担任雑記No,16 「ヨーロッパ旅行記8」 サントリーニ島はアテネの飛行場からプロペラ機で30分ほど飛んだ所にある。エーゲ海に浮かぶカルデラの名残でできた三日月型をした島である。
島の一番大きな町フィラΦΗΡΑは、なぜか断崖絶壁の頂上にへばり付くようにある。この町へ海から上陸するには、絶壁の真下にある小さな船しか入れない港から、コーヒー一杯分払ってロバの背中に揺られてのんびりと延々と続く石段を上るか、つい最近できたケーブルカーを高いお金を払って利用するしかない。もちろん、その石段を頑張って自分の2本の足で上る手もあるが、照りつく太陽、乾いた空気の中で、それはよっぽど物好きの方法だ。
景色は何か奇妙だが、ごつごつした岩肌にへばり付く白い家々、眼下にはエーゲの深い青、乾いた大空との対比が美しい。真っ白に塗られた家の壁。ベージュ色に塗られた教会の壁。玄関や窓は水色、ピンク、オレンジなど、パステルカラー。決して毒々しい色を使わない所がとても気持ちいい。この町の白さの中に身を置くと、洗いたての真っ白いシャツを身につけたときのような爽快感が風のように体を吹き抜けて行く。コンパスと定規で描いたような建物の群れ。小さな教会の鐘鏤は、まるで白砂糖の塊の様な、ドーム形した板の天辺にチョコンと十字架が挿してあるのが可愛い。その輪郭線が空や海の青をよく切れるカッターで鋭く切り取っている様だ。まさに「くっきり」と言う言葉がぴったりの対比だ。日が傾くまで、サントリーニの街角はサングラスなしでは居られないほどの眩しさで溢れている。
ちょっとした土産物屋に入ってみる。外の暑さと対照的に建物の中は意外なほどヒンヤリしている。外壁を白くしているのが何か関係しているのだろう。名産なのか、銀製品を売っている店が多い。古代ギリシアで使っていた食器をまねた形をしたワインボトルや、手の込んだ装飾を施している大陸的なティーセットまで、バラエティーに富んでいる。ショウウインドウに飾られるその涼しげな輝きは、思わず手にとって頬に当ててみたくなる。すべて手作りだと言うから、感動も二倍だ。金製品にはない何処か落ち着いた光を放っている。店の人はあくまでも丁寧、買う気がなくても最後まで笑顔を絶やさない。態度を急変させ素っ気なくすることなどめったにない。強気な売り込みはしないところが心地よい。
ちょうど西向きに岸壁があるので、夕暮れ時になるとどこからともなく若いカップルが夕日の見える町角に集まってくる。ここはヨーロッパ。目のやり場に困るくらいの濃厚な愛の囁き。道端ではいつの間にか旅の女流吟憂詩人がギターを奏でながら沈み行く夕日に賛歌を贈る。町がだんだんと夕日に染まる様は、まるで真っ白なキャンバスに紫、朱、オレンジ、レモンイエローなどのインクをこぼしてしまったかのよう。海は葡萄酒色。港に停泊しているクルージング船に明かりが灯り、海面にきらきらと反射する。夕日が沈みだいぶ辺りが暗くなったころ、町はライトアップする。昼間は真っ白だった家々が、ピンクやバイオレット、ブルー、所によっては家の色そのものを明かりで映し出し、幻想的だ。思わず見とれてしまう。時間がゆっくりと過ぎて行く。日が完全に沈むまで動けなくなってしまう。ここでは、スーニオン岬で見た感動的な神々しい夕日とは対照的な、穏やかで心休まる夕日を楽しむのがよいだろう。そして、日が沈み、サントリーニの長い夜が始まる。
夜になっても、町は賑やかだ。町は人が擦り抜けるのがやっとの狭い道が迷路のようになっている。どこへ行っても階段がある。道から民家の二階の物干し場が見えたりする。玄関だと思って入ってみると三階だったという事も珍しくない。土産物屋で賑わう繁華街は夜遅くまで開いている。気温が幾分下がったことと湿気が少ない事が手伝って、日中よりもかなり過ごし易い。そして、人々が狭い路地に溢れかえる。昼間は涼しげな輝きを放っていた銀製品の群れも夜になると何か怪しい輝きをもつ。白熱電灯のオレンジ気味の色に照らされ、涼しかった繁華街は人いきれで熱を帯びて行った。サントリーニの夜はふと夏祭りの夜店を歩いているような錯覚に陥りそうだった。
ギリシアで一番うまい食べ物は何かと尋ねられたら、ニヤリと笑って振り向き様指を一本立てこう答えたい。「それは、“ジロス”さ。」これを初めて見かけたのはミコノス島だ。勿論このサントリーニ島にもお店はある。やはりバックパッカーが大勢屯している店だ。見た目はクレープの様である。所謂クレープの皮の部分は、パンを薄く焼いたような、ピザのベースを柔らかく焼いたようなもの。中身は鳥肉であることが多い。この鳥肉は、いつも熱々である。その熱々にする工夫が面白い。高さ1m位のステンレス製のクシが一本立っている機械。そこに焼いて味付けした鳥股肉を目一杯積み上げ突き刺して塊にしておく。電熱器が三面鏡のように鳥肉の塊に向けられ塊を熱している。そのクシは回転する様になっており、満遍なく熱々の状態なのだ。その肉の塊を豪快にナイフや包丁、店によっては電動式のバリカンのようなもので下からそいで行く。一人分そいだらこれまた熱々の皮で包み、紙に巻いて客に渡すのである。味は、照り焼きチキンの脂っこい感じというのが妥当だろう。肉自体に油が多いが、皮が適度に油を吸収してくれるので、うまみが引き立ちとても美味。とても気軽な食べ物で、サントリーニ島では英語で“Greek Hamburger”と表示されていた。言い得て妙である。それだけ気軽に、親しみ易い食べ物である。腹が減ったらギリシアではバックパッカーと一緒にジロスをほお張るのもオツである。もちろん、片手にはさっき買ったばかりの冷たい水をもつことは忘れてはいけない。ギリシアの熱い乾いた空気にぴったりの食べ物だ。
何時か絶対再びこの島に訪れることを固く決心し、次の日イタリアに向かった。