「南京事件」当時、日中戦争を取材
米記者の著書に虐殺の記述なし
昭和12年(1937年)12月の南京事件の当時、南京に近い上海に駐在し、日中戦争を取材していた米国人記者が書いた著書に、同事件に関する「虐殺」をうかがわせる記述が全く無いことが、12日までに分かった。
著書は南京での日本軍の行動について、日本海軍の爆撃機が誤って米艦を爆撃、日米間の外交問題に発展した「パネー号事件」を中心に書かれており、当時の日本軍が「20万」「30万」もの中国軍捕虜や南京市民を虐殺したとされる「南京大虐殺」は戦後の作り話であることが改めて確かめられた。
この本は上海イブニング・ポスト紙のジョージ・ブルース記者が書いた「上海の宣戦布告なき戦争」。
1937年8月8日から12月20日まで上海に駐在し、出来事を日記風に書き留めたもので、同年12月に初版本が出版された。
日付など細かい点に誤りはあるものの、上海を拠点に
≪新事実の多くは自分の目で見たもののほか、中立的な新聞のスタッフ、通信社電などから収録≫(序文)し、毎日の動きを克明に追っている。
日本軍の南京総攻撃が開始された12月10日
≪南京では激しい戦闘が続いた。日本軍は街を防衛する人に無慈悲に砲撃を加え、数機の戦闘機が市中心部に数千ポンドの爆弾を投下した≫
南京が陥落した同月13日
≪荒れ狂ったような南京戦は続いているが、日本軍は市の南部を完全に支配下に置いた。中国軍は北方に退いている≫
「南京大虐殺」を主張する東京裁判の判決や中国側発表によると、激しい虐殺が行なわれたのは陥落翌日の14日から松井石根(いわね)大将(東京裁判で虐殺の責任を問われ、死刑判決)らの入城式が行なわれる前日の16日にかけての3日間とされる。
だが、この間の記述も含め、ブルース記者の著書には、「虐殺」を意味する「Atrocity(アトロシティー)」「Massacre(マサカー)」といった文字は1回も現われない。
14日以降は連日、パネー号事件についての記述に多くのスペースを費やし、被害者の名前やけがの程度などについて詳細に書いている。
ブルース氏の著書は初版本の後、翌1938年までに4版を重ねている。「大虐殺」が伝わってくれば、版を重ねる際に加筆・訂正することも充分可能だったはずだ。
南京事件に詳しい防衛研究所戦史部の原剛・主任研究官は「日本軍の行き過ぎた殺害行為はあったが、組織的なものではなかった。虐殺の記述がないのは、上海に詳しい様子が伝わらなかったためとも考えられるが、当時の米国人には、パネー号事件が最大の関心事だったことを示している」と指摘する。(産経新聞・夕刊、平成9年7・14)
「史実わい曲」新たに2枚
「レイプ・オブ・南京」疑惑写真
中国系米国人ジャーナリストのアイリス・チャン女史が著した米国のベストセラー「レイプ・オブ・南京」の検証を進めている藤岡信勝東大教授(自由主義史観研究会代表)ら学者グループは12日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見し、同書の中に史実をゆがめる写真が新たに2枚発見されたことを明らかにするとともに、南京事件の真相を追究するためにチャン女史を交えたシンポジウムを開催すると発表した。
学者グループ批判著者招き8月シンポ計画
会見には藤岡教授のほか、中村あきら獨協大学教授(昭和史研究会代表)、東中野修道亜細亜大学教授ら計4人の研究者が出席。
「自国の歴史がわい曲され、うそによりおとしめられているのに、政府は何ら反論しようとしない。このため民間研究者が日本の立場を世界に発信しようと考えた」と会見の目的を語ったうえで、写真や地図、当時の証言などを交えながら「レイプ・オブ・南京」の史実の誤りについて評論した。
この中で中村教授は@南京事件発生の第一義的責任が中国にあったA市民に紛れ込んだ中国軍の便衣兵を処分する際、市民を誤って殺害した可能性があるB日本軍の南京入城後に市民生活が急速に改善した―ことなど、6つの点を挙げてチャン女史が主張する30万人の市民の大虐殺を否定した。
さらに南京事件の真相を探るため、8月8日に講演会や映画の上映、討論会などを交えたイベントを予定、チャン女史にも出席依頼の招待状を送付したことを明らかにした。
会見には内外から約30人の記者が出席、熱心に耳を傾けた。
藤岡教授がキャプションの誤りや、すり替えがあると指摘した2枚の写真はチャン女史がキャプションで「南京市民の死体は揚子江岸まで引きずられて行き、河に投げ込まれた」とした写真(下)と「南京事件の犠牲者の斬首」とした写真(上)。
揚子江の死体の写真は日中戦争に従軍した元兵士の故・村瀬守保氏が撮影したものとされており、村瀬氏の「私の従軍中国戦線」(日本機関紙出版センター)にも載っている。
藤岡教授が同じ南京戦に従軍し砲兵隊に所属した元兵士に確かめたところ、撮影場所は画面から揚子江岸の新河鎮と確認されたが、画面に写っているのはチャン女史が述べているような民間人ではなく兵士の死体と判明。
戦闘で形勢が不利になった中国兵が、裸になって一斉に飛び込んだ結果、戦死やおぼれ死んだ写真で、村瀬氏が戦闘後、撮影したことがわかった。
また、斬首写真はチャン女史と同じ中国系米国人で同女史の執筆に影響を与えた史詠氏の同タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」が「1984年8月4日付の朝日新聞で報道され、南京戦従軍兵士の遺物の中からこの写真が見つかった」として使っていた。
ところが、朝日新聞にはこの写真は使われておらず、別の生首写真が掲載されていた。
さらに掲載された写真も後に「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と記された写真が見つかり、同紙が「南京虐殺とは無関係」として記述を取り消した。
国民党政府が馬賊を処刑した写真は中国大陸で広く出回っていたもので、戦後、南京事件とは無関係だったにもかかわらず、南京事件や平頂山事件、さらには「北間島での虐殺事件」などさまざまな「証拠」として幅広く使われている。(平成10・6・13産経)
ピースおおさか
偏向展示 新たに11ヵ所
「誤解与える」と修正、撤去
出所不明のニセ写真などが使われたとして、昨年6月、3点の展示が差し替えられた大阪市中央区の戦争博物館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」(館長、勝部元・元桃山学院大学長)で、新たに11ヵ所の偏向展示が30日までに判明し、修正や撤去が決まった。
撤去が決まったのは「上海爆撃・・・泣き叫ぶ子供」「米の配給に群がる市民たち」の2点。
「上海爆撃・・・」の写真は中国系米国人が撮影、米国の雑誌「LIFE」に掲載された。「日本海軍の艦載機の爆撃で破壊された上海南駅で泣き叫ぶ乳児の写真」とされているが、爆撃後の市街地に乳児が1人だけでいる様子は「不自然」と判断。
「米の配給に・・・」は終戦後、王立空軍による東南アジアでの米の配給の様子を展示した写真だが、占領時と誤解を与えると判断された。
説明を変えたのは鉄条網のバリケードに打ち付けられた斬首の写真など4点。「みせしめのため、野ざらしにされた斬首」と決め付けられているが、ピースおおさかが出典としてあげた写真集「平和にたいする罪」(太平洋出版社刊)には「日本軍による南京攻略後、城外の鉄条網の上に置かれた中国軍の首」としか記されていなかった。
さらに、毎日新聞社刊「一億人の昭和史3 太平洋戦争」には「日本軍の進駐を見つめるジャワ島の人々」とだけ解説された写真が、展示では「日本軍の進駐を不安そうに見つめる市民」と変えられたうえ、「占領後1ヶ月、街を行く兵士たちの表情は明るいが・・・」と付け加えられていた。
同様に、出典では「日本人母子の犠牲者」となっていた表記が、展示では「『殺してくれ』と日本兵に頼み、自決した住民」と変わった写真も見つかり、特攻隊の出撃の様子を展示した写真では、出撃基地が「知覧基地」にもかかわらず「調布基地」と誤って表記されていた事が分かり、修正を決めた。
このほか、解説パネルには、確定していない平頂山事件の犠牲者数や慰安婦の数などが表記されており、これら5ヵ所の削除や修正が決められた。
今回の措置について、ピースおおさかは「誤解を与えない客観的な表現に改める」「今後も引き続き点検を行う」としている。
一方、偏向展示を正す運動を続けている市民団体では「展示姿勢がいかにずさんであるかが明らかとなったが、ピースおおさか側からは謝罪も一切なく、責任も明確にされていない。展示姿勢の根本も正されておらず、問題は残っている」と話している。
米でも南京事件の誤用写真
米国で反響を呼んでいる中国系アメリカ人の著作「レイプ・オブ・南京」にも、岩波新書の「南京事件」に使われたのと同じ「農作業から帰る中国人女性」の写真が使われ、岩波と同様、実際の光景とは逆の「日本軍による強制連行」をにおわせる写真説明をつけていることが分かった。
「レイプ・オブ・南京」は中国系アメリカ人のジャーナリスト、アイリス・チャン女史の著作で、米国では昨秋(平成9年)刊行され、日本にも最近入ってきた。
「第二次大戦の忘れ去られたホロコースト」という副題がついている。
問題の写真はその本のちょうど真ん中あたりに集中的に掲載された写真の中の一枚。
中国人女性たちが銃を持った日本兵と歩いている光景で、≪日本人は何千人もの女性を狩り立てた。彼女らのほとんどはレイプされたり、軍の売春施設に無理やり連行されたりした・・・≫と言う写真説明がつけられている。
これと同じ写真は昨年11月に刊行された笠原十九司・宇都宮大教授の著書「南京事件」(岩波新書)の第3章の扉のページにも掲載され、≪日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち・・・≫という似かよった写真説明がついているが、秦郁彦・日大教授の調査により、同じ写真が「アサヒグラフ」(昭和12年11月10日号)や「支那事変写真全輯〈中〉上海戦線」(昭和13年3月刊行)では次のような逆の意味の写真説明になっていることが判明している。
アサヒグラフ≪我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の子供の群≫
支那事変写真全輯≪夕になれば白一面の綿の花畑から喜々として我家へ帰る≫
チャン女史の「レイプ・オブ・南京」も岩波新書の「南京事件」同様、同じ写真が転々とする過程で、日本軍のイメージをことさら悪く印象づけるため、写真説明がわい曲された疑いが強い。
「レイプ・オブ・南京」にはほかにも、男性の生首や女性の暴行シーンなど出所の疑わしい写真が何枚も掲載されている。
本文も、中国共産党による洗脳の疑いが強い中国・撫順戦犯管理所での供述書や日本で名誉き損訴訟を起こされている元日本兵の従軍日記などが引用文献に使われるなど、信ぴょう性に乏しい記述が多い。(産経・H10・3・3)
写真集「レイプ・オブ・南京」
さらに2枚のニセ写真発見
「略奪の報酬」実は「民衆から買った鶏」
中国系米国人、アイリス・チャン女史(30)のベストセラー「レイプ・オブ・南京」では史実を曲げたり、ニセ写真が多数見つかっているが、同書の編集に影響を及ぼした同タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」(史詠ら著)からさらに2枚、ニセ写真が見つかった。
同書の検証を進めている自由主義史観研究会の藤岡信勝東大教授らのグループの調査で15日までに分かった。
チャン女史はこのうちの1枚を使っており、これで著書「レイプ・オブ・南京」のわい曲写真は計8枚となった。
問題の写真のうち、1枚は写真集の第1章「南京への路」の17ページに掲載された。
肩から2羽の鶏と銃を携えた笑顔の日本兵を写した写真で、キャプションは「略奪の報酬」と添えられている=写真(左)(下は点線内の拡大等)。
ところが、この写真は朝日新聞社が昭和12年12月5日発行した「週刊朝日・アサヒグラフ臨時増刊」の「支那事変画報第9輯」の巻末に掲載されており、写真撮影者は同社特派員。撮影日時は10月29日で場所も京漢線豊楽鎮。
キャプションは「支那民家で買い込んだ鶏を首にぶらさげて前進する兵士」。史詠氏らが記したような「略奪」の証拠ではなく、民衆から買ったものとわかった。
もう1枚はチャン女史の著書にも使われた揚子江岸に死体が並ぶ写真(右)。チャン女史は「南京北郊外の下関河岸でおびただしい死体の山が処分のため積み重ねられている」とキャプションを付け、掲載した。
この写真は元従軍兵の故・村瀬守保氏が撮影したものとされ、村瀬氏の写真集「私の従軍中国戦線」(日本機関紙出版センター)にも載っている。
昭和58年、毎日新聞も「南京大虐殺これが証拠写真」として紹介したことでも知られている。
しかし、藤岡教授らが南京戦で砲撃隊に所属した元兵士に確かめたところ、並んでいる死体はチャン氏らが主張する市民の死体ではなく、戦闘員の写真と証言。
撮影場所は揚子江にある新河鎮から下流にある下関または三叉河とみられる。
新河鎮戦の形勢が不利になり、一斉に河に飛び込んだ中国兵の戦死体または水死体が河に沿って流れ、河岸に一定方向に積み重なったものとわかったという。
史詠氏はアメリカ在住のジャーナリストで、全米でベストセラーになったチャン女史の「レイプ・オブ・南京」の編集にも大きな影響を及ぼした。チャン女史が著書に使った写真のほとんどがこの写真にも使われている。
藤岡教授は「チャン女史、史詠氏の著書には記述の誤りが多いうえ、特に写真はほとんどが出所不明で歴史の偽造が目立つ」と批判している。(産経・H10)
新たに3枚
疑惑写真
「レイプ・オブ・南京」・・証拠なし?・・創作?
米国で話題となっている中国系米人ジャーナリスト、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」には、“慰安婦の強制連行”の誤用写真以外にも、信ぴょう性の疑わしい写真が何枚も使われていることが14日、自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝東大教授)のプロパガンダ写真研究会や本紙の調査で分かった。現在までに、新たに3枚の写真で疑惑が浮上している。(安藤慶太)
1枚はバリケードの上に、たばこをくわえた男性の生首が置かれている写真(1)。チャン女史は≪南京郊外の有刺鉄線のバリケードに中国人兵士の頭が置かれた。彼の唇の間には冗談のようにたばこの吸い殻が差し込まれた≫と説明をつけ、入手先を「日中戦争の真実を忘れない会」としている。
しかし、この写真は“大虐殺派”の立場に立つ「南京大虐殺の現場へ」(朝日新聞社)という本にも使われ、同書も≪「南京事件の証拠」とすることには大きな危険があると言わざるを得ない≫と慎重な判断にとどめている。
また、同じ写真を大阪国際平和センター(ピースおおさか)も≪みせしめのため、野ざらしにされた中国
人の斬首≫と説明をつけて展示していたが、今年3月、説明を≪日本軍による南京攻略後、城外の鉄条網の上に置かれた中国人の首≫と差し替えている。
この写真を最初に掲載した米国の雑誌「LIFE」の1938年(昭和13年)1月10日号では、≪徹底した反日家だった中国人の首が南京陥落直前の12月14日に南京城外の鉄条網のバリケードにくさびで打ち付けられた≫と説明しているが、南京陥落(12月13日)の前後を間違えるなど当初から疑問を持たれていた。
2枚目は兵士が男性を座らせ、刀を振りかざしている写真(2)。
チャン女史は「台湾政府軍事委員会政治部」から得たとして、≪南京において日本兵はスポーツのように殺人を行った。後ろにいる日本兵のほほえみに注目≫という説明をつけている。
しかし、この写真については、ノンフィクション作家、鈴木明氏がすでに、大宅賞受賞作「南京大虐殺のまぼろし」(文藝春秋)の中で、「虐殺の証拠とはいえない」と疑惑を指摘している。
3枚目は2人日本軍少尉の“百人斬り競争”を報じた昭和12年11月の東京日日新聞(現・毎日新聞)の記事を複写した写真(3)だが、この記事が創作だったことは記者に同行したカメラマンらの証言で明らかになっている。
“偽り”の裏付け次々と
「レイプ・オブ・南京」には計30数枚の写真が使われているが、これまでに2枚の写真について、疑惑が指摘されている。
1枚はチャン女史が「台湾軍事委員会政治部」から入手し、≪日本軍は何千人もの女性を狩り立てた。大多数がレイプされるか、軍用の慰安婦にさせられた≫という説明をつけている写真(4)。
しかし、秦郁彦日大教授の調査により、最初にこの写真を掲載したアサヒグラフ(昭和12年11月10日号)では「硝煙下の桃源郷江南の『日の丸部落』」という題で、≪我が兵士に援られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ≫と、全く逆の説明がつけられていたことが判明している。
同じ写真は笠原十九司・宇都宮大教授の著書「南京事件」(岩波新書)にも使われ、≪日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち・・・≫とチャン女史とよく似た説明をつけていたが、秦教授の指摘で岩波書店では全面謝罪し別の写真に張り替える措置を取っている。
もう1枚は戦車が火炎放射器で民家に火を放っている写真(5)だが、東中野修道・亜細亜大学教授により、写真の戦車は昭和13年以降生産された「97式軽装甲車」で、南京戦当時は使われていない。
この戦車には火炎放射器は装備されていない―など、合成写真である疑いが強まっている。
チャン女史、対日批判繰り返す
チャン女史は出版後、全米各地で講演会を開催、対日批判を繰り返している。
3月21日、ロサンゼルス・西ロサンゼルスパブテスト教会では、「皆さんには簡単にできる2つのことをしてほしい」と呼びかけ、「レイプ・オブ・南京」の学校や公共図書館への納入運動と、日本の謝罪と補償を求める「リビンスキー法案」への支持を訴えた。
リビンスキー法案は下院民主党のウイリアム・リビンスキー議員が昨年、下院に提出したもので、正式名称は「従軍慰安婦、731細菌部隊、南京虐殺に関して日本政府に謝罪と補償を求める法案」。
チャン女史は(1)日本軍は南京占領で中国人民間人30万人を殺した。(2)日本政府はこの事実をもみ消し、教科書にも載せないため、日本国民は虐殺を知らない。(3)日本政府は謝罪も賠償も一切していない―などとして同法案を支持、米議会に公聴会の開催を訴えている。
また、「レイプ・オブ・南京」について「内容が不正確で一方的」と批判した斎藤邦彦駐米日本大使にも攻撃を繰り返している。
(産経H10・5・15)
中華民国の公式文書「4万人説」削除
南京事件ベイツ・メモ
南京事件(昭和12年12月―13年初め)で「4万人が殺された」とする南京在住の米国人宣教師、ベイツ博士のメモが当時の中華民国の公式文書「チャイニーズ・イヤーブック 1938―39」に収録された際、「4万人殺害」のくだりが削除されていたことが東中野修道・亜細亜大教授の研究で分かった。この「4万人説」が消されたことが後に、「20万」「30万」といった誇大な犠牲者が一人歩きする一因になったとみられる。 |
チャイニーズ・イヤーブックは、前政府外交部顧問(当時)の徐淑希・燕京大教授が委員長を務めていた中華民国の国際問題委員会の公式資料から作成された、いわば中華民国の公式見解。徐氏は、満州事変の国際連盟調査団中国代表処専門委員も務めた。
ベイツ博士のメモは「日本軍が不法に処刑した」という中国人の話をもとに1938年(昭和13年)1月25日に書かれたもので、「非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁近くで殺された。3割は兵士でなかった」という内容。
このベイツ・メモは、中国・上海のオーストラリア人ジャーナリスト、ティンパーリー氏のもとへ送られ、ティンパーリー氏が同年7月に出版した「戦争とは何か」の第3章に盛り込まれた。
しかし、東中野教授が調べたところ、チャイニーズ・イヤーブックはベイツ・メモを収録する際、その核心部分である「4万人殺害説」を削除したほか、「3千体が大量処刑のあと積み重ねられたり並べられたりしたまま放置されていると埋葬グループは報告している」という記述も削除していた。
また、同じころ出された徐氏の編著「日本人の戦争行為」「要約・日本人の戦争行為」「南京安全地帯の記録」の3冊にも、ベイツ・メモが再録されながら、「4万人説」が削除されていることが分かった。
南京事件については、東京裁判認定の「20万」、戦後中国が発表した「30万」という誇大な犠牲者数が教科書などで独り歩きしているが、東中野教授は「ベイツ博士の4万人虐殺説も水増しの疑いが強いが、その4万人虐殺説でさえ公式記録から削除され、一度も追認されなかった。
『南京虐殺』は4等、5等史料によって成り立っていることがはっきりした」としている。
東中野教授はこの発見を含め、南京事件当時の外国語文献を比較検証した研究成果を『「南京虐殺」の徹底検証』という本にまとめ、近く展転社(Tel 03・3815・0721)から出版する。(産経H10・7・29)
「レイプ・オブ・南京」また事件と無関係写真
パネー号撃沈 掲載写真は別の船
史実のわい曲や誤りが多数指摘されている中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」に戦争中、旧日本軍によって沈没させられたアメリカの砲艦「パネー号」として使われた写真は全く別の写真だったことが21日までの自由主義史観研究会(会長・藤岡信勝東大教授)に設置されたプロパガンダ写真研究会の調べでわかった。研究会ではこれまで進めてきたチャン女史の著書への検証作業を、26日に東京都内で開かれる「反撃集会」で発表する。
今回、明らかとなったはチャン女史が《12月12日、日本海軍は南京近くの揚子江に浮かぶ米国の砲艦パネー号を撃沈した。同号は西洋諸国の外交官、ジャーナリスト、実業家、避難民で一杯だった》とキャプションを付けた写真。
沈没寸前のパネー号の様子として紹介されているが、画面が不鮮明な上、写っているのは甲板から上の部分のみで、下の部分は無い。チャン女史はワシントンの国立公文書から入手したと記しており、同じ中国系アメリカ人のジャーナリスト、シ・ヨン氏らの共著で出された同タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」にもパネー号として使われている。
しかし、奥宮正武氏の著書「私の見た南京事件」(PHP研究所)に使われたパネー号の写真は全く別の形をしておりチャン女史が使った写真は「分かりやすい日中戦争」(光人社発行、三野正洋日本大学講師著)によると、第二次上海事変が起きた直後の昭和12年9月23日、日本海軍機の攻撃で揚子江で撃沈され、引き揚げられたあと日本海軍の「五百(いお)島」となった中国海軍の「寧海」と判明。
パネー号事件とも南京事件とも無関係な写真とわかった。「レイプ・オブ・南京」にからむ疑惑・わい曲写真は合計9枚となった。
(産経新聞・平成10年9月22日朝刊より)
写真集「レイプ・オブ・南京」
「反日宣伝用」を掲載、米やらせ映画の場面
史実のわい曲や誤りが指摘されている中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」と同じタイトルの写真集「レイプ・オブ南京」(史詠氏著)に使われた赤ん坊の写真は、米国の反日宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」に写っていることが、25日までの自由主義史観研究会(会長・藤岡信勝東大教授)に設置されたプロパガンダ写真研究会の調べでわかった。研究会では今日26日、これまで進めてきたチャン女史の著書への検証作業を、東京都内で開かれる「反撃集会」で発表する。
今回、明らかになったのは≪1937年8月28日正午、日本軍は上海南駅に爆撃を行い、待合室にいた200人あまりの人が亡くなり、けが人多数を出した。爆撃の後、血を流し泣きながら赤ん坊が1人残された≫とキャプションを付けた写真。
入手先は米国の雑誌「ライフ」となっており、この写真の発表について同書では≪この写真は世界中を駆け巡り、日本の侵略による残虐行為に対し世界中から非難が集まった≫と説明している。
この写真はライフ1937年の10月4日号に掲載され、同じ年のアメリカ雑誌「ルック」にも掲載された。しかし、ルックの写真では赤ん坊の横に男性と子供が立っている光景が写っており、ライフでは横の男性がカットされ、がれきに1人取り残された痛ましい姿のみが強調されている。
写真は”日本の侵略”を批判するさいに再三、登場するが、大阪市にある戦争資料館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」では「上海爆撃 泣き叫ぶ子供」と題して展示してきたが、「爆撃後の市街に赤ん坊1人だけでいる姿が不自然」として撤去された経緯のある、信ぴょう性に疑問が指摘されていた。
さらに米国で反日宣伝の目的で作られたやらせ映画「バトル・オブ・チャイナ」には、大人の男性がこの赤ん坊を抱きかかえ駅のホームから線路に運ぶシーンが出てくる。プロパガンダ写真研究会では「反日宣伝のやらせ写真を撮影するために現場を演出している課程が映像に写った」と判断し、今後もプロパガンダ写真の調査を続ける方針だ。(産経新聞・平成10年9月26日朝刊より)
同じ登場人物やらせで撮影
写真集「レイプ・オブ・南京」
中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)が出したアメリカのベスト・セラー「ザ・レイプ・オブ・南京」に反論する集会「『南京大虐殺はなかった!』〜アイリス・チャン『レイプ・オブ・南京』はいかに歴史を偽造したか」(主催・自由主義史観研究会、会長・藤岡信勝東大教授)が26日、都内で開かれた。
集会では同書の史実のわい曲や誤りが多数指摘され、同一タイトルの写真集「レイプ・オブ・南京」(史詠氏著)に使われた四枚の残虐写真について、同じ登場人物が入れ代わり立ち代わり撮影された”やらせ写真”であることが、新たに明らかになった。
都内で反論集会 意図的に入れ代わり
自由主義史観研「反日目的」…追求へ
問題の写真は、中国人を柱に縛り付け銃剣を突き付けたり、首を出した農民に刀を振りかざした光景などを写した4枚。
いずれも「日本軍が中国の市民を捕まえ刺殺の練習台に使い惨殺した」と、南京虐殺の証拠として掲載されている。
4枚を並べると写真(1)で刀を振りかざしている男性は写真(3)の左から2番目と同じ人物。
(1)で切り付けられている男性も(3)で銃剣を突き付けられる右端の男性と同一と判明した。
写真(2)で左端にいる中国人男性は写真(3)の右から2番目と同じで、写真(2)の背後にいる男性は写真(4)で首に切りつけられた跡のある男性と同じだ。
このうち、(1)で切りつけている男性はメガネを掛けておらず、靴も長靴を履いているのに対し、(3)ではメガネを掛け、チャニーズシューズ風の履き物に履きかえていた。
また、写真に登場する人物はいずれも薄着のうえ、背景に写っている壁なども南京の光景とは一致せず、このうち2枚の写真は、シンガポールで出版された華僑の抗日英雄「リム・ボ・セン」の伝記で、日本軍がシンガポールで行ったとされる「憲兵隊の蛮行」として使われていることも分かった。
調査を行った自由主義史観研究会に設置されたプロパガンダ写真研究会では「チャン女史の著書には史実のわい曲や誤りが多数指摘されているが、この4枚の写真は同じ場所で同じ人物を入れ代わり立ち代わり登場させる形で、意図的に撮影された反日目的のやらせ写真だ」と批判、今後も、追求を続ける方針だ。
(産経新聞・平成10年9月27日朝刊より)
「レイプ・オブ・南京」
【ワシントン5日=古森義久】米国の有力新聞が米国内でなお話題となっている南京事件に関する書「レイプ・オブ・南京」の写真の誤用や記述の過ちを詳しく指摘する長文の記事をこのほど記載した。とくに同紙は同書が「日本軍が中国女性を慰安婦にするために強制連行する光景」として紹介した写真が実は日本軍に守られて農作業に出かける中国側女子の友好的な光景の写真であることを明らかにし、中国側で手が加えられる前の本来の写真を米国のマスコミとしては初めて大きく掲載した。
米国西海岸の有力新聞のサンフランシスコ・クロニクルは7月26日付の日曜版特集で2ページにわたり「記憶の戦争」と題し、アイリス・チャン著の「レイプ・オブ・南京」に関する長文の記事を掲載した。日米関係や米中関係に詳しい同士のベテラン記者のチャールズ・バレス氏によって書かれたこの記事は、同書の米国内での反響や著者のチャン氏の活動ぶりに光をあてる一方、日本側での反響をも多角的に報じている。
同記事はその中で南京事件の犠牲者の数の推定が1万から45万まである実態では証拠の信憑性には困難がつきまとうとしてチャン氏の「30万以上」という断定への疑問を提起しながら、まず歴史家の秦郁彦氏が雑誌「諸君!」で指摘した同書の合計11点にのぼる写真の虚偽や誤用に触れ、とくにチャン氏が「日本軍が何千人もの女性を捕まえ、レイプし、慰安婦にした」というキャプションをつけた台北の軍事委員会政治部所蔵とされる写真のミスを報じた。
同紙の記事はこの写真が実際には南京事件の前にアサヒグラフに掲載された「日本軍兵士に護られて野良仕事より帰途につく女子供たち」という写真の修整版であることを伝えて、その原版を大きく載せた。掲載写真はチャン氏の使用写真と違い、日本軍兵士と談笑しながら歩く女性、子供の姿がはっきり写っている。
同紙の記事はさらにチャン氏の著書の間違いや虚構として(1)1938年ごろ広田外相が「日本軍はフン族のアッティラ王を思わせる方法で30万の中国民間人を虐殺した」という秘密電報を打った―との記述は、実はイギリスの記者の電報の内容だった(2)日本は空軍力を戦争で民間人の殺傷と威嚇に使った史上初の国家―という記述も間違い(第一次大戦でのドイツが最初)(3)日本では南京事件を政治家が否定し、教科書でもまったく教えられない―という記事も事実に反し、チャン氏は自分の感情と日本側のごとく一部の主張や状況に基づき、断定をしている(4)日本政府は南京事件を含む中国側への侵略、残虐の行為に謝罪をしていない―という記述も事実と異なるなどと述べている。(産経新聞夕刊、平成10年(1998)8月6日掲載)
南京事件の新著 著者の中国系米国人 |
研究より政治運動目的 日本の謝罪と補償 米の外圧狙う
【ワシントン7日=古森義久】南京事件で日本軍が殺した中国人民間人は30万人以上などとする米国の新著「南京虐殺」の著者の中国系米人女性は、日本政府に改めて謝罪と補償を求めるための圧力を米国からかける運動を目的としているいう実態が7日までに明らかになった。
歴史の研究よりも政治運動を主目的とする印象が強い。この著書はまた、日本軍の慰安婦制度が南京事件を直接の契機として作られ、日本軍当局の強制連行でアジア各国女性20万人が売春婦にされたとも主張している。
29歳の中国系米人女性ジャーナリストのアイリス・チャン氏著の「南京虐殺」は昨年11月に刊行されて以来、版を重ね、この3月末で12万部が出版された。ペーパーバック化も決まったという。
チャン氏はこの間、米国の各主要都市で中国系社会の支援を得て、同書の宣伝のための講演会を頻繁に開いてきた。首都ワシントンでは3月中旬に、ホロコースト博物館内のホールで講演会を開き、定員400人ほどの会場が7割方中国系という聴衆で満員となった。
チャン氏が一連の講演やテレビ・インタビューなどで一貫して強調するのは、「日本政府は現在に至るまで南京虐殺の責任を認めず、処罰も受けず、犠牲者に補償をしていないため、これからの措置を求める」という主張。
チャン氏は日本に対しては米国からの外圧が最も効果的だとし、一般米人へのアピールとして、一連の講演ではまず劇的効果を狙うように、「南京の中国人犠牲者の血を合わせると1千2百トン、死体は貨車2千5百台分、積み重ねれば74階のビルの高さ」とか「日本軍将兵は女性に乱暴した後にクギ刺しにし、妊娠中の女性は腹を裂き、胎児を切り刻み、男は皮をはぎ、舌を抜き、子供を宙に投げて銃剣で刺し殺した」という極端な表現を繰り返す。
チャン氏は現在の日本の状況について(1)日本政府は南京虐殺だけではなく第二次世界大戦の日本軍の行動をもみ消し、教科書から削除するため、日本の子供は日米戦争でどちらが勝ったかも知らない(この状況は「第二の虐殺」といえる)(2)日本国民は全体に第二次世界大戦の歴史に無知であり、多くが靖国神社のA級戦犯の霊に敬意を表するが、これはドイツでベルリン市の中央にヒトラーの銅像を建て、祈る事に等しい―などと主張、具体的には日本に全面的な謝罪と補償を求めるリピンスキ法案への支持を聴衆に強く訴えている。
同法案は、97年に民主党のウイリアム・リピンスキ下院議員(イリノイ選出)により提出され、日本政府に対し南京事件だけではなく従軍慰安婦、バターンの「死の行進」、731細菌部隊などの犠牲者への補償や謝罪を求めている。チャン氏もイリノイ州のシカゴ出身で、リピンスキ議員の法案に歩調を合わせ、講演でも従軍慰安婦や細菌戦部隊に再三、言及している。とくに慰安婦についてはチャン氏は、「日本軍最高部は南京での将兵の性的な強暴さに驚き、独自の対策が必要と考え、急ぎ、日本軍専用の売春施設を設置した」と述べ、吉見義明中央大学教授が発見したという資料を引用して、「日本軍当局が組織的にアジア各国の女性を強制連行し、売春を強要した」と断じ、その犠牲者は20万人に達したと述べている。
なお、チャン氏はワシントンでの講演では、自書が全米各地の歴史教育の必修教科書として選定されるようにする運動を展開していることをあきらかにし、スタンフォード大学のアジア研究所ではすでに同書が必修になった、とも語った。(産経新聞朝刊、平成10年4月8日掲載)
南京事件「35万人虐殺説」などの不正確な記述やニセ写真が多数指摘されている米国のベストセラー「レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト」が、そのままの内容で日本語に訳され今月25日に都内の出版社から刊行されることが8日分かった。出版元では「事実誤認があることは知っているが、著者の要望で手を加えなかった」としている。(渡部浩) |
出版元「著者の希望」事実誤認を黙殺 ニセ写真、そのまま掲載
「レイプ・オブ・南京」は中国系米国人の女性ジャーナリスト、アイリス・チャンさんが1997年(平成9年)11月に出版した。
昭和12年の南京陥落の際、「日本軍は南京になだれ込んで、あらゆる通りで人々を手当たり次第に射殺した」「日本軍は南京で戸別に中国兵の捜索を行った際、南京の全住民を殺害した」などと、”大量虐殺”や”婦女暴行”を劇画チックに描写。
虐殺数として「26万人」「35万人」、婦女暴行件数は「2万件」または「8万件」と、根拠のない数字を挙げている。軍人の名前や階級などの間違いも多数指摘されている。
また、大虐殺の証拠として掲載されている20枚以上の写真の大部分が(1)南京攻略戦とは無関係(2)通常の戦闘での死者を写したもの(3)合成写真―などのニセ写真や出所不明の写真であることも明らかになった。
しかし、同書はニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの新聞やテレビで紹介され、これまでに約50万冊を発売。ペーパーバックにもなるほど、米国では歴史事実として独り歩きしているほか、日本に謝罪と補償を求めるために政治的に利用されている。日本語版を出版するのは柏書房(東京都文京区)で、題名は「ザ・レイプ・オブ・南京―忘れ去られたホロコースト」。同社によると、編集の過程でチャンさん側が修正を拒否したため、内容をかえずに和訳して出版することになったという。ただ、東京日々新聞を「ニチ・マイニチ新聞」としている個所など約10ヵ所の誤記は改めたとしている。
写真については、昨年9月に産経新聞が報道した、米国の砲艦「パネー号」として掲載された別の船の写真がペーパーバック化の際に差し替えられており、日本語版でも差し替えた方の写真が掲載される。しかし、他の写真は原書と同じものが掲載されるという。
岩波新書「南京事件」が農作業を終えて帰宅する中国の人たちの写真を「日本人に拉致(らち)される中国人女性たち」として掲載、ニセ写真と分かって著者と岩波書店が謝罪した写真もそのままだ。
柏書房は「ザ・レイプ・オブ・南京」の不十分な点を補うためとして、内外の研究者の論文を収めた「南京事件とニッポン人」と題した本も同時出版するが、著者は南京事件”大虐殺派”の研究者、藤原彰・一橋大名誉教授ら。同社は「チャンさんの本に事実誤認があったとしても、南京大虐殺がなかったということにはならない」としている。
多数の間違った記述やニセ写真が明らかになりながら、修正もせずに日本語版が刊行されることは今後、論議を呼びそうだ。(産経新聞夕刊、平成11年2月8日掲載)
レイプ・オブ・南京
日本語版刊行を中止
論文集同時出版 「著者側からクレーム」
中堅出版社「柏書房」(東京都文京区、渡部周一社長)が、不正確な記述やニセ写真が多数指摘されている米国のベストセラー『レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』をそのままの内容で日本語版にしようとしていた問題で、同社は18日までに、25日に予定されていた出版を中止することを決めた。柏書房は「日本語版の不十分な点を補う論文集の同時出版について、著者側からクレームがあったため」と説明している。 |
『レイプ・オブ・南京』は中国系米国人の女性ジャーナリスト、アイリス・チャンさんが1997年(平成9年)11月に出版。昭和12年の南京陥落の際に日本軍が「26万人」または「35万人」の民間人を虐殺し、「2万件」から「8万件」の婦女暴行があったと根拠のない数字を挙げているほか、大虐殺の証拠として掲載されている写真の大部分が、ニセ写真や出所不明の写真であることが明らかになっている。
柏書房は昨年5月にチャンさん側から版権を獲得し、日本語版の編集作業を始めたが、事実誤認の記述やニセ写真について、チャンさん側が修正を拒否したため、一部の誤記を除いて、そのまま和訳して出版することを決定。日本語版の不十分な点を補う内外の研究者の論文を収めた『南京事件とニッポン人』と題した本も同時に出版することにしていた。柏書房によると、チャンさんは論文集の出版について知らなかったが、今月8月付けの産経新聞夕刊がこのことを報道したのを伝え聞き、同社に「論文集を出すのなら、日本語刊行は認めない」という趣旨のクレームを伝えてきた。このため、日本語版、論文集とも出版は難しいと判断、両書とも印刷作業に入っていたが、出版を見送ることを決めたという。
渡部社長は「今にしてみれば、間違いがあることを知りながら出版し、別の本で補完するという手法には反省すべき点もあった。チャンさん側には今後も修正に応じるよう要請し、出版できる道を模索したい」と話している。(産経新聞朝刊、平成11年2月9日)
「南京邦訳書」刊行延期報道
修正記事を再掲載
朝日新聞回答書「誤報」指摘は認めず
南京事件をめぐる米国のベストセラー「レイプ・オブ・南京」の日本語版刊行無期延期について2月19日付けの英字紙「アサヒ・イブニング・ニュース」(朝日新聞社発行)が「右翼の脅迫によって」と報道した問題で、同社は1日、藤岡信勝・東大教授と東中野修道・亜細亜大学教授からの公開質問状に回答し、「誤報ではないが、結果として誤解を招きやすい記事になった」として、修正した記事を再掲載したことを明らかにした。
日本語版刊行は中堅出版社「柏書房」が計画していたが、著者の中国系米国人、アイリス・チャンさんが事実誤認部分の修正や邦訳を補完する論文集の同時出版に難色を示したため無期延期。朝日新聞もチャンさん側との確執が理由と報道していたが、同紙の記事を訳したアサヒ・イブニング・ニュースでは、「右翼の脅迫によって」無期延期に至ったという内容になっていた。
藤岡教授らは、朝日新聞社の箱島信一社長に、誤報を認めて訂正記事を掲載することなどを求める公開質問状を出していた。
回答書の差出人は「広報室」で、朝日新聞を英訳した元の記事には、文頭で「脅迫のあと出版延期になった」としたほかに、末尾に「柏書房は原著者と改訂や別途同時出版の交渉をしたが、不調に終わったため出版そのものが延期になった」という趣旨の部分があったが、紙面では末尾の部分が「時間的制約など新聞制作上の都合で」欠落したと説明。
「結果的に不完全な記事ではありますが、脅迫と出版延期の間に時間的な前後関係があることは指摘しているものの、因果関係があるとはいっておりません」としている。
対応については「誤報ではありませんが、結果として誤解を招きやすい記事になったのは事実」とした上で、3月27日付紙面に「Clarification」(説明、明りょう化の意味)と題して、文頭部分を補って末尾を復活した記事を掲載、データベースも手直ししたことを明らかにした。
朝日新聞社広報室の話
「藤岡、東中野両氏に回答したことであり、第三者にコメントする性質のものではないが、アサヒ・イブニング・ニュースの記事についての見解は回答書の通りだ。『Clarification』は訂正記事ではない」
藤岡、東中野両教授の話
「誤報ではないと強弁しているが、だれが読んでも右翼の脅迫が延期の理由と読めるし、米国紙では、すでにその報道が広がっている。この回答は新聞報道の初歩を無視した奇弁で、詳細な反論と再質問書を用意したい」(産経新聞朝刊、平成11年4月2日掲載)