イーハトーブの国のアリス (11)

                                       Written by たねり

6・ポラーノの広場(承前)

 ポラーノの広場ではオーケストラが愉快そうなワルツをやりはじめました。78人の
人たちが組になって踊りだしました。アリスたちは人びとの踊りの輪をじゃましないよ
うにぐるりと広場を回りながら、オーケストラのステージに近づいていきました。
 「あれが山猫博士だよ」
 ファゼーロが向こうのテーブルにひとり座ってがぶがぶ酒をのんでいる肩幅のひろい
男を指差しました。黄色の縞のシャツに赤い皮の上着という派手ないでたちは、ポラー
ノの広場に集ったどの人物よりも目をひきました。
 「あれだけ派手なコーディネイトをしていれば、孔雀にだって負けないわね」
 アリスは感心していいました。かれの行動は何かと批判のまとになっているのに、そ
れでも自己主張のつよい服を着るのですから、よほどの自信家なのでしょう。
 「逃げもかくれもせず悪さをするのですから、質(たち)がわるいやね」
 パッヘルベルも肩をすくめて、吐きすてるようにいいました。「でも、あの釜猫にも
いわれた通りですぜ。ここはデステゥパーゴの縄張りだ。用心してくださいよ」
 オーケストラはワルツが終わると民謡風のメロディを奏で始めました。指揮者という
のはいなくて、第一バイオリニストがコンサートマスターと指揮をかねているようでし
た。ポラーノの広場に音楽がとだえることのないように、という約束でもあるのでしょ
う。ひとつの曲が終わると、おおいそぎで次の楽譜を指示して、せいぜい3つか4つ数
えるほどの休みもなく、新しい曲がはじまるのです。まったくジュークボックスみたい
なオーケストラでした。
 アリスたちはオーケストラ・ステージのすぐそばまでやってきて、演奏者の顔を一人
ひとり確認していきました。いや、ほんとうをいえばすぐにセロ弾きのなかにゴーシュ
がいないことはわかったのです。セロは二人しかいませんでしたからね。一人はずんぐ
りむっくり、もう一人は背高のっぽのセロ弾きで、まるでゴーシュとはちがっていまし
た。それでも、バイオリンからビオラ、トランペット、ホルン、クラリネット、太鼓と
音楽家の顔を見ていきました。そこには、アリスの見知った顔はありませんでした。
 「いないね、ゴーシュさん」
 ファゼーロがアリスを気づかうようにつぶやきました。
 「いませんな、ゴーシュ先生」
 パッヘルベルが難しい顔をして首をふりました。
 「でも、きいてみましょう。せっかくここまで来たんですもの」
 ファゼーロやパッヘルベルが止める間もなく、アリスはステージにかけあがるとびっ
くりして音楽を止めてしまったオーケストラの団員たちにたずねました。
 「演奏のおじゃまをしてすみません。わたし、アリスともうします。じつはお友だち
を探しているのですが、金星音楽団でセロを弾いているゴーシュさんをご存じありませ
んか?」
 団員たちは突然の闖入者にあっけにとられて、お互いに顔を見合わせているだけで言
葉もありません。音楽が止まってしまったので、ポラーノの広場の人たちも異変に気づ
いて、あちこちの談笑や乾杯のざわめきがまるで潮が引くように消えてしまいました。
広場は水をうったように静まり返り、アリスはステージのうえで人びとの視線を一身に
集めることになりました。
 「その子どもは何だ」
 デステゥパーゴがテーブルから立ち上がると吠えるような声でききました。せっかく
の宴を中断されて不愉快なのでしょう。その声には明らかに怒りの色が見えました。
 アリスは困ってしまいましたが、ステージにはオーケストラもあることだし、と思い
直して、
 「はじめまして。わたしは歌手のアリスです。今宵は、イギリスとイーハトーブの親
善のために歌をうたいます」
 と宣言しました。すると広場のあちこちではりつめていた空気がほどけて、どっと拍
手や掛け声なども起こりました。アリスはコンサートマスターに
 「フローゼントリーをやってください」
 とお願いしました。
 「フローゼントリー、譜もないしなあ、古い歌だなあ」
 コンサートマスターは意外な展開にとまどって、楽員たちと顔を見合わせて相談して
いましたが、
 「そいじゃね、クラリネットの人しか知ってませんから、クラリネットとね、それか
らトライアングルで調子だけとりますから、それでよかったら2節目からついて歌って
ください」
 クラリネットがメロディを吹き始めました。デステゥパーゴも納得のいかない顔をし
ていましたが、首をまげて聞くだけはきいてやろうというふうでした。
 アリスは歌いだしました。
 「けさの六時ころ     イーハトーブの
  水車小屋には      ひとの声もなく
  朝霧がそのときに    ちょうど消えかけて
  あるじの行方は     猫すら知らなかった
  わたしは玄関の     石にこしかけて
  1枚のビスケットを   かじりはじめたら
  ポラーノの広場まで   いきなさいと
  降りて来たのは     二疋の電気栗鼠
  わたしは急いで・・・          」

 「おいおい、でたらめをいっちゃいかんよ」
 山猫博士はいきなりアリスの歌をさえぎって、怒鳴りだしました。「けさ、イーハト
ーブの水車小屋に電気栗鼠などがいたはずはない。それになんだ。あるじの行方とやら
とポラーノの広場がまるで関係あるみたいなことをいうじゃないか。失敬千万だな。も
っとよく考えてうたってもらいたいね」
 「あら、ただの歌なのにそんなに顔を赤くするなんておかしいわね」
 アリスはデステゥパーゴをにらみつけるとステージを下りました。すると山猫博士が
立ち上がりました。
 「今度は我輩がうたってみせよう。こら楽隊、In the good summe
r timeをやれ」
 オーケストラの人たちは何べんもこの曲をやったと見えてすぐ一緒にはじめました。
山猫博士は案外うまく歌いだしました。
 「つめくさの花の  咲く晩に
  ポラーノの広場の 夏まつり
  ポラーノの広場の 夏まつり
  礼儀を知らぬ   こむすめと
  猫と若造が    でかけてくると
  ポラーノの広場も 朝になる
  ポラーノの広場も 白ぱっくれる」

 ファゼーロは泣きだしそうになって黙ってきいていましたが、歌がすむとステージに
かけのぼってしまいました。
 「ぼくも歌います。いまのふしです」
 オーケストラはまたはじめました。山猫博士は、
 「いや、これはめずらしいことになったぞ」といいながらまた大きなコップで二つば
かり引っかけました。ファゼーロは力いっぱい歌いだしました。
 「つめくさの花の  かおる夜は
  ポラーノの広場の 夏まつり
  ポラーノの広場の 夏まつり
  酒くせのわるい  山猫が
  黄色のシャツで  出かけていると
  ポラーノの広場に 雨がふる
  ポラーノの広場に 雨がふる」

 デステゥパーゴがもう憤然として立ち上がりました。
 「何だ失敬な。決闘をしろ決闘を」
 パッヘルベルがファゼーロとアリスをかばうように前に出ると、両手を広げて仁王立
ちしていいました。
 「馬鹿をいえ。貴様がさきに悪口をいっておいて、こんな子どもに決闘だなんてこと
があるもんか。おれが相手になってやろう」
 「へん。猫の出る幕じゃない。おまえは家でかつぶしでもかじってろ。こいつが我輩
、名誉ある県会議員を侮辱したのだ。だから我輩はこいつへ決闘を申し込んだのだ」
 「いや、さっきから見ているとさも貴様一人の野原のように威張りかえっているじゃ
ないか。猫の決闘を受けられないとはいわせないぞ。さあ、ピストルか刀かどっちかを
選べ」
 するとデステゥパーゴはいきなり酒をがぶっと呑みました。パッヘルベルは、心のな
かで(ああファゼーロで大丈夫だ。こいつはよほど弱いんだな)とわらいました。
 はたしてデステゥパーゴは空っぽな声で怒鳴りだしました。
 「黙れっ。貴様は決闘の法式も知らんな」
 「よし。酒を呑まなきゃものを言えないような、そんな卑怯なやつの相手は子どもで
たくさんだ。おいファゼーロしっかりやれ。こんなやつは野原の松毛虫だ。おれがうし
ろで見ているからめちゃくちゃにぶん撲ってしまえ」
 「よし、おい、誰かおれの介添人になれ」
 デステゥパーゴの呼びかけにこたえて、夏フロックコートを着た秘書みたいなのが出
てきました。
 「まあまあ、あんな子どもをあなたが相手になさることはありません。今夜は大切の
場合なのですからどうかご自重なすって」
 すると山猫博士はいきなりその男を撲りつけました。
 「やかましい。そんなことはわかっている。黙っておれ。おい誰かおれの介添をしろ
。いや、もういい。介添人などいらない。さあ仕度しろ」
 「貴様も早く仕度しろ」
 パッヘルベルはファゼーロの上着をぬがせながらいいました。アリスは思わぬ成り行
きに心配でしかたがありませんでしたが、事態はもう一直線に決闘に突き進んでゆきま
した。
 「剣でも大砲でも好きなものを持ってこいよ」
 「よし、おい給仕、剣を二本持ってこい」
 それをきいて、給仕が待っていたようにいいました。
 「こんな野原で剣はございません。ナイフでいけませんか」
 デステゥパーゴは安心したようにしながら「よし、持ってこい」と声だけ高くしてい
いました。
 「承知しました」
 給仕が食事に使うナイフを二本持ってきて、うやうやしくデステゥパーゴにわたしま
した。なんだか芝居じみているわ、ディナー用のナイフで決闘するなんてシェークスピ
アならコメディにしたかもしれない、とアリスは思いました。デステゥパーゴはていね
いにそのナイフの刃をしらべておりましたが、
 「さあ、どっちでもいいほうをとれ」
 と居丈高にいって二本ともファゼーロに渡しました。ファゼーロはすぐにその一本を
デステゥパーゴの足もとに投げて返しました。デステゥパーゴがそれを拾うのを見届け
ると、パッヘルベルは真ん中に出ました。
 「いいか。決闘の法式に従うぞ。組打ちはならんぞ。一、二、三、よし」
 デステゥパーゴはその短いナイフを剣のように持って一生懸命ファゼーロの胸を突き
ながら後ずさりしました。ファゼーロは短刀を持つように柄をにぎって、デステゥパー
ゴの手首を狙いました。三度ばかりぐるぐる回っているうちに、デステゥパーゴはいき
なりナイフを落として、左の手で右の手首を押さえてしまいました。
 「おい、おい、やられたよ。誰かヨードホルムを持っていないか。過酸化水素はない
か。やられた、やられた」そして、べったり椅子へ座ってしまいました。
 ずいぶんあっけない結末に、パッヘルベルは笑いをこらえていいました。ファゼーロ
のナイフが手首にふれただけで、デステゥパーゴの手首に血の色は見えませんでした。
 「よくいろいろの薬の名前をご存じですな。水をかけておきましょう」
 給仕がジョウロにためた水を持ってきました。パッヘルベルがそれを受け取ると、頭
を冷やせ、というようにシャーッとかけましたので、デステゥパーゴは濡れねずみにな
って立ち上がりました。そして悔しさのためでしょう、顔を真っ赤にして、
 「我輩はこれで失敬する。みんな十分にやってくれたまえ」と広場を見渡しながらい
いました。アリスたちには、捨てぜりふのように、
 「尋ね人はざんねんだったねえ」
 と言い放つと、勢いよく野原のなかへ走りました。すると、夏フロックを着た手下み
たいのも四五人急いであとを追いかけて行ってしまいました。山猫博士の一行がいって
しまうと、にわかにみんなが元気よくなりました。
 「やい、ファゼーロ、うまいことをやったなあ。この青い目のお嬢さんはいったい誰
だい」
 「アリスさんだよ。西洋の人なんだ」
 「かわいい人じゃないか、おい」
 「そんなんじゃないやい。人探しの手伝いをしているだけだ」
 ファゼーロはからかわれて、ふくれっ面をしました。
 「いったい今夜はどういうんですか」アリスはケガ人が出なかったことに一息ついて
たずねました。
 「うん、山猫の野郎来年の選挙の仕度なんですよ。ただで酒を呑ませるポラーノの広
場とはうまく考えたなあ」
 「この春から代わる代わるこうやってみんなを集めて呑ませていたんです」
 「その酒もなあ」
 「そいつは言うな。まあ一杯やりませんか」
 パッヘルベルはじつに呑みたそうな顔をしていましたが、アリスやファゼーロがお酒
に手を出しませんので、
 「いいえ、わたくしどもは呑みません」
 と断りました。
 「ときに、人探しといったねえ。それはどんな話だい」
 いつの間にか、アリスたちを囲む人だかりができていました。デステゥパーゴの一行
が消えるとき、華やかだけれどもどこか油断のならない空気もいっしょに連れていった
ようで、ポラーノの広場にはくつろいだ気分があふれていました。
 「金星音楽団のゴーシュさんが書き置きものこさないで消えてしまったのです。彼は
イーハトーブではじめてお友だちになった人ですから、心配しています」
 アリスはみんなの顔を見回しながら、真剣に訴えました。「ガウスだって?」「ばか
、ゴーシュウだ」「ちがうちがう、ゴースだろう」「金星音楽団かあ。音楽にゃうとい
ものでね」「そいつはどんな年恰好をしているんだい」・・・ざわざわと隣同士で話を
しているものたちのなかで、一人の蝶ネクタイをした紳士がアリスに近づくといいまし
た。
 「セロ弾きのゴーシュ君? 先日のコンサートのアンコールには感服したのだが、あ
の彼が行方不明というのかね。ふうむ。この広場の楽団の太鼓叩きが昔、金星音楽団に
いたときいているからゴーシュ君とは知り合いのはずだよ」
 そして紳士は身軽にステージにあがると指揮者に耳打ちをして、ティンパニーを叩い
ていた太っちょの団員をつれてもどりました。アリスはその団員を見て、不思議の国の
なつかしい人物を思い出しました。そうなんです、あのハンプティダンプティにそっく
りじゃありませんか。
 アリスはいきさつを簡単に話すと、「ゴーシュさんのこと、ご存じありませんか」と
太っちょの太鼓叩きにたずねました。彼はポケットからハンカチを出すと、しきりに流
れ出る汗を拭きました。
 「ゴーシュ、ゴーシュ、ゴーシュ。ああたしかにそんな名前のセロ弾きはいましたっ
け。だけど、わたしが金星音楽団をやめてからはもう、つきあいはありませんから。い
っこうにお役に立てずにあいすみません」
 ハンプティダンプティはそういうと、(ほんとうは違う名前のようですが、アリスは
もうそう呼ぶことに決めたのです)そそくさと演奏に帰っていきました。
 「どうも、手がかりにはならないね」
 パッヘルベルはアリスを慰めるようにいいました。でも、アリスはハンプティダンプ
ティがゴーシュの話をしているとき、顔が赤くなったり青くなったりするのを見逃して
はいませんでした。それに、汗のかきかただってふつうではありません。
 アリスはパーティをたのしんでいる人たちにお礼をいうと、パッヘルベルとファゼー
ロをうながしてポラーノの広場のはずれまで歩きました。音楽やざわめきが潮騒のよう
に遠く小さくなり、空には二十日の月が黒い横雲の上からしずかにのぼっておりました

 アリスは広場の人びとから見えなくなったところで、ぴたりと止まりました。
 「彼は何かをかくしているわ。それもとても重要なことを」

                                 (つづく)
 

●アリスとの旅の半ばに。
 これで11回目になりますが、いま、旅のどのあたりにいるのか、書いている自分も
わからない状態です。最後はアリスといっしょに銀河鉄道に乗りたいとほんとうに願っ
ていますが、そこに到るまでにあとどれだけの作品のなかを歩くのだろう。グスコーブ
ドリにも行きたいし、ブランドン農学校の豚にも会いたいし、ビジテリアンの祭にも参
加したい・・・とまあ、訪ねたい世界はいくらもあるのです。
 宮沢賢治のオリジナルの文章を基礎のレンガにして、アリスという漆喰で固めながら
もう一つのファンタジー宇宙を創世する、というのが「イーハトーブの国のアリス」の
狙いでした。レンガが足りない部分は当然、新しくつくらなければなりません。継ぎ足
した部分はわたしのフィクションということになりますが、宮沢賢治と決定的にちがう
な、と思うのはオノマトペの質です。賢治の文体にかんしては、作品によっては推敲さ
れていない、習作の段階だと感じられる粗さもけっこうあります。それはかれが職業作
家ではないし、原稿用紙の裏にまで書きなぐるという創作のスタイルからも了解はでき
る。詩とはちがって、未発表の童話の一つひとつの言葉に磨きをかけるところまでは気
をつかわなかったのでしょう。しかし、オノマトペの使い方は宮沢賢治だけが獲得した
感覚ですから、その言葉による自然への切り込みは真似のできるものではありません。

 しかし、こういう試みをなんといえばいいのだろう。パロディとも違う。批評精神で
やっているわけではありませんから。宮沢賢治の世界が好きで、アリスというキャラク
ターも好きで、ただただそのなかで存分に遊びたい、という気持ちがわたしにはあるだ
けです。

Copyright (C) 1999 by たねり 
 


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