読んでいないのだが、「菊と刀」という名 著がある。ルース・ベネディクトというアメ リカ人の女性が日本文化について書いた本で ある。ルースさんは文化人類学をやってたひ とで、ようするに太平洋戦争のときに日本人 ってのはどんなやつらなのか、よ〜く研究し てやっつけよう、ということで成立したのが この本であるらしい。と、聞いたことがある。 ほんとうかどうかは知らない。
この「なんたらとなんたら」というタイト ルはその後もいくつかの類書を生み出した。 野球をとおして日米の文化を論じたのがホワ イティングの「菊とバット」(だったかな。 だったと思う)であるし、弓道と仏教を論じ たのがヘリゲルの「弓と禅」である。「裏と 表」ってのもあったような気がする。これは 「甘えの構造」を書いた土居健郎さんの本で、 日本人の精神構造についての話である。ほか にもあるかもしれないが、いまは思い出さな い。
さて、「憲法とハイソックス」である。じ つは、わたしは女子高生が好きである。いろ んな意味で好きなのだが、そのことは今回は 関係がないので述べない。街では、えっこん なのが制服なの、といいたいくらいに色っぽ いミニスカの女子高生が歩いている昨今であ る。制服で高校を選ぶ、というのがあたりま えの時代だから、高校側としても生き残るた めには(生徒を確保するのが経営にはかかせ ないのだから)ださいプリーツスカートに拘 泥してはいられないのであろう。どんどんス カート丈は短くなり、どんどん制服はかわい くなる。少子時代が、ミニスカの女子高生た ちを生んだ、といっても過言ではない。で、 そのミニスカからすんなりと伸びたあんよに、 問題の白いたるんだソックスを見つけたのは いつだったろう。いつごろからか、女子高生 たちは白いハイソックスをぴっちりとはくの ではなく、わざとたるませてはくようになっ ていたのである。もちろん、いまでもぴっち りとはいているコもいないわけではないが、 それはかなりマジメな種族である。おしゃれ や男の子よりも勉強、といったタイプの女子 高生は、ソックスをたるませないようだ。
大きめのハイソックスを、白元の発売して いるソックタッチでゆるめにとめておく。こ れが、とてもおしゃれでかわいく見えるのだ が、だれが最初にこのスタイルを始めたのか はわからない。もともとソックタッチという 商品も、靴下をぴっちりととめるために開発 されたもので、ルースフィットのための必須 アイテムになるなんて思ってもみなかったこ とであろう。女子高生たちが商品の用途を変 質させてしまったのである。が、この変質は メーカーにとってはうれしい誤算とでもいう べきもので、新しい市場を創出してくれたわ けだからいうことはないのである。
白いハイソックスをルースフィットではく、 というファッションは、わたしにはじつに興 味深いものであった。つまり、女子高生たち は制服という拘束のなかにいて、最大限に自 己表現をしているわけである。校則とか制服 というのは与えられたしばりであり、環境で ある。その、おおもとの環境を変革すること には意欲はむかない。むしろ、制約のなかで どう差異をもとめるのか、ということに女子 高生たちの意思は向かっているのであった。 ソックスの色を自由にさせろ、なんていわな い。白いハイソックスをはきなさい、という 校則には従いつつ、遊んでいるわけだ。
これは、どっかで見た風景ではないか。そ う、かつて江戸に生きたわたしたちの先祖も また、おんなじことをやっていたのである。 江戸時代には、身分に応じて服装がきめられ ていた。武士は武士らしく、町人は町人らし くするんだぜ、ということだが、これは自然 にそうなっていたのではない。幕令、あるい は藩令というかたちの衣服規制となって、明 文化されてくりかえし、くりかえし出されて いるのである。
たとえば天和3年(1683年)には、金 紗、縫、惣鹿子は禁止、銀200匁以上の小 袖も禁止されている。これがしばりである。 そのさい、町人たちはどうしたか、というと、 縫のかわりに新しい模様や染色を発達させた。 絹のかわりに、綿ドンスや綿縮緬を工夫した。 といったぐあいで、規制のなかで趣向をこら し、粋をもとめていくわけである。
ある研究によると幕府からの禁令のほかに、 各藩のだした禁令があって、少ない藩でも6 0回くらい、多い藩では200回近く「あれ 着ちゃいかん、これ着ちゃいかん」という衣 服規制がでていたそうだから、風俗のコント ロールがいかに困難であるか、ということの 裏返しでもあるだろう。しかし、お上のしば りに従いつつ、そのしばりをすりぬける、と いうスタンスは江戸の町人も平成の女子高生 もみごとに一致しているではないか。
西洋であれば、たぶんこうはいかない。も しも規制が不合理である、と考えたならば、 それを合理的なものに変えよう、とするだろ う。西洋の女子高生ならば、ルースフィット のハイソックスで差異をたのしむ、なんて方 向にはいかない。制服はやめて自由にしてほ しい、というにちがいないのだ。
いやまてよ。これは、たかが女子高生のソ ックスの問題ではないぞ、とわたしは気づい たのである。憲法はどうだろう。日本の憲法 では、戦争放棄、軍隊の廃止をうたっている のであるが、にもかかわらず、わたしたちは 自衛隊という軍隊を所有している。憲法とい うしばりはそのままにしておいて、自衛隊は 軍隊ではない、というすりぬけかたを半世紀 にわたってしてきたのである。そうして、そ の矛盾した状態にたいして、日本人はそんな に居心地のわるさを感じていない。だからこ そ、憲法9条も変えず、自衛隊も廃止せず、 という状態のまんまでやってきた。これを卑 怯であるとかいうのはかんたんだが、どうも ちがうようだ。わたしなどは自衛隊は軍隊な のだから憲法のほうを変えたほうがいいぞ、 と発言してきたのだが、これは日本人的な心 性にはそぐわない、のかもしれない、と考え るようになった。
これが欧米であれば、まず憲法を改正する だろうと思われる。じっさいにドイツあたり は、戦後すでに20回だか30回にわたって 憲法を改正していると聞くのだが、50年に もわたって憲法と現実の乖離にがまんができ るようなひとたちではないのである、西洋人 というのは。不合理ならば合理的に規則を変 えればいい、というひとたちだから。いや、 西洋人だけではないかもしれない。アジアの なかでも、中国や韓国は「日本人は信用がで きない。憲法で軍隊を持たないといいながら、 じっさいには自衛隊という軍隊を持っている ではないか」という主張をしているところを 見ると、発想は西洋と同じである。
この日本人独自の、いいかげんさ、という のはいったい何だろう、とわたしは思うので ある。女子高生のルースフィットのハイソッ クスもそうである。江戸のリッチな商人たち はお上から「質素倹約」を申し渡されたとき に、表は質素な木綿、裏は最高級の絹で仕立 てた着物をつくった。それが粋ということに なったのだが、憲法にしろ校則にしろ幕府の 命令にしろ、じっさいには面従腹背もいいと ころなのである。
西洋人の法にたいする態度の典型は、ソク ラテスであろう。「悪法も法である」といい のこして、かれは死刑判決にしたがって毒を のんだのであるが、日本人はどうやらその対 極に位置しているといっていい。これは徹頭 徹尾、国民性であり、民族の資質だろうと思 う。敗戦後、法律にしたがって闇市で食料を 買わずに飢え死にした検事がいた。それはニ ュースとなっているのだが、法にしたがって いたのはたぶん、当時の全国民のなかでただ 彼一人であったわけで、これは例外といえよ う。しかも、彼は英雄ではなく、庶民からは 愚直なばかものというていどの認知しかされ ていないはずである。飢え死にした検事はソ クラテスと同じくらい法に忠実だったのに、 日本ではばか扱いされるのである。
この文章には結論はない。ただ、どうもわ たしたちはちがうようだ、ということを一言 いっておきたかったわけである。それが国際 化の時代にあってトラブルのもとになる、と いうことなら、むしろ、「なぜ、わたしたち はそうなのか」という説明を徹底してしてい くべきなのだ。とってもむずかしいとは思う のだが。むこうがわかるかわからないかは知 らない。ただ、文化というのはそういうもの なのだ、という気がする。かんたんにわかっ たり、相互乗り入れできたりするものではな いのではないか。これは日本だけが特異であ る、という意味ではない。文化は、どの文化 もみんな特異なのであるわけだし。世界はた しかにヒコーキだのインターネットだので結 ばれて、物理的には近くなった。だが、それ はかえって「お互いにわかりあえる」という 錯覚をもたらしているようにも思うのだ。
いや、異文化理解なんてのはまだはやい。 日本人同士でも、背負う文化が異なればまず、 理解不能なのである。そんなことはない、人 間、話せばわかる、というあなた。一回、オ ームに殺されてみるといいのではないか。
Copyright © 1996 by たねりNQG63965@pcvan.or.jp
イラスト:林友彦
次の作品を読む
目次に戻る