ロベルト徳田氏・アルゼンチン紹介



このコーナーでは、アルゼンチンにお住まいの2世、ロベルト徳田氏によるアルゼンチン紹介を取り上げています。同氏はアルゼンチン生まれ、自国「アルゼンチン」を紹介していただきます。



ロベルト徳田氏


5・フォーリング・ダウン (2,001年01月14日)

皆さんこの題名の映画ご存知ですか?10年程前の映画で主演はマイケル・ダグラスでした。リストラ、離婚、すさまじい交通渋滞、冷房のきかない車内、果ては強盗に逢い、平凡なサラリーマンの怒りは爆発し、強盗に奪った武器で一寸気に触った物を撃ちのめしながら家路に行くと言う粗筋です。

似たような事がこの前ニュースになりました。時は12月中旬、アルゼンチンのラプラタ市付近にあるセレモニーパーティーが行われました。八百人程の参加人の中、セレモニーは順調に終了し、皆はデイナーの席に付きました。しかし待てど待てど食事が現れずやっと出てきたエントリーは悪臭を放ち明らかに傷んでいました。その後出たメインディッシュは冷えていてデザートのアイスクリームは殆ど溶けかけ。。。段々席がさわがしく鳴り始め、その間クーラーが切れて会場は蒸し風呂状態、そして騒ぎがピークになった時に突然停電!!

人々は暴動化し会場を破壊に努めたり、「招待券の弁償」曰くテーブルクロスの四隅を結んで中の食器ごと風呂敷き包みたいにして盗んでいったり、終へてはスピーカー、アンプなんかを抱えて逃げていったりと。。。一応許し難いと思いますけど、そのセレモニーは。。。ブエノス州警官学校の卒業式。。。DJがスピーカー、アンプやデッキの盗難届けを出しに行ったらその交番の中で自分の仕事道具を抱えて悠々と逃げていった張本人が平然と帳簿を取っていて恐くなったので届けも出せなかったとTVのインタビューに応じていました。卒業したばかりの若い警官、まだすれていなくて正義感、鉄条に溢れているはずのがこのざまですから先が知れています。大体此方の警官は皆の嫌われ物。安月給で必要的にガードマン、守備の副業についたり賄賂を要求したり。。その反面、私服でも強盗に逢い警官と見破れられたら否応無に殺されたり、何時も何処から石を投げつけられたり。とにかく警官には敬意の「け」の字も持てなくだからこそ良い人材は警官になりたがらない。その悪循環が何時までも続きそうな状態です。ですから日本の皆様、此方へお越し頂いた時には警官だからと言って絶対安心できませんよ!


4・アデイォス・ドクトル (2,000年08月07日)

七月二十九日、午後4時半レネ・ファバロロ心臓外科医師が他界されました。 彼の人生の前半は小さな村の医師としてその素晴らしい人格と共に豊富な知識は数々の貧しい農民の感謝と共に過ごしました。1962年に恩師の進めに従い、米国クリーベランドへ研修に向かいました。博士号を経て米国の地で彼の引入るチームは心臓手術の新しいバイ・パス技術を生み出しました。1973年帰国し、哲学の博士号と共にアルゼンチンの数々の大学へ教授として招かれその間も自分が開発した技術を適用し、無数の命を救いました。幾たびも欧米の大学に教授として招かれ、アルゼンチンの大学の数十倍の給料にも誘惑されず、この国に止まりました。

彼の教育熱心さには右に出る物はなく全財産を注込んで財団を築き、研究と最良の医師の誕生に尽くしました。彼の引入る財団から生まれた医科大学は最新の技術を引入り、世界有名な教授を呼び入れ、学費は全部財団が受け持っています。入学にはただ優秀な学生しか受け入れずコースの難しさも有名でした。しかし悲しいかな彼が手塩を尽くして磨き上げた優秀な医師たちはは殆ど留学の名目で外国へ移住しています。彼の人格・哲学は医師とある物を深く意識し、どの患者にも支払い能力を問わずに最良、最新の治療法を与える事でした。しかし永久経済困難に有るアルゼンチンの福祉団体は規定の手術代も支払わず、賄賂だけを要求する状況です。アルゼンチンの福祉団体は殆ど労働組合に属し、毎月給料から差し引かれる福祉用代金は労働組合や政治家の運動資金と横に流れています。アルゼンチン国民が医療に与えられていると言う代金は年一人700ドルとカナダの1700ドル、北米の2800ドルには及びませんが南米一となっているといわれています。それにも関わらずこの様な横流れの為アルゼンチンの公立病院の状態は悲惨となる物です。病室の壁は湿気とかびで朽ち果て、ガーゼや注射器など基本的な医療器具さえ常に足りない状態です。(ガーゼなんかは看護婦達が安い給料で自分の赤ちゃんのおむつも買えられないのでよく盗んで行く事もありますが。。。)その中でファバロ医師は患者の支払能力を問わず、常に最高、最新の技術を取り入れて72歳の年にもかかわらず自らメスを取って不可能と言われる手術をこなされていました。

しかし彼の患者、医師生徒達に注がれられた努力とアルゼンチンの福祉団体の支払い悪さの間で少しずつ無理が重なり財団は経済困難に追いつめられていました。最期に彼が知人に送った手紙には「自分は医師から物乞いに陥った」、「なぜ下級の官人にまで正当な支払いを要求するのに、その手続きに賄賂を要求されるのか」、と悲痛に訴えていました。その苦難が重なってか土曜日の午後、数知らずの人の心臓を助けた医師は自宅で護衛に持っていたピストルで自らの心臓を一発で貫きました。カトリック教で自殺は最も重い罪です。神から授かった命を自分で放棄するとは神に背く行為です。それにも関わらず、信仰者で有った彼がこの道を選んだとはさぞかし苦悩に満ちていたのでしょう。今、彼の最後の呼びかけがアルゼンチンの国民に届くでしょうか?報道で見る限り皆悲痛に訴えていますが、責任を問われますとただ言い訳しか聞かれません。

結論として矢張りアルゼンチンはこういう優秀な人物には向かない国なんでしょう、今日も遺産で有る財団には国からまだ正当な支払いは始まっていません。その反面無責任な選手の売り買いで破綻寸前のサッカークラブには政府から援助資金が出ている状態です。。。


3・アルゼンチン軍、米国侵略に成功!! (2,000年05月26日)

数年前から、アルゼンチンからはるばる米国へ侵略をかけた大軍が成功を重ね、カリフオルニア州から全米へ挑みかけているという報告が入りました。御心配なく、アリの世界の事です。今カリフオルニア州の南部からアルゼンチン産のアリが段々北へ北へと侵略を進めています。わずか個々二ミリ弱のアリの大軍が一センチ位上の現地アリを絶滅危機に陥らせ、あえては天敵のトカゲまで餌食にしながら領地を広めているみたいです。

何所にアルゼンチン蟻の成功の秘訣があるのでしょうか。カリフオルニア州、サン.デイエゴ大学のDAVID HOLWAY教授によりますとアルゼンチン蟻は本来競争心が激しく、アルゼンチンで巣と巣の領域が重なると両軍は相手が絶滅するまで猛烈に闘い会うという事です。その反面、今の侵略蟻は巣と巣の間で協力しあい、現地蟻の領域を侵略するときには人海戦であらず蟻海戦で雪崩れ込み、今はメキシコ北部からカリフオルニア州までの大きな帝国を築いているということです。おまけに天敵にはアルゼンチン蟻はとっても不味いという事なのです、事実、教授によりますと現地の蟻を噛んだら一寸舌を刺すがじわーと甘味を持っているけどアルゼンチン蟻は酸っぱくて、苦くてとっても不味いという事です。

この話し、何故かアルゼンチンの蟻社会と人間社会がダブって見えるのは私だけの視点でしょうか?此方の人間は、一人一人とっても良い奴でどうしても仕事をしなければいけない立場になるとよく頑張りますがとにかく国の為、社会の為、或いは会社の為という観念が全然無いのです。ですからお上の判断が個人、または家族の利益に損すると猛烈に反発するという性格です。その為お上(法律)の取り締まりの役割を保つ警官達は、犯罪者よりも嫌われるという立場になってしまうのです。嫌われ物だから、警官には良い人物が集まらずますます警官は悪者扱いを受けるという悪循環に有ります。

今、NHKの衛星放送から日本では此の頃色々な警察の汚職、傲慢問題が指摘されていますが、此方では可愛い問題と受け取るほどです。先先週、刑務所で看守たちが凶悪囚人に武器をわたし、「一晩釈放」で一仕事をさせ、その分け前を貰うという組織が発見されたばかりです。警官たちが自分の縄張りの商店に「保安料」としてチップをせしめる光景は日常です。何時、アルゼンチン人間社会は蟻社会に見習って、社会観念が成功のもとと察知できるのでしょうか。。。


2・アルゼンチンでの日本語とコンピューター(2,000年03月28日)

私の亡父は1936年、母は1956年に日本から移民してきました。生まれた時から家では日本語しか話さず、幼稚園に上がるまでスペイン語は全然話せませんでした。。。もう幼稚園の先生、大変だっただろうなぁ。。。その後、日本語塾に通いましたがスペイン語社会の中、日本語を段々忘れつつあります。しかし日本語で話すと、正確なスペルを見つけるのに苦心をしますが、何か不思議な安らぎを感じます。矢張り赤ちゃんの時に憶えた事は何処か心の奥深く潜んでいるのでしょう。

しかし乱筆の私は、コンピューターに触れはじめた頃から何とか日本語ワープロのような機能を此方のマシーンでできないのかと考えていました。その頃、十代の私には日本からワープロマシーンとか、NEC のPCシリーズなんかの代物を個人輸入する手段は無く、まあ夢と思っていました。

数年たち、日本でDOS/Vが出現し、これでは此方のIBMマシーンでも動く!と考えて丁度友人が日本の留学から帰る時でしたので、頼んで手に入れてもらいました。早速インストウールしてみたら。。。モノクロモニターでは動かない!!。まあどうせ要るのからと、その頃高価なVGAカードとモニターを導入し、テストしてみたら完ぺきに動く!!万々歳!!!さて、ワープロではないけど、一応DOSのエディタで日本語の文章を入れてプリントアウトのテスト。。。。。。全然駄目。。。。。ギャアアアア!!!何と!漢字ROMが入ったプリンターが要るとは知らなかったのです。

それからまた数年。。。お客様である日系商社で支店長の日本版Windows95の調子が悪いので見てくれないかという依頼を頂いたので、本来の仕事ではないけど、興味半分で引き受けてみました。その支店長は日本IBMのデスクトップとでっかいレーザープリンターを日本から持ってきていました。。。運賃と輸入税金だけでも此方で同じマシーンを何台も買えるだろうなと思いつつ、テストに支店長のコンピューターで事務所の普通のプリンターにプリントアウトしてみると。。。ちゃんと日本語で出てくる!!仕事の代金としてその日本版のWIN95とOFFICEのコピーを貰ました。支店長満足(安くついた)、私満満足!、日本マイクロソフト、ごめんなさい!!しかし如何しても日本語WINは西版より鈍いし、プログラムするのには日本版では旨くいかないので、私のマシーンでは普通西版をつかっています。

でもインターネットの登場からまた困った事ができました。日本のページを見る為には如何しても日本版WINとブラウサーでなければいけないのでした。で、ネットサーフインする度に西版から日本版へ再ブートしなければいけなく、うっとうしく思っていました、、、、が、、、Internet Explorer 5.0の登場で西語Windowsでも日本語のページを見れますようになりました。日本語IMEも付属できましたので、メールも西版で日本語を書けるようになりました。

此でやっとアルゼンチンでもコンピューターでは日本と同じ環境を用意出来るようになりましたので、日本の皆様も此方へ見える場合はもう面倒なマシーン類を持ってこなくても、日本版WindowsとOfficeのCDだけでも大丈夫です。その反面、乱筆だった私は、ワープロばかり使い、今度はもう日本語手書きが出来なくなってしもうた!!! あああああ!!!漢字が、漢字が、、、、


1・アルゼンチン、「原地人」の視点(2,000年03月16日)

皆さん初めまして。れっきとしたアルゼンチンの現地人、日系二世です。

田中様の招待でこのコーナーをお借りし、アルゼンチンを祖国、日本を外国と認識しながら、日系文化に生まれてからドップリ浸かっている自分の色々な視点を伝えようと思います。

さて、アルゼンチンでの30余り年の人性、日本の方がアルゼンチンと聞くと、先にサッカー、次にタンゴと思い浮かべますでしょうが。。。私自身はタンゴは踊ったことも無い、聞くとしたらシンフォニーロック、又はクラシック音楽を好みますので、その話は没。それじゃあサッカー!!と言いたいと思ったら、小さい時から遊ぶたびにゴールキーパーばっかり。。。(つまり、皆から木偶の坊と見放されるポシジョン) だったのであまり好きになれませんでした。。。

そんじゃあ何話すねん!!(怒) と聞かれても、さあぁ。。としか答えられません。。。はい、これがアルゼンチン(南米?)思考の一つです。

日本人同士でどちらかに非がある場合、直ぐ『済みません』と申し、なんとかとりなおそうとしますね。此方では先にとぼけ、その後『自分のせいじゃない』と開き直るのが普通です。もし、その気があったら、それじゃあ解決して『上げよう』とでてくるのですね。(自分に非があると分かっても)そこで、怒ってはいけません。日本的に低く出て、『お願いします』とするか、それとも嘘ぶいたはったりみたいな物で事をはこびます。日本からみえた方は、よく、こういう応答で怒ります、そうしたら相手も塞ぎこみ、解決が段々遠のいていく場面を良く目にします。では、初回としては余りにも超個人的な視点から話ましたが、次回はもっと面白い話題を見つけようと思います。

それで、次回のテーマは?。。。。 さあぁ。。


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ロベルト・徳田氏宛てに送信願います(アルゼンチン共和国 )

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