担任雑記No,19「ヨーロッパ旅行記9」

 イタリアはローマ。6年前に訪れたときのイタリアの印象は、「時間どおりに物事が動かない。」だった。一番いい例を挙げると、時刻表どおりに列車は動かない。確かに日本のように時刻表はあるし、駅のホームにも何時何分に、どこどこ行きの列車は何番ホームと言う表示だってある。が、表示に従って歩いて行くと、もう1時間も前に出発したはずの列車がそのホームに事もなげに停車している。どうしたのか駅員に尋ねると、何と、ストライキだそうだ。「エライこっちゃ、次の街へ行けないよ、どうしよう」とオロオロしてしまうのはまだ三流の旅人である。周りの様子を冷静に観察すれば、たび慣れた人遵はホームでのんびりと本を読んだり、居眠りしたり、食事したり。列車が到着するまで時間をつぷし、お目当てだったら慌てず騒がず乗り込むのである。その列車がホームに来たからと行ってすぐ発車する訳ではない。発車の合図のけたたましいベルが鳴る訳でもない。事が済んでなんとなく、でも唐突に、車掌さんの合図で列車は静かに駅を後にする。イタリアでは鉄道員のストライキは日常茶飯事だという。しかも、列車単位で唐突に起こる。だから、事態が収拾すれぱ、何車もなかったかのように列車は走りだすのだ。それが当たり前なので、混乱しているのは日本人だけ。地元の人はもちろん、ヨーロッパの人々は事態をゆったりと見守っている。急ぎたければ飛行機か、レンタカーを使えばいいのだ。一というのが、6年前に訪れたときの感想だった。だから、今回も、イタリア・フィウチミーノ空港に到着し、ローマに向かう列車に乗り込むときは、1時間位遅れてもいい覚悟でいたのだ。ギリシアの空港と比べて格段に洗練され近代的な空港ロビーを歩いていると、イタリア名物の客引きらしきおじさんが我々夫婦に近寄って来た。胸に何やらもっともらしく写真入りのIDカードをっけている。おじきんは「インフォメーション?(何か知りたいことはないか)」といって来た。6年前ならこれは絶対、ホテルの紹介をしてその見返りをセビるおじさんだと思って、「No!」で通して来たのだが、どうも様子が違う。何人目かのおじさんが「ローマへ行くのか?どうやって行くのか?」とちょっと毛色の違うことを口走った。「ん?」と思って、列車で行く旨話したところ、親切に場所の案内をしてくれた。ついでにホテルの位置まで教えてくれたのである。チップをせびる様子もない。実に親切。このおじさんだけが親切だったのだろうか?多少疑問を残しつつも、言われた通りに歩いていったら、本当に駅についてしまった。ちょっと新鮮な気持ちになり、「ユーレイルパス」を有効にして列車の時間を待つ。すると、定刻どおりに列車がホームに到着。乗り込むと何と、本とに時刻表どおりに動き出すではないか。おまけに、シートはゆったりとして、まるでソファにでも座っている気分。感動だ。興奮気味になった。イタリアは変わったのだ。

 実に快適にローマ・テルミ二駅に到着。ムッソリー二が作ったという巨大な駅は相変わらずの人だらけ。スリのメッカでもあるので、少々警戒しながらホームをでてロビーを歩いていると、またまた「インフォメーション?」のおじさん。でもやっばりちょっと信じ切れない所があり、「No,No」で通して来たが、妻が思い切って一人に聞いた所、これまた実に親切に教えてくれる。もちろんチップをセビらない。これで私は確信した。声を大にして言いたい。「ローマは変わったあ!!」

 つかの間の喜びは、ローマ名物ゴツゴツの石登の道を、馬鹿でかいスーツケース2個をホテルまで運ぱねばならない苦しみにかき消されてしまった。インフォメーションのおじさんに教えられた通りの道を行っても、なかなかたどり着かない。ちょっとイライラしかけたとき、背中に何かぷっかった感触がした。気にせず進むと、後ろから若いにいちゃんが声をかけて来た。「何か背中が汚れていますよ、ぷき取ってあげまずよ」何ともジェントルマンな人だろう、目がウルウルして来た。すると妻が、それを見て、「いいです、わたしがやりますから、どうも。」とそのジェントルマンを迫い返してしまった。そして、その汚れを見るなり、「これ、唾をかけたみたいだよ。」という。そして、「ローマには、唾を吹きかけて、それをぷき取ろうとカバンを開けた隙にお金をスる奴がいるっていうからね。」と、冷静にいった。そのにいちゃんはそういえぱ、ずっと後ろをつけていた気がずる。信じたくないが正直言ってぞ一っとした。

 ようやくホテルを見つけ、チェックイン。ずぐにシャツを洗って、一息つく。気持ちを切り替え、いよいよ映画「ローマの休日」の舞台を回る。

 「真実のロ」は、隣に大きな立派な教会があり、見落としてしまうほど小さな教会の中にあるのに、映画のお陰で日本人の団体客を始め、このごろは韓国、台湾系の団体ツアー客でごった返していた。彼らはあの「真実の口」に集団で手を突っ込み、一枚写真を撮って台風のごとく去って行く。映画でアン王女が恐る恐る手を差し入れた無垢な瞬間、もへったくれもない。「無粋」そのものだ。ここは「教会」であるので、礼拝堂も祭壇もきちんとある。礼拝堂の中で、蝋燭の光でゆらゆらと照らし出される壁画を観賞していると、「良くぞ儲け主義に走らず、昔のままで変わらずやって来たな」と、哀愁にも似た気持ちが込み上げてくるのだ。ここは、敬皮な信者の神聖な場所と言うことを忘れてはならない。確か、6年前もそう思った。

 「トレビの泉」。ここで、後ろ向きに泉にコインを投げ入れるとまたローマにくることができるという伝説がある。 6年前、改装工事中だったこの泉にきちんとコインを投げ入れた。ここにいられるのもそのお陰であろうか。どうやら、この泉にコインを投げ入れるのは禁止、罰金らしい。だから、警察官が警戒しているのだが、男の警官2人と婦警一人で何やらペチャクチャおしゃべりしている。時たま、振り向いてピピ一ッと笛を吹いて「こら一っ、投げるな一っ」みたいな事を叫ぷのだが、すぐにおしゃべりに戻ってしまう。イタリアらしいと言えぱそれまでだが、仕事しろよな、仕事を。

 「スペイン階段」は、オードリ・ヘップバーンがイタリアンジュラートを食べた場所として有名になった芦万斤ごが、ここにはジェラートは売っていない。売っていたのは色と・りどりのお花であった。大理石でできた階段には、いろんな国籍の若者が思い思いの場所に腰を下ろしローマの喧喋を楽しんでいる。とても映画のような雰囲気と程遠い。が、私達もその仲間入りし、ゆっくりと古い町並みと人の流れを堪能した。団体パックツア一ではなかなかこんなことはできまい。ちょっと優越感の一時であった。サマータイムのお陰で、まだ明るいのに気がつくと夜9時半を回っていた。腹が減ったので、ホテルの近くのレストランに入る。ちょっとこぢんまりしていて、地元の人しか利用しない感じの大衆食堂だった。店の若い美人なお姉さんにメニューを見せてもらう。ッーリストメニューという、所謂「日替わり定食」を頼んだ。視線をメニューの下のほうに移すと、日本語が書いてある。何々、何と署いてあるのか?

「この店でこのメニューを食べると地元の人がジロジロ見るので、あまり頼まない方が良い。by日本人」

 一絶句した。同時に、この文章を書いた「日本人」とやらに、例え様もない怒りを感じた。楽しい思い出に水を差された気分になった。そして、何とも情けない気持ちも込み上げて来た。立場を変え、我々の近所のラーメン昼にアメリカ人が入って来たときの事を考えて見よう。我々はどうするだろうか。確かにジロジロ見るかもしれない。珍しい風景だからそれは当然の仕草であって、彼らを邪険にしている訳ではないだろう。むしろ、目を合わせず声をかけられないように伏せ目がちになるのが落ちだ。臆病とも言える日本人が海外でこんな傲慢な態度でよいだろうか。きっと筆者は日本人特有の妙な連帯意識や親切心で響いたのだろうが、逆にそれが日本人の意識の中にある排他的、保守的感情を増長していることに気づかないのだろうか。これがかえって、日本人という「井の中の蛙」的人種の世界の狭さを露呈し、恥を晒していることになるのだ。これ長ゴ〆、一種の営業妨書とも言える。馬鹿な輩もいるものである。自分が「日本人」であることに失望し、同邦の人間がこれ程まで醜く見えたのは初めてであった。

 怒りを妻と二人で何とか押さえ、あんま り英語の適じない店の綺麗なお姉さんに身振り手振り何とか分かってもらってすぐに消してもらった。彼女はこの言葉の意味を知らなかったらしい。気の毒なことだ。意味を知って、美しい顔に陰りが見えたあの表情がなんとなく切なげだったのをよく覚えている。そして、そんなに言うなら頼んでやろうじゃないかとツーリストメニューを注文した。でてきた料理は最高にうまいイタリアのパスタだった。もちろん、地元の人は我々を見ていたが、不快感は全然なかった。

 次の日、ルネッサンスの町フィレンツェへ向かうが、それはまた、別のお話し。

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