担任雑記No.14 「ヨーロッパ旅行記6 トルコの少年」

クルージングオプショナルツアーに、トルコの古代遺跡、エフェソス探訪が組み込まれており、参加した。私達は予習していなかったのであまり期待していなかったのだが、ヨーロッパの中ではかなり有名な遺跡だそうで、たくさんの観光客が来ていた。私にとっては、こんなにおもしろく、ためになる古代遺跡を見たのは初めてで、入ってから出るまで「ホホォ〜」とか、「すごい!」など感激したり、感心しっぱなしだった。

約1時間半の見学が終わり、ツアーのバスに乗り込もうとすると、このような観光地には付き物の、土産物売りの人達が群がって来た。彼らは普段は英語を使って売り込みをしているが、日本人を見つけると「ミルダケタダ。メノホヨウ!(見るだけただ、目の保養!)」と片言の日本語(と言うより、それしか知らないらしいが…)で近寄ってくる。それも一人二人ではなく、片っ端から50人くらい、みんな同じことを口走るのである。この遺跡に入る前にもたくさんの土産物売りが群がって来て、ウンザリしていたので、ほとんど「No,thank you. 」と断ったが、何の気まぐれか、急にこのエフェソスのガイドブックが欲しくなった。一緒に回った日本人夫婦が50ドル(約5、000円)で買ったが、現地ガイドが「始めに言ってきた値段で買わないこと。たいてい倍以上の値段を言ってくる」と注意をしていたし、我々はある土産物売りのおじちゃんが同じものを「1ドル」で売ると言っていたのを思い出し、大損をしないように値段を聞いてから買うことにした。

やはりみんな50ドル前後の値段を言ってくる。3人までは交渉決裂し、4人目の、年齢は12〜3歳くらいの少年と交渉を開始した。

私「いくらか?」(英語で)

少年「30ドル。」(もちろん英語で)

今までより安い。ちょっと見込みがあると感じたので、

私「30ドル?高いなぁ、まけてくれない?」

少年(すかさず)「30ドル。」

妻「15ドルでは?」

少年(ちょっと困って)「…、ノー、30ドル。」

割と頑固なので、妻と顔を見合わせ作戦変更。1ドルの件を思い出し、

妻「向こうで、同じものはもっと安かったよ」

少年(ちょっと焦って)「OK、20ドル」

私「うーん、あの日本人夫婦は“1ドル”で買ったよ」

少年(かなり焦って)「嘘だろ?」

私「本当さ、1ドルなら買うよ」

少年はこりゃだめだ、そんなばかなと言わんばかりの表情で去って行った。こういった観光地では、日本人は言われた値段でホイホイ買って行くので、カモになり易い。本来なら彼らの思う壷だったはずが、今日に限ってこの少年はめんどうな日本人夫婦に出会ってしまったのである。ちょっと良心の呵責があったが、その交渉中の言葉のやり取りが楽しかったので、そこまでで満足した。この際ガイドブックは諦めることにして、バスに乗り込もうとした。…すると、さっきの少年が別のガイドブックを持って現れた。 少年「ヘイ、ミスター(私のこと)、これなら5ドル(約500円)だ。」

そのしぶとさに感動を覚え、買ってしまいたい衝動を押さえながら、まだ懲りずに、

私「…、1ドルでは?」

少年(ええかげんにせぇよという表情で)「ノー、5ドル」

私「ちょっと古いんじゃない?1ドルにしてよ」

少年(ぱらぱらと本を見せながら)「とってもいい本だよ、しかも日本語だよ!」

この言葉に弱い。ツボを押さえた売り方である。ググッときて、

妻「私たち、ギリシャのお金しか持っていないけど、それでもいい?」

少年(ちょっとほっとして)「ノープロブレム(問題ないよ)」

いくらかと聞いたら、すかざず「1、500ドラクマ」(ドラクマ/ギリシャの通貨単位)という。あまりの早い回答にこっちが焦って計算ができなかったことを悟られないようにしながら、しぶとく

私(冷静を装って)「1、250ドラクマでないと買わないよ。」

少年(泣きそうな表情で)「ノー、1、500ドラクマ!!」

その表情を見てかわいそうになったのか、妻が「いいわよ、買いましょう」と財布を出して、1、500ドラクマで少年との商談が成立した。

私は「してやったり」と、値切りに値切った満足感と例の日本人夫婦への優越感に浸りながら、バスに乗り込み、エフェソスを後にした。

… …

今になって考えると、その少年は、日本であったならちょうど中学生か高校生の年頃である。しかし、私は彼を「中学生」と意識することはできなかった。彼は大人に負けないくらい立派に値段の交渉をやって見せた。だめだと思ったらいったんひっこんで、別の手で攻めてくる手口の機転の良さ、ドルをドラクマに素早く計算できる頭の回転の良さ、さらには粘り強く、頑固なまでに交渉を続けた根性が大変に気に入った。彼はもう立派に社会に出て行ける力を充分持っている。

だが、もっと考えを深めると、彼がこうなったのも、彼の商売の駆け引きが彼を待つ家族の生活に直結しているからだ。明日の食べ物も買えるか分からない生活、当然真剣にならざるを得ない。家族は自分が支えるのだという使命感を持ち、自分の身は自分で守る、簡単に他人と妥協したら生きて行けないシビアな現実がそこにはあるのだ。その少年と一緒に、おそらく彼の弟であろう小学2、3年生位の男の子が、やはり大人相手に片言の英語で一生懸命手作りの笛を売っていた。

なんとなくぬるま湯に浸かってぼんやり暮らしている中学生をたくさん見て来た私にとって、(もちろん私も人のことは言えないからなおさら)この体験はとても強烈な思い出として心に深く刻まれている。

… … …

その晩、ホテルでその本を読んでみた。エフェソスの生活ぶりや裏話まで書いてある良書であり、大変な堀り出し物だった。充実した気分で読み終え、ふと裏表紙に印刷されてあった値段が目に止まった。「U.S.A.$7」と印刷されてある。日本円に換算すると当時1$=100円だったから約700円。では、1、500ドラクマを日本円に換算すると?1ドラクマ=0.52円であるから、…約780円。

「してやったり」は実は少年のほうであったのである。

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