私が台湾へ行ったのは、これが初めてでした。3月の上旬、家で台湾ポップスのCDを聴いている時、突然台湾に行ってみたくなり、急遽、会社に休みを取りました。最初台北で買い物をするくらいのつもりでしたが、あれこれ考えているうちに色々と欲が出てきて、結局何の計画も立たないまま、行き当たりばったりで台湾の島内を転々としてきました。ここでは特に旅行の経路や日程とは関係無く、思い出したことを適当に書いています。
- 台中の屋台
- 台中の夜市は本当に凄い。夜市といえば、台北の士林夜市なんかが有名だけれども、しかし台中の活気はもう比べ物にならないです。
台中では、駅から少し離れた中華路という通りを中心に屋台が出ますが、この中華路は車やバイクの通行量の多い幹線道路で、言ってみれば新宿の明治通りに屋台が出ているようなもの。そんなところに500メートル位に渡って数百の屋台がずらーっと並んでいる様子はなかなか凄いです。
そして屋台を覗き込んでいる背中の後ろスレスレに、バイク軍団がバリバリと激しい音を立て、すごいスピードで何台も通り過ぎていくのです。台湾の人は運転が無茶苦茶荒いから、私の見ている前でもバイクが車とぶつかって事故っていましたが、それを横目に、ひたすら食う人々。もう食べ歩きも命懸けなのだ。
こういう交通量の多い通りだから、バイクでやって来てテイクアウトしていく人が多い。中には車で来て、車を屋台の前すれすれに止めて、車の窓から顔出して、「おばちゃん、○○くれ!」とか叫んで、金を払って受け取ると、そのまま車でブゥゥゥーッと出て行く人もいる。もうほとんどドライブスルー状態。
そんな轟音の中、屋台を何軒も渡り歩いて、お腹が一杯になる頃には、もう耳元がんがん、目眩がして倒れる寸前だった。これが本当の食い倒れだろうか。
- 花蓮の屋台
一方、花蓮の夜市は、本当にのどか。花蓮では、かつて駅があった場所が公園になり、駅舎が取り壊された跡は緑の多い広場となっていて、夕方になると広場にポツポツと屋台が並びはじめます。すると学校帰りの高校生達が屋台の周りに集まって来て、食べたり、座り込んでだべったり、なんだか雰囲気はキャンパス内の学園祭みたいな感じです。花蓮の屋台で珍しいのは、揚げパンの中に好みの具を色々選んで挟んだ「棺材板」とかいうもの。高校生達にはこれが一番人気らしく、屋台のおねーさんが汗びっしょりになって次々と作っていました。
花蓮の旧駅跡
- 台東の果物屋台
- 台東は小さな街なので大規模の夜市はありませんが、しかしここは果物の産地なので、代わりに果物市場が出ます。夜になると、通りに沿ってカラフルな果物が照明に照らされてずらっと並んでいるのは、なかなかきれいなものです。台東名物の「釈迦頭」なんて、ここでしか食えないと言われ、店の人に頼んでひとつナイフで切ってもらって、座り込んで食べました。しかしあんな甘くて軟らかい果肉では、やはり日本に運んだら直ぐダメになってしまうんだと思う。
- 木瓜牛乳
- 台湾各地の屋台なんかでよく見かけるのが、この木瓜牛奶(木瓜牛乳とも書く)。屋台で「一個くれ」と頼むと、その場で大きな木瓜(パパイヤ)を切ったのをミキサーにかけてシェークしてくれる。牛乳を入れずに、氷とシェークしてパパイヤジュースにして飲んでも美味しい。
- 花蓮の客引きにーちゃん
- 花蓮は観光地なので、駅を降りると客引きのにーちゃんが寄ってきて声をかけてくるのでした。
「タロコ行かないか、タロコ。500元でいいよ」
「タロコは行かないんです」
「じゃあ、俺んとこのホテル、泊まってけよ」
と言って地図入りの名刺を出すのです。
「いや、ホテルは旧駅前で探すから」
「旧駅行くのか。じゃあ、このオバちゃんが100元で連れてってくれるよ」
と、どこからともなくオバちゃんまで登場してくるのだ。
「バスで行こうと思うんだけど」
そして、バスのチケット売り場の前に立って、路線がわからず困っていると、その客引きにーちゃん、チケット売り場の人と話して、
「ほら、あの乗り場から30分に出るよ。切符は15元だ。」
とか、いろいろ教えてくれて、バスが来たら、バスに乗り込んで運転手のおっちゃんに、
「この日本人が旧駅まで行くから、着いたら教えてやってくれよ。」
とか話していたようだ。
そして私はバスに乗り、バスが旧駅に着くと運転手は私の方を振り向いて、
「おーい、着いたぞ」
こういう感じなのだ。(注)タロコ(太魯閣)とは、花蓮近くの有名な観光地で、タクシーで回ると大体NT$2000(¥7000くらい)が相場との話。
- 高雄の客引きねーちゃん
- 香港では無い事だけれど、台湾の、それも地方の街を歩いていると、食堂なんかの前でよく声を掛けられるのです。
店のおっちゃんが、
「おーい、ちょっと食っていけよ」
ってな感じで、そしてこれがまた、実にいいタイミングで、そうすると、あ、ちょっと食っていこうかな、なんて、ついフラフラと店に入ってしまったりするのです。ある日、高雄の街を天気の良い昼下がりに歩いていたときでした。とある一角の食堂の前に、若い女性が2人、その2人ともショートパンツにピチピチのタンクトップという色っぽい格好で立っていて、声を掛けてきたのだった。
「わ、なんだなんだ」
と、思わず足早に通り過ぎたのだが、そこから2軒先の食堂の前でも、やはり可愛いオネーチャンが2人、今度はミニスカートで立っていて、声を掛けてくるのだ。
おかしいなあ。これ普通の食堂だよな。と思って、また足早に通り過ぎると、そのまた3軒程先にある食堂の前でも、今度はまるで水着のような格好のオネーチャンが2人(何故2人なんだ?)私に向かって、
「ねえ、食べてかないー?」
「………」
これ、決していかがわしい所ではなく、のどかな普通の商店街で、果物屋やオートバイ屋や、そんなんが並んでいる、本当にごく普通の庶民的な食堂だったんだが、何故かそういう店が4軒くらい接近して並んでいるのだった。一体あれは何だったんだろ。
でもなんとなく、単に面白がってやってるだけって雰囲気だった。だってみんな、本当にのどかなんだもん。それに後で考えたら、あれは特別色っぽくしてたつもりでもなくて、高雄は南国だし、あそこではあれが普通の格好だったのかもしれないな。街を歩いている女の子でも、そういうの、いたから。
- 高雄駅のホームでの話
- 高雄駅の改札を通り、反対側に渡ろうとホームを歩いていて、下りの階段に差し掛かったときのことでした。私の少し手前を歩いていた若い女性が振り返って、
「あの、ちょっと手伝ってくれる?」
と、随分気軽に声を掛けてきたのです。
その人は、少し大きめのカート付きの荷物を持っていたので、一人で階段を持って降りるのはちょっと大変な感じでした。で、カートの片側を手で持ってあげて、2人でそれを持って階段を下り終わると、
「ありがとう」
と彼女は言って、そのまま、普通に歩いて行ってしまいました。
たったそれだけの事なのですが、しかし日本で、こんな風に見知らぬ他人に声を掛けてくる人って、いるだろうかと思いました。
日本でも、余程困った時には周囲に助けを求めることもあるかもしれないけれど、ごく当たり前の風景としてそんなことしているのが、台湾なのかなあ。
- 台湾の言葉
- 台湾でどういう言葉が話されているのか、私はよく知らなかったのですが、実際行ってみると結構色々でした。
まず北京語ですが、台北あたりでは模範的とも言えるようなきれいな北京語を耳にする事も有りましたが、大抵の場合、これは台湾なまりになっているようです。と言っても、そもそも私は北京語はほとんど出来ないのですが、でも一応、簡単な会話や数字くらいは覚えていったつもりなのですが、それでもよく解らないことが最初多くて、どうもなまっているらしいのです。でも1週間もいれば、そのうちだんだん判ってくるのでした。ひとつは、shi(シー)がsi(スー)に変化しているらしいこと。例えば「四十(si shi)」は「スースー」(最初のスーと後のスーは、声調が違うだけで、ほとんど同じ発音)になってます。それから、ri(リー)が「ズー」みたいな発音になっていること。例えば「日本人(ri ben ren)」は、「ジーペンデン」みたいに聞こえるのです。これらは要するに、いわゆる巻き舌が欠落していると考えればいいのだろうか。他にもあるかもしれないですが、気が付いたのはこんなところでした。
それから台湾語。私は台湾語は全然わからないのですが、台湾も南の方へ行くと、ほとんど北京語とは思えない言葉を話していたので、多分あれが台湾語なのかなあ、と思って聞いていました。違うかもしれないけど。
で、私が旅行中に覚えた台湾語というと、ジップンナン(日本人)、トーシャー(ありがとう)、この2つだけ。後は全然わからなかったです。(いや、この2つもちょっと違うかもしれん)あと、日本語。なんだか日本語の上手な人が多かったです(特に年輩の方)。下手にうろ覚えの北京語なんか話すより、日本語で話したほうがマシかもしれない。それから、若い人は英語も出来ると思ったので、英語を使ってみることもありましたが(私は香港などでは、ほとんど英語で通してます。)しかしあまり反応は良くないみたいです。ファーストフードショップなどで、英語で注文したりすると、店員の女の子は最初変な顔しますが、私が日本人だと解ると、「さんじゅうごえん」とか「ありがとう」なんて日本語で言ってくれたりしました。
それから、台東に住む台湾原住民の若い人達は、北京語(ただし台湾なまり)を話していることが多いようでした。彼らには、もともと部族間の共通語が無いので、戦前は日本語が共通語だったそうだから、今ならやはり、北京語なんだろうと思う。でも、台東の街で原住民の若い女性と筆談したとき、彼女はなんと「ひらがな」で書いてくれました。日本語も知っているらしい。
それからたまに、北京語喋ろうと思って、間違って広東語を喋ったりしてしまう事もあったんですが、それでも何故か通じていたから、結構テキトーなのかもしれない。
- あの、すみません。
- 英語圏の国へ行ったときとか、人に呼びかけたり、何か頼んだりする場合、"Excuse me, ..." とか、 "... please." とか、ちゃんと英語が喋れなくても、単語に "please" を付けるだけで何とかなってしまうことは多いものです。また、香港なんかの場合、「唔該(ムーコーイ)」と言えば、これまた何とかなってしまうことが多いので、これは便利な言葉で、実に重宝させてもらっております。ところが今回台湾へ行ってみて、これらに相当するような便利な言葉が無くて、困ってしまったのでした。誰かに話し掛けようとして、言葉が出ないのです。それに、例えば筆談をするにしても、黙って書いたものを突き出すなんて、なんか嫌な感じだし、やはり何か声に出して言わないと。しょうがないから、「ウェイ」とか「エイ」とか、本当は失礼かなあと思いながら、声を掛けたりしていたのですが、実際みんなどうしているんでしょう?
(やはり、「先生」「小姐」かな?)
- 台北のCDショップ
- 私にとって台湾といえば、それは即ち台湾ポップス。このところ本当に良質の音楽を作り続けている台湾ポップスは、今や世界に誇れる台湾の代表的文化と言っていいです。台北でCDショップ巡りをするのが、私が台湾へ行く一番の目的でした。ショップに関する詳しいことは、このページを見て下さい。
- 台湾のホテル
- 台湾に詳しい人に聞くと、まず台湾では宿捜しに苦労しない、結構日本語も通じる、などと大抵言うし、旅行ガイドブックにもそう書いてあるので、ホテルはすべて現地で探すことにしました。もっとも旅行の日程がまったく決まっていなかったので、予約するにも出来なかったという事情もあるのです。
それから、安いホテルは大抵どこでも駅前にあるみたいです。まさか台北は違うだろう、と思っていたら、台北でも同じでした。駅前にしっかり、安いホテルが並んでいました。行くときの飛行機が深夜に着く便しか取れなかったので、多少心配はしましたが、結局宿捜しで苦労することは全然ありませんでした。
それから台湾では、普通のホテル(「~大飯店」みたいな名前)の他に「旅社」というのが沢山あって、これは大抵、古くて安いのです。なんでこんなものが沢山あるのか不思議なのだが、日本にもあればいいのになあと、普段日本国内での出張の時にホテル捜しでいつも苦労している身としては、なんだか羨ましくなるのでした。下の表は、今回の旅行で私が泊まったホテル(または旅社)。宿泊料は私が取った部屋の値段で、部屋によっては多少異なっています。
NT$1=約¥3.6(1999年3月現在)
都市 ホテルの名前 所在地 宿泊料(1泊) 感想 台北 懷寧旅店 懷寧街1號 NT$1480 台北駅のまん前にあり、非常に便利なロケーション。しかも安い。台湾の安いホテルはどこでもそうらしいが、ここは普通のホテルとラブホテルを兼ねていて、入り口に「休息いくら」「住宿いくら」と書かれている。それが当たり前らしいので、まあ気にしなければ何て事無い。でも内装はちょっとそれっぽい。フロントの女性は簡単な日本語も話す。 皇家大飯店 懷寧街5之1號 NT$1460 懷寧旅店の隣にあるホテル。どっちに泊まるか迷ったので、両方泊まってみました。ここもラブホテルを兼ねているが、部屋は日本の普通のきれいなビジネスホテルの感じで良い。フロントの英語が少しアヤシイが、対応は良い。 台中 達欣大飯店 建国路180號 NT$850 台中の駅前には安いホテル(兼ラブホテル)が幾つもあるが、一番まともそうだったから、ここにした。フロントでは3人のオネーサンが暇そうにしていて、「部屋あるか?」って聞いたら、3人声を揃えて「有!」と答えたのが可笑しかった。部屋の写真に値段を書いた一覧を見せて、「どれがいいか?」と聞かれる。窓の無い部屋はもっと安い。部屋は少し古いが、きれいだった。 台東 金安旅社 新生路96號 NT$600 駅前にある古い旅社。おじさんとおばさんが2人でやっていて、おじさんは日本語がとても上手。おばさんもいい人。部屋は相当ボロいが、見方によってはアンティックでシブい雰囲気とも言える。日本ではもう見られない古い扇風機、古いテレビ、タイル貼りのお風呂なんかが意外といい。ベッドのシーツは新しくてきれい。近所に食堂なども多くて便利。 花蓮 金龍大旅社 中山路79號 NT$800 かつて花蓮の駅があった場所にある古い旅社。部屋は明るくきれいだが、シーツが新しくないのがちょっと難。フロントのおばさんは、まるで日本人みたいに日本語が話せる人で、親切過ぎるくらいに世話焼きでいい人。旅社の隣がバスターミナルと旅行会社なので、花蓮近郊の観光ツアーを安く紹介してもらえる。部屋の窓からは海が見え、夜になるとすぐ前の広場が夜市になる。
台中の駅前
旅社のお風呂
(台東)
旅社のお風呂
(花蓮)
- 海の食材
- 私はあまりグルメ指向ではないので、食べる物に関しては疎い方なのですが、しかし台湾を食べ歩いていて何が嬉しかったかと言うと、それは何処にでも牡蠣が沢山あって、安くておいしいこと。私は牡蠣には目が無く、台湾にいる間、牡蠣のお粥や、牡蠣のスープや、牡蠣の玉子とじみたいの(屋台によくある蚵仔煎というの)とか、そんなのをよく食べていました。それも、台北あたりよりも、南の方へ行ったほうが、牡蠣が大きくて、美味しいです。台中の屋台では、海から採れる生の食材をずらっと並べている屋台が多く、どうやって頼んでいいのか解らなかったりするんですが、広東粥の屋台などでは、おじさんに「これと、これを入れて」と材料を指差して、お粥を作ってもらったりしました。
- 台湾の食堂
- 私の場合、高級なレストランで食べるのはあまり好きではないので、大抵、地元の人が行く普通の食堂で食事していました。またなんとなくそういう雰囲気も好きで、店は開けっぴろげで、天井には大きな扇風機がゆっくり回っていて、主人のおっちゃんがニコニコ働いていて、店の隅では学校帰りの高校生がジュース飲みながらたむろしていて、みたいなのが良かったりするのです。
しかしそういう店というのは、テーブルにメニューなんか置いてないところが多く、壁にずらっと並んだメニューも口に出して読むことが出来ないから、注文するに困ることもあるのです。そういうところで食べるときのコツは、ただひとつ。手で指差せる位置にメニューがある店を選ぶこと、ただこれだけである。
- 台東のライブハウス
台東へ行ったとき、ライブハウスに入りました。ライブハウスに行くのに、何故台北とかではなく台東なのかと言うと、それは、ここならば台湾原住民のメンバーによるライブが聴けると思ったからです。その思惑は当り、地元原住民のアマチュアバンドのライブを聴くことが出来ました。
その店は「蝙蝠洞」という、割と普通のライブハウスで、店のスタッフの女性も3人とも原住民の人でした。みんなフレンドリーで、いい人達です。
その日出演したバンドは「娜魯灣樂團」というバンドで、Dr、B、KB、G、Voという5人編成、ボーカルが紅一点でした。バックの演奏はごく普通のアマチュアバンドで、それほど上手ではないのですが、しかしボーカルの女の子が、なんともすごく良かったのです。とにかく声量と声の厚みがあり、あんな細くて華奢な体のどこからそんな厚みのある声が出てくるんだろうって不思議なくらいでした。顔がちょっとカレン・モクに似ていて、なかなかひょうきんな人でした。ほかにギターとドラムがボーカルを取る曲もありましたが、演奏は下手なくせに、歌はすごく上手かったです。さすがはA-Meiを生んだ台東のことだけあると、感心して聴いていました。
演奏曲はオリジナルらしい曲の他に、客席からリクエストを取ってカバーなども演奏し、フェイ・ウォンとかセリーヌ・ディオンとかもやってました。客席には客が少なくて、というか、ほとんど地元の顔見知りの客ばかりだったので、珍しく日本人の客が来てると、私はボーカルの人にからかわれてしまいました。
ちなみにバンド名の娜魯灣(なるわん)とは、阿美族の言葉で「こんにちわ」という意味だそうです。彼らの歌を聴いていて、あの声の出し方、声の厚みとなめらかさ、ストレートなリズム感は、黒人のボーカリストなどにも無い、独特のものだなあと、感じました。これ、どこかで聴いたようなと思ったら、あの兄弟グループ "JETS"(知ってる?)のボーカルに似ているのに気が付きました。彼らは確かミクロネシア・ポリネシア系だから、その辺りに血が近いのかな。顔も似てるし。
ライブハウス「蝙蝠洞」入り口
(こうもりの看板がある)
3月のタイムスケジュール
(こんな感じ)
- 娜魯灣劇場
- 台湾には、原住民の文化を紹介する施設がいくつかあります。例えば、
なんかがあります。このうち、阿美文化村と九族文化村に行ってきました。
- 烏來山地文化村歌舞場(烏來)
- 阿美文化村(花蓮)
- 九族文化村(埔里の近く)
- 台灣原住民族文化園區(山地門の近く)
阿美文化村は、日本からのツアーに組み込まれていることが多く、個人で来ているのはどうも私だけみたいでした。ここのショーは、もう完全に日本の団体老人ツアー客を対象にした演出になっているので、まあその、特別に興味の有る人以外は行かない方がいいと思えるものです。ただ、ここがいいのは、阿美族の歌をライブで聴けること。
一方、九族文化村のほうは、これは完全に台湾の若い人達をターゲットにしていて、なかなかきれいで楽しいので、ちょっと行ってみる価値有りです。もっとも、テーマパークとして半ば遊園地化していて、原住民文化とは関係無いような娯楽施設も多かったりするのですが、そのため、台湾の小学生団体の遠足や、若いカップルのデートコースとして利用されているようです。
ここには、九つの民族の部落がそのまま再現されていて、自然に囲まれた部落を歩いて回るのが楽しいです。途中、石音劇場という水で囲まれたステージでは、鄒(ツオウ)族の女の子が竹の琴を叩く幻想的な音色が響いてきて、なんだかすごくいい雰囲気です。
ここでの一番の見物は、山の上の方に有る、娜魯灣劇場です。これもまた水に囲まれた幻想的なステージで、ここでは1日に2回、約1時間のショーが見られます。これもちょっとあの、阿美文化村のショーと似ている点もありますが、でもこちらの方は演出がずっと洗練されていて、本当に綺麗。バックに流れる音楽は、原住民の伝統音楽を録音したもので(CDも売っている)、コーラスを中心にした明るくてきれいなものばかりで、音楽を聴くだけでも楽しめます。
ところで、こういう所で踊っている人達を見ると、阿美文化村なんかの場合、踊りも結構ラフだったりするのですが、踊り子の女性達は、カラフルな民族衣装を着て化粧をしているので、よく見るとけっこう太っている人やオバさんやら、いたりするのです。しかし男達の踊りの場合は、皆ほとんど裸に近い格好で踊るため、誤魔化しが効かないから、ちゃんと若くてスタイルが良い男ばかりを集めていました。(その点、九族文化村のほうが、女の子も皆きれい。)
参考までに九族文化村のウェブサイトなどもありますので、見てやってください。
http://www.nine.com.tw/ (Big5)
- 台湾原住民の音楽
- 阿美族などの台湾原住民の音楽は、かなりシンプルで明るいものでした。例えば音階の面でみると、彼らの用いている音階は、半音の音程を含まないペンタトニック(《ドレミソラ》の音から成る)に近く、この点琉球音階(《ドミファソシ》の音から成る)や、それに似たバリのガムランの音階が半音の音程を多く含むのとはやや対照的です。地理的には沖縄、インドネシアの間辺りに位置しながら、音楽的な系統はそれらとは遠く、むしろ日本の民族音楽に近い感じさえしました。
もちろん音楽のタイプは音階だけでは分類出来ませんが、沖縄の音楽がどこか怪しげな雰囲気を漂わせているのに対し、台湾原住民の音楽は底抜けに明るく、随分違った印象を与えるものです。
- 犬と子供
- 台湾の街でよく見たのが「犬」。それも、南の方の街へ行くと、犬がよく街の歩道の上にグタラーッと身動きひとつせず潰れていて、たまに、屋台の前とか、ハンバーガーショップのカウンターの下とかにも寝ていて、「おーい、じゃまだぞ」と足で蹴飛ばしても、平気で寝たままなのです。やっぱり台湾暑いからかな。犬は暑いの苦手だし。
で、そんな犬を近所の子供が「えいえい」と突ついて遊んでいたりします。そう言えば、台湾で思ったことの一つは、台湾は子供が可愛いということ。本当、みんな可愛い。これが日本の子供の場合、小憎らしいのが多いし、中国や香港などでも子供が可愛いなんて思ったことありませんが、台湾の子供は何故あんなに可愛いんだろう。なんだか台湾人の子供が2,3人欲しい、などと馬鹿な事を考えてしまった。あれは育て方が違うのかなあ。ちょっと不思議。
- ズボンの女子高生
- 台湾の高校生の制服といえば、代表的なのが、真っ白のシャツの胸に学校名と学生番号を刺繍してあるやつ。そして女子の場合、下は長めの紺のスカート。しかし女子で、下が紺のズボンを穿いている人が結構いたのは意外でした。びっくり、と言うより、なんだか懐かしいとか思ってしまった。というのは、実は私は出身が雪国で、子供時分は腰まで雪に浸かって学校通ったこともあったから、女の子でも冬になれば下は皆ズボンなのです。今私の住んでいる辺りの高校生達は、皆チェックの柄で膝っ小僧の見えるスカート(+ルーズソックス)という、何ともガキっぽい格好で(私にはそう見える)、だからスカートは長いほど美しいと思っている私としては、日本の女子高生なんて全然だめなのであるが、それよか台湾のダサダサズボンの女子高生のほうが、むしろ初々しくて良く見えてしまうのだった。(ヘンでしょうか?)
左の写真は60年代の台湾を舞台にした映画「牯嶺街少年殺人事件」の1シーン。現在でも制服のデザインはあまり変わっていません。
- 悲情城市の街、九份
- 映画「悲情城市」の舞台となった街、九份は、まるで日本の尾道のようで、街の雰囲気といい、映画のロケ地から観光地になったところなど、よく似ています。
私が行ったときも、観光客で賑わっていて、その殆どが二十歳前後の女の子のグループや、若いカップルでした。台北から来るには程よいデートコースにもなっているみたいです。ここで日本人には会いませんでしたが、香港から来ていると思われるグループにも幾つか会いました。
九份への行き方はガイドブックなどにも載っていますが、台北から電車で瑞芳まで行き、そこからバスに乗ります。「九份」のバス停は街の一番下のはずれにあるので、坂をずっと登った2つ先のバス停「舊道」で降りると良いです。バス停の付近にはお土産店が少しあるので、解ると思います。
- バスの運転手
- 花蓮とかでもそうでしたが、バスの運転手は親切な人が多いです。
私が九份から瑞芳まで行くのに、バス停でずっと待っていても基隆行きのバスがなかなか来なくて、別のもっと長距離らしいバスが来たので、代わりにそれに乗りました。バスに乗ると運転手が「どこまで?」と聞くので、私は行き先を聞かれるとは思っていなかったので、とっさに電車内のアナウンスを思い出して「ズイファン」と答えました。しかしその発音が少し違っていたようで、運転手は笑って発音を直してくれました。(ちなみに私の最初の発音は確か zui4fan3 みたいな感じで、運転手に直してもらった発音は、zui4fang1 みたいな感じでした。しかしそれも実は台湾なまりで、本当の北京語発音では、rui4fang1 であることを、帰国してから知りました。)
それから、私はバスを何処で降りたらいいのか解らなかったので、運転手に「ここか?」って聞くと、「いや、次のバス停だよ」と指差して教えてくれ、目的地に着くと「ほれ、ここだ」と言ってくれました。
ちなみに私と一緒にそのバスに乗った、台北から来ているらしい女の子3人組みは、みなお洒落な格好で少しツッパっている様子でしたが、バスを降りるときには一人一人「謝謝」と言って降りて行ったのはちょっと感心してしまいました。日本人で「ありがとう」と言ってバスを降りる人っていないですもんね。
- 花蓮の葬式
- 花蓮で葬列に出会いました。軽トラックの荷台に男が4人乗り、トランペットとトロンボーンで、アメリカ南部のデキシーランドジャズのような明るい曲を演奏していました。その前を行く車には、大きさ1メートル四方程もある故人の写真が飾られ、街中を練り歩いているのです。貧相だけど明るい葬列で、ちょっと羨ましくなりました。
- その他面白いもの
オート三輪車
旅社の電話
(注)本文中に出て来る、現地の人と私の話している言葉は、実際には北京語や台湾語だったり、筆談や身振り手振りだったり、妙な日本語だったり色々です。私が雰囲気で適当に訳しています。
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