written by グラウコン
(このコラムは少年の日記が公開される前に書かれたため、情報不足の面も 多々ありますが、そのまま掲載します。) ●FOCUSの顔写真掲載 新潮社の写真週刊誌FOCUSに神戸小6殺人事件の容疑者である14才少年の顔 写真が載った。 駅の売店やコンビニ、その他多くの書店で販売を中止する事 態となった。私も当日、書店やコンビニに行ってみたが、FOCUSを見ることも できなかった。その後、法務省が雑誌の回収を勧告したらしい。 少年法では個人を特定するような報道はしてはいけないらしい。 しかし、 このくらいのことをした奴は、 罰として顔と名前をさらして当然だ。少なく ともそれが私の正直な反応だ。 顔写真を出した報道が法的に罰せられるなら 、罰せられればいい。 しかし、本来はペナルティはないはずだ。法務省の回 収の勧告なんて、余計なおせわではないか。 販売規制はほとんどが右ならえだろう。 考えもなくそういう流れだからそ うしたのだろう。 いつもはプライバシー侵害、誹謗中傷、ポルノなどを売り まくっているくせに、急に良識ぶった態度をするのはみっともない。 少年法自体が時代に合わない悪法なので、こういう出版社がいてもいい。 (ちなみに私はインターネットでネットサーフィン中に少年Aの写真と本名( らしきもの)を見た。) ●2年で復帰? 14才の少年Aは少年院に送られてもせいぜい2年程度で出てこられるらしい。 少年院は犯罪を犯した少年を更正させて、 社会に復帰させるところである という建前らしいが、誰がそんなことを信じるだろう。 この少年Aがやったことは常識の範囲外だ。無差別に少年少女を襲い、その うち一人の首を切り取って、 学校の正門にさらした異常犯罪者だ。それがせ いぜい2年、 長くても3年で出てくると言う。いままでの少年法の運用ではそ れが普通だそうだが、 可能な限り長いこと少年院に入れて置いて欲しいもの だ。 話によると、最長で23才まで少年院に入れておけるらしい。ぜひともそ れをやってもらいたい。 少年院から出てきたとき、 少年Aは16才となっていて(23才の可能性もある が)、今より力はあるし悪知恵も働く。こんな怪物を匿名のまま自由にさせる のは危険すぎる。 なんらかの方法で顔写真と名前を出してもらわなきゃ危な くってしょうがない。 少年Aが社会に戻るときには、防衛のために少年Aの写 真と本名を国民に知らせるべきだ。 マスコミがやらないのなら、市民自身が ゲリラ的に写真の本名の情報を流したらどうだろう。 そのときは顔もだいぶ 変わっているだろうから、今回FOCUSに載った写真ではダメだ。あらためて今 はこんな顔をしていると知らせてほしい。 ●少年法はくだらない 少年法が少年犯罪を助長しているという議論がある。 実際のところはどう だか知らないので、 その話題は専門家に任せるとして、とりあえず少年法の くだらなさを簡潔に語っておこう。 少年は罪を償わなくてもいいという発想がまずくだらない。 短期間で更正 するという考えもくだらない。 こういうくだらない発想をするのは、子ども は無垢で誰かが悪くしたから悪いことのするのだ、 という見方があるからだ。 そもそも子どもは無垢ではない。 子どもに強大な力を与えたら数日で世界 を滅ぼすだろうと言ったのはフロイトだが、 まったくその通り。子どもとい うのは、 気に入らないことがあると暴れるものだ。不愉快だといって暴れ、 あれが欲しいと言って暴れ、 意味もなく暴れる。そういう子どもが責任感も なく、 分別もないまま、体が大きくなったら、どうなるのか。それがまさに 少年犯罪となって現れている。 統計に出ない少年犯罪は無数にあるだろう。 その無数の少年犯罪を支えているのが、 子どもは無垢で誰かが悪くしたから 悪いことのするのだ、 という考え方なのであり、体罰反対であり、ガキの野 放しなのである。 それにまた少年法が多くの人に納得できないのは、 正義の感情に合わない からだ。 人々がこの世の法則として求めているのは、因果応報なのである。 いいことをした人はいい目に会い、 悪いことをした人は悪い目にあう。それ を望んでいる。 残念ながら、この世界はそうなっていないが、せめて人為の 世界である法律くらいはこの因果応報を貫いてもらいたい。 年が少々若いだけで、 悪いことをしても罰を受けない少年法はおかしい。 悪いことをやった奴がのうのうとしていては、 正直者が馬鹿を見ることにな り、 正義の感情は衰退する。正義の感情が薄れると、おれもいい目にあって 見たい。 おれもうまいことやってみたいと考え始める。当の少年たちがそう 思うのも無理はない。(ただでさえ、悪いことをしてのうのうとしている連中 を見せられているのだ) 正義の感情が衰退すれば、 社会は弱体化する。さまざまな分野の浄化と併 せて、少年法改正も必要になってくるのだ。少年にも刑事罰を与えよ。 正義の感情の衰退と同時に、 一部の過激な人間による私刑がはびこるかも しれない。倫理観の低落傾向とそれを快く思わない正義派(間違った正義であ るにせよ)による天誅の跋扈だ。インターネットなどを使ったゲリラ的な私刑 など簡単なのだ。 今回の事件でもすでに行われている。法治国家であるなら ば、 刑の執行は個人が行うのではなく、国が行うべきものだ。そのためにも 少年にも刑事罰を与えよ。そうしないなら、私刑を支持するしかない。 念のため言っておくと、以上の少年法の話は少年Aとは直接には関係ない。 少年法そのものの問題点だ。 今回の事件がなくても、私はこのように考えて いるし、過去の少年による凶悪事件(アベック殺害や女子高生コンクリート詰 め事件など)においても犯人の顔をさらせ、重い罰を与えよ、と思っていた。 ●責任者探しはくだらない 今回の酒鬼薔薇の事件で、 盛んに議論されているのが、誰が悪かったのか という責任者探しだ。 学校だ、親だ、地域だ、などなど、いろいろと言われ ている。 たしかに今の学校も親も地域社会もきちんと機能していない。 しかし、だ からといって、 こういう猟奇殺人が起こるわけではない。この手の猟奇殺人 、快楽殺人事件を起こすにあたっては、 個人の資質や幼年時の個人の体験が 大きいのだ。 しばらくは影響を受けたが奴が似たような事件を起こすかもし れないが、 それはそういう資質の奴がまねをするからだ。学校、親、地域社 会のせいならば、 もっと数百、数千単位で問題が発生しそうなものではない か。少年Aのケースの解明はこの少年Aのケースに沿って議論すべきであって( 情報がないので無理だろうが)、一般化した議論をしてはいけない。 責任者探しの背景にあるのもまた「子どもは無垢で誰かが悪くしたから悪 いことのするのだ」という考えだろう。 まず、そういう発想を捨て、次に、 学校、 親、地域社会に問題があるなら、それはそれでまた別途議論をすべき だろう。今回の事件で議論すべきことは、むしろ少年Aへの親や中学校側の対 処だ。 同級生への傷害事件が起こった時点で、なにかきちんとした対処が必 要だった。 現時点のすくない材料でなぜあのような少年が育ったのかを議論 するよりも、 暴力をふるう少年にどう対処するのかを議論しておいた方がい い。
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