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内乱

第二次世界大戦の末期から、日本内部では、近畿以南に多い南紅と呼ばれる南方系民族と、それより東または北に分布する日本真民族と間で分離独立問題が顕在化してきた。日本真民族の長年にわたる経済・政治の占有に対して、民族自決の風が世界を席巻し、かつ真民族の産業基盤が大戦によって疲弊したため、南紅は戦前よりはるかに優位な立場を得るに至ったのである。分離独立問題は過去にも数度危険なまでに過熱した経緯があったが、その度に両民族の知識人、それに隣国朝鮮の仲介で争いを回避してきた。

しかし、一九八〇年代前半、南紅の民族解放同盟の急進派の中に塚原秀昭なる人物が出現したことで、自体は急速に不穏なものとなった。民族の自尊心を煽り、日本政府を徹底的に糾弾し非難した彼は、とうとう一九八八年六月十一日、実力による民族解放を目的として、理念共同軍を組織した。この組織は一般にGOTSという略称で呼ばれる。その活動が活発化するにつれ、穏健派と日本政府との話し合いも妨害され、ついに一九九〇年六月三日、民族解放同盟との会合へ向けて移動中であった政府公使一行が襲撃され全員殺されるという郭飯事変が発生した。この事件を境に急進派が穏健派に代わって民族解放同盟も支配し、翌月七月二十六日、日本人口の三割を占める南紅民族の独立を宣言、それを宣戦布告とみなした日本政府は治安維持の名目のもと、この内乱を制圧すべく特別治安維持隊、略称TTIを設立した。正面装備では戦争にならないGOTSはゲリラ戦及び入り組んだ市街で敵の足を止めて攻撃を繰り返す戦法を取り、TTIと互角の戦果を挙げ続けた。

ここに、第二次世界大戦から半世紀、日本は再び冬を迎えた。


目次へ戻る 1998/09/20 1