僕が彼女に再び出逢ったのは、スクランブル交差点の真ん中だった





















    ヒグラシの声があまり聞こえなくなった、ある日のことだった



















    夏が終わろうとしている、ある、蒸し暑い午後のことだった













































   「あら、お久しぶりね」








彼女はその台詞とは裏腹に、まるで毎日会っているような口振りで、僕に向かってそう言ったんだ。




僕はと言えば、そんな彼女の笑顔に吸い込まれるような気がして、何も言えなかった。








   「あれ? 私のこと、わかんない?」







彼女は、その細くて白い首を傾げて、目元でクスリと笑う。




僕はブルブルと首を振って、身体中で否定をする。




そう、わからないはずがない。 忘れるはずがない。 彼女のことを。




僕の中で彼女は、いつも特別の存在だったんだ。






















Five Years After

























   「そうだ、今、ちょっと時間、ある?」





彼女は、僕の目を覗き込むようにして聞いた。



僕は、大きく首を縦に振る。





時間はあった。 充分すぎるほど。



そう、僕はその日、時間を持て余してたんだ。





























5分後。



僕らは、数十年前の復刻版の曲が流れる、街角のオープンカフェにいた。



こういう形は、二十世紀の末に一時期流行ったらしい。



最近あちこちで、こういうオープンカフェが乱立している。



これも一種のリバイバルなんだろうか。








どこか落ち着かないものを感じながら、僕は彼女の正面に座っている。



5年ぶりに逢う彼女は、見違えるほど奇麗になっていた。






  ノースリーブの白いシャツからは、相変わらず白い肌が覗く


  背中には、サラサラの長い金髪


  オレンジ色のスカートからは、スラリした脚が伸びている


  蒼い瞳はいっそう輝きを増し、顔立ちは昔の面影を残しつつも、より端正さを深めている








僕は思わず、ぼうっとしてしまった。









   「なによ、シンジ。 私の顔に何かついてる?」





彼女はそう笑った。



彼女の名は、惣流アスカラングレー。



僕の、中学校時代の同級生だ。








彼女は、僕のことをシンジと呼ぶ。



でも、僕らは特別な関係だったわけじゃない。



確かに、仲はよかったと思う。



デートらしきものをしたことも、ある。



でも、僕らの関係は、そこから前に進むことはなかった。



手も握らない、関係だった。














彼女は、中学2年の夏の少し前に、僕らの学校に転校してきた。



ドイツから来たという彼女に、僕らは騒然となったことをよく覚えている。








そのときから、彼女は僕のことを、シンジと呼んでいた。



その事について、誰かが彼女に聞いたことがある。



そのとき彼女は、笑って言ったんだ。



   『だって、『碇くん』って言うよりも『シンジ』って言う感じなんだもん』



それから僕は、期待するのを、やめた。












僕らは中学を卒業後、違う高校へと進学した。



それから、僕らは、逢っていない。



逢いたくなかった訳じゃ、ない。



逢いたくて、逢いたくて、仕方が無かった。



電話を持って、すっかり暗記してしまった番号を押しかけたことも、一回や二回じゃない。



でも、僕はそれを、最後まで押せなかった。



僕は、最後の“2”を押すことが、出来なかったんだ。












意を決して彼女に電話をしたのが、中学を卒業してから初めての夏休みの、最初の日。



でも、そこで僕が聞いたのは、



   『この番号は、現在使われておりません』



と言う、無機質なアナウンスだった。












それから10日後、彼女がドイツに帰ったと、風の噂に聞いた。












すべてが手後れだったと、僕は解った。





























その彼女が、今、僕の目の前で、ソーダ水を飲んでいる。



変わらない笑顔で、僕に笑いかける。



中学時代と同じように、僕をからかう。



僕は、まるで現実感が無かった。



夢の中に、いるみたいだった。










   「ほら、シンジ! なにボーーッとしてるのよ」



彼女の言葉で、僕は我に返った。






   「ごめん、なんでもないよ」




僕はそう、笑った。




   「まったく、そのすぐに謝る癖、直ってないわね」




彼女もそう言って、笑った。




お互いの顔を見合わせて、笑った。










   「惣流はどうしてたの? 今まで」




   「私はねぇ・・・」




彼女の話を、コーラを片手に僕は聞いている。




   『惣流・・・ ちょっと・・ 変わったかな・・・』




僕は、グラスに残った氷をストローでつつきながら、そう感じていた。




   『そうだよな・・・ あれから5年も経ってるんだ』




   『変わらないのは、僕くらいか』







そうぼんやり考えていると、いきなり、頭に痛みが走った。



気がつくと、彼女が目の前で腰に手を当てて僕を睨んでいる。




   「ばかシンジ! 人の話はしっかり聞きなさい!」




そう言って彼女は、もう一回僕の頭を叩いた。




   「ははは・・・ごめん」






僕はそう言いながらも、笑みを堪えきれなかった。





   「なに笑ってんのよ」




彼女はまだ、怒っているみたいだ。




僕は笑いながら、彼女を見る。








   「だって、惣流はやっぱり惣流だったから」





僕は思わず、本音を口にした。






   「なによそれ。 私は私よ」




彼女はそう言って、ぷいと横を向く。







   「ごめんごめん。 だけど嬉しくって」









そう、僕は嬉しかったんだ。



遠くに行ってしまったような感じだった彼女が、また戻ってきた気がして。



僕は嬉しかったんだ。



   






   「そうか、惣流はもう、大学を卒業しちゃったんだ」



   「まぁね。 7月いっぱいであっちの大学を卒業して、引き上げてきたのよ」



   「ふぅん。 お父さんやお母さんは?」



   「パパやママはあっちにいるわ。 日本に来たのは私だけ」



   「え、なんで?」



   「パパは完全なドイツの人だし、ママだってパパと一緒がいいんでしょ」



   「そうじゃなくて・・・」



   「え、なに?」



そうやって、彼女は僕に妖しい微笑みを向けた。


その瞳の向こうに何かが潜んでいる、そんな気がした。





   「なによ? シンジ」





彼女は僕に、その蒼い瞳で迫ってくる。


でも、どこか楽しそうだ。





   「いや・・・」




   「なによ・・・ 怒らないから言ってみなさい?」




   「うん・・・」




   「うん?」








   「なんで、惣流は日本に来たのかな? って思って・・・」






   「ふーん」






彼女は、その、足の長い白い椅子に座り直すと、僕の方を向き直る。



そして、顎の下に両手を組んで笑いかけた。





   「なんでだと思う?」










僕はそんな彼女の仕草ひとつひとつに、胸の鼓動が高まるのをはっきりと自覚していた。


手のひらには、汗がしっとりと滲む。


口の中が乾いていくのを感じて、僕は水だけになっていたグラスの中身で、喉を潤した。






   「なんで?」





ようやく絞り出した言葉は、極めて平凡な言葉だった。


もっと気の利いたこと、言えないのか?


僕は自分を責めるが、でもそんなに簡単に器用になれる筈もない。






   「なんでって、私が聞いてるの」





彼女はまた、僕の目をじっと見て笑う。





僕は彼女の瞳に捕まって、小指一つ、動かせなかった。


そうしている間にも、彼女は僕をじっと見詰めている。


あの、僕を溶かしそうな蒼い瞳で。






   「ははは・・ なんでだろうね・・」





相変わらず、僕は平凡なことしか言えない。






   「わからないの?」





彼女はそう言って、少しばかり顔を曇らせた。






   「シンジなら、わかると思ったのになぁ・・・」






そう呟いて、彼女は視線をテーブルの上に落とす。



ソーダ水のグラスを人差し指で、ピン、と弾いた。



キン、と透き通った音が、ざわめきの中に消えてゆく。







   『僕なら・・・ わかる?』




僕は、ありったけの脳細胞を動員して考えた。


学校の試験もこのくらい考えたら、もっとマシな成績が取れるに違いないな。


そんな事が一瞬頭を過ぎったけど、それを隅に追いやって、僕は本気で考えた。






そんな僕の様子を、彼女は楽しそうに眺めている。


短めのタイトなスカートから覗く、その長い奇麗な脚を組んで、


膝の上で両手を合わせて、僕を柔らかい視線で見詰めている。




小首を傾げたその表情は、僕の顔を真紅に染めるのに、十分だった。








そして僕は、ますます解らなくなっていった。












   「やっぱ、わかんないか」



   「そうよね・・・ もう5年も経ってるんだもんね・・・」



   「仕方ないか」







彼女は視線を、僕らの上にあるパラソルへと向ける。



小さく溜息を、ひとつ。



そして彼女は組んでいた脚を解いて、少し斜めに座り直した。








僕はそんな彼女の様子に、高鳴っていた胸の鼓動が、変化していくのを感じていた。



それは一種、焦りにも似た感情だった。










そんな僕の表情を読み取ったのか、彼女はまた僕の方にくるりと向き直って微笑みかける。






   「あ〜、また深刻になってるでしょ。 ホント、シンジって変わってないわね」








   「ごめん・・・」





   「ほらぁ、また謝ってるし」





   「ごめ・・・ あ、いや・・ その・・・」






   「ふふふ、変わってないわね、ホント」





























   「惣流は・・・ 変わったの・・?」
















その僕の言葉に、彼女は一瞬、表情を止めた。















   「どうかしらね」


   「シンジの目には、どう見える?」





   「変わったような・・・ でも変わってないような・・・ よく解らないよ」


   「でも、5年も経てば、何かあったりもするよね」





   「シンジにも、いろいろあった?」





   「僕? 僕は・・ どうだったんだろう」


   「毎日毎日、目の前のことを片付けるので、手一杯だった・・ そんな気がする」












   「私だって同じよ」


   「ただ毎日、同じ事の繰り返し。

    それでいいのかって思ったりもするんだけど、でも日々の生活に呑み込まれちゃってるのよね」




   「一日一日を生きるのに、精一杯だった」




















   「でも・・・ 惣流は・・・」










   「でも・・・ なに?」






   「あ、いや・・・」






   「なにかな?」






そうやって彼女はまた、僕の瞳を捕らえた。

その、マリンブルーの瞳で。






   「えっと・・・」




   「えっと?」






   「あの・・・」




   「あの?」











   「・・・ごめん、なんでもない」




僕は、どうしても言えなかった。 その一言が。 たった、一言なのに。







   『奇麗になったよ。驚いた』






そう言えたら、どんなに良かっただろう。
















   「ふーん、そういう態度に出るんだぁ・・・」



   「それじゃ、私もさっきの事、教えてあげない」





彼女はまた、笑った。



僕もつられて、笑った。 まだ、頬が引きつってたけど。





















   「でも、シンジも変わったわよ」











   「え、どこが?」
















彼女は、小悪魔的な笑みを僕に向ける。



















   「そうね・・・ ちょっと、いい男になった、かな?」





















そのときの僕の顔は、見物だったに違いない。



僕は、体中の血液が顔に登っていくのを、はっきりと感じていた。











   「な、なに言ってんだよ」





僕は思わず、下を向いてしまった。










その瞬間、彼女はくぐもった笑いを漏らす。





ふと顔を上げると、彼女が必死で笑いを堪えていた。







   『からかわれた』







即座にそう感じて、僕はまた顔を俯かせてしまう。



そして、顔を再び上げる勇気は、もう、なかった。



















ガタ、と、椅子を動かす音が聞こえた。



どうやら、彼女が席を立ったらしい。



それでも僕は、顔を上げる事が出来なかった。


   














視界の隅に、彼女の影が僕の横を抜けていくのが見えた。





   『行っちゃう』



   『惣流が・・・ 行っちゃう』



   『ずっと逢いたかったのに・・・ せっかく逢えたのに・・・』










   『・・・・ 駄目だ』



   『このままじゃ、駄目だ』













   「惣流!!」






僕は、彼女の名前を叫びながら、勢いよく立ち上がった。













そして、その瞬間。














背中から、細い腕が、僕の胸に――― 回された。









   「・・・!!」




















柔らかい彼女の体を、はっきりと背中に感じる。



彼女の匂いを、深く感じる。



彼女の存在そのものを、今ここに、感じる。











僕は、完全に硬直してしまった。















   「ごめん」




彼女の声が、聞こえた。






   「私、やな娘よね」




   「素直じゃなくて」




   「シンジも、私みたいな娘はイヤでしょ」




   「ごめんね」









   「あのときだって・・・」



   「私は、嬉しかったのに・・・」



   「素直になれなかった・・・」





   「ホントに駄目ね、私って」

















その言葉は鍵となって、


僕の、閉じ込めてあった記憶を、呼び戻した。







それは鮮やかに、僕の脳裏に映し出された。



















彼女が、ゆっくりと僕から離れる。




僕の胸に回された手が、するりと抜けていく。




彼女の匂いが、遠ざかっていく。










未だに動けない僕の背中に向かって、彼女は一言だけ、言った。









   「ありがとう・・・ さよなら」































僕はもう、迷わなかった。


























走り去って行こうとする彼女の手を、掴んで、引き寄せ、



僕は彼女を、後ろから思いっきり抱きしめた。











彼女の匂いを、失いたくなかった。










もう、二度と―――






























   「思い出したよ」










   「あのときの事を」





   「あの、約束を」





   「憶えてて、くれたんだ」














それは、5年前の―――



そう、今のように、夏が終わろうとしてるときの、約束だった。




























僕はその日、初めて彼女とふたりだけで、出かけたんだ。








ごくお決まりの、デートコース。






映画を見て、ファーストフードを食べて、水族館に寄って―――






ごく当たり前の、デートだった。








でも、すごく楽しかった。




こんなに楽しかった事は、今までなかった。





  彼女と二人だけで過ごす時間は、こんなにも楽しいものなんだ。





初めてその事に、気づいた。












僕はちょっと調子に乗って、こう言ったんだ。















   「ね、5年くらい経ったら僕たちってさ、なにやってんだろうね」





   「5年ね・・・ 19歳だよね」




   「うん」




   「普通に行けば、大学生かな」




   「うん」




   「シンジも、かわいい彼女が出来てるんじゃない?」




   「・・・惣流だって、かっこいい彼氏がいたりして」




   「あったりまえじゃん。 今だってこんなにかわいいのに」




   「ははは・・・」




   「なによ、その乾いた笑いは。 私じゃ無理だってぇの?!」




   「そ、そんなことない・・・ と思うよ」




   「そうそう、わかればいいのよ」









   「でも、僕は駄目だろうな」




   「え、なんで?」




   「なんとなく・・・」




   「ふーん」













   「もし・・・」




   「もし5年経って、また逢えて、その時にシンジがいい男になってたら―――」




   「そのときはまた、この私がデートしてあげる」










   「・・・ありがとう」








   「そのときは、ちゃんとエスコートするのよ」







   「うん」








   「じゃあ、約束」



















そして僕らは、小指と小指を絡めて、約束を交わしたんだ。








でも僕は、それは彼女独特の、冗談だと思ってた。



だって、彼女が僕にそんな約束をする理由なんて、僕にはどこにも見当たらなかったから。



期待しすぎるとあとで辛いから、僕はその事を、今まで記憶の隅に閉じ込めていた。















そのシーンが今、鮮やかにフラッシュバックしてきたんだ。




































      「僕、いい男になってるかな・・・」

















僕は、彼女の豊かな金髪に顔を埋めて、精一杯の想いを彼女にぶつけた。








彼女の白い手が、僕の手の上に重ねられる。






僕の手を握り締める彼女の手に、ぎゅっと力がこもる。



















             「うん」


















彼女の答えは短く、



そしてその答えは、僕の心を震わせた。

























     「惣流・・・」













僕は彼女の肩を抱き、彼女と向き合う。





彼女の大きな蒼い瞳には、宝石の涙が浮かんでいた。












     「惣流」

















     「・・・ひとつだけ、約束して」













     「なに?」




















     「私の事、アスカって呼ぶこと」










     「いいわね」
















     「まったく、初めて逢ったときからそう言ってるのに・・・


      ちっとも呼んでくれないんだから」






















そして彼女は、満身の笑みを湛え、僕の胸に身を預けた。
















僕は、彼女の細い体を、包み込むように抱きしめる。












今日までの彼女への想いを、すべて出し尽くして。






























        「ありがとう・・・ アスカ」








































    ―――そう、5年前にセットされた僕らの時計は、今、その刻を奏で始めたんだ―――















































−彼らの物語は、ここから始まる−

































【あとがき】


欄間林さん、伍萬hit達成、本当におめでとうございます!!

申し訳ないことにちょっと遅れてしまいましたが・・・ 掲載には間に合ったでしょうか?

間に合えばいいのですか・・・



さて、この「Five Years After」ですが、私にとって初めてのパラレルストーリーです。

はっきり言って、エヴァではないです(^^;;;;

欄間林さんの書かれるお話の雰囲気に合わせてみたつもりですが・・・ 難しいですね(笑)

未熟な作品ですが、こんなモノで良かったらお納め下さい。



では、これからもよろしくお願いします!










 ご感想は下記までお願いします

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