担任雑記No,11 「ヨーロッパ旅行記3」
ホテルについて荷物を整理し、ほっと息を突く間もなくアテネ市内に繰り出した。昼食をどこかで食べなければならない。タクシーの運ちゃんが言っていた“タヴェルナ”の沢山集まっている地区を目指す。食事を食べるところなのに“タヴェルナ”とはこれ如何に。つまらんしゃれが頭の中をぐるぐる回っていて、何時妻に言おうか、うずうずしていた。兎に角、パルテノン神殿の真下にあると言うので、そこを目指した。
だが、進むにつれイメージしていた神話と大理石の街がなくなり、騒音とひどい路上駐車と秩序のない自動車とバイクの群れ、排気ガスの匂いの街もう一つのアテネの姿が見えて来た。やはりアテネと言えど観光客相手の表向きの顔と泥臭い人間の生活する裏の顔をもっている。道案内と方向感覚には自信があったが、今回はどうも道を間違えたようだった。妻の機嫌はだんだん悪くなる一方、腹は減るわ、足は痛くなるわ、喉は渇くわで、妻の機嫌を何とか直そうと、ひとつ大爆笑間違いナシの言いたくてうずうずしていた例の駄洒落を試みてみよう。「食事を“食べる”ところなのに“タヴェルナ”だってさぁ〜」と軽いノリで言ってみた。しばらくの沈黙、胸を射抜くような視線、深いため息。無視。私は、もしかしたら「成田離婚の危機か」とまで考えるようになった。
ヨーロッパでは水道の水は飲めない。石灰分が多量に溶け込んでおり、飲んだら大変なことになる。だから、飲み水は自分で買うものであり、売店がなければ水にありつけない。必死で私は売店を探した。途中パルテノン神殿への入り口を見つけたのだが、それよりもまず、妻の機嫌を直すことが先決だった。必死になり探した甲斐あって、小さな小さな煙草屋を見つけた。店の窓に「WATER」とかいてある。アテネの神様は見捨てなかったのだ。ペットボトルに入った冷たい飲み水を1本漸く手に入れたのである。妻も私も奪い合って水を飲み、とりあえず危機を脱した。
次は食事である。人が沢山通る道をたどって行くと、レストランがあった。これはアテネの神のお導きと思い、迷う事なく入って食事をした。妻はナポリタン、私はキシメンのようなパスタにチキン、2人でグリーク(ギリシア)サラダをほおばった。味はおいしかったように記憶している。レストランから見上げるとパルテノン神殿が威風堂々とした姿を見せている。レストランの目の前にはエンタシスの大理石の柱がごろりと3本ほど横たわっていた。大理石と古代遺跡の街アテネに来た実感がわく。腹も落ち着いて、それではこの界隈を歩くことにした、すると、どうやらここがあのタクシーの運ちゃんの言っていた“タヴェルナ”や土産物やの集中地帯らしい。ギリシャの特産品に、絹の刺繍製品があると聞いた。何件か回り気に入った店を探し、気に入ったら顔をつないで、いよいよパルテノン神殿へ向かう。
町のどこからも見える小高い丘に立つ神殿は参道からすべて大理石である。そして、巨大である。その巨大さゆえに、かつてのギリシアの力の強大さが強烈に視覚に訴えてくる。今は数千年前のいにしえの建物にあった細かい造形は破壊され、面影さえ朧だが、修復された神殿のほんの一部分からでも、ギリシア人がどれほどアテネの守護神に対して信頼をし、畏怖の念をもっていたのか理解できる。神を以てこれら芸術を生んだのだ。その感動を忘れないうちに描き留めようとスケッチを試みたが、ちょっとやそっとじゃうまくなど行かない。自分のデッサン力のなさに腹が立ち、余計筆を乱した。偉大な芸術は人を感動させるが、また、人を混乱させる不思議な力を持ち合わせているものだ。しばらく妻と二人で、沈み行く夕日に紅く染まる神殿をぼんやり眺めていた。
ヨーロッパはサマータイム制を導入しているので、日が沈むころは夜中の9時〜10時頃である。そんな夜の時間を利用した“ナイトツアー”というのがアテネ観光の一つの目玉だ。ガイドブックにもお薦めと書いてあった。ホテルにチェックインしたとき、早速申し込んだ。内容は、「パルテノン神殿を舞台に繰り広げられる大スペクタルな音と光のライト・アンド・サウンドショウを鑑賞、グリークダンスと“タヴェルナ”で楽しむ夕食の夕べ」だという。期待に胸躍らせて、バス集合地点でまつ。日はとっぷりと暮れ、よるの街アテネの顔になって来た。バスで会場につく。夕方の部が遅れて30分ほど待たされ、焦らされる。やっと会場が空き、座席へと向かう。英語のアナウンスが入り、ショウの始まりを告げる。座席のライトが消される。暗闇にあのパルテノン神殿が煌々と照らされ鮮やかに浮かび上がった。アテネの夜景に浮かび上がる神殿は美しかった。が、よかったのは初めだけ。英語のナレーションでギリシアの栄華繁栄と衰退を滔々と述べているのだが、言葉だけで何のことか分からない。劇団が出る訳でもなく、花火など派手な演出がある訳でもなく、何の変化も展開もない。疲れもあってだんだんと瞼が重くなって来た。意識が途絶え、はっと気がついたら1時間ほどしたころだろうか、クライマックスらしく、パルテノン神殿がライトに照らされ真っ赤になっていた。ギリシア文明の崩壊ということらしい。すると、出し抜けにショウは終わってしまった。妻と顔を見合わせてしまった。「これでおしまい…?」印象に残ったのは何もない。あえて言えば、ハメられたと言う感情だけが残った。会場から出口へ向かうとき、「ヘイ、今日のショウは、Three days ticket を買って、毎日通いたいくらいだねぇ。」とジョークを飛ばしていたアメリカ人は皮肉がうまい。同感だった。しかし、もしあなたがギリシアのアテネへ旅行する機会を得たなら、一度は試す価値があると思う。
お次はグリークダンスと“タヴェルナ”でのディナーの夕べ。夕べというより、深夜に近い。ショウが始まった。ボーカルの男性はオペラ歌手並の声が美しかったし、あいさつを何か国語も知っている。が、盛り上がったのはそれだけ。バンドの人はやる気の無さそうな演奏。音は暴力としか言いようのないデカさ。専属の舞踊団がいて、激しいグリークダンスを披露したが、しつこいほど繰り返すので、こちらも疲れてしまった。わたしを含めて客はひたすら眠気との戦い。ムサカ、グリークサラダなどギリシア名物料理が幾つか出たが、味などさっぱり分からない。わたしの心の中は「早くホテルに帰して!!」だけだった。この拷問とも言えるディナーから解放され、ホテルにたどり着いたときは、すでに時計の針は午前0時30分を回っていた。わたしも妻も、部屋に這うように入り、シャワーも浴びずベッドにバッタリ、3秒で意識が消えた。
私たちが経験した“ナイトツアー”は、本来なら夜を楽しむには最高のツアーかもしれない。だが、我々にとっては時間が遅かったし、時差にまだ慣れていないせいがありこんな結果になった。もし、あなたがギリシア旅行する機会を得たなら、この“ナイトツアー”に是非参加して欲しい。きっと私たちとは違った経験を得られるはず。
ギリシア人は「人生は楽しむためにある」と言った。このショウやディナーが彼らの考えることへの答えであるなら、我々は何とせわしなく生きているのだろう。
明日から3泊3日のエーゲ海クルージングである。そこでも2人に新たなピンチが訪れ、夫婦としての真価を問われることになるが、それは、また別のお話。