担任雑記No,24「ヨーロッパ旅行記13」 部屋の窓を開け、外の風景を見渡すと、起伏のある地面に草が生え、霧に濡れていた。冬場はスキーゲレンデになるらしい。目の前にそびえ立つスイスアルプスは雲で見えたり隠れたり。山の天気の典型のような朝である。ヒンヤリする空気を胸一杯に吸い込み、大きく伸びをして気持ちをシャキッとさせる。「嗚呼、今日もスイスの一日が始まる。」わくわくする気持ちを妻に悟られないようにちょっと押さえ、準備を整え、朝食のために下に降りる。すると、目映いばかりの朝日が高い山の合間から顔を出し、我々を包んでいた霧がサーッと晴れて行く。朝食の場所はホテルの庭先、昼間はカフェテラスになる所だ。トーストとカフェ・ラ・テ、或いはホットチョコレート。ベーコンエッグなどなど。もちろん、スイスのあの独特の匂いのあるチーズも。4人でいただく朝食は会話が弾み、おいしさが倍増する。今まで、2人きりで食べる朝食にいささかロマンチックさがなくなっていたので、よい刺激であった。
いよいよ出発。マーティンの車に荷物を積み込み、しばらく彼らと妻はホテルの人と歓談。このすばらしい風景をスケッチしない手はないと、目の前に迫ってくるスイスアルプスと格闘したが、迫力が違うので思うように筆が動かない。汗をかきながら描いていると、後ろからマーティンが覗き込み、渋い顔してうなっている。そして、「俺も学校の美術の先生にこんな顔して見られたもんだよ」と一言。自分の職業が職業だけに、「世界どこでも、同業者は同じことをするんだなぁ」と妙な関心をしてなんだかおかしかった。ホテルの名前を知りたくて、看板をスケッチしていたら、ホテルのおばさんが出て来て、「インフォルマシオン?」とスイスジャーマン訛りのきつい言葉で聞く。始め何のことか分からず、ぼんやりしていたら、もう一度、「インフォーメーション?」と英語発音で言ってくれて、はっとした。おばちゃんは、ここの情報が欲しいのかと聞いていたのだ。二つ返事で返答すると、このホテルのパンフレットと、ここの観光ガイドの2つをくれた。おばちゃんにも確かめたが、どうやらここは本当に冬場はスキーゲレンデになって賑わうらしい。しばし、白銀の世界に覆われた世界を想像してみる。人工的に作った日本のゲレンデと違う、広々とした解放感のあるスキーが楽しめそうだ。これは冬場にもう一度くる価値がありそうだ。ただし、妻をうまく丸め込まないといけない難題があるが。
今日の予定は、「まさにスイス」を実感する観光地巡りである。マーティンの車は高速道路をひた走り、しばらくして険しい山道に入る。“ベルナー・オーバーラント(Berner Oberand)”と呼ばれるスイス第一の、最もスイスらしく最も美しい観光地が目的である。目の前に迫ってくる4000メートル級のアルプス。4158mの「ユングフラウ(Jungfrou)」、4099m「メンヒ(Mench)」、3970m「アイガー(Eiger)」という三峰の迫力は、まさに、白銀の盾と甲冑を身につけた白い巨人三人衆が、これより先に一歩も行かせないぞと我々を見下ろし威嚇してるようだ。我々はその巨人たちの作った大きな箱庭に迷い込んだケシ粒程もない小人になった気分である。
ここは、登山列車でも有名である。この険しい山に、かつて日本の碓氷峠でも活躍したアプト式列車が通っているのだ。インターラーケンという麓の町から列車は出ているが、我々はラウターブルネン(Lautter Brunnen)まで自動車で上がる。目の前を見上げると絶壁。その頂から一筋の滝が落ちている。あまりの高さのため、水が途中で風に飛ばされて霧になってしまっている。そして、その中間辺りにスイスの国旗がはためいている。まさに絵葉書どおりの風景。さあ、いよいよ登山列車に乗り込む。列車は小回りの効くようコンパクトだ。歯車が力強くレールを咬み、急坂をぐいぐい引っ張る感じが体に伝わり快感。だんだん広がる大パノラマに、興奮してシャッターを切りまくった。わきのハイキング道を親子連れか、景色を楽しみながらゆっくりとハイキング。今度訪れたときはそこを歩いてみたい。などとぼんやり思っていたところ、妻が信じられないような言葉を発した。 「次に来るときはあそこを歩こう!」
なぜ信じられないか。妻はもともとアウトドア派の人間ではない。冬、スキーへ行くものならば気が向くまでのタイミングを見計らって、小さなチャンスを有効に生かさなければならない。私はいつかまたスイスに来るときの為に、この言葉が神様のくれた宝物のように大切に心にしまっておこうと決めた。早くスイスへ行きたい。
終点はクライネ・シャイデック(Kleine Scheidegg)。ここから、何と標高3454mのユングフラウ・ヨッホ(Jungfraujoch)までまだ登山鉄道が通っているのだ。路線の4分の3はトンネルで、終点のヨッホも地下駅である。だが、トンネルの途中に、硝子ばりの部分が有り 、さらに雄大な眺望を楽しめるという工夫がある。ここまでくると万年雪で辺りは銀世界、気温も格段に低くなっているが、現実から全く掛け離れて鳥になったような感覚を味わえると言う。
だが、我々は乗らなかった。だって、東京の満員電車のように鮨詰め状態で、しかも乗っている人は日本人、韓国人など、モンゴル系の人ばかりなのだ。いささかうんざりしたから、ハイジらについて行き、なるべく景色のよいところで一休みすることにした。もうひとつ興ざめなのは、クライネ・シャイデック駅に出ていたお土産屋や食べ物屋を覗いたとき、日本語でデカデカと「あったか〜いうどん」「そば〇〇フラン」「おにぎり、梅、鮭」などと黒板に書いてあり、日本人が群がっていたことである。ここまで来てそんな商売するなよなと思ったが、それだけここが世界的に有名な観光地である事の裏返しなのであろう。日本人のいない所ばかり見せてもらったので、アレルギーになってしまったのかもしれない。
いささか興ざめはしたものの、感動の嵐が心の中を吹き抜けた後、ふもとのインターラーケンという町に下り、妻のもう一人の友達の親戚が経営しているホテルへ向かった。シャレータイプの美しい造りの家。荷物を預け、夕食にスイス名物「ミートフォンデュー」を頼む。実はこの料理、冬場の食べ物なのだそうだが、特別の計らいで食べさせてくれるのである。準備に時間が掛かるということで、4人でしばらくインターラーケンの町を散策する。やはり、世界中から観光客が集まってくるので、土産物やで結構にぎわっていた。ところどころにスイスらしい町並みが見え隠れしている。
スイスらしいと言えば、「アーミーナイフ」がある。今は日本の玩具屋やアウトドアーを扱っている店など以外に、ディスカウントショップなどにまでおいてあり、よく見かける代物である。普通、アーミーナイフと言えば赤いプラスチックの柄に白くスイスの国旗が刻んであるものを連想するであろう。そして、やたらめったらいろんなものが組み込まれていて、柄の部分の厚みがあればあるほど価値の高いものであるように誤解されている。
だが、私の購入した物は違う。スイス人がお勧めした保証付の一品。マーティンやハイジ曰く、「これが“スイス・オリジナル”、これが“スイス・ナイフ”である」と言わしめた物である。スイス軍納入純正品。実用性、信頼性重視のナイフだ。国民徴兵制度が実施されているので、軍隊経験者は必ず一度は手にする一品である。柄はアルミ製。滑り止めのギザギサが刻んである。機能は、ナイフ、キリ、缶切り、栓抜き、ドライバー大小、ワイパーストリッパー。実にシンプルかつ、機能的。ナイフの切れ味は最近私の小指を皮一枚残してスパッとやれるほど鋭い切れ味で証明済み。さすが軍用品である。私はうれしくてうれしくてたまらなかった。あまりのうれしさに、歩きながらポケットから何度も取り出し、その度にニンマリする。その姿を見たハイジが「He is like a child!」と褒めて下さった程である。今でも私はそのナイフを肌身はなさず持ち歩いている。でも、今わが家では「血の味を知っているナイフ」として恐れられている。
さて、待ちに待った「ミートフォンデュー」の時間になった。ご存じのない方に少々ご説明。中にオイル(食用油)が入った茶釜型の銅製フォンデュー鍋がテーブル中央に。隣には細切れになった牛肉、野菜の盛ってある大皿。各自、お皿にドレッシングやマヨネーズ、スイス独特の調味料が盛ってある。本来ならば専用の先の細長いクシがあって、その先端に肉や野菜をひとつづつさして熱した鍋の油の中で温める。頃合いを見計らって、鍋から出し、好みの調味料をつけていただくのである。これと類似したもので「チーズフォンデュー」というこれまたスイスの食べ物がある。日本ではこちら方が有名であろう。
さて、ハイジやマーティンを見様見真似でいただくことにする。このとき注意しなければならないことは、鍋から揚げたクシでそのまま食べてはいけないことである。油は相当な高温になっているから、肉自体が熱くなっているのに加えてクシも熱くなっている。下手をすると、自分の舌を焦がすだけでなく、唇まで火傷を負ってしまう羽目になる。だから、フォークとナイフで肉をていねいにクシから外す事を忘れてはならないのだ。一口食べて見る。うまい。日本のテンプラのようなものを想像していたが、ころもがついていない分だけ油がカラッとしていて、しつこくない。結構日本の食文化にマッチしているのではないだろうか。スイスは寒いところであるので、いわゆる「寄せ鍋」的にみんなで集まって、寒い長い厳しい冬を乗り越えるために生まれた食べ物だと想像する。鍋を囲んで食べる感覚はまさに「寄せ鍋」そのものであった。
ある程度満腹して私がぼんやりしていると、ハイジが私に語りかけて来た。
「タカシ、夢見てるみたいね」
私はぼんやりしながらこう答えた。
「ああ、そのとおりだ、私は今夢の中にいる。そして、とても幸せだ。こんな気持ちにしてくれた君たちに本当に感謝している…。」
するとハイジとマーティンは、何か照れ臭そうな、でも、うれしそうだった。こんなときもっともっと流暢にすらすらと彼らとコミュニケーションを取れたなら、どんなにうれしいことであろうか。もっともっと的確な言葉でこの幸せな気持ちを伝えることができたなら。
食事が終わり、いよいよハイジとマーティンにお別れしなければならなくなった。彼らはここから約200km離れたスイス第2の都市、バーゼルに戻ると言う。疲れるだろし、心配だから泊まっていけばと勧めたが、明日仕事があると言う。別れ難い気持ちを押さえ、散々感謝の言葉を彼らに述べた。マーティンとの固い握手。言葉少なで申し訳無かったが、彼の運転と、ユーモアセンス、ハーレーダヴィッドソンの話で盛り上がったこと、一生忘れない。ハイジとも握手をしたが、「これがスイス風のお別れのあいさつよ」と、ほっぺたに交互に3度キスをもらった。新鮮でさわやかであった。そして、髭を剃っておいて本当によかった。
こうして、感動的なスイスの2日間が終わった。学んだことも多かった。例えば環境保護に対する姿勢。歓待の心。そして、大自然に抱かれる時の快感。スイスの自然には心を洗浄してくれる不思議な力が宿っているような気がしてならない。気持ちが荒んだり生きる勇気がなくなったりしたら、再びこの地を訪れ、気持ちを洗ってもらうのも良いだろう。また、もう一度生まれ替われるならスイス人になりたいと思う。
さて、幸せに満ちた二人はこの後ドイツに渡り、一気に怒りと嘆きのどん底に落とされるがそれはまた、別のお話し。