存在論的、郵便的 ジャックデリダについて
東浩紀

azuma脱構築に対してもデリダに対しても処女だった私が、作者の27歳という若さと、授業の準備のためにわざわざ日本から取り寄せて読み始めた本。脱構築とは何かはわかった。ようは形而上学の否定でその先にあった否定神学の否定でその先にあるもの。形而上学にある位階秩序を解体するもの。作者はデリダの「葉書」に注目しデリダの解説、彼の脱構築の解説を進めていくのだが、おちは脱構築とはパラドックスに陥ることなんだよといっていた気がする。形而上学の考えを横並びにし、否定神学の考えを横並びにし、その上にくるデリダの脱構築を持ってきて解説してた。文体が若さと時折暴力的に切り捨てるオタクっぽさを隠そうとするのもで読みやすかった。帯に構造と力がとうとう完全に過去のものになったと書いた浅田彰と宅八郎が、東浩紀と小沢健二がオーバーラップするのは私だけであろうか。みんな胃腸が弱そうなのである(松本人志の発言から引用)。
2Jan1999 X ISBN4-10-426201-3
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