今の世の中は、コミュニケーション拒否社会だと言える。
社会には、悪徳商法や詐欺など悪人がはびこっているから、 人を信じないのが当たり前になっている。 親はそんな事を子供にも当たり前のように教える。 誘拐される危険があるという親心なのだが、子供の頃から、 他人の言うことを聞くなと教える。
これが当たり前の事として共通認識なのである。
マンションは何百人も住んでいるのに、一つ一つ小宇宙の 中の隔離された世界に住んでいて、皆くらべれば砂漠の中に 一人でいるのと変わらないくらいの孤独の中を生きている のではないだろうか。孤独を孤独と感じる事もなしに。 街には大勢の人がいるが、私がその場で血を流し倒れてみて も、もしかしたら、見て見ぬふりの人と、遠くで眺めている 野次馬ばかりなのではないのかと、うすら寒い思いを感じる 時がある。恐い世の中になったものだ。
学校が現社会のミニチュア版だとすれば、さぞ生徒は寒い思いを している事だろう。
大震災のように、大勢の人が同じ震災にあった時、同等の立場 同士だったからコミュニケーションをはかることができたのだ と思うのは冷えた目で見すぎているせいなのだろうか。
救済通信>
阪神淡路大震災の時、インターネットは脚光をあび、人に、 パソコン通信って使えるではないか、という意識が生まれた。 音や映像のメディアでは、情報をストック出来なかったり、 選択することも困難であるという事が分かった。
パソコンでは、情報をストックし必要な情報を今すぐ必要としている人に 渡す事ができる。これは大災害時には大きな利点であった。
では、大災害時でない時、いわゆる普通の時に、困ったり苦しんでいる人 に情報を与え何か救済の目的に使えるのではないかと考えてみた。
いじめ問題で通信はつかえないだろうか?
いじめの問題は、複雑で解決には根気と時間とが必要なものである。
いじめの被害者は、親にも先生にも打ち明けられず、誰にもいえず 八方ふさがりのまま、死んでしまうケースが多い。 被害者が死んで、事の真相が分かるというものばかりなのである。
しかし、なぜ、事の真相が分かるのかといえば、 いじめの被害者は、誰にもいえない事でも文章という形では残している 場合がほとんどなのである。遺書としてではあるが。 誰かに分かってもらいたいという意識があるからにほかならない。
言えない事もmsgでは書けるという事である。 遺書を自殺者が死ぬ前に読む事が出来れば、 助けようがあるし、分析もできる。
電話でのカウンセラーも始まったが いじめ電話では、その子の所在が分からない。 これではまた、後手に回る可能性がおおきい。
そこで、小学生の子供にも通信を教える事ができれば 自殺阻止の可能性があがると思う。
idはいっそ、入学とともに発行してしまうというのはどうだろう。 小学の国語はパソコンを使う。 先生と生徒は、学校内部と家庭では通信で2重のコミュニケーション をはかる。 そうすれば、寒い学校も少しは暖かくなるのではないだろうか。
そして、世の中、言葉や、しぐさだけでは伝わらないものがあるという事を 教える事ができればいい。
約束事の証拠、聞き間違えのない証として文章は、もしかしたら、 閉ざした心を開くカギになるかもしれないと思う。 何度も読み返せる手紙(文章)は、心を伝える古来から有益な方法 ではなかったか。リアルタイムのmsgのやりとりなら出来ると思う。
これからの通信は、もっと身近であるべきではないだろうか。
家族や社会から隔離されている人なら、なおさら通信は唯一の接点に なりえる可能性を秘めていると、そう思うのだった。
クリスマスの夜>
25日の夜、残業で遅く退社した通勤電車に乗りこみ、見慣れた風景を 車窓から飽きもせず眺めていた。そう、今日はクリスマスだったな・・・
イブに見たビルの電光飾りは、勢いを感じたが、当日の夜となるとその飾りも 燻っているように見える、不思議なものだ。
朝、目が覚めて朝日に照らされたあのビルを見た時、すでにあの電光飾りは、 取り払われていたのだった。
毎年の事ながら、なんという、あっけなさ、なのだろうと思う。 ウインドウズ95のあの騒ぎとクリスマスは、大して変わらない。 短期間で大いに期待して、あっけなく終わる。
そんなものが延々と続いている。 こういう世の中なんだ。
大きな期待で何かが始まり、何事も無くあっけなく終わり、人々の記憶から 消えていく。
これが今の世の中だったりする。
© 1996 夢野仲
MJH93022@pcvan.or.jpGo to next article
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