メタゲームの有効性 セイレーンの歌声




 カルドセプトは、かなり奥深いゲームである。


 ヴァリエーション的な面から見れば、たった350種類程のカード
しか存在しないが、その中からは多種多様な戦略が存在しうる
のは大変希であるといえよう。

 そのため、各々がブックを構築しようとするとき、いろんなテーマを
持たせようとする。

 どんなブックに仕上がってもよいのだが、私の場合は基本的には
「汎用性のあるブック」を構築することを念頭に置いている。

 ここで言う「汎用性のあるブック」とは、対人、対コンピューター、
更に場所といった不確定要素の変動があっても、勝率は最低でも
四割程度は期待できるようなブックである。

 最近、北の狼氏から聞かされた話の中で、

「世間ではマップを決めてからブックを選んで対戦するらしい」

といったものがあった。

 いったいこれはどういう事だろうか。私には少々理解しがたい
話であった。

 マップ毎にブックを作るということが悪いわけではない。
むしろ、各マップをよく研究することにより、よりカルド対戦時の
技術が磨かれたりするするので歓迎されるべきものである
・・・・・・かもしれない(笑)。

 ただ、そのようなブックを作るのは、「大会用」のブックに
限定されるべきだと思う。

 つまり、指定されたマップに適合していて、不特定な
対戦相手のうち何割かが使うであろうブックのタイプを
予想し、それに対抗する手段を多分に含んだブックを作成する。
ここまでの条件を満たしているならマップ限定のブックは
制作される価値がある。
いわゆる「メタゲームによって作られたブック」である。

 例えば、カルド仲間が3人いて、スペル使いが2人いたとする。

 そいつらのブックは、ただひたすらにテンペストとスォームと
カタストロフィを連発し、ボードの上にはペンペン草1本残りはしない。
もう一人のブックは各種ワードを多用し、対戦相手に
無理矢理高額地形を踏ませる「壁ブック」だったとする。
しかも今日の場所は護符の使える”開拓者たち”ときたもんだ。

 そんな事実が対戦する前から分かっているなら、
ブックに入るクリーチャー数は必然的に少なくなり、
HPが最低でも50あるいわゆる生存能力の高いものに
変わっていくことであろう。
更に言うなら、戦闘もほとんど発生しないのでアイテム数も
極限まで減少する。シャッター、スワップ等で手札を責めながら、
ドレインマジック等で現金を巻き上げ少しでも動きを
窮屈にしておいて、必殺のライフフォースを打ち込む。
後はマップ的に相性の良いパーミッション、ワードX等を入れて
完成といった感じになるだろうか。
対戦すれば、よほどダイス運に恵まれなかったりすることが
なければ、まさに「身内キラーブック」の面目躍如といった
働きをしてくれるであろう。

 私から言わせれば、その結果は至極当然であり、
誰にでも予想できる出来事であるといえるだろう。

 ただし、「勝って当たり前」の状況でどれほどの喜びを得ることが
できるだろうか。そんな状況で得た勝利に、どれほどの価値が
あるのだろうか。いつでも勝てるなら、いつも勝つ必要はないし、
今日勝たなければならないということもない。
そう感じるのは、私自身がそれ程勝ちに対する執着心を持たない
という事を踏まえても普通であろうと思われる。

 また、このメタゲームと言うものは、対戦における事前の
膨大な情報量とその情報分析能力に比例して効果を発揮する。
例のように対戦するプレイヤー全員のブック内容とマップといった
必要最低限の情報を正確に把握しているなら比較的効果を
発揮し易い。
だが、カイチ杯のように参加人数が比較的多く、各人の
ブック傾向がほぼ予測できないなら、メタゲームはほとんど効果を
発揮しない。
たとえ上記のようなスペルブックをメタったブックであっても、
対戦相手の3人が「たまたま」そろってクリーチャー展開型ブック
(特に古柳型)だったなら、もはやどうやっても勝ち目はない。
戦闘に耐えられるようなまともな攻めクリーチャーなど
リトルグレイがあればいい方だが、それもちょっと対策されていたり
するともうアウトである。救いになりそうなアイテムも入っていない。
まさに手詰まりといったところである。

 結論的に言うなら、メタゲームというのは一種の賭けにすぎない。
一対一でゲームを行う某カードゲームとは異なり、カルドは
マルチプレイを前提としている為に対戦相手に関しての情報が
不確定すぎるのである。
また、運の要素が含まれるので明確な未来予測は全く困難である。
その分、さまざまな状況が起こるし、それに対処していくといった
面白味があるのだが。

 大会等でも最も多いであろうブックのタイプは予想出来たとしても、
そのブックはメタゲームしなければ勝てないほど強いわけでもない
のがカルドセプトというゲームの性質をよく表している。

 敢えて言うならば、メタゲームをするなら自分のブックのうち
2〜3枚を仮想敵のブック用に変更するといった程度にとどめて
おいた方が無難であるし、自分のブックの戦略を阻害するような
こともないであろう。その方が実際にプレイしたときにプレイ中の
ミスが少なくなるといった点も見逃せない。使い慣れないハイリスクな
カードを加えてプレイするタイミングを逸したり、自滅したりするのは
あまりにも愚かすぎて笑えないし救えない。


 今後大会等に出るとき、メタゲームといった言葉が浮かんだら、
こう考えてみてほしい。


「そのブックは”あなたのブック”として機能しますか?」

「苦手なブックに対しての対策はしてありますか?」


 これが満たされるなら、メタゲームなどという陳腐な言葉に
躍らされることはない。胸を張って大会に参加しよう。
それほど惨めに負けることはないはずである。

(By,たいしょー)




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