written by WATA
○はじまり、はじまり 8月27日から9月1日まで、ハンガリーのソンバトヘイという町に行って来 ました。EuroCALLといってヨーロッパでコンピュータ利用の語学教育を討議す る学会があったのです。4泊6日の強行軍でした。 ○成田からモスクワへ ハンガリーへは飛行機のほか、電車やバスでも入国できます。今回はブタペス ト空港へアエロフロートを利用して入ることになりました。アエロフロート以 外の航空会社では、経由地で別の航空会社へと乗り換えねばならず、料金が高 くなるからです。アエロフロートはロシアの航空会社で、ヨーロッパへ行くの にもっとも安い航空会社とされています。 成田は12時30分の出発で、離陸まで1時以上機内で待たされました。11時間の モスクワへの旅です。 3年前にも利用しましたが、「ボロイ、疲れる、サービスが悪い」などの噂は、 まったくの嘘でした。今回は3年前よりももっと良くなっていました。飛行機 はエアバスA-310というフランス製です。機内ではスリッパもくれたし、海苔 巻きつきの機内食まででました。「通路いっぱいに広がる太ったスチュワーデ ス」というのも嘘です。機内ではNine Monthsとかいうアメリカの映画もみる ことでできました。日本語吹き替えがあればもっとよかったのですが... 飛行機のなかで恐怖なのは「乗り物酔い」です。おいらはときどきひどい乗り 物酔いにかかります。「自動車を運転しているひとは乗り物酔いしない」など と言いますが、おいらは自分で自動車を運転していも酔うくらいです。今回も 1時間前に酔い止めの薬をのんでいましたが、やっぱり頭痛がしてきました。 まあ、吐くまでには至らなかったけど... ○モスクワ空港 あーもーこれ以上頭痛がするようだと耐えられないよ、という程度の乗り物酔 いでモスクワに到着しました。現地時間では午後6時ごろに到着しました。日 本との時差は5時間ですから、日本では夜の11時、真夜中近くです。モスク ワで乗り換えのため一泊する場合、専用のゲートで待たされます。ここでバス を待ってホテルへと向かうわけですが、なかなかそのための手続きが始まりま せん。ぶらぶらと空港を散歩することになります。 モスクワは照明が乏しい暗い空港です。3年前と同じように、壊れたトイレも 修復されていませんでした。空港内のレストラン、免税店では主に米ドルが使 われていて、中には現地通貨のルーブルが使えないお店もあります。パンに長 いソーセージを挟んだホットドッグが4ドルもします。けっこうお祭り価格で す。ただ、缶ビールだけは安く、500CCの缶ビールが1.5ドルで買えます。 ファンタやコーラが1ドルですからこれはかなり安い。日本ではビールにすご い税金をかけていることがわかります。 待たされること1時間、ようやく2人の女性係員がやってきて、パスポートと ホテルのチケットの検査です。一人、一人名前と滞在先のホテルをチェックし ます。全部で50人近くがこうしてチェックを受けます。我先に窓口へと急ぎ ます。チェックが済むと空港1階へ進みます。待つことさらに30分、先ほど のチェックと同じ女性がやってきて、滞在先のホテル別にバスに乗客を分乗さ せる準備をします。「準備」です。この時点で先にバスが来て待っているので はありません。チェックの終了とともにバスを手配するようで、ここでも待た なければなりません。したがって、チェックを早く済ませれば早く出られる、 というわけではないのです。この国では急いでもあまり意味がないような気が してきました。チェックの女性は空港整備のあんちゃんとなにやら大声で世間 話を始めました。いったいいつになったら出られるのか、乗客はみな疲れた顔 をしています。 それでも最初に来たバスでホテルに行けることとなりました。すでに現地時間 で8時過ぎ、ようやくバスに乗れました。 ○トランジットホテル ようやく乗り換えのための一時滞在のホテルへのバスが出ました。バスの運転 席の上には、家族の写真が貼られていたりマスコット人形がぶらさがったりし ています。マイクロバスを大きくしたようなバスで、型も古そうです。個人所 有のバスなのかな。出発直前、サングラスをかけたおねーちゃんが乗り込んで きました。 5分くらいするとホテルの前の駐車場に到着しました。しかし、そのホテルの 名称は、空港で指示されたものとはことなります。どうなってんだろう...と 思うまもなく、例のおねえちゃんが言いました。 Who goes to the sightseeing to Moscow. It's two hours and 20 dollars. (モスクワへ観光に行く人はいますか。2時間20ドルです。) あれ、これはホテルへ行くバスじゃないのか?みんな意外な顔をしています。 「ホテルはどこなのですか」誰かが聞きました。 「ホテルはここから15分ほどのところです。」 おねーちゃんはしきりに「モスクワへ...」と繰り返します。おいらも「おか しいな」とは思いつつ、「こんなチャンスもないかな」と思い、手を挙げまし た。手を挙げたのはおいらも含めて4人でした。おねーちゃんはさらに「あな たはモスクワに行ったことがあるのか?」と聞きまくります。それでも他の乗 客は、長旅の疲れか、どこかおかしいことを察してかなかなか手を挙げません。 するととつぜん、おねーちゃんは 「それでは、観光は人数が少ないのでできません。グッドラック」 と言って下りていってしまいました。なんなんだよ、いったい。 バスは再出発して今度は目的のホテルにつきました。現地時間で9時頃です。 トランジット客は、一般の客と乗るエレベータも泊まる階も区別されています。 部屋にはいったら、他の階へは行かないように、と指示を受けました。誰かが 聞きました。 「モスクワへ行くことはできますか」 「ビザがなければだめです」 なーるほどね。さっきのおねーちゃんはトランジット客にもぐりで観光を斡旋 していたのです。本来、トランジットステイはホテルに泊まるだけで外出はで きないはずなので、そこを狙っていたわけです。だったら、もっとそのことを 説明すればよかったのに。でも、へんなのにつかまらなくて良かった、とも思 いました。 ホテルといってもシティホテル程度の大きさです。ダブルの部屋になっていて、 1人で利用する場合は9000円、2人で利用する場合は1人5000円とな っています。写りの悪い部屋のテレビではイントロ当てクイズと思わしき物を やっていました。古い白黒の映画もありました。おなかがすきましたが、レス トランも売店もやっていません。おせんべを食べました。 次の朝6時50分ごろモーニングコールがありました。「30分後にバスが来 る」というのです。支度を済ませ下りていくと、朝食のお弁当をくれました。 レストランが開く前に出発する人にはこうしておべんとうをくれるのです。 おべんとうの中身は オレンジジュース 2つ 板チョコ 1つ チョコバー 1つ ヨーグルト 2つ 堅いこっぺぱん 1つ 三角チーズ 1つ マーガリン 1つ でした。早い話がおやつみたいな朝食です。かなりの量はありました。ジュー ス、ぱん、チーズを食べたところでバスが来ました。残りはバッグにしまいま した。空港へ向かいます。 ○ブタペストへ モスクワ空港からハンガリーの首都、ブタペストへ飛びます。飛行機は「ツポ レフ144」というタイプです。旧ソ連からの機体ですが、乗り心地は悪くあ りません。左3列、右3列の中型機です。ブタペストへは3時間、時差が2時 間あります。 モスクワ 3時間後 10:30 13:30 ブタペスト 8:30 11:30 つーわけで、ややこしいのですが、ブタペストでは11:30となっています。 ブタペストの空港は「フェヘリジ空港」という名で、小さな空港です。タラッ プを下りてバスに乗ります。ハンガリーに入国するにはビザの取得が必要で、 慶応大学の三田校舎の近くにある大使館へ取りに行きました。旅行代理店に依 頼する方法もありますが、手数料がかかります。写真3枚とパスポートをもっ てゆき、5,000円かかります。2日後に完成し、また取りに行きます。ア メリカやカナダ、ヨーロッパの場合ビザはないのに、どうして、という気持ち です。 入国手続きを終えたところで両替しました。ハンガリーの通貨は「フォリント」 といい、 100円=約80フォリント くらいの相場でした。とりあえず3万円を両替しました。 フェヘリジ空港は空港というよりはちょっとした駅、といった感じでした。 「地球の歩き方」には、出たところに空港直行バスのバス停がある、とありま す。タクシーは、法外な料金を請求されることもあるので、料金を確認してか ら乗る、ともあります。とりあえずバス停を探しました。通りがかりの人に尋 ねてみました。 Excuse me, where can I find the bus for the central of Budapest? (ブタペストの中心へのバスはどこですか?) おじさんは何か言っていますが、ハンガリー語です。別の、こんどはおばさん にも聞きました。おばさんは首を振るばかりです。 げっ、英語が通じない! ○持ち物 さて、ここで今回の旅の持ち物について説明します。 とにかく、4泊6日の旅なので、あれもこれも持っていっても仕方ありません。 必要最低限のものにします。 手提げバッグ Dynabook本体およびACアダプタ、変換プラグ 書類、ガイドブック カメラ リュックサック 4日分のパンツ、ランニング ワイシャツ 3枚 セーター 1枚 襟付き厚手のシャツ 1枚 替えのズボン 1枚 バスタオル、ハンカチ 歯磨き、ひげそりなどの洗面道具 トレーナー上下(パジャマ代わり、簡単な外出も可能) こんなところです。手提げバッグには堅いもの、リュックサックには柔らかい もの、と区別します。スーツケースに入れるほど衣類はなく、リュックサック を使うと両手が空くので便利です。実際、この程度の荷物であれば、リュック サックを小さく片手で持っていけば、機内持ち込みができます。むしろ、Dynabook の入った手提げ鞄の方が重いくらいです。「機内持ち込み手荷物は一つ」 となっていますが、実際には二つでも何も言われません。(^^; 荷物をすべて 機内持ち込みにすれば、荷物待ちの時間を省くことができます。モスクワでの トランジットステイの場合、機内持ち込みとしなかった荷物は、到着地での受 け渡しとなるため、利用することができません。機内持ち込み荷物の中に、あ る程度の衣類を入れておかねばなりません。 ダイナブックの場合、ACアダプタが最初から100V〜240V対応となっているので 変圧器は必要ありません。もっとも、最近は多くのノートパソコンがそうなっ ているようですが... 日本からは夏物のスーツを着ていきました。ハンガリーは夏の間、平均20度く らい、と聞いていましたから、それほど暑くならないはずです。セーターも1 枚あれば、そこそこ寒くても平気でしょう。 それともう一つ。出国してからは、到着地のホテルに着くまで、パスポートと 搭乗券はさまざまな機会で確認が求められます。出国、入国の手続きのほか、 免税店での買い物や両替、トラベラーズチェックを使っての買い物などでも提 示を求められます。「大切なもの」として、鞄の奥にしまいこんでしまうと、 いざ、というときにどこにあるのかわからなくなってしまい、鞄をひっくり返 すことになります。「なくしたかも...」とか少しでも考えると、もう落ち着 いてものを探すことができません。(おいらだけの問題かもしれませんが(^^;) 危ないことには違いありませんが、この手のものは、背広の内ポケットとかウ ェストポーチなど、当座の現金とともに、自分に近いところで一ヶ所にまとめ ておくことにしています。 話は少しそれましたが、このようないでたちで、空港の前を、バス停を探して うろうろしていたのです。 ○ブタペストへ 空港が都市の中心部から少しはなれたところにある、というのはどの国でもあ ることです。ふつうは、電車やバスで中心部へと行きます。ところが、ブタペ ストのフェヘリジ空港の場合、利用者が少ないためか、ミニバスとよばれる、 マイクロバス程度のバスか、町中を走っている路線バスが来るだけなのです。 駅をでたところで、それらしい鞄を持って、バスを待っている人がまずいませ んでした。 ようやく、地球の歩き方に出ていた路線バスのバス停をみつけバスを待ちまし た。 Is this the bus for the center of Budapest? (ブタペストの中心へ行くバスですか?) 運転手さんはうなずくだけで何も言いません。 How much should I pay? (いくらですか?) 運転手さんは「いいから、もう乗れ」と合図しています。一番前の席に座りま した。バスは本当にふつうの街角を通り抜けていきます。乗る人もふつうのお じさん、おばさんです。手には、切符を持っていますが、その切符を運転手さ んに見せるでも、渡すでもありません。市場らしき店の並ぶ通りを抜けたとこ ろで、大きな通りへと出て、まもなく、地下鉄の駅が見えてきました。 下りる時に、お金を渡そうとしましたが、運転手さんは何も言わず、「行け」 と合図しています。ことばのわからない外国人だから、大目に見てくれたので す。 人の流れに続いてエスカレーターを登っていくと、地下鉄の改札口へと出まし た。周りの人をみると、硬貨を販売機に入れて切符を買ったのち、小さな四角 い機械の中へその切符を入れています。別に、改札口に駅員が立っているわけ ではありません。おいらも真似して、切符を機械に入れました。ですが、切符 が入鋏されたわけでも、スタンプが押されたわけでもありません。 ともかく、地下鉄に乗りました。地下鉄の中で「次は...」と駅名を放送して いますが、ほとんど聞き取ることができません。駅についた時の表示と地球の 歩き方の路線図を見比べます。3つくらい駅を過ぎたところで、中学生くらい の子供をつれたおじさんが隣にすわりました。 「日本からの方ですか?」 「え?」 この人は10年くらい前に日本に半年滞在したことのある人でした。ようやく、 自分の思っていることを伝えられる人に出会い、ほっとしました。半年の滞在 にしては日本語が上手でした。ここぞとばかりにいろいろと尋ねました。 地下鉄の切符は、やはり、機械に入れて入鋏とスタンプを受けなければならな い。駅員はいないが、不定期に切符検査が入り、ただしく切符を購入し、入鋏 されていないと、数十倍の罰金を取られる、ということでした。しかも、おじ さんは、親切に乗り換えの方法まで教えてくれました。乗り換える時にも切符 が必要なのですが、今度は正しく入鋏もできました。 「やっぱ、どこに行っても、親切な人はいるもんだ」 こうして、乗り換えを終え、ソンバトヘイへの列車が出る、ブタペスト東駅へ 到着しました。 ○ブタペスト東駅 その1 地下鉄のブタペスト東駅からは、長いエスカレーターを使って地上に出ます。 エスカレーターの手すりをつかまっていると、てすりだけが次第に先に行って しまいます。円形の広場を抜けてしばらく行くと、国鉄のブタペスト東駅には いり、切符売り場が見えてきます。まあとりあえず、切符を買うことにしまし ょう。 Could I have a ticket for Szombathely? (ソンバトヘイへのチケットをください。) 係員はおばさんです。何か言い返していますが、ぜんぜんわかりません。ふた たび、「チケットをください。」と英語で言い返しました。らちがあかないと 思ったか、おばさんはメモ用紙に数字をいくつか並べて書きました。どうやら 時刻のようです。何の時間だかわかりません。 途方に暮れていると、後ろに並んでいた中年の紳士が、少し英語がわかるよう で、おいらに代わって通訳してくれました。 Which train do you take? (おまえはどの列車に乗るのだ?) 先の数字はソンバトヘイ行きの電車が出る時刻だったようです。 Oh, I want to leave as soon as possible. (そりゃ、早いのにこしたことはない。) 後ろの紳士が通訳してくれました。おばちゃんはメモに金額を書き、その金額 を払い、切符を買うことができました。「待てよ、いったい何番線からでるん だ?」例の紳士に聞きました。 On which platform does the train leave? (何番線からですか?) I don't know. Maybe, platform no. 9. (さてね。たぶん9番線からだと思う。) とりあえずその場を離れ、駅の時刻表を見に行きました。ところが、切符売り のおばちゃんが指示してくれた時間には、電車はないことがわかりました。「 あのおばちゃん、まちがったのかな。」さらに、ソンバトヘイ行きのいくつか の電車はあるのですが、どうも経由地がおかしいのです。地球の歩き方では、 ソンバトヘイまでの路線図は次のようになっています。 シェプロン---ジュール --------------+ | | ソンバトヘイ----------------------ブタペスト つまり、ソンバトヘイまでは直通のはずなのですが、ソンバトヘイが終点の汽 車には、すべてその行き先として「ジュール−シェプロン、ソンバトヘイ」の ように書かれているのです。 「だって、ジュールやシェプロンからはソンバトヘイに行く鉄道はないじゃ ない。」 ブタペスト東駅は昔の上野駅のような感じです。駅のすみずみまでリュックと 手提げ荷物を背負って歩き、電車を確かめようとしました。駅員にも尋ねまし た。やはり、ぜんぜん英語が通じません。そのうちに、 「ホテルをお探しですか?」 うら若いおねーちゃんが声をかけてきました。このおねーちゃんは、こうして おのぼりさんのような日本人旅行者にホテルを斡旋しているようです。適当に 英語もわかるようです。 Would you do me a favor? I want to go to Szombately. (あの、すいません。ソンバトヘイに行きたいのですが...) と尋ねると、「ああ、こいつはホテルに泊まるんじゃない」と思ったみたいで、 Oh, go to the station and ask there. (駅へ行って尋ねなさい。) それがわかんなくって困ってんだよ!!時刻は12時半です。 ○ブタペスト東駅 その2 つーよーなぐあいに、電車を探して、あっちふらふら、こっちふらふら、手提 げ鞄とリュックサックといういでたちで駅の構内を歩き回っていました。 ハンガリーはこの時期平均気温20度くらいと聞いていました。ところが、実 際は暑い!30度近くはありそうです。あとでわかったことですが、国全体が 盆地にあるハンガリーでは、朝、夕の冷え込みが厳しく、確かに長袖セーター が必要になります。しかし、昼間はみるみる温度が上がって、半袖でなければ すごせません。その中を長袖のシャツに長袖の背広を着て、荷物を持ってうろ うろしていたのです。暑い! 途中、ちょっと駅の外に出ると、ハンバーガーのようなパンの生地を袋型にし て、この袋の中に、焼いた牛肉を少しずつ切り落とし、トマトやピクルス、ケ チャップ漬けの野菜などを放り込んだ食べ物を売っていました。指で示すと、 「ギョロース」と低い声でおっさんが答えます。また、そこそこの味でした。 空腹も少しおさまりました。「ギョロース」なんか変な名前! 困った、困ったで駅を歩いていたわけですが、突然大声で、おいらに話しかけ てきた人がいます。ハンガリー語で当然わからないのですが、「来い、来い」 と手招きします。タクシーの客引きをしているようなおじさんです。ついてい くと時刻表の前まで来ました。大声でさらに何か言います。おいらが「ソンバ トヘイ」と言うと、時刻表から、ソンバトヘイ行きの電車を探し当ててくれま した。2時10分発です。 Platform number 9? (9番線ですか?) と英語で聞いても、おじさんはわかりません。指ですぐ左のプラットフォーム と、右のプラットフォームを示すと、おじさんは左の9番線を指します。そう か、9番線なんだ。(ヨーロッパの鉄道では、日本で言う一つのプラットフォ ームを長く利用し、その停車位置によって、複数の番号をつけることがありま す。)おじさんはさらに、持っていた手帳に、時刻と、プラットフォームの番 号を書いてくれました。 もう一つの疑問、鉄道の路線について聞いてみました。地球の歩き方の例の鉄 道路線図を見ませした。 シェプロン---ジュール --------------+ | | ソンバトヘイ----------------------ブタペスト 「ソンバトヘイ?」おいらが地図で示すと、おじさんは大声でうなづきながら、 「ジュール、シェプロン、ソンバトヘイ」と指で示します。何度も何度も、「 ジュール、シェプロン、ソンバトヘイ」と言います。おじさんの指の動きから、 電車がジュールで分かれて、一つはシェプロンに行き、もう一つはソンバトヘ イに行く、ということがわかってきました。 「やっぱ、地球の歩き方の本の地図がおかしいんだ。」 あー、これで何とかソンバトヘイに行ける。そう思って、9番線の前に立ちま した。おじさんはうんうん、うなづいています。列車が出る2時10分までは まだ1時間近くあります。 1時50分に電車が入ってきました。するとまたこのおじさんがどこからとも なくやってきて、おいらをさらに駅の手前へと連れていこうとします。「シェ プロン、シェプロン」と言います。つまり、今、おいらが立っているところで は、ジュールで切り離されてシェプロンに行く車両だ、というわけです。20 メートルほど歩いたところで「ソンバトヘイ、ソンバトヘイ」と大声で言いま す。おいらがにこにことうなづくとおじさんもうなづきかえします。ここから 乗るんだな。あーやっと、電車が来た。 おじさんと並んで電車を待ちます。ドアが開き人がたくさん下りてきました。 さて、乗り込むとするか、おじさん、ありがとう。 と思って、ほんの少し前に手から放して足下に置いた手提げ鞄を再び取ろうと したところ、ないのです。いろいろと見回しましたが、どこにも見あたりませ ん。 「げっ、かばんを取られた!!」 背広の内ポケットに、3万円分の現地通貨の入った財布だけを持ち、パスポー トも、残りの日本円にして7万円の現金も、帰りの航空券も、ダイナブックも、 カメラもみーんなとられ、ことばの通じない異国の地に取り残されてしまった。 ○ブタペスト東駅 その3 「か、かばんがないんです。かばんしりませんか?」 英語が通じないのは分かっていましたが、聞きまくりました。「黒い鞄、たっ た今ここに置いておいたんです」 乗り方を教えてくれたおじさんやならんでいたおばさんたちは、困った顔をし ています。おぱさんのひとりが「ポリース、ポリース」と指をさします。駅構 内に交番があるのです。行くことにしました。 軍服を来た警官が数人中にいました。 Somebody has just stolen my bag. It was only in a minute. (誰かが鞄を盗んだのです。わずか1分のできごとでした。) 何度か言ってみました。ですが、全然理解しないようです。別の部屋から中年 のおばちゃんが出てきました。制服は着ていません。ふつうの格好です。ふん ふん、とおいらの言うことに頷いています。 Who stole your bag? A man or a lady? Or, two men, three men? (誰がかばんを盗んだのですか? 男、女。それとも2人組、3人組?) ようやく聞き取れるような英語が帰ってきました。このおばちゃん、少しだけ 英語ができるようです。 It was only in a minute. I didn't see the face. (ほんのちょっとの間のことだったんです。顔を見ていません。) おばちゃんは、「しかたがない」というふうに首を振ります。とりあえず、奧 の部屋へ行くように促されます。テーブルがありました。椅子に腰をかけ調書 に記入せよ、というのです。調書はすべてハンガリー語で書かれているのでど こに何を記入したらよいかはわかりません。おばちゃんは、別の用事ができた ようで部屋から出ていってしまいました。 ああ、これからどうしたらいいんだ。なんでこんなとこに来ちゃったんだよ。 絶望する思いでした。 日本大使館に行く。パスポートと航空券を再発行してもらう。宿はどうなる のかな。ソンバトヘイには行けないだろうな。すぐにでも帰りたい。家に帰 って何て言おうかな。 あーあ、来るんじゃなかった。 テーブルに頭を突っ伏していました。気がつくとおばちゃんが他の警官とと もに部屋に戻っていて、調書を書けと促します。一つ一つの欄をおばちゃんと 確認しながら、記入していきます。国名や住所の欄は書けましたが、パスポー ト番号の欄は書けません。どこかに番号を控えておけばよかった。再発行がス ムーズに行ったかもしれません。 おばちゃんは、警官と「ヤーパン」とか言って話をしています。「日本人」く らいの意味なのでしょう。きっと、盗難に会う日本人も多いのでしょう。確か に、迂闊でした。人の多い、スリの巣窟のような駅構内で、いかにも観光客と いういでたちをして、高価なものが入っていそうな鞄を持って、2時間近くも、 あっちをうろううろ、こっちをうろうろしていたのですから。きっと泥棒は、 ずっと前からおいらの隙を狙っていたのでしょう。泥棒の顔も見ていないし、 盗まれたことすら気がつきませんでした。見事な仕事ぶりです。 しかし、鞄は出てきたのです。調書の表を書き終えたところでした。おばちゃ んがなにやら警官と話をして、こっちへ来い、と合図します。交番を出て、駅 のホールの壁際に、ありました、黒い鞄。たしかにおいらのです。すぐに中身 を確認しました。ある、ある。ダイナブック、パスポート、帰りのチケット、 あっ、日本円の現金まで、手つかずに残っている!!やた!! おばちゃんとともにもう一度交番で確認しました。確かに大事なものはすべて ありました。すべて...?あっ、カメラがない。カメラをとられた。カメラだ けだ。おばちゃんが調書にカメラと記入して、おいらは交番を出ました。この 間、わずかに15分で一件落着となりました。ソンバトヘイ行きの列車はまだ プラットフォームに残っていました。乗り込みます。電車から交番を見ると、 交番のおばちゃんが警官の一人と抱き合っています。「何なんだよ、いったい」 あー、親切などろぼうでよかった ○ハンガリーの列車 カメラを盗られたというくやしさより、パスポート、チケットが出てきた、と いううれしさの方が勝っていました。列車はまもなく発車しました。空いてい る座席はなく、通路に立って今一度鞄を確認しました。 考えて見れば、パスポートや日本円を盗んでもすぐには金になりません。日本 円を両替するには身分証明書の提示も必要でしょう。ダイナブックもひらがな がキートップに印字されていたのでは売れないことでしょう。結局のところ泥 棒さんは、てっとりばやくお金になるカメラだけを盗って、残りをおいてとん ずらしていったのです。 現地の通貨は背広の内ポケットに入れておいたのが良かった。 だけどやっぱり保険に入っておけばよかった。海外旅行の保険というといくつ かの保険会社の掛け捨てタイプが有名ですが、係員のいうなりになっていると、 当然、一番高いタイプとなってしまいます。こいつは、5千万円程度の死亡保 障のほか、盗難や病気にあったときにも親切に面倒見てくれます。これだと、 4泊6日程度の海外旅行でも7千円から1万円になってしまいます。これを死 亡保障だけで2千5百万円程度にしておけば3千円しません。長くなければ病 気にはならないし、泥棒に会うこともなかろう、と思ったのです。やっぱ盗難 だけでもプラスしておくべきでした。 などと考えているうちに、ふと、声をかけてきた紳士がいます。 Did you participate in the Eurocall Conference held at Hull, UK? (イギリスのハルで行われたEurocall会議に出ませんでしたか。) Yes! (はい。) 確かに3年前に参加しました。おお、この人は、そのとき日本語教育について 発表したDaveさんではないですか。思わず握手。やったー、ついに知ってる人 に逢えたぞ!!このDaveさんはロンドンのサウスバング大学の情報処理学部で、 日本の大学の日本語教育のスタッフとともに、日本語のe-mailで語学教育の研究 をされている方です。自身も日本に数年住んでいたことがあり、奥さんは日本 の方です。前回ハルでも、ぽつねんとしているおいらにいろいろ親切に話しか けてくれました。今回はさらに共同研究相手の東北大の日本人の先生とも一緒 とのこと。 ソンバトヘイへは4時間のみちのりです。その間、3人でいろいろ話しをしま した。やっぱ知らないところは一人で来てはだめなのねん。やれやれ。(^^;列 車の外にはソフィアローレンの「ひまわり」に出てくるようなひまわり畑が続 いていました。 今回の旅の冒険らしいところはここでおしまいなのです。あとは、英語を話せ る人にそこそこ囲まれて、快適に旅を終えることができました。 ○ソンバトヘイ こんな形で終わってしまっては、ハンガリーの悪口だけになってしまいます。 もともと、これは「ソンバトヘイへの旅」なのですから、ソンバトヘイについ て書かないといけない。 ソンバトヘイはオーストリア国境に近い西ハンガリーの街です。いなかじみた 駅で降りると学会を主催しているBerzsenyi Daniel(ベジェニダニエル)教育大 学の学生が出迎えてくれました。専用のバスが待っていました。この学生、実 に、親切にいろいろと教えてくれました。宿舎や教室への行き方、国際電話の かけ方、などとてもていねいです。「どうぼうに会った」と軽い気持ちで言っ たところ、とても心配してくれて、そればかりか、えらい先生にその話しをし たらしく、都合3人くらい、ハンガリーのスタッフが、「大変でしたね。ハン ガリーに悪い印象を与えてしまった。」と挨拶に来ました。「しまった」と思 い、もうこれ以上、盗難の話しは人の前でするのは止めました。 それにしてもあの女子学生かわいかったな。ソフィーマルソーみたいだった。(^^; 宿泊には数カ所のホテルと学生向けの「ホステル」がありました。このホステ ル、ハンガリーでは小型ホテル、日本で言う、商人宿とかビジネス旅館くらい のものなのですが、おいらはそれに泊まりました。学生の寮とはちょっと違う ようで、大学を訪れた人をそこそこ泊めておく施設です。ルームキーパーもい れば、ドアマンもいます。3泊して3千円という料金でしたが、学生3人の部 屋を1人で使えてなかなか快適でした。こういう施設が充実しているのがヨー ロッパの文化ともいえます。お金持ちとなった日本ですが、まだまだこのよう な施設をもって十分に訪問者を応対できる大学は少ないと思います。 隣はハンガリーの東の方からきたおばちゃんで、鍵が開かないで困っているの を助けてあげたら、その後いろいろと親切にしてくれました。ことばがわから ないおいらの代わりに帰りの特急電車(インターシティといいます)の指定券ま で取ってくれました。 3年前にイギリスで会った何人かの人たちともまた会うことができました。と にかく、こういう場に来たら、自分自身のテンションを少しあげるようなつも りで、積極的にいろんな人と話をしていかねばなりません。そうしていろいろ 助けてもらわないと、自分が損することになります。一人で来ている時はなお のことです。正直、これがけっこうしんどいです。 徐々にここでの過ごし方に慣れてきました。街に出かけた時にはかならずメモ を持っていきます。買い物をしたときに、値段をメモに書いてもらいます。基 本的なことばもおぼえました。 ケゼネン ありがとう メンニ いくらですか シア こんにちは あとは身振り手振りです。「メンニ」と言って指を数本たてて、タクシーに乗 りました。こうすれば乗る前にだいたいの料金がわかります。英単語でもメモ に書いて渡すと、そこそこ理解してもらえます。ディナーのとき、ハンガリー 語とドイツ語を話す地元の人と筆談しました。「シューレ」(学校)など、忘れ ていたドイツ語も少し思い出したりしました。この人はハンガリーのコンピュ ータスクールの先生です。まだまだ学校で使えるパソコンも少ないのですが、 何とか語学に生かせないかと参加したそうです。おいらと同じくらいの年齢で 子供が2人いました。この程度のことであれば筆談でもできます。もっともこ とばより絵を描きましたが...(^^; 朝の9時半から夜の11時くらいまで、いろいろとスケジュールが組まれてい て、こちらの方は自分で考えなくてもよいからとても楽でした。ハンガリーの 街もそこそこ見ることができました。食事も良かったです。朝はバイキング形 式で、ランチやディナーも食べきれないほどでした。日本で言う「すいとん」 のようなパスタ料理もでました。サラミソーセージやチーズは本当においしか った。 発表の合間にはそこそこのティータイムとなり、コーヒーや紅茶などもセルフ サービスで飲むことができました。このあたりのオーガニゼーションも日本の 学会よりよっぽどしっかりしています。もっとも参加者は300名程度しかい ませんが。ハンガリーはもとより、イギリス、アメリカ、ノルウェー、スウェ ーデン、イタリア、フランス、オランダなどいろんな人とお話ができました。 会った人の多くから、日本語の学習がさかんに行われていることも聞きました。 日本で思っているよりずっと海外の人の方が日本のことを思っていたりします。 これだけ多くの日本人が外国で暮らしていたり、日本製品が街に溢れていれば 当然のことですね。実感しました。 4泊6日のヨーロッパ旅行では観光もろくにはできませんが、まあ、こうして お友達になれたことはよかったです。 ○旅のまとめ その1 もとの社会主義国で、まわりにはクロアチアだとかスロバキアだとかの紛争地 域をかかえ、どういうものかと思い、訪ね、駅の構内であんな目にあいました が、ソンバトヘイはとても落ち着いてしずかな街でした。街の中心には大きな 広場があり、そこでは夜遅くまでビールを飲むことができます。ビール1杯で 何時間もおしゃべりをしています。パブは食事を済ませて行くところなので、 つまみをいっぱい食べたりしません。 最終日のイブにはバイオリンとダブルベースの音楽会がありました。音楽会と いってもくだけたもので、どこかジプシーの音楽を思い出させるような民族音 楽です。アルプスの少女ハイジのような服を着た少女が2人、みんなをリード してフォークダンスが始まりました。一人、二人と輪が大きくなり、最後は10 0名くらいの輪になりました。 おみやげを買いに行きました。おいらがこういうとき行くのは、スーパーマー ケットです。免税店には興味がありません。タバコはあげればその人の体に悪 いし、お酒だって、今では日本の安売り酒屋で買った方が安かったりします。 香水なんて、使わないで部屋の芳香剤になっています。ブランドものが好きな 人はよいでしょうが、税金払っても、地元のデパートやスーパーで、 May I help you? (いらっしゃいませ? − お力になりますよ) と聞いてきた店員のおばちゃんに、 Yes, please help me! (はい、助けてください!) なんて言いながら、いろいろとみつくろってもらって買った方がずっと安くて 良いものが買えます。 物価の安いハンガリーですから、あのおいしいサラミソーセージもきっと安い でしょう。サラミならそこそこもってくれるでしょう。 つーわけで、昼休みに、ランチをスキップしてスーパーにでかけました。あり ました、ありました。ボンレスハムくらいの大きさのソフトサラミが1本30 0円くらいであります。モツァレラチーズ、ゴーダチーズ、知らないさまざま チーズも切り売りしてくれます。それがみんな信じられないくらい安いのです。 小物のチョコレートも数枚買いました。サラミは全部で8本も買いました。今 も、家で楽しんでいます。うまいんだなこれが。 むこうのスーパーは、日本と同じですが、レジのところが少し違います。かご にものを入れて待っていると「ものを出せ!」と言われます。自分でものをか ごからだしてチェックしてもらうのです。チェッカーのおばさんは、買い物を 入れる袋をくれません。自分で持ってゆくか、お金を払って買います。 今回の旅では、下着とワイシャツは使い古しのものを4日分持っていきました。 おいらのようにだらしのない男は、古くなって捨てた方がよい下着やワイシャ ツがそこそこあります。それを持ってきたのです。ですから、もったいないと 言われればそれまでですが、使った下着とワイシャツはゴミ箱に捨ててきまし た。こうすると、リュックが軽くなり、おみやげのスペースもそこそこできま す。行きは手荷物扱いですが、帰りは機内に持ち込まずに貨物として預けてし まいます。 本当におみやげはスーパーに限る。 ○旅のまとめ その2 今回の旅で感じたことの第一は「英語は国際語」なんてことは嘘っぱちだ、と いうことでした。そりゃあ、確かにインターネット上では英語が主流で、空港 や飛行機の中では英語が話せるひとにそこそこ会うことができます。それでも、 世界の中で英語が話せる人はやはりごく一部にすぎない。インターネットだっ て、使っているひとは世界規模からすればごく一部のことです。「郷にいれば 郷に従え」ということばがあるとおり、「英語は国際語」なんて言い方そのも のが奢った考えではないかな。 「国際語」 ↓ 「英語を知ってて当たり前」 ↓ 「知らないやつが悪い」 なんてことを考えていたら、いつまでたっても英語を母語としない人とは本当 に交流することはできません。 ことばが通じそうにない国へ行ったら、まず、その国の基本的なあいさつや生 活に必要なことばを覚え、メモを片手に、身振り手振りでコミュニケーション をとろうとしなければならない。ブタペストの駅でも、英語で聞いて回るので はなく、電車とプラットフォームの絵を描き、「ソンバトヘイ」と聞いて回れ ばよかった。本当に認識不足でした。 そーいえば、去年のオウムからみの事件でBBCのアナウンサーが麻原がのっ ていると思われるベンツの前で、教団のメンバーに英語で「この車に誰が乗っ ているのですか」とか聞いていました。それをみて正直「あーあ」と思いまし た。「コメントとりたかったら、日本語話せよ。しゃべりたくないことをわざ わざ英語で話すやつがいるかよ」と思ったのです。あのときのおいらの気持ち と、(へたくそな)英語で話し回るおいらに応対したハンガリーの人は同じ気持 ちだったかもしれません。「この国で親切にしてもらいたかったらこの国のこ とばを話せよ」というわけです。 今回の会議の中で「ヨーロッパの未来は多言語文化にあり」(Europe's Future must be Multiligual)という後援がありました。WindowsにしろMacにしろ、 コンピュータがヨーロッパの国々で普及の速度が加速したのは、ソフトウェア がその国のことばに対応しはじめてからだ、というわけです。一部の表示フォ ントを変更するだけで、かなりの英語ソフトがヨーロッパで使えるようになる。 しかし、それでもメニューの項目やヘルプが英語で表示されたままでは、なか なかセールスが向上しない。こういった項目も、その国のことばに対応させる ことで2〜3倍にまでセールスが向上する。多く売れれば、安くなる。安くな れば使う人が増え、コンピュータを使った文化が浸透する。 その国々の個々のことばは、文化や民族の基幹として大切にする。反面、すべ てのヨーロッパの国々で、外国語の学習を盛んにして、互いの交流を深める。 母国語のほかに、2ないし3の言語が理解できれば、ヨーロッパのさまざまな 国で、なんとかやっていけないことはない。 この話しを聞いて思い出したことがありました。アメリカの社会についてよく 「人種のるつぼ」のような表現をしてきました。最近はそうでなく「人種のモ ザイク」のような言い方をするそうです。つまり、個々のものが解け合って一 つのものを作るのではなく、個々のものが個々の良さを維持しつつ全体として すばらしいものを作り上げている、というわけです。 韓国、中国、台湾、フィリピンといったアジアの国々はもちろんのこと、オー ストラリア、ニュージーランド、ノルウェー、フィンランド、オランダ、とい った国でも、日本語を学んでいる、学びたいと考えている人の数は増えてきて います。そうした時に、「英語は国際語」みたいな言い方をして「英語だけ知 っていればよい」なんて時代はもうすぐおわるのではないかな。とりわけ、ア ジアの国のひとびとに対して、知らないことが多すぎます。朝鮮語や中国語を 話せたら、自分に近い国だけに、もっといろんなことがわかるような気がしま す。
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