担任雑記No,22「ヨーロッパ旅行記12」 (長大) もし、日本以外で暮らしてもよいという権利を与えてもらえるなら、スイスに住みたい。どこへ行っても美しいし、どこを見ても雄太だし、どこの空気も皆おいしい。スイスの山間地で小さな学校の教師か、彫刻家をやらせてもらえたなら、これ以上の幸せはないであろうとまで思っている。私がいつか運よく子供を授かったなら、空気のおいしい、雄大な大自然のある、そして福祉が整い、リサイクルの進んだスイスで、育て、暮らす。夢である。いや、夢で終わらせず、ぜひとも実現してみたいもののひとつだ。
なぜ、そんなにスイスにゾッコンなのかというと、たった二日間滞在した旅であるが、一秒の無駄無く感動の連続だったからだ。まるで夢の中を旅している様だった。
スイスでの予定ははっきり言って、私もこの旅のコーディネーターである妻もよく分かっていなかった。と言うのは、妻の友達のスイス人に案内してもらうからだ。イタリアから夜行列車で朝の6時にジュネープに到着、10時にローザンヌ駅に向かうとそこには、予定が立っていない事による我々の不安を振り払う、歓待の精神に満ちた笑顔で妻の友達ハイジとマーティンが我々を出迎えていてくれた。
ハイジと妻は、アメリカ留学時代以来の友人で、彼女らは何と、私たちの結婚披露宴に出席してくれたという縁もあり、今回の案内を快く引き受けてくれた。彼女らと固い握手を交わした後、マーティンの車に乗り込む。彼の自動車はオペル・アストラ。この車のトランクルームは我々のもって来た大きなスーツケースを2つ余裕で飲み込んでしまった。彼はそれを見て「これがヨーロッパの車さ」自慢げに言っていた。そのうれしそうな表情は、男として私にも分かるような気がした。
私は助手席に座り、ハイジと妻が後ろの席という配置。妻とハイジは話に花が咲く。が、私はこういう場面になると英語が出て来ず、隣のマーティンと会話できずにいた。しかも、今までの疲れがどっと出て、瞼が重い。黙っていると、「タカシはどうしたんだ?」ど心配そうに聞く。妻が、「彼は、聞いて理解しているけど、話すのが苦手なのよ」とフォローした。ハイジもマーティンも、大きく頷き、「最初は誰でもそんなもんだよ、我々だってそんなに英語上手じゃない、何か、何でもいいからしゃべることが大事なのさ」と言ってくれた。さずが、「歓待」の精神の国スイス人のありがたく温かい一言であった。その言葉に励まされ、その後は私も、たどたどしくではあるが、会話に参加できた。彼女らの人種を越えた大陸的な心の広さに感激した。こんなことが普通にできる人間になりたいと思った。
しかし、やっぱり旅の疲れには勝てなかった。どんどん重くなる瞼はまるで子泣きじじイが乗っかっているようだ。気がつくと目的地であるション城に到着。目が覚めたときの慌てように、ちょっと笑われてしまった。
ション城はレマン湖の辺に建つ13世紀以前から建てられていた戦術的要塞である。当時の生活様式をなるべく忠実に再現してあるため、当時実際使われていた家具や銀食器、武器など、見ているうちに中世にタイムスリッブした気持ちになる。城の地下には牢屋があり、当時の陰惨な拷問の後や、投獄されたものの呪いの込められた落書きなどから、華やかさの裏の暗闇を見た気がして、背筋がぞっとした。日本ではあまりそのような裏側を見せることは少ないが、過去の血なまぐさい面を正面から見据え、その歴史の積み重ねで現代があることを忘れてはならないよう、戒めているようだった。
出口で飲み物を買った。炭酸飲料だが、今は懐かしい瓶詰である。飲み干した後、どうすればよいかマーティンに尋ねたところ、「店のおじさんに返してくるといいことがあるよ」と言われた。そうした所、ビンの代金としてお金が返って来た。ちょっとうれしかったので二ヤけていたら、ハイジ達はちょっと渋い顔をして、日本の缶の多さにびっくりしたと言っていた。リサイクルのことを考えればずっとビンのほうが有効だとも。ごもっともの意見に頷くしかなかった。そういえば、ヨーロッパに来て、缶が町にあぷれる根源である自動販売機というものにお目にかかったことがない。
次、グリュイエールチーズでお馴染みの、グリュイエール地方へ向かう。やっぱり眠さには勝てず、グーグー居眠りをこいてしまって、車窓に広がる素晴らしい風景を見逃してしまった。途中で自動車が止まったので着いたのかと思い、車の中を見回すと、みんながわたしの顔を見て二ヤニヤしている。どうやら話の種にされていたらしいのだが、残念なことに全く記憶がない。恐縮して昼飯を頂いた。それでも日本人の文化をスイス人にも分かってもらおうと、目の前に出されたパンを指さし、「これは日本語では『パン』と言いますネ。これも『パン』でず。」と言ってから、両手で『パチン連と音を立てて見せた。数秒の沈黙の後、妻が「“Don’t mind.He is strange.”(気にしないで、彼、ちょっとお疲れ気味なの)(誤訳//妻、注釈)」と言った。本来なら怒涛のような拍手喝采だった所、どうやらスイス人には通用しなかったようだ。日本の文化の奥の深さを彼らにまざまざど見せつけてやったのである。
ムフフ。グリュイエール城は小高い丘のうえに建つかわいいお城である。が、ここの見所は城を囲むようにしてある小さな村全体である。日本で言えば妻寵宿とでも言おうか、この村の昔からの様子を大切に保存し公開している。また、この村はグリュイエール・チーズの本場。早速、この村の名物「ラズベリー・w i t h‐クリーム」なるデザートを食べてみた。ガラスの容器にたっぷりと盛られた赤い色したうまそうなラズベリーに、象牙色したグリュイエール・クリームがたっぷりとかけてある。一掬い、口に運ぷ。クリームは意外にも香りが少ない。口に入る。ラズベリーが弾け、果汁とクリームが混ざった瞬間、脳みそに電光石火が走る。
「ま、まずい。」想像していた味とは全く違う。甘くない。ラズベリーの酸っぱい味と、牛乳がチーズになる途中のようなトロみ、独特の臭みのあるクリームのミスマッチが、口の中でまるで現代音楽を穂くが如く不協和音を奏でていて不快だ。だが、ハイジやマーティンがうまそうに会べているのに水を差してはいけないと、ひたすら耐えていた。ふと、隣の妻の様子を伺う。目と目が合った。それだけで判った。同じことを考えているに違いない。と。何かコメントしなけれぱいけない街動に駆られ、どもりつつも「Um〜,Good」と言った私を褒めて欲しい。その土地の人々に根付いた味覚に、文句を言うっもりは毛頭ないが、我々にはあまり理解のできない分野である。特に、チーズに関しては、バリエーションが豊富で、有名な「カマンベール」も、日本のスーパーで出回っているものは日本人向けに臭みを取ってあるのだ。そのほか、「プルーチーズ」などは想像を絶する臭み。試してもらいたいが、やめておいた方が良いだろう。そうは言っても、チーズが日本人には理解できない世界なら、「納豆」を食べる日本人は一体どうなるのだろう。だから、どこに行ってもそういう代物があるから、旅が面白いのであり、一層思いで深く、味わい深いものになるのだ。
気を取り直して、町をプラブラ。すると、長一〜いアルペン・ホルンをかついだ3人組がやって来て、道の真ん中でいきなり美しいホルンの合奏をしてくれた。この風景、町の空気にびったり。まさにスイスど言う光景を目の当たりにし、感撤した。観光客が集まって来て、人だかりになる。ホルンの音色に酔うのもつかの間、何やら遠くで騒がしくクラクションが鳴っている。日本で言うヤンキーの暴走行為のような騒ぎであったので、似たようなのがスイスにもいるのか、とガッカリしていたところ、周りの募囲気が和やかで、なにか違う。しばらく様子を見ていたら、イギリスとスイスの国旗を立て、リポンや花で飾り立てたジープがクラクションを陽気に鳴らしながらやってくる。そして、着飾った人違がその後をついてくるのだ。どうも、結婚式を終えて、披露パーティ一に向かう一団らしい。観光客も一緒に鼻まってジープに乗った新郎新婦を祝福する。私も調子になって、「ヒョー、ピーピー、イエイ」などど騒いだ。もちろん、彼らを祝福するためである。何と開放的で、祝福ムードにあぶれていることか。日本の形式だけの披露宴とは全く違った、暖かみのある、心の通った結婚パーティーだったように思う。きっと彼らにとって素晴らしい一生の思い出になるんだろうな、と、少々うらやましく思った。こんな結婚式なら、もう一度やってもいいかななどと、考えるのは、ごく自然な華ではなかろうか。え、そういう問題じゃないだろって?
さて、今度は宿探しである。それもみんなハイジたちに任せてあったので、私たちは車に乗っているだけ。かなり山間地に入ったにもかかわらず、我々を乗せた車は100k m/hですっ飛んで行く。が、しかし、私はまたもや鉛のような険の重さに耐え切れず、居眠り。もう、彼らは気にしていない様子だった。気がつくど、周りは岩の切り立つ山に囲まれ、こちらで言えぱ志賀高原の焼額山がすべて牧草地になったような所に「シャレー」タイプの民家が建っている、全くの田舎にいた。家の周りはすべて牧草地。牛がところどころで草を食んでいるのが分かる。そんなどころをどんどん上って行き、かなり標高が高くたどり着いた所が、「シャレー」タイプの、典型的にして、古典的なスイスの田舎ホテルであった。民宿どでも言おうか、スイス・ジャーマンしかしゃべれないおぱちゃんのやっている小さなホテルだ。部屋を見せてもらうと、今は屋根裏部屋のような所が空いているという。シャワーなどない。昨日の事件で汗だくであった事をハイジに話し、このホテルはキャンセルした。雰囲気はとてもよかったのだが、致し方ない。名残惜しかったので、ホテルの周りを散策した所、このホテルはやはり酪農もしているらしく、大きなカウベルがずらっとならべて飾ってあった。ホテルのおじいさんが、テラスから顔を出し、手招きしている。指された所へ行くと、可憐な銀色をした見たこともない小さな花が咲いていた。マーティンに通択して貰うと、「向こうのあの険しい岩山の頂上から苦労して取って来たものだよ。すごく珍しい花だそうだよ」ど言っていた。そして、「これがエ一デルワイスさ。」ど妻にそっと囁いた。そう、この花は、スイスの代名飼、歌にもなっている「工一デルワイス」である。何と貴重な花を見せて貰ったことか。偶然であるが故、感激が倍増するスイスを実感するワンシーンであった。
そこを去り、牧草地をどんどん下って行き、別の道をまたのぽって行く。天気はやや曇り気味、日もかなり傾いて来た。もう、地図で見ても、どこをどう走っているのか見当もつかない。今度は地蔵峠のような道であったが、目的地近くになるとスキーリフトなどが見えて来た。やや平らになった所で一軒のホテルを見つけ、入る。ここもまたスイス・ジャーマンが飛び交うホテルであった。部屋を見せてもらって、商談成立。トイレとシャワーは共同だったが、お湯が出るので、O.Kした。しぱらく部屋で休んでから夕食へとでかける。タ食はハイジ達のお薦めへ行くこどに。実は、そのお驚めが今夜の宿泊場所にする予定だったのだが、やはり人気のホテルらしく、満室。そうは言っても、おいしい夕食だけでもということで、やって来た。メニューを見せてもらったが、みんなドイッ語。全く分からないので、ハイジに訳してもらって、注文。何がくるかドキドキしたが、やはり、うまかった。今まで食べた中で一番うまかった。一杯だけ飲んだおいしいワインに酔って、帰りの車の中でまたもや居眠りをする。「タカシは車の中で寝るのが好きなようね」とまたまたみんなに笑われ、ホテルに到着。前夜の疲れがあってか、シャワーを浴びたら、荷物も整理もそこそこに、ぶかぷかのベッドに溶け込むように眠りに落ちて行った。そして、感動の一日が終わった。
だが、まだ感動のピークは去っていなかったが、それはまた、別のお話し。