死ぬことは素晴らしい



シドニーオリンピックに向けてますますオーストラリアブームは加熱しそうです。

私も数年前にオーストラリアに1ヶ月ほど滞在した経験があり、以来すっかりオー
ストラリアファンになりました。                                          



オーストラリアの国語はもちろん英語。でもオーストラリア英語はブリティッシュ

英語やアメリカ英語とはまた違った特徴を持っています。良く知られている特徴と

しては a をアイと発音すること。                                             

例えばtodayを(ツゥダイ)と発音するためToday is fine.(今日はいい天気だ)が      

To die is fine.(死ぬことはすばらしい)と聞こえてしまいます。               



私も現地でタクシーに乗ったとき運転手がにこにこしながら「グッダイ」と言うので

なんのことかと思ったら「Good day!」(やあ、こんにちわ)のことでした。     

友達相手なら「Good day mate!」(やあ、こんにちわ相棒)となります(mate はメイトで

はなくマイトと発音)。                                                        



(注)オーストラリアでは単語の語尾に親しみを現す接尾語をよくつけます。      

school teacherはschoolie、footballはfootie、そしてAustralianはAussieとなり

ます。標題の オージー・イングリッシュ(Aussie English) はオーストラリア英語

のことです。                                                              



方言のない国



オーストラリア英語の特徴の一つに方言がないことがあります。あのような広大な

国土を持ちながら方言がないのは驚きです。彼等は言葉からはお互いの出身地が分

からないのです。でも全てのオーストラリア人がまったく同じ英語をしゃべってい

るというとそうではありません。私がステイしていたオーストラリア人と、近所に

住んでいたオーストラリア人は、私でも分かるくらい違う英語をしゃべっていまし

た。                                                                      



オーストラリアでは基本的には英国式の発音が「品格のある」発音と見なされてい

ます。人口の10%程度がこれに近い英語をしゃべっているとされています。それ

に対して非常にオーストラリアなまりの強い英語をしゃべる人たちも10%程度い

ると言われています。近所に住んでいた人がしゃべっていたのが(今から思えば)

これで、あまり口を大きく開けずにしゃべるため、非常に聞き取りにくいものでし

た。残りの80%程度が、その両方の中間の特徴を持つ英語をしゃべっています。

これが標準オーストラリア英語と言ってよさそうです。                        



ただ、個々のオーストラリア人がどの英語をしゃべるかというのはアメリカのよう

な地理的要因や、イギリスのような社会階層的要因によるものではなく、習慣的選

択によるものとされています。つまり同じ地域内でも混在しているし、それらを自

由に切り替えられる人もいるのです。もっとも私もしゃべる相手によって標準語、

徳島弁、大阪弁等を選択しますが。                                          



ロバの投票



意外と知られていないのですが、オーストラリアの国家元首はエリザベス女王です。

つまり、立憲君主制です。公的な施設には、公民館のようなものでも、エリザベス

女王の写真が飾られています。ただ、通常の国事行為などは首相が指名した連邦総

督が行います。しかし、21世紀までには共和制への移行が決定されたようです。



さて、オーストラリアの政治制度ですが、各州政府の上に連邦政府と、上下両院が

おかれています。上院74名(任期6年)、下院148名(任期3年)の議員から

なります。実質的な権限は下院が持っています。選挙は国民の「義務」とされてい

て正当な理由なく棄権することは禁止されています。                          



面白いのはその選挙制度です。投票用紙にはアルファベット順に候補者の名前が書

かれており、有権者は、自分が選ぶ優先順位毎に1、2、3、・・と番号を記入す

るのです。そして、第1順位に選ばれた候補者が有効投票の過半数を超えたなら、

当選となります。過半数に達しない場合は、第1順位の最も少ない候補者を落とし、

その候補者の得票を、それぞれ第2順位の候補者に上乗せします。これで過半数を

超える候補者が出れば当選、出なければ、さらに最下位の候補者を落とし、その第

2順位の候補者の・・・という作業を繰り返します。                          



問題は義務制であることも手伝って、上から適当に1、2、3と順位を書き込む不

心得者も少なくなく、アルファベットがAに近い候補(例えばBrownさん)が終わり

の方の候補者(例えばWhiteさん)より有利であるとも言われています。このような

不真面目な投票をオーストラリア英語では donky vote と呼びます。ちなみに浮動

票のことは swinging vote と言います。                                     



There were a lot of donkey votes in the last election.                    

(この前の選挙では大量の不真面目票があった)                              

The outcome of this election depend on the swinging voter.                

(今度の選挙の結果は浮動者層にかかっている)                              



彼女は行っちゃった。



オーストラリアには6つの州があります。クイーンズランド州、ニューサウスウェ

ールズ州、ビクトリア州、タスマニア州、サウスオーストラリア州、ウェスタンオ

ーストラリア州です。その他にノーザンテリトリー、オーストラリアンキャピタル

テリトリーという行政区があります。ノーザンテリトリーはクロコダイルダンディ

の出身地で、エアーズロックがあるところですね。オーストラリアンキャピタルテ

リトリーは連邦首都キャンベラとその周辺です。テリトリーと付くことから地域と

訳してある場合もあり、ノーザンテリトリーなどは日本の地図には北部地域とかひ

どい場合には北方領土などと書いてある場合もあります。名目上は連邦直轄地です

が、実際は準州とでも訳すべきで、他の州とほぼ同じ自治権を持っています。ただ、

連邦上院への議員の割り当てが州より少ないといった違いはありますが。        



私が滞在したのはクイーンズランド州の州都ブリスベンから北へ100Km程にあ

る小さな田舎町でした。オーストラリアの田舎町の特徴といってもいいのですが、

町の中心から少し離れると低い潅木群が(無限と言ってもいいほど)延々と広がっ

ています。というより、その中に集落や畑が点在しているのです。この潅木群はブ

ッシュ(bush)と呼ばれています。また、ブッシュダンスというフォークダンスのよ

うなダンスがあります。ギターやハーモニカ、オルガンをにぎやかに演奏しながら

男女が手を取り合って陽気に踊るもので、様々なステップがあります。私も一度ブ

ッシュダンスパーティに招かれました。なかなか楽しいものでした。もっとも都会

の若い人からはダサイと思われているようですが。まあ民謡ですね。            



もともとは籔とか茂みというこのブッシュという単語はオーストラリアでは田舎と

か僻地、奥地という意味でも使われます。転じて、田舎者、おおざっぱなという意

味もあります。                                                            



She has gone bush.  (彼女はどこか[遠いところへ]へ行ってしまった)      

He is a bush.       (彼は田舎者だ)                                      

It's the bush work. (それはいいかげんな仕事だ)                          



                                 まだまだ続くぞ。目標50回(無理かな)   



ベジマイトがなくなった・・・



実は私には大きな声では言えないんですが特技あります。実は私は              



     「納豆が食べられる」んです。                                    



関東の方は「何をばかげた事を」とおっしゃるかもしれません。が、納豆といえば

甘納豆のことだと思っていた私が、生まれて初めて納豆を食べたのは大学の学食だ

ったのです。その味といい臭いといい、大げさにいえばカルチャーショックといっ

てもいいのものでした。「こんな物を好んで食べる人種がいるのか」ってね。でも、

なんだかんだで、今でも食べてます。なれると結構クセになるってやつですね。え

っ、何の話だって?そうオーストラリアの話ですね。実はもう一つ特技があるんで

すよ。実は私は



     「ベジマイトが食べられる」んです。                              



「お〜、すごい!」と感心された方はなかなかのオーストラリア通ですね。ベジマ

イト(Vegemite)というのはパンやクラッカーなどに塗るペーストでオーストラリア

人の大好物です。ちょっと見は味噌にそっくりです。その強烈な臭いと味のため、

外国ではまったく人気がないのに、オーストラリア人の食生活には絶対欠かせない

物で、どの家庭の食卓にも必ず置いてあります。                              



でも特有の臭いと味はそうとう強烈で、初めて食べた時の感動?は納豆に通じる物

がありました(もちろん納豆とは全く違いますが)。どのくらい強烈かというと太

平洋戦争中にオーストラリア兵がこれの入った缶を日本軍のトーチカに投げ入れた

ところ、あまりの匂いに日本兵が逃げ出したという伝説があるくらいです。もちろ

ん笑い話でそんなにすごくはないのですが、これも慣れるとクセになります。帰国

の時はその大瓶を買って帰りました。                                        



え〜と、オージー・イングリッシュ入門ですから英語で落とさないといけませんね。

オーストラリア人の歌手オリビア・ニュートンジョンがアメリカから久しぶりに帰

国したとき、記者に理由を聞かれた彼女は                                    



I ran out of Vegemite.(ベジマイトがなくなったからよ)



お酒持ち込みOK



日本人観光客の起点となっているのが、ニューサウスウェールズ州の州都シドニー

です。私も東京→シドニー→ブリスベンというルートでした。                  



そのシドニーで日本人観光客が夜になると必ず訪れるのが KINGS CROSS というシド

ニー最大の歓楽街です。ここに来ると、オーストラリア人が外で酒を飲むという習

慣に乏しいのがわかります。この一説には南半球最大とも言われる歓楽街の規模は

、徳島市の歓楽街の数十分の一というところでしょう。ちなみにシドニーの人口は

約400万人、徳島市は約25万人です。目に付くのは観光客ばかりです。      



滞在中、酒には不自由しました。そもそも酒屋がないのです。飲み屋もない。もち

ろん探せばあるのでしょうが、とにかく極端に少ない。「ビールを飲みたい」とい

えばステイ先の家族が車で缶ビールを買ってきてくれたのですが、金を払おうとす

ると「おごりだよ」と言って受け取らない。で、あまり飲みたいと言いにくくって。



オーストラリアの法律では一般のレストランなどで酒類の販売許可を取るのが難し

く、その許可を取ったレストランを licensed restraurant と呼び、大きなセール

スポイントになるくらいです。許可のないレストランでは、酒は出せないけれど、

持ち込みはOKという所があります。これはB.Y.O.G.(BringYour Own Grog   

[grog=酒]) と言われます。後はパブですね。これはイギリスなどでも同じだと思い

ますが飲み屋の看板にパブと書いてあることはありません。パブとはパブリックハ

ウス=ホテルのことで、ホテルは酒類の販売許可を取りやすかった事に由来します。



あまり外で飲む習慣はないと言いましたが、金曜日の夜などはここで、一杯飲むの

を楽しみにしている人は結構いるようです。友達同士が三々五々集まって会話を楽

しむわけです。私は残念ながら行く機会はありませんでしたが。



Our hotel does not become crowded with too many people, and it is         

very pleasant after a hot day's work.                                     



おれたちのパブ(=hotel)はあまり混雑しないから、暑い日の仕事帰りなんかにはす

ごく楽しく飲めるよ。                                                      



優雅な高金利社会



オーストラリアでは長年にわたり高金利政策をとっています。金利は自由競争下に

あるため、同じ種類の預金でも金融機関により差があり、金融状況に対応して、年

に数回調整されます。残高にもよりますが、普通預金でも8%〜12%、定期預金

なら15%以上の金利が付く場合もあります。その分借りる方も大変で、住宅ロー

ンの金利は15%〜17%といったところです。ただし持ち家率は70%以上あり

ます。



高金利政策は、企業にとっては負担になるため、雇用問題を引き起こします。でも

失業保険が65歳の公的年金の支給開始まで無期限に支給されるために、日本ほど

深刻な問題ではありません。また、年金生活者にとっては非常に有利になります。



私の滞在した町は田舎町なのですが、海岸沿いはちょっとしたリゾートで、しゃれ

た別荘が並んだ地区があります。人工的な海岸(運河)が木の枝のように入り組ん

でいて、各戸の裏庭からクルーザーやボートに乗れるようになっているのです。そ

のうちの一軒を訪れる機会がありました。                                    



奥さんの手作りのケーキをいただきながら、いろいろ話をしました。話がお互いの

仕事に及んだときでした。何と彼は無職だと言うのです。無職たって、彼はどう見

ても40歳の前半、一人息子は小学生です。しかも家は大きくはないけど、しゃれ

た別荘風で、生活も贅沢ではないけど貧しくはないはずです。                  



話を聞くと、彼は以前証券会社で働いており、結婚したときに二人で「40歳にな

るまでは必死で働き、お金を貯めて、後は利子で優雅に暮らそう」と決めたとか。

高金利社会ならではのライフスタイルでしょうね。本を読んだり、スポーツをした

りの優雅な生活。いちばんの楽しみはボランティア活動だとか。                



え〜と、英語、英語。帰りは彼が車で送ってくれました。交差点でノロノロとどん

くさい運転をしていた車に向かって                                          



Have a go ya bloody mug!  (have a go = しっかりしろ)                      

                          (ya = you )                                     

                          (bloody = very )                                

                          (mug = まぬけ)                                  



なんか最後が強引でしたね。反省、反省。                                    



血だらけのコップ?



今回はまじめに英語の話を。前回                                            



Have a go ya bloody mug.                                                  



で終わりましたね。「しっかりしろ、このまぬけ!」という意味ですが、少し詳し

く解説しましょう。                                                        



go は普通は動詞ですが、口語では名詞として使われる場合もあります。辞書にも「

元気、気力」「機会、試み」「こまった事」「成功」「流行」などの意味が出てい

ます。



How about having a go on this one? (これを試してみたらどうかね)         

We made a go of it. (それは成功だった)                                  

He has plenty of go. (彼は元気いっぱいだった)                           

Here's a go! (これは困った)                                             

Those shoes are quite the go this year. (今年はあんな靴が大流行だ)      



mug はもちろん「柄のついたコップ」のことです。スラングとしては「ばか」の意

味があります。                                                            



I was a mug to get caught in that swindle.                                

(おれはばかだったよ、あんなペテンにひっかかるなんて)                    



ya は you のことで早口だと ya と発音するためです。                      



bloody を辞書で引くと「血まみれの」「むごたらしい」「残虐な」といった意味が

並んでいます。スラングとして使う場合は「すごく」という強調の形容詞、副詞と

して使われます。                                                          



You bloody fool! (この大バカ野郎め!)                                   

That's no bloody good. (そいつは全然だめた)                             

You've done a bloody marvellous job. (きみはじつにいい仕事をしたね)     



この言葉はあまり上品ではないので、古い文学作品では b---dy というように一部

が伏せ字になっている場合もあるほどです。オーストラリア人は特にこのbloodyを

好んで使います。あるアメリカ人が「彼等(オーストラリア人)の話す言葉の50

%がbloodyである」と言ったとか言わなかったとか。ちょうどアメリカンスラング

の fucking と同じ使われ方をします。でも fuck ほどの卑わいさはないと思います

が。



                     (注)用例の一部は以下より引用しました。            

                            研究社「新英和中辞典」                        

                            LONGMAN ACTIVE STUDY DICTIONARY OF ENGLISH    



俺たちはオーストラリア人さ



オーストラリア人は一般に友達を大切にし、人なつこく親切なようです。私が写真

を撮っていると誰かが「必ず」声を掛けてきて「撮ってあげようか」というのです。

道を歩いていて、少しでも迷ったようなそぶりでもしようものなら向こうから「ど

うしたんだい」と声をかけてくることなどしょっちゅうでした。                



シドニーの3日ほど滞在したときです。ある所まで行こうとバスに乗りました。オ

ーストラリアのバスは停留所でも地名を言いません。注意していたつもりだったの

ですが、乗り過ごしてしまったことに気がつき途中降車したのです。見当を付けて

歩き出したのですが、やぶ蛇で完全に道に迷ってしまったのです。              



もう夕方近かったので、目的地へ行くのは諦めてホテルまで帰ることにしました。

そして、通りかかった女性に「近くに駅はないか?」と聞いたのです。でも相当複

雑だったらしく、どうも言ってることがよくわかりません。「どこまで行きたいの

か」と聞くのでホテルの近くの駅名を答えたところ、説明するより簡単だとでも思

ったのか、なんとその駅までつれて行ってくれたのです(一時間近くかかりました

)。すべてのオーストラリア人がこんなに親切ではないにしても、言葉のよくわか

らない、道に迷った旅行者には感動ものでした。                              



外国人に親切にして、お礼を言われたとき彼等の口癖は                        

We are Australian, friendly people! (俺は親切なオーストラリア人さ!)    



彼等は自分たちが親切なこと、友達を大切にすることに誇りを持っているのでしょ

う。                                                                      

There's a strong bond of mateship among many Australian men. When your    

mate's in trouble, you've got to help him.                                

(オーストラリア男子には友情[mateship]という強いきずながある。友達が困って

いるときは助けないといけない)                                            



恐るべき短縮形



オーストラリアといえばワイン。オーストラリアは世界有数のワイン生産国なので

す。その割に知られていないのは、その95%が国内で消費されてしまいほとんど

輸出されていないため。ヨーロッパ風のビンテージワインは少なく、フレッシュな

ものが好まれます。特にサウスオーストラリア州のバロッサバレーの白ワインは銘

品とされています。実は帰国の数日前に、世話になったオーストラリア人と食事に

行ったのです。その町唯一の高級レストランでシーフードのフルコース。その時の

ワインがそれだったのです。美味しかったですよ。ロブスターやオイスターとよく

合うんですよ、これが。4人で約6万円という現地としては超高価なディナーでし

たが(経費で落としたりして・・・)。                                      



さて、ブロークンな英語でワイワイとおしゃべりを楽しみました。家族のこと仕事

のこと、彼我の文化の違いなど。最近のオーストラリア文化はアメリカの悪い影響

を受けているというのが彼(女)等の嘆きでした。アメリカ人はピストルとドラッ

グで退廃しているってね。特に英語の乱れをしきりに訴えていました。彼(女)等

は高い教育を受けているため「正当な英語」へのこだわりが強いのかもしれません。

私が外国人のせいもあってか、オージー・イングリシュはあまり使ってなかったよ

うです(aをアイと発音するのは別)。                                      



特に「単語をやたら短縮するのはいけない」としきりに言ってました。しかしこれ

をアメリカ人のせいにするのは酷と言うもの。短縮こそオージー・イングリッシュ

の真骨頂です。短縮好きのアメリカ人をして「しゃべる速記(verbal shorthand)」

と言わしめたほどです。                                                    



uni=university(大学),teev=TV(テレビ), vedge=vegetable(野菜)         

rep=representaive(代表),cuppa=a cup of tea(一杯のお茶)                

schoolie=school teacher(学校の先生),sckie=sick leave(病欠)            

compo=compensation(休業補償),prego=pregnant(妊娠した)等など           



おいしいワインをしたたか飲んでフラフラになった4人は車に乗り込み、夜の道を

猛スピードで家路についたのでありました。オーストラリアでも飲酒運転は当然禁

止されております。なお、運転したのは私ではありません。念のため。          



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いや〜、10回も続くとは思わなかったなあ。最初はオーストラリアなまりの英語

を紹介するつもりでしたが、すぐにそれ程英語を知らないことに気づきました(^^;)。

それでオージー・イングリッシュを(少し強引にですが)キーワードにして、私の

経験を交えてオーストラリアを語るといったスタイルになりました。今後もこのス

タンスは基本的に維持するつもりです。10回を区切りに少し小休止を頂いて再開

したいと思います。少し視点を変えたものになる予定です。よろしく。          



それは牛だ



フランス料理、イタリア料理はあってもイギリス料理なるものは聞かない。いやも

ちろんイギリス風の食べ物はあるが、料理といえるほど体系化されていないし、立

派なものでもない。そういえばアメリカ料理というのも聞かない。どうもアングロ

サクソン系は料理に疎いようだ。                                            



オーストラリアも例外ではない。とにかくシンプルにつきる。代表的なのがバーベ

キュー。BBQと書く。牛肉やラムチョップ(骨付きの羊肉)を鉄板にのせて焼き、

塩湖沼かトマトソースで味付けするだけだから簡単だ。オーストラリア人はこれが

好きで、どこの家にも煉瓦製のBBQサイトがある。日本風に付け合わせに野菜を

焼くこともない。せいぜいソーセージくらい。とにかく肉と豆は毎日のように食卓

に並ぶ。とにかく食生活は単調と言ってよい。主婦も毎日の料理にはあまり手間を

かけないようだ。あれだけ食素材が安く大量にあるのにあまり新鮮な料理が食卓に

登らず、加工品や冷凍品が多いのだ。                                        



オーストラリア人の単純な食生活や、肉が好きであまり野菜を食べない事について

は諸説がある。一説にはイギリスからオーストラリアまでの長い航海で乗員に配給

されたのが、塩漬け肉と豆だけで、野菜や果物がまったく配給されなかったからだ

とか。これはちょっと眉唾のような気がするが・・・。しかし、文化や習慣の中で

食習慣ほど強い永続性を持つものはない。初期の植民者が過酷な労働の中で体力を

維持し、しかも準備の時間をとられない単純な食習慣を形成しただろう事は想像に

堅くない。                                                                



BBQの他の代表的なオーストラリアの料理と言えばスコーンだろう。メリケン粉

とバターとミルクを混ぜてオーブンに入れ、高温で一気に焼き上げたもので、見か

けはパンそっくりだ。イースト菌で発酵させるような手間はかけない。これにたっ

ぷり生クリームやジャムをかけて食べる。あとはミートパイくらいだろうか。これ

は美味しかった。日本でもファーストフードで売っていることもあるが、本場のも

のに比べたら湿ったボール紙みたいなもんだ。スコーンとミートパイをうまく作る

ことは主婦のたしなみにもなっている。                                      



牛肉を多量に食べるせいだろうか。cow(雌牛)には変な用法がある。           

"How's your job?" (仕事はどうだい)                                     

"It's a cow."      (さんざんだよ)                                       



疲れちゃったよ



鉄道があまり発達していないオーストラリアでは車は必需品だ。都市部から少し離

れれば車以外の交通手段はまったくない。東海岸沿いの主要都市はフリーウェイで

結ばれている。ブッシュの真ん中を突ききって地平線まで延々と続くそれをすさま

じいスピードでとばす。そもそもオーストラリア人はよくとばす。高速道路だけで

なく、普通の道でもそうだ。自嘲的にオーストラリアン・クレージードライバーと

言っている。日本とは距離感が違うのだから仕方がない。                      



むこうではレンタカーを借りた。フォードのコンパクトカーだった。ドライブに出

かけたりもしたが、ほとんどは近場をうろうろする程度。恥ずかしい話だが道に迷

うのが恐かったのだ。なにしろ日本にいるときから方向感覚ゼロだった。言葉も景

色もまったく違う異国に来て何をかいわんや。日本と同じなのは車は左側を走ると

いうことだけだ。                                                          



そんな私が、なんと一人でブリスベンまで行くはめになった。これは不安と言う前

にほとんど無謀だ。ブリスベンまではともかく、それから市内に入って目的地まで

行けるだろうか。しかし今回のオーストラリア滞在で一番大切な仕事、地元のエー

ジェントへのあいさつと打ち合わせがある。片道約100Km。とにかく地図と道

路標識だけが頼りだ。でも行くしかない。                                    



道路標識というのは、その国の言葉がわからなくてもある程度意味が分かるような

ものが多い。空港が近づくと飛行機を描いた標識があって分かりやすい。いかにも

オーストラリアらしいといえばカンガルーの絵が描かれた標識。これは「カンガル

ー飛び出し注意」の意味。郊外でよく見かける。野生のカンガルーが道路へ飛び出

して車にはねられる事故が結構多いらしく、ドライバーに注意を促するためのもの

だ。道路標識ではないが、日本でも道路沿いに「マクドナルドまで2Km」といっ

た看板を見ることがある。こちらでは「マクドナルドまで40Km」とはやはり距

離感が違う。とにかく、クレイジードライバーに負けじとひたすら猛スピードで南

下する。                                                                  



ブリスベン市内との矢印に従ってフリーウェイを降りる。しばらくすると交差点が

あった。日本との違いで目立つのはこれだ。ロータリー方式とでも言うのだろうか。

何本かの道が交差する中心部が円形の道になっている。ちょうど晴れのお天気マー

ク(東京都の印?)のようだ。一方から来た車はその円形の道に入りぐるぐる回っ

て自分の行きたい道に入って離れて行く。もちろん町中の交差点は日本と同じだが、

郊外の交差点はこの形式のがよくある。信号機もいらないし、土地が十分にあれば

合理的な方法かもしれない。でも地理不案内の人間は少し困る。ぐるぐる回ってい

る内に、方向がまったく分からなくなってしまうのだ。自分がどの道から入ってき

たのかもわからなくなる。それぞれの道には地名を書いた標識があるにはあるが、

いったいどこへ入って良いのか分からない。停車して地図を見る。目的地方面と同

じ地名が書かれた標識がある。こちらに違いない。ふと気が付くと手のひらが汗で

びっしょりになっていた。                                                  



I'm done in after that long drive.                                        

(長い運転でたいへん疲れた。done in = tired)                             

                                                              (続く)      



万事、うまくいった。



オーストラリアで最も日照時間が長いため、別名サンシャインステートとも呼ばれ

るクイーンズランド州。7400Kmにも及ぶ海岸線には世界的なリゾートビーチが点在

する。マリンスポーツの好きには何と言ってもサーファーズパラダイスだろうが、

それは後日のお楽しみ。                                                    



さて、その州都ブリスベン(Brisbane)はブリスベン川の河口に発展した町だ。人口

は約120万人。州の人口の約半分が住む。平均気温は真冬のでも15.7度。真夏も

25.1度と過ごしやすい。100万都市にしては市の中心部はこじんまりとしている。

端から端まで30分くらいだろうか。あとは住宅地域や工業地域が点在して、それ

がフリーウェイでつながれているのだ。市街はブリスベン川で南北に分断されてい

る。それを結ぶ大動脈、ビクトリア橋をわたると、10分ほどで着くはずだ。ここ

らだろうと目星を付けて公衆電話を探す。あらかじめ聞いてあった電話番号に電話

をして無事場所を教えてもらうことができた。案ずるより生むが易とはこの事だ。

ほっ。                                                                    



さて、エージェントのオフィスは7階建てのビルの中にあった。受付で用件を告げ

ると個室に通される。大柄の50歳代の白人女性が大げさなジェスチャーで迎えて

くれた。日本風に名刺を交換した。Executive Administrator とある。自己紹介を

して、しばらくは世間話に花を咲かせる。オーストラリアを褒めちぎった。これは

社交辞令ではなく本心もかなりある。そのうちこちらの今後の方針やら見通しなど

も聞かれるままに答えた。                                                  



結構細かい話をした後でこちらもいろいろ質問したのだが、その中でケアンズの事

を聞いてみた。クイーンズランド州の北部にある町だ。他意はない。徳島県の日和

佐町というところがケアンズと姉妹都市なのだ。両方とも青ウミガメの産卵地とい

う共通点があって、そんな縁から縁組みをしたという。それでふとその名前が出た

に過ぎない。だが向こうは私がケアンズ地区に相当興味を持っていると思ったらし

い。内線でしばらくしゃべったと思ったらなんと「よかったらケアンズを視察して

みないか」と言う。来週ならケアンズの地区責任者が直接案内するというのだ。ど

うやら私がかなりの大物だと勘違いしているようだ。そう言えばこちらの名刺には

Chief of Educational Affairsと書いてあった。日本ではchief=主任といえばヒラ

同然だが、英語では最高責任者といった意味あいがある。でも訳したのは米国人ス

タッフだ。私の責任ではない。                                              



しかしこれはチャンスだ。旅費や宿泊費はこちら持ちだろうが、むこうの責任者が

わざわざガイド役をしてくれるの言うのだ。日本へ帰っても伝票が通るとは思えな

いが、最悪自腹を切ればよい。わざとらしく手帳をめくった後でOKした。飛行機

とホテルは予約してくれるという。ブリスベン空港での出発の時間だけを決めて、

とりあえず家路を急いだ。突然降ってわいたケアンズ旅行。やったぜ!瓢箪から駒

とはこのことだ。                                                          



Everything was beaut. (万事うまくいった beaut=very good)               



いい女だったのになあ



ブリスベンからフリーウェイをぶっ飛ばして無事帰宅・・・と言いたいところだが、

なんと出口を行き過ごしてしまうというミスをしてしまった。しかも広いオースト

ラリアのこと、次の出口が何十キロ先かわからない。しかも、あたりは暗くなって

きた。で、あたりに車が見あたらないのを幸い、反対車線に移るという暴挙に出た。

反対車線と言っても車線の間は3mほどの芝生で、ところどころ木が植えてあるだ

け。スピードをぐっとおとし、「オーストラリアでも違法なんだろうな」と思いな

がら、えいゃ。                                                            



オーストラリアで夜の道を運転するのは初めて。後ろから来る車のライトがやけに

眩しい。オーストラリアの車には日本では当たり前の防眩ミラーが付いていないの

だ。車と言えば、どの車の窓にも何ていうんだろうか透明プラスチック製のでっか

いカバーが付いている。最近日本でもRVに付いているやつだ。ほこり避けだろう

か。冷房が付いてない車も多い。日本ほど多湿でないせいかもしれない。とにかく

少し不安だったが無事帰宅。                                                



私の滞在していた家のご主人はウェスタン・オーストラリア州のダンピアという小

さな町(といっても地図にも載っている)の出身。奥さんはニュージーランドはウ

ェリントン出身のニュージーランド人。高校を出てシンガポールで働いていた彼女

がたまたまご主人の住んでいた町を訪れて出会い、そして結婚したという。しばら

くはそこで夫婦で働いていた。しかしある時意を決して貯金をはたいてキャンピン

グカーを買い、オーストラリア中を旅をして回ったそうだ。そして、通りかかった

だけで縁もゆかりもないこの町が気に入り住みついたとか。ケアンズも訪れたこと

があるという。話を聞くと二人が訪れた中ではもっとも美しい所の一つという。楽

しみだ。                                                                  



さて、一週間後、手回り品をバッグに詰め込み、再び、フリーウェイを南下してブ

リスベン空港へ。車をLong Term用の駐車場へ入れ、国内線待合所へ。エージェント

の担当者がチケットを渡してくれた。向こうの空港でケアンズ地区のエリア責任者

が待っているという。                                                      



ケアンズはオーストラリアの北部ブリスベンの北1766Km、ヨーク岬半島の付

け根にある。距離的にはブリスベンよりニューギニアのほうが近い。人口は780

00人。年間降雨量が2001mm、年間平均降雨日数は161日。気温は一年を

通して約25度。グレートバリアリーフの玄関としてあまりに有名だ。また、近く

にはオーストラリア有数のマウンテン・リゾート、アサートン台地がある。今回は

わずか2泊3日の滞在のため、二カ所ともちょっと行けそうにない。飛行機から下

を見ると、左には延々と真っ黒の低潅木地帯が広がる。所々川が蛇行する。はるか

左にはGreat Dividing山脈が横たわり、Great Artesian盆地、その向こうは砂漠地

帯だ。日本の緻密な景色とはやはり違う。                                    



空港に着いたのは夜の8時。あたりは真っ暗だ。日本からの直行便もあるという国

際空港だが、そこは10万人もいない小さな町だ。空港はごくこじんまりしている。

徳島空港とドッコイってとこだろう。到着ゲートを出ると40歳の後半くらいだろ

うか、エリア責任者が迎えてくれた。簡単な自己紹介をする。奥さんも一緒だ。今

日は遅いのでホテルに直行して、明日の8時に迎えに来てくれるという。夫婦で案

内してくれるそうだ。連れられたホテルは結構豪華そう。ちょっと財布が心配かナ?



ボーイが部屋まで案内してくれた。エレベータの中で制服姿のスチュワーデスと一

緒になった。なかなか美人。どこかで見たと思ったら、ブリスベンからの飛行機の

スチュワーデスだ。今日はここで泊なんだろう。なんと片言の日本語で「日本の方

ですか?私は日本語を習ってます。後でお話ししませんか」と言うではないか。「

ラッキー」とばかり部屋の番号を聞こうと思ったら、エレベータが止まり、ボーイ

が降りろと言う。残念!                                                    



あたりが暗いせいもあって、回りの状況はまったく分からないが、どうやら町の中

心にあるようだ。窓を開けると波の音が聞こえる。すぐそこは海岸らしい。後は明

日を待つばかりだ。楽しみではあるが、日本語の全く分からない夫婦相手に、こみ

入った話をしなければならない不安もある。まあ、なんとかなっか。            



She was easy on the eyes.(彼女は美人だったのに!)                       



目が覚める



目が覚めた。時計を見るとまだ5時すぎだ。ホテルで泊まったときはいつも早く目

が覚めてしまう。こんなときは無理して眠らないで起きてシャワーをあびる。そし

て着替えて付近を散歩する。日本でも出張のときの楽しみでもある。            



やはりすぐ前は海岸だった。といったも砂浜ではない。岩造りの岸壁になっている。

引き潮なんだろう、沖まで続く干潟で水鳥が遊んでいる。海岸沿いがずっと公園に

なっていて芝生が植えられている。ところどころに白いベンチやテーブルが置かれ

ている。ヤシの木が運ぶ風が涼しい。何人ものジョガーとすれ違う。しばらく歩く

とテイクアウェイの店があった。本来は持ち帰りなのだが、店の前にテーブルとイ

スが並べられて十人以上の人が朝食を取っている。時計を見るとまだ6時半だ。オ

ーストラリアの朝は早い。コーヒーや紅茶を飲みながら語り合っている姿がとても

さわやかだ。                                                              



町の通りはきれいに整備されていて碁盤の目になっている。観光地らしくみやげ物

屋風の店や、小さなレストランが目立つ。全体の印象はやや古びた感じがする。建

物のペンキが強い日差しでやや色あせているせいかもしれない。しばらく足の向く

ままに散歩してホテルに帰った。バイキングの朝食を終えた頃、空を見上げるとす

でに強烈な日差。これがケアンズだ。                                        



8時少し前にロビーに行くと、すでに夫婦が待っていた。止めてあった車は何とベ

ンツだ。オーストラリアでは輸入車には100%の関税がかかる。国内にベンツの

工場はない。裕福なんだろう。エリア責任者といっても本職がある。木材関係の会

社を経営しているそうだ。市内を案内された。オーストラリアの町の(シドニーの

ような大都市は別だが)City Centerと呼ばれる市の中心地はどこもごく狭い。そ

の近くの教会やら公民館をめぐる。主に日本の学生を受け入れてホームステイする

家庭を斡旋するのが彼等の仕事だ(といってもボランティアだが)。その学生たち

の昼間の活動拠点、学校として使われるのがそれらの施設なのだ。「どうだい」と

聞かれたが、どうも気に入らない。「市の中心から離れている方がいい」と正直に

言った。車は郊外へと向かう。                                              



ブリスベン近郊とは景色が違う。山が多いのだ。木々の色は鮮やかな緑だ。土の色

も日本に近い。なにか日本に帰ったような気分で懐かしい。このころには水銀柱も

どんどん上がる。結構湿気もあるようだ。でも考えてみると今は8月、これでも冬

なのだ。季節の変化の少ない地域とはいえ、夏はどんなだろうか。              



次に案内されたのは高校。ここのドミトリーの一部が空いていて借りられるという。

グランドでは学生が野球の練習をしている。オーストラリアの球技といえば、まず

はラグビー。そしてAussie Rulesと呼ばれるオーストラリア式のフットボール。イ

ギリスの影響でクリケットといったところがメジャーで、野球はごくマイナーだ。

聞くと、ケアンズ周辺では結構盛んらしい。小高い丘の上に立つ校舎からあたりを

見回すと、はるか三方が山に囲まれている。足下は静かな住宅地で、周囲の環境は

なかなか良い。もちろん治安も良さそうだ。ここなら、典型的なオーストラリアの

生活が体験できるだろう。気に入ったと伝えると喜んでくれた。                



次はどこかと聞くと、もう昼だから食事にしようと言う。夫婦の自宅に招待してく

れるとか。彼等の家庭はオーストラリアではアッパーミドルといったところだろう。

どんな家に住んでいて、どんな生活をしているのだろうか。                    



I usually surface about five o'clock every morning.                       

(私はだいたい毎朝5時ごろには目が覚める)                                

I bet he won't surface today.                                             

(彼はきっと今日は出てこないよ)                                          

surface:目が覚める、姿をあらわす                                          



簡単な女



緑に覆われた山のふもとに家はあった。築後10年くらいだろうか。木造の平屋で

はあるが、よく手入れされている。1mほど高床になっているのは湿気対策かもし

れない。白いペンキの階段を登ったところが玄関だ。50畳ほどのワンフロアが2.

5mほどのパーテションで玄関ホール、リビング、ダイニングの3部屋に区切られ

ている。天井が高いのでそれでもパーティションの上に1mほどゆとりがある。庭

にはヒョウタン型をしたプール。もちろん煉瓦製のバーベキュー・サイトも。これ

はオーストラリアの家庭の定番だ。寝室や浴室はダイニングの向こうにあるようだ。

全体ではL字型になっている。                                              



「泳ぎたければどうぞ」と勧められたが遠慮した。プールがあっても彼等自身もそ

んなには泳がないようだ。日本人が少し裕福になると、庭に池を造って鯉を飼いた

がるようなもので、装飾的要素が大きいのかもしれない。                      



ダイニングで昼食をごちそうになった。といってもサンドイッチがメインの簡単な

ものだ。話の中心はやはり、仕事のこと、家族のことから彼我の文化のことになる。

このあたりは人と会う度に話題になるので、下手な英語にも磨きがかかって、わり

と流暢にしゃべれるようになっている。夫婦には息子がいて、キャンベラに住んで

いるそうだ。オーストラリアは大学進学率が低く、大学の数も少ない。今のところ

全て国立だそうだ。でも、もうすぐ近くにオーストラリア初の私立大学ができるそ

うで、そのあたりも話題になった。                                          



日本の企業の進出も盛んだそうで、いくつかの企業名がスラスラでてきた。そうい

えば途中の道でも巨大な看板を見かけた。このあたりは喜ぶ訳にもいかず、苦笑す

るしかない。一般市民がどう感じているかがやはり気になる。この夫婦は会社を経

営しているので、日本企業の進出はビジネスチャンスと考えていて悪い印象は持っ

ていないようだが。ケアンズの姉妹都市、徳島県日和佐町のことは残念ながら知ら

なかった。                                                                



デザートにはトロピカルフルーツがでた。見たこともない果物だ。このあたりでも

珍しいようだ。スター・フルーツ(だったと思う)の真っ黒な星形の果肉が印象深

い。味の方は何といったらいいのだろうか。デリシャスというよりオツというほう

が当たっている。ようはそんなに美味しいものではない。慣れもあるのだろう。キ

ウイフルーツを初めて食べたときも美味しいとは思わなかったが、今では好物の一

つだ。                                                                    



午後からは、二カ所ほど回るだけだそうだ。その後、どこか行きたいところがあれ

ば案内してくれるとか。ブリスベンあたりなら良く調べてあったのだが、このあた

りは予定外だ。まかせるしかない。                                          



I'm easy, mate.(どこでもいいよ)                                         

easyはもちろん「簡単な」という意味ですが、上の場合は「私は簡単だ」つまり「

おまえの言うとうりにするよ」となる。友達に逆らわないのが友情第一のオースト

ラリア人の取り柄だ。easyには次のようなけしからん用法もある。



She is an easy. (彼女は簡単だ)つまり、すぐ○○せてくれる。





疲れたよ



午後からは図書館、公民館を一つずつ回った。図書館と言っても平野の真ん中にポ

ツンとある感じだ。もちろん民家もあるのだが人口密度の低さにはあきれてしまう。

途中にあったショッピングセンターも似たようなものだ。あれじゃあ車に乗って3

0分も飛ばさないと買い物にも行けないような人もいるだろう。少なくとも毎日は

行けない。あのでっかいショッピングカート(日本の倍近くある!)が必要なわけ

だ。                                                                      



さあ、仕事は終わった。車に乗って郊外をうろうろしただけたったが、結構楽しか

った。見知らぬ人と会い、会話を楽しむ。一合一会はなにも日本の専売特許ではな

い。後は市内を見学することにして、ホテルまで送ってもらった。いつかここを再

び訪れる日があるだろうか。                                                



次の日、昼過ぎには空港へ行かなければ行けない。で、午前中に泳ぎに行くことに

した。レンタカーを借りて観光マップを頼りに近くのビーチへ。ケアンズの冬は泳

ぐのには適温だろう。着いてみると結構にぎやかな海岸で、リゾートホテルが立ち

並ぶ。そのうちの一つに勝手に入って見渡すと、シャワールームがあり、人が自由

に出入りしているようだ。こちらもいかにもホテル客のような顔をして入って着替

える。しばらく海に入った後で、ウィンドサーフィンのボードをレンタルしてみた。

信じてもらえないかもしれないが、私はウィンドサーフィン歴10年のベテランだ

・・と言いたいところだが確かに始めたのは10年前だが、もう5年くらいしてい

ない。でもそこそこは乗れる。でも最初レンタルしたのが競技用の恐ろしくでっか

いセールが付いてるやつで、すぐに小さなセールに変えてもらった。その後、パラ

セールに挑戦しようと思ったが私の前の客が着水に失敗し、セールを濡らしてしま

い、もう午前中はできないと言う。あきらめよう。もうそろそろ空港へ行かなけれ

ば・・。                                                                  



2泊3日の短いケアンズ旅行は終わった。 Macoochydore の家が妙に懐かしい。ド

アを開ければ「お帰りなさい」と迎えてくれる。今夜はビールを飲みながら話が弾

むだろう。                                                                



I'm done in after the trip (旅行でたいへん疲れてしまった done in=tired)   



アボリジニの歌



どこ国の歴史にも必ず恥部はある。ドイツならユダヤ人虐殺。日本なら中国への侵

略や韓国の植民地支配。アメリカなら黒人奴隷やインディアンの虐殺。それらを正

しく伝えるのは(困難なことだが)義務であり、民主主義国家の証でもある。逆に

その国の歴史の教科書にそれらが記されていないなら、その国民は自分自身の歴史

に目をつぶっていると言える。                                              



オーストラリア人にも自国の歴史を学ぶうえで決して避けて通ることのできない事

実が二つある。その一つがアボリジニの問題である。                          



シドニーを訪れた観光客はたむろするオーストラリアの原住民アボリジニに驚く。

以前は、その膚の色から blackあるいは、今ではオーストラリア生まれの白人を意

味する native と呼ばれていた。繁華街や公園にたむろする彼等の姿は異様だ。多

くの人は、昼間から酒の匂いをプンプンさせ、観光客に物乞いをする彼等を汚いも

のでも見るようにして目を背ける。                                          



彼等に同情する必要はないかもしれない。しかし、彼等の姿は美しいオーストラリ

アと、その社会の持つ欠陥でもあるのだ。                                    



アボリジニの人口は約16万人。内混血が11万人。約半数が市街地に住む。約3

万人ほどがノーザンテリトリー(北部準州)やサウスオーストラリア、ウェスタン

オーストラリアの奥地に住み、伝統的な部族生活を送っている。多くはアボリジニ

保護区(Aboriginal Reserve)に住み、隔離されている。                        



アボリジニは約5万年前にオーストラリアに渡来したと推定される。白人の渡来前

には30万人以上いたアボリジニは、組織的な虐殺により、瞬く間に半減し、その

文化を失ってしまった。特にオーストラリア南部のタスマニア島で行われたそれは

「種の絶滅」を意図した徹底的なものであった。虐殺が開始されて数年でその島(

68000平方キロの巨大な島、今はタスマニア州となっている)からアボリジニは全く

消滅してしまったのだ。これら事実は無論白人階級に良心の傷として残っている。

その代償としてオーストラリア政府が取ったのは、アボリジニに対する手厚い社会

福祉政策であった。それが結果として彼等の労働意欲を奪ってしまったのだ。    



Oh White man,                    おお、白人よ                             

Why did you have to come?    なぜ、ここへ来なければならなかったのか   

And open our eyes                そして俺たちの目を開かせたのか          

To a new strange life.           新しい、奇妙な生活へ                     

We were content the way we were. 俺たちは今までの生活に満足していたのに   



全てのアボリジニが怠惰な生活をしている訳ではもちろんない。しかし、白人社会

に適応しているアボリジニが少ないことも事実だ。これは隣国ニュージーランドの

原住民マウイ族が見事に適応しているのと対照的だ。彼らは医者や弁護士、エンジ

ニアといった層を搬出している。アボリジニは結局白人文明を最後まで拒否したの

かもしれない。これからも。                                                



先祖探し



ずいぶん前のことになるがアメリカの小説「ルーツ」が世界的なベストセラーにな

った。あるアフリカ系アメリカ人が、奴隷として連れてこられた自分の先祖を探す

というストーリーで、これをきっかけに世界中で「先祖探し」が流行した。だがオ

ーストラリアでは先祖探しはついに流行らなかったという。                    



最初のイギリス人入植者がオーストラリアの土を踏んだのは1788年の事であっ

た。その1500人の半数750余名が囚人、残りも大半は本国で生活できなくな

った食い詰め者、そして護衛の兵士であった。何故イギリスは本国から1万マイル

以上も離れた未開の大陸に囚人を送り込まなければならなかったのか。オーストラ

リアの歴史の教科書によると「イギリスの監獄が一杯だった」からである。実際1

8世紀末のイギリスの牢屋は満員だった。今に比べて悪い人間が多かったという事

ではなく、その当時の労働者のおかれた環境は恐ろしいほど過酷だったのである。

貴族階級や資本家階級、政治家によるの徹底した搾取と長時間労働。社会福祉制度

などもちろんなく、貧困者は路に溢れた。さらに過酷な法律。生活に困ってその日

のパンを盗んだだけで10年の懲役刑などという例はざらにあった。そして監獄は

あふれ、彼らの捨て場所として選ばれたのがオーストラリアだったのである。    



どの国もその歴史の1ページ目は輝いたものであって欲しいと願う。歴史のある国

なら建国神話がある。オーストラリアと同様な植民国家であるアメリカはメイフラ

ワー号の乗員を美化している。しかしオーストラリア国民はそれができなかった。

いや、しなかったのか。考えてみると、これは凄まじい。子供達が最初に学ぶ、自

国の歴史の最初のページに自分たちの先祖が囚人であったと書かれているのだ。彼

らの心に宿るものはなんであろうか。                                        



さて、オーストラリア人で知らない者はいないという歌、いわば国民歌と言えるの

が Waltzing Matilda である。国歌を知らない人はいてもこれを知らない人はいな

いとか。この歌が何故それほどオーストラリア人に愛唱されるのか私には分からな

い。みなさんはこの歌詞をどう感じられるだろうか。オーストラリア人気質が現れ

ているはずなのだが。                                                      



ちなみにこの歌詞の swagman とは身の回りの物を入れた毛布( matilda )を肩に担

いで各地を放浪( waltzing )した労働者のことだそうだ。もちろん今はほとんど見

かけることはないそうだが。                                                



Waltzing Matilda             毛布を担いで放浪しよう           



Once a jolly swagman camp'd  by a        愉快な放浪者が水たまりの側で     

billabong,                               キャンプをしていた。             

Under the shade  of a coolbah tree,      ユーカリの樹の下で。             

And he sang as he watch'd and waited     そして彼らは歌っていた。湯沸     

till his billy boiled,                   かし器の沸き立つのを待ちなが     

You'll come a Waltzing Matilda with me.  ら。毛布を担いで放浪しようよ、   

Waltzing Matilda, Waltzing Matilda,      俺と一緒に。毛布を担いで放浪     

You'll come a waltzing Matilda with me,  しようよ、俺と一緒に。           

And he sang as he watched and waited     そして彼は歌っていた。湯沸か     

till his billy boiled,                   し器が沸き立つのを待ちながら。   

You'll come a waltzing Matilda with me,  毛布を担いで放浪しようよ、俺     

You'll come a waltzing Matilda with me.  と一緒に。毛布を担いで放浪し     

                                         ようよ、俺と一緒に。             


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