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日々の記録 2000年12月


過去の記録目次



2000年12月20日 水曜日 旅先更新第4弾

ついに到着したレンソーエス( Lencoes )。ブラジル随一のアウトドアスポットとして世界中のトレッカーがやって来るところ。地元の人に聞くと、クリスマス前と言うことでまだまだ客足は伸びていないそうですが、これからが稼ぎ時だそうです。

明日からのツアーは予約してあるので、今日は近場の散歩。セハーノの滝( Cachoeira do Serrano )に行ってみます。町の側を流れるレンソーエス川をさかのぼると巨大な洗濯板みたいな岩盤が広がります。幅30mぐらいはあるでしょうか。いかにも洗濯に向いているなぁと思っていると、やっぱりブラジル人も考えることは同じのようで、たくさんの人達が洗濯していて、岩の上には鯉のぼりのようにぎっしりと洋服が乾かしてあります。

のっけから生活感100%で観光気分も吹っ飛んでしまいますが、洗濯物をぬうようにあるくと所々に天然プールが現れます。もちろんそこにはたくさんの子供達がはまっているわけで、トレッキングなんて言葉とは程遠い滝です。滝をすぎたあたりになると人もぐっと減り、沢登りっぽくなってきますが、これといって見所のない普通の沢だったのでいい加減にして引き返しました。明日からのトレッキングを前にしてあんまり疲れるわけにはいかないっすからね。

町に戻ってきてからは食料の準備などに加えて散髪。出発前に忙しくて切る暇がなかったので、この隙に切ってしまいましょう。旅行会社の人に教えてもらったお店は女性がやっているサロンで、この女性がとっても話ずき、僕の仕事のことや日本のことなどいろいろと話します。でも僕には今日の散髪はそれ以上の意味があります。実はこれまで僕は女の人に髪を切ってもらったことがないんです。なぜか男の人がやっている店ばっかりに行っていましたから。ということで、今日は生まれて初めて女の人に切ってもらい、話よりもなによりもそっちのほうにひそかに感動していました。

世界の車窓からにレンソーエスの写真を追加。



2000年12月19日 火曜日 旅先更新第3弾

まず業務連絡

karumyさん、どうもありがとうございました。無事にレンソーエスに着きました。ポルトガル語のネットカフェでホームページを更新しているのでメールや掲示板に書き込みはできませんが、こちらで報告いたします。

今日は夕方のバスで出発ということで、昼過ぎからkarumyさんにブラジリアを案内してもらいます。と言ってもほとんどのところは見たのでショッピングセンターで時間つぶし。

この時期のショッピングセンターと言えば、クリスマスツリーですが、ブラジリアにも巨大なツリーがありました。ブラジルの大きなショッピングセンターには吹き抜けの大ホールがあって、そこに店の趣向をこらしたツリーが出現します。さて、そのブラジリア版はと言えば『世界のクリスマス』。大使館や領事館がある国際都市ブラジリアにふさわしい企画ですが、よく見てみるとあちこち怪しげなところがあります。

まず日本。見るからに誤りなのが、鯉のぼり。メリ クリスマス(メリーではありません)』と書いてある看板の横に堂々と鯉のぼりが立っていて、「もしかしてこの二年で鯉のぼりはクリスマスの名物になったか!?」と思わせるほどの説得力で迫ります。

そして日本人形。各国のコーナーにはディズニーランドの「It's a small world」のような人形が立っています。もちろん日本の人形は着物を着ているんですが、どうみてもアヤシイ。一応日本の着物の形をしていますが、どうみてもスターウォーズのジェダイの騎士です。

他の国のクリスマスの飾りにも怪しいところがありましたが、何よりも怪しいのがタージ・マハルをバックにしたインドとピラミッドをバックにしたエジプトのクリスマス。だいたいインドやエジプトでクリスマスを祝うんかい!!

実際問題として大使館から苦情が来ないんでしょうか?日本だったら絶対外交問題だな…



2000年12月18日 月曜日 旅先更新第2弾

ブラジリアも寒いっす。サン・パウロと同じで20度を切っています。暑いよりはマシなので、これ幸いとシャパーダ・ジアマンチーナ行きのバスを探してみますが全部満席。年末のブラジルを甘く見ていました。結局19日の午後のバスになっちゃいました。

ということで一日暇になった僕は…

現在 karumyさんの家におじゃましています。karumyさんとは初めて会うんですが、ホームページでの印象そのままの面倒見がいい方です。ブラジリアの町で大使館やJICAなどのバックアップもなく生きていく苦労を教えてもらい、のん気に旅行している自分をちょっと反省。旦那さんにも会いましたが優しい人ですね。夫婦ともホームページを持っていて、二台のパソコンにそれぞれ向かっていましたが、自分の将来の姿を見るような気がしてちょっと複雑。

そしてお宅も拝見しましたが…

インターネットに24時間接続の二台のパソコンとNHKも完備の電脳住宅ということだけを記しておきましょう。



2000年12月17日 日曜日 旅先更新第1弾

昨日からずっと雨が降り続き、夏とは思えない寒さになりました。テレビでも「最高気温の予想は20度」と真夏のブラジルとは思えない寒さ。旅立ちの準備をするにはちょうどいい温度でした。

いつものごとくバタバタと準備をすると、1時間遅れでやってきたブラジリア行きバスに乗って一安心。乗るとすぐに寝ちゃう僕は今日も寝てしまいましたが、ふと目がさめると二車線の道を走っています。あれ?我が町からブラジリアに行く時は、二車線の道を3kmほど走り、そこから直行する一車線の道に乗り換えないといけないのに… と思っていると、あるはずのない料金所が近づいてきました。

「モトリスタ!道間違ってんやんか!」

ナント運転手が料金所のお姉ちゃんに道を聞いています。そして車内に入ってきてひとこと

「あの〜道間違って料金所に来ちゃいました。間違った料金所のお金14R$は会社から出ないので、みなさんひとり1R$ずつ出してもらえませんか?」

おそるべしブラジルのバス。

もちろん優しい乗客達はみんなお金を出しましたとさ。



2000年12月16日 土曜日

町中ナタウ( Natal クリスマス )でいっぱい。

郵便をだすので郵便局に行ってみました。日ごろは客が少ない午前中に行ってみたんですが長蛇の列。なんや〜と思ってよく見ると、大きな荷物を抱えている人がたくさんいます。中には派手派手なナタウの包装紙に包まれているのがあって、どうもナタウのプレゼントのようでした。日本ではお歳暮とお中元を足して二倍したぐらい重要な行事ですからね。

また、明日から旅行に出発しますが、最初の目的地、シャパーダ・ジアマンチーナではトレッキングツアーを予約しています。その時、シャパーダからヘシーフィに行くバスを予約しているんですが、このバスが24日の夕方発で、ヘシーフィまで24時間かかるそうです。予約窓口のお姉ちゃんからは「ナタウの夜はバスの中になりますが、本当にいいんですか?」と三回も確認されてしまいました。

仏教との僕はナタウなんてどうでもいいんですが、バスの運転手はかわいそうですね。JRの運転手などで、年末年始の出勤のときは臨時手当が出るそうですが、バスの運転手も出るんでしょうか?

そして、夜は文協の忘年会。我が日語校も楽器の演奏や合唱、劇などをやりましたが、社交ダンス部がナタウの劇をやってましたね。イエス・キリストを授かった聖家族をサンタ・クロースが祝福するという劇でしたが、キリストの誕生とサンタクロースって関係ありましたっけ?いまいちそのあたりのことを知らない僕です。

さて、町のショッピングセンターに行くと、どこでも大掛かりなクリスマスの飾りがあります。そしてその一角にはサンタクロースの衣装を着たおじさんがいて、子供達と一緒に記念撮影をするのがメジャーなイベントです。しかし真夏のブラジル。サンタのおじさんの苦労は北半球以上です。


真夏のクリスマスに備え、ブラジルでサンタの特訓

クリスマスが真夏に到来するブラジルで、今週開講するサンタクロースのクラスに太めの20人の生徒が応募し、商店街でのクリスマスシーズンの活躍に備える。

指導者のチェレム先生がクリスマスキャロルの歌い方などを教えるが、先生は最も重要な注意事項として、サンタの洋服2着を準備することを挙げている。

リオデジャネイロでは日中にセ氏37度ほどに達し、汗まみれになるため、着替えが必要になるという。

また、チェレム先生は「サンタとして、歩き方や笑い声、服装なども大切だ。だが、最大の留意点は、猛暑のなかで忍耐強く子供と接すること」と強調した。

生徒には、退職者や無職の人が多いという。


ある新聞での報道ですが、まったくご苦労様です。



2000年12月14日 木曜日

修了式を明日に控え、忙しい一日。内容の薄い更新をするぐらいなら、今日は日々の記録をお休みにしたかったけど、なんとか生活記を書き上げたので、その報告だけ。



2000年12月13日 水曜日

こっちでラジオを聞いていると、夜の7時から8時の間になると決まって流れるのが『大本営発表ブラジリアニュース』。つまんないお堅いニュースが流れます(ってあんまりよく分からないんですけど…)。僕はいつもFMを聞いているんですが、7時になると突然雑音混じりのニュースが始まるだけに、なおさら『大本営発表、東部軍管区情報…』のイメージが強いっす。しょうがないの他のラジオ局にチャンネルを変えてもどこも同じ!逃げ場がありません。ナントどこの局も同じニュースをやっているんです!

こんなときにお世話になるりかるどさんに聞いてみたら、他の町でもだいたい似たようなもんだとか。

しかし、情報が乏しかったむかしならともかく、インターネット時代の現代でそんなことやってる意味はあるんでしょうか?

*     *     *

画一的放送といったら、もうひとつ気になっているのがあります。それはテレビなんですが、その名も「Rede Vida」、人生ネットワーク、命のネットワークって名前のいかにも宗教くさいテレビ。もちろんそこはカトリック系放送局で、神父の説教中継や人生相談なんかがバンバン流れています。そのテレビ局はカトリックらしく夜の12時になると終わるんですが、毎日番組の最後に流れるのが歌って踊れるマルセロ・ホッシ神父のお祈り。神に祈りをささげるその姿は美しいものですが、異教徒の僕はぜんぜん違うところに目が行っちゃいます。

神父は長い祈りの言葉を「ありがとう、神様!」のような短いフレーズに区切って何度も繰り返します。始めは相撲の仕切りと同じで「何度繰り返すんだろう」と思っていましたが、ある日、数えてみると毎回十回繰り返すことが分かりました。さらに注意深く眺めてみると、だいたい7回目か8回目の「ありがとう、神様!」のときに神父の手のアップが出てくるんですね。毎日様々なお祈りをしていますが、このパターンは決してはずれません。テレビの製作者に「おまえ、安易に編集しているだろ!」と言いたくなってしまいます。



2000年12月12日 火曜日

12月6日にも書いた、コパ・メルコスウの第二戦パウメイラス×ヴァスコ・ダ・ガマ戦がパウメイラスの本拠地のパルケ・アンタルチカで行われました。

今日も登場した「移動放送席」。テレビの中にいたのはパウメイラスのシャツを着て、ヴァスコの鉢巻をしているおばさん。

アナ「どうしてパウメイラスのシャツを着て、ヴァスコの鉢巻してるの?」
おば「私はパウメイラスファンだけど、子供がヴァスコのファンなのよ。」
アナ「今日の試合はどうなると思いますか?」
おば「もちろんパウメイラスが2×0で勝つよ!でも子供は2×1でヴァスコって言ってるけど。」

なんともほほえましい親子です。

実際これに限らず、親と子供の応援するチームが違うって話はよく聞きます。家族の中に天敵中の天敵、コリンチアーノ( Corintiano コリンチャンスファン )とパウメレンセ( Palmeirense パウメイラスファン )がいたりすることもしばしば。そんな家族とサッカー話をすると盛り上がって楽しいんですが、一家全員巨人ファンみたいな日本と違いますね。

ある知り合いは家族全員パウメレンセの中で一人だけコリンチアーノだそうです。聞いてみると「家族全員がパウメレンセだから、私はコリンチアーノなんだ!」と言ってました。この心意気がブラジル人です。

*     *     *

その試合中継の中でインターネットアンケートをやってました。ズバリ「2000年最強の国はどこ?」という質問。結果は

ブラジル
32%
フランス
31%
アルゼンチン
16%
オランダ
14%
ポルトガル
7%

ブラジルが一番多いのは差し置いても、フランスを推す人が多いですね。実際欧州選手権をとったし、このところ大きな大会で活躍しているフランスですから納得です。しかしそれ以上に驚いたのがアルゼンチンの16%。ブラジル人がアルゼンチンに投票するってことは共産党員が自民党に投票するのと同じ位めずらしいことなのに16%も集めてしまうなんて、よっぽど今年のブラジル代表は弱かったんでしょうね。



2000年12月11日 月曜日

先週の金曜日から、授業が終わった後にスポーツ大会をやってます。今日はバスケットボール。普段は審判に逃げている僕も狩り出されましたが、20分走り回っただけでバテバテでした。頭の上には真夏の太陽が輝いていたので、そのせいにしていますが、元気な子供達を見ているとそれだけが原因ではないようです。

*     *     *

今日、ニュースでスペースシャトルのことをやってましたが、ポル語ではスペースシャトルのことを "onibus" って言うみたいですね。これって街中を走っている普通のバスと同じ単語です。たしかに宇宙と地球を結ぶバスですが、"onibus" だとぐっと親しみが増すと思います。

*     *     *

テレビと言えば、よく歌番組をやってますが、この前ポケモンの歌を歌っている人達を見かけました。それぞれポケモンキャラのコスプレで歌ってましたがなんかヘン。日本人のコスプレを見なれているからでしょうか?アニメキャラには金髪や赤い髪なんかがあって、日本人はカツラをかぶってますが、こっちの人は自分の髪でできるからヘンなんです。やっぱ金髪のコスプレって脱色やカツラのいかがわしさがあってこそだと思います。サラサラの普通の金髪でコスプレはいただけません。

もちろんその人達は歌手なんで歌っているんですが、ここでも見事な口パク。ブラジルではスタジオでナマで歌うと言う概念がないらしく、出てくる歌手出てくる歌手み〜んな口パクです。口からマイクを離して踊っている時にも歌声が聞こえてくるのが格好いいっす。でもいっそのことならマイクなしで『俺は口パクだい!』と開き直ればいいのにマイクを持っているところもかわいいっすね。やっぱり歌手にも『口パクは後ろめたい』って気持ちがあるんでしょうか。

この前教会でフェスタをやったときにはどこかのダンススクールの生徒達が踊りを披露していましたが、その中の一組がブラジルで人気のアイドル Sandy & Junior の踊りをやってました。本家の Sandy & Junior はDJみたいなマイクを頭につけて、歌いながら踊るんですが、スクールの生徒達も同じようなマイクをつけて踊っています。もちろん音楽はCDのものなので生徒は歌わないんですが、このDJマイクは欠かせないようです。しかもズボンの後ろの方にはマイクのトランスミッターの小箱までつけている凝りよう。(本来DJマイクは無線なので、トランスミッターから電波を飛ばし、スタジオで受信して音を拾います)

どうもブラジルテレビ音楽界ではマイクと言うのは、本来の機能以上に、歌手を彩る飾りのような意味合いがあるようです。



2000年12月10日 日曜日

昨日今日とミランドーポリスに行って来ました。来年早々に開催される地区の林間学校で「肝試し」の担当になったので、会場の下見です。ミランドーポリスまではバスで3時間、さらにそこから弓場農場やアリアンサ移住地を行ったり来りしました。

移動する車の窓から見ると、まわりにはのどかの農場や牧場がはるかかなたまで広がっています。おりしも雨季の真っ最中。この時期になると一陣の突風とともにスコールが降ることはもう書きましたが、農場の真ん中でまわりを見ていると、あちこちにスコールが見えます。「見える」と書いたのは、本当に見えるから。僕の頭の上には青空が広がり、真夏の太陽が差し込んでいますが、遠くの農場の上には黒雲が広がり、猛烈な雨が空から地面までカーテンのように落ちています。そんなスコールがあちこちに見えるので「あ〜あそこは雨が降っていて、あそこはまだ晴れているな」なんてことまで分かります。そのうち目の前にスコールが見えてきました。「真正面にスコール発見!」と言うころにはまわりの木や草が突風でゴウゴウとゆれています。そのまま進んでいくとたたきつけるようなスコールに遭遇。通りすぎると、今までの暑さがうそのように涼しくなるのもブラジルのスコールのいいところ。夏のブラジルの醍醐味です。

日本の雨のように空一面がどんよりと曇り、どこで降っているんだかやんでいるんだか分からない雨と違って、躍動感にあふれたブラジルのスコール。情熱の民といわれるほどの国民性はここから生まれるのかもしれません。

*     *     *

旅の宿は弓場農場にお世話になりました。弓場農場は農業と芸術とが一体となった共同生活を送るところで、旅人を暖かく迎え入れてくれることでも知られています。(詳しくはアリアンサ通信を見てください。)そこでは日語校の先生がパソコンをやってました。

「おっ、弓場にもパソコンっすね。もしかしてインターネットもつながるんですか?」
「うん、今はアリアンサ通信の原稿を日本と送ったりしているところ。」
「じゃあそのうちホームページも開設っすか?」
「まだまだ、勉強がたりないからね。でも近くの先生に教えてもらってそのうち開くよ」

もうすぐ弓場から世界に情報が発信されるかもしれません。

その弓場には日本のビデオがたくさんあります。その日は高倉健主演の「幸せの黄色いハンカチ」を見ました。やはり名作だけあって、見終わった後には「愛って大事だよな〜」とか思ってしまいます。その時は一緒に来ていた二世の女性二人と一緒に見ていたんですが、

女性「愛って永遠だと思いますか?」
「そりゃあそうだろう。」
女性「でも愛もいつかさめるときもあるし、死ぬまで貫ける愛なんてないですよ。」
「だから一生続けるとか何年続けるとかそういった現実的話じゃなくて、今『二人の愛は永遠だ!』と思っているならそれでいいやん。分かりもしない未来のことを想定して永遠じゃないなんで考えるのは無意味なんやない?」

と愛の論争になりました。日系二世とは言え、彼女達にもブラジル人の魂があるはず。ブラジル人でも「愛は永遠じゃないよ」と思っている人がいるんですね。それとも多くのブラジル人は「愛は永遠」なんて思っちゃいないんでしょうか?

ブラジルでは男女が簡単にやっちゃって、子供ができると男は逃げるという話をよく聞くのでもしかしたらそうなのかもしれません。



2000年12月8日 金曜日

サン・パウロのリベルダージに行けば、日本の物が何でも手に入ることは今までなんども書いてきました。お菓子からしょうゆから何から何まで手に入りますが、これはリベルダージでの話。しかも買っていく客のほとんどが日本人です。

しかし、ブラジル人の間にも広がっている食べ物があります。

それはラーメン。

ラーメンは中国でしょ!というもっともな指摘もありますが、ブラジルで売っているラーメンは日本の Nissin が作っているので、これも立派な日本食だと思います。うちの近くのスーパーにはラーメンコーナーがあり、「ソーセージ味」「チキン味」「フェイジョン味」「野菜味」などなど十種類近くのラーメンが売られています。ラーメンは確実にブラジル食文化の一角に入っているようです。

日本でもラーメンといえば、一人暮しの味方。ブラジル一人暮しの僕も良くお世話になっていて、全種類を食べてみたんですが、悲しいことに味の違いが分かりません。ほとんどの味が日本で言うところの「塩ラーメン」です。ブラジル人といえば、メリハリの利いた大胆な味付けが好きな民族だと思いこんでいただけにちょっと驚きです。

これも日本食に関係しますが、今日は文協で餅をついていました。明日のフェスタで売り出すんだそうです。そのおばちゃん達に聞いてみました。

「たくさん作ってるけど、それブラジル人も買うんですか?」
「最近ではブラジル人も餅を食べるようになったよ。」
「どうやって?」
「そりゃ、日本人みたいにちゃんと焼いて食べるのよ」

まだまだ「ブラジル人はみんな食べる」とまでは言いませんが餅も少しずつ浸透しているみたいです。その他にも「将来有望な日本食」候補として、ヤキソバがあります。各地の日系人会がフェスタをするときの目玉で、ヤキソバ会の日には朝早くからたくさんのブラジル人達がやって来ていて、その人気ぶりが分かります。

ただ、ヤキソバも日本のヤキソバとは違っていて、油で炒めた麺の上に八宝菜みたいなタレをかけて食べるという、どちらかというと長崎の「皿うどん(かたヤキソバ)」みたいなヤキソバです。初めて見たときは「これヤキソバ違うやん!」って思いましたが、食べてみるとそれはそれでとってもおいしいものでした。

これからブラジルに来られる人達も、ぜひブラジル版ヤキソバをお試しください。



2000年12月7日 木曜日

僕がホームページがある geocieties には無料統計サービスがあって、どのページがどれくらいアクセスされたか知ることができます。

先日、僕のホームページの各ページのアクセスを見ていたら、「自己紹介」の中にある「御神託」のアクセス数で面白い発見をしました。まずはアクセス数です。(9月からのアクセス数)


26
48
27
33
76
487
68
101
40
31
37
34
104
24
14
28
36
45
36

となっていて、「死に様占い」のアクセス数が異様に高いんです。怪しいと思ってアクセス元を調べてみると、他の占いはほとんどが「自己紹介」のところから飛んできているのに、「死に様占い」だけは外部のサーチエンジンから直接来ているようです。で、リストアップされていたサーチエンジンで「溺死 and 死に様 and 遺体」で検索をかけてみました。

インフォシーク、「溺死 and 死に様 and 遺体」の検索結果

Google、「溺死 and 死に様 and 遺体」の検索結果

ともに二番目にランクされちゃってます。

これで判明しました。「死に様占い」の高アクセスの原因はここにあったんです。みんな「溺死 and 死に様 and 遺体」で検索をしてここに来たんですね。というわけで、このページを自殺系ページだと思ってやってきたみなさん、申し訳ありませんでした。

ついでなので、そのままリンクをたどってみると、行旅死亡人データベースというホームページを発見しました。行旅死亡人とは全国各地で発見された身元不明の死体ですが、そういった死体が見つかると、各地の役所が官報に告知するんだそうです。このホームページはその官報に載っていた行旅死亡人の情報を日付別に淡々と集めているホームページで、読んでいくとだんだんと身につまされていきます。

行旅死亡人の半分ぐらいが自殺者で、その他には身元不明の病人などです。どちらにも共通するのが天涯孤独の身ということ。身元を証明するものもなく、所持金も多くありません。追い詰められていたであろう生活を読み取ることができます。ホームページにはそれらの行旅死亡人のリストが並べられているだけですが、ヘンな解説がないぶん無言の迫力があります。行旅死亡人にも家族や友人があったんだと思いますが、どんな事情で孤独の身になったんでしょう。一人一人に重い人生があったんだろうと思うと悲しくなってしまいます。

今のところ家族や友人や社会とのつながりを持ったまま生きている僕ですが、このつながりはとても強いように見えて、実はちっぽけなものなのかもしれません。僕はいつ落ちてしまうか分からない崖っぷちを上を見ながら歩いているんですね。



2000年12月6日 水曜日

サン・パウロから帰って来ました。

サン・パウロは毎日しとしと雨。空もどんよりと曇っていて蒸し暑い。久しぶりに日本の夏を思い出しました。それに比べるとわが町は典型的なスコール型気候。夕方になると猛烈な突風の後に豪雨が降りますが、1時間ほどですぐにやみ、その後は涼しい空気が流れ込んできます。夜なんか窓を開けて寝ていると寒いぐらいです。

日本にいるころは「雨=ムシムシ、ベタベタ」というイメージがあり、雨の日が嫌いでしたが、こんなところで暮らしていると「雨が恋しい」という気持ちがわかるようになりました。雨が降ってもジメジメしないし、涼しくなるし、埃っぽい町もきれいになるし一石三鳥です。毎日夕方になると「雨が降らないかな〜」と思っています。

*     *     *

今日はコパ・メルコスウの決勝第一戦ヴァスコ×パウメイラス戦がヴァスコのホームのサン・ジャヌアリオ・スタジアムで行われています。第二戦はパウメイラスのホームのパルケ・アンタルチカで行われるため、リオの人達にとっては大事な一戦。

その試合、ヴァスコの選手達が登場すると会場からはものすごい花火が上がっています。特に壮観なのはナイアガラ。スタジアムには雨よけの屋根があるんですが、その屋根のふちから雪崩のごとくナイアガラ花火が流れ落ちます。もちろんその花火の真下には満員の観客が…

「日本では考えられない」という言葉をここで何度書いたか分かりませんが、今一度書かねばなりますまい。日本では信じられない光景です。降りしきる火花の下で大声援を上げるリオのヴァスカイーノ(ヴァスコファン)達。なにか熱気の次元が日本とは違いますね。ヴァスカイーノを通り越してヴァカジャナイーノっすね。(我ながら寒いっす。)

その中継はGLOBOで見ていたんですが、最近の中継の目玉にしたいらしい企画がありました。その間も「移動放送席」。これは勝手に名づけたんですが、まずは見てください。

移動放送席の写真
こんな具合でダンボールで作ったテレビを頭にかぶって自分のチームの応援コメントをしゃべるという仕組み。いまいちパッとしない企画ですが、この企画の最初に出てきた人のコメント。

アナ「どうですか。この移動放送席は?面白いでしょう。何か要望とかありますか?」
ファン「どうもこの放送席の中は暑いので、次は冷房つきにしてくれ!」

なんか書いてしまうと面白くもないっすね。まあいいや。

で、試合は2×0でヴァスコが勝ったんですが、ヴァスコが点を入れるたびに町から歓声が聞こえてきます。もちろんコリンチアーノの仕業でしょう。今年後半になって、まったく何もできなかったコリンチアーノの腹いせと言ってしまえばそれまでですが、できればもっとまともなカタチで応援したかったものです。



2000年12月3日 日曜日

朝3時発という過酷な日程で、ロンドリーナまで日本語能力検定に行ってきました。今回は700人近くあつまり、ロンドリーナの役員も「これぐらい集まってくれると、こちらもうれしい。」とホクホク顔。

集まってきたのはサン・パウロ西部や北パラナの学校の生徒たち。生徒たちが試験を受けている間に、先生たちは久しぶりの再開を楽しませてもらいましたが、先生の話し声の方が大きくて、「ちょっと静かにしてください」といわれる始末でした。生徒にとっても先生にとっても有意義な一日です。

この時間、世界中で日本語を学ぶ人達が同じ試験に挑戦していて、引率の先生たちも僕達と同じように「お〜ひさしぶり」とか言っているんでしょう。アフリカやインドや中国でも同じ試験か〜と思うだけで旅心を刺激されますね。

時間がないので、今日はこれで勘弁してください。これからサン・パウロに行ってきます。次の更新は水曜日あたりを予定。



2000年12月2日 土曜日

先月の「日々の記録」で頭を丸刈りにした大学新入生の話を書きましたが、こちらの日系人の大学進学率はかなり高いです。さすがに日本みたいに「猫も杓子も」状態ではありませんが、他の非日系人と比べると圧倒的に高いです。

人口比では1%しかいない日系人ですが、ブラジルの最高学府「サン・パウロ大学(USP)」では生徒の10%以上が日本人だとか。こちらのピアーダ(ジョーク)で「USPに入りたいんだったら簡単だ。拳銃がひとつあればいい。それで日系人を一人殺せば入れるさ」なんてのがあるぐらいです。

昔から日系人といえば教育熱心で有名でしたが、二世、三世と世代は進む中でも大事なところは残っていて「まだまだ日系人は安泰だ!」と勝手に感動したりしています。

出稼ぎのお父ちゃんが、単身赴任で働いて子供を歯科大学に送り、大学卒業後も子供の開業資金のために一生懸命働いているという話を聞いたりすると、ひと事ながら、目じりが厚くなりますね。そんなお父ちゃんの背中(日本にいて見えないけど)を見てそだった子供だったら立派な大人になるでしょう。

僕もそんな父親になりたいもんです。



2000年12月1日 金曜日

テレビを見ていたらちょうど旅行記を書き上げたばっかりのアマゾンはアマパー州( Amapa )の特集をやってました。アマゾン沿岸の生活を主に取り上げていましたが、川沿いの住人がもっとも困っているものは水だとか。世界最大の川のそばに住みながら水が足りないとは何?と思っていたら、足りないのは料理や飲料用の生活用水だそうです。

アマゾンも最下流のアマパーあたりまでくるとかなり水質が悪くなり、飲用には適さないそうです。かといって水道があるわけでもないので川の水をドラム缶に汲んで数日間そのままおいておき上澄みを飲むんだそうです。それを聞いて、以前訪ねたベトナムのメコン下流の小さい村でも同じことをやっていたのを思い出しました。その上澄みも日本人の目からするととてもきれいとは言いがたく、濁って向こう側が見えないほどでしたが、他に水はないので思い切って飲んだおぼえがあります。テレビで見せてくれた上澄みもベトナムの水と全く同じ濁り具合でした。

また、村の大きな建物の屋根には雨どいがあって、天水をためていました。そこの役人が見せてくれた手帳には村人の名前とともに数字が書かれており、役人いわく「各家庭に一週間に配給する水の量」だそうです。

この他にもリオのファベーラには水道がありません。山の中の水道管から勝手に引いてきた「海賊版」水道が何ヶ所かあり、そこまで毎日汲みにこないといけません。また、ノルデスチの乾燥地帯でも井戸から水を汲むことがあるそうです。

それを見ていると「な〜んだ不便だなぁ」と思いますが、よく考えてみると彼らの生活のほうが自然本来の姿で、水道で水が飲んでいる僕達の生活の方が異端なんですよね。他にも現代の僕が身につけてしまったものはたくさんありますが、今、一番困っているのがパソコン。

こうやって毎日ホームページを更新していますが、実際には1時間以上の時間がかかっていて、その分テレビを見たり、町に出たりする時間が削られていきます。つまりパソコンがない人に比べると毎日1時間分損をしていることになります。そのくせ毎日「時間がない、時間がない」と言っているんですが、テレビの中のアマパーの人達は僕よりももっと豊かな時間を持っているんでしょうか。時代が進むごとに個人から時間が奪われていくような気がします。やっぱり僕はパパラギなんでしょうか。


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