担任雑記No,10 「ヨーロッパ旅行記2」
その日はモーニングコールの6:00よりも早く目が覚めてしまった。恐らく8時間の時差にまだ体が慣れていないからであろう。時差を考えるなんて、ますます海外旅行らしくて、ウキウキする。今日はイタリアから、わたしたち夫婦にとっての未踏の地、そして、彫刻家としてあこがれの地、大理石彫刻と神話の国、ギリシアへ渡るのだ。タクシーを呼び、空港へ向かう。6:45ホテルを出る。途中ミラノ名物ドウオモ(大聖堂)の前の広場でミラノに来た記念写真をタクシーの運ちゃんにとってもらうが、帰国後現像した所、全自動カメラなのに見事なピンボケだった。この運ちゃん、石畳の市街地を何と90kmオーバーですっ飛ばして行く。町を抜けると一般道にもかかわらず、妻の見たところによると140kmは出していたという。ちょっと危ない人だった。空港までバスでは1時間かかったのに、お陰でたったの15分でついてしまった。
ついたのはリナーテ空港。8:35発の飛行機なので、後1時間半ほど暇。なのに妻はこう言った。「きっと遅れるわよ」女の勘は鋭い。そもそもイタリアという国は時間どおりものが動く試しのない国である。言うとおり9:00出発になった。今度乗るのはDC−9・30といって、ジャンボジェットよりも小ぶり。アリタリア航空なので、食事に期待。乗ってすぐに朝食がでた。やっぱりうまかったので、食べ残さないうえに、パンのお代わりを頼む。妻の視線が痛いが、「目標体重90kgってのはどうだい?」と尋ねたところ、「社会的地位を考えてね、ダーリン 」と優しくにらまれてしまった。反省。3時間ほどで、眼下にはエーゲ海の鮮やかなマリンブルーが広がっていた。しかし、予想していた光景と違う点があった。それは、深々と緑をたたえ、みずみずしい木や森がほとんど無いことである。代わりに、乾燥しきった黄土色の大地と、そこにへばり付く背の低い木々。そして、真っ白な家々。三原色の派手派手しい取り合わせこそないものの、海と空の青と建物の白のコントラストが目に痛いほど強烈だった。まさに、ギリシアの国旗の色である。タラップから降りると、肌を突き刺すギリシア特有の強い日差しが我々を手荒く歓迎してくれた。足元はギリシア、神殿の街アテネである。心拍数が“3”上がったのが分かった。
大きなトランク2つを受け取り、まずはホテルへ行くことにした。「Royal Olympic Hotel」という、いかにもギリシアらしいところに、あらかじめ日本で予約しておいた。市内まではタクシーを利用することにして、順を待った。ギリシアのタクシーは黄色に青のラインで統一されていたが、車種はバラバラ、日本で言う個人タクシーばかりである。私たちに回って来た車はベンツだった。いつも乗り慣れているとは言え、タクシーだとちょっと勝手が違う。運ちゃんが英語を話せる人だったので、安心して利用することができた。が、走ってしばらく、ホテルの名前を告げると、運ちゃんの記憶の中になかったらしく、いきなり路肩に止めて地図を持ち出し確認している。もともとそんなに愛想のよい人でないので、不安がよぎる。空港の様子から、治安が余りよいとは言えない雰囲気だったことを思いだし、車内に重苦しい空気が広がる。よどんだ空気を新鮮にするため窓を開け換気を試みた。車は何とか市内に向かっているらしい。ものすごいスピードで4車線の道路を疾走する。時速にして約120km/h。ギリシアの乾いた風景がものすごい勢いで後退して行く。と、そのとき、いきなり車が減速を始めた。そして、運ちゃんは無言で車を路肩に止めたのである。妻と私の間に緊張が走る。一体運ちゃんは何をするのか。そのとき私の脳裏には、新聞社の大型印刷機が忙しなく回り、日本の新聞の一面に「邦人夫婦、タクシー運転手に襲われる」「夢の新婚旅行、エーゲの海に消える」の見出しがデカデカとオーバーラップする図がよぎった。妻も同じことを考えていたらしい。二人で身を堅くし、財布とパスポートを握り締め、事態を見守る。
すると、運ちゃんはこちらの不安をよそに、やおら車のキーを回し、エンジンスターターを動かしている。エンジンがなかなかかからない。何度か試した後、ようやく黒煙を巻き上げスタートした。そして、恥ずかしそうに、こっちを向いてこういった。「走っている途中でいきなりエンジンがストップしちゃてねぇ。」…。ちょっとこのごろ調子悪いのよとでも言いたげに、ばつの悪そうに言った。妻と私は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。この車、ベンツのオートマチックであるところが、何か滑稽だった。
それからの運ちゃんは堰を切ったように話始めた。彼はつい4年前までオーストラリアに15年暮らしていたそうだ。そこで、日本人のホームステイを受け入れたりして、かなりの親日家らしい。それが、彼に言わせるとオーストラリア人は「お金のために働いている」のだそうで、それに対して、ギリシア人は「人生を楽しむ為に働いている」のだそうだ。だから、住み慣れたオーストラリアを離れ、故郷ギリシアに戻ったのだと言う。のっけから意味の深い言葉を聞いたので、ちょっと感動してしまった。我々にも心あたりがあり、痛いところを突かれたような気分だった。運ちゃんの優しいまなざし、初めとは一転して優しい心遣いに緊張した気持ちが一気にほどけ、「人生を、旅を楽しんでみよう」そんな気持ちにさせてくれた。この旅を思いっきり満喫しようではないか。旅の楽しみ方をこの事件で教わった気がした。約30分の間、パルテノン神殿の場所やギリシア料理のおいしい食堂(ギリシアでは“タヴェルナ”という)の場所などを教わり、ホテルに無事到着、運ちゃんとの別れを惜しんだ。ちょっと涙が出た。
ホテルにチェックインして、荷物を置き、町へ観光に出掛けることにする。かなり疲れていたが、目の前の小高い丘にあの有名な“パルテノン神殿”が見えれば気持ちが強引に体を動かす。昼食を食べに町に出て、その後夕食付ナイトツアーに参加をすることになる。これが2人に人生最大のピンチを招くことになるが、それは、また別のお話し。