日本生活リハビリ日記は続きます。
さて、今日はミスタードーナツに行ってみたんですが、なんかヘン。店に入って、注文しようと思っていたら言われたのが。
「お客様は、お持ち帰りでよろしかったでしょうか?」
持ち帰るか店内で食べるか、まだ何も言っていないのに「よろしかったでしょうか?」です。僕の文法感覚では、僕が「持ちかえります」と言った後で、確認のために聞くときに「よろしかったでしょうか?」ってのを使うんだけどなぁ。
そんなん昔から使ってたよ!
という向きもあるかもしれません。僕も日本語教師の一員なんで、そういった言い方が北海道や三重県地方にあることは知ってたし、実際に三重県の喫茶店で「紅茶にはお砂糖がいりましたでしょうか?」と聞かれたときには「おお〜これが噂の『でした』かぁ!」と思ったものです。
それにしても2年前の福岡ではこの言い方をしていなかったと思うんですが、いつの間にか全国区になってしまったんでしょうか。もし、「らぬき言葉」のような若者用語なんだとしたら、僕はもうついて行けませんね。「らぬき言葉」は年配者にとって、とても癇に障る表現のようで「最近の日本語は乱れている」と言われていますが、僕はまったく抵抗なく「らぬき言葉」を使っています。逆に「年配の人達はアタマ固いっすよぉ」なんて思っていました。しかし、「でした言葉」は僕には抵抗が大きすぎ。使いたくもないし、聞きたくもありません。「でした言葉」を普通に使っている人達からすると、「アタマ固いっすよぉ」なんでしょうね。
なんだか2年間のブラジル生活のせいじゃなくて、自分の年齢の問題のような気がします。
30にして頭が硬化中
しかしミスドの客さばきの悪さは2年前からちっとも変わってなくて、ちょっと安心。
「日々の記録」も復活しました。
日本に帰ってきて2週間になりますが、あっという間に慣れてしまいました。慣れたと言うか、二年間のブラジル生活がスッポリ抜けてしまい、ブラジルに行くまで住んでいた東京生活の記憶とつながったような感じです。
日本に帰ってきて「??」と思うこと、嫌なこともあり、以前だったら「日本は○○だからダメ!」みたいなことを言っていたかもしれませんが、ブラジル生活の中で「良い面と悪い面は表裏一体だから、悪いところばかりを見てはいけない」ということを学んだ後だったので不思議と気になりませんでした。
その他「自分も変わったなぁ」と思うのはマンガ。以前はマンガの発売日になるとコンビニに行って立ち読みしていたんですが、今、週刊誌を見ても知らない連載ばかり。2年のブランクは大きいんでしょうか。でも見比べてみると、少年ジャンプのような低年齢向けのマンガ雑誌は回転が速いのか、ほとんど知らないマンガばかりでした。逆にビッグ・コミックのような高年齢向けの雑誌は2年前と変わらない連載が多くてホッとしました。でも話の流れが分からないので内容が理解できないことも多いんですけどね。その点、「ゴルゴ13」は読みきりのものが多いので助かります。
それに日本の町って静かですねぇ。
成田に着いた後、リムジンバスで移動したんですが、ブラジルから一緒に帰ってきた友人と大声で話していて顰蹙を買ってしまいました。確かに、ブラジルにいた時に「ブラジル人って声がでけえよなぁ」と思っていましたが、知らず知らずのうちに感染していたみたいです。最近では静かに話すようになりましたが、なんだか小声でヒソヒソ話しているような気分です。
町に出てみても、ブラジルではおなじみだった大音量音楽が聞こえてきません。ブラジルの町を歩いているとどこかからか音楽が聞こえてくるんですよね。しかし日本の町には音楽がありません。その分、風の音とか鳥の声とかがよく聞こえてくるのでいいですね。自然が近く感じられます。
今、意味も無くNHKの「スペイン語講座」を見ながら書いていますが、今時の若い学習者向けなのか軽いタッチの番組です。アロハシャツの明るいお兄さんが司会者で、講師の先生までアロハシャツにパナマ帽をかぶっていました。その他にも極彩色の背景とか使っていますが、ラテンってそんなイメージなんですね。そう思うと、僕が住んでいたブラジルの町は、そんなムンド・ラティーノ(ラテンの世界)とは縁の遠い世界ですね。
しかし、番組のなかでひとつだけ気になったことがあります。アロハシャツの講師の先生が「はい、OKです!」って言うときに、人差し指と親指で丸を作る、日本式の「OK」のジェスチャーをやってましたね。日本だからいいのかもしれませんが、ブラジルでは「ケツの穴」って意味で、人前ではあんまり使いません。たしか他のラテン社会でも同じ意味だったと思うけど、そのあたりまで気を使って番組を作ってほしいもんです。ブラジルの経験では、間違った言葉を使っても「外国人だからしょうがないよね」と大目に見てもらえますが、ジェスチャーの間違いは無意識レベルの不愉快感を与えるので結構ヤバイんですよね。
そうそう、司会のお兄ちゃんがナントカ・タイラって言う名前で、顔も日本人の混血みたいでした。出稼ぎ時代の世相の現れでしょうか。
まだまだ日本に来て感じたことがありますが、おいおい書いていきます。
水曜のサッカー中継で、リベルタドーレスの一次リーグの「パウメイラス×セロ・ポルテーニョ」の試合をやっていましたが、セロに広山がいました。セロに武田が行ったのは憶えていましたが、その後に広山が来ていたとは知りませんでした。「日本のプレオリンピック代表選手にも選ばれています」と解説者が言ってましたが、なかなかいい選手ですね。なんでもリベルタドーレスに出場した最初の日本人選手だとか。今後に期待したいです。
サッカーの前に、いつもようにカショーホケンチ(ホットドッグ)屋に行って来たんですが、店のオヤジが、「6ヘアルだよ」と言うところを「6クルゼイロだよ」って言ってました。クルゼイロというのはブラジルの昔の通貨ですが、これを聞いて、日本のオヤジが「3000円」と言うのを「はい、3000万円ね」とか「はい、三千両!」とか言っているのを思い出しました。世の東西を問わず、オヤジの考えることは同じですね。
これに似たような話で、日系人の年配者と話していると「ヘアル」の代わりに「ミル」とか「コント」と言っているのをよく聞きます。ミル(本来はミルレース)やコントというのは移民時代のブラジル通貨ですが、彼らにとっては数年で切り替わってしまうような新しい通貨名よりも昔からなじんでいる通貨の方が分かりやすいんでしょうね。ここ100年以上「円」しか使っていない日本ではお目にかかれない光景です。
と、書いていて、日本にも似たようなのがあるのを思い出しました。それは「平成」。僕のような昭和生まれの人にとって「昭和」はなじみ深いものがありますが、「平成」は未だになじめません。日本にいるときでも「今年って平成何年だっけ?」と聞くことが多く、生活の中でも平成よりも西暦を使っていたんですが、ブラジルに来て以来、今年が平成何年なのか全く分からなくなってしまいました。いつの日か平成も終わり新しい元号になってしまったら、もう元号なんて使われなくなってしまうんじゃないんでしょうか。
ブラジル生活も残り1週間を切り、いろいろと忙しい毎日なのに行ってしまいました。またまた釣りです。
今日もいい天気で、4月とはいえまだまだ強烈な日差しに焼かれ、さらに黒くなってしまいました。最近は顔グロもいなくなったそうで、日本に帰ったら浮いてしまいそうな気がします。
毎回毎回釣りに行くときはいい天気で雨なんか一度もないので、今更「僕は晴れ男だ!」なんて思いもしないんですが、そんな天気を見ながら「晴れ男、雨男」について考えてしまいました。
晴れ男、雨男なんて言っていますが、本当にその人が来れば晴れたり、雨が降ったりするとは思えません。天気なんて人間には関係の無いものなんで、長いスパンで見れば、個人が雨に遭遇する確立なんて変わるはずもありません。そうすると、晴れ男、雨男というのは主観的な問題なんだと思います。
例えば、あるところの平均的な雨の確立が30%で、10日で3日雨に降られるとします。このとき「いや〜7日も晴れるとは、やっぱり僕は晴れ男だ。」と思うか「3日も雨に降られる僕って、雨男なの?」と思うのかの違いでしょう。つまり同じ事柄があったときに、その肯定的な側面を見る人が晴れ男で、否定的な側面を見るのが雨男なんではないでしょうか。(「雨は否定的なものではない」という意見も一理ありますが、晴れ男、雨男という時は雨をネガティブにとらえていることが多いと思います。)
と言うわけで、僕は晴れ男を自称する人はプラス思考の人で、雨男を自称する人はマイナス思考の人だと考えています。
土日と送別会続きでした。みなさんどうもありがとう。
送別会でいろいろと話しこんでいるうちに、なぜか遺産相続の話になりました。日系人には日本に親戚がいる人も多く、中には日本にいる親の死亡時に遺産相続の意思を尋ねられる人もいるとか。身の回りの人達を見るかぎり、「遠い日本の遺産なんかアテにしていないから、日本にいる兄弟達で分けたらいい」と寛容な人が多いですね。一方、多民族国家ブラジルにはヨーロッパ本国に親戚がいる人も多いんですが、彼らの場合、一円でももらえるなら喜んでヨーロッパまで行くとの話。この話をしてくれたのはそれほど生活には困っていない日系人なので話半分に聞かないといけませんが、全般に日系人は他のブラジル人に比べるとお金に対する執着心が少ないように思います。「武士は食わねど高楊枝」の心がけなのかもしれません。(じゃあ出稼ぎはナンだ!と言われると困ってしまいますが。)
遺産相続と言えば、親族がくんずほぐれつの泥仕合を繰り広げることが多いのは日本もブラジルも同じですが、ブラジルには面白い法律があるみたいです。よく財産を持った高齢者と若い人が結婚すると「あいつは財産ねらいに違いない!」と噂されますが、その点、ブラジルはとってもドライ。60歳以上の人と結婚した場合、たとえ相手が死んでも財産は配偶者には渡らないんだそうです。もう少し詳しく説明すると、60歳以上の人が結婚しても、財産は夫名義、妻名義に厳格に分けられ、どちらかが亡くなった場合、それぞれの名義の財産は配偶者に相続されず、子供が相続するんだそうです。なるほど、この法律があれば財産目当ての結婚は減少しそうですが、そこはブラジル、たくさんの抜け穴があるんでしょう。
さて、遺産、子供といえば、子作りの話に飛ぶのは夜の常識。この日もそんな話になりましたが、「うちの人はもう6時半だから、浮気なんて出来ないよ」と言われ「???」。わけを聞いてみたところ、時計の針が理由なんだそうです。6時半には短針も長針も真下に向いていますよね。つまり男性のナニも下を向いたままで役に立たないということ。逆に「正午」のナニというのはもうビンビンに屹立している状態なんだとか。
「で、先生は何時?」
と聞かれてしまい、思わず考え込んでしまいました。
「う〜ん2時ぐらいかな?」
多分…