ムーンライトシンデレラ たった一つの魔法

ムーンライトシンデレラ たった一つの願い

ムーンライトシンデレラ たった一夜の逢瀬

ムーンライトシンデレラ たった一夜の夢



それは満月の夏の夜に使える たった一つの魔法

満月の光が その魔法の素

月の光を浴びている間だけかなう願い



たった一夜の逢瀬だから

せいいっぱい美しく せいいっぱい香しく



チクタクチクタク 近づく時

時を止めてしまいたいけど 時計の針は止まらない



ガラスの靴を残すことすら許されない

鐘が鳴ったらとけてしまう魔法



それはたった一夜の夢



ムーンライトシンデレラ たった一つの魔法

ムーンライトシンデレラ たった一つの願い

ムーンライトシンデレラ たった一夜の逢瀬

ムーンライトシンデレラ たった一夜の夢

 

 


 

 

「夏季休暇最後の夜。…夏の終わり。」

その夜、彼女は部屋の窓から夜空を見上げていた。

明るい、とても明るい夜。

三日月なのにとても明るい月が、夜空にポッカリと浮かんでいる。

まるで、星の海に浮かぶ船のようだ。

その月明かりは、やわらかい光となって下界を照らす。

昼間の太陽とは、全く違った、その光。

窓から差し込む、その月明かりを浴びながら。

彼女はじっと空を見上げている。

その姿は、まるでその月明かりに溶け込んでいってしまうかのように自然で、非の打ち所の無い、完成された一枚の絵画のようにすら思えた。



そんな幻想的な風景。

だが、その絵画然とした彼女の表情がゆれる。

「……?」

彼女は、かすかに表情を変えて視線を空の月から外した。

そして、瞳を閉じて、視覚を遮って、嗅覚に感覚を集める。

彼女の気を引いたのは、かすかな薫り。

どこからともなく漂ってくる、かすかな薫り。

彼女は、しばらくそのまま薫りにその身を委ねていたが、やがてゆっくりと閉じていた瞳を開いた。

視線をまた、空の月に移し。

そして地上に移し。

街を探るように見まわす。

彼女は一瞬、何処か虚空を見つめると立ち上がり、窓辺を離れ、部屋を離れていった。

 








...with Rei

"End of Summer"





 




時間の経つ速度。

それは、楽しければ楽しいほどに早く感じるもの。

そして夏休みは、学生たちにとって、もっとも早く過ぎ去ってしまうもののうちの一つである。



学生たちにとって最大のお休みである夏休み。

ただ単に最長であるだけでなく、もっとも熱く燃える事の出来る夏休み。

暑く、熱い夏。

燃えて、萌える夏。

そんな夏休みが、

最長のお休みであるはずの夏休みが、一番短く感じてしまうのも、それはまた、いた仕方の無いことなのだろう。



夏の終わりに、そう思わない学生はいないにちがいない。

そして更に、一部の学生にとって、それは切実な問題にちがいない。

なぜなら夏休みは一番長い休みであると同時に、一番宿題というものが出る休みでもあるのだから。

学生たちの夏休みの過ごし方は色々だ。

だが、その中で夏休みの宿題の終わらせかただけを見てみると、学生たちの行動は、三つほどのグループに大別されてしまう。



まずは、初めに出来るだけすべて終わらせてしまおうとするグループ。

このグループに属する学生達は、後顧の憂いを無くすため。

後々のことを考えずにすむようにしたいため、夏休み初めに、出来るだけ宿題を終わらせようとする。

残しておくのは、どうしても出来ない日記とかだけだ。

そして、終わらせた後、何の悩みも無く、思いっきり羽を伸ばすのだ。



次のグループは、計画を立てて、少しずつやっていこうとするグループ。

このグループは、よく学校で、長期の休みの前に作らせられる計画表などを本当に実行していくタイプだ。

計画が破綻してしまう者達も多々いるが、少なくとも、これが現代教育の求めているグループなのだろう。

なにせ、大概の場合、ちゃんと学校で事前に計画を立てさせるのだから。

無理の無い計画を立て、それをちゃんと実行していくことが出来れば、このグループに属する者達は、過ぎることなく良く遊び、無理なく良く学ぶことが出来るだろう。



そして最後のグループ。

これは、最後の最後まで宿題を溜め込んでしまうグループだ。

一番困り者のグループだが、その中にも更に色々と組分け出来てしまったりする。

たとえば、ちゃんと計画を立てたのだが、どこかに無理が出てきて、最後まで押せ押せになってしまった者達とか。

あるいは、周りの雰囲気に流されて、なんとなく最後まで来てしまったとか。

はたまた、最初から何も考えていないで、ホントの最後の最後になるまでほっぽらかして、日記すら最後にまとめてやることになり、気象庁にこれまでの天気を聞くために電話するはめになる者達とかとか……。



そんな、最後のグループに属する者達が、半分ばかり狂気の世界に入り込んでしまっているであろう今夜。

夏休み最後の日の夜。

ぶらぶらと通りを歩いている彼は、最後のグループには属していないに違いない。

実際、彼、碇シンジは、幸運なことに、宿題をすべて(日記などは抜かして)夏休みの最初の方に終わらせていたのだった。

こんな風に彼が、夏休み最後の夜をぶらぶらと外を出歩いていられるのは、リツコさんの、夏休み初めの助言のおかげだ。



そんな、悠々自適な夏休み最後の夜を過ごしているシンジだったが、彼の表情は冴えなかった。

「……はぁ。まったくまいったよな。」

深い溜め息とともに、ガックリと肩を落としてしまうシンジ。

先ほどは、ぶらぶらと外を出歩いている、と表現したが、よく見てみれば、それはぶらぶらというよりもトボトボといった表現の方が似合っているようだ。

今ごろ宿題に追われている学生たちから見れば、なんともうらやましい立場にいるシンジだったが、そんな彼も、実は時間が余っているから散歩を楽しんでいる、とか、そういったゆとりのある理由で夜中に外を徘徊している訳ではなかった。

実は彼、逃げてきたのだ。

夏休みの宿題の中には、色々な種類のものがある。

ほとんどすべての教科から宿題が出ていたので、それはかなりバラエティーに富んだものだった。

そんな中には、漢字の書き取り練習などという、ペンを持たず、パソコンで、キーボードで授業をする今では考えられないような前時代的なものまであった。

そして彼に降りかかってきた問題の大きな部分を占めている。

つまりは、彼がトボトボと夜の街を徘徊するはめになった理由の大きな部分を占めているのが、この漢字の書き取り練習だった。

別に終わっていないとか、そういう理由じゃない。

夏休み初めにほとんどの宿題を終わらせたシンジのこと。

それはこの漢字書き取りの宿題でも同じく、ちゃんと早めに終わらせていた。



そう、彼自身は問題無いのだ。

……彼自身は。



ここで問題だったのは、彼自身の宿題ではなかった。

問題だったのは、彼の友人(?)であり同級生である、あまり日本語を書くのが上手ではない、ちょっと日本人離れした容姿を持つ少女(?)が、夏休みをどう過ごしたのか、全く宿題に手をつけておらず、最後の最後になって慌てて、彼に、その責任の一端がある、とかなんとか言って、宿題の一部を押し付けようとしたのが問題だったのだ。

一体どのような展開があったのかは、ここでは省略しておくが、シンジは、その彼女の魔の手(笑)を辛くもすり抜け、現在に至るのである。

つまり、彼が今、夜の散歩なんぞをしているのは、その彼女から逃げてきたからに他ならなかった。

さてそんな、悠々自適という言葉からはかけ離れたシチュエーションのシンジ。

見かけだけを見れば、月の奇麗な夜の散歩など、なかなかに優雅なものに見えるのだが、

……気の毒といえば気の毒である。

更に、下を向いてブチブチと何かをつぶやきながら歩いている彼は、前方不注意になっていたのか、

……ゴイィィン!!

と、大きな音を立てて、道端の何かのサインに頭からぶつかってしまったから、もっと不幸である。

「……ててててて。」

顔を顰めて、打った頭を押さえている彼。

目なんかはちょっと涙目になっている。

「……あぅぅ……お星様が回ってるよ……。」

などと危ないことを呟いている彼の目はくるくると回っているのかもしれない。

しばらくその場で立ちすくんでいると、何かを振り切るようにギュッと目をつむって、勢い良く顔を上げた。

「んんん……。」

目を瞑ったまま、眉間にしわを寄せているシンジ。

「……ん?」

だが、すぐに何かに気づいたように目を開けた。

キョロキョロと辺りを見回す。

「……気のせい、かな?」

どうやら何も見つけられなかったらしく、首を傾げている。

しかし、すぐにクンクンと鼻をひくつかせ、

「いや、やっぱり気のせいじゃない!」

自然に目を閉じて、何かにひたるかのように鼻から大きく息を吸った。

そこには確かに、微かな、だが、シンジの気をひくのには十分な香りがあったのだ。

しばらくそうしていたシンジだったが、ぱっと両目を開けて、

「こっちだ!」

その香りの漂ってくる方向へと歩き出した。












この街は、しっかりとした都市設計の下に成り立っている。

そして、そのコンセプトの中には、もちろん自然環境の設備も含まれている。

緑の有る街作り、といったところか。

そのせいか、この街には公園が多かった。

街のそこここに必ずといって良いほど存在する小さな公園と、要所要所にある大きな公園。

シンジは、そんな公園のうちの一つにたどり着いていた。




「この中、なのかな……?」

薄暗い中、常夜灯に照らされた公園の門が見える。

門、といっても開け閉めできる扉があるわけではなく、ただ公園の名称の入った碑が両側に建ち、壁が続いているだけだ。

入り口付近に人影は無い。

もちろん、本当に誰もいないかどうかは、入ってみなければ分からないが。

普通なら、夜のこんな公園に独りで入って行くなど、なんだか危ない気がする。

明かりは常夜灯の明かりしかないのだ。

だが、この街はそういう面で普通と違った。

一体どのような管理をしているのか、犯罪の件数が驚くほどに低いのだ。

ただし、この事実が住人の危険への意識低下へと繋がってしまっているのは問題だったし、犯罪の件数も、『驚くほど低い』だけであって、ゼロではないのだ。

だが、

「……うひゃぁ!?」

そんなことを心配する必要は無かったようだ。

なぜならば、人影の無い、と思った公園は、人影がありすぎる公園だったからだ。

「……これは……そんな、こっちも……あんなところでも……うそ! そんなことまでっ!?」

公園の中は、カップルの宝庫だった。

しかも、奥に行けば行くほど人数も増え、シンジの言う

『そんなことまでっ!?』

しちゃっているらしい。

何が『そんなことまで』なのかは知らないが……。




「あれは……?」

恥ずかしげにうつむきながら、独りで入ってきたことを後悔しながら、少し早足になっていたシンジだったが、視界の隅に何かが入ったように思った。

うつむいていた顔を上げて辺りを見回すようにする。

例のごとく、『そんなコト』までしているようである人影も視界に入っていたが、今はそれよりももっと、この何かが気になる。

注意深く見回すシンジの目に、何か明かりが見えた。

それは、生い茂る木々の隙間に、かすかにもれる明かり。

シンジの頭の中で、この明かりと、この公園に入ってきた原因である香りが、なぜか結びついた。

遠くにみえるあの明かりのを目指せば、この香りの元にたどり着けると、そう、わけもなく思った。

かすかに見える明かりをたよりに、木々の間をすり抜けて行くシンジ。

次第に大きく確かになってくる明かり。

ガサッ……。

途切れた木々の群れ。

目の前には、

「わぁ……。」

目の前には、光のかたまりがあった。

柔らかく暖かな光を放っているそれは、全面ガラス張りの建物。

「……温室、だったんだ。」

それは、この大きな公園の片隅に、ポツリと建っている小さな温室だった。

そして例の香りは、

「こんなに遠くから来てたのか……。」

確かにこの温室から漂っていた。




小さな温室の小さな入り口を見つけて、迷うことなく足を踏み入れる。

中は、外から見たのと同じく、柔らかく暖かな光に満ちている。

そして、色とりどりの花が目に映る。

でも、夜のせいか、閉じている花も多い。

そんな中、ひときわ大きな純白の花。

シンジの目を惹いたその純白の花こそ、シンジの惹かれてきた香りの源。

そしてその横には、見なれた薄い色の髪と紅い瞳。

「……あ、綾波!?」

そこにいたのは誰あろう、シンジをここまで導いてきた純白の花と同じ白さをもった彼女。

綾波レイだった。

彼女は、真っ直ぐにシンジを見ていた。

シンジが彼女に気づいたとき、その紅い瞳がすぐに目に付いたことから、彼女はシンジが気づくよりずっと前からシンジのことを見ていたのだろう。

もしかしたら、シンジがこの温室に足を踏み入れたときから見ていたのかもしれない。

というか、きっとそうだろう。

シンジには、そう思えた。

「……。」

無言で真っ直ぐシンジを見据えている紅い瞳。

シンジは、その瞳にとらわれてしまいとっさに声が出ない。

そして、なんとか出てきた言葉も、

「……あの、綾波はどうして、ここに……?」

なんとも独創性に欠けるものだった。

だがそれでも、

「香りが気になって……。」

きっかけにはなったようなので、十分だともいえる。

レイは、幾つも咲いているその純白の花の一つに顔を傾けていた。

花の白さと、彼女の肌の白さが重なる。

シンジは少しボーっとなりながら、足はレイの側へと向かっていた。

同じ花の香りに惹かれて来た、という事実にクラクラしながらも言葉を紡ぐシンジ。

「あ、綾波もそうなんだ……? 僕もそうなんだ。歩いてたら何か、香りが漂って来て、こんなトコまで来ちゃった。」

「……そう。」

レイは、その純白の花に頬を寄せたままシンジを見ている。

その瞳は、なにか柔らかに感じた。

そのせいか、シンジは少し饒舌になっていたようだ。

「は、はじめはさ……アスカから逃げて来たんだ。夏休みの宿題が終わってないのが僕のせいだとかなんとか言って……。僕に無理矢理押し付けようとするんだよ。ヒドイと思わない?」

などと、いらないことまで言ってしまっている。

更にブチブチと、アスカがどうのアスカがこうの、と愚痴(?)なのかなんなのか、よくわからないものが続く。

ある特定の人物の名前がシンジの口から出てから、彼女の瞳から感じられた柔らかさは何処かへ行ってしまっているのにシンジは気づかない。

そして、その特定の人物の名が出るたびに、紅い瞳に変化が起きているのにも、シンジは気づかないのであった。

そんな、彼女の瞳の変化には気づかないシンジだったが、その純白の花の根元にある名札には気づいたようだ。

「へえ、『月下美人』っていうんだ……。」

シンジが目にしたプレートには、その和名の俗称の他に、学名や、ちょっとした説明が書いてある。

「サボテンの一種で、夏の夜に一晩だけしか咲かないのか。」

この純白の花が、たった一晩の命だと知ると、なんだか少し感傷的になってしまう。

そして、その名前にある月を、思わず見上げてしまう。

この温室は、すべてガラス張りで、それは屋根も例外ではない。

室内の明かりが邪魔になって、弱い光の星たちは見えないが、月は良く見える。

弓のように曲線を描く三日月は、さすがに満月ほどの光を放ってはいないが、それでも他の星々とは比べ物にならないくらいの光で、その存在を主張している。




その時だ。




月下美人の豊潤な香りが温室の中に充満した。

もともと力強い香りを放っていた月下美人の花だったが、これは桁が違う。

香りに包み込まれるような、そんな感じだ。

二人とも思わず目を見あわせる。

シンジは、レイの瞳の中に、彼女の心の動きを感じたような気がして少し驚いたが、それはその後に

続いた出来事にすぐに打ち消された。

レイが光に包まれていく。

光は、空から降りて来ている。

「……月?」

見上げれば、それは月明かりだった。

そして、光に包まれているのはレイだけではなかった。

シンジも同じようにその月明かりを全身に浴びていた。

三日月だったはずの月は、いつのまには大きくなっていた。

そして、シンジが見ているうちにもどんどん大きくなっていき。

ついに満月になるか、という時。

月齢が15になるか、という、14.9の月。

二人に降り注ぐ光は、まさに光の洪水となり。

すべては光に包まれて。

世界は光のみの空間の中に二人が浮かぶだけで。

「綾波!」

混乱しながらも、今では視界に存在する唯一の存在であるレイに手を伸ばすシンジ。

レイも、その瞳に困惑の色を見せながら、

「……碇くん。」

シンジから差し出された腕に手を差し伸べた。

そして、その二人も、次第に光に飲み込まれていった。












……ゆさゆさゆさ。

「…ん。」

……ユサユサユサユサ。

「……ん、んん。」

………ゆっさゆっさゆっさ!

「…って、んぁっ!?」

シンジは、頭を盛大にシェイクされたような衝撃を受けて目を覚ました。

「……綾波?」

目の前には、自分を覗き込んでいるレイのアップが迫っていた。

「わっ、わぁぁ!!??」

吐息が感じられそうなほどの距離に、顔を真っ赤にして後ずさるシンジ。

目覚めたばかりのシンジの思考は完全に覚醒した。

「碇…くん…?」

上向きに倒れていたのだろうシンジの顔を覗き込んでいた、膝を落とした姿勢のまま小首をかしげるレイ。

普段のシンジなら、

「…か、かわいい。」

とばかり、頬を染めてしまいそうなレイの仕草だったが、今のシンジは既に他のことで真っ赤になっていたので、二次災害は防げたようだ。

だが、その分、周りに気をやる余裕があったのだろう、今の自分の存在している場所に愕然とした。

「こ、コレは…!?」

シンジの目の前に広がっていたのは、岩と砂だらけの、なんとも殺風景な場所だった。

砂漠とでも言おうか。

アフリカのサハラのように暑い砂漠ではなく、ゴビ砂漠のように冷える砂漠に似ている。

シンジは、あまりの光景に半身を起こしたまま固まっている。

しかし、驚くべきことはそれだけではなかった。

「碇くん、あれ……。」

そうレイが指差した方角。

シンジのちょうど後ろの空の方角。

空には満天の星空が広がっていた。

都会では絶対に見ることの出来ない、まさに満天の星空だ。

今まで見たことのない数の星に圧倒されてしまう。

そして、そんな星空の中、ひときわ大きく輝いているのは、白く輝く大きな月……

ではなく……。

「……青い?」

レイが指差し、今、シンジの視線の先にあるのは、

「どっかで見たことあるような気がするけど……でも……そんな……。」

「地球、だと思う。」

動揺を隠せないシンジに、しごくアッサリと見解を述べてくれたレイの言うとおり、そこに浮かんでいるのは、どう見ても地球にしか見えなかった。

その空いっぱいに星が出ているのに……いや、それだからこそよけいにかもしれない……真っ暗な空に浮かぶ青い星は、宝玉のように美しかった。

だが、今のシンジに美を愛でる余裕などありはしない。

「……そんな……じゃあここは……。」

誰に尋ねるでもなく口をついて出た疑問。

ここにいるのは二人だけなのだから、誰もその答えを持っているはずはないのだから。

だが、

「月……。」

答えはすぐに与えられた。

「……え?」

「わからないけど、そんな気がする。」

目を細めて青い星を眺めているレイを、シンジは呆然と見てしまった。

当たり前といえば当たり前のこと。

ここが月だなんてあまりにも突拍子もない話だ。

いきなり月になんて来れるわけがない。

月で息が出来るなんて聞いたことがない。

確かに、ここは写真で見た月面のように殺風景で、ウサギもいるけど。




……ウサギ?




そうだよね、月にはウサギがいるもんだよね。

……だよねぇ。

なんか、タキシードみたいなの着て、懐中時計を見ながらこっちに向かって走ってくるけど、月のウサギだから当たり前だよね。

「遅刻遅刻ぅっっっ……!!」

なんか人の言葉、しかも日本語しゃべってるけど、月のウサギだもんね。

うん。

当たり前当たり前。

……って、そんなわけないじゃんかっ!!??




「ウサギさん。」

隣から聞こえて来た呟きに、

「ウサギさんじゃなぁーい!!」

混乱した思考の中、シンジは思わず叫んでいた。

「……でもウサギさん。」

「いや、そうなんだけどね……。」

どうしてそういうこと言うの? という表情でシンジを覗き込むレイにシンジは何を言って良いのかわからない。

なにせ、自分たちの目の前にいるのは、どう見てもウサギにしか見えなかったからだ。

……たとえ、タキシードを着ていようと、帽子をかぶっていようと、懐中時計を持っていようと、だ。

十分に混乱していたシンジだったが、

「お待たせして申し訳ありません。お迎えに参りました、姫。」

「姫!?」

ウサギが帽子を取って優雅にお辞儀をすると、さらに困惑した表情でレイを見た。

レイはレイで、そのウサギを直視したまま動きがない。

きっと彼女もそれなりに困惑しているのだろう。

そんな二人だったのだが、そのウサギはあまり気にしていないようだ。

落ち着いた雰囲気で、

「では、早速参りましょう。」

と言うと、手に持った帽子をくるくると数回回転させ、ポンポンと上を叩く。

すると帽子から、にゅっ、とばかりにステッキが出て来た。

そのステッキは、明らかに帽子の丈よりも長い。

ウサギは、帽子をかぶり直すとそのステッキで地面をトントンと叩いた。

叩いた地面に残るステッキの先の跡。

……いや、違う。

ステッキの跡と思った点は漆黒で、しかも段々大きくなっている。

みるみるうちに広がって、いつのまにか三人のいる場所すべてを覆った。

「では。」

ちょうど三人の居場所すべてに闇が広がると、ウサギはステッキでもう一度地面を叩いた。

……スッ。

途端、三人を支えていた地面は消えて。

「……!?」

「……えっ!?」

「……。」

三人みんな、地面の闇の中に消えていった。












……シュポン!!

ドサッ……。




「あいたたた……ここはどこだ?」

真っ暗闇を抜けると、そこは雪国……ではなく緑に覆われていた。

シンジは痛そうにお尻をさすりながら辺りを見回す。

見上げてみれば、シンジは、大きな樹の根本にいるようで、すぐ後ろには大きな洞があるのが見える。

場所からいって、

「もしかして、ここから出て来たのか?」

どうも、その大きな樹の洞からシンジは出て来たように思える。

シンジは、その洞の中を覗き込んでみた。

洞の中は真っ暗で何も見えない。

大きいのか小さいのかもわからない。

それでいて、どこまでも続いているようにも感じられる。

「おーい……!」

思わず叫んでしまうシンジ。




……おーい……おーい……おーい……。




その樹の洞の中はどうなっているのか、シンジの声は山彦のように反射して消えていった。

「うーん……。」

洞に顔を突っ込んだまま唸るシンジ。

しばし思案げに首を傾げたが、独り頷くと。

「王様の耳はロバの耳ぃぃぃぃ……!!」

今度は両手を口元にそえて、大声で叫んだ。




……ロバの耳ぃぃ……耳ぃぃ……いぃぃ……。




そして反響する声を、手を耳に当てて聞いている。

何とも満足そうな表情だ。

どうやら一度やってみたかったらしい。

そんなことをやっていると、洞の奥から風を切るような音が聞こえてくる。

「……?」

疑問に思って目をこらすと、暗闇の奥底に小さい点が。

その点は、どんどん大きくなってくる。

そして、




……しゅぽんっ!!




「わあぁっっ!!??」

ドスン!

シンジは何かに押されて尻餅をついた。

そして、



ひゅるるるるるる……どすん!



「ぐえっ!」

今度はそのシンジのお腹の上に何かが落ちてきた。

「……綾波!?」

「……。」

つぶされたガマガエルのようなうめき声を上げたシンジが目を開けると、そこにはレイの姿があった。

彼女は、仰向けに倒れているシンジの腹の上に馬乗りになってきょとんとした表情をしている。

きょとんとした彼女の表情は、とても愛らしいものだったのだが、シンジの腹の上に馬乗りになって女の子座りのような格好をしている様は、ある意味ちょろっと危なかったかもしれない。

現にシンジは、少し頭が冷えてきたのか、

「……あ……え、あ、あの……。」

自分の腹の上、厳密に言えば下腹部に感じるなにやらやわらかな感触に思いっきり動揺していた。

そんなシンジの様子に、レイは益々、きょとん、とした表情で、小首をかしげた。

シンジはシンジで更に動揺する。

何とも微笑ましいと言おうか、マヌケと言おうか……。

全く埒があかない。

だが、二人の元にも救いはやって来る。




……しゅぽんっ!!

くるくるくる……すたっ!




「お待たせ致しました。……何をやっておられるのですか?」

そこにいたのは、シンジやレイと違い、優雅に樹の洞から出て着地したタキシードのウサギだった。

ちなみに優雅に一礼した後、二人の姿を見て顔を顰めている。

「……あはは。」

シンジは、恥ずかしげに頭をかいた。

「あの、綾波、降りてくれる。」

「……うん。」

もぞもぞと立ち上がる二人。

ウサギは、ため息をついていた。

「では、気を取りなおしまして。」

ウサギはステッキを振り上げると、

「びびでばびでぶぅ!」

妙な言葉を放ちながら数回ステッキを振り回した。

すると、光の粒子が風花のように舞い、二頭立ての馬車が現れた。

いななきを上げている馬は、見事な白馬で、車台もまた、絵本に出てくるような豪華なものだった。

「「……。」」

驚きで声も出ない二人。

そんな二人を分かっているのかいないのか、ウサギは自分の調子でシンジ達二人の方を向き、

「お二方も御召しかえ願います。」

と、また先ほどの妙な言葉を言いながらステッキを二人の方に振りかざす。

またも光の粒子が風花のように舞い、今度は二人の体を取り巻いた。

取り巻いた光の粒が消えると、そこにはまるで絵本の中の王子様とお姫様、といった衣装の二人がいた。

白いドレスにガラスの靴といったいでたちのレイ。

そして、これまた白いタキシード姿のシンジ。

「碇くん……?」

「綾波、その格好!?」

二人とも、まず相手の格好に気づき、

「「……えっ!?」」

自分自身の格好に気づいた。

二人とも、何が起こったのかわからないまま、まじまじと自分の姿と相手の姿を見ている。

特にシンジは、レイの姿から目が離せなくなっているようだ。

「……わたし、何かおかしい?」

レイの言葉に、シンジは自分があまりにもまじまじと彼女のことを見ていたことに気づいた。

「えっ!? あ、いや、そんなことは……。」

しどろもどろになってしまうシンジ。

なぜならレイの姿は、絵本の中のお姫様など比べ物にならないくらいの愛らしさに満ちていたからだ。

しかも、

「……?」

などと、小首を傾げた時には、シンジはもう真っ赤になってしまってロクな答えなど言えない。

「えっと、だから、そんなことはなくって……あの……。」

どうにもこうにもなったものではない。

話が進まない。

そうウサギも思ったようで、頭を抱えて、どうしようもない、といったふうに二、三度振ると、

「……ん、んん。」

かなりわざとらしく咳払いなどをしていた。

「……!」

その咳払いで、ようやくこちら側に帰ってきたシンジは、はっとウサギに振り向く。

「こういう時は、何か一言おっしゃるものですぞ。」

ウサギは、シンジをじっと見つめてから、急かすように、その視線をレイの方にやった。

一瞬、何を言われているのかわからないシンジ。

ウサギは、そんなシンジの様子に眉をひそめながらも、しきりにレイへレイへとその視線をやっている。

そんなやり取りの後、やっと、

「……!」

シンジも紳士としての嗜み(?)を思い出した、或いは自覚したのか、レイに向き直った。

そして、

「あ、あの、綾波……とってもキレイだよ……。」

と、顔を真っ赤にしながら言った。

シンジの言葉にレイは、一瞬きょとん、とした表情を見せたが、見る見るうちに頬が染まっていき、

「……あ、ありがと。」

と小さくつぶやいた。

りんごのように頬を染めている二人を見て満足したのか、ウンウン、と頷いているウサギ。

ガチャリ

ウサギは頷きながら馬車の扉を開けた。

「では。」

開いた扉の横で、ウサギは帽子を取って優雅に礼をした。

 












馬車は、大樹の根元から細い森の中の道を辿る。

そして、その森をぬけると。

「……すごい。」

そこには賑やかそうな街が広がっていた。




そしてその中心に存在するのは、壮麗優美な宮殿。

その白亜の建物は、正に古人が思い浮かべた月の宮殿。

ウサギ達の王国。




馬車は、街の中心通りを進み、宮殿の門に入る。

その頃には、明るかった日は陰っていて、夜の帳が完全に下りるのも間近になっていた。

御者を務めていたウサギに扉を開けられて、馬車から降りる二人。

目の前には、宮殿の入り口。

見上げてみれば、その白亜の宮殿が、闇の中に光を放って浮かび上がっていた。

そして、中から漏れてくるたくさんの人の話し声と、緩やかな音楽。

導かれるままに宮殿の中に足を踏み入れれば、そこは、大舞踏会。

とても大きなダンスホール。

包み込むような芳醇な香りに、煌びやかなシャンデリアと、それに負けないほどに煌びやかな楽団。

その旋律は、明るく楽しげで、フロアいっぱいに踊るモノ達も煌びやかに、明るく楽しげにしている。

シンジもレイも、ただただ圧倒されていた。




だが、そうこうしているうちに、今まで流れていた曲が終わる。

終わると、今までダンスを楽しんでいた人達。

……人達、といっても、それはみな、二本の足で立って、煌びやかな装いをしているウサギ達だったのだが、シンジもレイも、全くそんなことは気にならなかった。

彼らは一斉に二人の方を向き。

そして一斉に礼をした。

見れば、楽団の者達も立ち上がって礼をしている。

フロアにいる者達は、礼をしたまま次第に下がっていき、二人の前に道を作る。

その道はダンスフロアの中心に続いていて、その中心もまた大きく間が取られている。

どうして良いのかわからない二人だったが、ここまで二人を導いてきたウサギに、

「では、ごゆるりとお楽しみください。」

と一礼されると、二人して顔を見合わせて。

そして、にこやかに微笑んだ。

「お手をよろしいですか。」

と、シンジが尋ねれば、

「はい。」

と、手を差し出すレイ。

手を取り合い、ダンスフロアの中心へ。




ダンスフロアの中心、豪奢なシャンデリアの真下。

二人は一同の見つめる中向かい合い、互いに、とても優雅に礼をした。

同時に楽団の指揮者がタクトを取る。

楽曲の調べと共に踊り出す二人。

それは、優雅に美しく、そして、時に愛らしい。

見るものすべてが笑みを浮かべ、そして、こちらもと、それぞれのパートナーに手を差し伸べる。

白く輝く衣装の二人を中心に、色とりどりの衣装の者達が踊りまわる。

ダンスホールすべてが、一つの芸術となっていた。












くるくるくるくる

くるくるくるくる

踊る二人。

今までそんな踊りをしたことなんてないのに、とても息の合ったステップを踏んでいる二人。

掛け合う言葉は無い。

でも、口に出して言う必要なんて無い。

口から紡がれた言葉よりも、

息の合ったステップが、

繋がれた手から感じるぬくもりが、

とても近くに感じられる吐息が、

重なり合う瞳が、

もっともっと、二人を引き寄せ、

もっともっと、互いを感じさせる。

二人は、

そう、

一つだった。












カチリ

……ボーン……ボーン……ボーン……




だが、すべてには終わりが来るもの。

楽しい時にも終わりが来るもの。

時計台の鐘の音が鳴り響き始めると、優雅に流れていた旋律は途切れ、あれほどまで賑やかだったダンスホールは沈黙した。

時を告げる鐘の音だけがダンスホールを満たす。

中心にいるシンジとレイの二人も、すでに踊るのを止め、向かい合って互いを見つめている。

「終わりなんだね。」

「そうみたいね。」

落ち着いた雰囲気をもって言葉を交わす二人。

二人とも、わかっているのだ。

知っているのだ。

ここが何処なのか。

自分達がなぜここにいるのか。

この鐘が何を意味するのか。

わかっているから、二人は落ち着いている。

わかっているから、少し寂しい。

だから二人は瞳を交わし。

静かに抱きしめ合った。

すると、二人の頭上のシャンデリアが眩い光を放ち。

光は重なり合った二人の影を消し去り。

すべてを白く染めていった。







 






「……ん、んん。」

目を覚ますシンジ。

「……あれ……ボクは……。」

顔を上げると、目の前には月下美人の純白の花。

その花が、自分よりずいぶんと高い位置にあるのに違和感を感じて、自分自身が地面に座りこんでいることに気づく。

そして動こうとしたとき、自分の左肩に掛かる重みにも気づいた。

「あや……なみ?」

そこにあったのは、シンジに寄りかかって座っているレイの健やかそうな表情。

「……ん。」

「……あ。」

シンジが動いたせいか、身じろぎするレイに、思わず自分の口をふさぐシンジ。

だが、

「いかり……くん?」

そのままレイも目を覚ました。

「「……。」」

顔を見合わせる二人。

それも仕方が無い。

なぜなら自分達がなぜこんなところで座りこんでいるのかわからないからだ。

自分達がこの温室に入ってきたのは覚えている。

そして、この花の香りも。

本当は何でもないのかもしれないが、なんとなく気まずい気持ちになってきたシンジは、視線をそらして自分の腕時計を見る。

時計の針は、真夜中を過ぎたところだった。

「もう、今日になっちゃったね。」

「今日?」

「うん、学校が始まる日。」

「そうね。」

「綾波は、夏休み、楽しかった?」

「……。」

「ボクは、楽しかったな。みんなと高原とか行ったよね。」

「そう……。そうね、楽しかったかもしれない。」

ちゃんとレイと言葉のキャッチボールが出来て嬉しく思う反面、過ぎてしまった夏を、少し寂しく思う。

少し感傷的になって見上げれば、ガラス張りの屋根を通して見えるのは月。

ぽっかり浮かんだ満月。

餅をつくウサギさんも良く見える。

「今夜は、月のウサギも良く見える、キレイな満月だね。」

なんとなく口をついで出たシンジの言葉にレイも空を見上げる。

確かに、そこには見事な望月と、月のウサギが浮かび上がっていた。

しばらくじっと空を見上げていた二人だったが、なんとなく違和感を覚える。

二人とも同じような違和感を覚える。




「……満月? 今夜は三日月じゃ……?」

「……ウサギ?」

「……それに、この香り。」

「「……!?」」




二人は同時に顔を見合わせた。

夜空の月を見上げて。

月下美人の花の香りをかいで。

そして、




……コロン。




足元で何かが転がる音。

見れば、そこにはガラスの靴が。

一瞬驚いたような表情を浮かべたシンジだったが、すぐに微笑むと、そのガラスの靴を手に取る。

そして、

「姫、御足を失礼致します。」

片膝をつき、レイの足を取ると、そのガラスの靴をはかせた。

履かせ終わると立ち上がり、手を差し伸べる。

微笑むシンジに、レイも柔らかな表情で答えた。

立ち上がった二人は向かい合い。

そして、共に優雅に一礼して、

手を取り合い、ゆっくりと踊り出した。





月のウサギの見守る中、

月下美人の香りに包まれて。

残されたガラスの靴と、

ゆっくりとゆっくりと踏むステップに、

過ぎてしまった季節の名残を惜しみながら。













街の大きな公園の片隅にある小さな温室。

力強い香りに誘われる2人。

引き合わされ、向かい合う。

降り注ぐ月光、輝く花、強まる薫り。

世界は月光と、その強い香りに包まれて。





月の裏に広がるのは夢の世界。

古人が思い浮かべた月の宮殿。

ウサギたちの楽園。

ウサギの王国の、キミはシンデレラ。

時が来るまでの、それは魔法の国。





ダンスダンスダンス踊り明かそう。

最後の夜を踊り明かそう。

月の光のスポットライトを浴びながら。

時が来るまで。

夜が明けるまで。

夏が終わるまで。

それが、たった一つの魔法だから。

 







To Be Continued to "…Asuka."






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