セキニン




目の前が真っ暗になったと思った。
全てが終わったと思った。
そして……、

シュボッ
スーッ

「…ゲホッゲホッゲホッ!!」

オレは、夜の繁華街の雑踏の中で独り黄昏ていた。
黄昏ていた、なんて言っても、カッコ良くもなんともない。
吸えもしない煙草に火をつけて、案の定むせてしまうオレ。
カッコワリイ。
ホントに…カッコワリイ。

また落ちた。
プロ試験に、また落ちた。
院生でいられる最後の年だったのに。
オレよりも全然年下の和谷と進藤のやつは受かったってのに。
オレは、また、落ちてしまった。

こんなことになるかもしれない…と、心の何処かで思っていたかもしれない。
でも、これで最後だと思っていたから。
これで決めてやる、と思っていたから。
そんな事は、考えないようにしていた。
落ちた時の事なんか……。

でも落ちた。
最後だと思っていた試験に落ちた。
だから棋院も九星会もすぐに止めた。
そしてオレはここにいる。
目的を失い、居場所を失ってしまった今のオレには、こんな、あまり高尚とは言えない雰囲気の漂う雑踏の中がお似合いだと思ったから。
ここなら、人にまみれて、自分の存在を消してくれるような気がしたから。

「……ホント、カッコワリイ。」

一口吸っただけの煙草を見つめる。
先っぽしか燃え尽きていない、とても中途半端な存在。

「それは、今のオレか。」

自嘲の笑みをもらして、そのまま、まだまだ長いままの吸殻を地面に捨てて踏み消す。
一本しか減っていない、封を切ったばかりのタバコの箱をどうしようかと逡巡していると、どこかから聞き慣れた声が聞こえた。

「やめてくださいっ!!」

女の子の拒絶の声。
今はそんなもの無視したい気分だったけど、聞こえてきた声に聞き覚えがあった。

「……奈瀬?」

聞きなれた声のはずだ。
そこには奈瀬がいた。
しかも、ガラの悪そうな連中に絡まれている。
当たり前といえば、当たり前だ。
こんな時間にこんな場所で、女の子が独りでいたら、絡まれない方がおかしい。
特にアイツは、いつも絡まれやすい格好をしてるから。
もうちょっとオトナシイ格好をしてくれればいいのに。

「おいおいつれない事言うなよ。こんな時間にこんな場所で、そんな格好で独りで歩いてるってことは、ナンパされにきてんだろぅ。」
「そんなこと勝手に決め付けないでよ!」
「ん? 援交だったか? まあ、どっちだっていいさ。オレ達と楽しもうぜ。」
「いやぁぁ!!」

ガラの悪そうな連中の一人が奈瀬の腕を掴んだ時、オレは、どこか正気を失っていたらしい。

「キサマら! その汚い手を放せっ……!!」

オレは考え無しにそいつらに突っ込んでいった。
碁石より重いものなんて持ったこともないのに。

「伊角くん!?」

奈瀬のビックリした声が聞こえたような気がしたが、その後のことはよく覚えていない。
その次に見えたのは、ポッカリ夜空に浮かぶ月と、

「……奈瀬?」

オレを上から覗きこんでいる奈瀬の顔。

「気がついたのね。良かったぁ……。」

オレを覗きこんでいる奈瀬は、心底ホッとしたような表情をした。

「オレは…ココは……?」

困惑しているのか、オレの口から出たのは、そんな独創性の無い言葉だった。

「どうしてあんな無茶したの!? あの時、誰かがお巡りさんを呼んでくれなかったらどうなってたと思ってるの!?」

無茶……?
ああ、そうか……。
そう言えば、何かガラの悪そうな連中に突っかかって行ったんだったっけ。

「……さあ? なんでだろうな。」

元々ヤケになってたし。
この先なんて、どうでもイイとかも思ってたし。

「奈瀬こそ、なんでこんな時間にあんな場所にいたんだ?」

オレは、ふと疑問に思った事を口にしていた。
あんな時間、あんな場所で。
あれじゃ、誘ってください、と言っているようなものだったからだ。

「……。」

途端に奈瀬の表情が暗くなった。

「……伊角くんを…探していたの……。」
「オレを……?」
「そうよ。伊角くんが棋院をやめたって聞いて……。」

その言葉を聞いて、今度はオレの表情が暗くなった。
いや、その暗さは同じ質のものではない。
オレのはもっと陰湿な陰惨な度合いが強かっただろう。
だからこそ、

「ふん…同情か……。」

オレはそんな事を口走っていたのだろう。
冷たい視線を奈瀬に向けながら。

「そんな……!!」

何とも言いがたい表情でオレを見る奈瀬。

「……そんなんじゃ…そんなんじゃ……」

うめくようにつぶやく奈瀬のまなじりがにじむのが見えた。
まるで悪者だな、オレは。
……いや、まるで、なんかじゃなく、正真正銘悪者はオレか。
奈瀬は、一応オレを心配してくれていたのだろう。
同情…という別名を持つ、心配を。

そう。
同情だ。
奈瀬にはオレの気持ちなんてわかるはずはない。
オレ自身、どうにもならないこの気持ちを。

「同情でなかったら、なんだっていうんだ。
オレの…三年間も一組トップの座を守って、とうとう最後まで守りきっちまったオレの気持ちがわかるとでもいうのか!?」

「……。」

奈瀬は、黙り込んでしまった。
それでいい。
院生の中で、一番プロに近い順位で三年間。
三度、苦い思いをして、そして、それでそのまま終わってしまったオレ。
そう…終わってしまったのだから。

「……まあいいさ。
もう終わったことだからな。
進学も就職も考えたことなかったから、きっと高校卒業したらプーになるしかないんだろうけど……、
……これで、奈瀬に会うこともないだろう。」

「ダメっっ……!!!」

ドサッ!!

「……っっ!?」

瞳を閉じてしゃべっていたオレだったが、奈瀬の叫び声と共に何かに跳ね飛ばされた。
どうやら地面に落とされたらしい。
結構、痛い。

「ダメダメダメダメダメダメダメダメぇぇぇぇ……!!
……ぜぇったい! ダメなんだからぁっっ!!!」

目の前には、奈瀬がベンチの前で立って、オレに向かって叫んでいる。

「あたし…あたし…ダメなんだからぁ!!」

ベンチ…ってことは、今までそこに座ってたんだよな?
でもオレ、なんだか寝転がっていたような気がするんだけど……。
そういえば、ずっと奈瀬に上から覗き込まれてたけど…もしかして膝枕ってやつか!?
あの頭の下の感触は、奈瀬の……!!!???

「伊角くんがいないとダメなんだからっっ!!」

……。

「あたし…こんな…みんな…みんな伊角くんのせいなんだから……」

恥も外聞も無く、顔をぐしゃぐしゃにして涙をぼろぼろ流している。

「……ちゃんと、セキニンとってよっっ!!」

……奈瀬。

言うことだけ言って気が抜けたのか、奈瀬は、ベンチに座り込んでしまっている。
時折しゃくり上げる声が聞こえる。

オレは、空を見上げた。
…いや、見上げた、というのは間違っているかもしれない。
瞳は閉じられていたのだから。

「……。」

なんだか、気分がとても穏やかだ。

オレは、瞳を開けると立ちあがった。
そして、ベンチに歩み寄って、奈瀬の隣に座る。

「ぐすっぐすっぐすっ……。」

ぐずっている奈瀬に視線をやる。
ぼろぼろと涙を流していた奈瀬の顔はぐしゃぐしゃだ。
本当に、人には見せられないような姿。
それくらい酷いものだった。

だが。

だが、そんな姿が、とてもいとおしく思えた。

だからオレは、そんな彼女の肩に腕を回した。

「……!?」

ビクリ
奈瀬の体が跳ねる。
小さい、小さい肩だ。

「……セキニン、か。」

オレは、奈瀬から視線をはずし、正面を向いた。
なんだか嬉しくて、そして気恥ずかしかったからだ。

だからオレは、

「セキニン、重大だな。」

それだけ言って、奈瀬の肩を抱く腕に力を入れた。

「……ん」

しばらくすると、奈瀬が自分にもたれかかってくるのがわかった。

温かく、
そして、いとおしく思えた。

これからどうなるかわからないけど、この温もりがあれば大丈夫なんじゃないかとも思えた。

……いや。
……セキニン…だったか。


おしまい

 


あとがき

一人称ってのは、シンクロ率が足りないと辛いですね。
久々にWJ誌を読む機会があったんで読んでみたら、いきなりプロ編開始とか書いてあって。
そんでもって更に、慎一郎くん『また』落ちちゃって、棋院も九星会もやめちゃったとか。
あの人、ホントに踏んだり蹴ったりだなぁ。(>_<)

まあ、私のお話の中だけでも、ちっとだけ幸せになってもらいましょう。
しかし、私の書く明日美ちゃんってこんなんばっかやん。(笑)

あと、このお話の明日美ちゃんサイドをいつか書きたいな、なんて思ってます。
ホントは、先生が和谷に
「彼はまだ納得していませんから」
とか語ってるシーンで
「彼女もいますしね」
とか入れたかったんですけどね。(^.^)


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