…」なんて余計なお世話までしちゃいます。
そんなホマーリオは「悪童」としても有名。
監督から選手にまで誰彼となくキツイ言葉を浴びせるのでたびたびテレビでも話題になっています。それでも成績を残しているから誰も文句が言えません。今回のルシェンブルゴ退陣後の後継監督選びでも「○○はオレのことを使い物にならないと言った。そんな監督ではブラジルは勝てない!」などとほとんど言いがかり的な発言を繰り返し、最終的には親ホマーリオのチーム編成となってしまいました。
このなんとも言えない扱いにくさですが、日本にもこういう選手がいましたね。
落合博光
今日は隣の地区の学習発表会ということで朝から見学に出かけてきました。
自分の学校の学習発表会は身も心も疲れるものですが、全く関係無いよその学校の学習発表会は気楽でございます。昼ご飯の時にビールを飲んだり、途中で居眠りをしたりとまったくもって傍若無人な振舞いでした。
学習発表会とは日本語学校の伝統行事。日頃の学習成果を発表する年に一度の大きなイベント。歌あり踊りあり劇ありと一日楽しませていただきました。もちろん発表会も楽しいんですが、見ていて楽しかったのが親。親にとっても学習発表会は子供の晴れ姿を拝むことができる数少ないチャンス。すると日本でもブラジルでも同じですね。舞台の前にはお父さん、お母さんのカメラの砲列がずらりと並んでいて壮観壮観。子供の千載一遇のシャッターチャンスを逃すまいというその横顔はどんな子供よりも真剣でした。
そして帰ってきたあと、地元の教会でやっていたフェスタに出かけました。それは慈善事業のフェスタで、市内の各種団体が出店を開き、その収益を慈善団体に寄付すると言うもの。我が文協も定番の「やきそば店」を出店。かなりにぎわっていました。
ちょうどこの日は教会で結婚式をやっていて、きれいな花嫁さんが出てきたんですが、それを見た友人が一言
「あの花嫁さんは妊娠してるね」
って、あんた急に何言い出すの!と突っ込んでみたら
「ほら、よく見てみな。花嫁衣裳が純白じゃなくてちょっとクリーム色がかっているだろう。それが証拠なんだよ。妊娠していない花嫁は堂々と純白の衣装を着れるけど、妊娠中やすでに先に子供を産んじゃった花嫁は恥ずかしくて純白は着れないんだ!」
ともっともらしい説明。その時は少し飲んでいたので、真偽の程は定かではありませんが、そういう話しもあったということだけ書き記しておきましょう。
ブラジルと言えばサッカー、ブラジルサッカーと言えばペレ。もちろんブラジルでのペレの人気はすごいものがあり、彼のことはよく「O Rei (The King)」と言われています。手元にあるブラジル選手の歴代ゴールランキングを見ると
別格 ペレ 1281
1 ジーコ 701
2 ホマーリオ 661
・
・
・
となっていることからも分かると思います。
ペレ人気はいいとして、ひそかに人気があるのがガヒンシャ( Garrincha )。ボタフォゴで活躍した選手で、少し曲がった足から繰り出すドリブルは誰にも止められなかったそうです。でもブラジルにはその程度の選手はたくさんいます。彼が人々を魅了してやまないのはそのキャラクター。一言で表すと「頭が悪い」。
『ガヒンシャは頭が悪いので、どっちが自分のゴールか分からない。だからハーフタイムが終わって敵味方のゴールが入れ替わった時には「おい、今度はあっちのゴールに入れるんだぞ!」と教えておかないと味方のゴールに入れてしまう。』
『ガヒンシャは頭が悪いので、試合時間が90分あることを知らない。90分の試合が終わった後「えっ、もう終わっちゃったの?やっと体が温まってきたのに」と言ったという。』
なんていう逸話が残っています。
しかし彼の引退後の人生はかわいそうだったようです。サッカー以外に何も知らないのでまわりからいいようにお金をむしりとられ、死ぬ頃になると一文無しになってしまい、アルコールにおぼれて死んでしまったそうです。
ペレのような優等生よりも、どこか憎めないガヒンシャを愛してしまうのがブラジル人す。
とある新聞で見かけた記事。サン・パウロのジャルジン・アンジェラ(アンジェラ地区)の治安についての話です。
地区の住民は四万人ほど。この辺りでは月に平均して三十件ほどの殺人事件が起きる。新聞ざたになることも多く、危険なファベーラというイメージが根強い。
しかし、ジャルジン・アンジェラ区に住む女性はこれを否定する。 「ここだけなら月に十人くらいしか殺されていません。私にはセントロのセー広場を歩く方が怖い。それにジャルジン・アンジェラの住人のほとんどは土地家屋税を払っている。家が粗末に見えるだけ。本当のファベーラじゃない。」 「確かに強盗犯や殺人犯が近所に住んでいます。でも、普通の近所付き合いをしていますし、互いの素性は探らないのが鉄則。新聞の記事で『あ、この人、近所の人だ。殺人を犯したんだ』と気づくことはありますけど。」 |
しかしよく考えてみると毎月住人殺されても「十人しか」と思わないんだったら、この女性にとっては ジャルジン・アンジェラも安全なところなのかもしれませんね。結局安全か安全でないかは本人の意識次第だと思います。これを感覚の麻痺と言うのかもしれませんが、だからこそどんなに治安が悪い町にも人が住めるんでしょう。
これとは少し違う話ですが、以前長いこと東京に住んでいました。もともと山登りが好きなので週末はあちこちの山に登っていましたが、関東近辺の山に登って東京方面を見ると、どんなに晴れた日でもどす黒い空が見渡せます。僕は毎日そのどす黒い空の下で暮らしていたんですが、東京にいると不思議とそれが気になりません。
東京の空気といい、サン・パウロの犯罪といい、決して人間が住む環境として決して良いとは言えませんが、人間は対応できるんですね。ちょっとした環境変動で絶滅してしまう動植物とは対照的です。だからこそ人間は地球の隅々まで広がって行ったんでしょう。
今日は全く運が悪い日でした。
いつも昼ご飯を食べるレストラン。毎月何かのサービスをしています。先月は「ホールズ」のプレゼント。おかげで家の中には食べきれないホールズがまだまだあまっています。
今月になってご無沙汰してたんですが、今日久しぶりに行ってみました。今月のサービスは「サイコロ・ディスカウント」。サイコロをふたつ振って、目の合計の数字%だけディスカウントしてくれるというサービス。目の前の客は10を出して、めでたく10%の割引。こういった遊びは好きなので喜んで振ってみたら、ナント「2」!
さすがに店員とふたりで笑っちゃいましたが、全く運がない男です。
レストランの後は近くのスーパーでお買い物。レジに行ってみると普通のレジには大量の買い物をカートに詰め込んだ客がたくさんいて永遠に終わりそうにありません。
そこでお一人様10品以下限定の「高速レジ」に行ってみると、こちらには8人ぐらい並んでいます。それぞれの買い物は少ないのでそれほど待たされません。次ぎで僕の番というときになって、それまで閉まっていた隣のレジが開いて、半分はそっちに行ってしまいます。チッと思いますが、もうすぐ僕の番なのでいいでしょう。
それなのにそれなのに、僕の前の人の番になるとどこからか別の客が来て、「これはいくらなの?レジで確かめてくれない?」と言っています。レジでバーコードを読みこませようとしても読みこまず時間だけが過ぎていきます。
なんとかその客が帰って、前の客の清算になったところで小切手を出してしまったので、もうアウト。裏書とかしている間に隣のレジではどんどん人が流れていきます。僕の後ろに並んでいた人もあきれて隣のレジに行ってしまいました。やっと僕の番が来て清算が終わった時には誰もいませんでした。本当に最後になっちゃったんですね。
これだけだったら日本でもよくあることですが、その後が違います。もし日本でこんなことがあったら「もう!今日は運が悪い一日だ!」とプリプリするんですが、不思議とそういった気持ちにはならないんです。日本にいるときよりも時間があるからでしょうか。それだけでは答えにならないような気がします。ブラジルの社会の中に細かいことをいちいち気にしない何かがあるんではないでしょうか。
よくこっちの人に「暮らすならブラジルの方がいいよ。日本だとフラストレーションがたまってしまうから。」と言われますが、こういった小さいことが積み重なるとそうなるのかかなぁ。
今日はサッカーの日。テレビではコパ・メルコスウ( Copa Mercosul )の準々決勝クルゼイロ( Cruzeiro )×パウメイラス( Pelmeiras )戦をやっていました。第一戦に続いて第二戦もパウメイラスが勝ち、準決勝進出。しかしパウメイラスは南米規模での試合は強いですね。コパ・メルコスウも98年優勝、99年準優勝、コパ・リベルタドーレス( Copa Libertadores )も99年優勝、2000年準優勝と比類のない強さを誇っています。しかし国内でも調子がいいかというとそうでもなくて、昨年のブラジル選手権は一次リーグで落ちてしまい、今年も二次リーグ進出の望みはかなり低いです。外国勢に強く、国内戦に弱いというのはどういうことでしょうね。
ところでコパ・メルコスウは南米中のチームが参加していますが、準々決勝に勝ち進んだチームはブラジルとアルゼンチンのチームだけ。ブラジルどうしの対戦となったクルゼイロ×パウメイラス戦を除くと、他はすべてブラジル×アルゼンチンの戦い。
クルゼイロ( Cruzeiro )×パウメイラス( Pelmeiras )
(1戦目2×3 2戦目1×2)
ヴァスコ( Vasco da Gama )×ロサリオ・セントラル( Rosario Central )
(1戦目1×0 2戦目0×1 PK5×4)
アトレチコ・ミネイロ( Atletico Mineiro )×ボカ・ジュニオールス( Boca Juniors )
(1戦目2×0 2戦目2×2)
フラメンゴ( Flamengo )×リバープレート( River Plate )
(1戦目1×2 2戦目3×4)
という組み合わせでしたが、フラメンゴ×リバープレート戦を除いてどれもブラジルチームの勝利。準決勝進出4チームのうち、3チームはブラジル勢ということになっています。ブラジルが強いのは喜ばしいのですが、なにぶん我がチーマン( Corinthians )がいないので他人事のような気がします。でもブラジル頑張れ。
この他ブラジル選手権大会( Copa Joao Havelange )も一次リーグの大詰め。各チームとも二次リーグ進出に向けてしのぎを削っていますが、ここでもチーマンはかやの外。順位表の一番下の当たりをうろちょろするだけでとっくに二次リーグ進出の望みは絶たれています。もう来年を見据えたチーム作りを始めているようで、フォワードのジネイ( Dinei )あたりの古株を放出してしまいました。来年の一月からリオ=サン・パウロ州選手権が始まります。このときこそ新生チーマンの姿を見せて欲しいものです。
昼間、ちょっと小包を出すために郵便局に行って来ました。4時の閉店間際だったのでかなり並んでいましたが、わりとスムーズに流れていきます。
列の半分ぐらいが宝くじのお客さんでかれらは局員に番号か何かを確認してもらっているみたい。こちらでは郵便局が宝くじの窓口のひとつですが、イマイチこのあたりのことが分かりません。今後の課題です。売っている宝くじを見ると、日本のナンバーズみたいに自分で何個か番号を選んで、その番号がすべて的中すると当たり!というシステム。番号も40以上あって、このうち8個ほど的中しないといけないんですが、番号40個で8個的中する確率を考えると、
1/40 x 1/39 x 1/38 x 1/37 x 1/36 x 1/35 x 1/34 x 1/33 x 1/32 = 1/87386094432000
なんかものすごい確率になっちゃいましたね。何か間違っているかな?
とにかく毎回何億円、何十億円という当選金がでるめでたい宝くじです。
そんな宝くじ客もいなくなり、僕の番まであと一人となったとき、前のおばちゃんと局員との会話が聞こえてきました。
局員「はい分かりました。ではこの封筒に宛名を書いてください。」
客「あなた書いてくれる」
局員「へっ?」
客「だから書いてくれる。住所はここよ。」
(と言って住所が書いてる紙を見せています)
局員「字が書けませんか?」
客「そうよ」
やはりこの町にも文盲がいるんですね。この前調べてみたところ、ブラジルの識字率は81%だったので、5人に1人は字が書けない計算になります。しかしこれは教育が進んでいない北東部や北部も一緒に平均されているため、サン・パウロでの識字率はもうちょっと高いでしょう。それにしても目の前で字が書けない人を見るのは初めてでした。
後で聞いてみたところ50歳〜60歳の人達には文盲の人が多いとか。ちょうど子供時代に軍政を経験した世代です。軍政時代は教育を重視しなかったのでこんなことになっているみたいです。最近になってこの世代の人達が学校に通って文字を覚えているというニュースをよく見ます。そして卒業生達が「字が読めるようになってこんなに世界が広がるとは思わなかった」と素晴らしい笑顔で答えているのを見ると、「やっぱ教育は大事だよなぁ」と思いますね。
ブラジルも軍政前までは高いレベルの教育が行われていて、サン・パウロ付近の生活水準も欧米並みかそれ以上に良かったそうです。軍政中に教育が失われて以来、この国の教育制度は地盤沈下を続けており、それとともに経済的繁栄も失ってしまいました。そう考えてみると、出稼ぎ達が教育を失いかけているのが心配です。
昨日の続きの出稼ぎの教育についてです。
最近日本でも浜松や前橋にブラジル人のための学校ができ、何時間もかけて通っている子供もいるとか。また、日本の学校でもブラジル人のための日本語教育プログラムや、母語(ポルトガル語)維持のための教育もボランティアベースですがなされているようです。
このことを聞いて思い出したのが、こちらで聞いた初期移民の話。中身は正反対ですが。初期移民がブラジルに来た時も出稼ぎ気分で、子供の教育そっちのけだったそうです。それでも「日本に帰っても恥ずかしくないように」と子供の日本語教育だけはしっかりやったそうです。
ブラジルで言われている言葉に「欧米人が移民したら真っ先に教会を建てる。でもジャポネースは真っ先に学校を建てる」というのがありました。よくも悪くも現在ブラジルで日系人の地位が上がったのは教育だと思います。
話は戻り、はじめは出稼ぎ気分だった移民ですが、労働環境は悪く、給料は少なく、おいそれと日本に帰ることができないということがわかり、やっと現地のブラジル学校に行かせていたそうです。ただ、当時は日系人が住んでいるような奥地にはブラジルの公教育が十分に行き届いておらず、もっぱら日本の教科書を使った日本語学校のほうが教育効果は高かったようです。実際、移民の故郷といわれるこの町には日本政府から正規教師が何人も派遣され日本と同じようなカリキュラムで学校を営んでいて、生徒数も二千人を数えていました。
日本でもこの歴史が繰り返されるようですね。
ところで、「日本の学校を出ても、ブラジルに帰ったらまた小学校からやり直さないといけない」という話も聞きますが、このあたりも変わりつつあります。日本の先生方もどうやったら日本の卒業資格をブラジルの教育に適用できるかと考えていろいろと努力なさっていますし、ブラジルの学校も杓子定規な対応を改めつつあります。僕の生徒は日本から帰ってきたら、年齢相応の学年に編入できました。親の話だと、最近のブラジル学校も年齢で学年を決めるようになったそうです。その分遅れているポルトガル語だけは取り出し授業みたいにして個別に対応しているとか。
そういったブラジル教育制度の改革や日本のブラジル学校の開設などがこれからの出稼ぎの教育を改善していくと思います。日本での教育を日本政府がになうか、ブラジル人が自分達で支えるかは身の回りの日系人でも意見が分かれています。結局両方の選択肢を提供するのが妥当じゃないでしょうかね。
とはいえ、もっと根本的な「なんで日系外国人だけに労働ビザが下りて、他の外国人には下りないんだ」とか「どうしていまだに在日韓国人は日本国籍が取得できないんだ」ってところも解決してほしいです。このあたりも日本の外国人労働者問題を不透明にしているひとつの原因だと思いますが。
今日はお寺でカラオケの紅白歌合戦がありました。近隣諸都市のお寺からバスを仕立ててやってきていて、なかなか盛況。しかしカラオケにあまり興味がない僕は隣のホールでおじさんとお酒を飲むほうが楽しかったです。
ちょうどその席に12月7日から日本に出稼ぎにいく17歳の子供がいて、出稼ぎ話になりました。話をしていたおじさんも学校を出たばかりの人がすぐに出稼ぎに行くことに否定的で、大学を出てからにしなさいといっていますが、本人は是非とも出稼ぎに行きたいとのこと。「何年行ってくるの?」と聞くと「ずっと日本に住んでいたい」という答えが返ってきました。これに対してはなかなか言葉がありませんね。住みなれたブラジルを捨てて、日本に永住したいというからには何か大きな原因でもあるんでしょうか。その子は地元青年会の活動にも積極的に参加していて、決して地元から浮いている存在ではないだけになおさら気がかりです。
他にも日本に出稼ぎに行く若者が数人にて、それぞれに話を聞きますが、やはり日本で稼ぐお金は魅力のようです。なるべくなら地元ブラジル社会で一人前の大人になって欲しいという僕の身勝手な思いもジャパン・マネーの前には勝てません。こうやって町からひとり、またひとりと若者がいなくなっていくのは寂しいかぎりです。
現在のブラジル社会で日系人は社会的地位も高く、「信頼できる民族」として尊敬もされていますが、この裏には出稼ぎで得たお金があったのも事実。ブラジルで膨大な借金を抱えても、日本に行って働けば帳消しにできるということがどれだけ多くの日系人を救ったか分かりません。その点はリストラや借金で自殺をする日本の中高年にくらべると恵まれていますが、このまま安易な出稼ぎに流れていくと大事なものを失ってしまうような気がしてなりません。
現に日本では出稼ぎ子弟の不登校と非行が大きな問題となり、「日系人=ならず者」というネガティブなイメージが広がりつつあります。このまま出稼ぎの先人達が日本で積み上げてきた信用や、果てはブラジル国内での日系人の信用さえ脅かしかねないことだと思います。
やはりこうなると解決策は「教育」しかないのではないでしょうか。
ブラジルでの日系人の成功の背景に熱心な教育があったことは誰もが認めていることです。これを無駄にしないためにも、今までないがしろにされてきた出稼ぎの教育にもっと目を向ける時が来たんだと思います。
コリンチャンス九連敗。
論説なしです。
とある掲示板で見た旅行のスレッドです。キリマンジャロ情報について情報を求む!ってスレッドだったんですが、その返信…
7 名前:山田太郎 投稿日:2000/XX/XX(火) 04:15:21
佐藤花子さんへ 山田太郎/ドイツ在住ですが、先週2000年XX月XX日に行き当たりばったりでキリマンジャロに登ったほやほや状態です。私も寒さと酸欠には悩まされましたが、頂上は良かったですよ。 |
これを見逃す手はありません。ブラジル在住の僕にもできることはないでしょうか?
不思議とどんな文面にもマッチしてしまうブラジルが大好きです。
日本では「文化の日」ですね。金土日と三連休でみんな楽しんでいるんでしょう。
でもこっちは四連休!
昨日は死者の日でお休みでしたが、木曜日がお休みだとその勢いで金曜日まで休みになっちゃいうのがブラジルのいいところ。我が日本語学校も暗黙の了解でお休みです。
この連休はどこにも行く予定がないので、自宅でホームページの更新作業や仕事の書類の作成など日ごろサボっていた業務に励んでいますが、他のアパートの住人はみんなどこかに出かけたみたいです。昨日の深夜にスイッチョから帰ってきたときも電気がついている家もほとんどなく、話し声も聞こえません。僕のアパートには学生が多く、四連休で実家に帰ったり旅行に出かけたりしているんでしょうが、ちょっと寂しい一日です。
以前だったら四連休に自宅にこもっているなんて考えられないんですが、このところ旅行疲れにでもなっているんでしょうか、あまり旅行に出かける気持ちになりません。なんとかこの夏のノルデスチ旅行については計画を立てることが出来ましたが、来年4月の帰国旅行については全くの白紙。ブラジルから帰るときに四週間以内なら世界中どこに立ち寄ってもいいんですが、ブラジル以外に行きたい!と思うところがありません。それよりも日本にとっとと帰って温泉かなんかでのんびりしたい気持ちの方が強いです。
これが海外生活っていうものでしょうか?
今日は「死者の日」、つまりブラジル版お盆なのでお休みです。ということで早速スイッチョまで釣りに行くことにしました。
町からスイッチョに行く道沿いには大きな霊園がふたつあって、たくさんの人達がお参りに来ています。普段は静かな通りですが、今日はたくさんの車が止まっていて、大勢の家族連れが歩いています。道端にはお墓に供えるロウソク売りのお兄ちゃんが出ていて、日本のお盆と同じような景色でした。洋の東西に関わらず、先祖を思う心は一緒なんですね。
スイッチョに行くと、毎回裸足です。クソ暑いブラジルなので、裸足がちょうどいい。でもブラジルの土の上を裸足で歩くと「スナノミ」に寄生されてしまうのも事実。今までスイッチョに来た大勢の人達がこれにやられていますが、今のところ僕の足は大丈夫。水虫にも強く、南京虫にもやられにくい僕の皮膚はなかなか強靭だと思いますが、腕時計をするとかぶれちゃうところなんかは妙に軟弱だったりします。
スイッチョといえば釣りですが、今日はどうもお日柄も悪いようでピラーニャしか釣れません。ピラーニャは日本の釣り業界におけるフグと同じくらい嫌われている魚で、ピラーニャしか釣れないと「場所を変えよう」ということになります。しかし今日はどこに行ってもピラーニャばかり。この一年間この川でたくさんのピラーニャを釣り上げ、胃袋におさめてきたので、ピラーニャの子や孫たちがお墓参りに来たんでしょうか?
ピラーニャと言えば、日本では「殺人魚」として異様な人気を誇っているみたいですが、このあたりのピラーニャはアマゾンのそれに較べるとだいぶん小さく、この日に釣り上げたのはどれも手のひらぐらいの大きさです。しかしこんな小さなピラーニャでも噛む力は強く、手なんかを噛まれるとかなりひどい目にあります。ピラーニャの場合、噛みついたところの肉を食いちぎるように切り取ってしまうので、ナイフで切った傷にくらべると治るのに時間がかかります。だからピラーニャを釣った後はペンチであごを破壊しておかないといけません。
こんなピラーニャがうようよしている川ですが、僕を含めてみんなのん気に泳いでいますね。泳いでいて噛まれたなんて話はあまり聞きません。怪我のほとんどは釣りをしていて不注意で噛まれたものですのでご安心を。
コリンチャンスは破竹の八連敗。とどまることを知らぬ勢いで後ろ向きに爆走しています。どこまで行くのかちょっと楽しみ。この楽しみはあまりに勉強しなかったテストが何点で帰ってくるか?とか一週間全く更新しなかったらホームページの一日あたりアクセス数はどれぐらい落ちてしまうのか?といった楽しみと同列です。
今日は学校で粘土工作をしました。色つき粘土を自作して子供たちに好きなものを作らせたのですが、「私、先生を作る!」という子供も何人かいてうれしいかぎり。教師冥利につきるとはこのことでしょうか?
しかし出来あがりを見せてもらうとまともなやつではありませんでした。ひとつは卵に手足が生えているやつ。
「なんで先生が卵なんや!」
「だって先生の頭の形は卵に似てるじゃん!髪の毛も短いから卵そっくりだよ(なんや、それ?)」
気を取りなおしてもうひとつの作品をみると真っ赤な立方体に手足がついているやつ。ポルトガル語で立方体という意味の単語が僕の名前と同じなんだそうです。
「じゃあなんで赤いんだ!」
「先生はいつもビール飲んでいて赤い顔をしているから!」
ということで、全く返す言葉もありません。不徳の致すところであります。