◆Windows95 の発売日
1995年11月23日、朝食をすませてから家を出た。10時過ぎに秋葉原駅に着
いた。電気街は人通りがまばらだった。いつもならまだ秋葉原が混み合う時
間ではないのだから当然ともいえるのだが、昨夜のお祭り騒ぎを見た後だっ
たので、あの熱気は一体どこへ行ったのかと不思議な気持ちになった。
LAOXのcomputer館に入るとさすがに客で混みあっていた。いくつもあるレ ジの前には長い行列ができていた。オタクっぽい匂いを発する異様な目つき の男たちがなぜか暗い面持ちで押し黙ったまま順番を待っている。この時間 にしては異例の人出とは言え、やはり昨夜のテレビの様子と違って、いたっ て静かな印象だった。
昨夜のお祭り騒ぎがマスコミ向けの演出であったことは明白だ。ひいては それを間接的に見ることになる多くに視聴者へ向けたパフォーマンスであっ たことは間違いない。Sofmap は、23日の 0 時に向けてカウントダウンをし、 花火を打ち上げた。LAOX は小雨の降る中を行列を作っている客たちに甘酒を 振る舞った。この日、Windows95 をプレインストールしたマシンを売りはじ める予定だったパソコンメーカーは多くの社員をバス数台で動員してこのイ ベントを盛り上げた。
いくつかのテレビ局はこの模様を生放送で放映した。Windows95 が一体ど ういう商品なのかは放送している側にもよくわからないようだった。とにか く時代を変えるソフトなのだ、その記念すべき時がやってきたのだ、とただ それだけを伝えることに終始した。テレビ局にそのつもりがあろうがなかろ うが、ライトを照らし、テレビカメラを向けて、生放送で伝えたこと自体、 すでに Windows95 の発売が放送に値するイベントとして評価されたことの 証拠でもあった。いや、むしろ、マスコミが報道することによって、イベン トとして箔をつけたのだった。
この日に向けての各パソコンメーカーの入れこみようもすざまじいものだ った。 まずコンパックが、Windows3.1 プリインストール・マシンを買った ユーザーに Windows95 が発売されたら無償でアップグレードします、と思 い切った戦略を打ち出した。これを見て、各社は一斉に無償アップグレード の広告を打ちはじめた。その実態がなんであるかはわからなくても、なにや ら尋常ならざる商品が現れたことは誰に目にも明らかだった。少なくとも、 そのように印象づけたことは確かだった。
とにかくここで乗り遅れるようなことがあったら、一生の不覚であるとい う雰囲気が、パソコンメーカーの広告にも各媒体の記事にもあふれかえって いた。「これからは、パソコンできない人って、滅びると思います」と笑顔 もなくのたまう小学生のセリフが、まるで「Windows95 で乗り遅れたら滅び ると思います」というセリフに入れ代わったかの印象を与えた。
そして、この歴史的な日を迎えたのだった。
私は予定通り、 Windows95 のアップグレード版、Microsoft PLUS!、Micr osoft Office95 の3つのソフトを買いこんで、街をぶらつくこともなくさ っさと帰りの電車に乗りこんだ。 その日すぐに Windows95 を使って仕上げ なければならない仕事があったからだ。もう少し街の雰囲気を確かめたい気 持ちもあった。しかし、急がなければならなかった。私もすでに流れに乗っ て走り出していたのだった。
品川方面に向かう車中、買ったばかりのパッケージを眺めたり、窓の外の 景色を見やったりしているうちに、私の体の中から暖かい快感のようなもの が込み上げてきた。なんとも言えない幸福感だった。(技術的にはともかく) 最先端の話題のソフトを購入したことから来る満足感のようなものが原因だ ったかもしれない。その後も続く95フィーバーのせいで、その幸福感はさら に2週間ばかりも続いたのだった。
◆セットアップでSOS
Windows95 はプレビュー版から使用していたので、セットアップ(Windows
ではインストールではなくセットアップと呼ぶ)は難無く終わった。その日
の仕事も無事に済ませることができた。まずはひと安心というところだった。
マイクロソフトのパソコン通信サービスである MSN(Microsoft Network) では、23日から日本語サービスが本格的にスタートするという話だったので、 さっそく接続してみた。ところが、見るべきものはほとんどなかった。申し 訳程度の日本語化がほどこされているに過ぎなかった。Windows95 の発売日 であることを実感させたことと言えば、 マイクロソフトのフォーラムに 「笹塚茶屋」という掲示板ができており、 そこに「祝 Windows95 発売」の メッセージが多く見られたくらいのものだ。
大手のパソコン通信サービスも相当なお祭り騒ぎになっているのだろうと、 NIFTY-Serve に接続してみた。ところが SMSPOS(Microsoft Personal OS Station)の会議室にあふれたメッセージ群を読んだ驚いた。そこには「セッ トアップができません」という SOSメッセージが大量にアップされていた。
製品版に収録が間に合わなかった各種のデバイスドライバ類、CONFIG.SYS の不要な行をスキップできない不親切なセットアッププログラム。そのおか げで、 セットアップの途中で止まる、OS が起動できない、周辺機器が認識 されない、などなど、さまざまなトラブルが嵐のように押し寄せていた。た しかに README.TXT もきちんと読まないようなお気楽なユーザーも多かった が、そのトラブルの多くは、急ぎすぎた出荷のマイナス面がもろに出たもの ばかりだった。これらのトラブルの山はセットアップもインターフェースも 容易であることを強調した Windows95 のイメージを覆すに十分なものだった。
8月の英語版の発売後もアメリカで似たようなトラブルがあった。だから 3ヶ月後もたった後の日本で同じことがまた繰り返されているのは不思議だ った。反省の色がないというべきなのか、それとも確信犯なのか。
そう言えば、高倉健が出演している富士通のCFは、いまだに Windows95 の初期画面から進んでいないではないか。彼もまたセットアップに苦しみな がら、「変わっちまったな」とつぶやいているのだろうか。「変わっちまっ たな」に続くセリフは、「もとに戻してくれよ」だろうか。
パソコン通信での SOS の声に新聞の報道が続いた。Windows95 がセット アップできずに困っているユーザーが大量におり、メーカーへの問い合わせ が殺到して、サポートセンターは悲鳴をあげていると新聞は伝えた。
ただでさえパソコンユーザーは OS の移行には慎重なのに、こういう報道 がされてしまえば、売れ行きも鈍くなって当然だ。諸般の事情によってあの 日の発売がどうしても必要だったのかもしれないが、それにしてもマイクロ ソフトは失ったものが大きかったのではないだろうか。
あらかじめ Windows95 を組み込んだプリインストールマシンならばセッ トアップの問題は発生しないがソフト会社の利益は薄い。Windows95 のソフ トを単体で買ってくれた方が利益は大きい。ユーザーの多くがこの状況を見 て、ますます慎重派に傾いたとすれば、見えない損失はかなりにのぼるので はないだろうか。アメリカでは発売直後好調だった売り行きがすぐに鈍り、 売り上げの予測を下方修正したと言う。
徹夜をしてセットアップに取り組みながらも、どうにも動かないパソコン を前にして、おのれのお調子者ぶりとマイクロソフトを怨んだであろうユー ザーにとっても、十分な準備ができてから発売に踏み切ってくれた方がどれ だけよかっただろうか。
Windows95 のアップグレードに挑戦したのは、その多くがおそらく自信の あるユーザーだったのだろう。初心者はそんなに多くの割合を占めていない ような気がする。しかし、自信があると言っても、 Windows3.1 の経験しか なく DOS を知らないユーザーには、セットアップ時に生じるトラベルに対 処できるだけのスキルはないし、各種の README に書かれた内容を理解して 適切に対処する能力はない。そこへ持ってきてドライバ群の不備である。う まくセットアップできるのは僥倖といってもいいくらいではないか。過去を 引きずることの困難が露呈したとも言えるし、単に拙速とも言えそうだ。
告白しておくと、私もインターネットの E-Mail の送信には若干てこずっ た。PLUS! に含まれていたインターネットエクスプローラーは簡単にセット アップできたし、WWW の利用もすぐに行えた。ところが電子メールは読める ものの送るのはうまく行かなかった。オンラインマニュアルの関連ある個所 をすべて読んでなんとか解決したが、Windows95 のマニュアル関係はあまり に不親切だ。かなりのベテランユーザーであっても苦労する個所がいくつも あるようだ。
(余談:マスコミの伝えた恐るべき記事として、NEC のセットアップ問題 を取り上げた週刊ダイアモンドのコラムはすごかった。NEC の Canbe にお いては、 Windows95 をセットアップするときに、ユーザー自身が CONFIG. SYS の中の一行を削除しなければならないのだが、これを不親切で時代に流 れにそぐわない現状認識だと断じたのはいいとして、この「一行を削除」の ことをプログラミングの知識が必要だと説明して憤慨していたのだ。この記 事を書いた人はワープロも使ったこともなのかもしれない。しかし、プログ ラミングの知識とはいったいどこから持ってきた言葉だろうか。知人にでも 聞いたのか。 ついでに言っておくと、CONFIG.SYS の中の一行を削除する必 要があったのは、 なにも NEC だけではない。AT 互換機において 3 モード FDD を使っている場合はどの機種でこの作業が必要だった。それにしてもな んで NEC ばかりを問題にするのだろうか。富士通の FMV(590) などははるか にやっかいな操作をしなければセットアップできないというのに。)
(余談:私が入会しているサービスプロバイダはBNNインターネットだ。 金を取って入会させてもいつもビジーでまともに利用できないと朝日新聞に たたかれた例のプロバイダーだ。サービス開始直後にはビジーが多かったら しいが、この記事が出た頃には、問題なく接続できていたと言う。テレホー ダイの時間は避けているせいもあって、私が利用していて話中だったことは 数えるほどしかない。BNNインターネットの名誉のために、一言添えておく)
◆簡単幻想の中身
「簡単」という言葉の認識のずれがマスコミや初心者をますます混乱させ
たようだ。Windows95 は OS にすぎない。簡単になったのはおもにユーザー
インターフェースと、周辺機器の接続だ。それ以外の改良は初心者にはほと
んど見えないし、マスコミもあまり取り上げない。とくにパソコンの専門雑
誌以外は取り上げようにも知識がないので取り上げられない。それでいきお
い「簡単」という言葉が過剰に使われるようになる。そのおかげで、初心者
ユーザーはあまりに単純に「Windows95 は簡単」幻想を持ってしまった。
セットアップのことは置いておくとして、いざ Windows95 を起動して後、 いったい何が簡単なのかと言えば、それはアプリケーションソフトの起動が 簡単なのだ。 笑ってしまうが、初心者にとっては、Windows3.1 と 95 では そこが一番の違いだ。その次あたりはタスクバーによる複数のソフトの切り 替えだろうか。95になったからと言って、アプリケーションの使い方そのも のが大きく変わるわけではない。ところがテレビ、新聞、雑誌の報道は、Wi ndows95 によってパソコンの操作性が革命的に変わってしまったような印象 を与えた。
簡単だからと言って、何も知らない初心者が統計処理や図の入った報告書 をぱっと作成できるわけでもなかろう。しかし、それに近いことをイメージ しているユーザーが多いのだ。それこそマウスのボタンをちょちょっと押す だけで思い通りの結果が手に入ると思い込んでいる。私の知り合いなどは、 パソコンに向かって今日の天気はどうですかと聞くと、はい、いい快晴です、 とすぐに答えてくれるのだと思っていたそうだ。そこまで操作が簡略化され るのも時間の問題かもしれないが、現実の「簡単」さがどの程度のものなの かについての、よりリアルなイメージはまったく伝わっていないのだ。実際 にパソコンを買ってみてから、簡単でないことを知るケースがかなり多い。
マスコミ関係者も一度自分でWindows95搭載パソコンをいじってみればよ かったのである。「週刊読売」「週刊宝石」男性ビジネスマン向けの週刊誌 を見ると、記者がパソコンに挑戦する企画などが連載されている。こうした 試みをもっとはやくからやっておけば、「簡単」という言葉の実態がもう少 しわかっていたことだろう。ちなみに「週刊読売」の記者は独学では手にお えなくなったので、パソコンスクールに通う羽目になった。
1996 年にはパソコンの売り上げは 750 万台に達するだろうという予測が 出ている。電通の調査では、1 年以内にパソコンを買いたいと思っている人 のじつに86%が今までパソコンを持たずにいた新規購入者だ。さらにその40 %が女性だ。その数字には会社でいじったことがある人が含まれているとは 言え、怒涛のような初心者の時代がやってくるのは間違いない。他人事なが ら心配になる。
相対的に評価すれば確かに GUI になってからのパソコンの操作性は向上 している(DOSでメニューとファイラーを駆使した方がずっとマシだという 通も多いが)。しかし、いろいろな製品が増え、それにつれて専門用語も増 え、初心者にはかえってわかりにくくなってはいないだろうか。入門書やマ ニュアルに書くべき内容も増えてきた。ハードウェア、ソフトウェアともに ベテランでもわからない技術が多い。とにかく進歩速い。しかも、古いもの が消えるのではなく、いつまでも残っている。パソコンをめぐる情報は増え る一方である。
これからはネットワーク分野も不可欠だ。1995 年は Windows95 やネット スケープの話題が多かったが、1996年はどうなるだろう。すでに Jawa の話 題が賑やかになりつつあり、さっそくサラリーマンの読む夕刊紙などが大々 的に取り上げて、マイクロソフトなど問題ではない、などとやっている。イ ンターネットといえば現在は WWWだが、 その WWW を超える Hyper-G なる ものまで出現している。Windows95で躍らされた後はいったい何で躍らされ るのか。
「インターネットにはすべての情報がある」などという表現は明らかな嘘 ではないか。しかし、このような誤解を招く表現があふれている。まだそれ を手に入れていない人たちは焦りを感じ切迫感に追い立てられる。すべての 情報をマウスをクリックしただけで手に入れられる人などいるわけはないの に。近所の本屋や図書館にある情報だって入手はできない。できてもごくわ ずかだ。
夢のようなイメージばかりを振りまいてはいるが、「簡単」の中身はかな り錯綜しているのが現状だ。自分のやりたい小さな領域の中に閉じこもって でもいない限り、情報過剰の目まいに足元はフラフラとなりそうだ。知れば 知るほどわからなくなる。新しい時代が開いていこうとしているのか、それ とも蟻地獄の中に落ちていくのか、それさえもわからない。
(余談:Windows95 の評価に関してはさまざまな見方がある。インターフ
ェースと PLUG&PLAY を取り上げて、マックに近づいたという評価がマスコ
ミに少なからずあったのは周知の通りだ。スタートボタン、タスクバー、右
クリックの多用など、95になって付け加えられたインターフェースはどれも
マックとは異なっているにもかかわらずそう言われている。 操作性ならば
むしろ 3.1 の方が近かったはずだ。それともごみ箱のことを言っているの
だろうか。ごみ箱ならば、3.1 時代からオンラインソフトがいくつも出回っ
ていたではないか。
マイコンピュータを開いて操作するとマックに似てくるが、こういう使い
方をするユーザーはほとんどいないだろう。ファイルの操作は基本的にはエク
スプローラーを使うだろうし、プログラムの起動はスタートもしくはショー
トカットだろう。
32ビットOS という紹介や OS の信頼性が抜群によくなったかのような
評価記事もあったが、もちろん実際は部分的な 32ビットOSであるし、信頼性
には疑問があることはマイクロソフトも言っている。マイクロソフトは企業
ユーザーには NT の方を薦めている。
3.1 のソフトがそのまま動くかのようなことも言われていたが、これはや
や期待外れだった。むしろ DOS ソフトの方がよく動いている。
だからと言って、95がよくないと言っているのではない。少なくとも私は
3.1よりは好きだし、けっこう気に入っている。売らんかなの記事が多いの
がちょっと残念なだけだ)
◆苦しいパソコンメーカー
パソコンは売れてはいても、パソコンメーカー自身も笑顔ではいられない。
赤字覚悟の富士通の一心不乱ぶりはビジネス誌でも取り上げられているほど
だ。コンパックでさえあんな値段は付けられないという安売りを平然と行っ
ている。それでいて、販売店にはきちんと利益が出るように配慮していると
も言う。今のうちにシェアをとっておけば、量産効果で後から利益が出てく
るはずだ、という読みらしい。1 円入札で話題を呼んだり、格安料金で学校
にタウンズをばらまいた富士通らしい発想かもしれない。
(余談:ちなみに富士通の FMV は AT互換機のようなふりをしていながら、 AT互換機用の周辺機器が動かないような特別な AT互換機だ。マザーボー ドが特殊なためにそういうことになっている。注意した方がいい。話題の 3 Dアクセラレーターの Diamond Edge 3D も FMV では動かない)
価格競争が激化したおかげでどのメーカーもパソコンが利益の薄い商品に なってしまっている。つぶれるところはつぶれろ、体力があるところが生き 残る、というわけだ。体力勝負となれば国内の大手家電メーカーがこれから 有望になってくることが考えられる。と同時に苦しい戦いの中でこと切れる メーカーも出てくるだろう。すでに参戦している以上、どのメーカーも苦し くても踊り続けなければならない。おまけに自分たちが大量に生み出した初 心者ユーザーがごくごく初歩的な問題も解決できなくて、サポートセンター にじゃんじゃん電話をかけてきて、怒りをぶちまけることだろう。Windows95 に関する質問でも、プリインストールマシンの場合は、問い合わせはパソコ ンメーカーに行うことになっている。
この価格競争でとんでもない苦境に立たされているがアップルだ。アップ ルは Windows95 とはライバル関係にある OS を搭載したパソコン、マッキ ントッシュの販売を行っている。しかし、アップルとて価格競争とは無縁で はいられない。そもそもアメリカのシェアの 11〜12%程度を占めているに過ぎな いアップルは、 AT互換機のように圧倒的なシェアを利しての量産、低価格 化は難しい。しかし、対抗上安い商品を品揃えしなくてはらないと考えて、 入門用の低価格マシンを用意した。ありがたいことにこの低価格マシンが大 いに売れているのだが、皮肉なことにこれが売れても利益が出ないのだ。無 理して値段を付けている商品が売れているので、大きな赤字となっている。
8 月の Windows95 の英語版の発売直後に、マックも売り上げが伸びている、 などと強気なことを言っていたアップルが、PCWEEK のホームページによると、 幹部の退陣、2000 人のレイオフなどを計画していると報じられている。ABC のニュースではすでに副社長 4 人が退陣したと報道された。('96.1 中旬)
比較的シェアの大きな日本国内においてはどうだろう。 やはり 11 月 23 日の Windows95 の発売以降、パソコンブームに乗って秋葉原でのマックの 売り上げは伸びているとの報道もあった。しかし、その実態には大いに疑問 がある。売れてはいるかもしれないが、儲かってはいるのだろうか。
PowerBook からは火が吹くというし、HDD がネットワークに対応できて いなかったりとアメリカのパソコンジャーナリズムから流れてくるニュース を見ていると、どうもアップルの状態は尋常ではないようだ。
出る出ると言って出てこない次期マック用 OS のコープランドもいつ出る のか。出てきたところで見るべき技術は使われていないとすでに言われてい る。最近のバージョンアップではサポートの悪さがユーザーから指摘されて いる。パソコンのインターフェースはユーザーフレンドリだが商売において はユーザー無視の体質は変わらない。
話がだいぶそれてしまった。とにかく、パソコンブームとは言いながら、 どのメーカーも大変な競争を続けなければならないのだ。
◆パソコンができたって滅びると思います
これほどまでにパソコンブームが盛り上がっている背景には企業の情報化
の要請がある。工場などの生産部門でのコンピュータの導入はかなり進んで
いるが、事務処理においてはまだこれからだ。最近よく言われるのは、ホワ
イトカラーの生産性の向上だ。これから企業の合理化の中心となるのは事務
処理の情報化だ。企業が競争力をつけて生き延びるためには、社員ひとりひ
とりの生産性を上げる必要がある。
情報化を進めたい企業としては、社員がパソコンを使ってくれないと困る。 一人一台などと威勢のいいことを言う企業も増えている。女子社員にワープ ロを打ってもらうだけでは間に合わない。「自分でワープロを打ちなさい、 パソコンで書類を作りなさい。情報のやり取りは電子メールでやりなさい」 というわけだ。年配の管理職も例外ではない。若い社員をつかまえて、さも 当然のような顔をして「キミ、これ、頼むよ」なんて言ってはいけないのだ。
パソコンが簡単だの難しいだのを問題にするときに引き合いに出されるの がこれらの中高年のサラリーマンだ。リストラで苦境に立たされたばかりで はなく、これからは情報化に対応しなくてはならない。もちろん、もっと若 い層でも同じ事が言える。就職氷河期もまだ終わりそうもない。パソコンが 使えることを採用の条件にしている企業も出てきている。
(こうした状況に切迫感を持ち、自腹を切ってパソコンを買い、悪戦苦闘し なんとかパソコンの操作を覚えてようとするサラリーマン、学生たちがたく さんいる。彼らがどのように勉強するのか、どのように苦労に遭遇するのか というのも面白いテーマだが、今回はそういう話はとりあげない。)
企業や職種によるだろうが、パソコンができた方が有利であるという傾向 は、こらからも強まっていくだろう。大勢はそうなっている。では、OLや サラリーマンたちがパソコンを使い、生産性を向上させたとして、どういう ことが起こるのか。会社が儲かって給料があがるのか。すぐさま景気が回復 するのか。これは楽観的にすぎる。生産性が上がってもそれに見合った仕事 がなければ、人を減らして合理化をさらに進めるしかないのだ。
自腹を切ってパソコンを買い、自宅で密かに練習を積み、苦労してパソコ ンを覚えて、その結果、会社に放り出されたら、それこそ踏んだり蹴ったり ではないか。ところがこの可能性は大いにある。ライバル会社だって合理化、 情報化を進めるのだから、情報化して当たり前、生産性が向上して当たり前 ということになる方が自然だろう。価格破壊も進んでいるし、生産性の向上 がそのまま利益の増加につながるとは考えにくい。
パソコンができなければ、まっさきに不要な人材として合理化の対象にさ れるかもしれないし、就職のときに不利になるかもしれない。しかし、たと えパソコンができる社員ばかりがいて、生産性高まったところで、今度は一 人が二人分あるいは三人分も働くのだから、やはり人が余ってくることにな る。もしかしたら、今以上に暗い雇用状況がやってくるのかもしれない。
現在、産業界が期待する新ビジネスはマルチメディアだ。123 兆円とも言 われるマルチメディア産業が本格的に立ち上がれば、大量の雇用が期待でき る。これによって活気が一気に戻ってくることもありえる。問題は、大量の 失業者を出す前にマルチメディア産業の立ち上げは間に合うのか、というこ とだ。
主として通信、放送の分野での規制緩和とマルチメディア産業への優遇措 置、自由な競争を保証しつつ独占を排する市場のコントロール。こうしたこ とを含んだ政府の明確なビジョンと行動が急務となる。アメリカの副大統領 アルバート・ゴア・ジュニアのようにしっかりしたビジョンを持って、こと の重要性を訴える政治家がそろそろ出現してこないと、日本は国際的な情報 化の波に乗り遅れるかもしれない。
つい最近、東急ケーブルが 1 年後にインターネット事業に乗り出すことが 報道された。この同軸ケーブルを流れる情報量は 10Mbps だから、ISDN など に比べればはるかにマルチメディアにふさわしい。さらに、企業の通信回線 を商用利用することも認められた。少しずつではあるが、規制緩和は進んで いるらしい。しかし、まだまだ小出しにしているような印象はぬぐえない。 後れを取ってはいけない。この 1、2 年を勝負と見て、大きな改革に踏み出 していかないとアジアにおいてさえも情報後進国になるかも知れないのだ。 光ファイバーや同軸ケーブルを使った高速回線が限りなく安価に利用できる こと。それが当面の目標となる。それがどうしても必要だ。
しかし、残念なことにそれでバラ色の未来になるかどうかはわからない。 過渡期には混乱も多いはずだし、情報格差の問題はそう簡単には解決しない だろう。情報に自由にアクセスできる人間はますます有利になり富む、情報 にアクセスできずに取り残される人間はますます不利になり貧困に陥る。そ れが情報格差だ。社会がより技術的になれば、力の差はより明瞭になりやす い。肉体的限界がないので、力の差が無限大に広がる可能性がある。たとえ 誰もがアクセス可能な状態を作り出せたとしても、情報収集のそして情報処 理の能力の違いは歴然としているだろう。今まで以上に過酷な世界がやって 来ないとは誰にも言えない。
ネットワーク社会ゆえの犯罪の問題も発生するだろうが、それらを抜きに 考えても、絶望音頭の種はこれからも絶える様子はないようだ。
© 1996 グラウコン
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