written by たねり
アリスが家に入ると、ゴーシュはセロをひくときに座っていた椅子をすすめて、じぶ んは質素な木のベッドに腰掛けました。 「椅子はひとつしかないんだ。狭い家だからね」 そこは住まいではありましたが、もとはこわれた水車小屋なのでした。兎が住んでも ちょうどいいくらい、とアリスは思いましたが、それを口に出してはいいませんでした。 アリスは小さいけれども礼儀をわきまえたレディでしたからね。 「イギリス人かい、アリスさんは。西洋のひとにあうのはこれで二人目だよ」 ゴーシュはたしかにつかれている様子でしたが、でも無愛想というわけでもなく、ア リスに話しかけました。 「まあ、それならそんなに未開の国でもないのね。一人目はどなたかしら」 「モリーオの町の神父さまだ。イギリス人じゃなかったけれども」 アリスはいままでの冒険ではずいぶんわけのわからない人物にあいました。首をすぐ にちょんぎりたがるトランプの女王や、謎かけをする卵のおやじや笑い猫やそのほかに もいっぱいですが、イーハトーブというのはいちばんまともかもしれません。西洋から 来た神父さまもおられるし、楽団だってあるようですから、たいしたものです。 「わたし、イーハトーブが好きになれそうだわ。だけど、動物愛護協会はないみたい ね」 アリスは忘れないうちに、かっこう鳥の件を持ち出しました。ゴーシュは困った顔を して、いいわけをしました。 「いや、怒ったわけではないんだ。こんどの演奏会で第六交響曲をやるんだが、どう もぼくは才能がないみたいでね。うまく仕上がらない。それで、すこうしいらいらして いるときに、鳥が来たもんだから」 「でも、ひとに当たってはいけないわ。かっこう鳥に当たったところで、ゴーシュさ んのセロの音程がよくなるわけでもないもの」 ゴーシュはパッと顔を赤くして、不安そうにアリスにききました。 「ぼくの音程はやっぱりすこしちがうかい?」 アリスがうなづくと、ゴーシュは肩を落としてしょんぼりしました。あんまり気の毒 なので、アリスはかれを力づけるつもりでいいました。 「そんなに落ち込むことはないわ。演奏会までに練習してうまくなればいいのよ」 でも、じっさいにはアリスだって、へたくそなゴーシュがそうかんたんにヨーヨーマ (えっ、時代がちがいますか)みたいになれるとは思っていなかったのですが。 ゴーシュはがらんどうになった窓からあおぐらくひろがる空をながめて、 「朝になるまでまだ時間があるから、ぼくはひとねむりするよ。きみはこれからどう するの? もしねむるのなら、このベッドをつかうといい。ぼくは床に毛布をひいてね るから」 そういうと、さっさと床に毛布をひろげて、泥のようにねむりこんでしまいました。 アリスはどうしたものかしら、と首をかしげていましたが、ドジソン先生の家にだって 泊まったことはないのだから、ママはきっと顔をしかめるわ、と思いました。それに、 じっさいのところそんなにねむくもなかったのです。こちらの世界に来てから、背中の 羽がほんものになっているのも不思議でした。わたしがもしも妖精になっているのだと したら、とアリスは考えました。人間のベッドでねむるなんて、ルール違反よね。せめ て、湖にうかんだ大きなオニ蓮のはっぱとか、花をしきつめてある香りのいい苔のうえ とかでなければファンタジーとしては成立しないわ。 アリスはふわりと浮かぶと、がらんどうの窓から、墨がほんのりとうすくなった東の 空にでました。その空のしたに、あのかっこう鳥が逃げていった森が見えます。夜が明 けるまでひとやすみできる木があるかもしれないわ。アリスはゆっくりとその森にむか って飛んでいきました。 2・かしわばやしのパーティ 森のそばまで来ると、アリスの耳にはただの風の音ではないざわめきが聴こえてきま した。夜の森といえば、ずいぶん淋しいのがきまりでしょう。せいぜい、梟のがらっぱ ちの声や、狼の遠吠えが風のまにまに聴こえるだけで、パーティなんてやってるはずが ありません。ところが、その時にアリスの耳もとに届いたのは、そのやっているはずの ないパーティの華やいだざわめきのようだったのです。アリスは飛ぶのをやめて(とい うのも、かしわの木の枝がどうにもじゃまでした)、そっと地面におりました。 「わたしの国ではこんな朝に近い夜の時間に、こんな森のなかでパーティをやるひと はいないけれど。イーハトーブは、昼に近い夜には、家のなかでパーティをやらない国 かもしれないわね」 アリスは理屈っぽく考えて、じぶんでじぶんを納得させました。なにしろ、パーティ だったらちょっとはのぞいてみたいではないですか。しかし、夜のあやしい森のなかで やってるパーティに出たなんてしれたら、あとでママに何回お尻をぶたれるかわかりま せん。でも、ここはイギリスじゃなくてイーハトーブです。「真夜中に森でパーティを やるのが正しい国なのよ、ママ」といえば、なんとかお仕置きは免れることができそう です。 アリスは風に運ばれてくるざわめきにみちびかれて、かしわばやしの奥に進んでいき ました。一本のごつごつした柏の木が、アリスの通るとき、うすくらがりに、いきなり 自分の脚をつき出して、つまづかせようとしました。 「その脚はくわないわ」 アリスはぴょん、と飛び越えると、意地悪そうなごつごつの柏の木にむかってあかん べをしました。まわりの柏の木たちは、それを見ていっせいに気味悪い声でげらげら笑 いました。ごつごつの柏の木は、どうも具合がわるいや、といったふうにもじもじして いましたが、てれかくしに出した脚をぱん、と叩くとお相撲のようにしこをふみました。 それを見て、また柏の木たちがげらげらと笑います。アリスは、とてもつきあってい られないわ、という顔をして、ずんずん奥へ向かいました。 ざわめきはずいぶん近くなってきました。どうやら、歌をうたっているようです。 「うさぎのみみはながいけど うまのみみよりながくない」 どっ、と笑い声や拍手が起きて、「1等賞、白金メタル」なんて叫ぶひとがあります。 「きつね、こんこん、きつねのこ、 月夜にしっぽが燃えだした」 また、どっ、とにぎやかな笑いの輪がさざなみのようにひろがります。歌のコンクー ルなのね、とアリスはわくわくしてきました。それも、クラシックでも、流行歌でもな い、いままで聴いたことがない歌ですが、わるい歌じゃありません。 大きなやさしい桃いろの月にてらされて、たくさんの柏の木がぐるりと環をつくって いました。正面には、大小とりまぜて19本の手と、1本の太い脚をもった柏の木の大 王が重々しくにらみをきかせています。そうして、人間はというと、二人いました。こ れは柏の木のパーティに招かれた客人なのでしょう。赤いトルコ帽をかぶり、鼠いろの だぶだぶの上着をきたとても背の高い男と、ずんぐりして、泥でよごれた木綿の野良着 の男です。 アリスは、1本の柏の木のうしろにまわって、広場全体がよく見えるS席を見つけま した。ここがいいわ、ここから見ていよう、とアリスはゆったりと枯れ葉のうえに座り ました。 「うこんしゃっぽのカンカラカンのカアン あかいしゃっぽのカンカラカンのカアン」 「第6等賞、にせがねメダル」 赤いトルコ帽の男が、司会者を買ってでているようです。そう、甲高い声で叫びまし た。すると、それまでかたわらでぽつねんとしていた野良着の男が、 「なんだ、この歌にせものだぞ。さっきひとのうたったのまねしたんだぞ」 と、司会者の判定に待ったをかけました。まるで喧嘩ごしです。 「だまれ、無礼もの、その方などの口を出すところでない」 正面の柏の木大王が、ぶりぶりしてどなりました。野良着の男だって負けてはいませ ん。 「なんだと、にせものだからにせものと言ったんだ。生意気いうと、あした斧をもっ てきて、片っぱしから伐ってしまうぞ」 アリスは、さっきのセロ弾きと鳥のレッスンといい、この歌のコンクールといい、ず いぶん人間とそうではないものたちとの関係がこんぐらがっているらしい、と思わずに はいられませんでした。イーハトーブというのは、どうやら、こんぐらがっているとこ ろに秘密がありそうね。柏の木大王と野良着の男は、どちらも負けずに口論をつづけて いましたが、赤いトルコ帽の男がそれに割って入りました。 「よせ、よせ。にせものだからにせがねのメタルをやるんだ。あんまりそう喧嘩する なよ。さあ、そのつぎはどうだ」 ひとりの若い頑丈そうな柏の木が広場に進みでようとしましたが、とつぜん、アリス の前にいた柏の木が「うほん、うほん」と咳をして、かれを制しました。そうして、咳 をした柏の木は、じぶんの占めていた場所をすっ、とどけると、 「今夜はもう一人、お客人が来ておられるのですから、わたしどもの下手な歌ばっか りを聴いていただくのもどうも、噴飯ものですな。ここはひとつ、お嬢様にもひとこえ、 お願いをするのが礼儀じゃござんせんか」 そういうと、骨ばった枝をアリスにむけて、桃いろの月のスポットライトを当ててみ んなの視線を集めました。アリスは、とつぜんのことにもう、びっくりしてぴょんと立 ち上がりました。油断もすきもありませんね。アリスがこっそりと観客になっているこ とを、柏の木たちは知っていたのです。 柏の木たちは、ごつごつした枝を打ち合わせて、ぱきぱきと拍手をしました。 「ブラヴォー! 西洋のお嬢さん、ひとつ歌ってくださいな」 赤いトルコ帽の男も、思いがけない飛び入りに興奮しているようすです。柏の木大王 はといいますと、いままでに見たこともないような白い肌の少女がお客様に来てくれた のがうれしいのか、ぶぉっ、と鼻息をたててうなづいています。 アリスはもう覚悟を決めて、広場のまんなかまで歩いていきました。ざわざわしてい たまわりの柏の木たちも、はあ、ふう、へえ、などと感じ入った溜め息をもらしていま す。かれらも、アリスみたいな異国のかわいい少女を見るのは生まれて初めてのことだ から、興味津々といったぐあいです。 「こんにちは、みなさん。みなさんの歌はそれぞれ、とっても面白いですわ。いった いどこで詩や曲を考えるのかしら。わたしはみなさんのように、じぶんで歌をつくれま せんから、ママから教わったマザーグースの歌をうたいます」 柏の木たちは顔をみあわせて、マザーグース? マザーグース? とぶつぶつつぶや いています。赤いトルコ帽の男がアリスの言葉をひきとって、柏の木たちに向かって叫 びました。 「いや、諸君。マザーグースというのは、西洋のわらべうたでしてね。じつにヒュー モアに富んだものですよ。さしづめ、“とおりゃんせ”とか“かごめかごめ”をしゃれ た音階にのせた、と思えばいいでしょう」 すると、柏の木たちはいっせいに枝をうちあわせて拍手をしました。アリスは、こほ んとのどを整えると、歌い始めました。 「ハンプティダンプティ 壁のうえから ハンプティダンプティ 落ちましたから 王様の馬も兵隊さんも もとに戻せない ハンプティダンプティ もうぺっちゃんこ」 柏の木たちはもうおおよろこびでした。なにしろ、西洋のわらべうたなんてめったに この森で聴けるものではありません。あんまり熱心に枝をうちあわせたものですから、 骨折をする柏の木さえ出たほどです。赤いトルコ帽の男は、 「これはわたしのメタルよりも、大王からいただいたほうがいいですな」 と、柏の木大王にごほうびを催促しました。大王は大小とりまぜて19本もある手で アリスを招くと、 「大王賞にあたいする歌じゃ。そなたの名前はなんという。アリスか。よろしい。よ ろしいぞ。アリスさんには、永世名人メタルを授けよう。これをもっているかぎり、イ ーハトーブの柏の木はどこでもアリスさんを大切な客人として歓待しますぞ。こんご、 アリスさんに脚をだしてひっかけようとする柏の木は、モリーオの製材所行きじゃ」 大王がまわりの柏の木たちをぎろりとにらむと、いぜんにもまして、拍手と歓声が高 くなりました。 「まあ、うれしいですわ、大王さま」 アリスは恭しくお辞儀をすると、柏の葉をかたどった透明なメタルをうけとりました 。 それは、葉脈の細部までうつくしく彫りあげられていて、人間の手になったものとは見えませんでした。太古のむかしに地層に埋没した柏の葉が、そのまま金剛石の化石に なって掘り出されたとも見えるほどしんとした輝きがありました。アリスはメタルを胸 に飾ると、大王のわきに座ってパーティのつづきをたのしんでいたのですが、いつのま にか大王の脚にもたれて、やわらかい眠りにおちていました。 3・金星音楽団の演奏会 それから数日、アリスはかしわばやしを住みかにして、ゴーシュのレッスンのすすみ 具合を見に行ったり、モリーオの街を散歩したり、きままに過ごしていました。なにし ろ、かしわばやしにいるかぎり、アリスはほんとうに気分がよかったのですよ。最高の 5つ星のホテルだってこうはいかない、と思えるくらいでした。柏の木たちの態度とい ったら、アリスを王女さまみたいに敬い、下へも置かぬもてなしぶりです。おかしかっ たのは、初めての夜に、アリスに脚をだしてひっかけようとしたごつごつの柏の木でし た。 アリスがかしわばやしを昼間歩いているときでした。夜になると柏の木たちも踊った り歌ったりしますが、昼間はそんなことはしないものです。それは大昔からの規律とい ってもいいくらい、厳重なきまりでした。だから、おひさまから光の棒がぶんぶん飛ん でくる時間には、何千本の柏の木があっても、ただの1本もうごいたり、しゃべったり はしませんでした。 ところが、アリスが通りかかったとき、ぐらり、とうごいた柏の木がありました。 「もうし、もうし」 やっぱり昼間は勝手がちがうのか、どうにもしゃべりにくそうです。 アリスはすこし後ずさりして、その柏の木を見上げました。だって、夜でもないのに、 動くなんて思ってもいませんでしたからね。 「もうし、もうし、アリスさん」 なんだか、古いテープレコーダーを聴いているみたいな、まのびした声です。 「何かしら? わたしに用?」 アリスは、勇気をだして話しかけました。ほんとうなら、もう、臆病なうさぎみたい に逃げだしたい、と思っていたのですが。 「もうし、もうし、もうしわけない」 柏の木は不器用にからだをおりまげて、お辞儀をしようとするのです。あの太い幹を ぎしぎしぼきぼきいわせて、直角近くまで、あたまを下げると 「どうか、どうか、許してください」 と、涙をほろほろとながしています。 「あら、わたしが何を許せばいいというの」 アリスは最初の夜のことなんてすっかり忘れていましたから、そうたずねました。 「まあだ、まだ、製材所にいくのはいやです」 ごつごつした柏の木は、ほんのいたずら心であの夜、アリスに脚をひっかけようとし たのだ、といいました。アリスは思い出しました。そういえば、そういうことがあった わね。その柏の木を見ると、すっかり葉や樹皮なんかも色があせて、病人のように元気 がありません。きっと、あの晩のことを思い煩って、じぶんの運命を悲観していたので しょう。 「あら、そんなこと。もういいのよ。大王さまがおしおきをするのは、これからでし ょう。あなたのは時効です。でも、みんながあんまりお行儀がいいのも考えものね。だ って、退屈だもの。ときどきは、柏の木の脚をぴょんと飛ぶのもわるくはないわ」 柏の木はねっこからぷるぷるとふるえて、喜色満面になって、いいました。 「ああ、ありがとうございます。いつでも、わたしの脚を飛んでください。アリスさ んのお望みのままにだしますから」 「お願いするわね。でも、ときどきでいいのよ」 アリスはそういって、ごつごつした柏の木のふるえる枝をなでてやりました。きっと 安心したのでしょう。その柏の木は、ふるえがおさまると、しだいにほかの木とかわら ない姿にもどっていったのでした。 つづく
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