外国に行くこと、外国人に聞くことで答えは出ない。海外に出ても心の眼が閉じていれば見えないように、
日本にいても心の眼が開いていれば見えることです。
今、ここで、誰でもなく、この自分自身が、身近な手段を使ってじっくり考えること。
それを実行した PINK BANANAセンセイの特別書き下ろしエッセイです。
去年のこと。TVで「沖縄基地問題」の特集を観た。何気なくつけていたTVから沖縄の歴史を知った時、なんだか無性に焦っている自分がいた。
そして、その際私が何をしたかというと、本を読んだ。何か、したかった。あの暑い土地の人たちが一生懸命に「考え」たり「行動」したりしている姿を見て、そう思い立った。その本は、普段私が、決して手に取ることすらない司馬遼太郎だった。(私は小説というと推理小説しか読めない・・・。)
今の日本の歴史はどこから始まったのだろう、どこから間違ったんだろう・・・などと思い始めた私は、さすがに教科書を読む気にはなれなかった。でも一番手に取り易く、図書館などもウロウロする必要もなく「歴史」に触れられる本・・・と、本屋で選んだのが司馬遼太郎の「竜馬がいく」だった。
全部で8巻もあったが、吉川英治とかより、なぜか親しみがあった。ある程度、歴史に促しているのも選んだ理由の一つだった。
「坂本竜馬」という人物も以前にマンガで読んだことがあった程度で、くわしいことは何も知らない。でも彼の生きた時代は、日本全体が最も揺れた時代だろうと思ったし、沖縄の人たちのように「若者」という年齢層までが真剣に国の将来・未来を考えていた時代だと思った。私の知りたい「何か」がわかるかもしれないと直感的に思った。
驚いたことに、私はどんどん読み進んでいった。もっと驚いたのは、普段、推理小説で慣れているはずの「血の場面」で、読んでいる私が痛かった。まるで自分が斬りつけられたような痛み、恐怖、せつなさ、むなしさ・・・そんなことを感じるのは初めてのことだった。やはり「真実は小説よりも奇なり」なのかも。
この小説を読んで、改めて驚いたのは、江戸時代という国家だ。学校の歴史の時間に学んでいたはずの内容が、こんなに重要なことだったとは!何が驚いたって、江戸時代当時の国家の思想・・・それが現在の日本人に、しっかりと根づいているということだ。
江戸時代というのは、将軍がいて、天皇がいて、各藩に「お殿様」というのがいる。そして、その下に家来の武士がいて、町民や農民がいて・・・。これが今の日本にも存在していたということが目からウロコだった。
将軍というのを総理大臣に、「お殿様」を各地方から選出される国会議員に置き換えてみると一目瞭然だ。(当時の日本は完全世襲制だということは、脇においてほしい。)
私は選挙が行われるたびに汚職議員が当選する理由がわからなかった。「みそぎ」という名のもとに堂々と当選するのである。選挙民をバカにしていると思っていたが、もう一つ別の理由があったのだ。それは「我が藩のお殿様を落選させたら、藩の恥!」と言わんばかりに必ず投票する選挙民が存在するということだ。
お殿様もバカなら、町民・農民クラスもバカだということになってしまう。・・・ここでもう一つの江戸思想が生きていることを忘れてはならないのも、私が驚き、気づいたことだった。それは江戸時代の幕府の「おたっし」というなかに「町民・農民は知る必要がない、知ろうとしてはいけない」という法律があったのだ。これには下級武士も含まれている。この「おたっし」が100年以上を経た日本に、いまだに生きているのだ。
だから政治・行政という国の中枢から、汚職が発覚しても、それを追求して白黒つけることなく、また警察・検察でも発覚させることもできず、うやむやのまま、歴史は繰り返されていくのである。そのために汚職議員の再当選という図式も存在するのだ。近代化・国際化などと言われている、この平成の時代に笑わせてくれる事実である。いつまで私たちはこのような考え方にとらわれて生きるのだろうか。もっと自主的に物事を考えてもいいのではないだろうか。
江戸時代の思想の根本的な間違いは、男女を問わず「一人一人に人権がない」ということだと思う。ただ税金を納めるだけの、ただその日の暮らしに右往左往しているだけの「国民」でいいのだろうか。そう考えると、この本の中の幕末の人たちは、たとえ一部であっても、今よりはずっと日本の将来、世界の将来を考えていたように思える。情報流通のない、交通網も微弱な時代にここまで物事を考え、先を読み、自分のすべきは何かと真剣に生きていたのだ。(たとえ、その方向は間違っていても、だ。)
他にも「このことがあったから世界の歴史が、こうなったのか」と気づかされたこともあった。先進国などの現在の力関係とか、大きな戦争の一因とか・・・。それは、ここでは書かないことにする。話がずれてしまうから。
これを読んだ時、沖縄の人たちは、まさにその「幕末の志士」のごとく、沖縄の将来に限らず、日本や世界の将来も考えていたように思えてならない。沖縄基地問題は、結局、同じ国の中で「将軍」たちが一部の「国民」に権力を強いた形となった。いっぺんに、いろんなことが変化することはむずかしいが、でも、これは決して無駄なことではないと思っている。
少なくとも私は、こうして考え、自分なりに何ができるかを、やっと考え始めている。小さな一歩かもしれないが、確実な一歩にしたいと思っている。
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