written by カメ山カメ吉
前に書いた「回想・女体の神秘」が一部で結構ウケたようなので、調子に乗って その続編というか、完結編を書いてみることにしました。 小学校のとき2回転校した私ですが、その最後の担任になった先生がとても印象 的な先生でして、その昔に竜雷太がテレビで演じていた熱血教師みたいな方だっ たんですね。 毎日口癖のように「やろうと思えば何でも出来るんだ、努力すれば何にだってな れるんだ。カメ吉、お前は度胸があるから総理大臣にでもなってみたらどうだ」 なんて言ってたんですよ。 私は、自分で言うのもなんですが、どうしようもないほどのクソガキでしたから、 頭がいいとか利発だとかいう誉められ方はされた事が有りませんでした。 どうしようもないクソギカを誉めるには、こんな誉め方しかなかったんだろうと 思います。 子供を励ますのはいいことなのでしょうが、妙な誉め方というのも考えものみた いな部分が有るかも知れません。 その頃の私ときたら、その言葉通りに、「職業というのは自分で選ぶもの」なの だと信じておりました。 自分がなろうと思う職業を選べばその職業になれるのだ、と思っていたんですね。 当時なりたかった職業は、夢多き小学生のご多分に漏れず、プロ野球の選手とか、 漫画家とか、ゼロ戦のパイロットとかで、やがて学校を卒業して大人になれば、 その辺のどれかから好きな職業を選べばいいものなのだ、と、そう信じて疑わな かったものです。 この中で一番最初にリストから消えたのは、ゼロ戦のパイロットでした。 戦争はとっくに終わっていて、ゼロ戦などはもうないのだと知ったからです。 あの頃流行っていた漫画にいくつかのゼロ戦モノがありました。 「ゼロ戦はやと」とか「ゼロ戦レッド」とか、「暁戦闘隊」(だっけ?)、それ から「紫電改のタカ」もよかったな〜。 あれらには限りなく憧れましたね〜。大きくなったら絶対にゼロ戦のパイロット になって、敵の飛行機をバンバン落としてやろうと思ってました。 ところが、日本は戦争に敗けてしまっていて、その当時おなじく大好きだったテ レビドラマの「コンバット」に出てくる敵国のドイツと友好国だったと知ったと きは、ショックでしたね〜。 憧れのサンダース軍曹が、実は日本とは敵国で、ガンガン皆殺しにしているドイ ツが味方だったなんて、ウッそ〜〜〜! てなもんでした。 そんな事も知らずに、ゼロ戦に乗って腕を研き、ドイツの奴らを皆殺しにしてや るなんて、真剣に考えていたのですから笑ってしまいます。 同じ頃流行っていた「伊賀の影丸」にも憧れましたが、さすがに大きくなったら 忍者になろうとは思いませんでした。時代劇までいけば時代が違うのだ、という のには気付いていたんですね。 小学2〜3年くらいですけど、無知と言えるのかどうか、どうなんでしょう? その次に、漫画家もやがて消えました。 とにかく漫画好きだった私は、兄貴と一緒によく漫画のコピーなどをしていまし た。画用紙に好きな漫画を描き写して、アニキより似ていたら大喜びだったもの です。こんなに上手に写せるのだから、将来は漫画家になってもいいかな、なん てバカな事を夢見ていました。 そんなある日、近所にMというヤツが引っ越してきました。クラスは違ったので すが、こいつがまた私に輪を掛けたような漫画好きでして、毎日のように遊びに 行ったものです。 こいつを見て、才能の違いというのを思い知らされたんですね。 私が30分も掛かって散々消しゴムで消しては描き直した「アニマル1」を、そ のMは私の目の前でサラサラと模写してみせてくれました。これが巧い。描き直 しなどせずサラサラと描いたくせに、そっくりなんですよ。 絵心というのは持って生まれた才能なのでしょうか? Mは、将来漫画家になりたいと言ってました。 「お前もなればいいじゃないか」などと言ってくれましたが、それ以来私は自分 の出る幕はないな、ときっぱり諦めました。 藤子不二雄の「まんが道」みたいにはいかないものですよ。 あの頃、私を悩ませていた妄想が有りました。 「ひょっとしたら自分は他の人たちとは違う存在なのではないか」という妄想で す。 実は私は、飼育されているただ一人の人間で、この箱庭の中で観察用に飼われて いるのかもしれない。どこかにカメラがあって、私を主役にしたドラマをみんな で作っているのではないか……。この町もみんなドラマのセットで、あの山を越 えたら実は隣の町など存在せず、何もない楽屋裏なのではないか……。 また、実は私は他の星から送り込まれた生物で、脳の中にカメラとかが仕込んで あり、私の目を通して送られる映像をどこかの星でヤツらが見ているのではない か……とか。 よく言うような、天で神様が見守っている……みたいなのとはちょっと違う。そ んな大したもんじゃなく、もっと見下されている立場なんですよ。 純真さから生まれる妄想なのでしょうが、自分の人生が作られたドラマではない か、という妄想を持っている人は結構いるのではないでしょうか? 後に、よく似たストーリーの漫画とか小説とかも読んだ覚えがあるので、この手 の想像は誰でもがするのかもしれません。 問題は、その思い込みの強さでしょうか。 何も努力などしないくせに、これは自分が主役のドラマなのだからいつか何かが 起こって盛り上がってくれるはずだ、などという思い込みがあまりにも強いと不 幸の元になります。 そんな馬鹿げた事を考えながらも、時がくれば中学に進むことになりました。 この頃はまだ余裕がありました。まだ「その時」にはなっていないという思いが 有ったからです。 ガキの頃はそれなりに少年のドラマがあり、やがて成長していくにつれていやで もシナリオはどんどん盛り上がっていくのだからまだ慌てる必要はない、と、そ んな余裕です。 中学に進むときの一番の心配事はといえば、小学5年生の時に公園の隅っこでオ シッコをするその白い尻を見て惚れてしまったJ子と、同じクラスになれるかど うかというただ一点でした。 J子と一緒のクラスになれるかどうかで、中学生活が楽しいかどうか決まるよう な気がしていたんですね。 その中学は、私の小学校全部ともう一つの小学校から半分入学するくらいの通学 区です。クラスは4つだからJ子と同じクラスになれる確立は四分の一ですか。 結果は、残念ながら外れ。隣のクラスだったのでがっかりしました。 「おかしいな〜、これじゃドラマが盛り上がらないじゃないかー」なんて頭にき たものです。 しかしまあ、私のクラスにも女の子が半分はいるわけで、隣のクラスのJ子を横 目で見ながらも気になる女の子が出きたりするものです。 一人、飛び切り可愛い子がおりました。小学校まで余所にいて、父親の仕事の関 係でこちらにやってきたj子という子でした。 なんというか、余所から来た子というのは男でも女でもちょっと雰囲気が違うじゃ ないですか。しゃべり方はもちろんのこと、何をするときにも我々とは何だか間 の取り方が違うというか、立ち居振る舞いが違う。 独特の雰囲気と可愛らしい容姿を持ったj子は、文句なく一番人気でした。目を 付けていたヤツは結構多いと思います。 私も、最初はかなり好印象を持ちました。 ところが、あるつまらない出来事からあまり好きでなくなったんです。 給食の牛乳がありまして、その蓋を取ろうとしたj子が取り損ね、蓋を中に押し 込んでしまったんですね。よくある事なんだ、これって。 で、彼女はもうその牛乳を飲まないと言うのです。 なぜかというと、「中に蓋が入ったから汚くて飲めない」というのですね。 よほどいい家で育ってきたのか、潔癖症なのかどうか知らんけど、私が「そんな の蓋を取って飲めばどうってことないじゃないか」と言っても飲まない。 給食命だった私には、そんな事で牛乳を残すなんて信じられない。 「勿体ないから飲みなよ」と言うと、j子の取り巻きの男子連中が「嫌なものを 無理に飲むことないさ」とか、「だったらお前が飲めばいいだろう」とか言うわ けです。 「じゃあオレが貰うわ」という事にして、私がその牛乳ビンにハマった蓋を指を 突っ込んで取って飲んじゃったのですが、j子がまるで汚いモノでも見るような 目で見ているのです。「よくそんなモノ飲めるわね」と。 その一件以来、あんなに可愛いと思っていたj子があまり可愛く思えなくなった のでした。好きとか好きでないとかって、こんなちょっとした事で変わるのだな、 と実感し、同時に、実にもったいない気もしました。 もう25年も前の事ですから、きっとj子も今では結婚してお母さんになってる んだろうけど、今でもあんな調子じゃないだろうな〜? 旦那に「しゃぶってくれ」なんて言われて、「そんな汚いもの……」なんて言っ てたら悲劇かもしれない。いや、嫌がるのを無理矢理しゃぶらせるのがいいとい う事もあるか……? 意外とj子みたいなのが一旦タガが外れたら凄いのかもし れませんが、ともあれ、やはり人間、ほどほどを生きないといけませんね。 で、相変わらず隣のクラスのJ子を横目で見ながら、j子にちょっと幻滅した私 が次に好きになったのはK子という女の子でした。 このK子はJ子やj子とはまったく雰囲気の違う、歳の割りには落ち着いた(?) 子で、クラスの連中に「オバさん」などと呼ばれていました。 身体の発達もよく、背は私より10センチも高かったし、乳もケツも立派に発育 していました。 時期的に言うと、ちょうど私が同級生Aなどのおかげで生殖なる行為の概略を知っ た頃という事もあり、好奇心半分ですが発育のいい彼女をもっぱらえっちの対象 として見始めていました。 体育の時間に100メートルを走っているK子の胸が、ユサユサ揺れているのを 見ていた記憶があります。 こう、一歩ごとに少し遅れて胸が縦横斜めに揺れるんですよ。まるでそれだけが 別の生きものみたいなその動きを見ながら、目が眩みそうでした。 「M子が一番揺れてる」とか、「K子もかなり揺れてるぞ」とか、他の男子達と 一緒に評価したりするんですが、もう、たまりませんでしたね、あれは。 発育のよい女の子はすでにブラジャーなる代物を付けていたりして、「K子はも う付けてるぞっ」、「I子も付けてるんじゃないか?!」なんて興奮しながら、 服の背中に浮き出るホックを確認したりしたものでした。 K子のあの体操着の下に生身の乳が有ると思うと、感動すら覚えたものです。彼 女と生殖行為をする事が出来たら死んでもいい、などと本気で思った私でした。 女体というものを生々しく、身近に感じた最初の相手がK子だった、という事で しょう。 今にして思えば、服の上から女体を舐めるように見る私の嫌らしい視線は、あの 頃生まれたといえるでしょうね。それ以前は、ただ見てるだけで、そんなに嫌ら しい視線ではなかったと思います。 それからもう一人、F子の事も忘れてはいけない。 人の好みというのが実に様々なんだなと、初めて感じさせてくれたのがF子です。 F子は私と同じ小学校の隣のクラスから行った子です。ボーイッシュというので しょうか、スポーツ万能で脚が速かったのですが、私はまったく異性を感じませ んでした。 ボーイッシュなのがダメという訳ではないと思います。 宝塚の女の子達を見ると同じような印象を受けるのですが、何となく透明感のあ る女性は私にはダメなのかもしれない。女をまったく感じないんですね。 しかし、彼女は結構男子に人気が有ったようで、Aも「F子は可愛いよ。お前そ う思わないのか?」と言ってました。逆にK子のことは、「悪くはないけどちょっ と落ち着きすぎてるんじゃないかな」と言ってました。 AとK子は同じ小学校から来たので、見慣れているということも有ったかも知れ ません。 クラスの中での人気は、ダントツがj子でその後をK子とF子が並んで追い掛け る形になっていたのですが、私は、皆がK子を好きなのではないかと思っていた ので、ちょっと意外でした。 やがて2年になり、夏頃だったか、j子が転校する事になりました。 父親の仕事の関係だそうですが、転勤の多い仕事だったのでしょう。 牛乳の一件以来あまり好きでもなくなったとはいえ、目の保養にはもってこいの j子がいなくなるのは淋しい気がしました。しかしまあ、K子がいるのでいいか、 と思っていたら、入違いに一人の子が転校してきました。大町からやってきた彼 女、Y子が今回の「女体の神秘」のヒロインであります。 j子の代わりに一人転校してくるという話は聞いていたので、あの可愛いj子の 代わりというからにはさぞかし可愛らしい子が来るに違いないと、勝手に決め付 けていた我々男子はなんと勝手なんだろう。 さて、問題の転校生がやってきました。 その彼女を最初に見たときの印象を一言で言うと、「なんだあのブスは〜……」 ってえとこでしょうか。 色こそやけに白いものの、鼻は低いし目は細いし、とてもじゃないけどj子の代 わりに転校してきた(これがそもそも失礼といえば失礼ですよね)とは思えませ んでした。 ただ、プロポーションは中学生離れしてましたね〜。乳はでかいしケツもでかい。 ウェストも程よく括れていて、ゴム鞠みたいな女の子でした。でもそれだけで、 私はY子にはまったく魅力を感じませんでした。 あまりにも自分の好みとかけ離れていて、異性をまったく感じないんですよ。い くら乳がでかくてケツもでかくても、好みのタイプでないと中学生の男子は受け 付けない、ということでしょう。 しばらくみていると性格なども分かってきました。Y子の性格はカラっとしてい て、私が理想としていた優しくて女らしい(これもまた曖昧なんだけど)女性と はかけ離れていて、K子とは正反対の子でした。 やはりボーイッシュっていうのか? その独特の雰囲気……なんといえばいいん だろう、異性というよりも同性の男の子、といった印象しかなくて、兄弟みたい な気安さを感じたんですね。 本当に気楽に話したりしていたのですが、しばらくするうちにクラスの男子連中 の中にY子のファンが増え始めました。 これが実に不思議でした。どこがいいんだ? ってとこでしたね〜。あんな男の 子みたいなののどこがいいんだ? と信じられなかったものです。 私はやっぱりおしとやかなK子のほうがいいよな〜と。 その頃のK子とY子の事で印象深い出来事があります。 ある日のこと、自習時間に庭のコートが一つ開いていて、そこで男子がバレーボー ルをやることになったんですね。 で、それとなく女子の様子を見ていたら、K子とその取り巻きがコートの横の土 手の上に並んで座って、男子がやってるのを応援し始めたんですよ。 もう半分くらいの女子連中が、こっちはY子を中心にして輪になってバレーボー ルを始めました。 この鮮やかな静と動の対極の中心にK子とY子がいるのが、印象的でした。 特に女子連中の仲が悪いわけではなく、Y子達はK子達も誘ったのですが、K子 達は「見てる方がいい」と言い、Y子達は「じっとしててもつまらないじゃない」 と言ってました。 そう思って見てみると、私のクラスの女の子達は三つくらいの勢力に別れていま した。 一つはK子を筆頭に静の連中、もう一つはY子を中心にした活発な連中、そして もう一つは一番勉強の出来るW子の連中。 申し訳ないけどW子の連中は眼中になく、私はひたすら活発な女の子とおしとや かな女の子とどっちがいいのだろうかと、真剣に悩んだものでした。 それを見守る男子連中の支持率は、徐々にY子のほうに流れていった気がします。 私はどうだったかというと、やはりY子の方に流れていったのかもしれない。 K子を嫌いになるというほどではないのですが、ちょっと嫌なこともありました。 登山で八ケ岳に登ったときのことなのですが、旅館の部屋で、夕食後男子と女子 が入り乱れてワイワイ騒いでいました。 お約束の枕投げから始まって、布団を引っ張り出しての投げ付け合いからプロレ スごっこ、終いには誰かがふざけて電気を消したりもしました。 そのどさくさに揉まれながら、私は、K子のケツに触ってやろうかな……などと いう不謹慎な事を考えたのです。 ケツは目の前に有るのだし、この状況なら誰が触ったかなんて分からないかもし れない。ちょっとだけ触ってやろうか……と。 するとその気持ちを察したのか、Aが私の耳に口を寄せ、「触っちゃえ触っちゃ え」とそそのかしました。 「よし、触ってやるぞ」乗せられやすいところは今も昔も変わってないですね。 「次に電気が消えたらK子のケツに触るぞ」 Aに囁き返しながら、ドキドキしていました。 消えた! 今だ! しかし、手は出ませんでした。 女の子のケツに触るというのは、大変なことですね。なかなか出来る事じゃない。 電気が付いたときAがニヤニヤしながら「どうだ、触ったか?」と囁きました。 「いや、こ、今度……」と私。 そしたら誰かが、K子とその取り巻き数人にバサっと布団を掛けたんですよ。 女の子達がキャーっと大騒ぎして、そこでまた電気が消えました。私はもう、な りふり構わずその布団に足を突っ込んでいました。 右足でK子のケツの辺りをまさぐると、土踏まずにソレが当たりました。思った より固い肉の感触が、今でもこの、私の右足の土踏まずに残っています。 感動しながらも、もし電気を付けられたら大変なのでさっと足を引いて、知らん ぷりをして電気が付くのに備えました。 電気が付いたときK子が「誰かがお尻を蹴ったっ」とプンプンしてたのですが、 私が右足の土踏まずでまさぐったとは思わなかったようでした。 アレはやはり、痴漢と言えるのでしょうね〜。その後一度もそういった暴挙に出 た事はないので、私のたった一度の痴漢行為です。 K子さん御免なさい。あの時あなたの左のおケツに当たったのは私の右足の土踏 まずです。 騒ぎも一段落したとき、M山というヤツがこんな事を言い出しました。 「実はオレさー、M子に付きまとわれて困ってるんだよ」 M山はスポーツ万能で、野球部だったのですが、いいヤツなんだ。でも、ちょっ と優柔不断なところが有るかもしれない。 背が高く、マジメでいい男だから、女の子に持てても当然といえば当然ですよね。 M子はといえば、はっきり言えばブス。当時クラスでブスの御三家と男子が勝手 に決めていたくらいの、トップクラスのブスでした。 乳はでかいしケツもでかいのですが、腰のくびれがないのでドラム缶みたいに見 えるんですね。その上顔はアンパンマンにも似た、女子としてはいかんともしが たい作り……といったタイプでした。 でも、気立てはとてもよくて、女としてではなく、友達として見れば好きなタイ プでした。 で、一緒に話していたM山と仲の良いI藤というヤツが「嫌いなら嫌いだってはっ きり言ってやれよ」と言い出しました。 中学生くらいのガキってのは、分別がないというか、勢いに流されちゃうような ところがありますから、M山も「そうだな、そうしようか」なんて言い出す。 このI藤というヤツは、私は嫌いでした。キザで調子が良くて何だか偉そうで、 虫が好かなかったんです。 今思い出しても腹が立つ事があります。 体育の時間に校庭の脇の花壇でI藤がバットを振り回していたんですよ。 何をやっているのかと見てみたら、花にやってくる蝶々を狙ってバットで叩き落 としていたんですね。 「やめろよ、可哀相じゃないか」と私が言うと、I藤は「チェ、偉そうによ〜」 と言いました。「たかが蝶々くらいどうってことねえじゃねえか」と。 私にしても、生きものは大切にとかそういう事を言うつもりはさらさらなかった のですが、意味もなく遊びで蝶々を叩き落としているI藤に嫌悪感を覚えたもの です。なぜそんな事をするのか、何が楽しいのか分からなかったんですね。 で、「何でそんな事をするんだ?」と聞くと「うるさいな〜、面白いからに決まっ てるじゃねえか」と言い、私の目の前で、叩き落とした蝶々を踏み付けて、「見 てろよ」と言うとバレリーナみたいに両手を広げ、踏ん付けた足を軸にしてクル クルっと回りました。そして「ほら、蝶々なんてこんなもんよ」と言い、行って しまったのです。 ヤツが軸足で踏ん付けていた場所は土が抉れていて、蝶々の羽一枚すら残ってい ませんでした。 私はそこにしゃがみ込み、痕跡を探しました。するとわずかに燐粉が確認できま した。 吐き気がしてたまりませんでした。嫌なヤツ。 さて、話を戻しましょう。 その部屋には、私やA、K子と取り巻きの女子数人、漫画家志望のM(Mは、小 学校では隣のクラスでしたが、中学は同じクラスでした。しかし、彼はI藤と仲 良くなったので私とはあまり付き合いがなくなってましたね)などがおりました。 なんか険悪な雰囲気になってきて、やだな〜と思っていたらI藤がとんでもない 事を言い出したんですよ。 「よし、オレがM子を連れてきてやるから、きっぱり嫌いだと言ってやれよっ」 そんな事をしたらいくらなんでもM子が可哀相なので、私が「そんな事したら可 哀相じゃないか」と言うと、I藤は「こういう事はきっぱり言ってやったほうが いいんだ」と言うのですね。 私は、K子が反対してくれるものだとばかり思って様子をうかがっていたら、驚 いた事にK子は、「そうよね、嫌いならはっきり言ったほうがいいよね」と言う のです。 これは、信じられなかったです。 なぜ? K子がどうしてそんなこと言うの? ひょっとしたらK子もM山の事が好きなのかな? とも思ったりしました。 調子に乗ったI藤は「おーし、待ってろよ、M子を連れてきてやるから」と立ち 上がりました。 Aが「やめろよそんなこと」と言ったけど聞かずに出ていくI藤。 むっとしたAは「いやだな、こういうの」と言ってどっかに行ってしまいました。 私は、何だかとてもがっかりしてK子を見ていました。 しばらくしてI藤がM子を連れてきました。 M子はちょっとおどおどして、I藤の肩越しに部屋の中を覗き込みます。 流石に私もそれ以上その場に居たくなかったので、部屋を出ました。 入り口でボケっと立っているM子に小声で「入らないほうがいいよ」と言ったの ですが、M子はI藤に急き立てられ、怪訝そうな顔をして入って行きました。 私はAを探して部屋を離れたのですが、「M山がさ〜、お前のこと迷惑だって言っ てるんだよ」と言うI藤の声が聞こえました。 つくづく嫌なヤツだと思いましたね。I藤のヤツ……。もともと虫が好かないヤ ツでしたけど、なおさら嫌いになりまた。 旅館のロビーみたいなところでAを見付け、「嫌だな〜、ああいうのって」と話 していると、少ししてM子が出てきました。 泣きそうな顔をしていました。 悔しそうな顔で「いいよ、それでも私はM山君が好きなんだから」と言うのです。 そんなM子の姿は、感動的では有るけれども、やはり滑稽でした。 ひた向きなのも可愛い子なら絵になるところですが、ひた向きなブスってのは何 だか哀れで見てられなかったですね。 この出来事には後日談があります。 登山が終わって数日過ぎたある日、M子がいきなり私に「同情なんかしないでよ ね」といいました。 本当にいきなりだったのでちょっとビビったんですけど、私は、自分でも気付か ないうちに彼女を哀れむような目で見ていたのでしょう。 休み時間の教室での出来事で、周りには何人かいました。 ひぇ〜、とうろたえているとM子は「私カメ吉君の好きな人知ってるよ」ととん でもない事を言い出したのです。 周りの連中が見ていたので、私としても引っ込みが付かなくなり、 「好きな人なんていねえよ」と虚勢を張ると、「うそ、カメ吉君K子さんが好き なんでしょう」とズバりと言いあてられました。 いきなりこっちに火の粉が飛んできて、ちょっとパニックに陥っているとM子は さらに言いました。「でもダメだよ。K子さんはI藤君の事が好きなんだから」 絶句……。 K子がI藤の事を好き……なの? 嘘……本当? 冗談……でしょ? M子は嘘を付くことはないので、それはきっと本当のことなのでしょう。 凄いショックでした。足元の地面がガラガラと崩れていくような気分というのを 初めて体験しました。 何だか知らないけど、M子の精一杯の抵抗だったのでしょうね。 辺りは、水を打ったようにシ〜ンと静まり返っていました。うろたえていた私は、 周りにどんなメンバーが居たのか確かめる余裕も有りませんでしたけど、たぶん、 I藤もK子も居なかったと思います。 M子はさらに言いました。「I藤君もK子さんの事を好きなんだよ」と。 さらに追い打ちは続きました。 「ねえ、もし私がカメ吉君のことを好きだっていったら迷惑?」 これは〜、強烈なカウンターでしたね〜。 ちょっと真剣に考えてみたのですが、M子に好きになられても正直言ったら迷惑 かもしれない。ドラム缶ボディにアンパンマンの顔が乗ってるのですから、いく ら私でも遠慮したいです。 相手に恋愛感情を持てないのは、これはもう、仕方ないじゃないですか。 私が言葉に詰まっていると、M子は「ねえカメ吉君、あなたZ子の事どう思う?」 訳の分からない事を言い始めました。 Z子の事? Z子は私のクラスのブスの御三家の一人でして(またこういう事を 書くとセクハラだと言われるでしょうが……)、M子とZ子、それにガリ勉のW 子がクラスの男子が認めるブスの御三家だったのです。 アンパンマンみたいなM子、そして砂かけババアによく似たZ子、牛乳ビンの底 みたいなメガネを掛けたW子。 M子とZ子はとても気立てがよくていい子だとは思うのですが、どうしても恋愛 とかの対象としては見られないタイプなんですね。W子はいい学校に進むのが目 標で、昼休みはもちろん休み時間までひたすら勉強していました。今思えばそれ はそれでとても立派な事ですが、当時の私にはイヤな女にしか見えなかった。 で、急に「Z子の事をどう思う?」と聞かれ、何と答えたらいいのか分からない でいると、M子が言いました、「Z子、カメ吉君のことが好きなんだよ」と。 これには思い当る事は何もなかったので、まったくの寝耳に水。 中学に進んだとき席が隣で、とにかく勉強はしないと決めていた私はまったく勉 強をせず、毎日を遊んで暮らしてましたから、よくZ子に教えてもらってたりし てたわけで、かなりいい加減なヤツだと思われているだろうなと思っていたから 意外というよりアホらしさすら感じました。 するとM子は、「鈍感。男子ってどうしてみんなそんなに鈍感なの?!」となじ るように言ったのです。 でも、Z子? そんな事言われたって答えようもないじゃないですか。 正直な気持ちをそのまま口にすると言うまでもなく「迷惑」ですが、とてもじゃ ないけど口には出せませんでした。 これはM山のM子に対する反応と一緒ですね。 私もきっと嫌なヤツなんだろうな〜と、ぼんやりと考えていたものです。 つくづく思ったのですが、こういう事って、うまく行かないものですね〜。 女心ってのも本当に分からない。こんなわけの分からない事にどう対応すればい いのでしょうか? その後K子に関しては、もう一つだけエピソードが有ります。 M子のせいなのかどうかは分かりませんが、K子とI藤が痴話喧嘩みたいなのを しているのを見たのです。 I藤が「お前なんか好きじゃねえよ」と例の口調で言っていて、K子は「私もあ なたなんか好きじゃないもの」と言い返していました。 本当にあの二人が好き合っていたのか、今となっては知る由もないしどうでもい い事なんだけど、とても嫌なものを見たという記憶だけが残っています。 そして、あれほど好きだったK子に関しての記憶はその日から以後まったくあり ません。 卒業まで一緒だったのに記憶にないというのは、なぜなのか……。 私の心の中の安全装置が働いて、彼女に対するシャッターを降ろしてしまったの かも知れませんね。 しばらくボーっとした日々がすぎ、次に出てくるのがY子でした。 きっかけは実に単純な事でした。クラスの女子の活発な連中の間で男装ごっこが 流行り始めたんですよ。 皆でガクランを着て、誰が似合うかワイワイ騒ぐという埒もない遊びだったので すが、Y子はなぜかいつも私の学生服を借りにきました。 彼女を意識している他の男子だと、変に構えてしまうので借りにくかったのかも しれませんが、ほとんど兄弟感覚でいた私あたりだとどちらも気軽に話せたのだ と思います。 その、初めて彼女の学生服姿を見たときの事は、いまでも忘れられません。たぶ ん一生忘れられないでしょうね。 詰め襟がビシっと決まり、白い肌に黒いガクランが似合っていて、それはもう凛々 しかったものです。ブルルっときました。 あのとき初めて、「あれ?! こいつ可愛いや〜」と認識したのです。 宝塚みたいなのとは違います。当時はこんな言葉はなかったけど、コケティッシュ とでもいうのか、ちょっと違うかな〜。ボーイッシュをもう少し可愛くしたよう な何ともいえない魅力を感じて、私は一発でマイってしまったものです。 いったん意識し始めると、それまでのように気軽に話も出来なくなりますね。 私の悪ガキ仲間にも何人かY子を好きだったヤツがいて、競争率は高かったので すが、ここで再び脚光を浴びるのが悪友のAでありました。例の、小学生の時に 京都から転校してきたちょっと御公家ふうのあいつ。彼が私の中学時代では一番 仲の良かった友達です。ほとんどあいつと一緒にいた気がします。 彼は実は、Y子の妹のR子が好きでした。R子はY子より一つ下で、姉のY子と はまったく違ったタイプでした。おしとやかなK子とかとも違う、活発だけれど も可愛いというよりは美人タイプですね。顔立ちは確かにY子より整っていまし たが、どことなく冷たい感じがして私の好みでは有りませんでした。 私がY子で、Aが妹のR子。さてどうしたものかと二人で毎日のように作戦を練っ たものです。 その頃すでに私は、意識過剰でY子とうまく話せないようになっていました。 意識するとどもりと赤面症が出るというのは、あの頃からのような気がします。 私はR子と話したことはないから、Aと二人で共同戦線をはり、Y子を意識して いないAがY子に話し、ついでにR子に繋ぎを付けてもらえばいいという結論に なり、ある日Y子を川原の土手に呼び出しました。 忘れもしません、あ〜、青春の一コマ……って、こうしてみると、忘れられない 日ってのが一杯あるもんですね。 Aに連れられてやってきたY子は私を見て、屈託ない笑顔で「カメ吉君、話しっ てなに?」と聞くんですよ。 もう、どうしようもないので死んだ気で「オレお前のことが好きなんだよ」と言っ た直後、Aが「オレ、R子ちゃん好きなんだ。言っといてくれないか」と言って、 二人で「それじゃ」とか言って、もうワーっと土手を掛け降りて逃げてきたもの でした。 青春ドラマみたいに二人で川原の土手に腰掛けて、夕日を見ながら「あ〜あ、言っ ちゃったな〜」「ああ、言ってしまった……」とため息をついたりしました。 私は、自分の事を間違っても女に持てるタイプではないと思っていましたから、 それでふっ切れればいいくらいに思っていたのですが、次の日Y子からお手紙を もらいました。 「ありがとう。うれしかった」と書いてあり、ラッキーっと飛び上がったもので した。 しかし〜、その後どうすればいいのかまったく分からないという……。 Aが「誘え誘え、デートに誘えってば」とやたらと煽り立てるので、急き立てら れるように次の日曜に誘ったぜ、デートに。 まだ中学生で自転車しか持ってなかったので、とにかく誘っても散歩くらいしか 出来ないんですね。 女体の神秘に目覚め始めていた私としては、あれこれと妄想を逞しくするのです が、自転車では……。 仕方ないのでひたすら散歩しました。 一緒に歩いているだけで楽しかったというのは、中学生としてはあんなもんでしょ う。もし今の私だったらそりゃもう大変です。 ファーストキスは確か、二度目のデートでしたっけ。 薄暗やみの公園の、四人乗りのカゴみたいなブランコに並んで腰掛けてて、「帰 りたくないね」「うん」なんてえ話をしてたんだけど、「キスしてもいい?」と 聞いたら「いいよ」というので、ブチューとやっちゃいました。 彼女の身体から、ミルクみたいな、何ともいえないいい匂いがしました。 唇の感触はミルク味の湯豆腐。 もちろん、舌を入れるとか歯茎を舐めるとかの技は習得してなかったので、本当 にブチューっと唇をくっ付けるだけのものでした。でも良かったぞよな〜……。 ちなみに、Y子の妹とAですが、残念ながら「ゴメンなさい」という返事でして、 Y子から私、私からAへと切ない伝言のたらい回し、という一幕も有ったりした のです。 Aは顔を引きつらせながら「いいよ、気にしてない」と言ってました。私は胸が 痛みました。自分だけいい思いをして申し訳ない気がしました。でもどうにもな らない。二人ともうまく行ったら4人でデート、などと目論んでいたのでとても 残念でした。 そんなこんなで結構楽しい日々が続いていたのですが、ここで壁が待ち受けてい ました。高校入試です。 ちょっと変なガキだった私は、その頃でもまだ、このドラマはいつか盛り上がっ てくるものなんだと思ってましたから、とくに私が何もしなくてもシナリオが進 み、「その時」が来ればイベントが起こり、やがて壮大なドラマになるものなの だと勝手に決めてましたから、成り行きに任せていたんですね。 ところが、現実には中学を卒業した後の進路を決めないといけません。 このドラマの監督は、さて、どう進めてくれる気なんだ? なんてアホな事を考 えていたら、何だか知らんけど進む高校をどうやら私が自分で決めなくてはなら ないという事を知り、焦りました。 話が違うじゃないか! てなもんです。 そして、やっとというか、ボチボチというか、どうやら自分はとんでもない思い 違いをしているのかも知れないぞ……と気付き始めたんですね。 このドラマは実は監督など居なくて、もちろんギャラリーなどいなくて、私は特 別な人間などではなくて、ただの一人の人なのではなかろうか? と。 となると、この役に用意された物凄い職業なんてないのか? だったら私は将来 何になればいいんだ? あの頃のことを思い出すと、いまでも冷汗が出ます。 人生最大のショックと言っても過言ではないかも知れません。 私がその時の学力で進める高校と言ったら、地元の工業高校くらいしか有りませ んでした。 このオレが工業高校に進のか? なぜ? ひょっとしたら私は、ドラマの主役な んかじゃなくて、ただの町工場の工員の倅で、あの親父と同じようにただの工員 の人生を送ることになるのか? 思えば、それまでの私は夢の中に暮らしていたようなものかもしれません。 天地が引っ繰り返った時期でした。まさに。 しばらく荒れました。 そうか、私はただの人として、親父みたいに一生を送るのか……。その事を自分 に納得させるのには結構時間が掛かりましたね。 勉強は嫌いだから、いっそ高校なんかに行かずにこのまま就職してしまいたい、 などとも思いました。 親はやはり、「大学まで行けとは言わないけど、高校くらい行っておいた方がい い」と言いました。 これはまあ、当然の反応でしょう。 結局は親の言いなりに、私の成績で進める工業高校に進むことにしました。 荒れていた私は、この時期よく親と衝突を繰り返しました。 喧嘩の原因は実に些細なことで、私が髪の毛を伸ばしているとか、ジーンズの裾 をわざわざ解いてボロボロにしてはいているとか、そんな事です。 イライラしている私とクソ親父は毎日のように小競り合いを繰り返し、さらに進 学の事でも小競り合いを繰り返し、家の中はかなり険悪な雰囲気だったかもしれ ません。 そして、ついに爆発したのですね。 その日もいつものようにクソ親父が私の髪のことを言い、ジーンズのつぎはぎの 事をけなしました。もちろん私は聞く耳なんぞもたない。 で、ちょっと飲みすぎていた親父が切れたんですね。 「そんなに親の言うことが聞けないなら出ていけ!」 「ああ、出てってやるよ!」 「もう帰ってこなくていいぞ!」 よくある、売り言葉に買い言葉です。 「二度と帰って来ねえからな!」 有金を持って自転車で家を出ました。有金といっても5000円くらいでしたけ ど、自転車さえ有れば何とかなるだろう、てなもんです。 母親が懸命に止めたのですが、聞こえませんね。一方的に「お父さんに謝りなさ い」では。 親父が出て行けと言い、私が出て行こうと思ったのですから、何も問題はない。 実にシンプルなやりとりじゃないですか。 夕飯の途中だったから腹が減ってたけど、そのくらいは仕方ない。 夜の8時近かったけど、夜景を見ながら坂道を下って行くときのとても開放的な 快感を覚えています。 これで高校に行かなくても済むな、とか、さて、どこに行こう、東京か、どうせ ならもっと遠くの大阪まで行ってみるのも悪くないとか、あれこれ考えました。 自転車で行けるものなのか、無理なら電車だけど、電車は一人で乗ったことない し、さてどうしよう……。 今にして思えば、5000円でどうする積もりだったのか、信じられない気がし ます。ただ、しがらみから開放され、今日から好きなようにしていいのだとそれ ばかりが嬉しかったものです。 のんびりと駅の方に向かいながら、ふっと思い出したのはY子の事でした。 もう会えないかもしれないと思うと、サヨナラだけでも言いたくなり、電話して みることにしたんですね。 もう9時近かったのですが、こっちは急を要するんだから時間なんて考えもしな かったものです。 電話にはお父さんが出て、Y子に代わってもらいました。 「ちょっと出られないか?」と私が言うと、 「いいよ、でもどうしたの?」と言いました。 彼女の家は親父さんの会社の社宅みたいな建物でして、私はそこからすぐの所に 自転車を置き、待つことしばし、彼女が出てきました。 「どうしたの?」 「ちょっと親父と揉めてね」 「ケンカしたの?」 「うん、そんなとこだ」 みたいなやりとりをしながら、その辺を散歩しました。 「これからどうするの? 家に帰るんでしょ?」 「いや、どこかへ行こうと思ってるんだ」 「どこに?」 「どこがいいか考えてるところ」 「帰ったほうがいいよ」 「いやだ」 「ふ〜ん、カメ吉君て……度胸有るね」 寒さに震え、すきっ腹を抱えながら、こんな話をしました。 「私もたまにね、家出したいと思うこともあるんだよ」 「へ〜、みんな同じなんだな」 「もう会えなくなるんだね」 「どっかに落ち着いたら連絡するよ」 「ほんと?」 「うん」 世間知らずの中学生の会話でした。 さて、それじゃあいよいよ出発だ〜と、彼女を送って行き、自転車……あれ? 道端に置いておいた私の愛車が見当らないんですよ。これには焦りました。 「どうしたの?」 「自転車がない」 呆然としてたら、社宅の玄関の方からオジさんが現われたのです。 「お父さん……」Y子がバツの悪そうな顔で私を見ました。 「お父さん、同級生のカメ吉君」と私を紹介します。 私は、自己紹介も出来ずにひたすら困っていたのですが、親父さんは怒っていた のですね。 「君はいったいどういう積もりだ、いま何時だと思ってるんだね」と言うのです。 私は時計も持ってなかったので「時計がないから分かりません」と答えました。 「いま、もう……10時にもなる」親父さんは、怒ってはいるけれどちょっと知 的な、物静かな雰囲気の人でした。 「こんな時間によその娘を呼び出すなんて非常識だと思わないか?」 言い方がウチのクソ親父などと違って品が有るんですよ。 私は、言われて初めて自分が非常識だったということに思い当りました。殴られ るかな? と思い、殴られても仕方ないな、とも思いました。 「そうですね……済みません。気が付きませんでした」 頭を下げながら見ると、玄関の脇に私の自転車が有るではないですか。ちゃんと カギを掛けたので、親父さんはきっとズルズルと引きずって来たのだな、と思い ました。 「済みません、それオレの自転車なんですけど、いいですか?」 私が愛車を取り戻そうとしたら、親父さん、 「まあちょっと待ちなさい」自転車の前に立ちふさがりました。 「とにかく事情を説明してくれないかな」静かだけど有無を言わさぬ言い方でし た。 私は何も言いたくなかったのでちょっとムっとしたのですが、Y子が代わりに説 明し始めました。 「カメ吉君、お父さんとケンカして出てきたんだって」 「そうか……それで、家に帰るんだね?」 「いえ」 「どうする気なんだ?」 「分かりません。いま考えています」 「家に帰りなさい。お父さんもきっと心配しているよ」 「いやです」 「……」 お父さんは、こんなクソガキをどう思ったでしょうかね〜。 「家に帰ってお父さんと話し合ってみなさい」 「自転車を返してください」 「家に帰らないのなら返すわけにはいかない」 「……」 そのとき、玄関が開いてオバさんが出てきました。 「お父さん、玄関先で何騒いでいるの」どうやらY子の母親のようでした。 「さあさあみんな、とにかく入りなさいな」 オバさんはY子と親父さんを急き立て、私の腕をつかんで強引に玄関に引っ張り 込んだのでした。 「いえ、いいですオレは……」私はもちろん抵抗しましたけど、反対から親父さ んにも腕を抱えられ、無理矢理連込まれてしまったのです。 居間の卓袱台の前に座らされたのですが、実に居心地が悪かったです。 Y子と、その後に妹のR子がいました。二人はなんか楽しそうに、かしこまって いる私をみてひそひそ話しをしていました。 R子がY子の背中を突いて何か言うと、Y子が何か言い返して、二人でプっと吹 き出す。 親父さんが正面にいるので、私はもう、身動きも出来ませんでした。 親父さんは「事情はわかったが、こんな時間によその娘を連れ歩くなんて非常識 な事をしてはいけないよ」と言いました。 その件に関しては反省していたので、私は謝るしか有りませんでした。 「本当に済みませんでした」と謝ると、 「うん、分かればいい。この件は終わりだ」 親父さんは、ウチのクソ親父とはまったく違ったタイプで、なるほどこんな父親 もいるんだ、と妙に感心した私です。 「それで、やはり家に帰らなくてはいけないよ」お父さんは穏やかな声で言いま した。 「お家の人がどれだけ心配しているかわかるだろう? 一休みしたら帰りなさい」 しかし私としては、それだけはやっぱり聞けませんよ。 「家には帰りません」 「帰りなさい」 「イヤです」 こんなやり取りをしたのですが、後ろで見ていたお母さんが吹き出しました。 「ウチは娘3人だから分からないけど、男の子って大変なんだ〜」 お母さんは、これまたウチの母親とはまったく違うタイプの人で、実にさっぱり した人でした。 こんな家庭でY子が育ったのだなと、またまた感動した私でした。 「カメ吉君、お腹空いてるでしょ?」お母さんが言いました。 「夕飯食べてないんでしょ?」 「いえ」と私が答えると、 「ご飯食べなさい」と食事の支度をしてくれたんですね。 本当は腹ぺこだったので、「いいです」と遠慮はしてみたものの、目の前に並べ られた食い物の誘惑には勝てなかったな〜。 「ほら、おあがりなさい」 もう言われるままに、食った食った。だって私、腹ぺこだったんだも〜ん。 ガツガツ食って、ご飯お代わりして、ふと気が付くとみんながじ〜っと見てるん ですよ。 お母さんが嬉しそうな顔をして「男の子の食べっぷりって豪快よね〜」などと言っ てました。 Y子とR子も、まるで動物園のクマさんでも見るような顔をして見てるわけです。 急に恥ずかしくなった私ですが、もう自棄になって満腹するまで食いました。 「みんなこのくらい食べてくれたら作るほうも張り合いがあるわよね」とお母さ んが言ってました。 お父さんは、私が食ってる間にウチに連絡を取ったようでした。 ハメられた気がしないでもないのですが、親父さんにしてみれば当然の処置だっ たといえるでしょうね。 満腹になった私に、「風呂に入るか?」というのですが、さすがにこれはちょっ と遠慮するしかなかったです。 「お父さんとのケンカの原因は何なんだい?」と聞かれ、飯を食わせてもらった 恩義も出来てしまったので、渋々話したのですが、 「なんだ、そんな事でケンカしたのか」と言われ、満腹なのも手伝って確かにそ んな事でケンカして飛び出してきたのがアホらしいような気がしてきたのでした。 「君は高校はどこに行くんだい?」 「○×工業高校です」 「そうか。頑張って勉強しなくっちゃな」 「……勉強は嫌いです」 「アハハ、カメ吉君は勉強嫌いなの?」とお母さん。 「とにかく一度家に帰ってお父さんやお母さんとよく話し合ってみなさい」これ しか言わないお父さん。 満腹感と家の中の暖かさとで、私はもう眠くなってしまってたりして、これから 自転車で東京なり大阪なりに出発する元気はなくなってしまっていました。 取りあえず一度家に帰ろうかなと、弱気になってしまったのですが、親父さんが 「今夜はもう遅いからウチに泊まっていきなさい」と言い出したのです。 お母さんも「そうね、そうすればいいわ。どうせ明日は休みだから、朝飯を食べ てから帰ればいいじゃない」(次の日が日曜だったのかな) これは、凄い話ではありませんか。 Y子の家に泊めてもらう! 一つ屋根の下で……凄い。同じ屋根の下に妹のR子 も一緒? Aが羨ましがるだろうな〜。 「お父さんには私から連絡しておいたから、心配しないでゆっくり休みなさい」 もう完全にあっちのペースにハメられてましたね。 私は居間でも良かったのですが、そこは板の間なので「寒いからY子達と一緒で いいだろう」と言うお父さん、あんたは偉い! (今現在、もし夜中にウチの娘のボーイフレンドが飛び込んできたとしたら、ウ チに泊めてやる事が出来るかどうか私には自信が有りません。それ以前に、も し私があの時のY子の父親だったら、殴って叩き出しているかもしれませんね。 Y子のお父さんは本当に偉いと思います) 6畳の部屋に布団が並べられ、R子、Y子、私が並んで寝るという、凄い事になっ たので私はとても嬉しかったです。 いちばん下の妹は小学2年生くらいだったと思いますが、もう寝ていたところを 起こされて、私の場所を空けるために両親の部屋に移動させられました。 寝呆けた顔でY子を見て、にっこり笑い、「お姉ちゃん、心配しちゃったよ」と 言いました。 R子の話では、夜中に出ていったY子を心配して待っていたそうです。 いきなり家にいた私を見てどう思ったかは分かりませんが、その子は私を見て、 にこっと笑いました。そして枕を抱えて両親の部屋に移動して行きました。 これにはさすがに胸が痛みましたね〜。 悪い事をしてしまったな、と、心から思いました。 そんなこんなで、私は彼女等の部屋で寝る事になったのですが、当然ながら着替 えなどはないので下はジーンズのままで、上はシャツで布団に入ったのですが、 なんとも言えない気分でしたね〜。 私の隣にY子が居て、その向うにR子がいるわけです。Y子は何だかとても楽し そうで、R子とひそひそ話をしてクククッと笑い、私の方を向いて「R子がね、 カメ吉君て勇気あるって言ってるよ」などとその話しの内容を話してくれたりす るのです。 するとR子がまた小声で「そんなこと言わないでよお姉ちゃん」と耳打ちしたり する。 思えば、私とR子とは最後までまともに話したことはなかったですね。 それよりなにより、ウチは男兄弟だから姉妹というモノをしげしげと見るなどと いう事すらあまりなかったかもしれない。 女の姉妹というのはこんなにベタベタして親密なものなのかと、ちょっと驚いた ものです。 男兄弟は、少なくも私とアニキは、小さい頃はともかく、中学くらいになってか らはあまり親密でもなかったから、ワーワーキャーキャーとにぎやかでやたらス キンシップのある彼女たちのやりとりが不思議な気がしました。 女の子の部屋という代物も、その家庭のウチとあまりに違う雰囲気も、男の兄弟 と女の姉妹との違いなのかもしれないなと思い、子供が女の子だとこうも雰囲気 が変わるものなのか、とも思いました。 それが今現在、私のウチが娘二人で、たぶんあんな雰囲気になっているのですが、 う〜ん、唸ってしまいます。 で、夜も更けてきて、私はなかなか寝付かれませんでした。無理もないわな〜。 隣にY子が寝てるわけですから。 で、何となく頬杖なんか付いてY子の顔を見てたら、Y子も目を開けました。 「眠れないの?」 「うん、全然眠くない」 「私も」 となりにR子がいなかったら良かったのですが、考えてみれば、R子にしてみれ ば姉のボーイフレンドがいきなり自分達の部屋に一緒に泊まることになったわけ で、どう思ったでしょう? 取りあえず、キスをして、彼女の頭を引き寄せて私の腕に抱え込んだのですが、 隣にR子が居るからあまり大っぴらにイチャイチャするわけにもいきません。 で、顔をくっ付けるようにして話をしました。 話しながら右手をじわじわと伸ばし、触ってやるぞ〜と思ったのですが、背中か ら徐々に下げて行って、おケツの少し上までで止めました。もしR子がまだ寝て いなかったらマズいじゃないか、やはり。 眠っているようにも見えるけど、ひょっとしたらまだ起きているかもしれなしな〜 なんてあれこれ考えていたら、Y子が喉の奥でクククッと笑いました。 「ん? どうしたの?」と聞くと、 「ううん、その手はどこまで行くのかなと思って」と言うのです。 私は照れ隠しに「ほら、これでいっぱい、これ以上伸びないよ」とか言ったりし ました。 ほっぺたをくっ付けるようにしてそのまま眠ったのですが、朝起きたら左手が痺 れて動きませんでした。Y子の頭が乗っかったままだったんですね。 こいつはきついな〜と思って、それでも我慢してたらY子も目を開けました。 R子が起きていたかどうか記憶にないです。 で、私は条件反射で飛び起きました。大事なことを忘れていたんですよ。 新聞配達をしなければいけません。 ウチは小遣いというモノを一切くれませんでしたから、私とアニキはずっと新聞 配達をやっていました。 中学の時は漫画を買うために、高校に進んでからは小説本を買うために、それ以 上の高い買物をしたいときは長期の休みにアルバイトをしたものです。 家出したくせに朝起きた途端に新聞配達をしなくてはいけないと思うとじっとし ていられなくなった私は、何なんだ? まだ親父さんとかは寝ていたのですが、私は帰らなくてはいけないので急いで帰 る事にしました。 お母さんが「あら、朝ご飯食べていけばいいじゃない」と言ってたら親父さんも 起きてきて、私が新聞を配らなくてはいけないというと「そうか、だったら帰り なさい。お父さんには怒らないように言っておいたから、よく話し合うんだよ」 と言ってくれました。 「ちょっとだけでもご飯食べていけばいいのに……」というお母さんにもお礼を 言って、私は出てきました。 そして家に帰りました。 親父も母親も、何も言いませんでした。言えなかったのかもしれません。 私も、何も言いませんでした。 恥ずかしかったのは、大見得を切って家を飛び出したくせに、女の子の家に泊め てもらったという事なのですが、Y子のお父さんから聞いているだろうと思って 何も言いませんでした。 しかし、マズい事に、親父は私が泊めてもらったのが女の子の家だとは知らなかっ たんですね。そしてY子の家に菓子折りを持って挨拶に行ったんです。 これは当然の事ですが、そこまで気が回らなかった私の大失敗。 帰ってきた親父がいきなり「彼女の家に泊めてもらったならどうしてそう言わな いんだ!」と怒り出しました。「おかげで大恥をかいたじゃないか」と。 男友達の積もりで挨拶に行った親父が、実は女友達の家に泊めてもらったと知っ たときの事を思うと、私まで一緒に恥ずかしいです。 母親が「今度からはお婆ちゃんのところに行きなさいっ」と言いました。 母方の祖母は、長いこと看護婦をやっていて、その当時は老人ホームで働いてい ました。身体が動くうちは子供の世話にはなりたくないと言って長男とも同居せ ず、一人で頑張っていました。 突然泊めてもらうなら祖母のところが妥当でしょうね〜。でも、私はそんな事は 考えてもいなかったんだけどな〜。 母親としては、まさか私がそのままどこかに行ってしまう積もりだったとは思っ ていなかったのでしょう。 こうして私の、一晩だけの家出は実に格好悪い終わり方をしました。 その後ときどき、そして今でもときどき、ひょっとしたらあの日が私にとっての 「その日」だったのではないか、と思うことがあります。 けち臭い人生が、あの晩を境に華々しく変わるはずだったのかもしれない。 そのシナリオに乗りさえすれば、ガキの頃から妄想していたような物凄いドラマ が動き出すはずだったのかもしれない、と。それを、Y子にサヨナラが言いたく て電話してしまったためにぶち壊してしまったのかも知れない、と。 「もしあの時××していたら」というのはよくある話ですね。 人はその長い人生において、いくつかの、大きな分岐点をすぎていくものなのだ という事ですが、もちろん、あの時Y子に電話せず、自転車なり電車なりでどこ かに向かったとしても、何もなかった可能性の方が高いだろうとは思います。 どこぞの駅で家出少年として補導されたか、どこかの道端で疲れ果てているとこ ろをお巡りさんにでも保護されることになったかもしれません。 可能性としてはその方がずっと高いに決まっている。下手をするとあまりの寒さ に道端で凍え死にしてたかもしれない。 しかし、それでもなお、ひょっとしたら私はあの日、せっかくの人生をドブに捨 ててしまったのではないか、という思いがどこかに残っています。 あの出来事が、私の人生の中でいちばん大きな分岐点だったのではないか、と。 結果的にはただ一晩家を空けただけの空騒ぎでしたが、それ以来親はあまりうる さい事を言わなくなりました。お陰で居心地が良くなったのでその後あまりケン カはしなくなりましたね。 Y子とはときどきデートしました。 「うちのお母さんがね〜、『あの子好きだわ。男の子だよねー』って言ってたよ。 すっかりカメ吉君のファンになっちゃったみたい」とY子が言いました。 「毎日『あの子はきっと大物になる。いまに凄いことをやるに違いない』って言っ てるよ」と。 娘しかいないから、私のいい加減さが新鮮に見えたのだろうと思います。 (Y子のお母さん、私もあなたみたいなお母さん好きですよ。残念ながらご期待 にはそえずに、私は大物にもならず、凄いこともやらずに、町工場の工員をや りながら娘達に振り回される毎日を送っています) デートといっても、相変わらず車もない中学生のデートですから、近くまで自転 車で行ってその辺を散歩するという純情なモノでした。 Aとのやりとりでだいぶ知識も豊富になってきた私は、女体に対する好奇心はか なりのモノになっていたのですが、実践経験のないのは致命的でした。 もし今だったらもう、大変なことになっていたかもしれませんが、あの当時はと てもじゃないけどキスするのがやっと。 その後どうしたらいいのかまったく分からないんですよ。 その頃の私の成熟の度合いはといえば、まだまだ子供でした。 ポコチンの頭の皮を剥いて擦れば何だか強烈な刺激が有ってちょっと気持ちいい、 とか、ボッキーちゃんになったポコチンをどんなふうに刺激したら気持ち良くな るとか、そんな低レベルの研究を友達のAと披露し合う毎日だったんです。 えっちというのが物凄くいやらしくて気持ちいいものなのだというのは、Aとの 合同研究でだいぶ分かってきてはいたのですが、女体相手に具体的にどんな風に したらいいのかとか、また、どんな事をしてもらったらいいのかとか、そっち方 面はさっぱりでした。 考えてみれば、まだポコチンに毛が生えたの生えないのと騒いでいた時期なので すから、無理もない事ですね。 しかし、そんな時期だからこそ、好奇心だけは大変なものでした。 見たい、触りたい。この二つです。 何はともあれ女体の神秘をこの目で確認したい。三つ有るという穴ぼこの、その 実態を、実物を、この目で見てみたい。本当に穴ぼこが三つも有るのか、どんな 形をしているのか、この手で触ってみたい、広げて確かめてみたい。 好奇心の固まりみたいな、どうしようもない部分と、Y子との純愛に生きたいと いうピュア(大笑い)な部分とがない混ぜになって、一人の少年カメ吉というキャ ラクターを形作っていたような気がします。 見たいくせに、触りたいくせに、心のどこかでは生臭いえっちというモノが、不 純な行為のような気がしてならなかったというのが本当のところだったと思いま す。 ジレンマってやつでしょうね。 そんなある日のことです。田圃の畔道みたいなところを二人で散歩してしたら、 雨が降ってきました。 急な雨で傘もない。 慌てて雨宿りするところを探しました。すると農家のワラ小屋があったので、そ こに潜り込みました。 ワラの山に並んで腰掛けて、乾き切っていた辺りの緑が見る見る深緑色に変わっ て行くのを眺めていました。 ワラ小屋は乾燥していて、ワラ独特の匂いが心地よい。 いい雰囲気でした。キスより先に進めるかな? なんてちらっと思ったのです。 問題は、私は好奇心いっぱいでも、Y子がどうなのかまったく分からない。 この辺はいまでもそうなのですが、彼女もえっちに興味を持っているのか、それ ともまったく興味がないのか、分からなかったです。 で、キスをして、そのまま肩なんか抱いて、しらばっくれて押し倒してしまった のですが、さあて、この後どうする? ってなもんですよ。 取りあえず乳を触るんだろ? で、服の上から乳を鷲掴みにして揉みました。 Y子は、発育が良くて、いい乳してましたよ。 とくに嫌がらないからそのまま勢いで服をまくり上げると、お〜、出たぞ、これ がブラジャーというものなんだ〜……。 生まれて初めて、その辺の軒先に干してあるブツではなく、生の身体に張り付い ているソレを見ました。感動モノでしたね。 嬉しくてしばらく眺めていたものです。 で、これを外すのか? どうやったら外れるんだ? ボタンか? ホックか? 前には何もない。だったら後ろか? どれどれ……と手で探ると、おお、有った。 これを外せばいいんだな……と、外れないぞ! どうやって取るんだ? ええい、 取れない! 面倒だ、ずり上げてしまえ! と、無理矢理押し上げる。 ポロンとこぼれ出たY子の乳は、それはそれは綺麗な膨らみでした。 しばらく揉んだりしゃぶったりしたのですが、いつまでもそうしていてもどうに もならない。さあ、次はどうすりゃいいんだ? 乳の次は……アソこか? いいのかな? もう、ドキドキしていました。 百科事典などを見て研究したから、その女体の神秘の構造は大体分かっていまし た。ポコチンが外に出ている我々男と違って、穴が開いているのです。 そこに、触ってもいいのか? 勝手にパンツに手を突っ込んでもいいのかな? などと迷う迷う。あの時の心理的な葛藤ときたら、もう半端じゃない。 Y子の様子をうかがうと、じっとして、両手で顔を隠していました。 いいのか悪いのか……散々迷った挙げ句、意を決してズボンのファスナーに手を 掛け、思い切って降ろしたのですが、その下から現われたパンツを見てまたまた 感動。私が穿いているブリーフなんかと比べものにならないくらいに小さいんで すね。 私が知っている女の下着といったら、せいぜいウチの母親とか婆ちゃんのでかい パンツくらいなものでした。 ところが、Y子のパンツときたら小さい小さい。臍のずっと下にやっと張り付い ているようなパンツなんですね。 それに赤いリボンみたいなワンポイントが付いていたのをはっきりと覚えていま すが、そのリボンを見ながらまた悩む。さあ、突っ込むぞ、パンツに手を突っ込 むぞ……、いいか、いいんだな? ってな事で悩みまくるわけです。 そのときのこっちのポコチンはというと、ジーンズの中でビンビンに膨れていて、 痛かったです。 目が回りそうだったのですが、ここまで来たんだから触るぞ! と硬い決意を胸 に、Y子のパンツに手を突っ込んだカメ吉少年。いきなりサラサラっとした感触 があり、驚きました。生えたか生えないか分からないような私と違って、発育の 良い彼女のソレはすっかり生え揃っていたのですね。 スゲえな〜、もうこんなに毛が生えてるじゃないか、などと思いながら更なる奥 に手を突っ込む。すると、指先に柔らかい感触が有りました。 ついに、ついに女体の神秘に触れた瞬間でした。 その感触は、わざわざ描写するほどの事でもないけど、あえて文字にするとどう なんだろ? ツルっ、プニュ、そしてチュルルッ、といったところでしょうか。 これが、これがY子のアソコなんだ〜と、物凄く感動したのですが、この後どう すりゃいいんだ? と再びパニックです。 せっかく女体の神秘に触れているんだからと思い、しばらくあれこれと触りまくっ たのですが、何をどうしたらいいのかまったく分からず、ともあれ女体の神秘に 触れたのだという満足感が沸いてしまったので、その時点でその日のノルマは達 成みたいな気分になってしまいました。 理科の時間にやったカエルの解剖ですか、あの時と同じような妙な気分だったの も覚えています。 で、オレはY子のアソコに触ったんだな、と納得し、パンツから手を引っこ抜き ました。ズボンのファスナーも戻し、ずり上げたブラジャーも元に戻しました。 さらに服も元通りに戻して、一仕事終わった気分でしたね〜。 まだ14歳でしたから、あんなもんでしょう。 とてもじゃないけど、あれ以上は無理だったかもしれない。 それでも物凄い大仕事をしたような積もりでいたのですから、大笑いです。 もうちょっと頑張って、たとえばアソコでやっちゃったりする可能性は有ったの かどうか、考えないでもないですが、どうだろうな〜? ワラ小屋で少年と少女 が結ばれるというのは、物語ならいい雰囲気かもしれないけど、実際にはかなり 無理があるでしょうね。 オジさんと少女ならイケるかもしれない。しかし、オジさんだったら車でどこか のホテルにでもシケ込むでしょうね〜。 Y子は、あっちを向いたままずっと黙って雨を見ていました。 私はどうしたらいいのか分からなくて、彼女の背中に付いたワラを取ってました。 やはり少年だったんですね。 まだ性欲はそんなにギンギンでもなくて、好奇心の方が強かった気がします。 やりたくてやりたくていられない、というほど悶々としていたわけではありませ んでした。 中学生の男女の場合、女の子の方が早熟なんでしょうね、きっと。 もう少し私が大人で、どうすればいいのかちゃんと分かっていたら、どうにかなっ ていたのでしょう。 その場合、今度は妊娠だとかの問題が起きて来たりするから、それもまた問題で すね。 こうして、初めて女体に触れたカメ吉少年ですが、いよいよ高校に進むことにな りました。 高校生活は、まあどこも似たようなものだと思いますけど、毎日を面白おかしく 過ごすという私のスタイルは基本的には変わりませんでした。 当時入れ込んでしたのは、ちまたで大流行のフォークソングというやつでした。 アルバイトで買ったギターで、主に吉田拓郎をコピーしていました。 クラスにやはり好きなヤツがいたので、グループを作って作詞とか作曲とかもやっ たものです。 昼間は捨てていましたから、ひたすら授業を耐え、それからギター。夜は深夜放 送です。 漫画ばかりだった読書に活字が入り込んできたのもこの頃でした。 それと、もう一つ、バイクです。バイクに夢中になりました。 欲しくて欲しくて、バイトやって金貯めたのですが、私の通っていた高校はバイ クの免許を取るのを禁止していたんですね。 それでもどうしても取りたいヤツは黙って取りにいくのですが、学校にばれると 担任から呼び出しくって、免許を取り上げられたり、さんざん説教されたりして いました。 数年前に先輩が事故って死んだりしてたから、とくにバイクに関してはうるさかっ たです。 誕生日が来たヤツからだんだんと取っていき、ばれたら取り上げられるけど、ば れなければラッキー。もちろんチクるヤツはいませんでした。 私も当然ながら取る積もりでいました。中古でもいいから250くらいのバイク を買って、Y子を後ろに乗せて走れたら、いいじゃないですか〜。 ところが、私のそうした動きを察して、親父がとんでもない話を持ちかけてきた のです。 「バイクの免許をとるなら原付にしないか」と。 「高校生に大きなバイクは必要ないだろう。どうしても欲しいというなら原付で 卒業するまで我慢しろ」 これはもちろん却下なのですが、その後に親父が出してきた条件が曲者でした。 「もし原付で我慢するならオレが担任と話を付けてやるけど、どうだ?」と言う のです。 免許も取らせてくれるしバイクの金も半分出してくれるというのですね。 ウチのアニキは保守的というか、無理して教師とぶつかるくらいなら我慢すると いうタイプでして、この話に飛び付きました。 もともとそれまでバイクの免許を取るなんて話すらしなかったくせに、「オレは 原付で我慢するからお前も原付にしろ」と、親と一緒に私を説得するわけです。 「そんならまあ、原付でもいいけど……」Y子をケツに乗せて走るというのは捨 てがたかったのですが、皆に説得されて私も折れました。 親父はさっそく学校に出掛けて、私の担任と話を付けてきました。 これには、正直なところちょっと呆れたというか、本当に行ったんだ……と驚き ました。 「若い者は頭ごなしに押さえ付けても、欲しければ隠れて取るに決まってるから、 あまり危なくない原付を取らせてやろうと思う」というような事を担任に言った ようです。 担任は後日、「お前の親父さんは面白いな〜」と笑ってました。 もちろん学校で禁止している以上は、大っぴらに原付ならOKという訳には行か ないのですが、私の場合は親も公認と言うことで呼び出しもなければ取り上げら れる事もなく、暗黙の了解で無事に原チャリ小僧が誕生したのでした。 この親父のやり方は、どうなんだろう? 約束した以上、私は高校を卒業するま で原チャリで我慢したのですが、担任に隠れて免許を取り、でっかいバイクに乗っ てる奴らが羨ましかったですね。 だから、ちょっと親父に騙されたような気がしないでもないです。Y子をケツに 乗せて走りたかったですしね。 これについては、もしかしたら母親の入れ知恵もあるのかもしれません。 私が原付の免許を取った後、ふっと「バイクの後ろに女の子でも乗せていて事故 でも起こして怪我でもさせたら大変なことになる」と洩らしてましたから。 Y子ですが、彼女は地元の女子校に進みました。セーラー服の学校です。 一度でいいから彼女のセーラー服姿を見たかったですが、残念ながらデートする ときはいつも私服で、結局一度も見られませんでした。 デートといっても、とくに進展はなくて、少年の好奇心からの女体触りまくり以 上の発展はなかったです。残念なかぎりですね。 高校生活に馴染むにつれてお互いに忙しくなり、デートの間隔も長くなっていき、 やがて連絡するのも面倒になり、自然消滅みたいな形で終わりました。 もし私がでかいバイクを手に入れていたら、また違う展開になっていたのかもし れませんが、あれはあれで仕方なかったのかもしれません。 私はもっぱら、読書とギターとバイクの毎日に明け暮れながら、アルバイトに精 を出しました。 バイト先で知合った二つ年上のH子さんに言い寄って、「あなた私より年下じゃ ないの?」なんて言われてあっけなく振られたり、一つ年下のS子をデートに誘 い、いいところまで行ったりしていました。 Y子とうまく行かなかったのは、私が少年だったのが一番の要因なのでしょう。 好奇心でお触りなんかをしてみたけれど、やりたくてやりたくて居ても立っても いられない、というほど切羽詰まっていた訳でもなく、押しが足りなかったので すね。 彼女一筋にガンガン押しまくっていたら、行くとこまで行ったと思われます。 私が本格的にムラムラして、やりたくてやりたくていられなくなってきたのは高 校の2年くらいからのような気がします。 年上のH子さんはどことなくイケイケ風で、スタジャンの似合う可愛い人でした。 頼めばヤラせてくれるんじゃなかろうか、などという不純な動機が有ったのです が、ダメなものはダメですね。 年下のS子の場合は、Y子での失敗を反省したりして、もう少しグイグイと押し てみようなんて思ったのですが、あまり露骨に「ヤラせてくれ」みたいなのもダ メですね〜やっぱり。 「それだけが目的なの?」なんて言われて、返す言葉もなかったです。 あの年代の男にとって、身体の中から沸き上がる性欲というヤツは実に厄介な代 物で、自分でもどうにも出来ないようなところが有るじゃないですか。 愛だとか恋だとかもとっても大切な事だとは思うのですが、ヤリたいというのも なんともアレでして……。 こういうのって女の子には分からないんだろうな〜きっと。 Y子に再会したのは高校3年の時でしたか。 同級会がありまして、そこで2年ぶりに会いました。 その当時私は、一つ年下のA子という彼女がいまして、いい調子こいてました。 再会したY子は、相変わらず魅力的でしたね〜。 私の彼女といい勝負。 K子もF子も、それぞれみんないい味出してましたよ。 同級会は、まあ、どうってことない同級会でした。 でも、流石にY子と話をしたときはドキドキしたものです。 「変わってないね」と言われました。相変わらず少年カメ吉のままだという意味 なのでしょうか……。 「ウチのお母さんがね、今でも時々『カメ吉君はどうしているのかな』なんて言 うのよ」と笑ってました。 「彼氏はいるの?」と聞くと「うん」との答え。 そうかそうか、Y子には彼氏がいるんだ。自分にも彼女がいるくせにちょっと残 念な気がしました。 「カメ吉君は?」 「うん、いる」 これが2年の時の流れってヤツでしょうね。 いま、この歳になってしまうと2年や3年は大した事もないけれど、あの頃の2 年は目まぐるしかったような気がします。じっとしてられないというか、変化が ないといられないようなところがありました。 私はその日、ちょうど彼女とデートする約束をしていて、同級会が終わってから 待ち合わせの場所に飛んで行ったのですが、同級会から流れて来た連中と鉢合わ せして冷汗をかいたのを覚えています。 Y子とその次に再会したのは、勤めに出始めてから2年くらいの頃でした。時期 的に言うと、前に書いたメッセージの中の、失恋3連発の間くらいだと思います。 私はちょっとイライラしていた時期でした。 Y子は、随分と雰囲気が変わっていました。何といえばいいんだろう、どことな く崩れた雰囲気? ミルクみたいな、ヨーグルトみたいな清々しい雰囲気がなく なってしまっていて、残念な気がしたものです。 同級会の後で帰るY子をバス停まで送って行きました。(私は相変わらずバイク に夢中で車は持っていませんでした。この頃は125に乗ってたのかな) 「彼氏とはまだ続いてるの?」と聞くと、 「ううん、別れた」と言ってました。 「酷いのよ。ボロ布のように捨てられたの」と吐き捨てるように言ったので驚い たものです。 あの明るかったY子がこんなに変わってしまったのだから、さぞかし酷い捨てら れ方だったのだろうな〜と、胸が痛みました。 たとえばの話ですが、私とY子が縒りを戻すという可能性は有るのかな? と並 んで歩きながら考えたのですが、目の前のY子はあまり魅力的ではなくなってし まっていて、たぶん無理なのだろうな〜と、殺伐とした気持ちになったものです。 Y子は、「私の家、今度引っ越すのよ」と言いました。 「ちょっと遠くに行くの」 「ふ〜ん、だったらもう会えないかもしれないね」 「そうね、でもまた会えるかもしれないし」 「会えるといいね、また」 「アハっ、私のお母さんね、今でも時々『カメ吉君は元気にしているのかな〜』 なんて言うのよ」やっと笑ったY子は、以前と同じに可愛いかったです。 それ以後同級会は一度も有りませんから、それがY子と会った最後でした。 今頃どこで何をしているのだろう? 幸せな結婚をして、あのお母さんみたいな 人になってくれていればいいのですが、どうだろう? 高校の時もまったく勉強などしなかった私は、当然ながら大学に行く気もなけれ ば学力もなく、私の成績で入れる工場に勤める事になりました。 もしかしたらソレが起きるかもしれないと、相変わらずおかしな妄想をどこかで 抱いていたのですが、やはり私の人生はドラマなどではなく、何も起こらずに無 事に卒業し、後は平凡な工員生活を20年以上続けて今日に至っています。 今でも時々、まだ間に合うから何かが起こってくれないかな〜などと思わないで もありません。 想像も付かないようなモノ凄いことが起きたら面白いのにと、訳の分からない妄 想を楽しみながらス〜ファミのRPGに入れ込むというおかしなオヤジになって しまいました。 ガキの頃からの妄想を引きずっているのでしょうね〜、今でも。 でも、きっと何も起こらずにこのままの日々を過ごして、ジジイになっていくの だろうと思います。 それは、とっても苦しいことなのですが、仕方のないことなのだと諦めている今 日この頃です。 最後に、登場人物のその後を分かる範囲で書いてみましょう。 漫画家志望だったMは、私と同じ工業高校の電気科に進み、その後コンピューター 専門学校に行きました。卒業し、結構大きな企業に就職も決まっていたのですが、 入社間近に交通事故を起こして就職出来なくなり、小さな企業に勤めたようです。 その企業がウチの町工場の仕事をした事があり、数年前に再会しました。 今は、CADを使って機械の設計をしているようです。 野球部だったM山は、やはり私と同じ工業高校に進みました。野球部に入って甲 子園を目指し、3年の時にはキャプテンまで務めました。応援団だった私は試合 の度にガクランに下駄履きで太鼓を叩いたものです。しかし、残念ながら地方大 会の三回戦で負けて甲子園には行けませんでした。 卒業後もやはり私と同じ企業に就職し、そこの野球部に入りました。 私は10年で辞めて今の工場に移りましたが、彼はそこで今でも野球をやってい ます。数年前に10も年下の女性と結婚し、子供が一人。 Z子とは一度だけ再会した事があります。懐かしくて声をかけようとしたのです が、私を見ると目を伏せるようにして行ってしまいました。う〜ん……。 Aとも一度再会しました。私が結婚する少し前かな? 今はこっちに居ないよう です。たぶん東京。 高校時代に一度だけW子とも合いました。ガリ勉だった彼女は無事に希望してい た女子高校に受かり、その学園祭に行ったときにまるで別人のように変身してい た姿を見て驚きました。洒落た服を着て皆から「W子女史」などと呼ばれてまし たけど、人間、変われば変わるものですね。 思ったより長くなりました。これで女体の神秘は完結です。 カメ山カメ吉
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