Martin C. Denton May 11th 1996
日本大企業の所有と支配に関する「会社主義」論と「企業主義」論を以下に評論す る。まず、最初にその説を紹介して、基本的な原理の証拠をあげる。そして、 その原理を証拠に合う他の説にたいして評価する。最後に、「会社主義」論の様々 な問題を考察する。
馬場宏二の「会社主義」論[1]と松本コウジの「企業主義」論[2]に提供されている日本 大企業のモデルには基本的原理が二つと考えても良い。それらは経営自由化と 経営者が従業員の代表だと言う事だ。
「会社主義」論と「企業主義」論によると、自然人としての大株主が減少して、金 融機関や企業の法人としての株主が増えたために所有者の支配や発言権がなく なった事になった。この傾向が第1表に示したごとくである。第2表には所有 者支配があるというふうに考えられる最少持株比率である基準のそれぞれ以上 の持株比率の個人株主が存在する会社数、そして上場企業総数の対比率が示さ れている。その基準を10%にすると所有者支配のある会社が上場企業の7.5%で ある。
伝統的経済学において 株主の支配メカニズムは二つあるように通常思われて いる。それらは株主総会とテーク・オーバ(乗っ取り)の恐怖である。
株主総会は日本では形骸化されたと言う事がよく言われている。典型的な総会 は非常に短い間に終了される[3]。そして、金融機関や企業の株主がほとんど委任 状を何も書かないで本社に送ることになっている[4]。それゆえに株主総会は所有 者支配メカニズムとして有効ではないであろう。
テーク・オーバの恐怖も伝統的な株式会社論によると経営陣に強制的に株主の 要求に従わせる。不満を持った株主が経営政策を支持しえない会社の株式を売 却して、それによって株価が値下がりする。テーク・オーバの恐れがあるほど株 式の売却が大規模でおこるならば経営者、特に取締役が乗っ取った所有者によ って解雇などの懲戒処分を受ける恐れもある。しかしながら、日本大企業にと ってはこの所有支配メカニズムが無効だと言われた。高い金融機関と事業の株 式所有比率と相互持株比率に伴って長期的、そして安定的な株主の特徴がある。
年度 | 金融機関(除投信) | 投資信託 | 証券会社 | 事業法人等 | 個人・その他 | 政府・外国人・外国事業 |
---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 12.6 | - | 11.9 | 11.0 | 61.3 | 3.2 |
1955 | 19.5 | 4.1 | 7.9 | 13.2 | 53.1 | 2.2 |
1960 | 23.1 | 7.5 | 3.7 | 17.8 | 46.3 | 1.6 |
1965 | 23.4 | 5.6 | 5.8 | 18.4 | 44.8 | 2.0 |
1970 | 30.9 | 1.4 | 1.2 | 23.1 | 39.9 | 3.5 |
1975 | 34.5 | 1.6 | 1.4 | 26.3 | 33.5 | 2.7 |
1980 | 37.3 | 1.5 | 1.7 | 26.0 | 29.2 | 4.3 |
資料) 東京証券取引所 「証券」 1981、全国取引所協議会 「昭和55年度株式分
布状況調査」。
出典) 『講座 今日の日本資本主義 第六巻 日本資本主義と金融・証券』
大月書店 1982。
個人株主の持株順位 | 個人株主の持株比率 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 2位 | 3位〜5位 | 6位〜9位 | 20%以上 | 10〜20% | 5〜10% | 3〜5% | |
企業数 (総計 = 2038) | 234 | 122 | 123 | 47 | 39 | 113 | 211 | 172 |
上場比率 | 11.7 | 5.8 | 5.9 | 2.3 | 1.9 | 5.4 | 10.1 | 8.3 |
資料) 東洋経済新報社 『企業系列総覧』1991 年版。
出典 橋本寿ろう 大企業体制の経済構造 東京大学社会科学研究所
『現代日本社会 第五巻 構造』1991 94ページ.
経営者の自由化という原理は前から記述されている。アドルフ・バーリとガード ナ・ミーンズが30年代には経営主義論を発表した[5]。「会社主義」論と「企業主義」 論は経営者が根本的に従業員の代表だという点において経営主義論と違う論点 がある。つまり、日本大企業には「社員化」が常勤的従業員の層に及んで、株主 集団としてではなく、社員の集団として意識されている。この論点は次に挙げ る三つの特徴で確かめられるだろう。
まず、第一に日本大企業の経営者はほとんど社内出身者で「従業員の出世頭」だ。 上場企業の全役員の70%ぐらいは社内から昇進される[6]。
第二に、従業員集団内部、そして経営者と従業員の間には待遇の格差や断絶が 少ない。小池和男がブルーカラー労働者の「ホワイトカラー化」という言葉を付 けた[7]。支配人が莫大な給料をもらう米国に比較すると日本企業の給料格差は小 さい。
第三に、「会社主義」論と「企業主義」論によって、経営目標は高利潤より雇用維 持やシェアの拡大などである。すなわち、経営者は社員を解雇するより株主に 配当金を少なく払う傾向がある。しかしこの点には様々な疑問がある。キャピ タルゲイン(資本利得)と配当金を組み合わせると日本株主が得る利益は投資金 に対して米国におけるそれより高い[8]。そして日本の税制により株主が利潤を取 得するに配当金よりキャピタルゲイン(つまり社内金融)の方が得になる。1988 年度までキャピタルゲインは税がかからなかったが、配当金は20〜30%の税率が かけられていた[9]。
「会社主義」論と「企業主義」論についていくつかの問題があるだろう。いろんな 代表的な役割を持つ経営陣もいろんな所有者支配メカニズムも考慮したうえで のもっと動的なモデルが必要だろう。
奥村ヒロシの「法人資本主義」論[10]によると、日本大企業の経営者は所有者の代表 でもなく、従業員の代表でもなく、会社である法人の代表であるにすぎない。 そして、ゲーラク・マイケルはこの考え方を発展させて経営者が資本市場から自 由を得た事と伴って企業間関係のネットワークのため要求を負わせられるよう になったというふうに記している。このモデルによると社長会等のような正式 でないメカニズムは考察されるべきだ[11]。
社会関係のネットワークのつながりのある会社という考えと青木昌彦の「コー ポラテイヴな経営主義モデル」を組み合わせると非常に役に立つ動的なモデル になるだろう。青木の説論によると経営陣は「統合的・裁定的機構」を持っている。 つまり、「経営陣は企業に特有の資源の内的支配と監視にかんして裁量的・権威 的な権限を有する一方で、同時に企業の基本的構成母体によって行使される多 様な相互コントロールに服しもしているのである」[12]。
債権者として発言権を持つ銀行は日本企業の経営者に限定や要求をつけたり懲 戒したりする依然金融市場の役割を演じるとする説もある。テーク・オーバ恐怖 の代わりにメインバンク(融資第一位銀行)による干渉の恐怖があって、こうい うふうにメインバンクが所有者と他の債権者の代表である[13]。これはコントロー ル・メカニズムの一つである。
大株主の減少が経営自由化における必然の結果ではない事は1910年までにヒル ファーデイングがすでに記していた。逆に、比較的に大きな株主は現実に持っ ている資金より大きな金額を間接的にコントロールできる可能性がある[14]。もし、 大株主がコントロールできるほど大きくなかったら、連合が発生するだろう。 理事会はその株主連立の勢力均衡を具体化して妥協的に決定する役割を持つ。 経営政策の妥協性が広いほど包括的だ。経営目標が利潤追求である上に会社競 争力であるなら、全所有者と全債権者を代表するだろう。
日本企業の株主構成の変換を認証しても、経営自由化という事もと経営者が従 業員の代表だという事も結論としてくだせないだろう。
第一に、もっと動的なモデルにおいては経営陣が統合的、裁定的な役割を持つ。 持株構成の変換によって、株主の要求の性質もそれの表現方法も変わるだろう が、株主の要求と社員の要求が時々競争する事は変わらないだろう。それゆえ に、会社を実際に調査した上で関係ネットワークにケースバイケースで位置付 けるべきだ。
第二に、「会社主義」論や「企業主義」論、そして集団主義のような日本人論はそ れぞれ自身日本企業の行動に心理的な役割がある。従業員の会社との関係の意 識に影響を及ぼす物として経営者が統合的な役割を果たすために使える手段の 一つである。
最後には、日本大企業のモデルを挙げながら、考察するべきなのは、会社はニ ーズ、利害、要求があるというふうに考えた方が役に立つかもしれないのに、 法人は自然人と同じようにこの特質を持っていないといえるだろう。それゆえ に、法人の利害に見えるものの裏側にある本質に目を向け考察することが必要 であるだろう。