担任雑記 No.1 「ある男」

 まず、この「担任雑記」について、簡単に説明しておこう。これは「ときどき通信」、いわゆる学級通信とは全く別ものであり、このような文章を書き綴り、発行することに教育的は意味はない。単なる担任の趣味である。ただ、あえて意義を見いだすとすれば、このつたない文章を肴(さかな)に、各家庭でだんらんの話題としてもらえば幸いだ、ぐらいである。だから、特に教訓めいた寓話ではないし、道徳的資料として成り立つとか、そんなに堅苦しいものではないので、生徒諸君も保護者の方々も気楽に読んでいただければそれでいいのである。時たま、生徒諸君にとって難解な文章が書かれることがあるが、そのときは先ず、保護者の方々に聞いてみるがよかろう。それでも分からないバヤイは、筆者のダンディーお問い合わせいただきたい。しかし、筆者自信にも分からない場合があるので、そのときはご容赦願いたい。

さて、本題にはいろう。

 ある男がいた。男の年は14〜5歳、中学生ぐらい。男というよりまだ幼さが残る少年と言った方が適切な表現だ。夏休み、少年の町の公民館で外国人講師を招いて英会話のセミナーが開かれることになっていた。その少年自身はそのセミナーの事は知っていたが、その少年の親が気を利かせて参加申し込みをしていて、まさか自分が参加することとは前日まで知らずにいた。まるで「ミス何とか」に周りのものが勝手に応募し、写真選考書類審査を通ってしまったようなものである。少年は突然のことに戸惑いを隠せなかったが、親の言うことには逆らえず、半ば渋々セミナーに参加することにした。

 セミナーは20人くらいのもの。外国人講師の紹介があって、初めて外国人を間近に見た。男性であった。髪の毛が本当に金色(というよりも透明に近い色)であるのにも驚いたが、体毛の濃さと、それもまた金髪であることに驚いたというより、カルチャーショックとも言うべき衝撃だった。生徒は大人が半分、4分の1が高校生、残りが中学生という構成で、少年のほかに知っている中学生はいなかった。もともと小心者だった彼は終始うつむき加減で、実は内心心臓が飛び出るほどドキドキしていた。が、さらに心臓の鼓動を加速させたことがあった。夏休みということで、都会から避暑にやってくる別荘族の女子中学生が一人いて、その娘になんとなく視線が行ってしまう。この田舎町の娘にはない洗練された顔立ちと服装、しぐさがとても気になる。自分でも押さえ切れない怪しい目付きを、気づかれないようにカモフラージュすることばかりに気を遣い、なんだか分からないうちにセミナーの前半が終わってしまっていた。

 セミナーは会話中心なので、堅苦しい講義など一切なく、講師の先生を囲んで、ゲームや英語の歌など歌って楽しみながら会話をする術を学ぶというものであった。講師の先生は場を盛り上げるのとても上手で、シャイな日本人を相手に大きな体と声を存分に駆使して、身振り手振り熱心に教えてくれた。だから、最初は元気のなかった生徒達も、次第に打ち解けて笑い声やジョークまで飛び出てくるようになった。少年はもともと英語は得意なほうであったので、徐々に自信を取り戻し、講師の先生の英語のジョークにもついて積極的に会話を楽しめるようになっていた。また、別荘族の娘がいる手前、かっこいいところを見せようとやや興奮気味であった。

少年がそんな調子に乗っていたときのことである。ゲームを行うことになった。先生が生徒一人一人に果物の名前を割り当てる。もちろん英語であり、割り当てられた果物の名前は覚えていなくてはならない。さて、全員でテンポよく手拍子を打つ。その手拍子に合わせて、自分の果物の名前と、ランダムにだれかの果物の名前をひとつ言わなければならない。リズムに外れたり、言い遅れたり、間違えたりすると、シッペを食らう。日本語でさえリズムよく言うこともままならないのに、英語で言うなんて想像を絶する。だが少年のプライドは必死に間違えまいと耳をダンボにさせていた。

少年に与えられた果物の名前は「レモン」であった。英語では「LEMON」である。だから、「キウイ、LEMON!」と言われれば手拍子に合わせて即座に「LEMON、BANANA!」などと答えなければならない。それがいつ言われるか分からない。失敗すればしっぺがある。恥ずかしさとスリルと興奮の渦巻く未体験ゾーンへ、セミナー会場は富士急ハイランドのダブル・ループコースターのごとく落ちて行った。

 さて、世の中には、全然異質の物質のだが、よく似た名前を持つものがある。例えば「ナス」「ハス」、「イス」「イヌ」、「ネコ」「テコ」、「ジンジャ」「ニンジャ」、「ピーマン」「パーマン」など推挙に暇がない。「MELON(めろん)」という果物がある。当然、ゲームではそれを割り当てられた人がいる。賢明なる読者の諸君はもうお解りであろうが、耳がダンボであった少年は聞かなくても良い単語まで耳にいれていた。そう、「LEMON」を「MELON」と混同して答えていたのである。当然「MELON」の人は自分の番が来ても少年が興奮気味に答えてしまうので当惑するのみ。少年は自分の過ちに気づかない。頭に血が上り、顔がほてっているのが分かる。蒸気機関車のボイラー室にいるようだ。頭の先から湯気が立ち込める。

「MELON!」「LEMON!」「MELON!」「LEMON!」

しばらくしてだれかが「君、“LEMONでしょ”」と一言。

 そのときの恥ずかしさ、今でも忘れない。少年の頭からさーっと音を立てて血が抜けて行く。意識が遠のく。消え行く意識の中で、あの少女の笑い顔が霞にかかって見えていた…。

この事件以来、少年は成人になっても時たま夢を見る。自分がでっかいLEMONとMELON怪物に追いかけられ、飲み込まれるとそこにあの少女が笑っている夢を。

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