ファランポーン駅の近くのジュライホテルが潰れる前の話です。 ジュライの近くに茶室が何件かありました。(茶室もいまは壊滅状態みたいですが)そのうちの一つは部屋が16室ほどありその真ん中に廊下があるという構造で、その部屋の一室でお茶を飲んでいると女の子がよってきて、気にいった女の子をつれて他の部屋にはいります。その茶室には当時明るく気のいい女の子が一人いて、あまり美人ではないけれど人気があり、童貞のままタイにやってきた日本の大学生には必ずと言っていいほど彼女が選ばれ「童貞キラー」としても有名でした。私もその娘と何回かしたのですが、セックスそのものはいいのですがフェラチオがないのが南米帰りの私にはちょっとものたりませんでした。でも当時、彼女と一発する値段は100バーツ(当時1バーツ5円くらいだった)だったので贅沢は言えませんでしたが。その茶室ではつけている番号札の色によって100バーツの娘と70バーツの娘がいて70バーツの娘はだいたいブスでした。 その70バーツの子の中にタウはいました。ある日茶室で会った人に「この娘はタウは70バーツだけれど、なかなかプロフェッショナルな仕事をするよ」と言われトライしてみました。そしたら、個室にはいるなりいきなりの生フェラが始まりました。タウはブスだったので「自分の股間に顔を埋める美女の顔を眺める」という精神的な悦びも得ることはできませんし、はっきりそれほど上手というわけではありませんでしたが、なんと言っても350円の生フェラなんですから文句は言えません。 5分ほど舐めてもらいコンドームをするとタウはうつ伏せになりお尻を高く上げて挿入をせがんできます。後ろから挿入するとタイ語で何かつぶやきながら絶頂をむかえます。体位を変えたりするまもありません。しまりは結構よかったのでそのまま腰を降り続け射精しました。チップを20バーツほどあげると喜び、両手を胸の前で合わせて合掌し「コックンカー(ありがとう)」と言います。そのしぐさがとても可愛いいのです。(顔はブスだけれど)結局その娘には1週間ほど通ってしまいました。(夜は毎日パッポンで飲み歩いていた)ちなみに1週間毎日同じ行程でした。まず生フェラ。そして必ずバックからの挿入。そして20バーツのチップ。合掌してのお礼。僕はタイ語が殆どできないし、タウはタイ語以外喋らないので意志の疎通が難しかったせいもあるし、タウはけっこうブスだったのでバックからのほうが僕もよかったっていうのもあるけど。でも1週間毎日セックスをしたのに、たったひとつの体位しかしなかったのはあとにも先にもこの娘だけです。 |