担任雑記No,15 「ヨーロッパ旅行記7」

ギリシアの夕日は絶品だ。特に、エーゲ海に沈む夕日は何もかも許してくれる寛大さをもっている。その日一日の苦しさ、せつなさ、恥ずかしさを、その神々しいまでの光と人間の英知を越えた魔力で跡形もなく消し去ってくれるのだ。そして、明日へのエネルギーを身体いっぱいに満たしてくれる。時には奇跡さえも起こしてくれる。

クルージングを無事終え、その日は今までのハードなスケジュールの疲れを抜くべく、いい天気にもかかわらず半日ホテルで“爆睡”(つまり、爆発的な睡眠という意味で、学生用語、決して辞書には載ってません)。気づくともうお昼を回っている。またパルテノン神殿の下の“タヴェルナ”へ出掛け、とりあえず腹を満たして行動開始。この日の目的はずばり「夕日」である。アテネからバスで2時間ほど南下した所に、「スーニオン岬」がある。そこが夕日の美しさで有名な所なのだ。

貧乏旅行者必携の観光ガイド「地球の歩き方」に記してあったバスの停留所へ向かう。バスの表示は皆ギリシア語であるからちんぷんかんぷん。チケット売り場のおじさんに聞いてやっとバスが分かり、乗り込む。日本では絶滅した切符きりのおじさんがいて、チケットを渡すと、チケットの端っこを半分だけ捩るようにして破く。これでいいらしい。何か素朴ででも、一番確実な入鋏方法だと思う。さて、出発だ。

バスは、運ちゃんの趣味で運転席の天井や壁、窓にもおまじないの飾りやお土産品、家族の写真が所狭しに張り付けてある。飾りの内容こそいかにもギリシア的であるけれども、日本の小さい観光バスの運ちゃんなんかは自分のバスに旅先で買ったミニちょうちんを飾る、あの感覚に似ている。どの国にも、同じようなことを考えているんだなと微笑ましくなった。ただ、違うのは、このバスは公共機関が運営しているはずだが、人生を楽しむことに徹するギリシア人らしさが出ているような気がした。

ゆらりゆられて、海岸沿いを南へひた走る。この揺れは心地よい眠りを誘いうつらうつらする。2時間バスに揺られて、もうオケツに血液が回らなくなり始めたころ、遠くの突き出た岬の先っちょにイオニア式の列柱が小さく見えた。あれこそ目的地の「スーニオン岬」である。岬の一番いいところに立つその列柱は古代ギリシア遺跡「ポセイドン神殿」だ。ギリシア人の美的感覚はすばらしい、とつくづく思う。日はかなり傾き、すべてがオレンジ色に染まりつつあるこの瞬間、ちょうどいい時間にバスが着く。 バスを降り、一番景色のいいところ、ポセイドン神殿へ向かう。すると、有刺鉄線が張り巡らされているではないか。そして、入り口に小さなチケット売り場。これは情報になかった。入場料一人600ドラクマ。財布を見ると300ドラクマしかない。妻も私も焦ってしまった。クレジットカードなどもちろん使えず、どこか抜け道はないかと不謹慎なことを考えたが、三方は断崖絶壁、唯一の陸続きは有刺鉄線。こういうところはしっかりしている。やむなくシルエットにしか見えないポセイドン神殿を遠くから眺めるしか手がなかった。悔しいので、一枚スケッチ。が、しだいに葡萄酒色に染まって行くエーゲ海と、神殿の列柱の間から溢れ出すオレンジ色の光の神秘さに、心の中は数千年前にタイムスリップ。立ち上がって海の神ポセイドンにお祈りを捧げたくなるような神聖な気持ちになって行く。今までの煩悩をここですべて振り払ってもらえるような、ものすごいエネルギーを感じ、涙がこぼれそうになった。何か満たされた気持ちになる。

8時のバスがくるまで、食事も取れず水も買えずぼんやりしていた。水平線に沈む夕日は岬の向こう側で見えない。諦めて葡萄酒色に染まる直前のエーゲ海を撮影した。バスが到着、往復切符を買っておいたので、帰りは心配ない。海側に席を陣取った。しばらく海岸沿いを走って行く。すると、真っ赤に染まった空と葡萄酒色した海が目の前に大パノラマとなって現れたのである。興奮してカメラを夕日に向けた。そしてベストショットになる機会を逃さないように、座席から身を乗り出し、必死になってカメラを構えた。が、揺れるバスの中のことである。うまく行くはずがない。揺れの小さくなったときをねらって、一枚シャッターを切った。すると、運ちゃんがバックミラーを介して私にこっちへ来いと手招きしているのを妻が気づいた。始めは恥ずかしさもあって遠慮して行き渋っていたが、妻にせっつかれ勇気を出して行ってみた。すると、路肩にバスを止め、ここで一枚撮って来いと言う。はっと気づいて急いでバスを降り、カメラを構える。本当に見事な夕日だった。運ちゃんは奇麗な場所を知っていたのだ。感謝感激雨あられと言うのはこういうことを言うのであろう。バスの運ちゃんと切符きりのおじさんがウインクして、「O.K.?(よかったか?)」と聞く。私は親指を立てて「Sure!!(もちろん!!)」とウインクを返した。白人の家族連れがこちらを見て半ば呆れたように大笑いしている。でも、そんな事はどうでもよかった。充実した気持ちと温かい人情を乗せ、ゴトゴトとアテネの町を目指して走り続けた。アテネについたときは日は落ち、ネオン輝く町となっていた。停留所で運ちゃんと切符きりのおじさんと固い握手を交わし、バスを降りた。運ちゃんのガサガサのごつごつした大きな手の感触、今でも思い出すことができる。そして、その時の一枚はアルバムの中で最も美しい一枚として大事に取ってある。

その後、300ドラクマしかもっていなかったことを思い出し、どこかでトラベラーズ・チェック(旅行用小切手)をお金に換える銀行を探さなければならなかった。こんな時間に開いている所など考えられない。すると、スーニオンの夕日の奇跡か、はたまた悪魔の囁きか、ふと曲がった所に銀行があるではないか。覗くと電気はついているが、人がいない。鍵はかかっている。こりゃ駄目かなと諦めかけたとき、「May I help you?(何か御用でしょうか?)」と後ろから声がかかった。すぐにお金に替えてほしい旨を話すと、快く店を開け、オフィスに通してもらって、手続きをした。銀行の紳士は隣のバーで一杯引っかけていたところだったと言う。これはまさにスーニオンの夕日の奇跡である。彼に目一杯考えられるだけの感謝の言葉を連ねて、銀行を後にした。

すると元気は出たが、腹が減っていることに気づいた。近くのタヴェルナに入って食事を取ることにして、店の並ぶ界隈へ足を運ぶ。夜中の10時を過ぎているというのに、この通りは賑わっている。店の入り口のメニューを見ていると、スーニオンの奇跡か、きれいなお姉さんがどうぞと言う。あまり歩きたくなかったので、この店に決めて、注文を取りにくるのを待った。すると、先程のお姉さんでなく、紳士が取りにくる。ここから、奇跡は悪魔の囁きに変わった。「日本からお越しに?ビールですか、この店にはサッポロはありませんが、よろしいでしょうか?」などど、流暢な英語で調子がいい。「日本の方はよくこれをご注文されますよ」と言われ英語のお品書きを見たら、「シーフードなんたら、ロブスターなんたら」と読める。「高いんじゃないの?」と聞いたら、「イヤイヤ、そんなことありません。日本の方みんな食べますから。では、これですね」と、向こうのペースで事を運んで行く。かなり疲れて思考能力も落ちていたので、思わずO.K.してしまった。が、彼の話の進め方がどこか引っ掛かるところがある。一抹の不安を覚えながら、待った。すると、出て来た料理はものすごい大きなロブスターが丸ごと一匹。目の前でそれを割き、皿に載せてくれるのだ。これ程おおげさなものが出されるのかと仰天した。周りのお客の注目を浴びているのが痛いほど分かる。食べ切れないが、意地で食べる。すると、いろんな海の幸が山盛りになったサラダのようなものが出て来た。これも自棄になって食べたが、入らなかった。頭の中に一体いくらの請求書がくるのだろうとばかり考えていた。デザートまでまさかつくとは思っていなかった。請求書が来た。先程替えたお金では到底間に合わない。45,000ドラクマ(約23,000円)。仕方なく、クレジットカードで支払う羽目になった。ギリシアは海運で栄え、漁業も盛んであるので、海の幸がおいしい。確かにうまかった。それは認める。でも、嵌められたという気持ちはどうしても拭えないのだ。この店でどれだけの日本人が彼のカモとなったのか、悔しさでいっぱいだった。店の名前は「MINELVA」。この時ばかりはスーニオンの夕日の奇跡は起こらなかった。

夕日はやはりその日のすべてが終わった後に見るべきものである。感動をバネとして次の日のエネルギーにするものなのだ。そして、最高なのは夕日とともに食事を取ることだ。すきっ腹ではどんなことでも失敗する。スーニオンに奇跡はない。あるのは感動と神秘だけ。野暮ではあるが、お金はできるだけ現金でもっていた方がいい。

さて、この翌日、2人に人生最大の奇跡が訪れるのだが、それは、また別のお話し。

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