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日々の記録 2001年2月


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2001年2月21日 水曜日

今晩からリオのカルナバルに行ってきます。今回はコロンビアやボリビアから来る友人達と一緒の多国籍軍で楽しんできます。帰宅予定は2月28日なので、1週間ほどお休みです。

今日、授業の後、子供達に聞かれました。

「先生、今度の土曜日いる?」
「あ〜、その時期はおらんねぇ」
「どこに行くの?」
「ちょっとそこらまで行ってくるんだ。(最近旅行しまくりなので、さすがにリオに行くとは言えないっす・・・)」
「え〜っ!!今年は先生の最後のカルナバルだからみんなと一緒に学校に泊まって遊ぼうよ!」
「そんなこと言われたって、もう切符も全部買ってあるからダメだよ。」
先生のシャット!(先生つまんない)」

ということで生徒の不興を買ってしまいました。

しかし、だいたい今度の土曜に学校で泊りがけのカルナバルをやろうなんて今ごろ言い出すかねぇ?3日しかないやんか。泊りがけなら保護者の了解もいるし、食事の準備とかも考えないといけないし、ちょっとは真面目に考えろよ!とか思ってしまいました。

子供なんだから仕方ないやん、と思うかもしれませんが、こちらでは大人も子供も何につけこんな感じ。事前準備を綿密にやる、なんて習慣はありません。とりあえず行き当たりばったりで始めちゃって、うまくいかなかったらその時考えるというのがブラジル式。

これで困るのが日本語学校。地区の行事などは十数校共同でやるので事前に会議を開きます。集まって来る先生方には地元の先生と日本から派遣された先生が混じっていて、会議中にもめることがあるんです。僕も日本人ですから、何かの行事をするなら細かく打ち合わせをして役割分担や当日の流れなどを決めたいんですが、そうなると時間がかかります。すると苛立ってくるのが地元の先生。「こんな会議に時間をかけなくても、主催校の先生に一任しちゃえばいいやん!細かいことは当日決めればいい!」という意見が出てきて、地元の先生方は大きくうなづきます。もうこうなると会議を続けられません。

結局日本の先生を中心に事前準備を進め、現地の先生方には当日手伝ってもらうというパターンになります。

逆に地元のカラオケ大会などでは2世、3世がメインなのでブラジル式。前日になってもあんまり準備が出来てなくてハラハラしますが、当日になるとなんとかこなしちゃうんですよね。確かに事前準備バッチリ型に比べると完成度はそれほど高くないんですが、みんなもそんなことを気にしないので丸く収まってしまいます。

なんだか暖簾に腕押し的な世界です。



2001年2月20日 火曜日

ちょっと古い記事ですがこんなのがありました。


ロナルジニョご難、3人組に愛車強奪される

リオ・デ・ジャネイロ市南部のサンコンラッド区ニエメロ大通りで四日午後十時ごろ、自家用車を運転中のサッカー選手ロナルジニョ(本名ロナルド・ルイス・ナザリオ・デ・リマさん=インテルミラン所属)が、三人組強盗に襲われ車などを奪われる事件があった。ロナルジニョにけがはなく、車もまもなくリオ市内で発見された。

所轄のリオ第十五警察によれば、ロナルジニョが愛車BMW(時価二十万レアル=1200万円)で走行中、三人組は後方からゴルフ車で追ってきて、ロナルジニョの頭部に拳銃を向けて停車を命じた。犯人らは相手が有名選手であることにすぐ気付き一瞬、犯行をあきらめたような表情をみせたが、気をとりなおしたように車を奪って逃走した。車内にはスーツを入れたカバンを置いたままで、ロナルジニョ自身の身分証明書、クレジットカード、小切手帳などが入っていた。

「ヨーロッパのスポーツ新聞記者のインタビューに向かう途中の被害だった。拳銃を突き付けられて車を下り、犯人に背を向けた時はさすがに神に祈りたい気持ちだった。しかし、今後とも個人的にガードマンを雇うつもりはない。かえって危ない事態にいたると思うからだ」と、ロナルジニョは襲われた時のもようを語った。

車には、人工衛星による追跡探査装置を搭載していたため一時間後、リオ市内のジャルジン・ボタニコ付近で見つかった。ロナルジニョはテレビなどを通じ、犯人に「身分証明書だけでも返してくれるよう」呼びかけている。


ロナルジニョ(発音的にはホナウジーニョ)とは日本で言われているところのロナウドですが、彼も自動車強盗からは逃げられなかったようです。まあしょせんロナウドレベルではそうなのかもしれません。

というのはこういう記事もあるからです。


「サッカーの神様」は偉大 ペレに強盗が謝って退散

ブラジルの「サッカーの神様」ペレがこの週末にサンパウロで自動車強盗に襲われたが、相手がペレであることが分かると、強盗は謝って何も取らずに逃げた。ペレ自身が18日、マスコミに明らかにした。

地元ラジオなどによると、15日にサンパウロ市内でペレと夫人が乗った車が信号で止まったところに、武器を持った男が近づき「金と腕時計を渡せ」と脅した。その時、後部座席のペレがおもむろに帽子を取って顔を見せると、男は「すみません」と言って、そのまま姿を消したという。

9月には元ブラジル代表の人気選手ロマリオ(フラメンゴ)が同様にリオデジャネイロで自動車強盗に遭ったが、強盗らは相手がロマリオと分かってもひるまず高級車を奪っており、やはりペレの偉大さは別格のようだ。


やはりサッカーの神様は違いますね。

ちなみにロナウドの記事で気になったのが「人工衛星による追跡探査装置」。よく調べてみたら、人工衛星から電波を送ることで、エンジンのスパークプラグを切ってエンジンを止めることが出来るんだそうです。自動車盗難大国ブラジルですが、金がある人はすごい防犯装置を持っているもんです。



2001年2月19日 月曜日

毎日ホームページを更新するのは夜。しかも12時を回ることもしばしば。すると欲しくなってくるのが夜食です。僕の夜食の定番はカショーホ・ケンチ(ホットドッグ)。カショーホはポルトガル語で「犬」、ケンチは「熱い」という意味なので、まさしくホットドッグなんですが、初めて聞いたときはちょっと違和感を感じました。

ホットドッグという言葉は英語を勉強する前から頭に入っていたので、それ自体を外来語として考えていて違和感は感じませんでしたが、カショーホ・ケンチの場合、始めにポルトガル語が入っていたので、「カショーホ=犬、ケンチ=熱い、カショーホ・ケンチ=熱い犬」となってしまってどうも変です。細長いパンにダックスフンドが丸焼きになって入っているようなグロテスクなイメージが思わず湧いてしまいますね。

さて、そのカショーホ・ケンチですが、僕はいつも同じ店で買っています。学校から家に帰る途中にあって、夜学の帰りなんかに利用しているおいしい店です。今日も夜食でも買おうとお店まで行きますが、毎日営業しているはずのお店がありません。どうしたことかと驚きましたが、思い当たる節は雨でしょうか。カショーホ・ケンチ屋がお店を開く夜の8時ごろから9時ごろにかけて、猛烈な雷雨が降っていたので、屋台を開くことができなかったのかもしれません。

でも腹の虫はおさまらないので、学校の方まで歩いていくと、別のカショーホ・ケンチ屋台はやっていました。学校から家への道沿いにあるもう一軒のお店です。学校の帰りには必ず前を通るので、店のオヤジと「よっ、元気?」などと挨拶は交わす仲なんですが、他の店で買っていたので一度も入ったことがありません。いつもの店は開いてないので今日はここで買おうかなとか思いましたが、「待てよ、二年間毎日通っていたのに一度も買ったことのない僕が、今日にかぎって買ったら怪しまれるんじゃないか?まるでもう一軒の店がおいしくて、こっちがまずいから今まで買っていなかったってのがバレバレやんか!それに今日買っちゃうと、明日から前を通るときに「買ってかないのか?」と声をかけられるのも面倒だし…」と思うと、オヤジに声をかけることができず、いつもどおり「こんばんは」と声をかけるだけで通りすぎてしまいました。

結局普段は行かない遠くの公園にある店まで行きましたが、ここだったら店の人も僕のことなんか知らないはずなんで、普通のお客さんとおなじように違和感なく扱ってもらえる、となぜか安心してしまいました。それと同時に通りすぎた店のオヤジに対してなぜか罪悪感を持ってしまい、我ながら小市民であることを思い知らされる一日でした。



2001年2月18日 日曜日

今日も昨日に続いて釣りで。日本では早朝が定番の釣りですが、何事もおおらかなブラジル、お昼ご飯は町で食べて、昼過ぎからおもむろに出発するのがいつものパターンだったのに、今日の出発は朝の10時。それでも遅いと言われるかもしれませんが、「おっ、今日は早いな。何かあるんだろうか」と思いながらもシッチオへ。

シッチオについて荷物を下ろすと何やら怪しげな銃みたいな物が出てきました。「今日はペスカ(釣り)じゃなくてカッサ(狩り)をしよう!。」う〜むそう言うわけですね。

いつものように川べりまで行くと、スキューバどころかロクに川で泳いだことのない僕に簡単な使い方を説明して早速開始。水中眼鏡とシュノーケルをつけておじさんと一緒に潜らされてしまいました。おじさんが持っている先ほどの銃みたいなものは水中銃。なんかいかめしそうな名前ですが、単純なもので、強力なゴムの力で銛を打ち出す銃です。それを持って水に潜るとそこは別世界。青い水と七色の魚が…とはいかず、濁った水が目の前に広がるだけ。最初は何も見えず、前を進むおじさんについて行って、やがて戻ってきます。

説明し忘れましたが、狩りをするときはボンベを背負ってはいけないそうで、素潜りになります。水の中に立って、首がやっと出るぐらいのところから深いところに向かって潜り、息が続く間は魚を探し、息が切れそうになったら最初の場所に戻ってくるという単純明快なもの。

最初はビクビクであまり深いところには行けませんでしたが、やがて要領が分かるとおじさんと一緒に深いところまでついていきます。何回か潜るうち、水中にカシン!という金属音が響きます。おじさんの方をみると、その先に白い魚がバタバタしているではありませんか。命中です。30cm弱の魚が最初の獲物でした。

そのうち慣れてきたら、僕の番もまわってきました。喜び勇んで銃片手にもぐって見ます。濁って先も見えない川の中ですが、腹ばいになって川底に寝そべってみると、そこには透明な水が広がっていて何やら不思議な空間です。ソロリソロリと先に進みながら、あちこちに頭を向けて魚影を探しますが見つかりません。そんなことを何回か繰り返すうちに、目の前に白い影が!その瞬間、魚と僕はお互いに見つめ合い、僕は戦場に初めて立った兵士が、敵と向かい合った時のように凍りついてしまいました。急いで銃をかまえなおしたときには後の祭。発射することさえできないうちに魚は消え去っていたのです。

これに味を占めた僕は体力の続く限り何度となく潜りました。二回目に魚と出会ったときはしっかりかまえていた銃を即座に発射しましたが、はずれ。三回目は斜め後ろから突進してきた魚に向かって横向きに発射しましたが、はずれ。さらに調子に乗った僕は横に移動しながら魚を探していき、さてそろそろ息の限界と思って戻ってみると、斜めに移動した分、元の場所とは違うところに移動していたようで、立ちあがってみても水面とはいまだ30cmぐらい離れています。息も限界に近いのにまだ水面には遠い!しかも浮かないように腰にウェイトをつけていたので泳ぐわけにもいかず、思わずあせってしまう一幕もありました。

このあたりが潮時と、戦果のないまま今日の狩りを終わりましたが、結構面白いですね。釣りとは違った楽しみです。釣りが水面下の見えない魚達との駆け引きを楽しむなら、狩りは目の前に現れる魚達との一瞬の攻防といったところで、どちらも病みつきになりそうな面白さです。願わくば、帰国間際の今ではなく来たばかりのころに知っていれば、もうちょっと楽しめたのに。日本に帰ってもやってみたいけど、できるところなんてないかな?



2001年2月17日 土曜日

今日は久しぶりの釣り。釣り場はいつものシッチオですが、しばらく行かない間にかなり水量が増えています。このところ夕方になると毎日のように雨が降っているので、あちこちの川で水かさが増しているようです。一緒に行く釣りの仲間も「今年は例年にくらべても多いね」といっているぐらいなので、下流にあるイグアスの滝あたりではものすごい迫力なんでしょう。

また、シッチオに行くと毎回いろいろな果物がなっているんですが、今日はカジューのおいしいヤツがなっていました。カジューというのは日本のカシューナッツのことですが、日本で見るカシューナッツとは少し違います。というか違わないんですけど、カシューナッツってナッツの下に大きな実がついているんです。こちらでカジューを食べるときには、この実の部分にガブリとかぶりつきます。すると中には甘い果汁がいっぱい入っていて、口の中にカジューの匂いが広がります。ちょっと渋みのある甘さで、人によってはこれがダメな人もいるようですが、超甘系が多いブラジルフルーツのなかで、カジューの甘さは控えめで、僕が一番大好きな果物のひとつです。

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カジューの実

もちろん果汁がたくさんあるカジューなので、ジュースにもします。ブラジルに来て初めて「Suco de Caju カジュージュース」というのを見たときは「カシューナッツのジュースかよ?」と思ってしばらく敬遠していましたが、今では一番大好きなジュースです。

他にもカジューの実をグラスに入れてちょっとつぶし、そこにピンガ(サトウキビ焼酎)を入れて飲むと、これもうまいんですよね。夏の暑い夜にシュハスコ片手に氷を浮かべながら飲むともうたまりません。

普通、シッチオなどでカジューを食べるときには、実の部分だけを食べて上についているナッツの部分は捨ててしまいます。もったいないことですがナッツの部分を炒ってカシューナッツにするのは大変な作業なんだそうです。ナッツに含まれる油はとても強いらしく、肌につくとやけどをしてしまい黒い跡が残るんだそうです。

そのカジューがたくさん取れるのはブラジルのノルデスチ(北東部)。ノルデスチの町を歩いているとたくさんのカジューを売っているし、カシューナッツもよく見かけます。また、カジューを原料にしたバーモント酢ともいうべきカジュイーナなどもあって、まさにカジュー王国でした。



2001年2月16日 金曜日

「東京には空がない」と言ったのは智恵子だったか誰だったか忘れましたが、ブラジルには空があります。

このところ毎日、夕方になると通り雨が降りますが、その時の空はとてもダイナミック。まず最初に絵に描いたようなドス黒い雲が遠くから近づいてきます。雲の下は薄暗く、叩きつけるように降っているであろう雨がここからでも白いヴェールのように見えます。その雲が近づいてくると、湿った風が猛烈に吹き荒れ、雨の到来を予告します。こうなったら5分程度でスコールの始まりです。何も見えないぐらい激しい雨と穏やかな雨が繰り返して降りますが、30分もすると、これまた絵に描いたような虹と、涼しい空気を残して雨は通りすぎてしまいます。

これに慣れてくると、たとえ外出中に通り雨に出会っても困りません。空が真っ黒でも風が吹かないうちはまだ大丈夫ですが、風が吹き始めると黄信号。走って家に帰らないといけません。

我が家は町じゅうが見渡せる四階にあるんですが、部屋の中で暑苦しいブラジルの空気にうだっている時に、遠くの方に黒雲が見えてくるととてもうれしくなります。雨が降れば涼しくなりますからね。そして部屋の窓から通り雨の一部始終を眺めるのが最高の贅沢。光と雲と雨がおりなすショーが終わると、窓からは涼しい風が流れ込んできて思いっきり深呼吸です。

ブラジルに来る以前は、東京に10年ほど住んでいましたが、ビルとビルに囲まれた空のない世界にいると、雨は空からの一方的な嫌がらせのような気がしてあまり好きではありませんでした。しかしブラジルに来て空と対話する生活を続けていると、雨も嫌なものではなくなりました。熱く乾いた大地に潤いと涼しさを与えてくれる雨は、まさに天の恵みです。

ame

アマゾンのスコール



2001年2月15日 木曜日

どうも日本は潜水艦問題と沖縄問題で森総理の退陣に向けて動き出しているようですね。でもホームページからの情報だけなので、よく分からないことがあります。

沖縄問題のひとつで『ヘイルストン4軍調整官が稲嶺恵一知事らを中傷する電子メールを部下に出した』という記事を見かけますが、これってなんなんでしょうね。詳しいことを知らないんですが、もし調整官と部下の個人的なメールだったら問題ないんじゃないでしょうか?

というのも個人的にメールは会話みたいなもので、いわば飲み屋で話すようなものです。その内容についてまでたたかれたらたまったものじゃありません。おちおちメールも送れなくなっちゃいます。

第一、個人メールだとしたら、そのメールをどこから入手したんでしょう。犯罪に関係のない人の個人メールを正式なルートから手に入れることができるとは思えないので、非合法なルートから手に入れたんだと思います。もしそうだとすると、そんなメールをもとにして人を非難するのは、ルール違反ですよね。

もちろん中傷された知事としては気持ちのいいもんじゃないでしょうが、やはり非難は正当な情報源に対してしてほしいものです。

もちろん公的メールに書いてあったのなら自業自得ですが。

ついでに僕の数少ないニュースソースの朝日新聞ホームページで、強盗強姦の記事がありました。記事は判決を伝えるニュースで、犯人は「性的非道の限りを尽くした犯行は、同年齢の児童やその保護者に強い不安感を抱かせるもので、模倣性のある犯罪であることも軽視できない」という理由により無期懲役になったんですが、その後に書いてあった記事に驚きました。

なんと犯行の手口をこと細かく書いてあるんです。まったく驚いてしまいました。『模倣性のある犯罪』の手口を記事で詳しく書くということは全国の犯罪者予備軍に「こうやったら強盗強姦ができますよ!」と教えたいんでしょうか。朝日新聞もありがたいですね。。

本当のところは記者の下心的好奇心、もしくは下心的読者うけをねらった記事なんでしょうが、もうちょっと考えてから記事にしてもらいたいもんです。



2001年2月14日 水曜日

毎月購読している雑誌に「TERRA」というのがあります。アウトドア雑誌で、ブラジル各地の美しい自然を紹介していて、今回のノルデスチ旅行でも参考にさせてもらいました。その今月号の記事に「生まれ変わるチエテ川」という記事がありました。チエテ川とはうちの近くを流れる川で、僕の釣り話の舞台となっているところです。

このチエテ川、地図を見てもらうと分かりますが、奇妙な川です。サン・パウロ市の西方、大西洋から100kmも離れていないところが源流ですが、そこから川は大西洋とは反対方向の北西にすすみ、我が町の近くを通り、サン・パウロ州マト・グロッソ・ド・スウ州の州境を流れるパラナ川に流れ込みます。さらにこのパラナ川はイグアスの滝のすぐそばを通り、こんどはパラグアイ・アルゼンチンの国境に沿って流れ、最後はラプラタ川に合流してブエノス・アイレスまで流れていくんです。

さて、この川はサン・パウロ市内を流れていますが、サン・パウロ市の汚水がモロに流れ込み、ヘドロの川となっています。チエテ川沿いの道路から見ると川は真っ黒で、ものすごい悪臭です。しかも最悪なことに、川幅が狭いので大雨が降るとすぐに増水し、まわりの道路や家々にあふれ出るので衛生上とっても良くない川となっています。

「生まれ変わるチエテ川」の記事を見ると、「そんなチエテ川も250km下流ではきれいな川に戻る。」と書いてありましたが、にわかには信じられません。だいたいブラジルには下水なんてなさそうだから何でも垂れ流しだと思うし。

という話を地元の人に言ったら「あんた、知らないの?この町は、ブラジルでも唯一、下水道普及率100%の町なのよ!」と言われました。市の郊外には下水処理場があるそうで、そこで処理した水しか流さないんだそうです。

また、別の機会に大家さんと話していたときもこの話になり、「世界保健機構が発表した、データによると、この町はブラジルの住み良い町ランキングで5位、衛生ランキングでは3位になっているんだよ。」と教えてもらいました。

ブラジル人が言うところの唯一とか5位とかの話は眉唾ものですが、この町の衛生状態がブラジル平均ではかなり高いというのは本当のようです。実際に町を歩いてみてもゴミも落ちていないし、不潔な印象を持ったことはありません。それに名水の産地でもあるので、お風呂に入ると肌がきれいになるし確かにいいところのようです。

そんな恵まれた町に暮らしている僕が見ているブラジルは世間一般で言われているブラジルの本当の姿とは違うのかもしれませんね。このページを見る人も、そのあたりご注意ください。



2001年2月13日 火曜日

長い旅行から帰ってきたら、帰国まで残り二ヶ月。まだまだ先と思っていたけどもうそろそろブラジル生活も終り。先日帰りの切符を手配しましたが、ちょっとさびしいもんですね。

そんな忙しい(はずの)日々なのに、こんなものにハマってしまいました。

このページを見てもらえれば分かると思いますが、ホームページのURLから戦闘力などを計算し、ホームページどうしが対決するという単純明快なもの。しかしやってみたらやめられません。手始めにこのホームページの全てのページで挑戦してみましたが、なかなか優秀なページは見つかりません。挙句の果てにはURL戦争のためだけにいろいろなURLのページをつくってひとつづつ試す始末。そしてこんなホームページまで一気に作ってしまいました。

昨日更新しなかったのも、掲示板の返事をまだ書いていないのも、メールの返事も書いていないのも僕が悪いんじゃありません。こいつが悪かったんです。

昔から地道系のゲームには目がないんですよね。僕は。

どれぐらい地道かといえば、ファイナル・ファンタジー7で最後の召還クリスタル "Knights of Round" をマスターレベルまで育てて増殖させて3つにまで増やしたと言えば、どれだけ僕が人生を無駄に使ってきたか分かる人には分かるでしょう。もちろんセーブ画面で表示されるプレイ時間が99時間59分でカウンターストップしていたことは言うまでもありません。

*     *     *

さて、旅の話にもどりますが、今回旅したのはブラジルでも特に暑さが厳しいと言われる北東部と北部。さすがに夜になれば涼しい南部とはちがって、日差しもきつければ湿度も高く、夜の暑さに苦しむ夜になかされました。

それほど暑いとなるとおいしいのがビール…

と言いたいところですが、飲まなくなりましたねぇ。ビール。

もともと酒にはめっぽう弱く、すぐに真っ赤になる僕ですが、日本にいる頃はみんなで集まったら「何はなくともまずはビールだろう」ということで人並みには飲んでいました。しかしブラジル日系社会ではそれほどビールを飲まないことは以前「酒は飲め飲め飲むならば」に書きました。そんな中で暮らしていくうちに酒の席が減り、だんだんと酒量が減っていったので、蒸し暑い夜にもそれほどビールが恋しくなくなってきたんです。ということでノルデスチ旅行中はほとんどアルコール類は飲みませんでした。日本の友人と一緒の時だけは飲みましたが、たまに飲むとあんまりおいしくありません。ビールをはじめて飲んだ子供のころのようで、なにか苦く感じてしまいます。

ということでこれを期に、日本に帰っても酒なし生活を送ろうと思っています。これを読んでいる友人達もそのつもりで帰国歓迎会の準備をするように。

そのブラジルのビールと言えば、どうしても納得できないので「つまみなし」ということ。日本だったら「すきっ腹にアルコールは体によくないので、何か食べながら飲みなさい」なんていいますが、こっちでは何も食べずに飲むのが主流。たまに塩をなめながらビールを飲む人もいますが、ブラジル人がビールを飲んでいるテーブルを見ると、食べ物なんか全くなくて、ゴロゴロとビール瓶が林立しています。日本的に考えるとすぐに酔っ払いそうなんですが、僕みたいに赤い顔をしている人もいないようで、やっぱりアジア人とは体の構造が違うんでしょうか。

そんなにすぐ赤くなる僕のことは生徒もよく知っていて、「先生、いつも真っ赤だね」なんて言われるのは日常茶飯事。おかげで僕のイメージキャラクターまで作ってもらいました。僕の名前の発音はポルトガル語の「立方体」という言葉と全く同じなので、僕のイメージキャラクターは「立方体」。しかも酒を飲むと赤くなるので「赤い立方体」です。なんか赤い彗星のシャアみたいで格好いい。



2001年2月11日 日曜日

第二次ブラジル北東部旅行から帰ってきました。旅行記は後ほどということで、簡単な旅程です。いつもと文体を変えてみたりしてます。

○1月26日 夜行バスでブラジリア( Brasilia )へ

○1月26日 飛行機でテレジーナ( Teresina )へ
友人に「テレジーナに行く!」と言うと驚かれるぐらいの何もないところ。でもピアウイー州( Piaui )の州都。地元の人達に「ここは忘れられた首都さ、あんたらパウリスタ(サン・パウロ州の住人)もピアウイーなんて全然興味ないだろ?」と言われるが、まったく図星。

○1月27日 バスでパルナイーバ( Parnaiba )へ
テレジーナにいてもしょうがないので海岸沿いのパルナイーバへ移動。ここは昔の港町で、その当時のおもかげを再現し、観光の目玉にしているけど、なんかショボい。

○1月28日 デルタ観光
デルタってのがよく分かってないけど、ガイドやパンフレットを読むと、アメリカ大陸で唯一、海岸に向かって開けた三角州地帯みたい。実際マングローブとかが茂っていたけど、アマゾンとあんまり変わらないような気がした。

○1月29日 休養日
次の町に移動する船が30日しかないので強制的に休養。携帯中のパソコンで「上海」をやっていたら、いつの間にか夕方になっていてちょっとブルー。

○1月30日 船でトゥトイア( Tutoia )に移動
デルタ地帯を縫うように走る小船でお隣のマラニョン州( Maranhao )のトゥトイアまで移動。28日のデルタ観光とほとんど同じ景色で、これだったらわざわざ金払って一日ツアーに参加するんじゃなかった。

○1月31日 バヘイリーニャス( Barreirinhas )へ移動
どの地図を見てもトゥトイア→バヘイリーニャスの間には道路の表示はないけど、ガイドを読むと「4WDなら走破できる」と書いてあるのでチャレンジ。パリダカと同じような荒地をパリダカと同じように暴走する車に衝撃を受け、「2度とパリダカには出ん!」とパリダカ出走前に決める。

○2月1日  レンソーイス・マラニャエンセ ( Lencois Maranhense )観光
このあたりは連なる砂丘の間に七色の湖が転々と広がるところとして自然愛好者の間ではつとに有名なところ。早速ツアーに出てみるが、「雨季が始まったばかりの今は、まだ湖なんて出来てないよ」と言われてショック。行ってみても全然湖がなくて、単なるきれいな砂丘の連続。ジープの屋根の上に座ってたけど、猛烈な雨にびしょぬれになり、何のために行ったのか分からなくなる。

○2月2日  ボートツアーのあとサン・ルイス( Sao Luis )に移動
今日は夜行バスでサン・ルイス移動だからのんびりしようと思っていたら、ツアー会社のおばちゃんに猛烈なアタックをくらい、ボート一日ツアーに参加。あまり期待しなかったバチがあたったのか、またもや猛烈な雨にやられ、二日連続でびしょぬれ。でも目的地に着いたときには雨もあがりなんとか観光。そこは海のそばの小さい村で、家が数軒あるだけなのにやたら立派な宿があったりと、ドラクエなんかのRPGに出てくる典型的な南の島の村。

○2月3日  サン・ルイス観光
17世紀のフランスの面影が残る町。でも世界遺産に指定されるまでは荒れ放題だったとか。ついでに住民も世界遺産には反対のようで、観光客と住民の価値観の違いのほうが興味深い。古都で売りだし中のオリンダ( Olinsa こちらも世界遺産)なんかよりもよっぽど面白かった。

○2月4日  夜行バスでベレーン ( Belem )に移動
アマゾン中流のサンタレン ( Santarem )方面に電話をかけてみたら「あんたベレーンまで来てサンタレンに来ないの?」と詰め寄られ、急遽予定を変更してサンタレンに行くことに決定。そのため本日ベレーンに向けて出発。ちなみに日曜日のサン・ルイスは車も走ってなければ店も開いていないという最悪の状況で、食事場所を探すのに苦労。

○2月5日  ベレーンからトメアス( Tome Acu )に移動
今回のベレーン観光の目玉、トメアスに移動。トメアスはアマゾンで最初に日本人が入植したコロニアで、今でも北部日系コロニアの一大中心地。それよりも今回の旅行で初めて窓のある部屋にとまって感動。

○2月6日  トメアスぶらぶら
ジャングルの中の寒村を予想してたけど、かなり立派な町。でも500mほどの大通り以外には道もなくて、その道には巨木を満載したトラックが右往左往。銀行強盗も多いそうで、まったく現代版西部劇の世界を堪能。トメアス日系社会は思った以上に結束力があり、JICAとの協力体制も万全でちょっとうらやましく思う。

○2月7日  ベレーンに移動
テコテコ(セスナ機)でベレーンに行こうと思ったけど、今日は客が集まらなくて飛ばないと言われてしまう。しょうがないのでバスでベレーンに移動。途中バスごと渡し舟に乗ってアマゾンを渡るときには「やっぱアマゾンだよな」と意味不明の感慨を抱く。

○2月8日  サンタレン観光
朝一番の飛行機でサンタレンに移動。そこで友人達と落ち合い、近くのビーチリゾート、アウテール・ド・ション( Alter do Chao )でのんびりとする。小さい村ながらかなり立派なインジオ博物館があり、ひそかな感動。

○2月9日  サンタレン観光ののち、ベレーンに移動
たぶんこれが最後のサンタレン訪問になるだろうと思いながらの観光。途中でアマゾン地域限定の人気音楽ブレーガの最新CDを入手してホクホク。

○2月10日 サン・パウロへ
午前中、アマゾン最大の市場、ヴェル・オ・ペーゾ( Ver o Peso )をふらふら。市場好きだったら一日いても飽きないぐらいの素晴らしい市場。アマゾン奥地の秘薬から人間と同じくらい大きい魚、ペスカーダ( Pescada )までなんでもありの市場。午後の飛行機でサン・パウロに帰るので後ろ髪を引かれる思いで後にする。

○感想

ノルデスチは奥が深い。今回は海沿いを中心に行ったけど、華やかなところと貧しいところの落差が大きく、サン・パウロに住んでいては分からなかったブラジルの本当の姿を知る。「南米は決して明るく陽気なだけではない!明るさの裏には底無しの暗闇がある。」という思いを強くする。

ちなみに今回も日本人に会わなかった。というか、この二年間、サン・パウロのリベルダージをのぞいて旅先で日本人に会うことはほとんどなし。ブラジル政府の今後の売りこみに期待。


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